真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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35話:終わらぬ呪縛

   

 ――南陽群・宛城

 

 

 袁術陣営の本拠地でもある、この城に設けられた書記長専用の執務室は、その権力の大きさを表すかのような優雅なつくりになっており、高級なオフィス用品が置かれていた。

 

 部屋の主、書記長・劉勲の一日はまず、この日例報告を聞くことから始まる。国家保安、国防治安、外務開発委員会等によって大陸中から収集した情報の報告が行われ、外交・軍事・政治・経済情勢を検討するのだ。

 

「ふわぁ~……眠い……。つーか、メッチャだるいわ……」

 

 愚痴と共に大きなアクビをしつつ、劉勲は机の上の書類をめくりながら、情報を収拾すると共に要点を整理してゆく。馬騰との同盟や洛陽会議まではよかったが、本拠地である南陽群に戻ってからが大変だった。宛城に戻って疲れを癒す間もなく、洛陽に出向いていた“出張組”には、不在中に溜まっていた業務を一気に処理する羽目になったのだ。

 

 その上、最近では経済成長にも陰りが見え始めている。これは商人を権力基盤とする劉勲はもちろん、袁術陣営の幹部全員にとって見過ごせない事態だ。経済の現状分析から原因探しに解決策、そしてそれを実行する為の根回しといった作業を、書記長は政治外交と同時並行で進めねばならない。 

 となれば当然、劉勲の仕事も増える。

 

 

「なんでアタシがこんな朝早くから……。書記長ってエラいハズなのに……書記長ってフレックスタイム制のハズなのに……」

 

 一応、書記長自身の労働時間は「本人の自由」となっている。とはいえ、結局は他の部署とのミーティングやら会議やらを多数こなさねばならない為、それに合わせて朝早くから出勤せざるを得ない。オーバーワークを回避するべく、重要度の低い案件はまとめて賈駆辺りに丸投げ(研修やらOJTは無く、新人だろうが中途だろうが全て即戦力扱い)しているが、それでも何だかんだで忙しいのだ。

 

 

 

「――その様子だと随分疲れてるみたいね、劉勲。」

 

 呆れたような声と共に、賈駆がノックもせず執務室に入って来る。

 

「……なぁんだ……ただの賈駆か。で、何か用?」

 

「やる気薄っ!?……っていうか、『ただの賈駆』って何よ、ただの(・ ・ ・)って!」

 

 袁術陣営に加入して以来、賈駆は順調に出世している。董卓が西涼太守だった頃から、その統治を実際に支えていたのは賈駆であったし、一時は漢帝国の首都である洛陽の運営を取り仕切った事もある。最初こそ「元董卓軍の造反者が何の用だ?」という目で見られていたものの、優れた知力と組織運営の経験を生かして活躍し、次第に袁家主要メンバーの一人に数えられるまでになっていた。

 

 

「で、報告事項だけど……ボクが調べたところ、南方と西方の諸侯には特に大きな動きは無いわ。

 せいぜい馬騰さんが異民族との協調路線を推進した事で、不満を持った国粋主義者が朝廷に根も葉もない告発をしているぐらいよ。朝廷を牛耳っている曹操は気にも留めてないようだけど。」

 

 ちなみに賈駆のポストは『国家保安委員会』議長、つまりはスパイの元締めだ。かつて魑魅魍魎の跋扈する宮中を生き抜いた経験を買われ、現在では諜報分野で辣腕を揮っていた。

 

 賈駆は他の書類もめくってみるが、特に問題となるような事件は報告されていない。南の劉表は相変わらず中立堅持で内政に力を注いでるし、劉璋もこれまでと変わらず至って無難に益州を統治。西涼でも、馬騰の融和政策によって徐々に異民族とも打ち解けつつある。

 

(月、それにみんな……無事でよかった) 

 

 報告書を読み上げながら、命の恩人とも言える馬騰と、そして離れ離れになった大切な親友達の無事に安堵する。

 

 

 

「ねぇ賈駆、北の方はどうなの?」

 

「北、北は……遼東太守の公孫度が、幽州牧の公孫賛と争ってるみたい。遼東郡は高句麗にも近いし、公孫賛の影響も殆ど及んでいないわ。」

 

