真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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27話:土と地の嵐の中で

「こんのおおぉぉぉッ!」

 

 長い栗色の髪を風になびかせ、自身に向けられる敵兵の攻撃を上手にかわしながら、馬超は鋭い槍捌きで敵を薙ぎ払う。単騎で張遼軍の戦列を切り裂き、彼女によって切り開かれた穴に向かって、部下がなだれ込んで穴を広げていく。

 戦況は逆転し、張遼軍は今や自分達が狩人から獲物へと変わった事を悟った。

 

 

 

「なっ……んなアホな!」

 

 張遼も新手の敵騎兵部隊の出現に血相を変えていた。馬騰軍は約3万の兵力を保有しており、その殆どが騎兵で占められている。しかも異民族討伐などの実戦経験が豊富であり、その錬度は董卓軍にも劣らない。

 となれば後は単純な兵力差がものを言う。その上タイミングも最悪だ。おかげで張遼隊が本来果たす予定だった、遅滞防御が全く機能しなくなっている。

 馬騰軍は数の優位を生かして大きく回りこもうとしており、このままでは完全に包囲されてしまう。

 

 

 もちろん、張遼とて何の手を打たなかった訳では無い――と言いたい所だが、彼女の手元に残された余剰戦力はあまりに少なかった。友軍の華雄軍を呼び戻そうにも、華雄軍が一度撤退を始めた以上、彼らが再び部隊を再編成するのは容易では無い。

 

 逃げ惑う兵士をどうにかして留め、部隊ごとに集合させ、兵力・武器の状態・兵士のコンディション・指揮系統を確認し、作戦を考え、下士官に命令を理解させ、兵を再び配置につける。

 一度敗走した軍が再び戦場に戻るにはこれだけ煩雑な手順が必要となり、どう考えても間に合わない。

 

(前線から戦力を抽出しようにも、下手に引き抜けば前線で混乱が……)

 

 彼女の配下の兵は大半が曹操・孫策と戦闘中であり、戦闘中における兵の配置転換や陣形の変更、戦力抽出などは無用な混乱を引き起こす可能性があった。

 特に、後退戦の最中に一部の兵士を前線から引き抜けば、残された兵士がどう思うか。

 

 

 ――もっともらしい事を言って、兵を捨て駒に自分だけ助かろうとする指揮官など、珍しくも何ともない。

 

 

 仮にそんな愚行を犯したが最後、兵士達はいつになく臨機応変(・ ・ ・ ・)に対応し、トップダウン組織の典型である軍隊ですら民主主義(・ ・ ・ ・)的に退却せざるを得ないだろう。

 

 

 そして曹操や孫策といった名将がこのチャンスを逃すわけがない。即座に張遼軍の戦列が薄くなった部分を突いてくるだろう。そもそも、現時点で張遼軍が辛うじて戦列を維持している事自体が奇跡に近いのだ。

 

 

 

「くッ!」

 

 何もできない現状に、思わず張遼は舌打ちする。土煙に霞む彼女の視界の隅には、戦場を埋め尽くさんばかりの騎兵が、次々に死体を乗り越えて迫ってくるのが見えた。

 

「敵将とその護衛と思われる部隊が敵本隊から分離!真っ直ぐこちらに突っ込んできます!数は2000騎以上っ!」

 

「ここで揚動……!やることが回りくどいっちゅうのっ!」

 

 数だけじゃなく、質も高い――口から漏れる愚痴と共に、張遼は改めてその事実を確認する。

 

 馬騰軍の目的は明白だ。馬騰とその親衛隊が張遼軍に殴りこみをかけることで、張遼軍主力を一時的に引きつけ、包囲のために迂回する友軍を援護すること。

 そのまま突撃すれば戦列を突破することも可能なのだが、自軍の被害を気にしているのだろうか。張遼の見たところ、馬騰はより安全な包囲を選択したようだった。

 ならば――

 

「分離した連中には構うな!それは前線部隊とウチで対処する!敵主力をおさえろて、包囲されるのだけは何としても阻止するんや!」

 

 張遼の号令と共に、今まで彼女の周辺にいた護衛部隊が移動を開始する。

 これが、張遼の出せる最後の予備部隊だった。もはや本陣の防衛などと贅沢は言っていられない。使える戦力は全て使うしかないのだ。

 

「先頭の敵に攻撃を集中するんや!先頭が止まれば、後ろも動けん!」

 

