真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜 作:ヨシフおじさん
曹操軍本拠地、許昌。
漢帝国の臨時の首都でもあるこの都市の眼の前では、この日4度目になる攻撃を受けていた。曹操軍は現在、総兵力25万のうち、曹操率いる本隊が15万、北方の袁紹に備えて4万、残る6万のうち2万5千が許昌の前に集結していた。数日前から続いているこの戦いの指揮を執るのは郭嘉、程昱の二人の軍師と張郃を始めとした将軍たちだ。
対して、これと対峙する袁術軍はその数、実に11万に上る。数に勝る袁術軍はその数を生かして絶え間なく正面から戦いを挑み――
――見事に翻弄されていた。
それもそのはず。なぜなら彼らの殆どは正規の軍事教練を受けた正規軍では無く、そこら辺の農民からなる“義勇軍”だったらだ。
人民革命軍――通称:袁術軍――指揮官の一人である韓暹は苛立ちをつのらせていた。彼の部隊は最初に正面から切り込んだ部隊の一つだった。歩兵による正面からの攻撃は防がれたものの、その程度は彼も想定済み。正面からの攻撃はあくまで敵の動きを拘束するためのものであり、本命は別にある。
韓暹とその直属部隊は正面からの攻撃に追われている曹操軍の側面に回り込み、敵軍の陣形を崩す予定であった。
もちろん、ただでさえ士気の低い袁術軍の一般兵に真実は伝えない。伝えたところで基から低いやる気がさらに無くなるだけである。ゆえにこの作戦の全貌は彼とその直属部隊、そして主な士官にしか伝えられていなかった。敵を騙す時にはまず味方から、である。
だが現実は厳しい。なにせ相手は曹操軍きっての名軍師。しかも二人もいる。そう簡単にはやられてくれない。というより、こんなことでやられるようでは到底天下統一など望めはしない。
虚を突かれた曹操軍では、最初こそ多少の乱れはあったものの、結局陣形を崩すまではいかなかった。
曹操軍の指揮を執っていた郭嘉は攻撃を受けた自軍の右翼を後退させ、逆に自軍の左翼には総攻撃を命じた。ただし、敵を突破するのではなく、囲い込むように、である。
結果、曹操軍左翼の激しい攻撃にさらされた袁術軍は全体的に自軍から見て斜め右方向に移動。曹操軍の右翼が後退したこともあり、側面から回り込んできた韓暹の部隊と鉢合わせする形となったのである。
ここに来て、作戦を一般兵に秘匿していたことが裏目に出た。
韓暹の軍を、曹操軍の新手と勘違いした部隊と韓暹軍の間で同士討ちが発生したのである。
これにより、袁術軍は一時的に大混乱に陥った。郭嘉はその機を逃さず、全軍に総攻撃を発令、混乱を鎮めようとする袁術軍士官の努力もむなしく、全面敗走となったのである。
その後も韓暹とその部下達は攻撃、退却、休憩、また攻撃、といったサイクルを繰り返して現在の状況に至ったのであった。残った兵士で戦えるのは全部隊の約4分の1。通常、全部隊の3割を失えば『全滅』(部隊の再編成まで組織的戦闘が不可能)、5割で『壊滅』(補充だけでは再編不可能)の判定を受けることを考えれば、最悪の結果であった。
韓暹自身もここにきて決断を迫られていた。後方にいったん引くか、それとも全滅覚悟で戦闘を続行するか。指揮官の一人として、彼には退却命令を出す権限が与えられていた。
「だが、退却をすれば私自身の地位が……。」
袁術軍の基本戦術は数の圧倒的優位で勝利を狙うもので、その基準は損害の寡多ではなく、戦闘の課題を達成できたかどうかで決まる。袁術軍は他の諸侯に比べ、圧倒的な人的物量を誇っており、死傷者数はほとんど問題にならない。
しかし、逆にいえば課題を達成できるかどうか、といった『結果』だけが重視されるという事でもある。どんなに努力しようが、相手が悪かろうが、不測の事態が起きようが『結果』を出さなければ糾弾は免れない。