 公孫賛は遥か北方の地・幽州を手に治める、列強の一員だ。辺境地だったのが幸いしてか中央政治の混乱や黄巾党の影響が少なく、国力も比較的安定している。

 問題は優秀な部下が少ない事で、公孫賛本人と客将の趙雲ぐらいしかリーダーをこなせる人材がいない。趙雲は異民族討伐で忙しく、公孫賛は袁紹と争っているためにイマイチ遼東を平定できずにいた。

 

「今のところ、公孫度が遼東だけで満足しているのが唯一の幸運ね。向こうもそこまでバカじゃないってことかしら」

 

「う~ん、むしろ高句麗を気にしてるんじゃない?下手に公孫賛と争ったら背後からザクッとやられるかもだし。」

 

 助かった~、と息を吐きながら、劉勲は両手を組んで伸ばす。洛陽体制はそれなりにうまく機能しているようだ。

 だが、賈駆はそれはどうかしらね?とばかりに眼鏡をかけ直す。

 

「……安心するのは早いわよ。むしろ問題なのは東方の青州。州牧の孔融が、領内の袁紹派と公孫賛派による対立を抑えきれてないわ。このままだと最悪、3州を巻き込んだ戦争になるかもしれない。」

 

 どさり、と大量の書類が劉勲の机に置かれる。

 

「うげ………」

 

「ここに適当にまとめておいたから、今日中に読んどいて。」

 

「ぐっ……、なんでどいつもこいつも問題ばっか増やすのかしらねぇ!?戦後処理と景気対策だけでアタシもう一杯一杯なのよ!?」

 

 机の上に置かれた紙の束を忌々しげに睨みつけ、舌打ちしながら毒づく劉勲。

 

「じゃあ、ボクに任せてみる?ボクとしてはそれでも構わないけど?」

 

「賈駆ぅ~……アンタ、アタシが“よっしゃ、任せたわよ!”とか言えないコト知ってて言ってるでしょ?」

 

 いくら袁家に鞍替えしたからといっても、賈駆はもともと董卓軍の幹部だ。そう簡単に信用する訳にもいかず、彼女が行動するには劉勲のサインが必要となっている。

 

「ええ、知ってたわよ。知ってて嫌味で言っただけ。」

 

「~~~っ!」

 

 劉勲は苛立たしげに唸り、悔しそうに手に持った筆をぎゅっと握り締める。

 

「どこかの人間不信さんがもう少ぉーし信用してくれれば、それだけで作業効率だいぶ上がるのに勿体ないわねー。この前、ボクを“親愛なる同志賈駆”って呼んでくれたのは何だったのかしらねー。」

 

「くッ……、このメガネはまたネチネチと薄っぺらい正論を……!」

 

 

 何はともあれ、洛陽会議から2年……その間に青州情勢は不安定し、劉勲に重くのしかかっていた。

 

 元々青州の諸侯は主に袁紹派と公孫賛派に分裂しており、洛陽会議では比較的中立寄りの孔融を青州牧とすることが決定されていた。しかしながら上記の理由により、両者の仲を取り持たねばならない孔融は強いリーダーシップを発揮できず、黄巾党の動きが再び活発化してしまったのだ。

 

 更に青州の動乱を利用せんとする袁紹派と公孫賛派による、水面下で権力闘争までもが激化。抗争は北方にまで及び、并州でも両派閥の間で激しい駆け引きが行われる始末だった。

 そのうえ冀州から并州にかけて、黒山賊と呼ばれる反政府勢力が蜂起し、公孫賛陣営と結託。冀州を治める袁紹陣営と激しい争いを繰り広げており、勢力均衡を国是とする袁術陣営にとっては目が離せない状態であった。

 

 

 

「同志書記長、ご報告申し上げます。」

 

 そんな中、一人の部下が報告に現れる。

 

「あら、こんな時間に何かしら?」

 

「はっ。先ほど孫家から使いの者があり、どうしても同志書記長に紹介したいという人物がいると……」

 

 伝える方もよく内容が分かっていない、部下の様子からはそんな事情が推測できた。

 

「はぁ?何考えてんのよアイツら……。何なの?仕事に追われるアタシに対する新手の嫌らがせ?」

 

