真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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33話:王者の条件

   

  歴史が、動く――

 

 

 曹操の言葉が、全員に重くのしかかる。その意味は、今まで期が来るのを待ちながら、雌伏の時を耐えてきた者達を解き放つ、開戦の合図だった。

 

「曹操ちゃん」

 

 しばしの沈黙の後、曹操に問いかける声があった。堂々とした体勢を崩すことなく振り向いた彼女に、劉勲は一切の感情を感じさせない視線を向ける。

 

「……それで、アナタは()()()()()の?」

 

 まるで心の奥底まで見透かすような、澄んだ瞳。劉勲はいつもの笑みを顔に貼りつけたまま、静かな意志を秘めた目で、未来の覇王をしかと見据えた。

 その意思に応えるかのごとく、曹操もまた己の信ずる理想を宣言する。

 

「私の望みは、戦乱の世の立て直し……そして古い因習と偏見から解放された、新しいこの国の未来の創造よ。その為に私は『力』による、中華の再生を目指す。」

 

 今の中華は乱れ切っており、生半可な努力ではこの歪みを修正する事は出来ない。かつての秦のように強大な武力をもった、強い国だけが真の平和をもたらせる――それは曹操が生まれ持った、明晰な頭脳を以てしてたどり着いた結論だった。

 

 

「個人の能力よりも、古い因習や縁故が重視されているのがこの国の現状よ。有能な人間が真っ当に評価されず、この社会に才能の芽を潰されてゆく。その結果として無能な人間が社会を支配し、間違った統治で民を苦しめている。」

 

 曹操の口から紡がれた言葉――それは漢の社会構造そのものの否定だった。

 漢王朝に国教というものは存在しないが、ある意味では儒教がそれに相当する。儒教は五常――仁・義・礼・智・信――という人の『徳』により五倫――父子、君臣、夫婦、長幼、朋友――関係を維持することを教える。それは一種の宗教として中華に住む人々の心の支え、社会常識となってきたものだ。

 

 だが、儒教は同時に、中華の民を400年以上の長きに渡って束縛し続けた“呪い”でもあった。差別、偏見、時代錯誤な因習、迷信、縁故・血統主義、学閥、排外主義……かつて中華の民を救済すべく作られた儒教思想は、長い時を経て民を隷属させる牢獄となり、その歪みは増幅される一方だ。

 

「この国を再生しようとするなら、それを根底から変えるぐらいの意志が必要よ。だから、私は強大な『力』を以てして、いずれは新しい王朝を立てる。

 唯才是挙――要するはただ才のみ、これを挙げよ。皇帝の絶対的な権威の下で、人が生まれや血筋に関係無く実力で評価される……私はそんな世界を作りあげる。例え後世で蔑まれようとも、奸雄と非難されようとも……必ず、この国に変革をもたらす。」

 

 一片の迷いもなく、曹操は言い切った。

 確かな実力を持った、優秀な人材によって支えられる社会を作る。社会とは人が作るものであり、然るべき才能を持った人間が治める事で平和がもたらされる、と。

 それは決して自己陶酔や机上の空論などでは無く、合理的判断と客観的な分析に基づいた結論だった。

 

 

「だが……曹操殿の作ろうとしている世は、新たに能力による差別を生むことでに繋がるのではないか?」

 

 訝しげな表情で孫権が問う。

 確かに曹操の話は正論だ。儒教に偏った価値観や、縁故主義のもたらす害悪については理解できる。当人の実力を正当に評価することの必要性は、為政者の一人として孫権も痛感していた。

 しかし、逆に考えれば曹操の作る世は『実力』、『才能』、『能力』という基準の下でしか人を測れない社会なのではないだろうか。

 

「ふふ、流石は孫仲謀。貴女の指摘は実に的を得ているわ。恐らく私の理想に欠点があるとすれば、そこでしょうね。」

 

 意外なほどあっさりと、曹操は己の理想、その欠点を認めた。

 しかし、曹操はその矛盾を求めた上でなお揺らぐことなく、臆することなく自論を述べる。

 

「それでも、私はこれに勝る社会構造は無いと思う。人は、当人の能力に見合った権限・責任を負うべきよ。適材適所……元の発想自体は昔からある、ごく当たり前の事よ。

 反対に聞くけど……平等の為に、本人の実力以上の重荷を押しつけることが、果たして正しいと言えるのかしら?然るべき才能を持たぬ者が高位に就けば、どれだけ甚大な人災が社会にもたらされるか、知らないはずはないでしょう。」

