真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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29話:揺るがぬ信念

    

 劉勲に泣き落としは通用しない。

 合理的な人間であればるほど、非合理的な行動を嫌うものだ。情に訴え、思考を放棄するようでは、彼女は自分の事を認めようともしないだろう。

 

 だから、賈駆は必死に頭を巡らせた。

 

(もうボクには後が無い……。全てを救えるほど、ボクの手は広くなかった……)

 

 汜水関での一件で、自分の無力さ、浅はかさを思い知らされた。劉勲の言うとおり、全てを救おうとすれば、必ずや何かを取りこぼす。彼女は間違っていなかった。

 

(ボクはこの期に及んで、まだ甘えていたんだ……。月に嫌われたくない、そんな自分の都合で皆を巻き込んで不幸にした。だから、もう……)

 

 もう、絶対に迷わない。

 全てを助けようなどと贅沢は言わない。

 

 願う奇跡は、ただ一つ。

 

 

 ――何を犠牲にしようと、董卓だけ(・ ・)は救ってみせる。

 

 

 その為ならば、手段は選ばない。

 否、選んでなどいられない。

 

 

 相手を出し抜け。

 身の回りにある全てを利用しろ。

 綺麗事を言っていられる時間はもう終わったのだ。

 

 

 状況に流され、嘆くばかりでは何を為す事も出来ぬ。

 

 

 ――意志を。

 

 ――行動を。

 

 

 今ここに示せ。さすれば道は開かれん。

 

 

 ならばこそ――

 

 

 

「……ここでボク達を見捨てて逃げたら、連合軍にこの裏取引を告発するわ」

 

 

 

「……そんなことが出来るとでも?」

 

「ええ……此処に来る前、華雄に全てを伝えたわ。この場でボクからの連絡が途絶えれば、華雄が代わりに連合に全てをバラす。」

 

「ッ!やってくれるじゃない……!」

 

 今度こそ、劉勲の顔から余裕が消え去る。

 

「自分の従妹が敵と内通していると知ったら、あの袁紹がどんな態度をとるか……想像はつくよね?」

 

 ぎぎ、と劉勲が歯を食いしばる音が聞こえたような気がした。掴んでいる彼女の腕を通して、賈駆に震えが伝わってくる。

 

 裏切り――その罪は多くの場合、実際の損失以上に、重い罪とされる。儒教思想では特に主君への忠誠を強調しているため、いかなる理由があろうと許されるものではない。

 特に反董卓連合の発起人である袁紹は、自分の従妹が裏で董卓軍と通じていた、等という事が世間に知られれば面目丸潰れだ。従妹だからと言って庇う事はなく、むしろ身内の恥を濯ごうと一層強い処罰を求める可能性すらある。孫策あたりもこれ幸いと反旗を翻すだろう。

 

 袁術軍が許されるとしたら、「これは一部の人間の暴走であり、上層部は何も知らなかった」とトカゲの尻尾切りをするぐらいしか方法は残されていない。

 しかしその場合、劉勲自身はかなりの確率で生贄とされるだろう。

 

 

 どれほどの時間が経っただろうか。一秒が一時間にも感じられたその間、劉勲は身じろぎ一つしなかった。ややあって――

 

 

「へぇ……アナタ、ひょっとして――」

 

 劉勲が挑発的に口角を吊り上げ、獰猛な笑みを浮かべる。

 

「――このアタシを脅す気なの?後で……必ず後悔するわよ。」

 

 白い歯の覘く劉勲の唇が、不敵に歪む。翠色の瞳が細められ、凶暴な光を放った。

 

「……それが、何だっていうの?()、月を助けなきゃ、ボク達に()なんて無い。」

 

 過去と現在の積み重ねが、未来を規定する。

 ゆえに現在が失われれば、未来もまた失われるしかない。

 

「ツケなら後で、いくらでも払ってやるわよ。それで現在、月の()が救えるのならボクは構わない。」

 

「例えそれが、アナタの大事な『月ちゃん』の意思に背くことになっても?そうだと言い切れる?」

 

「……前に言ったはずよ。月を守る為に必要な事なら――ボクは何だってやってやる。」

 

