真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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 回想パートが若干長いですが、ご容赦下さい。


22話:闇夜の決断

   

「で、結局アナタの答えは決まったのかしら?」

 

 

 賈駆の耳に、若い女性の声が飛び込んでくる。それは心地よい響きでありながら、聞く度にどこか不安を覚える声。

 

「……いつから見ていたの?」

 

「さぁ、いつからなんでしょうねぇ?」

 

 声をかけてきた主は、口に手を当ててクスクスと笑う。

 

「いやぁ、気分次第じゃ教えてあげない事も無いケド、世の中には知らなかった方がいい事もたくさんあるのよ?」

 

 賈駆はハァ、と溜息をついてそれ以上追及するのを諦めた。聞くだけ無駄だろう。この手の相手は口が軽そうに見えて、存外に口が堅い。

 不都合なことは一切話さないと言う訳では無いが、相手からそれ以上の弱みを引き出してくるか、別の厄介事に巻き込んでしまう。自分より話上手な相手に対しては、『雄弁は銀、沈黙は金』なのだ。

 

 思えば、最初に会った時から彼女は始終こんな様子だった気がする。 賈駆は改めて相手の方に向き直り、その名を口にした。

 

 

「……劉子台――」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 時を、僅かに遡る。賈駆の下に劉勲が訪ねて来たのはつい数日前のことだ。

 

 

 反董卓連合が結成されたと聞き、賈駆はその日も対策を練るべく、膨大な量の仕事をこなしていた。

 誰の助けも借りる事無く、全てを自分でこなそうとしていた。到底一人で出来るような仕事量では無かったが、反董卓連合軍が近づいている現状で職務放棄するという選択肢は無い。

 

 常人なら到底耐えられないであろう重圧を、賈駆はたった一人で抱え込む事を選択した。

 恐らく、頼めば陳宮や張遼、華雄と呂布も自分を助けてくれただろう。割とサボっている張遼もヤケ酒をおこしながら、なんだかんだで必要な仕事はきっちりこなしている。元来、彼女達は全員、優しく、情に厚い人間だ。

 

 

 だが、だからこそ賈駆は助けを借りようとしなかった。いや、借りたくなかったと言うべきか。そもそも自分が洛陽に上ろう等と進めなければ、今日の苦境は発生しなかったのだ。本来責められるべきは自分だけなのだ。その責を自分が巻き込んでしまった彼女達にこれ以上負わせたくない。

 

 助けを求めれば、彼女達を更に深く傷つけてしまうかもしれない――だから、助けを求めてはならない。

 だから、一人で操り人形のように、物言わぬ機械のように黙々と働いた。

 まるで、仕事に没頭すれば、自分の犯した罪が薄れるとでもいう様に。

 

 

 しかし――やはり心の底では、誰かに助けてもらいたかったのだろう。この絶望に満ちた宮中という牢獄から救い出してもらいたかったのだろう。

 心身を酷使して、弱りきった賈駆の心は悲鳴をあげていた。信じていない邪教の神にすら祈っていたのかもしれない。

 

 

 ――かくして、彼女の祈りは届く。

 

 

 

「――アナタに、聞いて欲しい話があるの。」

 

 

 祈りが届いたことを幸運と歓喜するべきか、はたまた祈りの届いた先を不幸と呪うべきか。

 

 

「チョットだけでいいから、時間あるかな?」

 

 望み通り、祈りは届いた。されど――ああ、やんぬるかな。届いた先は、魔女の耳だった。

 

 

 劉子台、彼女はそう名乗った。

 その名は賈駆も聞いたことがある。南陽群にて、袁術に仕える若き才媛。もっともその評判には毀誉褒貶があり、武人を中心に蔑む声と、商人を中心に賞賛する声とがあった。

 だが、今の賈駆にとっての興味はそこでは無い。

 

 

「どうやってここに?いえ、どうしてボクの部屋に?」

 

 ふと窓の外を見れば、満月の光が夜の洛陽を照らしていた。賈駆の経験上、夜遅くにこんな場所へ訪ねてくる人間の用事は、大概ロクなものではない。

 

