真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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 新年明けましておめでとうございます。今年の初投稿になります。
 ※44話の最後の方に、少し追加した部分があります。
 


45話:再び、乱世へ

 袁紹は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の姫を除かなければならぬと決意した。袁紹には政治がわからぬ。袁紹は名門袁家の当主である。笛を吹き、羊と遊んで暮して――

 

「……田豊さん?」

 

 何やら一人でぶつぶつと呟いていた田豊に、顔良が心配そうな声をかける。

 

「あの、大丈夫ですか?さっきからずっと何か言っておられましたけど……」

 

「……大丈夫だ。実は大丈夫でなくとも、そうあらねばならん」

 

 はぁ~、という溜息と共に田豊は部屋の奥を見やる。そこには、猛り狂う金髪縦ロールの姫君がいた。

 

「きぃーーーっ!わたくしが直々に手紙を送ったというのに、欠席ですってぇ!?」

 

 裏返った怒声と共に、南陽から届いた手紙を破る捨てる袁紹。袁術陣営からの手紙の内容は、諸侯会議への出席を見送るといった趣旨のものだった。

 

「落ち着いてくださいって、麗羽さまぁ~!え~っと、そうだ!素数を数えて……」

 

「これが落ち着いていられますの!?あの小娘、今度という今度は許しませんわよ!わたくしが南陽まで出向いて、メッタメタのギッタギタにしてやりますわ!」

 

 どこかのガキ大将のような言葉を吐きながら、剣を片手に荒ぶる袁紹。側近の文醜が制止に入っているが、その猛威は留まるところを知らなかった。

 田豊はそんな袁紹と文醜の乱闘を遠巻きに眺めながらも、内心では煮えくり返るような想いだった。

 

「南陽の商人共め、やってくれる……!」

 

 低く唸るように呟くと、田豊は苦々しげに顔をしかめる。たった一通の手紙で、ここ数日に渡って急ピッチで進めてきた策や準備が、全て水泡に帰したのだ。皇帝を確保し名士層の支持を盤石なものにするという基本戦略は勿論、馬騰との同盟なども白紙に帰った。袁紹が暴れたくなる気も分かる。

 その原因は、言うまでもなく劉勲ら袁術の会議欠席だった。

 

 ――“我々は司隷とそれを治める、現政権に対する侵略行為を決して許しはしない”――

 

 中央人民委員会にて諸侯会議への欠席を決定した翌日、劉勲は会見を開く。諸侯会議への非参加を正式に発表すると共に、李儒・李傕・郭汜の連立政権への支持を表明。

 

 曹操が州境に軍を展開するなどの動きを見せている事に関して“軍事的側面を登場させるのは賢明とは言えない”と発言し、その動きをけん制する。

 一方で李傕らの内ゲバについて“我々は、司隷を治める3者の認識と判断に自信に持っている”と述べ、更に“李傕と郭汜の外交対話に期待を寄せている”と発言した。

 

 ――しかしながら具体的にどのような支援するのか、司隷の独立性をどう維持するのかといった話題には触れず、演説は牽制の域を出るものでは無かった。

 

 

「……それにしても、あそこの書記長は本当に変わり身が早いですね。この前曹操さんに対する包囲網を作ったばっかりだというのに、自分だけはちゃっかりと不可侵条約結んだり。今回だって……」

 

 呆れと感心が混ざった微妙な顔をする顔良。正直、ここまで来ると逆に尊敬できるような気さえしてくる。2股は単なる浮気だが、100股ぐらいかければある種の伝説と化すようなものだ。

 

「あの尻軽女め……舌の根も乾かぬうちに発言をころころと変えおって。まったく、八方美人も大概にしろという話だ。」

 

 かつて田豊は劉勲と会談を行い、袁家同士が裏で繋がる事で合意を得ている。これは米ソ間ホットラインのように両勢力間での偶発的戦闘を回避するのが目的であり、他の諸侯には知られていない秘密条約だ。今のところこの『二袁協定』が発動したのは一度だけであり、袁紹は曹操の青州派兵要請を断っている。

 それだけに今回の件における袁術陣営の非協力的な態度は、袁紹陣営から見れば裏切りともとれる行為であった。

 

 無論、田豊の方もあくまで利害が一致したから劉勲との条約をまもっただけで、バカ正直に条約を守る気などさらさらない。袁紹の利益になるならば袁術を使い捨てることも厭わないし、劉勲らもそう考えているだろう。