 睨み合う、二人の女性。片や己の信念の為に、片や己の野心の為に。剣や槍で討ち合うような派手さはないが、ここにあるのもまた一つの戦場。戦いの最中に気を抜けば、一瞬で身を滅ぼす。

 

 

 

 再び、部屋を静寂が支配する。長い沈黙の後、最初に折れたのは劉勲の方だった。

 

「……少しだけ、アナタの事を勘違いしてたみたいね。でも…………ぷっ……」

 

 彼女はもう抵抗しなかった。それどころか一瞬吹き出したかと思うと、こえらえきれずに身をよじって笑い出す。

 

「うふ、うふふっ……あははっ、あははははははは――」

 

 遠まわしなジョークを、ワンテンポ遅れて理解したように腹を抱えて笑い転げる。

 

「……何よ、急に笑い出したりして」

 

「ちょっ、ちょっと待って……ふふっ……。はぁー、ふぅ……アナタ、ちょっと面白すぎだよぉ」

 

「……面白すぎて悪かったわね。」

 

 憮然とする賈駆。正直、何が面白いのかさっぱり分からない。

 

「いや、だって……ねぇ?アナタがさっき言ったコトって、まんま借金地獄に陥る多重債務者のセリフだもの。……あは、あはははっ」

 

 そんな賈駆とは対照的に、劉勲はまだ笑いが収まらないのか、微かに体を震わせながら肩で息をしている。

 

「なのにアナタときたら、大真面目に “ツケなら後で、いくらでも払ってやるわよ” とかナントカ言うもんだから、可笑しくって、つい。」

 

「ちょっ!……って、勝手に人の口マネしないでよ。こっちが恥ずかしくなるじゃない……」

 

「ふふっ、ゴメンゴメン。これもアタシの性分なのよ。……でも、でもね――」

 

 二人の視線が絡み合う。苦笑しながら軽くウェーブした髪をかきあげると、劉勲は溜息交じりに口を開く。

 

 

「――そういうの、別に嫌いじゃないわよ。」

 

 

 落ち着いた、優雅さすら感じさせる口調で、劉勲はキッパリと言い切った。そこには、賈駆を賞賛するような響きさえ感じられた。

 

 

 勝った!賈駆は思わず顔を緩めてしまう。

 難関の一つは乗り切った。賈駆は切り札を、最高の場面で切ることに成功したのだ。劉勲は保身を、賈駆は董卓を。互いにとって等価なモノを、合意の上で交換する。

 

 契約は――これで成立だ。

 賈駆がそう思った、まさにその瞬間だった。

 

 

 

「……で?」

 

 

 

 

「…へ……?」

 

 賈駆は、思わず間抜けな返事をしてしまう。理解が追い付かず、頭の中が真っ白になるような気持ちに襲われる。まるで鈍器で強く頭部を殴られたような、そんな衝撃。

 

「いや、だからね……それだけかって聞いてるのよ?」

 

 対して、劉勲はにこやかな笑顔で言葉を続ける。

 

アナタ(・ ・ ・)が連合軍に裏取引を告発して、それだけで終わり?

 そりゃあ確かに多少の混乱は引き起こせるでしょうけど、所詮それだけよ。投降してきた敵の田舎軍師の言葉と、三公を輩出した名門袁家の言葉、普通ならどっちを信じると思う?」

 

 名門――長らく皇室に仕え、漢王朝を支え続けた袁家の威光は、まだ衰えていなかった。それは物理的に目に見えるものでは無いが、決して無視し得るものでは無い。袁家が長年に渡って築きあげてきた「信用」、そして「名声」は健在なのだ。

 劉勲の言うとおり、賈駆一人がどれだけ真摯な言葉で真実を語ろうとも、そこには覆すことのできない壁がある。命乞いの為のでっち上げとか見なされず、うやむやにされる事だろう。今更ながら、改めて『名門』の力を思い知らされる。だが――

 

 

「後は……!」

 

 

 賈駆は考えるより先に、言葉を発した。

 ここで諦めるという選択肢は、自分には無い。最高の条件で出した切り札は無意味だった。

 

 だが、それが何だというのだ?