 自軍の前線部隊に向かって張遼が叫ぶ。

 とはいえ、張遼軍の大部分を占める騎兵は歩兵と違って図体の大きさから、密集隊形をとることはできない。つまり、現実的に張遼の命令を遂行することは不可能だ。

 

 それでも張遼は兵士を鼓舞し続けた。己の言葉がいかに空しいものかは理解できていたが、浮足立った兵士が逃げ出さないようにするには、少しでも「勝てる」という希望を見せるしかない。

 

「みんな、頼むで!あと少しの辛抱やから!」

 

 部下に嘘をついているという事実に自己嫌悪を覚えながらも、張遼が兵士を鼓舞するのをやめる事はなかった。

 

 しかし、現実というのは非情なものだ。馬騰軍の猛攻が止む気配は一向に無い。なお悪い事に、ここに来て曹操軍と孫策軍までもが体勢を立て直し始めた。

 張遼軍の戦列では次々と兵士が倒れていき、その死体を乗り越えるようにして別の兵士が戦闘に参加する。味方の悲鳴と絶叫ばかりが、張遼の耳に途切れることなく届いていた。

 

 ――その時だった。

 

 

 

「張遼ぉーッ!無事かーっ!?」

 

 

 大きな叫び声と共に、華雄が一部の歩兵を連れてやってくるのが見えた。

 

「張遼、そっちの状況はどうなっている!?」

 

「華雄!?何で戻ってきたんや!命令を忘れたんか!」

 

 張遼はやや強い口調で華雄に迫る。救援に来てくれた事が全然嬉しくないかと言えば嘘になるが、それでも指揮官として見過ごすわけにはいかない。

 

 しかし、次に華雄の口から出た言葉は――張遼の想像を遥かに超えたものだった。

 

 

「分かっている!……だが、敵の別動隊が接近しているんだ!」

 

「なんやって!?」

 

 華雄の報告に、張遼は思わず息を飲んだ。見れば連合軍の方向から、新たに別の集団が土煙を巻き上げて迫っていた。その集団の先頭は全て白馬の騎兵で統一されており、「公」の旗を掲げている。世に名高い、公孫賛の白馬義従である。

 

「あちゃー、今度は公孫賛とこの白馬義従かいな……全て白馬とか趣味に走り過ぎやろ……」

 

 趣味云々は置いておくとして、白馬のみで構成された白馬義従は精鋭の弓騎兵であり、その実力は中華でもトップクラスに入る。公孫賛軍も馬騰軍ほどの規模ではないが、優秀な騎兵を持つ精兵として認知されていた。中華でも1,2を争う両軍騎兵部隊の出現は、瞬く間に董卓軍兵士の間に動揺を広げていく。

 

 

「一体どれだけの数がいるんや!?ったく、連合の兵力は底無しかいな!?」

 

 退却したいのは山々だが、戦闘中に敵に背を向ければ確実に軍が崩壊する。華雄隊が秩序を保って比較的スムーズに「退却」できたのも、張遼隊が敵を足止めていたからこそ。

 この状況で張遼が軍を下がらせれば、それは秩序ある「退却」ではなく無秩序な「潰走」になってしまう。無秩序な「潰走」となれば、多くの兵が討ち取られることは明白だった。

 

 

「どうする、張遼!?時間が無いぞ!」

 

「……っ!」

 

 思い通りにいかない現状に、張遼は思わず唇を噛む。

 しかし連合軍の兵士はその数を減らすどころか、ますます増えてきている。これでは張遼隊がどんなに善戦を続けていても、いずれ包囲殲滅されてしまうだろう。それどころか、一部の連合軍騎兵は華雄軍に追い付く勢いであり、このままではジリ貧だ。

 無理に全軍を守ろうとすれば全滅もあり得る。前線では被害ばかりが続出しており、もはや一刻の猶予も無い所まで来ていた。

 

「しゃあないか……張遼隊も後退するで!」

 

 最終的に張遼は――落伍兵が出ることと、足の遅い華雄軍兵士の一部が追撃を受けること、その2つを覚悟した上で――退却を決意する。

 例え無秩序な敗走でも、このまま包囲殲滅を待つよりかはまだ希望が持てる、そう考えた故の苦渋の決断だった。どの道このまま戦いを続けていても、脱走兵を止められず戦列に穴をあけてしまうだろう。

 

 虎牢関に向けて後退する張遼、華雄の両軍だったが、反董卓連合軍はそれを許すほど甘くは無かった。

 

 

 

 

「全軍、突撃用意!」

 

 

