真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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16話:帰還への序曲

       

 南陽城・袁術軍会議室

 

 あの敗戦から、ここでは毎日のように袁家の主要家臣が会議を開いていた。もちろん、議題は残存している黄巾賊の討伐についての事なのだが、一向に方針がまとまらないでいた。今日も何も決まらないまま閉会かと思われた矢先に、劉勲から思いもよらぬ提案が出される。

 

「ねえねえ、ちょっと聞いてほしい事があるんだケド、いい?」

 

「何か妙案でも浮かんだんですかぁ?」

 

「旧孫堅軍を再建してみない?」

 

 

「…………は?」

 

 日頃から袁術の支離滅裂な発言に対応している張勲でさえ、思わず衝撃を受ける。その他の面々も、劉勲が何を言っているのか理解するまでにしばしの時間を要した。

 

 旧孫堅軍を再建する?味方を何人も死なせて、やっとのことでその影響力を削いだのにそれを復活させる?そんな愚行は正気の沙汰ではない。そもそも孫家の失脚を目論んだ黒幕は発言した当の本人だろうに。

 

 

「書記長、君は本気で言っているのかね?……というより正気で言っているかね?」

 

 大抵のことでは動じない楊奉ですらも面喰っている。

 

「楊奉、アナタさりげなく人のことバカにしてるでしょ?いや、さりげなくどころか思いっきり公衆の面前で罵倒したよね?」

 

「それはどーでも良いとして、信用できるんですかネ?」

 

「どうでも良いの!?」

 

 どちらかというと孫家寄りの魯粛までもが躊躇する。

 

「そうですねぇ。私も劉勲さんの頭が大丈夫かちょっと気になっちゃいます♪」

 

 最後に張勲がトドメを刺す。劉勲の前世と違って、親愛なる同志書記長は意外とリスペクトされていないようだ。その事実に軽く落ち込みつつ、劉勲は駄々っ子の様にむくれながら言い返す。

 

 

「でも、逆に考えればまとめて管理できるって話だよ?各地に分散している方が何やってんだか分からないし。弱小であるうちに使い潰せばいいじゃん。」

 

 ついでにサラッといかにも敵の中ボス辺りが言いそうなセリフも忘れない。まぁ、この意見に関しては見方しだいだろう。

 

 元々孫家は地元豪族や民衆との繋がりが深く、兵を分散させたとはいえ、未だに密接に連絡を取り合っていた。軍師の周瑜あたりなら分散した家臣達を使って、逆に地方とのコネを作っておくぐらいの事はするだろう。今は弱体化しているとはいえ、時間がたてば潜在的な脅威は増える可能性が濃厚だ。しかも分散させたが故に旧孫堅軍の把握が出来なくなっており、情報収集をする上では以前より、孫家にとって有利になっている。

 

 なまじ孫家の正規兵力が小さいだけあって、潜在的な脅威は見落としがちになる。袁家にとって最悪のシナリオは、自らの管理外で孫家が力を貯え、知らない内に足元を掬われること。だからこそ、弱小である内にこちらで管理しておき、兵力をすり減らしておこうというのが劉勲の意見だ。

 

 

「……その方法に失敗したから反対しているのですが?」

 

「同じく私も反対だ。不確定要素が大きい。」

 

「だいたいそんな危険なことを許可するわけにはいかない。虎を野に放つようなものだぞ!」

 

 孫堅の後を継いだという孫策は、母に劣らぬ戦上手だという。孫家の再軍備を認めれば、せっかく削いだ孫家の発言力が復活してしまう。純粋に安全保障上の観点から見るならともかく、政治上の観点からみればいささか容認しづらい発言であり、反対意見が続出するのも無理の無い話だった。

 

 ちなみに人命が人的資源という一種の消耗品である事には誰もツッコまない。袁家の領地では兵士が畑で取れるそうです。

 ついでに言うと、この面々が本当の意味で誰かを信用しているのかにも甚だ疑問が残る。でも袁家じゃこれが普通なのでこっちも華麗にスルー。もう慣れた。

 

