真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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36話:偽りの平和

        

 ――国の役割とは何か?

 

 この質問に対する最も一般的な回答は、「国益の追求」であろう。しかし、国益は追求すればするほど、他国の疑心を掻き立てるというパラドックスを内側に孕んでいた。

 

 2つの国の内、1国が国力を強化すると、もう一方もに対抗して国力を強化する。これらが悪循環すると、やがて手段と目的が逆転してしまう。国を豊かにする為の国力増強が、逆に際限のない軍拡などを引き起こし、却って国を圧迫することがあるのだ。

 中でもそれが顕著なのは安全保障であろう。人類はその長い歴史の中で、いくつもの思考錯誤を重ね、安全保障について研究をしてきた。

 

 その英知の結晶が、安全保障の3つのモデル――覇権、勢力均衡、集団安全保障――を生み出した。

 

 

 『覇権』とは、他と比べて圧倒力的なパワーを持つ「覇権国家」が周辺諸国を主導的に指導、統制する安全保障モデルである。

 長期にわたって一国が不動とも思われる独裁的な地位・権力を掌握するために大きな安定性を持つ反面、敵対者を滅亡させる傾向が強く、国が大きくなりすぎるゆえ、内部分裂の発生、寡占化・競争の減少による経済力の疲弊など、内部要因が元でしばしば破滅的な崩壊に至る。

 

 

 『勢力均衡』とは、各勢力間のパワーに一定の等質性を与え、一つの勢力が強大化しないように勢力を拮抗しようとするモデルである。

 具体的にはいくつかの勢力が利害関係については相互に妥協・協調し、処理して秩序を維持しながら突出した脅威が生み出されることを抑制し、戦争の誘因を低下させることが目的とされる。一番現実的な政策ではあるものの、敵対者の存在が前提であり、均衡維持の為に複雑な同盟関係を作り上げる事は、却って疑心暗鬼を掻き立てる結果となる。

 

 

 『集団安全保障』とは各種条約によって敵も含めた国際的な機関を構築し、不当に平和を破壊した勢力に対し、その他の勢力が集団で制裁を加える安全保障モデルである。

 最も平和志向で理想的とされるも、現実には各勢力の利害や脅威、認識が一致することはまず無い。各勢力の安全は一体ではなく、むしろ差し引きゼロ――すなわち、一方の安全は、もう一方にとっての脅威となる関係だからだ。加えて各自がいかなる場合においても、自身の利益よりも集団の利益を重視せねばならず、最も実現困難な安全保障モデルといえよう。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 これまで平和の維持には、儒教でいう『徳』が必要だと考えられていた。しかし劉勲は全ての諸侯が野心を持っていても、平和を維持できると考えた。

 

 仮に、全ての諸侯がほぼ等質なパワーを持っていたとしよう。

 その場合、諸侯の誰かと誰かが戦争をすると、勝った方は負けた方のパワーを吸収し、他者に抜きんでる事となる。となると、残りの諸侯は自分が覇権を握れないと分かれば、今度は他人が抜きんでたパワーを持って覇権を握る事を阻止しようとする。すなわち、他者の戦争に干渉し、どちらかが決定的な勝利をおさめないように介入するのだ。

 

 ――かくして中華の平和を守るのは、中華の支配を目論む諸侯自身となる。

 

 

 

 袁紹軍筆頭軍師・田豊、ならびに袁紹軍2枚看板の片割れ・顔良の二人が、劉勲から聞かされた話は、以上のような物だった。洛陽会議から半年以上たった今になって、袁術陣営から突然、面会の申請が届いたのだ。しかも他の諸侯には知られぬよう、内密に。

 

(うわ~、なんか話が凄く難しい……)

 

 劉勲の話を聞く顔良の顔には、不安と緊張が入り混じっていた。本来彼女は武官なのだが、訳あって文官の仕事を任される事も多い。

 