 

 差別を是正しようと極端な平等政策をとれば、地位と能力のギャップによってむしろ害をもたらす事の方が大きい。社会的弱者の救済・差別是正措置が逆差別に繋がってしまうことは珍しくない。

 そして社会全体の厚生を考えれば、やはり才ある者に国を引っ張ってもらうのが最終的には最も効率が良い方法だろう。為政者の資格はただ一つ、その統治能力だけなのだ。

 

「……そのために、覇道によって天下を目指すと?」

 

「然り。どの道、荒廃したこの国は誰かが再生させなければならない。その過程が多くの犠牲を生み出す事もまた避けられないでしょう。

 ならば、例え後世に汚名を残そうとも、他を圧倒する『力』で犠牲と被害を最小限に抑えつつ、この国を立て直す。最速で、最短で。そして最大の効率で天下を統一してみせる。」

 

 僅かな迷いすら見せず、曹操は堂々と己が信念を述べた。同じ為政者として通じるものがあったのか、孫権も納得したように深く頷く。彼女は曹操と違って天下を取ろうという気こそ無いものの、国を治める手法や目指すべき目標には深く共感できるものがあった。

 

 語るだけの聖人に意味は無く、理想だけの王には国を統べる資格は無い。確固たる『力』が無ければ何をなす事も出来ぬ。『力』で他者に己が正しさ証明して、初めて正義は認められるのだ。結果至上主義の劉勲にしても、曹操の意見には異論はない。

 だが、隣で曹操の話を聞いていた劉備はその限りでは無かった。

 

 

 

「……私は、曹操さんのやり方は間違っていると思います。」

 

「我が覇道を否定するか……。されど、貴公が覇道に匹敵する道を示すというならば、是非も無し。故に劉玄徳、そちらの胸の内を聞かせてもらおうか?」

 

 冷たさと、それ以上の興味を瞳に同居させ、曹操が劉備を見据える。その鋭い視線に劉備がたまらず委縮する。だが、やがて意を決したように曹操に向かって、自らの見解を語り始めた。

 

「力で他者を屈服させても、それは相手を本心から屈伏させることはできません。そんな強引な方法では例え平和が得られても、それは単なる恐怖による支配です。力で抑えつけられた人達が、いつまでも黙っているはずありません。」

 

 劉備は語る。真の平和の為には武力や財力、権力といった『力』ではなく、民の支持を得る事が重要であると。国とは領土でも体制でも無く、ましてや武力や金でもない。その国に住む人々、その一人一人こそが国。正しく国を治めるには人々が心からその国、王を慕うようにならねばならぬ。

 ならば王者とは、徳によって純然たる仁政を行う者。真の王とは武でも利でもなく、仁義によって国を治めるべきであると。

 

「そう……覇道では一時の平和が得られても、恒久的な平和は得られない。かつて孟子が語ったように、『覇道』では無く『王道』で国を治めるべきだと、そう言いたいのかしら?」

 

「はい。曹操さんの目指す世の中そのものは、私も間違ってはいないと思います。わたしも今の世の中には、変えていかなきゃいけない事がたくさんあると思うんです。

 ただ、その為の方法……力で屈伏させるというやり方には納得できません。それでは、人々が笑顔で幸せに暮らせる国は作れないと思うんです。」

 

「では、どうすると?」

 

 試すような口調で問いかけてきた曹操に、劉備は譲れぬ信念と決意をもって切り出した。

 

「みんなで……話し合うんです。しっかりと話し合って、お互いの事を分かり合うんです。」

 

 

 だが――いや、想像通りと言うべきか。曹操の口から洩れたのは失笑と、軽い失望の声だった。

 

 

「まさか……今時そんな世迷言を言う人間がいるとはね……」

 

 そう言った曹操の口調には一抹の憐憫と、微かな苛立ちが出ていた。劉勲は声こそ上げてないものの、嘲りに満ちたクスクス笑いを止めようともしない。孫権ですら、劉備を見つめる目には悲しげな憂いの色があった。

 

「世迷言なんかじゃありません!わたしは、人が話し合いで分かり合えると信じています!」

 

 劉備は思わず大声を上げて叫ぶ。

 