上層部から強く責任を追及されて最悪の場合、処刑されることもあり得る。その場で縛り首にされるようなことはないだろうが、鉱山送りぐらいなら充分考えられる。保険や福祉といった概念のないこの時代において、鉱山の労働環境は劣悪そのもので落盤や浸水などによる事故は日常茶飯事であり、鉱山送りは事実上の死刑宣告に等しいものであった。
「……私とて一介の武人だ。このまま鉱山に送られるぐらいなら、いっそここで名誉の……」
今回のこの状況は韓暹にとってあまりにも過酷であった。これだけの損害を出して敗走しようものなら、間違いなく処罰は免れない。降伏しようにも、ただでさえ人手の足りない曹操軍が、降伏した兵を見張るために余計な手間をかけるとは考えにくい。むしろその場で切り捨てられる可能性の方が高い。
退却してもしなくてもどのみち、ろくな未来は残されていないだろう。だが故郷にはまだ愛する家族が残っている。家族に迷惑をかけないためには不名誉の処刑だけは何としても避けなければならなかった。
されど、奇しくも彼の苦悩は杞憂に終わった。一人の伝令の報告によって。
「申し上げます!劉勲司令官より全軍に伝達、一時後退し、各指揮官は二刻ほど後までに本陣に集結せよとのことです!」
「……ほ、本当か?今言ったことは事実なのだろうな!?」
「はい、間違いありません。なお、各指揮官には優先的に後退する許可が出ております。」
◇◆◇
その一時間ほど前、袁術軍本陣
「兪渉軍団に続いて韓暹軍団までもが壊滅した、だと……?」
沸き上がる焦り、困惑、苛立ちといった感情を無理やり抑えた声が会議室に響き渡る。会議室の空気は騒然としていた。明らかに不機嫌な上官の視線に耐えながら、伝令の兵は震える声で報告を続ける。
「た、対する敵の損害はおおよそ1~2割程度に収まっております。前線からの報告によれば敵は依然として徹底抗戦の覚悟を決めたまま、激しい抵抗を続けているとのことです。」
袁術軍本陣に届いた情報はこれだけではない。同じような報告が会議室の至る所で交わされていた。
別方面の敵の数は?
そちらの損害は?
それは本当なのか?
部隊の再編は完了したのか?
扉からは伝令兵が頻繁に出入りし、室内では後方勤務の士官達がせわしなく移動している。会議室の各所で罵声と咆哮が飛び交い、送られてきた報告を基に軍師達は状況を確認しようとしている。同じような光景が袁術軍陣地の各所で見られていたが、たったひとつだけ、確かなことがあった。
「敵の抵抗の前に、我が軍の損害は増える一方です!」
一人の若い武将が悲鳴のような口調で、前線の状況を簡潔に代弁する。それに対し軍師達はしばらく互いに顔を見合せていたが、やがて一人の軍師が口を開いた。
「しかし、混乱した我が軍がここで後退すれば却って被害が増大する。たとえ何人倒れようとも前進させるしかない。後詰めから予備部隊を抽出するのだ。」
「……いいのか?下手をすれば、今回の攻撃に参加した部隊全てが壊滅することになるぞ?」
ひとりの武将がその軍師に問いかける。考えるだけでも恐ろしい結果だった。すでにここ数日の戦闘で11万いた大軍はその数を9万まで減らしている。しかも負傷者がかなり存在するので、現実に使い物になるのは7万程度だろう。もちろん軍師達とて、そんなことは分かっている。だが、他に策がない。
「いや、本当は無いことも無いのだが……」
一人の軍師が口を開きかける。その言葉を聞いた瞬間、他の軍師達の顔に緊張が走る。
「……だが、それは――」
「――アタシが説明してあげよっか?」
背後から高い、透き通った、それでいてこの場には不釣り合いな声が会議室に響き渡った。
その声の主、先ほどから会議室の後ろの簡易イスに座っていた女性は、明らかに作り笑いと思える笑みを浮かべながら会議室にいる面々を見渡した。