 まだ勝負は終わってはいない。勝負が続いている限り、逆転の機会はゼロでは無い。どれだけ小さな逆転のチャンスだろうと、「無い」と「無いに等しい」では天と地ほどの差があるのだ。

 

 劉勲はじっと賈駆を見つめている。それは、まだ彼女が交渉の機会を残してくれているという事。それは、まだ劉勲が自分に期待しているという事。

 劉勲なりの、自分に対する――賈駆文和に対する敬意なのだろう。

 

 例え詭弁でも構わない。

 記憶を掘り起こし、誰構わず利用しろ。

 この状況を覆せなければ、自分も董卓も破滅するしかない。

 

 大きく息を吸い、賈駆はもう一度会話を思い出す。劉勲の言葉、意図、その背後関係を頭の中で反芻する。

 

 そして――

 

 

「後は、もう一つ!!」

 

 額から冷や汗が流れてくるのを感じながら、大きく声を張り上げた。劉勲が興味を示したのを確認すると、もう一度深呼吸してから、短く告げる。

 

「……馬騰が……西涼の馬騰が、まだ残っているわ。張遼や呂布達を捕えた彼女もまた、真実を知っているはずよ。」

 

 

 虎牢関の戦いで帰って来たのは華雄のみ。呂布、張遼、陳宮らは真っ先に虎牢関に突入した馬騰軍に敗れ、捕えられたと聞く。ならば、馬騰が捕えた呂布達から董卓軍の内情を聞き出していても不思議はない。

 

「正直、最初は見捨てられたのだと思ってた。……でも、張遼達を殺さず捕虜にした時点で、彼女がこっち(・ ・)側だと確信したわ。」

 

 

 もともと馬騰と董卓は共に西涼の太守である事もあり、浅からぬ縁があった。異民族の地が混じっている事を理由に偏見の目を向けられていた馬騰を、最初に高く評価し便宜を図ってくれたのは董卓の両親だった。彼らのおかげで馬騰は自身の能力を発揮する場所と機会を与えられ、大きな恩義を感じていた。そんな馬騰が董卓に対して、何らかの方法で報いようと考えても不思議では無い。

 

 当然、賈駆も反董卓連合が結成された時に馬騰に助けを求めたのだが、返ってきた返答は非常に曖昧なものだった。西涼という辺境を治める馬騰には詳細な情報が入りづらく、当時は立場を明確にするのが躊躇われたのだろう。

 

 

 だが先の一戦を見ると、馬騰軍は反董卓連合に参加していながら、独自に董卓軍の内情に探りを入れていた可能性が高い。劉勲らの取引を完全に把握していたは定かではないが、賈駆の告発を裏付ける証拠の一つや二つは保有していてもおかしくは無い。そうでなくとも、この告発を歯牙にもかけないという事は無いだろう。今回の反董卓連合で大きな功績を立てた馬騰の言葉なら、大きな発言力を持つ。

 

 もっとも馬騰の言葉だけで、すぐさま袁術陣営の有罪が確定するとは思っていない。しかし発言力のある馬騰が賈駆の告発を支持すれば、連合もこの疑惑を無視することは出来なくなる。

 今回の争いで功績を立てた曹操や馬騰、公孫賛などは基本的に不正を嫌う人種である上、恩賞目当ての諸侯が自らの取り分を増やす為に袁術陣営を蹴落とそうとするかもしれない。となれば大がかりな調査が行われるはずであり、裏取引がバレるのは時間の問題だ。

 

 基本的に完全犯罪というのは「疑惑をもたれない」場合にのみ達せられるものであり、一度疑惑がもたれてしまえば隠し通すことはできないのだ。

 

 それは状況証拠から考えられる、一つの可能性。

 理屈が全てでは無い。

 賈駆はそこに全てを賭けた。

 

 

 劉勲は何も言わない。不気味なまでの静寂が部屋を支配する。

 だが賈駆は臆せず胸を張り、答えを待ち続けた。

 

 

 

「合格」

 

 たったの一言。その短い一声が、沈黙を破った。

 