 

「落ち着け、そんな細けぇこと気にすんなよ。多少は緊張感があった方が、平和ボケした兵士には良いクスリになるんじゃねぇか?」

 

「紀霊さんの言っているように『多少』の緊張感で済めばいいんですけどねぇ……」

 

 

 

 結局、賛成したのは紀霊と諜報部の人間が数人。

 だが、こうなることも劉勲にとっては予想の範疇内。そしてそれを解決するための提案も既にある。ある程度意見が出終わって静まった頃を見計らい、彼女の口から周囲を沈黙させる一言を紡がれた。

 

「じゃあさ、仮に孫家の人間が指揮官やらなかったら……誰が指揮官やるの?」

 

 

「「「……」」」

 

 

 見事なまでの沈黙だった。

 

 袁家は文官はともかく武官が少ない。しかもその武官の多くは官僚型軍人で実戦が苦手な者が多かった。数少ない例外は紀霊なのだが、既に仕事が手一杯なので名乗らなかった。元々前線指揮官タイプの彼は書類仕事が苦手なので実戦はともかく、戦後処理が能力の限界に達していた。

 それにどのみち、一人の指揮官に権限を与え過ぎる事の危険性は誰もが理解しており、自らそんな『愚行』を犯す者は袁家には居ない。

 

「……てワケで、軍内の反乱分子を監視するための政治将校、並びに対内治安維持軍を創設することを提案します。」

 

 

 

 ◇◆◇ 

 

 

 

 少し、時間を遡る。ちょうど、劉勲が黄巾軍相手に2度目の惨敗を喫した直後のことだ。

 時は深夜。雲の隙間からわずかに漏れる月の光が南陽を照らす。その日、城の一角にある孫家の屋敷に劉勲は訪れていた。

 

「ごきげんよう。孫家のみなさん。急な訪問だったのに、ちゃんと出迎えてくれてありがとうね。」

 

 軽く会釈した後、にこやかに語りかける劉勲。その後ろには十数人の護衛が付いており、油断なく周囲を警戒している。

 

「自己紹介は……まぁ、みんな知ってると思うケド、一応しておきましょうか。中央人民委員会書記長の劉勲よ。よろしくね。」

 

 ぬけぬけとよく言う。孫家の全ての者がそう思っただろう。劉勲が孫堅横死の黒幕であることは周知の事実であり、孫策などは視線に殺気すらこめているが、劉勲は澄ました顔のままだ。まさか、気づいてないこともあるまい――となれば、よほど自分に自信があるのか、孫家を完全に見下しているかの二択しかない。

 

「送った手紙はちゃんと読んでくれた?」

 

 自身に向けられる非友好的な視線にも動じず、興味津々といった様子で小首をかしげる劉勲。

 つい先日、孫家のもとに劉勲から一枚の手紙が届いていた。上質の紙に、達筆な字で十分に礼を尽くした上で書かれていた手紙の内容は、同盟についての提案だった。当然、孫家内部では受けるべきかどうかを巡って大いに荒れた。同盟と偽って孫家を油断させ、まとめて始末する可能性も十分にあり得たからだ。

 

 結局、劉勲の方から孫家の屋敷に出向くことを条件に、話だけでも聞くことにした。だが、万が一ということも考えられるため、孫家は伏兵を配置させた上でこの会談に臨んだ。

 

 

「ええ。一応読んでおいたわよ。すぐに破り捨てたけど。」

 

 劉勲に視線で圧力をかけたまま、孫策が答える。

 

「出来れば手短に、要件だけ言ってちょうだい。」

 

 通常、こういった場面では話の核心は最後まで残しておき、少しずれた話から始めるのが一応の礼儀だ。その社交儀礼を無視した孫策の物言いからは、さっさと話を終わらせたい、という意図がありありと見えた。

 