「なるほど、そういう手もあったわね……。ボクも今度やってみようかしら?」

 

「……アナタ、絶っ対まだ洛陽でのコト恨んでるでしょ?ていうか、ぶっちゃけアタシ嫌いでしょ?」

 

「うん」

 

 堂々と本人の目の前で黒い本音を漏らす賈駆。しかも間髪入れず、きっぱりと。

 

「サラッとそーいうコト言わない!薄々気づいてたケド!でもせめて迷う素振りぐらいは見せてよ!?」

 

「人間、素直が一番よ。」

 

「うっさい!……つーかもう帰れ。業務妨害だからいい加減にかーえーれー!」

 

 劉勲はそこはかとなく悲しい言葉で喚きながら、賈駆を部屋から追い出す。

 

 

「……で? まさか本当に孫家の嫌味だったりしないでしょうね?」

 

「いえ……何でも優秀な人物なので、同志書記長に会わせたいと。去年から孫家に雇われたらしいのですが、履歴書を見る限り書類処理には稀有な能力を有しているそうです。

 また、ご本人にも話を伺ったところ、大胆にも副官の地位を希望しているそうです。」

 

「副官、ねぇ……ますますワケが分からないわよ。面会と見せかけた暗殺――にしては杜撰すぎるし……。かといって文字通りの意味に受け取ろうとしても、『優秀な人物』とやらをアタシの副官に推薦して孫家に何のメリットが?」

 

 

 いぶかしむ劉勲だったが、ひとまず会見を許可する。孫策はともかく、孫権や周瑜辺りが嫌らがせでこんな事をするようには思えない。必ずや何か別の理由があるはずだ。

 

「……一人で考えててもしょうがないか。とりあえず、その孫家の回し者を部屋に入れてあげて。」

 

 実際、興味が無いわけでは無い。むしろ、あの生真面目を絵に描いたような連中が『どうしても』と頼むぐらいだから、気にするなという方が無理な相談だ。

 しばらくすると一人の背の高い、整った顔立ちの男がいくつもの書類を抱えて現れた。

 

 

 

「初めまして、同志書記長閣下。本日はお忙しい中、私のような者の為に貴重な時間を割いて頂き、恐悦至極に存じます。」

 

 男はそう言って恭しく一礼する。細かな仕草の一つ一つにも気品が感じられ、劉勲には相手が自分と同じ、いやそれ以上の上流階級出身であることを瞬時に悟った。

 

「ご機嫌よう、劉子台ですわ。僭越ながら、袁家で書記長を務めさせていただいております。」

 

 営業スマイルを顔に張り付かせ、慇懃に返す劉勲。制服の襟を大きく開け、胸元を強調するように腕を組む。

 

「それで、本日はどのような用件で?一応話は聞いておりますけど、出来れば本人の口から明言して欲しいもので。」

 

 劉勲は口調こそ穏やかなものの、内心では警戒を隠せないでいた。てっきり孫家の中から誰かが派遣されたのかと思っていたが、目の前の男が纏う雰囲気は全くもって孫家らしくない。

 

 

「伝令の方に伝えた通りです。この私を、貴女の下で使っていただきたい。」

 

「どうしてかしら?」

 

 劉勲には曹操や孫策、劉備等と違って人間としての魅力はさほど無い。英雄の器でも無いし、まさか黄巾党相手にワイロ渡すような人間に、天命を感じた訳でもあるまい。

 

「おや?理由など、言うまでも無いと思ってましたが……かつて三公を輩出し、中華にその名を轟かす名門袁家。若くしてその頂点の一角を占められた、才色兼備の女性に仕えたいと思う理由など、改めて一つ一つ挙げる必要があるのでしょうか?」

 

 だが、彼女には名門袁家における地位とコネ、財力、そして権力がある。それは非常に俗な力かもしれないが、同時に平凡な(・ ・ ・)人間が強く求める力でもあるのだ。

 そう、世の中は非凡な英雄だけで成り立っているのではない。「天命」「世直し」「忠義」「平和」等といった理想に燃える余裕(・ ・)のある人間など、本当に一握りに過ぎない。

 