肩まで伸ばしたセミロングの金髪に、全てを見透かすような透明感のある緑色の瞳、シミ一つない色白の肌。都会的な華やかな容姿で、身長は人並みだが無駄な贅肉が付いていないおかげで全体的にほっそりとした印象を受ける。
と、ここまでなら間違いなく美人の分類に入るのだが、連日の苦労が重なっているせいか、瞳の下には大きな隈があった。色白の肌も部屋の中では青白く見え、むしろ不健康さを強調するようで痛々しい。そのせいか実年齢はおそらく20前後だろうが、見方によっては年上にも年下にも見える。
先ほどの若い武将は思わずそちらを振り向き――苦虫を噛み潰したような表情にった。残りの武将や軍師達の表情は千差万別だ。何人かは彼と同じような表情を浮かべ、ある者は青ざめ、ある者は侮蔑の表情を浮かべ、その他の者たちは媚を売るような表情になる。
「あら、びっくりさせちゃった?ごめんねー。驚かすつもりはなかったんだけどなぁ。」
重苦しい空気の中、その女性は椅子から立ち上がり、申し訳なさそうに苦笑した。しかし、その瞳は鋭く妖しい光を放っており、油断なく周囲を観察している。
「まぁ、みんないろいろと言いたいことはあるんだろうけど、ここは一つアタシの話を聞いてもらえない?」
わざとらしい笑みを浮かべながら、その女性は表面上はあくまでにこやかに語りかける。見た目が整っているだけに、かえって背筋が思わず凍っていしまうような薄ら寒い、どこか不気味な印象を受ける女性だった。
「……話をお聞かせ願おうか、同志書記長。」
表情を固くしながら、一人の年配の武将が彼女、劉勲に続きを促した。その言葉に満足したように頷くと、劉勲は口を開いた。
「先ほど話があった、後詰めからの予備はアタシの部下が担当するわ。アタシの部下が長弓を最大射程で放って援護して、敵の動きがそれで鈍った隙に一気に後退するの。だから各指揮官には安心して退却してね、って伝えて頂戴。」
朗らかに作戦内容を伝える劉勲。一見、至極まともな作戦に聞こえる。退却する味方を長弓で支援する、今回袁術軍で使用される予定の長弓は弓の中でも「射程距離」を伸ばすことに特化した大型の弓である。これならば無駄に接近することも無いため、安全な距離から後退を援護できる。
いくら曹操軍といえども、さすがに矢の雨の中に入ってまで敵軍を攻撃しようという物好きはいないだろう。そのことはまた、袁術軍が無秩序な敗走に陥っても自軍による同士討ち以上の損害は抑えられるということ。戦場の死傷者の大半は退却中に起きるものだということを踏まえれば、結果的に死者の数を抑えることにつながる。
さらに弓を使うことで救援に向かった部隊と交戦中との部隊の連携や指揮官同士の意思の統一がうまくいかず、そこを敵に攻撃されて大混乱、といったことも起こらないはず。
しかし――
そんなうまい話があるのなら、なぜ最初からその案が出てこないのだろうか?
袁術軍は弱兵、凡将ぞろいだが、仮にも一国の支配を担う者達だ。全くの馬鹿ではない。確かに個人の才覚では魏の軍師である郭嘉、程昱などには及ばないだろう。しかし、それを数で補うのが袁術軍である。天才に頭脳に対抗するために何人もの凡人の知恵を集め、無数の情報を集め手状況を分析し、意見を出し合い、互いの不足を補いながら『組織』で勝利を目指していく。
(と、言ってもまだまだ手探りの状態なんだけどね。結局、たくさんの人材の中からある程度使える人間を見つけるのも一苦労だし。)
心の中ではぁ、と軽くため息をつく劉勲。
『天才』を『組織』と『集合知』、『経験と知識の蓄積』によって打ち破る。
それが、乱世に生を受けた稀代の天才とその非凡な部下達に対抗するために劉勲が出した解答であった。ゆえに他国のそれと比較して、兵員数あたりの軍師や武将といった指揮官の数が多いということは袁術軍の一つの特徴であった。
一方、先ほど劉勲に続きを促した年配の武将は劉勲の言葉をもう一度頭の中で反芻していた。彼女はなんと言った?