「合格よ、賈文和。百点満点、よく出来ました花マルでーす――とまでは言えないケド、充分に及第点をあげられる。もっと胸を張っていいと思うわ。」

 

 疲れたように息を吐くと、劉勲は優しげに微笑む。

 

「軍師は策を練られる環境があって、初めて組織の役に立つ。最低限、自分の身を守る環境も整えられないような人間に、単なる『歯車』以上の価値は無いわ。」

 

 劉勲は満足げな声と共に悪戯っぽく片目を瞑ると、指をそっと賈駆の頬に添える。

 

「……やっぱり馬騰のこと、気づいてたんだ……いつからなの?」

 

「ちょうど虎牢関戦の後ね。アタシが即座にアナタの口封じを命じなかった最大の理由は、馬騰軍の存在よ。元々アナタ達とは知り合いみたいだったし、ちょっと考えてみれば虎牢関戦って不審なのよね。」

 

 並行追撃によって虎牢関まで機動力に勝る馬騰軍、公孫賛軍が突破する。作戦そのものに不審な点はない。後々の歴史に残るような見事な戦術だ。

 

 

「本当にすごい。完璧よ。だけど、完璧(・ ・)過ぎる(・ ・ ・)。」

 

 連合軍と共にいる張勲からの報告を見ると、馬騰軍の損害があまりに少ないのだ。とてもあの飛将軍・呂布が守っていたとは思えないほどに。

 

「馬騰は、董卓を助けようとしていた。そして恐らく、張遼達の説得に成功したんでしょう。」

 

 だが馬騰と董卓の関係を省みれば、全ての説明がつく。劉勲は急いで「同志達」に連絡を取り、馬騰軍を調べさせたところ、馬騰軍が袁紹軍のプロパガンダを鵜呑みにしている訳では無いという事実が判明した。馬騰軍が捕えた董卓軍兵士の扱いも丁重を極め、とても単なる捕虜に対するものとは思えなかったのだ。

 

「ったく、友情だか恩義だか知らないケド、世の中には物好きもいるものね。……まぁ、張譲と同じように董卓を匿っておくことで、呂布とか張遼とかを味方につけたいのかもしれないけどね。」

 

 劉勲は呆れたようにかぶりを振る。

 前世記憶からもしや、とは思っていたがやはり理解できない。いかなる感情をも理性で押さえつけ、全ての物事が理屈で決まる商売とは違った異質な世界。だが、その世界は確かに存在する。

 物事の全てが損得で割り切れるほど世の中は単純では無い、という事を改めて思い知らされた。

 

 愛、友情、思いやり、誇り、忠誠、愛国心――そういった理屈では説明できない部分が、今はただの弱小勢力でしかない劉備や孫策、曹操などの下に優秀な人材が集まる理由。馬騰もそんな一人なのかも知れない。

 自分と違い、彼らには金や権力、身分を超えて人を引き付ける魅力がある。そうやって集まった優秀な人材が、後に彼女達の『力』となり、これからの乱世で力強く羽ばたいてゆく。

 

 

(……悔しいけど、アタシにはそんな魅力は無い。かといって呂布みたいに圧倒的な『武力』も、周瑜ほど明晰な『頭脳』も無い。だけど――)

 

 自分には名門出身という『肩書き』がある。舌先三寸で得た『資金』がある。袁家で手に入れた『権力』がある。何も無いわけではない。賢く使えばそれらもまた、大きな『力』と成り得るのだ。

 

 

「……とにかく、馬騰が董卓を助けたがってるならアタシにとっては好都合よ。アナタだってどっちかっていえば、馬騰に董卓を保護してもらった方が安心でしょ?」

 

「まぁ、それはそうだけど……」

 

 馬騰達は董卓を助けられるし、袁術陣営も厄介払いが出来る。また、これにはお互いが秘密を持つ事で、互いを裏切らないように監視する意味も含まれている。

 

(それに、もともと馬騰()とコネを持ちたいとは思っていたし。……ひょっとしたら、董卓軍を手に入れるよりも役に立つかも知れない。だって――)

 