(文ちゃんはアレだし、田豊さんは麗羽様に避けられてるから……)

 

 要するに田豊は有能だが、本人が直接袁紹に伝えるには難があるため、連絡役として顔良が宛がわれたのだった。ちなみに隣にいる田豊は先ほどからずっと気難しい顔で、劉勲の演説を真剣に聞いている。

 

 

「……と言うワケで、これからの中華の秩序・安全保障について、お二人に話がありますの。」

 

 濃紺と灰色の制服を纏った女性、劉勲はそう言うと、つい先ほど持ってきたティーポットから、紅茶をカップに注ぐ。

 

「どうぞ」

 

 劉勲はティーカップをお盆から取り、向かいに座る2人に渡した。淹れたての紅茶からまだ湯気が立っており、甘い香りが漂う。

 

「これは……見慣れないお茶ですね。」

 

「紅茶、というお茶ですわ。これはこう、蜂蜜を垂らして頂いた方が美味しく頂けますの」

 

 個人的な趣味で、劉勲は紅茶を作っていた。紅茶の作り方をかいつまんで説明すると、収穫した茶葉をしおれさせた後に揉み潰して再び放置し、茶葉が褐色に変化したところで乾燥させる。この作業を繰り返す、というもの。

 とはいえ、劉勲自身は紅茶の専門家でも何でもなく、より正確に言うと出されたのは紅茶モドキ。だが、そこに蜂蜜をたっぷりと垂らすことで、うまい具合に味を誤魔化している。同時に高級嗜好品である蜂蜜の大量使用によって、袁術陣営の誇る財力・経済力をさりげなくアピールする事もできるのだ。

 

 

 

「なるほど……南陽群は黄巾党の乱で大きく荒らされたと聞いていたが、着実に立て直しが進んでいるようで何より。我らも同じく(・ ・ ・)袁家の人間、同家の復興は心強い事この上ない。」

 

 劉勲の意図を敏感に感じ取った田豊は、嫌味にならない程度に牽制をかけた。その上で同じ家であることを強調し、場を取り繕う。

 

「ええ。我々としても、同じ袁家の人間としてそちらを頼りにしておりますわ。そう、我々が仲良く(・ ・ ・)手を取り合えば、この中華の平穏を乱す不埒者を打ち破る事など、造作もありません。先の董卓討伐においても、こうして我々が手を取り合ったからこそ、こうして再び中華の大地に平和(・ ・)正義(・ ・)とをもたらす事ができました。

 先の会議では新たな中華の秩序が決定され、長い歴史と由緒正しき伝統ある名家と、数名の新参者が州牧に叙されましたわね。しかしながら……果たしてこの状況、我々にとって望ましいものでしょうか?」

 

 

「会議を主導したのは、他でも無い貴公であろう?これはあくまで推論だが……あの会議の結果は、貴公とその主人にとって、満足のいくものであったはず。なにゆえ、そこまで気にかけるのだ?」

 

 袁術が直接治める南陽群、間接的な支配下にある豫州はどちらも四方を、曹操や劉表といった他の諸侯に囲まれている。ゆえに劉勲は洛陽の戦後処理会議で、各諸侯のパワーが拮抗するよう慎重に調整し、結果的に勢力均衡を達成できたはず。

 

「……残念ながら、今の質問についてはお答えしかねますわ。

 ただし、仮に我々にとって望ましい状況が達成されたとして、その安全保障は不変のものではありません。望ましい状況というものは、達成する為に努力を怠ってはならず、達成されてなお不断の献身を要求するもの。常に、いかなる時も、あらゆる場所に敵は存在するのですから。

 問題は、いささか過激な思想を持った者達が、着実に力を付けつつあるという現状ですわ。」

 

 

 洛陽会議での対立要因の一つに、分離主義と統一主義の対立があった。明確な派閥こそ組んでいないものの、両者の考えの違いはしばしば会議を紛糾させた。

 