「や~ねぇ。もう少し肩の力抜いたらどうなの?」

 

 一方の劉勲はどこ吹く風、といった緊張感の無い表情で孫策をからかう。

 

「これだから行かず後家は余裕が無い、とか言われちゃうのよね~。だいたいその歳で……」

 

「誰のことかしら?」

 

 

「……ま、それは置いといて。同盟を結ぶにあたってアタシ達からの要求は二つだけよ。」

 

 気を取り直して親しげに、されど主導権はこちらにある、と主張するように劉勲は切り出す。

 

「まずは、孫家の中から一人を袁術様の相談役(・ ・ ・)として派遣すること。そして、戦に出るときは必ず『政治将校』を付けること。それさえ認めてもらえば――」

 

 そこで劉勲は一度話を区切り、十分にもったいぶってから、次の言葉を紡ぐ。

 

「――旧孫堅軍の再編成を認めるよう、人民委員会に働きかける。というより、人事権使って押し切るわ。人選は全面的にそちらに任せようと思うんだけど、どうかな?」

 

「なっ!」

 

 思わず孫権が声を上げる。悪くない話だった。袁術の相談役というのは要するに人質の事だが、それ以外は破格の条件と言ってもいい。軍の召集を認めた上に、その人事権まで委任してくれるという。孫家の最大の資産は、高い忠誠心と能力を兼ね備えた人材である。孫堅が心血を注いで作り上げた軍勢の質は、中華でも最高の水準にあるといっても過言ではなく、人事権の委任は大きかった。

 黄蓋は声にこそ出さなかったが、驚いている様子だ。その他のほとんどの人間も同様だった。

 

 

 

 だが、一人だけ例外がいた。

 

「……劉勲、あなたって本当に最低のクズね。」

 

 孫策だけは嫌悪感も露わに、吐き捨てるように告げる。

 

「あなたは蝙蝠よ。立ち位置を明確にしないで、フラフラと動き回り、甘い汁を啜る。そんな下衆を私たちが信頼できるとでも?」

 

 一人の武人である事を誇りにしている孫策にとって、甘言や二枚舌を駆使して相手を惑わし、まるで服を着替えるかのような気安さで自らの立ち位置を軽々と変える劉勲は、最も恥ずべき存在だった。そして、そんな相手の言う事を信頼するほど孫策はお人好しではない。

 

「別に『アタシ』を『信頼』してくれなくてもいいよ。アタシの『話』を『信用』してくれればいいから。」

 

 対して、拍子抜けするほど、あっけらかんと答える劉勲。

 

「黄巾軍相手にアタシが負けたのは知ってるでしょ?ついでに粛清の生き残りとかが、アタシを引きずり降ろそうと躍起になっているのもね。このままでだとジリ貧だし、ここは何かドカーンと功績を立てたいなぁ、と思ってるのよねー。でも、今のアタシには固有の武力が無いから、アナタ達に協力してもらおうかなぁ、と。」

 

 

 劉勲は、袁術軍の敗因は2つあると考えていた。

 ひとつは作戦が複雑すぎて、部下が付いてこれなかったこと。しかも些細な手違いが連鎖反応を起こして、最終的に作戦計画の崩壊を招いている。

 

 ふたつ目は、何より脱走兵と命令不服従だった。

 敵が迫れば逃げる。遮蔽物があれば隠れて出てこない。追撃すれば、そのまま給料と装備を持ち逃げする。そんなレベルの兵士が真っ当に『鶴翼の陣』だの『機動防御』だのが出来る訳が無い。

 

 となれば、せめて司令官の作戦指揮能力で補うしかないのだが、あいにく粛清で人材不足。急いで牢屋から引っ張ってきたはいいが、忠誠心に期待できるはずも無い。故に政治将校で監視しながら、かつて自分が失脚させた将軍たちを有効活用する――それが劉勲の狙いだった。

 

 

「アタシは権力基盤を固められるし、アナタ達は軍を再建できる。悪くない取引じゃなぁい?」

 