 劉勲は目を一度閉じ、一段と強い光を宿した瞳を再び開く。

 そう、自分の策はまだ全てが潰えた訳では無い。使い方次第では、失敗も成功の母となり得る。問題はそれが出来るかだ。

 

 だが、劉勲には確信にも似た自信があった。なぜならば――

 

 

         だって馬騰は―――だから。

 

 

 劉勲は苦笑し、心の奥底で一人ごちた。

 考える限り、馬騰とコネを持つ事には単なる協定、同盟以上の意味がある。今すぐにとはいかずとも、必ずや強力なカードになり得るだろう。

 

 

「うふふ……面白くなってきたわねぇ」

 

 劉勲の口元に広がる笑みが大きくなる。

 思えば、自分はいつだって完璧(・ ・)に成功することは無かった。十重二十重の策を練り、時間をかけて根回ししても、それは必ずどこかに綻びができてしまう。些細なきっかけで狂ってしまう。

 

 ――経済を発展させようとして、治安と格差を増大させてしまったように

 

 ――多くの資金と人員を動員しても、農民あがりの黄巾党に敗れたように

 

 ――曹操の立てたたった一つの作戦に、今回の計画が潰れされたように

 

   それが、現実。そこから目を逸らすようでは、己は永久に敗者のまま。しかと現実を見据えよ。

 

(そうよ、アタシはまだ諦めない。たったそれだけ(・ ・ ・ ・)の事で、諦めたくない。)

 

 十の策が失敗するようなら、百の策を練れば良い。それでも策が破られたなら、また考えればいいのだ。たかだか(・ ・ ・ ・)十や二十の失敗で諦める様では一生、何事も為せない。

 

 成功に失敗はつきもの。だが、失敗から学べるか否かで未来は変わる。

 転んでもタダでは起きない。――見苦しいまでの信念、いや執念こそが人を成功へと導くのだ。

 

(もしアタシの人生が失敗の連続だとしても、……それすらも利用してみせる。その中でアタシは道を切り開いてやるわよ。)

 

 人生はトランプのようなもの。

 ゲームの初めに配られるカード同様、生まれは平等では無い。中には、その時点で一生(ゲーム)が決まってしまう者もいる。そうでない者は、決められた社会常識(ルール)に従い、勝ちを目指す。自分の能力(てふだ)を最大限に生かし、『策』と『運』の両方を味方につけた者のみが勝者となる。

 どんなハズレを引こうと己の不運を嘆くことなく、逆境すらも利用せねば勝利は望めないのだ。

 

 

 自嘲気味に嘆息したところで、劉勲は一度思考を現実へ引き戻す。

 何をするにもまずは、この死の都で生き延びねばなるまい。何事も死んでは為す事が出来ぬゆえ。劉勲は無造作に垂れていた髪をかきあげると、賈駆に言葉をかけた。

 

「とりあえず此処は危ないから賈駆、アナタも一緒に安全な場所まで付いてきなさいな。そこで――馬騰との交渉内容を一緒に(・ ・ ・)考えましょう。」

 

 一緒に――その言葉の意味、それは賈駆の駒としての役割はまだ終わっていないという事。

 そして、その言葉が何を意味するかは、賈駆にも分かっていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 虎牢関外周――反董卓連合・馬騰軍の陣地

 

「いやー、助けてもらうどころか衣食住まで保証してくれてありがとな、馬超。」

 

 陣地の奥にあるひときわ大きな天幕で、張遼が馬超に感謝の言葉を告げる。

 

「そんなに畏まるなって。こっちこそ、今まで何もしてやれなくて悪かった。」

 

 馬超は少し照れた様子で張遼の肩をぽん、と軽く叩く。

 もともと天水群の太守だった董卓と、武威群で軍閥を率いていた馬騰は深い付き合いがあった。異民族相手に共闘したこともあり、董卓の人となりを知っていた馬騰、馬超は「董卓が都で暴政を敷いてる」という世間の噂が反董卓連合軍のプロパガンダである事を見抜いていた。

 