 分権主義者には袁術、劉表、劉璋などが属し、地方分権路線を追求する事で、漢王朝から事実上の分離独立の傾向を強めている。よって地方分権と勢力均衡を支持す中・小諸侯が多く、洛陽会議は『一人一票の原則』に基づいて、分離主義者主導で進められていた。

 一方で統一主義者の中心は、曹操や袁紹などの諸侯だ。統一主義者の殆どは衰退しつつある中華のを憂い、自らの手で現状を改革しようという考えを持っている。分離主義者とは対照的に中央集権的な考えの人物が多く、必然的に覇権主義的政策を取る事が多い。

 

 

「確かに、改革を志す者の中に過激な一派がいる事は認めよう。

 だが、それでも今の中華には変革が必要なのだ。それが我らの総意であり、そこに再考の余地は無い!」

 

「……ですが、曹操を始めとする一部の過激派の危険性は周知の事実。放置するには不安要素が過ぎないでしょうか?」

 

「フッ、その点については同意しよう。我らとて、己の力を過信しているような若造に、国を預ける気など万に一つも無い。

 長年に渡って漢王朝を支え続けてきたのは、我ら袁家の人間よ。ならば漢王朝は、高貴なる血筋の頂点に位置する名門・袁家によって再生されるのが筋であろう。」

 

 意外なようだが、袁紹はああ見えて漢王朝、ひいては皇室への忠誠心が意外なほど強い。

 袁家の人間には、長きにわたって漢王朝を支えてきたという自負がある。ゆえに袁紹もその例に漏れず、自分こそが皇帝を“支えるのにふさわしい”人間だと考えていた。

 

「有象無象の連中が勝手に中華の大地を跋扈し、飛び入りの新参者がこの国の未来を担う――そのような事が、あっていいはずが無い。そう……漢王朝を支え、この国の民を導く事こそが、天が我ら袁家に課した使命なのだ。」

 

 袁紹(本人と言うより彼女の重臣たち)も統一主義者の一人であったが、袁紹陣営には名士が多い事もあって比較的穏健な部類に入る。曹操らの台頭を警戒しているのは袁紹陣営も同じ。ただし袁紹は曹操と違って、漢王朝そのものを滅ぼし、新しい王朝を開く気は無い――田豊が伝えた内容は、大まかに言うと以上のことだった。

 

 

 

「なるほど……そちらの考えはよく分かりましたわ。」

 

 劉勲は心得たとばかりに頷き、しばらく頭の中で利害関係を整理する。考えがある程度まとまった所で、改めて確認の為に田豊を見つめ、相手の沈黙を肯定の意と判断して先を続けた。

 

「ですが、まだ(・ ・)お互いに、直接利害が衝突している訳でもありません。ならば利害が衝突するその時まで、積極的な敵対行動を取る必要もないのでは?」

 

「えーっと……それってどういう意味ですか?」

 

 それまで無言で両者の話を聞いていた顔良が、疑問を口にする。

 

「その、わたしには劉勲さんの意図が良く分かりません。いずれ敵対すると分かっている相手と、協定を結ぼうというのですか?」

 

「そう申し上げたはずですが、何か問題でも?」

 

「それは、その……劉勲さんとわたし達では目標も、安全保障に対する考え方も違います。仮に結んだとしても、すぐに敵対することで破綻するかと。」

 

「ええ。仰るとおり、現状に対する基本的な相違は隠せません。そしてその事実はこれからも変わる事は無いでしょう。……とはいえ、今すぐ我々が直接対決すれば、漁夫の利を狙う者も出てきます。それはお互いにとって望ましくない展開だと思いますが?」

 

 現状の体制に反対する者と、賛成する者。突出した勢力が存在しない以上、どちらも相手に対抗して連合を組むことが予想される。そうなった場合、豊富な資金力と政治力を持つ袁家はかなりの確率で盟主として祭り上げられるだろう。分離主義と統一主義、対立する二つの動きが袁家を、そして中華を2分する。だが、実際に戦争となれば袁家はその矢面に立たざるを得ず、勝っても負けても大きく疲弊してしまう公算が高い。