 期待をこめて自分を見上げてくる劉勲を、孫策は軽蔑しきった眼で見下した。

 

「何を言うかと思えば、結局はただの自己保身じゃない。そうまでして権力にしがみつきたいのかしら?権力を失いかけた途端、かつての敵に泣きつくなんてね。人として最低限の誇りぐらい持ったらどうなの?」

 

「いやぁ、だって誇りは食べられないし。純粋に商売の話をしましょうよ、ね?」

 

「嫌よ。一つ言っておくけど、私はあなたのような誇りの欠片も無い人間が、大っ嫌いなのよ。」

 

 にべもなく断ろうとする孫策。だが、それを遮るかのように、今まで黙っていた周瑜が口を開いた。

 

「待て、雪蓮。まずは劉勲の言う、政治将校とやらの権限を聞こう。」

 

「ちょっと、冥琳!?」

 

「雪蓮、お前の気持ちも分かる。だが、これは我ら孫呉の影響力を回復させる絶好の機会であることには違いない。ここは私の顔を立ててくれないか?」

 

 周瑜はいたって冷静に、劉勲の言った言葉の意味を考えていた。孫家の筆頭軍師として、ある程度話の予想は出来ていたのだろう。先ほどから黙っているのは、劉勲の言葉の実現可能性を考えていたからである。

 

 

「……分かったわよ。他でもない冥琳の頼みとあっては断れないしね。」

 

「ありがとう、雪蓮。……では、単刀直入に聞こう。劉勲、貴様の考える政治将校とやらの権限はどの程度のものなのだ?」

 

 それを聞いた劉勲は、内心ほくそ笑んだ。目論んだとおり、孫呉復活のチャンスを、筆頭軍師たる周瑜が逃すわけがない。全ての感情を排除して理性的に考えれば、劉勲の提案を断る理由は無いのだ。

 

「そうね、憲兵のようなモノだと思ってもらえれば分かり易いかしら。政治将校の役割は軍内の秩序維持、ならびに政治的な統率を図ることよ。ほら、現地指揮官が命令無視して勝手に暴走されたら困るじゃない?」

 

 具体的に言うと、政治将校には『部隊命令に副署する権利』と『部隊の限定的な人事権』、『指揮官の罷免起訴権』が与えられている。立ち回り次第では、その権限は指揮官すら超えるものだった。

 

 

「……といっても、政治将校は原則として作戦に介入することは認められないから安心して。いずれにしても、最終的には孫呉の再軍備を目標にする、という一点において互いの利害は一致しているはずよ。」

 

「承諾しかねるな。理屈としては通っているが、政治将校の権限が強すぎる。作戦への直接介入が認められなくとも、人事権や罷免起訴権を盾にすれば間接的にいくらでも作戦介入できるだろう。指揮権を巡った争いによって無用な混乱を引き起こす可能性が高い。」

 

 もちろん周瑜の本心は別にある。政治将校など置かれては、いずれ袁家に対する反乱の障害となる。だが、そこはもっともらしい意見を盾にして妥協を迫る。

 

「う~ん。そりゃそうなんだけど、そうでもしなきゃ周りの連中が認めないのよね~。」

 

 周瑜に対し、劉勲はあくまで自らの主張を曲げようとはしなかった。それを受けた周瑜は右手を顎に当てて考え込む仕草をしつつ、別の譲歩を要求する。

 

「……もし政治将校の権限を変える気が無いなら、相談役(・ ・ ・)は必要ないだろう。我々を監視するには十分なはずだ。」

 

「それはムリ。政治将校が原因不明の事故死(・ ・ ・)とかするかもしれないじゃない。」

 

 劉勲は周瑜の提案を鼻で笑い飛ばす。

 孫策が袁家からの独立を目論んでいる事は、公然の秘密とでも言うべきものであった。叛意の存在が明らかである以上、保険は複数とる必要がある。故に劉勲にとって、そこは絶対に譲る事のできない部分だった。