「確かに、わたしの言ってる事は無謀なのかもしれません。この戦乱の世では話し合いだけじゃなく、闘わなければいけない事も多いと思います。わたしの理想が口で言うほど、楽なものではない事も分かっています。

 でも、それでも……諦めずにみんなで話し合っていけば、きっとお互いに分かり合えると思うんです!」

 

「なるほど……劉玄徳、貴女の話は分かったわ。その理想の正しさ、素晴らしさも認めましょう。

 もしも貴女が、貴女の語った通りの国を作る事が出来たなら、それは恐らく私の作る国よりも立派な国になるでしょうね。人を信じて、みんなで話し合って、誰もが笑って平和に暮らせる世界。

 この曹孟徳が覇道を以て作り上げる国よりも、そちらの方がずっと民にとって住みやすいでしょう。」

 

「なら……!」

 

 

「ただし――――そんな国が、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 静かな、落ち着いた厳かな声。怒るでもなく、嘲るでもなく、曹操は劉備に向かってただ諭すように告げる。

 

「貴女の言う、“誰もが笑って平和に暮らせる世の中”を作ろうとした王は過去にも何人かいた。でもね、その全員が他の人間の悪意によって理想を阻まれた。誰一人として成功せず、そして長続きはしなかった。そう……ただの一人もよ。」

 

「そ、それは……」

 

「現実をもっと見なさい、劉備。貴女の話は確かに、理想としては正しいでしょう。

 だけどね、理想はあくまで理想でしかない。為政者が理想を無視した統治をすれば国は乱れる。けれど、現実を無視した理想を求める為政者……無能な働き者も、同じくらい国を乱すものよ。いいえ、むしろ進んで間違いを犯す分、今の宮中に巣食う無能な怠け者よりタチが悪い。」

 

 儒学や道徳に基づいた、理想の素晴らしさの全てを否定するわけでは無い。今が太平の世ならば、王道は覇道に勝るかもしれぬ。

 だが、今は戦乱の世だ。平時には平時の、非常時には非常時の対応という物がある。理想、対話、相互理解――そんな生易しいモノで乱世を鎮める事が出来る、と言い切れるほど、曹操は人間を信用しきれていなかった。

 

「一時の情に引きずられ、必要な悪手を打たねば、最終的にはもっと多くの人が犠牲になる。為政者はむやみに力を使ってはならない。でもそれ以上に、必要ならば力を使わねばならない『義務』があるのよ。」

 

 世界は綺麗なだけでは立ち行かない。必ず誰かが、汚れ仕事を請け負わねばならない。民を統べる為政者のとして、この国の未来を担う者の一人として。曹操は与えられた力を、必要に応じて躊躇なく振るう覚悟を背負っていた。

 

 間違った使い方をする事も、使わないという選択も許されない。必ず、()()()使()()()()()()()()。なぜなら覇王の力は、天より曹孟徳へ与えられた祝福であり――同時に呪いでもあるのだから。

 

 その小さな体に背負う覚悟は……ただひたすらに、重かった。

 

 

 今度こそ、本当に劉備は黙らざるを得なかった。この数刻にも満たない会話で折れるほど、己の理想に懸ける想いは軽くはない。己の理想が間違えているとも思っていない。戦乱の犠牲になっている、弱者を救わねばならないのは事実。

 だが今の自分では曹操の“正しさ”に反論する、明確で論理な根拠を持っていない事もまた、事実なのだから。

 

 

「あははっ、あんまり責めるのも可哀想だし、この辺で許してあげれば?このままだと曹操ちゃん、唯の苛めっ子になっちゃうわよ?」

 

 薄笑いを浮かべながら、劉勲がたしなめるように言った。

 

「ごめんなさいね、劉備ちゃん。この子も悪気があってワケじゃないの。ちょ~っとだけ、言い方がキツイかもしれないケド、普段はもっと思いやりと慈愛が体中の毛穴と言う毛穴から溢れ出してる優しい子だから。」

 

「あ……はい……」

 

「そんなに落ち込まなくても大丈夫よ。アタシは劉備ちゃんのコト、ちゃんと応援してるから。」

 

「……そう言えば、まだ貴女達の意見を聞いていなかったわね。孫仲謀、貴女はこの国の行く末をどう考える?」

 

「え!?またアタシの事は無視ですかー?おぅーい、アタシの話も聞いてってばぁ!」

 