「貴女の元に仕え、その富の欠片でも頂けたら、と。私のような矮小なる人間には、袁家の誇る資金力と支配力、その類の圧倒的な『力』が、とても眩しく思えるのですよ。」

 

 多くの人間はその日を生きる為に、金・コネ・地位を必要としている。そういった『普通の人間』は名門袁家という『分かり易いブランド』に憬れ、惹かれ、その看板の下に集う。袁家の者が事ある度にに「名門袁家」を引き出し、盛大な宴会を開き、豪奢な衣装に身を包めば、それだけ民衆の羨望もまた集まる。

 表向きは袁家の派手な行動に眉を潜めつつも、やはり内心ではゴージャスな生活に憧れているのだ。

 

 

 

「まぁ、理由としては至極在り来たりね。不審でも無ければ、とりわけアタシの関心を引くものでもない。出来れば、もう一押し欲しいわね。キミ、何か特技とか実績とかある?」

 

 目の前の男がそれなりに教養のあり、家柄も高い人物である事は既に察している。だが、それだけではいそうですか、と採用する訳にもいかないのだ。

 しかし男の方はというと、困ったような表情で劉勲に問い返す。

 

「残念ながら、先の戦役で身元を保証するモノは残っていないのです。一先ず採用していただき、どうしてもお気に召さないようでしたら、解雇するなり処分するなりして頂けませんか?」

 

「へぇ、一応命がけで仕えようという度胸はあるんだ。……でもお断り。どうしても仕えたいんだったら、普通に面接でも受けて就職してから人事部に頼んで回してもらえば?アタシからも推薦状、書きましょうか?」

 

 男の持つ書類をちらっと見て、劉勲がおどけるように言った。二人の視線が一瞬、絡み合う。男は苦笑すると、もう一度息を吸って言葉を返した。

 

「お心遣い、感謝いたします……ですが、結構です。

 仰るとおり、普通なら地道に出世していくべきなのでしょう。ですが私は欲深い人間でしてね……今すぐにでも袁家の威光、その残光でも手に入れたいのですよ。そこで、こんなものはいかがでしょうか?」

 

 男は手に持った紙の束から、一綴りの束を手にとって劉勲に渡す。そこには彼が考え得る限り、劉勲が喜びそうな情報が書かれている。一枚、二枚とめくってから、劉勲はゆっくりと顔を上げた。

 

 

 

「これ、朝廷の有力者の汚職一覧よね……?」

 

 そこにびっしりと書かれていたのは、この世の全ての犯罪を載せたのではないか、というぐらい多種多様な汚職のリストだった。ある意味国家機密に等しい重要情報であり、どの諸侯も喉から手の出るほど欲している情報だった。そしてそれは劉勲とて例外では無い。交渉の基本は、常に相手の望む物を提供する事なのだ。

 呆けたような劉勲の呟きに小さく頷くと、男は残念そうに溜息をついた。

 

「はい。私はもともと、宮中で役人をやっていましてね。真に遺憾ながら、今の漢王朝にはこんなにも汚職が蔓延っている。

 名士への歓待費用、外戚への莫大な不正献金に、宦官に対する賄賂、それと諸侯の買収費用……収賄だけでもこの有様です。それに加えて脱税、脅迫、略取、誘拐、横領、通貨偽造とキリがありません。ですが……」

 

 たかが情報、されど情報。文字にすればたった一行すら無い情報を集める為に、何人もの人間が命を落とした。それを今、自分は目の前の女に渡そうとしている。それは若き日の自分と仲間達が血眼で集めた、虎の子の情報の結晶だった。

 

 

「……貴女なら、有効(・ ・)に使ってくれるでしょう。」

 

 後悔は、無い。かつて董卓軍に洛陽が占領された時、この紙切れは何の役にも立たなかった。純然たる力を持つ剣の前では、筆の力はそこらの棒切れと変わらなかったのだ。

 

「これでもまだ、不服でしょうか?」

 

 

 

 劉勲はしばらくの間無言だった。

 確かにこの情報は非常に有効だ。本音を言えば、このまま採用してもいいと思えるほどに。だが、まだこの男は何かを隠している。

 何となくそんな雰囲気を感じた劉勲は、まずは在り来たりな正論を口にした。

 