 公孫賛に仕える客将、趙雲は戦場の熱気に胸を高揚させながら、部下に命令を下す。

 

 

「世に名高い白馬義従、その力を示してやれッ!」

 

 

「「「了解!」」」

 

 

 万を超える馬の地響きを切り裂いて、趙雲と白馬義従の兵の声が戦場に響く。白馬で統一された彼らは、張遼軍に接近すると一斉に、馬上から矢を放った。

 次の瞬間、天から数多の矢が風を切って張遼軍に迫る。重力に引かれた矢は瞬く間に兵士達の体に吸い込まれ、大地を赤く染めてゆく。戦場で幾多の悲鳴と絶叫が連鎖する。

 

「なんや……あの大量の弓騎兵はッ!いつの間にあれだけの数を……ウチはそんなん聞いてないで!?」

 

 空から降り注ぐ無数の矢の雨に、張遼は愕然とした。彼女の知る限り、これだけ大量の弓騎兵を持つ軍は中華には存在しないはずだった。

 

 

 基本的に騎兵というのは非常に高度な特殊技能を要求される。不安定な馬上で戦うためには、武術と馬術の両方のスキルを持つ兵士が必要であり、乗り越えなければいけないハードルが非常に高い。訓練は厳しく、誰でも出来ると言う訳ではない上に、馬自体の維持コストも馬鹿にならない。

 馬の食料、管理、調教コストまで含めれば、騎兵一騎を維持するには、歩兵一人の10倍以上のコストがかかるとも言われている。それゆえ騎兵は数を揃えるのが非常に困難であり、有名な白馬義従も例外では無かった。

 

 だが公孫賛軍にはそういった常識を覆す、新技術が最近になってもたらされた。

 『鐙』である。鐙があれば武器を扱うために両手を離していても、馬上で踏ん張ることができる。安定性が増したことにより、敵に向かって突撃をかけることが可能になったばかりか、より多くの騎兵を、より素早く育成できるようになったのだ。

 

 この新技術は、劉備軍所属の『天の御遣い』からもたらされたものであった。そのかわり、公孫賛は劉備が兵を集めるための軍資金を提供することになったのだが、それでも鐙のもたらす軍事的優位を考えれば、悪くない取引のはず。公孫賛は増やしたくても増やせなかった騎兵の数を、大幅に拡大できたのだから。

 

 もっとも、いいことばかりでは無い。いくら鐙が開発されたとはいえ、騎兵になれるのは一部のエリートに限られ、またそれに対応する軍馬の訓練も必要だ。

 

 厳密に言うと公孫賛軍も、増員した騎兵の訓練が間に合っていない。仕方なく元からいた通常の騎兵部隊に、鐙を装備して弓を持たせ、弓騎兵としても辛うじて通用するようにしたというのが現状だ。まだ騎射に慣れていない兵も多く、劣悪な命中率を数で補っていた。

 その上、急な軍拡のせいで公孫賛の財政は火の車であり、今回の反董卓連合参加の理由の一つは恩賞金の獲得だったりする。

 

 

「私は北平太守の公孫賛だ!曹操軍に告ぐ!これより援護に入るが、撤収に時間はかかりそうか!?」

 

 公孫賛も趙雲に負けじと声を張り上げ、同士討ちを避けるために交戦中の曹操軍に警告する。だが曹操は戦果拡張を優先し、公孫賛の申し出を断った。

 

「貴殿の気遣いに感謝する!されど、こちらに構わず攻撃を続行されたし!本作戦の成功は、貴殿らの奮戦にかかっている!」

 

「そうか、わかった!では、幸運を祈っている!」

 

 公孫賛は軽く頷くと、そのまま白馬義従を率いて氾水関を通過中の張遼軍に襲いかかった。

 

 

「各員、射撃開始!――だが、無茶はするな!距離をしっかり保て!」

 

 公孫賛軍は機動力を生かしてカラコール戦術を繰り返す。張遼軍が反撃しようとすれば後退し、張遼軍が逃げようとすればそれを追う。数の優位を生かし、ゆっくりと、だが確実に張遼軍を疲弊させていく。

 

 

「ほんにもう……次から次へとっ!」

 

 真綿で首を絞めるような連合軍の攻撃に対し、たまらず張遼が叫んだ。早く逃げなければならないのに、敵は離脱を許してくれない。

 だが、それで諦めるほど張遼は達観した人間でもない。絶望的な状況の中、しぶとく巧みに騎兵を操って反撃する。

 