 

 

「う~ん、それなら作戦責任の半分は政治将校が負う、っていうのはどうかしら?これなら作戦の失敗責任を問われる事を恐れて、下手に介入しなくなるでしょ。」

 

 再び、周瑜に対して劉勲から提案が出される。

 内容としては決して悪いものではなく、もしも孫家が袁家の家臣だったならば、この辺が妥協点だろう。だが、孫家の独立を目指すならば、もう一押しする必要がある。

 

 

「軍資金の無償提供というのも付け加えてもらいたい。軍の再編成を迅速に行うためには必須事項だ。」

 

「はぁ!?冗談でしょ!?」

 

 周瑜の発言に対して、劉勲は珍しく声を荒げる。

 

「有償資金協力ならまだしも、タダで金よこせっていうの?袁家をお財布扱いするのもいい加減にしなさいよ!たかが客将の分際で大した度胸じゃない。」

 

 軍の維持にかかる費用は膨大なものである事は自明の理であり、それを無償で提供するなど真っ当な官僚から見れば、タチの悪い冗談としか思えない。

 確かに劉勲は頼む側であるが、彼女はれっきとした袁家の重臣であり、客将に過ぎない周瑜がここまで強気に出るのは流石にやり過ぎと言えよう。軍資金を借りるならともかく、無償資金援助までしなければならない筋合いは無い。

 

 しかし、周瑜は表情一つ変えずに短く告げた。

 

「では逆に聞くが、これは本当に『袁家全体の意思』なのか?貴官は全て(・ ・)の袁家家臣の支持を受けて我々と交渉に当たっているのか?」

 

 劉勲の瞳に一瞬、動揺の色が映った。さっきまでの感情の昂ぶりは息を潜め、別人のように沈黙する。だが周瑜の意見に対して何も反論しないという時点で、その意味するところは明確だった。

 ややあって、劉勲は歯軋りが聞こえるような低い声を搾り出す。

 

「……施設整備費・必要装備品購入費は無償、人件・食料費は有償。ここまでが譲歩できるギリギリの線よ。」

 

「落とし所としては悪くない、か。その条件ならば、こちらも異論は無い。」

 

 周瑜も小さく頷く。

 城の方から文官が数人、こちらに向かってくるのが見えた。

 

「ちょっと話が長くなり過ぎたみたいね。まだそっちのご当主様の意見を聞いてないんだけど、明日また来るからそれまでに結論を出してもらえないかしら?」

 

「分かった。明日までには結論を出そう。」

 

「出来れば仲良くしたいものね。……期待しているわよ。」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「ねえ冥琳、結局あの雌狐の提案に乗るっていうの?」

 

 孫策は去って行く劉勲らから目を放し、周瑜に尋ねる。

 それは普段の飄々とした姿とは似つかない、孫家当主としての顔だった。孫策にとって周瑜は親友であり、その能力を誰より認めていたが、内容が内容なだけに無条件でその言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。なにせ孫策はこれから、孫家全体の命運が懸かっていると言っても良いぐらい、重大な決断を下すのだ。

 孫策の視線を正面から受けとめた周瑜は、臆する事無く堂々と自論を展開する。

 

「そうだ。孫呉の軍師として、この提案は受けるべきだと思う。我らに必要なのは文台様が残してくれた軍のみ。結局のところ、政治将校など問題では無かろう?」

 

 周瑜はそう言って、眉を僅かに吊り上げる。

 孫堅の死後、旧孫堅軍はバラバラになって、そのほとんどが袁術軍に吸収されていた。そのため、孫策らは確固たる軍事力を持てずにいた。もとより孫堅の生きていた頃は、孫呉の軍が各地にバラバラになっていたから袁家に手を出せなかっただけで、その気になれば袁術軍など物の数ではなかった。にもかかわらず政治将校制度に反対したのは、単に劉勲に譲歩を迫るためだった。

 