「いやぁ、本音を言えばアタシもこの場で即採用してやりたいわね。

 ただし……アタシにも立場ってモンがあるのよ。袁家の中枢に位置する人間が身元の不確かな人間をその場で採用する事が、どれだけ厄介なのか分かって言っているのかしら?」

 

 抜け目なく、値踏むように視線を送る劉勲。相手の全てを搾り取るかのような姿は、まさしく高利貸しのそれ。

 

 だが、次に男から帰って来た答えは、劉勲の予想を超え――それでいて彼女の関心を喚起するには、必要以上に効果的なものだった。

 

「ここに――」

 

 抑揚のない声で男はそう言い、懐に手を入れる。思わず暗殺を警戒して身構える劉勲だったが、男の懐から出てきたのは剣でも無ければ暗器でも無い、一通の上質な手紙だった。

 

 

「――孫家当主・孫伯符ならびに孫家筆頭軍師・周公瑾、両名の直筆の推薦状が。」

 

 

 そこには孫策、周瑜が自分で書いたであろう署名と、男の身元を保証する旨が書き込まれていた。はっきりと印鑑も押されており、孫家公認の推薦状である事は一目瞭然だった。

 

「私の事は別段、信じて頂けなくても構いません。ですが――」

 

 続く男の言葉が、劉勲に決断を迫る。

 

 

 

「――私を信じる、孫家のご両名……彼女らの判断を信じて頂きたい。」

 

 

 

「なっ……!!」

 

 その言葉に、劉勲は唖然とするしか無かった。

 孫策と周瑜――己より、遥かな高みにいる存在。それは、劉勲の余裕を失わせるに充分過ぎる単語。まんまと乗せられたと分かっていても、無視し得ない。それほどまでに、彼女達の存在は大きかった。

 

「ッ!……言ってくれるじゃない……」

 

 舌打ちと共に、不快さを全面に押し出した声が漏れる。決して大きくはないが、誰もが感じ取れる明確な苛立ちを含んだ声。

 それは、つい最近賈駆の前で見せたものと寸分違わぬ声だった。突如として彼女から放たれた桁外れの情念は、そのまま不可視のプレッシャーとなる。現実には有り得ないと分かっていても、男には部屋の空気の密度が増したように感じられた。

  

「……キミを信じる、孫策と周瑜を信じろ……か。」

 

 たった一言。

 だがその一言は、彼女の最も深い部分を抉り、完璧に装っていたはずの劉勲の仮面を、一瞬にして引き剥がしたのだ。

 

 あの二人が言うからには、恐らく目の前の男は本当に使える人間なのだろう。黄巾党の乱における自身の不様な失敗と直後に孫呉の見せた鮮やかな勝利は、劉勲の心の奥深くに刻みつけられ、今や逃れられない呪縛と化している。どれだけ理屈で否定しようとも、心中では「あの二人に間違いなど無い」という信仰にも似た確信があったのだ。

 

 孫策と周瑜――規格外のバケモノ。その圧倒的な『武』と『知』は、無視するにはあまりにも大き過ぎる。ならばそれはきっと、自分の浅はかな知恵を軽く上回るに違いない。

 認めたくはないが、同時に認めざるを得ない事実。乗るか、反るか――劉勲の中で相反する理性と感情が渦巻き――

 

 

 

「……いいでしょう。」

 

 結局、劉勲は孫策と周瑜の判断を信じる事にした。いや、そうせざるを得なかったのだ。

 いいように踊らされた感はあるが、一銭ほどの価値も無いプライドを優先できるほどの余裕が、自分には無い。今はまだ、『力』を蓄える時だ。

 

 

「キミのコトを信じる、孫家の二人。彼女達の言葉を……信じましょう。」

 

「同志書記長のご英断、感謝致します。」

 

「……それはそうと、どう呼んで(・ ・ ・ ・ ・)欲しいか(・ ・ ・ ・)教えなさい。じゃないと不便でしょ?」

 

 名前を教えろでは無く、どう呼んで(・ ・ ・ ・ ・)欲しいか(・ ・ ・ ・)。その言葉を聞いた男の顔に、作り物の笑顔とは違った別の色が浮かぶ。

 