「う~ん、張譲の生存を知っていて、その失脚を狙っている人間はアナタ達以外にもいる、とだけ言っておきましょうか。それ以上は守秘義務があるってヤツ?」

 

 僅かな逡巡の後、女は朗らかに答えた。非常に断片的な情報であったが、賈駆はそこから多くの事を読み取ることが出来た。

 張譲は一見、董卓達を利用して宮中を完全に掌握したかのように見えるが、未だに敵対勢力が宮中から完全に一掃されたわけではない。前皇帝が崩御して以来、宮中では長らく権力闘争が続いていた事は周知の事実である。殆どの者はその中で滅んでいったが、司徒の王允を始め、表向きは服従しつつ、生きながらえて密かに機会をうかがっている者も多い。その彼らが、張譲に対して反撃に出る機会を伺っているのだとしたら?

 

 賈駆は次第に自分の鼓動が高まってくるのを感じていた。 狡賢い彼らなら、長年の敵だった張譲の策に何らかの感知を示していても不思議な話では無い。そして、それは張譲の権力を土台から崩しかねない影響力を持っている。

 

「では、ボク達の事は……!」

 

「もちろん知っているわよ。アナタの事も、アナタの主君の真実もね。」

 

「そ、それなら……」

 

 賈駆は期待をこめて劉勲を見つめる。うまくいけば、張譲を出し抜けるかも知れない。

 別に宮中の権力争いに勝利する必要などは無い。それでも張譲と王允らの争い、そして反董卓連合軍による洛陽の混乱を利用すれば、厳重な警備の隙を掻い潜って、董卓を脱出させられるかもしれない。

 

 正直な話、幽閉された董卓を脱出させるだけならば、わざわざ他人に助けてもらう必要はない。いくら警備が厳重とはいえ、隙をついて呂布あたりが殴りこんで無双すればいいだけの話だ。

 問題はその後だ。仮に脱出させても、どこかに匿ってもらえなければ、いずれ官軍の追手に捕えられてしまう。故に外部からの協力者は不可欠であり、せっかく掴んだこのチャンスを逃す訳にはいかなかった。

 

 

「……とはいっても、現状じゃアタシ達に出来ることなんて限られてるわよ。悪い事言わないから、あんま期待しないで。」

 

 しかし劉勲は冷淡に、賈駆の希望を一蹴する。

 

「そりゃまぁ、アタシ達だって助けてあげたいのは山々だけど、コッチにはコッチの事情ってモンがあるし。役職上がると責任もそれ以上に増えるのよねー。」

 

 やけにもったいぶった様子で、話をはぐらかしはじめる劉勲。だが、視線だけはブレずに賈駆に注がれていた。

 

 (劉勲……なるほど、噂通りの人物ね。取引――対価がが欲しいのね。)

 

 ようやく賈駆にもこの女の言いたい事が分かってきた。一度持ち上げてから落とす、焦らして相手から譲歩を引き出す。既に使い古された手法だが、逆にいえばどんな時世にも通用する手法ともいえる。それは交渉の基本であり、商人なりの挨拶なのだ。

 また、反董卓連合の発起人は袁術の従姉の袁紹である。そもそも袁術陣営がここにいる時点で、何らかの目的があると考える方が自然だ。

 

 

「……言いたい事はだいたい分かったわ。それで、ボク達には何を要求するつもり?」

 

「へぇ……思ったより飲み込みがいいじゃない。話が早くて、お姉さんホント助かっちゃうわ。」

 

「生憎だけど、ボクにはあんまり時間が無い。手短に説明してくれる?」

 

「時間が無い……確かに、アナタにとってはそうかもねぇ。」

 

 一瞬、意味深な笑みを浮かべる劉勲だったが、賈駆に睨まれたため一転して真面目な顔に戻る。

 

「ま、それはいいとしてアタシ達の目的は一つ。――――飛将軍、呂布よ。」

 

 やはり、そう来たか。賈駆は内心で舌打ちした。劉勲の本質の一つは商人だ。経営不振に陥った商会に手を差し伸べる商人がいるとすれば、動機はほぼ一つ。相手を買収し、その人材や資産を取りこむのが目的だ。