 だがそれはあくまで仮説、推測に過ぎず、確証はどこにも無い。洛陽周辺が完全に封鎖されて連絡がとれない以上、馬超たちに分かったのは「董卓は悪人では無い」ということだけ。董卓自身が望まずとも、利用されるなり何なりで実際に「暴政を敷いている」可能性は十分に考えられる。

 袁紹陣営は、疲弊した社会に対する不平不満の全てを「董卓」という分かり易い『象徴』に向けることで、民衆の支持を獲得した。つまり今、下手に董卓軍寄りの姿勢を示せば世間全体を敵に回してしまうのだ。

 

「“漢の民衆を敵に回す事だけは絶対にしちゃ駄目”って母上に念を押されたよ。あんなにしつこく言われたのはあたしも始めてだった。」

 

「そうか……そう言えば、馬騰の姐さんの姿が前から見えへんな。やっぱ会う事はできんのか?」

 

 公式には張遼達の扱いは捕虜だ。お互いの立場上、あまり大っぴらに親しくするわけにもいかないのだろうが、一度ぐらいは挨拶をしておきたい。

 

「いや、そう言う事じゃないと思うぞ。母上なら単に仕事が立て込んでるだけだと思うな。さっきも重要な話がある、とか言ってどっかに行っ――」

 

 

「――ばぁっ♪」

 

 

「ひぃ!……って、なんだ母上か……驚かさないでくれよ」

 

 噂をすれば影。歴戦の武将である馬超にすら気配を感じさせず、絶妙なタイミングで馬騰が天幕に入ってくる。

 

「だって愛する我が子との再会よ?もっとこう、感動的にしたいじゃない!」

 

「半日ぐらい前に一緒に食事とっただろ……」

 

「細かい事は気にしない、気にしない♪それが元気に生きる秘訣よー。」

 

 馬騰は楽しそうに笑い、馬超の頭をぐりぐりっと撫でた。馬超は恥ずかしいだろっ、と抵抗するものの、それも照れ隠しの領域を出ていなかった。

 

 

「相変わらずやなぁ……。姐さん、元気してたかいな?」

 

「当ったり前じゃない!むしろ私から元気抜いたら、なーんも残んないわよ?」

 

「いや……それは太守っちゅう立場的にいろいろ不味いんじゃ……」

 

「だいじょぶ、だいじょーぶ♪そういう細かい事なら、優しーい部下達が頑張ってやってくれるから。……あ、そうだった!はい、これ二人の分のお土産だよ。」

 

 何とも微妙な顔をする張遼をよそに、馬騰はマイペースに小さな包みを差し出す。中に入っていたのは、蝋燭の光を受けて黄金色に輝く蜂蜜飴だった。

 

 

「……それが、重要な話の相手かいな?」

 

「うわっ、バレちゃったかしら?」

 

 てへっ、と軽く笑って軽くウィンクする馬騰。悪戯のバレた子供のように少しバツの悪そうな色を浮かべてはいるが、なんとも緊張感に欠ける行動である。

 だが、そんな彼女を見つめる張遼はどこか不安そうだった。

 

「……姐さんが落ち着かん時は基本、とりあえず物を買って誤魔化そうとするからな。実際、かなりマズい状況なんちゃう?」

 

「あははっ、鋭いわねぇ。でも大体あってるわよー。」

 

 馬騰は小さくうなずき、にこやかに笑う。嬉しげに、寂しげに、彼女は笑う。

 

「ちょっとね、真面目な話になるよ?さっきの『重要な話』なんだけど……」

 

 されど次の瞬間には、馬騰の瞳から遊びは消えていた。代わりに強い信念と意志を瞳に込めて、馬騰は張遼と馬超を見つめる。

 

 

「……内容は、董卓ちゃんの身柄について。そして交渉相手は――袁家の書記長・劉勲よ。」

 

 




『人生はトランプのようなモノ』って確かイギリスの偉い人が言ってたような記憶があります。生まれも運も能力も人それぞれですが、その中で最良の手を考え続ける事が成功の第一歩かなぁ、と。
 
 ちなみに馬騰と董卓は知り合いという方向で。一応二人とも涼州太守なので面識が全く無いのも変かなぁ、と思ったので。

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