 劉勲の悪意あるフォローの意匠返しかは不明だが、曹操はまたもや劉勲を無視して孫権に問いかける。

 二度も無視したなー、と手を振りながら存在をアピールする劉勲を敢えて脇に押しやり、曹操は孫権を見つめた。

 

「私か?それならば……劉勲どのと一緒(・ ・)であるはず(・ ・)だ。」

 

 横目で劉勲を見ながら、孫権は慎重に言葉を選ぶ。いくら口先だけとはいえ、劉勲に孫家を取り潰す口実を与える訳にはいかなかった。

 

 

「じゃあ、劉勲の意見も聞かせてもらいましょうか。」

 

「“じゃあ”って何よ、“じゃあ”って……。あーあ、また人をどーでもいい雑誌の付録みたいに扱ってさー、いくらなんでも態度が違い過ぎない?ウサギは寂しいと死ぬんだよ、知ってた?」

 

「貴女はそんな可愛らしい生き物でもないでしょうに……」

 

 仮に劉勲を動物で例えるなら、毒蛇とか古狐あたりが妥当な気がする。加えて言うとウサギが寂しいと死ぬというのは迷信らしい。飼い主が相手をせず、餌や掃除などの管理をしていないのが直接の原因だとか。

 

「まぁいいわ。アタシの心は山よりも高く海よりも深いから、ちっこい後輩の軽挙妄動2つぐらいは多めに見てあげよう。この余裕こそがオトナの女の包容力、そして色気を醸し出すのだよ。分かったかしら、曹操ちゃん?」

 

 劉勲は微妙な大きさの胸元を強調するように腕を組んで、年上の魅力を見せてやると言わんばかりに蠱惑的な眼差しをする。とはいえ、実年齢はせいぜい20歳前後で、そこまで年上と言う訳では無い。

 

「あら?私はてっきり、劉勲は包容力のある男性に守って欲しい系だと思っていたのだけど……?」

 

 唐突に投げられた曹操の言葉に、その場にいた全員の注目が集まる。各々が“パッと見でドSっぽい劉勲にしては意外…でも割ギャップがあってアリかも”的な失礼極まりない妄想をする中、当の本人が声を震わせながら突っかかる。

 

「はぁ?アンタ、何言ってんのよ!?いつ、どこでアタシがそんなコト言ったのよ!?」

 

「覚えてない?洛陽で一緒に学んでた頃、漢詩の授業で……」 

 

「わーーーーー!あーーーーー!」

 

「“いつもアナタは、遠くを見てる――”……って、うるさいわね。今思い出してるんだから黙ってて。」

 

「思い出さなくていいわよっ!つーか、なに人の黒歴史勝手に公衆の面前でぶちまけてんのよ!この鬼っ!人でなしっ!アンタみたいな×××なんて……!」

 

「確か、次の一節は“こんなに近くにいるのに、目の前のアタシには――”」

 

「……ごめんなさいスミマセン、もう二度といたしません……。お願い、謝るからもう止めてよぉ!」

 

 “ひでぇ……”

 反ベソ状態の劉勲に対し、曹操を除いた全員から憐みの視線が注がれた。正直、昔詠んだポエムを人前でバラされるとか恥ずかし過ぎる。ついでに言うなら劉勲のポエムの中に出てくる“アナタ”が誰なのか、かなり思い当たる所があったのだが、流石に可哀想だったので言及する者はいなかった。

 

「ぜ、全部アタシが悪かったんです……だからどうか、これ以上思い出さないで下さい……もう許して……」

 

 どこか虚ろな目で懇願する劉勲に憐憫の情を覚えたのか、一言“仕方ないわね”と苦笑した後、ようやく曹操は話を戻した。

 

 

「あー、私も少しやり過ぎたみたいね。ごめんなさい、劉勲。昔話は終わりにしましょう。」

 

「……うん……」

 

「じゃあ……話を戻して、貴女の意見を聞かせてちょうだい。貴女はこの国をどう変えるつもり?」

 

「曹操ちゃんは切り替えが早くていいわね……知ってたケド。

 まぁいいわ。アタシの考えを言ってやろうじゃないの。そうね……ぶっちゃけ、変える気なんて無いわよ?」

 

「……変える気が、無い?」

 

 僅かな俊巡の後、ようやく口を開いた曹操の顔には困惑の色があった。

 

「そ。もし漢王朝が倒れて本格的に乱世が始まれば、どうなると思う?支配者層が消えれば秩序は維持できなくなり、下剋上を目指す人間が現れる。数多の町が焼かれ、数多の民が命を落とし、際限の無い争い――万人の、万人に対する闘争が生まれるわよ。」

 

「その程度は分かっているわ。だとしても、貴女は今の歪んだ中華の現状を見て、何とも思わないの?