 袁術陣営にとって足りていないモノ。それは名声でも官位でも資金でも無い。軍事力だ。強いて言うなら、「抑止としての軍事力」だ。

 

 

 一口に「軍事力」と言っても、その機能は外交カードとしての『抑止力』、侵略によって相手の意志を意志を変更させる『強制力』、相手の実力行使に抵抗するための『抵抗力』の3つに分類される。分かり易く言えば威嚇能力、攻撃能力、防衛能力のことだ。

 その中でも『抑止力』は云わば「見かけの強さ」であって、過大評価や過小評価必によって、必ずしも実際の戦争遂行能力と一致しない。

 

 袁術軍の場合は、黄巾党の乱の惨敗によって過小評価されている傾向にある。

 過大評価されて周辺の諸侯を敵に回すよりかはマシとはいえ、必要以上に侮られれば交渉等で不利になる上、調子に乗った諸侯に戦争をふっかけられる危険も増大する。例え戦争に勝利できても余計な出費や被害がかさめば、いずれ国力の減少に繋がってしまう。

 故に呂布という分かり易い強さの「象徴」を手に入れたいのだろう。

 

 

「アタシは董卓を救助し、アナタ達を匿う代わりにそちらの軍事力をもらう。給料も役職もこちらで保障するわ。

 流石に董卓には表向き死んでもらう事になるけどさ、労働条件自体はそう悪くないはずよ。ウチは成果主義だから、結果さえ出せばどんなエグい過去があろうが、イカレた性癖があろうが誰も気にしないし。

 要はそんな難しい事考えずに、ただ単に袁術様に仕えればいいっていう話。それだけで、アナタの大事な大事なお姫様が救えるんだよ?」

 

 

「……その言葉が本当ならボクに文句は無い。ただ、その言葉が信用できるという保証はどこにあるの?」

 

「仮に教えたところで、アナタはアタシを本気で信じてくれるのかしら?」

 

 信用は目に見えないし、触れる事もできない。いくら真実を語ろうとも、信用が無ければ人はそれを信じられない。逆に信用さえあれば、真っ赤な嘘であっても疑われることは少ない。

 

「……というのは冗談で。ごくごく単純な話よ。まず張譲に味方した所で、向こうがアタシ達を信用してない。袁家は張譲ら十常侍と何進が争っていた時に、何進側についてたし。 

 他にもギリギリで裏切って連合に董卓を突き出すと言う手もあるけど、そんな事したところで得られるのはどーでもいい感謝の言葉と各諸侯の嫉妬と侮蔑だけよ。正直、投入した労力の割に合わないわ。

 アタシ達としては、『董卓軍が適度に負けた所で、有能な人物が董卓を見限って袁家に降りて、その後で董卓が部下に殺された』みたいなコトになるのが一番なのよ。」

 

 

 賈駆達を利用する腹づもりだと、劉勲はあっさり認めた。嘘は嘘だと気付かれないからこそ意義がある。相手に隠し通せない嘘をつくのは素人のすることだ。

 仮にこの状況で「みんなが平和に暮らせる世の中を作りたいから、洛陽で困っている人達を見捨てておけなかったんです」等という涙溢れるセリフを言っても、それを信じるほど賈駆は単純ではない。逆に劉勲への不信を募らせて、交渉の妨げになる可能性の方が高い。

 もっとも華雄が討ち取られ、張遼が捕えられ、呂布が敗れた上で、両脇を関羽と張飛といった一騎当千の武将で固めた人間に同じ言葉を言われれば、流石の賈駆も信じるしかないのだろうが。

 

 

 

「だ・か・ら、別に取って食おうってワケじゃないわよ。そこは安心して頂戴。……まぁ、お望みなら遠慮なく食べちゃうケド?」

 

「……」

 

 悪戯っぽくウィンクする劉勲とは対照的に、賈駆の表情からは何も伺い知ることはできない。しかしその脳裏では、慎重に劉勲の真意を推し量っていた。

 