 公孫賛軍が大量の弓騎兵を前線に投入してきたということは、すなわち白兵戦をするつもりは無いという事。実際、張遼軍が突撃をかければ被害を出さないよう即座に後退している。

 とはいえ、馬は車と同じく急に止まれないし、馬の方向転換には人間以上の時間がかかる。高名な白馬義従いえども、やはり方向転換時の混乱は避けられず、張遼はその隙を突くことで辛うじて対抗していた。

 

「後退射撃!――最後まで気を抜くなよ!」

 

 だがその間も白馬義従は、趙雲と公孫賛の指揮の下、敵に矢の雨を降らせ続ける事を忘れない。しばらくは一進一退の攻防が続いていたものの、氾水関を抜けた辺りから張遼軍の動きに精彩が欠け始めていた。

 

「チッ……せめてウチにあと1万、あと1万の兵がいれば……っ!」

 

 

 余談だが、ランチェスターの第二法則というものがある。飛び道具は敵より数が多くてもあぶれることなく攻撃できるため、数の優位はそれ以上の戦力の優位をもたらす、との話だ。それゆえ数に勝る側は兵力を総動員して距離をとって戦うべし。

 

 公孫賛軍の戦術は基本に忠実に、自らの強みを可能な限り生かすものであった。もちろん張遼軍も優秀な騎兵部隊であり、弓騎兵もそれなりにはいたものの、敵に比べれば数の上で劣っている。

 よって時間が経てば経つほど被害が増大し、戦況は連合軍優位へと変化していった。反対側でも馬騰軍の猛攻によって張遼の別動隊や華雄軍の戦列には所どころ穴が開き始め、いつ崩されてもおかしくない状況に陥っていたのだ。

 

 

 

 同時刻、華雄軍は虎牢関の詳細まで視認できる位置に到達していた。虎牢関を目前にした華雄は最後の気力を振り絞るよう、部下を激励する。味方の拠点を目にした兵士の顔には僅かに、だが確かに希望の色が映り始めていた。

 

「みんな、喜べ!虎牢関までもうすぐだぞ!」

 

 とはいえ、このまま自分達だけが退却すればいいというものでもない。遅れて退却してくる張遼軍を支援するため、華雄は防御用の密集隊形をとることを命じた。

 防御に強い歩兵が盾となって張遼軍を護って敵騎兵の衝撃力を削ぐ。

 もうしばらく耐えれば、呂布、陳宮の守る虎牢関から増援が来るはず。

 

 以上の指示を簡潔に部下に伝えると、華雄はそれを知らせるべく張遼の方へ向かう。

 

 

「張遼、そちらの状況はどうだ?」

 

 

「かなりの兵が脱落してもうた……すまん。」

 

「流石は天下の馬騰、白馬義従といったところか。」

 

「せやな。……馬騰の姐さん、見逃してくれる気はなさそうやで。」

 

 見れば、馬騰軍は槍を構えて突撃の用意をしていた。

 董卓軍が限界に達したことは、馬騰軍の方でも読みとっていた。馬騰は最後の仕上げに取り掛かるべく、兵士に指示を伝えている。白馬義従の方も矢が切れたのか、武器を持ち変え始めていた。

 董卓軍に残された時間は少ない。ひとたび命令が下れば、敵は飢えた獣の如く獲物に飛びかかるだろうい。

 

 張遼の顔には疲れと、焦りの表情がにじみ出ていた。そんな同僚を案じてか、華雄は安心させるように言葉をかける。

 

 

「案ずるな。さっき防御陣形をとるよう部下に命じた。もはや虎牢関は目と鼻の先、増援や支援だってすぐに受けられるはずだ。最初の一撃さえ防げばすぐに撤退――」

 

 すぐに撤退できる――そう言いかけた瞬間、華雄の顔が蒼ざめた。

 その視線は、背後にいる自軍兵士に注がれている。

 

「華雄!?どないしたん!?」

 

 急に顔色を変えた同僚の様子を怪訝に思いながら、張遼も釣られて後ろを振り向く。華雄の視線の先には――虎牢関を目指して駆けだす、自軍兵士の姿があった。

 

 

「まずい!」

 

 声に焦燥感を滲ませ、華雄が叫んだ。考え得る限り最悪の事態――恐怖に駆られた兵の集団脱走が今、現実のものとなっている。

 