 多数の民の為に少数の人間が犠牲になるのではなく、少数の人間の為に多数の民が犠牲になる現状で良いと?」

 

 

「いいんじゃない?」

 

 

 あっけらかんと、何の躊躇いもなく、劉勲は現状を肯定した。

 

「逆に聞くけど……天下を変えたら、それは必ず“良い”方向に向かうのかしら?そんな保証があるとでも?」

 

 ある――と即答することは出来なかった。自分が引き起こす改革が100%良い方向へ向かう、などと抜かせるほど曹操は自惚れていない。人間なら誰しも、間違いの一つや二つは犯すだろう。劉勲の指摘通り、何かの拍子に全てが歪んでしまう危険性を、曹操の覇道は孕んでいた。

 

 強力な軍隊、厳格な統制、強いリーダーシップ。すなはち、圧倒的なまでの『力』――それは正しく使われれば最高の効率で、乱世を瞬く間に平定出来るだろう。曹操というカリスマ的指導者に率いられた曹操軍は、まるで一つの精密機械のように機能する。

 その正確性、効率性は、対話を説く劉備などとは比べ者にならないほどだ。

 

「曹操ちゃんの有能さは認めるけど、そこまで信用できないのよ。国をたった一人の人間に賭けられるほどには、ね。」

 

 だが、一人の人間に支えられた組織は、それが弱点にもなり得る。全体主義などがその最たる例であろう。最高の専制政治は最高の民主政治に勝るが、最低の専制政治は最低の民主政治よりも凄惨なものと化す。

 

「ねっ、劉備ちゃん?」

 

「ほえ?」

 

 唐突に話を振られ、思わず間抜けな声を上げてしまう劉備。だが、劉勲はそんな彼女を愛でるように見つめ、邪気に満ちた笑みを浮かべる。

 

「劉備ちゃんだって――本当は曹操ちゃんのコト、信じられない(・ ・ ・ ・ ・)んでしょ?違うかしら?」

 

「そ、そんな事っ……!」

 

 ――ありません、そう言おうとしても言葉が続かない。口に出そうとした瞬間、劉備の頭でストップがかかる。とっさに劉勲の言葉を否定出来なかった事実に、他ならぬ劉備自身が一番驚いていた。

 

「あら、違うの?目指す世界は一緒なのに曹操ちゃんを否定し、あまつさえ軍事力で対抗しようとしている。“人々が笑顔で幸せに暮らせる国”とやらを作りたいなら、曹操軍に加わるのが一番手っ取り早いことぐらい、アナタだってわかるでしょ?」

 

「ち……違うよ……わ、わたしは……ただ……」

 

「おい、待てよ!だから、その為の方法が……!」

 

 打ちのめされた劉備を見かね、隣にいた一刀が反論しようとするも、劉勲はそれを遮る。

 

「方法が違う、ねぇ?なら、曹操ちゃんの軍に入って、抑え役にでもなればいい話じゃない。実際、為政者としての能力は曹操ちゃんの方が上だって事は認めてるワケだし、“話し合い”で曹操軍内部から変えてった方がずっと効率的だと思わない?」

 

 曹操と劉備、二人の目指す未来に対して違いは無い。あるとすれば、そのプロセスのみ。だが、それならば劉備が曹操軍に入って「話し合い」で解決するように説得すれば済む話なのではないか?むしろ劉備の方が能力的に劣っている分、曹操の考えを変えた方が目標達成には近道だろう。

 にも拘らず、わざわざ――

 

「――わざわざ、別の軍隊を持って、戦争して、人を殺したり、殺されたりする必要まであるのかしら?」

 

「っ!……それは……」

 

 劉備軍の抱える、本質的な矛盾。戦を嫌っていながら、話し合い・相互理解による解決を望んでいながらも、結局は武力に頼らざるを得ないというジレンマ。

 その事には薄々気づいていたし、劉備自身も何とか理想と現実のギャップを埋め合わせようと努力を重ねていたはずだった。しかし、ここまで真っ直ぐに率直に指摘されると、とっさに返す言葉が見つからない。

 一通り劉備を揺さぶって満足したのか、劉勲は再び曹操へ話しかける。

 

 

「えーっと、ちょっと話しが横道に逸れ過ぎちゃったかな?