 だが元よりお互いに相手を裏切る腹づもりであろうと、やはり先に裏切られた側は納得できないものなのだ。

 

「いくら『勢力均衡』を国是と掲げようと、最終目標はやはり国益の確保……まぁ、劉勲さんも嘘は付いていないんですよね。嘘だけは」

 

 実際、行動自体は何ら条約に違反するものでは無い。曹操と仲の悪い同盟に参加したからといって、曹操と仲良くしてはいけない道理は無い。その逆もまた然りだ。

 

「ふん、その結果だれも曹操の小娘を止められなくなった。……李傕らなんぞを支援したところで当てになるものか」

 

 面白くもなさそうに田豊は鼻を鳴らす。

 だがその脳裏では既に次なる一手を打つべく、長い経験に裏付けされた打算と計算が高速で展開されていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ――徐州・下邳

 

 

 列強の一角、袁術が諸侯会議から欠席するという事実は、早馬によって徐州にも届いていた。

 

「結局、劉勲は諸侯会議への参加を見送ったか。諸侯会議は中止になり、司隷はまた前みたく戦場になる……」

 

 伝令の報告に一刀はふぅ、と溜息をつく。

 劉勲のもたらした停滞と安定の5年間、劉備たちも疎かになっていた内政に力を入れ、徐州での名声を着実に高めている。特に活躍の著しかったのは、劉備軍の軍師として採用された諸葛亮と鳳統だった。洛陽体制によって、平和が保たれたが故に武官が活躍出来なかったという理由もあるが、何より劉備軍で正規の“実学”を受けたのはこの二人だけだったのだ。中でも諸葛亮は政務や組織運営といった事務仕事に長けており、基本的に素人集団の劉備軍では数少ないプロの文官として頼りにされていた。

 しかし、そんな彼女達ですら今回の一連の出来事を予測するのは不可能だった。

 

「袁術陣営は一応、劉勲さんは“司隷を見捨てない”と言ってますけど……」

  

「朱里、あいつらの言う事は言葉通りに受け取らない方がいい。」

 

 袁術らの真意を図りかねている諸葛亮に、一刀は渋面を作る。

 

「5年前に曹操に警告されたとおり、劉勲は信用できない。この前だって“中華の平和を守るため、曹操に対する包囲網を形成する”とかもっともらしい事言っといて、関税撤廃を要求してきただろ?」

 

 一刀の言葉に、鳳統も同意するように頷く。

 

「あの後、市場は大混乱に見舞われました。大方の予想通り、市場に供給される農作物量が増えたことで、物価の下落と中小自作農の没落が起こっています。ただ……」

 

 鳳統は少し困惑したような、納得のいかないような複雑な表情をする。

 

「短期的な混乱の後は、徐々に実体経済が上向きつつあるんです。税収は増えていますし、補助金や各種手当を無くした事で財政赤字も減少傾向にあります。

 てっきり景気が悪くなるとばかり思っていたのですが……今じゃどっちが正しいのか分かりません」

 

 よく誤解される事だが、競争に耐えられずとも自由貿易は利益をもたらす。

 穀物貿易で徐州は「負けた」が、安い袁術領の穀物が入ったことで領内の物価は下がる。生産者はその分だけ損をするが、消費者が安く穀物を変えるという利益で金額的に相殺される。しかし物価が下がったという事は以前と同じ額で、以前よりも多くの穀物を買えるのだ。

 

「う~ん、そう言われると俺も自信がなくなるんだが……実際、紙の上では好景気みたいだし。ただ、街を見渡しても活気が出てたようには思えないんだが……」

 

 いまいち納得できない、といった感じで一刀は眉根を寄せる。

 自由化以降、一刀たちに届いてくる書類の上では、確実に景気と財政は良くなっている。だが、どうも好況だという感覚が湧かないのだ。庶民の生活水準が上がった感じはあまり無いし、むしろ失業者などは増えた気すらする。実感なき景気回復、とでも言ったところか。

 

「朱里なら、これがどういう事が分かるんじゃないのか?」

 

 先生に難問の教えを乞う生徒のように、一刀は期待を込めた目で諸葛亮を見る。

 諸葛亮はやや時間を置いてから、あくまで推測ですが、と前置きした上で自らの考えを述べた。

 

「仮に“国全体”では利益を得ていても、特定の人たちは必ず損害を受けるでしょう。ですが理論上では、得をしている人は損をしている人より多くの利益を得てます。だから損を受けている人に補填をしても、まだ利益が残るはずなんです。ですが現実には……」

 

「……そんな補填は行われず、損する人とそれ以上に得をする人の2グループに大きく分けられてしまう。それが不公平感を蔓延させてるから、あまり好景気の実感が無い、ってことか」

 

「ぐるーぷ?」

 

「ああ、それは俺の国の言葉……じゃないな。英語だし。

 要するに、俺のいた世界である特定の集団を表す言葉だ。」

 

「そうなんですか……って、納得してる場合じゃなかったです!