(劉勲、いや袁術陣営の真の目的はこちらの戦力を削ぎ落し、覇権を握るような勢力の出現を防ぐことだと思う。)

 

 自国の力を高める方法は、何も富国強兵を成功させることに限らない。他国を疲弊させることでも自国の力を高められるのだ。

 賈駆とて伊達に董卓軍筆頭軍師をやっている訳ではない。常に他の諸侯の動きには警戒し、それなりの情報網も持っている。彼女が調べたところ、袁術陣営は黄巾党の乱の被害が大きく、本来ならば中立で漁夫の利を狙うのが望ましいと考えられる。にもかかわらず、董卓軍に接触したとなれば、別の利があるからに他ならない。

 

 

「ボク達に、連合軍と潰し合いをさせるつもり?」

 

「ぶっちゃけると、そんなトコかな。アナタ達がハデに負ければ、張譲だって無事ではいられないでしょうし。お互いの利害は一致しているはずよ。」

 

(確かに、ボク達の軍が負ければ、同時にボク達に寄生している張譲の力も弱まる。そうなれば、月を助ける機会も自然と増える……)

 

 かつて護ると誓った少女。護り切れなかった少女。後悔と自責の念に苛まれながら、屍のように毎日を過ごす賈駆は、そこに一筋の希望を見出す。

 

 

「……それで本当に、捕まった月を助けだす事ができるの?」

 

「ええ、もちろんよ。『信用』していいわ。取引が成立している限り、アタシに破る理由は無いしね。」

 

 不敵に笑いながら、劉勲は断言した。

 

「つまり、取引が失敗しそうになったら、さっさとボク達を切り捨てるってこと?」

 

「う~ん……取引ってお互いの『理解』と『協力』があって初めて成立するモノじゃない?そうならないように、アタシ達は全力を尽くすつもりだし、アナタ達も同じだと信じてるわよ。」

 

 劉勲は猫なで声でささやきながら近づき、背後から賈駆の肩に手を回した。劉勲が付けている植物系香水の甘ったるい香りが鼻腔をくすぐる。

 

(やっぱり、この女は『信頼』できない。でも、だからこそボクは『信用』できる……)

 

 人間は基本的に信頼できる人間には自然と気を許し、信頼できない相手は自然と警戒するもの。

 信じてないからこそ、相手の言葉の真偽をよく吟味できる。己の隙を知らず知らずの内に曝け出す愚を犯さない。だからこそ、後腐れなく人間関係をビジネスライクに割り切れる。もっとも恐ろしいのは「信頼していた相手に裏切られる」ことなのだ。

 ハッキリいって劉勲は信頼するに値しない人間であるし、劉勲自身もそう思われてる事は自覚しているだろう。しかし、だからこそ、あくまで合理的に、理性的に、純粋な利害の一致を求める。故に劉勲は『信用』できるのだ。

 

 

 

「……随分とヤクザな取引ね、劉子台。」

 

 その口調に皮肉を込め、賈駆は振り返って劉勲を見つめる。現状では、外部からの協力者が不可欠なのだ。それが例えどれだけ貪欲な相手であっても。

 

 もっとも劉勲とて全てがそう簡単に事が運ぶとは思っていないが、「とりあえず要求を出すだけ出しといて、半分でも通れば儲けもの」という手法は政治の世界では珍しい話でもない。言っといて損が無いなら、出来るだけ要求は伝えるべきなのだ。

 

「そりゃあ、こんな危険な事がそれなりの対価無しに動くワケないでしょ?ぶっちゃけ失敗すりゃ反逆者よ、反逆者。恐れ多くも皇帝陛下に弓を引いた大罪人、とかいって散々凌辱された後に、嬲り殺されて曝し首にでもなるんじゃなぁい?」

 

 軽く嫌味を言われたのに、劉勲は憤慨するどころか楽しそうに笑みを浮かべる。その余裕が賈駆を一層苛立たせると共に、どこか空寒いものを感じさせた。

 

 

「……まぁ、どの道アナタ達にとっては速いか遅いかの違いだけでしょうけど。」

 

 まるで、楽しみは最後まで取っておくものと言わんばかりの、悪戯っ子の様な無垢な笑顔。

 