 

 

「我々は平和な現状の維持を望んでいますし、その為の努力を惜しむつもりはありませんわ。

 ……しかし残念ながら、この目論見は長続きしないでしょうね。均衡による平和とは、人が維持するにはあまりに繊細なものですのよ。悲しい事に、ほんの些細なきっかけで瓦解しかねません。」

 

 

 劉勲は洛陽会議で極めて反動的な、勢力均衡に基づく秩序を構築することに成功している。しかしながら、劉勲自身はこのシステム――相互の対立を共通の価値観によって克服し、各自に自制を要求する――に全幅の信頼を寄せていなかった。

 共通の価値観を持たない者同士の条約とは、遅かれ早かれ破られるもの。曹操らがいつまでも黙っているとは考えにくい。現に青州黄巾党の活性化を受けて、曹操陣営は不穏な動きを見せている。来るべき洛陽体制の破綻――劉勲はそれを見越した上で、新たな対策を打つ必要に迫られていたのだ。

 

「既に水面下では均衡を崩そうとする者たちが、徒党を組み始めており、それを完全に封じることは至難の技です。

 ならば次善の策として、望ましい者に托せる道があるのでしたら、それに越した事はありませんわ。仮に中華が二分された時、他ならぬ袁本初様に統一主義者達の盟主となって頂きたいのです。」

 

 

 段々と、顔良にも劉勲の考えが読めてきた。

 劉勲は、いずれ分離主義と統一主義の対立は避けられないと予測している。だが。そうなった時に曹操らが統一主義者の盟主になるより、穏健な袁紹に盟主になってもらった方が都合が良いのだ。顔良にしても、袁紹が統一主義の盟主になる事そのものには異論は無い。

 

 

 

「勿論、我々も可能な限りそちらに配慮し、同志達が暴発しないように工作を行う用意がありますわ。お望みでしたら、華北の争いには極力口を挟まぬよう努力致しますが……どうでしょう?」

 

「……我らはその代り、そちらの陣営が華南で優位に立てるように取り計らう。二つの袁家で中華を二分して各地の諸侯を管理し、共通の脅威を排除するべきだと、そう言いたいのだな?無論、表面上は互いに敵同士という事になろうが。」

 

 田豊が内容を確認するように、劉勲に尋ねる。

 同じ統一主義者いえども、急進的な曹操と穏健な袁紹では意見の対立も多い。しかし、一旦同盟を結べば互いに勝手な行動をとる事は出来なくなる。いくら曹操でも単独では資金や名士の協力が得られないため、袁紹からの同盟要請があれば承諾せざるを得ない。両者の間に同盟を組ませることによって、曹操を間接的に抑制するのが劉勲の狙いなのだろう。

 田豊はそのように予測したが、どうやら正解だったようだ。

 

 

「ええ。願わくば、情報の共有も加えてはいただけませんか?我々が円滑な意思疎通を行う為にも、必要な事だと思いますの。」

 

 各諸侯がバラバラに動くようでは、先を見通すのはどんなに聡明な人間でも難しい。両袁家で情報を共有できれば、敵対勢力の情報を容易に得られ、戦略を立てる上で大きなアドバンテージとなる。更に情報が共有されていれば、お互いに妥協点を見つけ出す事も容易だ。

 

 更に、統一主義者を袁紹が、分離主義者を袁術が取り纏めることで、必要以上の争いを抑制できる。同時に曹操のような共通の敵を、コントロールされた戦争の中ですり潰し、最終的には袁紹と袁術の2大ブロックに各諸侯を収束させてゆく。

 