 えーっとですね、基本的にご主人様の察した通りですけど、事情はもう少し複雑です」

 

 社会が2グループに分けられた時、少数の人が得をして多数の人が損をする構図だった場合、損する多数派は当然自由貿易に反対するだろう。“自由競争によって全体の利益が増える”と主張する自由主義者に対して、よく挙げられる保護主義の反論がこのパターンだ。

 

 しかし、逆に多数派が得をして少数の人が損をする場合でも、保護主義が根強いのは何故なのか?

 これは主に自由貿易によって増えた余剰が多数派、つまり社会全体に広く薄く分散してしまうことにある(例:100人が100の財をもっており、自由貿易を行った結果、99人は財が1づつ増え、1人は財が50減るとする。この場合社会全体では49の財が増えているが、得をした99人はいくら得をしたといっても1%程度の財の増加ではそれほど有難味を感じられないのに対し、損をした1人は財が半分になってしまっているので、分かり易い形でダメージを受けている)。

 つまり少数の損をする人は、失業や賃金減少など目立つ形で損失を受けるが、多数派の便益はわずかな物価の下落程度でしか目に見える形で現れず、一見すると小さな変化しかもたらさないのだ。

 

 

「それはともかく……袁術さん達が諸侯会議に欠席したことで、日和見を決め込んでいた他の列強や諸侯も参加を見送りました。ですが、これは主催者である袁紹さんからしてみれば、面目丸潰れもいいところです。今や両袁家の関係は完全に冷え切っています。」

 

 劉勲らが諸侯会議への欠席を表明すると、他の諸侯も次々とこれに続く形となっっていた。戦争する気満々の劉焉と曹操はもちろん、荊州牧の劉表も面倒な問題に巻き込まれたくないという理由から参加を見送る。加えて幽州牧の公孫賛までもが欠席を発表し、袁紹主催の諸侯会議は完全に有名無実なものと化した。

 

「白蓮ちゃん……大丈夫かな」

 

 劉備が不安そうに首をかしげると、軍略担当の鳳統が答える。

 

「反乱軍の食糧が切れたおかげで包囲は解かれたようですが……まだまだ予断を許さない状態です。気まぐれな袁紹さんの事ですし、いま司隷に向けられている野心が、いつ幽州に向けられるとも分かりません。」

 

 司隷の占領が思いのほか難しいとなれば、戦略を変更して窮地にある公孫賛を先に潰そうと考えても不思議はない。公孫賛もそれを考えてか、早々に司隷問題への不介入を発表し、領内の反乱鎮圧に勤しんでいた。

 

「諸侯会議でそのことを訴えるというのも一つの手ですけど、会議の主催者が袁紹さんですし、どの諸侯も司隷問題で忙しい事を考えると……あまり会議に参加する利はありません。むしろ反乱の最中に州牧ともあろう方が領地から離れれば、内乱が余計に長引くと考えたのでしょう。」

 

「そっか……それなら残念だけど、仕方無いね……」

 

 鳳統の推測に、劉備は悲しそうに項垂れる。彼女はどちらかといえば諸侯会議に乗り気で、袁家の掲げる“話し合いによる平和的解決”を額面通りに受け取っている節があった。そのため、徐州牧の陶謙にも直訴するなどして諸侯会議への参加を訴えていたが、この一連の展開で完全にお流れとなった。

 

「そもそも今の中華で列強と言えるのは、袁紹・曹操・袁術・公孫賛・劉表・劉焉の6人。その内5人が欠席したら、例え残りの中小諸侯から数人出ても意味ないからなぁ……」

 

「はい、ご主人様のおっしゃる通りです。問題は、諸侯会議の中止という今回の出来事が、洛陽会議以降ずっと保たれてきた諸侯間の均衡を崩しかねないということです。」

 

 諸葛亮が一言一言、確認するように言葉を紡ぐ。日頃は柔らかい彼女の表情も、どこか張り詰めているように見えた。

 