 時を同じくして、一斉に馬騰騎兵が突撃を開始。

 しかし、それに立ち向かうはずの董卓軍兵士はいなかった。理由は実に単純。目の前に友軍の拠点・虎牢関が存在することもあり、董卓軍兵士の大部分は戦うよりも安全な拠点に逃げ込む事を選択したからだ。

 

 兵士達に華雄の命令を無視させたもの。それは――死にたくないという、人間の最も基本的な生存本能だった。

 

 

「いかん!今すぐ逃げるんや!」

「やったぞ!絶対に逃がすな!」

 

 張遼と、公孫賛が同時に叫ぶ。逃げる董卓軍と、それを逃がすまいと追う連合軍。だが数と士気の差は隔絶しており、董卓軍は瞬く間に追いつかれてしまう。

 

「逃げろぉッ!皆殺しにされるぞっ!」

 

「くそっ!このままじゃ本当に全滅する!」

 

「邪魔だ、そこをどけぇええ!」

 

「……オレは生きるんだ……生きて必ず故郷に……!」

 

 もはや董卓軍は「軍」としての体をなしていなかった。そこにあるのは――恐怖に駆られ、恥も外聞もかなぐり捨て、死に物狂いで生き延びるようとする――人の「群」だった。

 

 脱走兵――それは古今東西、戦の歴史と共にある。あらゆる名将を泣かせ、その行動を縛ってきたのは「死にたくない」という人の基本的な欲求。

 どれほどの猛訓練を施そうと、人が生まれ持った生存本能は体に染みついて離れない。ゆえに脱走を防ごうとすれば常に兵士を監視し続けるか、兵士が死に物狂いで戦わざるを得ない状況へ追い込むか――この2択だけだ。

 

 ほんの一瞬、僅かでも隙を見せれば兵士は脱走を考える。数で劣り、かつ退却戦ともなれば、脱走を防ぐだけでも命懸けだ。下手をすると脱走兵の剣先は、それを止めようとする士官へ向く。

 ゆえに指揮官は決して兵士を信用してはならない。いつ何時も脱走、反乱、裏切り、命令不服従のリスクを考慮し、その上で行動せねばならないのだ。

 

 

 董卓軍指揮官・華雄は迂闊にも兵士から目を離してしまった。時間にすれば、ほんの数分しかないだろう。

 だが、その数分が命運を分けた。兵士達は自分達の置かれた状況を考え、判断を下した――逃げるなら、今しかないと。

 

 

 

「はッ!帝都を守る精兵とやらも、大したことないな!」

 

 西涼の狼――中華の民は馬騰とその軍をそう評したという。獲物を追いたてる餓狼の如く、馬騰軍は強く、しつこく、そして容赦が無かった。

 勝てる時に、敵は徹底的に叩いておかねばならぬ――西涼における異民族との終わりなき戦いで、彼らは敵からそう学んだ。ゆえに情けは無用、ただ殺戮あるのみ。それが、西涼兵にとっての“戦争”だった。

 

 しかしそんな彼らにしては意外な事に、敵の戦列を突破するような激しい突撃はまだ行われていない。その気になればいつでも董卓軍を分断できるにもかかわらず、敵味方が入り乱れたまま追撃を続けている。

 

 

「……ッ!退却しようにも敵との距離が近すぎるねん!このままやと――」

 

 次の瞬間、張遼隊は喉元に短刀を突き付けられたような感覚におそわれる。

 ――いや、現に突き付けられているのだ、自分達は。

 

(そうか……そういうことやったのか……!)

 

 今の今まで、紙一重で維持し続けられた戦線。その気になればいつでも潰せたにもかかわらず、なぜか遠隔戦や包囲に固執し、決定的な攻撃を行わなかった敵の行動。とてもそれどころでは無かったと言え、よくよく考えてみれば不自然だ。

 

 なぜ連合はそれほどまでに突破をためらう?

 その力があるのに、どうして虎牢関に到着するまでにこちらを殲滅しない?何の為にズルズルと、こんな所まで自分達を逃がしたのだ?