 『天の御遣い』風に言えば、ブルボン家とハプスブルク家が2分した近世ヨーロッパや、アメリカとソビエトの冷戦がそれに相当するのだろうか。個々の事例を見れば、各勢力は臨機応変に立ち位置を変えているが、盟主となった勢力は自陣営に対して大きな影響力を持つ事が出来た。世界は各ブロック内で『冷たい平和』を甘受し、民族・宗教問題は力で押さえつけられていた。

 

 

「もっとも、そこまで計画通りに事態が進んでゆくとは思っておりませんが……これからの中華の歴史の流れを、袁家主導で進めてゆく。その一点については、お互いに合意できるはずです。」

 

「結構。それでは密約内容を確認した上で、我らは貴公の提案に同意しよう。」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ――後日、後世で『二袁協定』と称された秘密条約締結が締結される。

 

 この秘密条約によって基本的には華北を袁紹の、華南を袁術の勢力圏とする事が定められ、両者は秦嶺・淮河ラインで分けられる事が決定された。定期的に情報を共有する事も決められ、両袁家は情報戦において他諸侯より優位に立つ。具体的には、同盟を結んだ諸侯の情報は全て、盟主である方の袁家を通じて、相手側の袁家に筒抜けとなっていたのだ。

 無論、味方にも情報をギリギリまで秘匿するという方法はアリだが、何の事前連絡も無しに行動を起こせば、味方から袋叩きにされても文句は言えない(裏切り防止の為)。

 

 

 これ以降、袁術陣営は南の揚州・交州を中心に活発な投資を行うと共に地元豪族の懐柔を行い、徐々に植民地主義的傾向を強めていく。

 時を同じくして、袁紹は曹操に接近。

 名目上の理由は“中華の平和を脅かす馬騰・袁術協定への対抗”だったが、当然ながら世間では袁紹の覇権・拡張主義の一環と受け取られた。実際、袁紹は献帝を擁する曹操と結ぶことで皇帝の威光を得ると共に、自領である冀州南部の安全を確保している。

 

 曹操もまた袁紹と接近することで、名士の支持と資金を獲得し、以降3年の歳月をかけて、急拡大した領土の統治を盤石なものとしてゆく。その一方で自らに敵対的な名士を積極的に袁紹に登用させ、反対勢力を宮中から穏便に排除。北に隣接する袁紹と同盟を結んだ事は同時に、周囲を他州に囲まれている曹操の本拠地・兌州の抱える地政学的な不利を大幅に改善。

 結果、袁紹・曹操の接近によって曹操陣営の持つパワーは、以前にも増して強大化したのだった。だが、あまりにも急拡大した曹操陣営は却って諸侯の警戒と不安を招いてしまい、外交で孤立してしまう。

 

 

 

 対照的に興味深いのは、袁術陣営のとった政策である。袁術の本拠地は荊州・南陽群であり、地政学的な不利に置いては、曹操、袁紹となんら変わらる事がない。

 しかし、袁術陣営は上の二人とは違った行動をとった。周辺の脅威に対抗する為に『覇権』を選択した両者と異なり、袁術陣営は『勢力均衡』――バランスを保つ事を外交政策として明確に掲げる事で、多くの中堅・弱小諸侯の支持を得る事に成功したのだ。

 

 

 当時の中華では袁紹・曹操・袁術・公孫賛・劉表・劉璋らが列強として存在していたが、そのいずれも支配的なパワーを保有していなかった。これは董卓軍が倒れた後、洛陽会議で議長を務めた劉勲によって各勢力が拮抗するよう、慎重に戦後秩序が作り上げられたのが主な要因とされる。

 

 

 “我々には永遠の友も永遠の敵もいない。ただ永遠の利益のみが存在する”

                                 ――劉勲の言葉より

 

 

 劉勲の外交政策は必要に応じて同盟者を変更し、バランス・オブ・パワーを維持する事に重点が置かれていた。当時の記録を見ると、中華を単独で支配しようとする者に反対する諸侯の、いかなる連合にも袁術陣営は協力している。

 