(……やはり、私がワケありであることに気づいておりましたか。どうやら袁術陣営も相手の素性に関係なく、人材を欲しているという噂は間違いではないようですね。……あるいは――)

 

 

 

 ――それほどまでに劉勲は、孫策と周瑜を評価しながら……同時に、ひどく恐れている。

 

 

 

 恐怖するほどの憧憬。類まれな能力を慕いつつも、それを憎まずにはいられぬ二律背反。なんとも矛盾した劉勲の渇望に、男は思わず苦笑してしまう。

 

 彼女は明らかに孫策と周瑜を避忌し、嫌悪している。そのくせ負けたくないと、自分も同じモノになりたいと、狂おしく焦がれているのだ。なにが彼女をそうさせるのかは分からない。ただし、憎悪と羨望――優れた人間への矛盾した想いは、劉勲の行動原理に大きく関わっているのだろう。そしてそれは見ず知らずの他人が、これ以上不用意に踏み込んで良いものでは無い。

 

 

「書記長閣下の御厚意、感謝いたします。私の事は秦翊、もしくは閻象とお呼び下さい。実際、名前は捨てたも同然なので。」

 

「へぇ……ちなみに今言った二つの呼び名、どう違うの?」

 

「5日ぐらい前に考え付いたのが秦翊で、5分前に考え付いたのが閻象です。両方とも、パッと頭に浮かんだ知り合いの名前を適当に組み合わせただけです。」

 

「うわぁ、ぶっちゃけたよコイツ……まぁ別にいいケド。怪しい部下はキミが初めてでも無いし。」

 

 素性の知れない人間など、袁術軍には山のようにいる。元犯罪者、権力闘争で追われた人間、他国のスパイ……数えればキリが無い。そもそもロクに情報技術が発達していないこの時代において、身分を保障できる人間の方が少ないのだ。ある程度実力主義を採用すれば、いかにもワケありといった人間が集まるのはごく自然な流れと言えよう。

 

「では閻象、キミに新たな仕事を授けよう。」

 

「ご命令とあらば。」

 

 芝居がかった仕草で、劉勲は命令を下す。それに応える男の返答もまた、必要以上に恭しい。一筋縄ではいかない者同士の、倒錯した同盟。その最初の命令は――

 

 

 

「――不安定化しつつある青州情勢に対応するべく、袁紹陣営との対談を行うわ。その為の場と時間、各方面へ許可を調査・調整・申請しなさい。」

 

「袁紹……ですか?」

 

 やや戸惑ったように、閻象が訝しげな目を向ける。

 確かに袁紹の治める冀州は青州の隣であり、青州に強い影響力を持っている。彼女の力を借りて黄巾党の乱を鎮圧するというのも手だが、それでは袁紹が青州に勢力を拡大してしまう。それに袁紹はたびたび袁家による覇権を唱えており、勢力均衡を国是とする袁術陣営とは相容れないはず。

 

「別に、袁紹陣営の力を借りるとは言って無いわよ。そもそも袁紹陣営なら、自領と并州に出没する黒山賊の対応、そして公孫賛陣営への牽制で手一杯だし、青州に出兵する余裕なんて無いわよ。」

 

「では、なぜ……?」

 

 これでは、ますます分からない。確かに青州の動乱を抑える為に、袁紹陣営との会談を開いたからと言って、その目的が軍事援助だけとは限らない。だが、袁紹陣営と会談を開く理由に、他に何があるというのか?

 その答えの在り処は、元凶である青州にも無ければ、袁紹の治める冀州にも無い。その二つの州と、袁術の勢力圏である豫州の間――曹操の治める兗州にあった。

 

 

「黄巾党の乱による、青州の不安定化。この絶好の機会を、あの(・ ・)曹孟徳が逃すはずが無いわ。必ず、あの子は動く。だから……アタシ達はその先手を打つのよ。」

        

  




今話の要約

閻象:「いいか劉勲、忘れんな。孫策と周瑜を信じろ!
 俺が信じるお前でもない。お前が信じる俺でもない。
 お前が信じる、あの2人を信じろ!」

 なんかグレン○ガンっぽい台詞だけど、言いたい事は大体あってる。

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