「反董卓連合戦の後、袁術さん達が中心となって諸侯間の力関係の均衡を図る事で、私たちは戦争を回避してきました。そこで重要だったのが、お互いの利害を調整するための諸侯会議です。ですが、これまで諸侯会議を主導してきた袁術さん達が参加を見送ったことで、もはや諸侯達は己の野心を隠そうともしていません。」

 

 一番警戒されているのは曹操だが、袁紹や劉焉なども大っぴらに司隷を併合する準備を始めた。

 例えば袁紹陣営は曹操の影響力が強い献帝を廃し、新たに別の皇帝を立てる計画を進めている。益州牧・劉焉の場合は更に露骨であり、皇族の血を引いていることを理由に、自分自身が皇帝になろうとすら画策していた。

 

「この劉焉さんですが、彼は司隷から益州に逃れてきた難民を『東州兵』として組織し、大規模な軍隊を揃えているようです。

 洛陽に息子がいるようですし、彼らの救出を大義名分にすればいつでも軍事介入が可能でしょう。これに曹操さんが呼応すれば、司隷の現政権は東と西で2正面作戦を強いられ、厳しい立場におかれるかと。」

 

「そういえば、袁紹さんも似たような事しようとしてたよね?馬騰さんと同盟結んで挟み討ち、みたいな。朱里ちゃん……こういうの何て言うんだっけ?」

 

 劉備がうーん、と唇に指を当てる。

 洛陽会議に端を発する“勢力均衡による平和”は、各諸侯の複雑な同盟関係によって成り立つもの。誰もが正義で、誰もが悪と成り得る。そして誰が味方で、誰が敵なのか。いや、劉勲の言うように“永遠の友も永遠の敵もなく、ただ永遠の利益のみがある”のか。

 勢力均衡を作り出した当事者達ですら、今や現状を把握するのが困難になってきていた。

 

「兵法三十六計の第二十三計、『遠交近攻』ですね。“遠きと交わり近きを攻める”……外交の基本ですが、今回の場合には皇帝の権威や経済問題も関わってる分、事態はもっと複雑です。」

 

 諸葛亮は地図を広げ、皆に分かるよう解説を始める。

 もともと司隷は接する州が多く、首都・洛陽と皇帝を有している為に利害関係は複雑怪奇。李傕ら3人の統治能力が皆無だった事もあり、まさに『中華の火薬庫』とも言うべき場所であった。袁術陣営というバランサーを失えば、様々な利害対立が激化するのは必然と言えよう。主なプレイヤーとその思惑を並べただけでも、外交官にとってパンドラの箱である事が分かる。

 

・袁紹:名士の支持を得て、支配を盤石なものにしたい。最悪、皇帝を殺して別の皇帝を擁立。

・袁術:勢力均衡の維持。ただし財政に負担はかけたくない。

・公孫賛:内乱で忙しいから基本的に不干渉。

・曹操:皇帝の確保&司隷の併合

・馬騰:司隷を経由する通商行路の安全確保。

・李傕ら:求心力の源たる皇帝の身柄を確保。李傕派と郭汜派の争い。李儒は中立。

・劉表:勢力均衡の維持。特に袁術の強大化は防ぎたい。

・劉璋:息子が洛陽にいるから救出。可能ならばドサクサに紛れて皇帝を殺し、自分が皇帝に。

 

「――以上が、各諸侯の大まかな思惑ですね。今や全ての諸侯が自分達の都合を優先し、司隷と皇帝陛下を狙っているのが現状です。」

 

「ふえぇ……頭がこんがらがりそうだよ……」

 

 諸葛亮なりに分析した詳細報告を見て、劉備が目を回す。

 

「はっきり言って、私や雛里ちゃんでも全ての利害を調整するのは無理でしょう。実際、劉勲さんが匙を投げたくなる気持ちも分からなくはありません。しかし『話し合いによる平和』を主導してきた張本人が自ら役割を放棄したとなれば、他の諸侯が続くのは自明の理。

 要するに“もはや話し合いでは解決できない”と大多数の諸侯が考え始めているんです。」

 

 話し合いでは解決できない――その意味するところはただ一つ。

 反董卓連合以降、封印されてきた“戦争”と言う名の解決方法が、再び市民権を得たという事だ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 兌州・陳留、曹操の執務室にて

 

「――以上が、各諸侯の様子です。現状で我々以外に、司隷に向かう可能性が最も高いと思われるのは益州牧・劉焉かと。兵は急きょ徴兵した寄せ集めらしいですが、益州の人口が多い事からも、数はそれなりになると予想されます。少なくとも7万は下らないでしょう」