 劉勲とて、本気で政治将校が反乱を止められるとは思っていないだろう。そもそも政治将校の存在意義は「反乱を止める」ことでは無い。信用できない指揮官に目を光らせると共に、常に監視されていると意識させることで兵士を疑心暗鬼にさせ、「反乱を未然に防ぐ」ことにあったからだ。全員が一丸となって反乱を起こせば、普通に数で押し切られる。

 

 

「でも冥琳、それ本気で信じているの?どうも胡散臭いのよ。だってそのぐらいの事なら、袁術にベッタリの張勲だって分かる話よ。」

 

「もちろんだ。だが劉勲は張勲とは違う。日和見主義者である事は似ているが、張勲と違ってあの女の頭には打算しかない。」

 

 そう。それこそが、孫家のつけ入るべき劉勲の弱点だった。

 

「劉勲は恐ろしいぐらい俗物だ。非常に目鼻が利き、自身の利になると見ればどんな事だろうと、相手が誰であろうと飛びつく。情や世間の評、誇りなどという物はおよそ気にしない、面の厚い女だ。つまりは、根っからの『商人』だ。」

 

 誇りは食べられない――孫策の中で劉勲の言葉がこだます。だから、この提案が後々袁家に禍根を残す事になろうと、劉勲は目先の自己保身のために受け入れたのだろう。

 

「資金提供まで譲歩させたのだ。はっきり言って、ここまでの好条件を引き出せる機会が、今後もあるとは考えにくい。そこは肝に銘じてもらいたい。」

 

 そう言って周瑜は話を締めくくった。続いて孫権が自身の意見を口にする。

 

「私も冥琳の意見に賛成です。ここは劉勲の提案に乗るべきかと。少なくとも今のところ、劉勲は嘘はついていないと思います。」

 

 孫策はすっと目を細めて、妹の方を見る。ここしばらく、孫権の様子が変化し、それに劉勲が関わっているらしい事は周知の事実だった。

 

「理由は何?」

 

 姉としてではなく、孫家の当主としての顔のまま、孫策は孫権に問う。孫権は射るような姉の視線に耐えながら、あくまで論理的に説明する。

 

「冥琳の言うとおり、劉勲は根っからの商人です。本来ならば十分に時間をかけて、交渉を自分に有利な方向に持って行こうとするはず。その場で即決したという事は、彼女が焦っている証拠。つまり、劉勲も追い詰められているという事です。」

 

 

 嘘だ――とっさに孫策はそう思った。

 

 孫権の意見は確かに正論だ。

 だが、孫権が本当に言いたい事、考えている事は恐らく別にある。そのことに、孫策は気づいてしまった。付き合いの長い、というより妹の事だ。ハッキリと目に見える証拠が無くとも、なんとなく分かってしまう。

 

 だが結局、孫策がそれを問う事は無かった。妹の孫権も、もう子供ではない。いろいろと思う所があるはずだ。ならば本人が自分から話をするまで、待ってやるべきだろう。

 それに、なんと言っても孫策は――妹のことを信じていたからだ。

 

「……確かに、蓮華の言う事にも一理あるわね。蓮華の意見について、祭はどう思う?」

 

「儂か?儂はあまり乗り気ではないのう。あの劉勲という女、どうも気に食わぬ。じゃが、拒む明確な理由も思いつかぬゆえ、策どのの決定に従うとしよう。」

 

 そう言って黄蓋は孫策を窺がう。同時に、この場に揃う全員の視線が孫策に注がれる。孫策はしばしの間を置いて、口を開いた。

 

「本当なら、今すぐにでもあの女の首を飛ばしてやりたい所だけど、ここはひとまず劉勲の口車に乗る事にするわ。いずれにせよ、いつかは軍を集めなくちゃならないし。でもね――」

 

 孫策の顔に獰猛な笑みが浮かぶ。

 

「――協力してあげるのは今回だけよ。一段落すれば必ず……この手で始末する。」

    


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