「……どういう意味?」

 

 思わず賈駆の口を突いて出た、疑問の言葉。

 劉勲が、嘲るような口調で逆に尋ねる。

 

「アナタ、本当にわからないの?」

 

 賈駆の口が、真一文字に結ばれる。

 ――嫌な予感がする。

 

「それとも――」

 

 その先は、聞いてはならない。賈駆の第六感が警告していた。聞いたら、何か取り返しのつかない事になる。

 

 嫌だ。答えたくない。聞きたくない。

 

 しかし、時は既に遅く――

 

 

「――分かってて、敢えて分からないフリをしてるの?」

 

 

 ――容赦なく、賈駆に現実が突き付けられる。

 

 

「どっちなのかなぁ?可愛い『捨て駒』の軍師さん。」

 

 

「……あ……ぁ……」

 

 賈駆は膝から力が抜けていくのを感じた。希望を見せられた直後にそれを砕かれれば、絶望はより深いものとなる。絶望は焦りに、焦りは恐怖へと転じ、賈駆の精神を容赦なく蝕んでゆく。

 

 張譲にとっては、自分達も所詮は駒の一つに過ぎない。張譲が本当に権力を盤石にしてしまえば、自分達は用済みだ。いや、むしろ真実を知っている自分達を生かす理由が無い。口封じのために殺される可能性が高いことは少し考えれば分かることだ。。

 劉勲の言うとおり、遅かれ早かれ処分されるであろうことは、最初から知っていた。本当は分かっていた。だけど怖くて、恐ろしくて、考えたくなかった。目を背けたからといって、回避できるわけでもないのに。

 

「いやぁ、アタシ自身も無理強いするのは不本意だし、アナタの判断に任せるけどさ……」

 

 そう言って劉勲は踵を返す。これで話を終わらせるためでは無い。話を続けるために、敢えて話を終わらす素振りを見せるのだ。

 

「……あまり時間は無いと思うな。例え奇跡が起こって、運良く張譲が彼女を返してくれたとしてだよ?」

 

 去り際に、獲物に毒牙を突き刺す毒蛇の如く、しなやかな動きで再び賈駆に近づく。その耳元で、言葉という名の毒を相手に流し込む。

 

 

「――果たして『その彼女』は、アナタの知っている『董卓』のままなのかしら?」

 

 

「ッ!!」

 

 その言葉を聞くべきでは無かった。だが、賈駆文和は聞いてしまった。もはや、それ以前には戻れない。その姿に満足しつつ、劉勲は小さく囁く。

 

「良い返事を、期待してるわよ。」

 

 返事は無かった。そもそも聞こえていたかどうかすら怪しい。賈駆は金縛りにでもあったかのように呆然としていた。その姿が面白くてたまらない、といった様子で必死に笑いを堪えながら劉勲は闇の中に消えていった。

 

 

 

 劉勲が去った後も、賈駆はその場に立ち尽くしていた。劉勲から指摘されたのは、思いつく限り最悪の可能性。

 考えたくない。想像したくない。だが己の意思に反し、賈駆の聡明な頭の中では、あらゆる惨状が次々に浮かんでくる。普段は誇りに思っている己の頭脳が、この時ばかりは恨めしかった。

 

(急がなきゃ……早く月を助けないと、手遅れに……!)

 

 

 死が最大の恐怖だと思っている人間は多いが、時にはそれすら上回る生き地獄というものも存在する。長い歴史を誇る漢王朝はあらゆる文化を育んできた。そう、あらゆる(・ ・ ・ ・)文化を。陰湿な拷問、絶え間ない凌辱、肉体の限界ギリギリまで続けられる暴力。生と死の狭間をさまよう陰惨な文化が宮中にはあるのだ。

 

 だが、賈駆が恐れるものはそれだけでは無い。

 肉体だけでは無く、人の精神の崩壊。善良で、純粋な人間ほど精神的な破壊に弱いものだ。

 董卓はああ見えて、責任感が人一倍強い。平和を願う董卓の気持ちは本物であり、自分の幸せよりも民の生活を優先するような心優しい少女だ。それは幼馴染である賈駆が一番よく知っている。その董卓が、自分達の起こした騒ぎで民が苦しんでいると知ったらどう思うか。