 ま、劉備ちゃんが曹操ちゃんを信用してるかはともかく、アタシは華琳ちゃん――というか一人の人間を、そこまで信じられないの。人間という弱い生き物の移ろい易さ……それを知ってるからこそ、たった一人に全てを賭けるような博打には乗れない。」

 

 良くも悪くも、曹操の覇道というものは結局、曹操という一人の人間に全てが収束している。仮に曹操が何かの拍子に暴走すれば、曹操軍は瞬く間に修羅の軍勢と化すだろう。なまじ曹操が優秀であるため、下手をすれば宦官や董卓を超える、史上最悪の暴君を生み出す事に繋がりかねない。

 

「言いたい事は分かったわ、劉勲。そうね、私も完璧じゃない。所詮はただの人間だから、間違いも犯す。

 ただし、このままだと間違いなく――この国は滅びるわよ?」

 

 何もせずに見ているだけでは状況は悪化する一方だろう。政治は乱れ、軍は弱体化し、民は大いに疲弊している。日に日に国力が衰退していることなど、少しでも学を修めた者なら誰でも分かる事だ。

 

 

「だからこそ――――世界を止めるのよ。」

 

 

 多少の変化は必要かも知れないが、国そのものを変化させる必要はない。根本的な改革には大きなリスクが伴う。それよりも現体制を維持し、秩序を回復させる事こそが重要。もっと安全で、より確実な方法をゆっくりと。それが劉勲の考えだった。

 

「確かにこの国は歪んでいるわよ。腐って、所々壊死し始めている。アタシの作ろうとしている停滞の時代では嘆きの数も、苦しみも、犠牲者も全部……減る事は無いでしょうね。」

 

「それが分かっているなら、なぜ――!」

 

 

「――だけど、世界が止まったままなら……これ以上増える事も無い。」

 

 

 未来は現在よりも悪くなるかもしれない。例え今日が人生最悪の日だったしても、明日その記録が更新されないとは限らないのだ。だからこそ時間の針を、歴史を止める。世界を、時の流れを、黄昏の中に縛り付ける。消極的では無く、“積極的”に停滞の時代を作り出すのだ。

 

「それにね、例えどれだけ現実が厳しかろうと、まだ人はこの大地で生きてゆける。惨めに這いつくばって、不様に泣き喚いて、必死になって他人を蹴落として。正直、仁義も誇りもあったもんじゃないわ。

 でも、それでも人は現実に立ち向かいながら、死に物狂いで生きようとしているのよ。こんな腐った世界でも……然るべき対価を払えば、望む物を手に入れられるから」

 

 等価交換――何かを得る為には、別のものを犠牲にせねばならぬ。さもなくば手に入れたモノから、取りこぼすだろう――それはかつて劉勲に与えられた、呪いの言葉だ。

 

「誰もが血の滲むような努力をして、醜態を晒して、騙されたり裏切ったりながら……熾烈な競争と犠牲の果てに、望みは叶う。少なくともアタシはそうやって、今の地位を手に入れた。だから――」

 

 劉勲は吐き捨てるように、嫌悪するように、だが誇らしげに笑う。それは決して聖女や、英雄の見せる気高く高潔な笑顔では無い。自ら望んで堕ちて、穢れて、それでもなお現実に抗い続けた、一人の人間の笑顔だった。

 

「――世界を変える事は許さない。目指す目標は、『勢力均衡』による現状の維持。アタシは金と権力、欲にまみれた亡者を操り、意のままに従える。」

 

 契約の主にして、等価交換の虜。この世の全てが差引ゼロ――相手が光を集めるならば、闇を束ねる影の王こそが己に相応しい。

 

「アナタ達の進む道は……このアタシが阻んでみせるわ。」

 

 劉勲は口元に凄絶な笑みを湛え、挑戦するように告げる。それが劉子台から三国の英雄に送る、宣戦布告の合図だった。 

    




 なんか書いてる内にどっかの聖杯問答みたいなノリになってしまった……。
 新しい国を作るでもかつての漢王朝を復活させるでも無く、勢力均衡で現状維持が目下の劉勲さんの狙いです。曹操さんとか劉備あたりの邪魔をして気を引きたいわけではない……たぶん。おそらく。メイビー。

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