“だから各
確かに彼女はそういった。
「……つまり、『兵』は別だと。そういうことか?」
この提案がすぐに出てこなかった理由は極めて単純。敵と交戦している状態で、下手に弓による援護を行えば味方にも被害が出るからだ。後ろの方にいる兵士たちは巻き込まれないだろうが、最前線で敵と戦っている兵士は間違いなく助からないだろう。
つまり、この女はこう言っているのだ。自分達は前で戦っている自軍の兵士ごと攻撃して、後ろにいる兵士と貴重な指揮官だけでも後退させるのだ、と。
「ピンポーン。だいせいかーい。いやはや、理解が早くてホント助かるよ。あ、ちなみにピンポーンっていうのは擬音語だから気にしないで。」
よくできました、とばかりにその武将を褒め(?)ながら周囲を見渡す劉勲。すでに彼女と同じ結論にたどり着いていた軍師達は、武将達に具体的なタイミングや兵士の配置、予想される敵軍の反応などについて補足説明をしているが、対する武将達の反応は三者三様だ。
驚嘆、怒り、不安、感心。反発する者、感嘆する者、やはり、と嘆息する者。会議室にさまざまな感情が渦巻く。
だが、彼らはそういった諸々の感情を押し殺し、あくまで純粋な軍事的課題としての実現可能性を軍師達に問いかける。それがいかに不条理だろうと感情論で物事を決めつけてしまうのは、人々の上に立つ者として決して許されない。“損して得取れ”というのは商人の基本だが、軍事や政治外交の世界においても通用する言葉であり、袁術軍幹部そのような計算ができるよう“教育”されていた。
「それで……援護部隊の規模は?」
「規模は今のところ、長弓兵9000名ぐらいを予定している。」
「もっと送れないのか?」
「残念だが、恐らく無理だろう。兵の問題ではなく、矢の数が足りんのだ。」
そう、今回のこの戦いは袁術軍にとっても時間との勝負だったのだ。あまり大量の物資を運んでいては進撃速度が低下してしまう。劉勲もいくら進撃を秘匿し、進撃速度を速めたところで曹操軍に気付かれずに許昌までたどり着けるとは考えていない。ただ、のんびりと進軍して許昌の周囲から増援を呼ばれることは何としても避けなければならなかった。
ゆえに今回の作戦では兵士はできる限り軽装で必要最低限の武器だけを持ち、食料などは現地調達、つまるところ略奪で補っていたのだ。兵士すらも現地調達――農民の“義勇軍”を強制徴募することで、防御力と錬度の低下と引き換えに、今までの袁術軍では考えられなかった進撃速度を得ている。尤も、そのおかげで死傷者の数は半端ないものになっていたが。
「それならそれで、兵士の配置はどうするおつもりで?」
「二手に分けて両翼に配置する。交戦中の部隊には中央から後退してもらう。」
「敵軍が中央突破してくることは考えられませんの?」
「……それを防ぐための
その言葉に皆が一瞬、険しい表情を浮かべた。無論、理性では理解している。これが一番効率的な方法だと。たしかに現状、少しでも被害を減らすにはこれしかない。放っておけば、戦闘中の見方はは大損害を受けるだろう。多少の味方を巻き込もうとも、結果的に全体の被害が減らせるならばそれに越したことは無い。誰が殺そうと死者は死者でしかないのだから、その過程は無視して結果だけを見るべきなのだ。
だが、感情がそう簡単に納得しない。もっといい方法が、何かほかに策は無いものか……。
「……やはり、やるしかないのか……」
ぽつり、と誰かが呟く声が聞こえた。あたりを見れば、もう反論しようとする者は見当たらない。やがて中から軍師の一人が沈黙を破り、武将たちと向き合う。
「我々は……もう負けるわけにはいかないのです。戦力を少しでも温存するにはこれしかありません。」
その言葉に劉勲は軍司令部全員の覚悟を感じとった。
(……今回の攻撃も防がれた以上、もう戦ってもいたずらに死傷者を増やすだけで何の意味も無い。これ以上の損害を出せば軍も半壊し、継戦は困難となり作戦は失敗する。同じく自分達も敗北による粛清を免れず、破滅を待つしかないってとこか。)
作戦会議は閉会となり、全軍に次の指示が出されたのであった。
そして作戦会議から約一時間後。
劉勲の部下達はあらかじめ指示されたとおりに味方の退却を
さすがの郭嘉と程昱も、袁術軍が味方ごとまとめて攻撃するとは思わず、対応の遅れた曹操軍も少なくない損害を出したのであった。