 

 その違和感のなんたるかを理解した時、彼女は自分達の命運が尽きた事も同時に理解した。 

 

 

 

「ちぃッ!狙いは最初からこれやったんか!」

 

 

 張遼が吐き捨てるように叫ぶ。

 

 そう、現時点では敵味方が乱戦状態に陥っており、虎牢関の守備隊による支援が(・ ・ ・)不可能だ(・ ・ ・ ・)。敵味方が入り混じっていては、陳宮の策も呂布の武も、その力を発揮できない。

 

 

「乱戦に持ち込んで味方の支援を封じ込めるつもりかいな!……まさか、一気に関所を二つも抜ける計画やったとは……!」

 

 

 曹操の考えた作戦の真の狙い――それは退却する敵と共に軍を移動させ、一気に虎牢関まで突破することだった。

 今回の反董卓連合軍では事情の異なる各諸侯が、様々な利害を調整した結果として結成された不安定なものであり、状況が変化すれば連合軍は容易に崩壊しうる。よって利害が一致している今の内に、早急にケリを付ける必要があり、それには何よりも時間が重要だ。

 

 

 攻城戦は基本的に長期戦になり易く、それを2回もやる余裕は連合軍にはない……とまでは言い切れずとも、できればそれは避けたい。

 

 では、どうすれば?

 地面に穴を掘るか、壁をよじ登るか、それとも門を突破するか。最も迅速に自軍を送りこむには門を突破するのが理想だが、防御側が門を開くパターンは2通りしかない。出撃する時か、退却する時だ。どんな名将が指揮しようと、この時は門を開けざるを得ない。

 

 

――ならば、門から出てきた敵を逃がさなければ良い。

 

 敵に喰らい付き、そのまま門までくぐり抜けよう。幸いにして連合軍には馬騰軍と公孫賛軍という、騎兵部隊を大量に持つ軍がいる。機動力に長けた彼らならば、追撃戦にはもってこいだろう。

 

 問題は、いかにして敵をおびき出すかという点であったが、図らずも劉備軍が成功させてまった。もっとも失敗したら失敗したで、曹操は目立つ攻城兵器などを囮にして、敵が城外に出なければならない状況を作る手筈であった。

 

 

 ――ちなみに反董卓連合は知る由も無かったが、そもそも賈駆は張譲から譲歩を引き出す為に、反董卓連合に汜水関を抜かせる予定だったため、いずれにせよ董卓軍が汜水関で籠城を続ける事は無かっただろうが。

 

 しかし賈駆(より正確には劉勲もだが)にとって最大の誤算は、曹操が虎牢関まで一気に抜ける計画を立てていた事であった。

 彼女達の作戦は「連合軍は洛陽を守る関を1つずつ落とす」ことが前提条件であり、今回の連合軍の行動は完全に想定外の事態だった。

 

 

「負け、か……完全に一杯くわされてもうたな。」

 

 張遼は洛陽で待っているであろう、友の姿を思い浮かべる。愛用の武器・飛龍偃月刀を構えながら、小さく懺悔の言葉を呟く。

 

 

「……すまん……月、賈駆っち……。」 

      

        




分かる人には分かると思いますが、今回の反董卓連合軍の作戦の元ネタは何回目かのイゼルローン戦のアレです。
 ……もし虎牢関の守備隊が劉勲あたりなら、味方がいようがお構いなしに門閉じてまとめて弓矢で始末できたんでしょうけどね。後書き書いている途中に思い出したんですが、序章でも主人公そんなことしてましたし。

 後すごく個人的な意見なのですが、弓騎兵とか騎馬鉄砲隊ってどこか過大評価されすぎている気がします。
 鉄砲や弓の長射程に機動力を組み合わせれば最強の兵が生まれる、とでもいうコンセプトなのでしょうが、基本的に馬と飛び道具は相性が悪く中途半端なものにしかならないと思います。人材・資金・時間・装備などのコストを考えれば、普通に弓・銃兵と騎兵に分けた方が効率良い気が……。
 「弓・銃兵より機動力があり、騎兵よりリーチが長い」ということは逆にいえば「騎兵より鈍く、弓・銃兵よりリーチが短い」ってわけですし。
 日本でも伊達の騎馬鉄砲隊なんかが知られていますが、有名な割には強かったとか活躍したという話はあまり聞かないです。まぁ、弓騎兵と騎馬鉄砲隊では違いが大き過ぎますけど……。

 後、董卓軍の敗因の一つに“脱走兵”がありました。当時の軍隊なんてのは職にあぶれた貧乏人の掃き溜めみたいなもので、指揮官が目を離せばすぐに脱走します。古代から近世まで兵士が基本的に密集隊形しかとれなかったというのは、散開するとみんなが一斉に逃げるからだとか。
 散兵が実戦レベルで運用できるのは、ナポレオン戦争で兵士の間に愛国心が高まるまで待たなければいけませんでした。もっとも、その愛国心溢れるフランス大陸軍ですらも平均して50%前後の徴兵忌避・脱走者を抱えていたそうですが。

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