 “袁術は強きを挫き、弱きを助ける。” ――曹操の発言より

 

 曹操が後に袁術陣営の外交を皮肉った言葉であり、バランスを是正する必要が生じれば、常に弱小勢力に肩入れする袁術陣営の勢力均衡策をよく現わしていると言えよう。当時の列強のうち弱い側とは公孫賛・劉表陣営であり、両者を支援することで中華のバランスを維持しようという、単純な計算に基づくものだった。

 

 また、経済的な観点から見ても公孫賛は元より商人保護に力を入れており、商業重視政策を取る袁術陣営との親和性は高い。劉表にいたっては隣接しているという地理的条件もあり、政治的には対立が多いが経済的には強い結び付きがある。

 

 

 

 袁紹・曹操同盟の締結が発表されるが早いか、劉勲はこの脅威に対する連合を作る動きを促進した。公孫賛陣営に多額の投資を行って関係を深めると共に、『中立』と『孤立主義』を国是とする劉表にも友好的中立を約束させたのだ。この3国は同盟こそ結んでいなかったものの、曹操・袁紹同盟の侵略行為があれば、その野望を阻止すべく行動を起こすであろう事は明白だった。

 

 これは非常に巧妙な仕組みであり、後世に残された記述によれば曹操・袁紹同盟を脅威に感じる諸侯は多くとも、公孫賛・袁術・劉表を脅威に感じた諸侯は殆ど存在しなかったとされる。多くの諸侯の目は遠い江南よりも近くの中原に向いており、袁術陣営は江南に対する経済支配を拡大していたにも拘らず、これを妨害しようと言う動きは殆ど見られなかった。

 

 なぜならば、それらは曹操・袁紹同盟が攻撃するには強過ぎたが、周辺諸侯を脅かすには弱過ぎ、あまりにも分裂し過ぎていたからだ。とりわけ袁術は領内の豪族や商人の力が強く、徹底的な中央集権化を進めた曹操に比べて領内のまとまりが薄い。何をするにも事前調整と予算審議会、領内豪族会議における根回しと意志統一、そして煩雑な官僚手続きを踏まねばならず、その行動は遅く、なおかつ非常に限定されていた。

 

 

 結局、曹操・袁紹同盟によって中華のパワーバランスは崩れるどころか、逆に均衡は維持・強化される事となる(曹操、袁紹の両者は自らの国力を高めたにも拘らず、だ)。バランスを保つ事に外交政策を捧げる事を、袁術陣営が明白にした事によって均衡は管理された――

 

 

 

 

 

 

 ――はずだった。

 

 

 

 

 されど『二袁協定』締結から約2年後、再び諸侯の間に激震が走る。朝廷より下された、一つの勅命によって。

 

 ――皇室に対する働きを以て、曹孟徳を車騎将軍に任命す。直ちに、青州黄巾党を討つべし――

 

  青州にて黄巾党、一斉蜂起す。中華の大地を、再び戦乱の雲が覆い始めようとしていた。

            




 反董卓連合戦後って袁家のパワーが最大だった時期ですよね。
 袁紹は590万の人口を誇る豊かな穀倉地帯だった冀州を手に入れてますし、袁術も洛陽に近くて肥沃な南陽群(人口約250万)と、商業と物流の発展した豫州(人口約620万)を支配下に治めています。
 当時の人口が4800万ぐらいなので、両袁家だけで当時の中国の3割の人口を保有している計算になっています。

 ちなみにこの時期の曹操支配下の人口は400万ぐらいで、しかも彼の土地は戦乱で疲弊してたとか。曹操の功績と言われる『屯田制』も一説によれば、生産力を維持する為に兵士や農民を無理やり土地に縛りつけざるを得なかったが故の措置という話ですし……。

 何はともあれ、袁紹と袁術の仲がよければあっさり中国を統一出来て、劉備や曹操、孫権あたりが活躍する場はなかったように思います。

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