 

 考えるまでも無い。元々内罰的な傾向のあった董卓のことだ。放っておけば、間違いなく自分を責めるだろう。にもかかわらず、囚われの彼女に出来る事は何も無い。「自分は何とか止めさせようとしている。自分は自分なりに努力しているんだ」という偽善に浸ることすら許されない。

 このままではいずれ、そう遠くないうちに董卓の心は壊れてしまうだろう。

 

 長らく宮中に捕えられていたため、董卓が外の状況を知っているかどうかは定かではないが、既に張譲の暴政は隠ぺいできる範囲を超えている。遅かれ早かれ、董卓の耳に入るのも時間の問題だろう。

 

 

(……どいつもこいつも、月の事を散々利用してッ!)

 

 賈駆の中では恐怖と絶望と共に、やり場のない怒りが燃え上っていた。結局は劉勲達も、自分や月を利用しようとしているだけだ。「無理強いはしない」「判断に任せる」と言いながらも、脅しをかけて、巧みに煽って誘導している。他者の想いを操り、その人生を弄んでいる。

 

 だが、自分はこのまま何も行動しないで、指をくわえているだけで満足なのか?命を懸けて護ると誓った親友が人生を狂わされ、絶望へと染まっていくのを座して見ている事しかできないのか?

 なにより――時間がない。急がなければ、全てを失うかもしれない。自分はまた、何も護れないのか?

 

(……そんなのは、嫌だ……絶対に!)

 

 既に心は決まっていた。ならば、何を迷う事がある?自分はただ、己の信じた道を進めばいい。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「――答えは、否よ。」

 

 賈駆は真っ直ぐに、劉勲の翠玉色の瞳を見据える。勇気を振り絞り、目の前の魔女と対峙する。

 

「……で?賈駆、アナタはこれからどうするの?自分の望みを言葉にしてみなさい。」

 

 劉勲の射るような鋭い視線が、正面から賈駆を貫く。これは、彼女からの挑戦だ。

 

「アナタにとって一番大切なモノは何?」

 

 賈駆にとって分かり切った質問。

 

「月に決まっている。ボクの大事な……幼馴染だ。」

 

「それは、アナタが全てを懸けてて護るに足るモノかしら?」

 

「……ええ。」

 

 全身全霊を懸けて、護ると誓った。その気持ちは嘘じゃない。例え世界の全てを敵に回そうとも、そこだけは譲れない。

 賈駆は拳を握りしめ、目の前に立つ女の瞳を見据える。己を暗き深淵へといざなう、魔女の声を聞く。

 

 

「もう一度聞くわ、アナタは今後どうしたいのかしら?」

 

 月明かりを背に、魔女が問う。蝋燭の炎が、その青白い顔を妖しく照らす。

 

 

「座してただ死を待つか、それとも――」

 

 

 誇りある死を誉とするのは武人のみ。されど、我が身は武人に非ず。

 

 

「――ここで、一世一代の大博打を打つか」

 

 

 ならば、例え魔女と契約してでも未来を、希望を、明日を掴み取る。それが――

 

 

「今一度、ここに問おう。賈文和、アナタはどちらを選ぶ?」

 

 

 ――賈文和の選んだ答えであり、誓いなのだから。

 

 

「……ボクは、絶対に月を助ける。」

 

 体を震わせながらも、賈駆はゆっくりと告げた。不思議と声だけは、落ち着いていた。改めてその答えを、償いを、覚悟を口にする。

 

 

「何があっても、月だけは救ってみせる――ずっと前から、そう決めたんだ」

 

 

 友を想う少女は、魔女が垣間見せた希望に、一縷の望みをかける。

 頭を下げて懇願する。――今ここに、契約は結ばれた。

 

「――話を、詳しく聞かせて欲しい。」

            




 劉勲さんは洛陽でも絶賛営業中です。

 書いた後に改めて読み返してみたら、無性に主人公殴りたくなってきた(笑)

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