 

 報告を読み上げる人物の姓は郭、名は嘉、字を奉孝という。最近になって曹操に仕えた軍師であるが、その有能さから既に国政の中枢を任せられるまでになっていた。

 彼女の報告を聞き、曹操は記憶を辿る。

 

「劉焉か……確か息子が皇帝陛下のもとに仕えているって話よね?なら、大義名分は“要人の保護”かしら」

 

「はい。未だに長男と次男が長安にいるようです。特に長男は将来的に家督を継ぐ義務もありますし、大義名分としては十分でしょう。おそらく彼らの保護を大義名分に司隷に軍を進め、途中で“李カクらの卑劣な奇襲”に遭い、“正当防衛および積極的自衛権”を行使するものかと」

 

 郭嘉が眼鏡をかけ直しながら、最も起こり得る可能性の高いシナリオを述べる。なにせ“○○の保護”というのは、古来からオーソドックスな侵略方法だ。厳重に警備されているにも拘らず、なぜか必ず誰かに攻撃されてしまう。その攻撃は“不幸な事故”だが、保護を掲げた国にとって都合が良い場合が殆どなのだ。

 

「如何なされますか?」

 

「構わず捨て置きなさい。自分から進んで諸侯の不興を買うのもアホらしいし、我が軍は州境で待機させるだけに留めて。……もちろん今の所は、だけど」

 

 最後に含みを持たせて、曹操は薄く笑う。

 

「御意。前線におられる夏侯惇、および夏侯淵の両将軍にもそのように伝えておきます。それと……念の為、劉焉殿にも激励文を送りますか?」

 

「そうね。劉焉にしても、味方(・ ・)は多い方が洛陽憲章を破りやすいでしょうし。“兌州牧・曹孟徳は益州牧・劉君郎の前途を祝す”みたいな感じで送ろうかしら」

 

 大部分の諸侯は曹操が真っ先に開戦すると思いこんでいるようだが、曹操に一番乗りする意志は無かった。

 

「麗羽たちの策の二番煎じっていうのが少し癪だけど、今回は堅実に勝たせてもらうわ」

 

 悪戯っぽい目で楽しそうに話しながら、曹操は細い指で顎をさする。

 

 青州出兵の時とは、外交を取り巻く状況が違う。前回は曹操を除く、全ての諸侯が現状維持を望んでいた。だが今回は、劉焉・馬騰・袁紹・曹操の4人が出兵に積極的であり、公孫賛は反乱発生によって動けない。劉表は領地が遠過ぎ、袁術も不可侵条約を結んでいる以上、直接手は出せないだろう。

 

 もはや誰もが、今まで通りの勢力均衡体制を維持できるとは考えていない。誰かが均衡を崩せば、全員が自分に都合よく解決しようとする。これを利用しない手は無い。 この調子なら、放っておいてもいずれ劉焉が均衡を崩してくれる。ならばそれに便乗すれば良いだけのこと。自分は迷っている劉焉の背中を、そっと後押しするだけでいい。

 

 戦争とは自分から仕掛けるものでは無い。他人に仕掛けさせるものなのだ

 

 

「……そう言えば、桂花から何か連絡は?例の交渉、なるべく今週中には結果を出すって意気込んでたけど」

 

 現在、筆頭軍師である荀或はこの場にいない。袁術の諸侯会議不参加を受け、新たに練った策を実行に移すべく外交交渉へ出かけたのだ。代わりに程昱が軍政を、郭嘉が外務を代行する事で彼女が抜けた穴を補っていた。

 

「昨夜に早馬による連絡が届きましたが、2日ほど遅れるようです。なんでも相手の軍師が中々首を縦に振らないだとか」

 

「まったく……慎重なのはいいけど、期日を守らないのは罰則ものよ。――帰ったらお仕置き確定ね」

 

「か、華琳様のおし…お仕置き……!」

 

 隣で何やら妄想した挙句、鼻血を吹いて倒れた郭嘉を横目に、曹操はすっくと立ち上がる。

 今や時代の流れは変りつつある。残る問題も、いずれ時間が解決するだろう――曹操は層考えていた。

 

 曹操は前回の失敗を繰り返すまいと、極上の餌を前に待ち続けた。それは飢えた猛獣が、獲物が近づいてくるのを待つ様子に似ていた。

 

 そして――

 

 

 ◇◆◇

 

 

 5日後、益州・司隷の州境にて

 

 

「我が勇猛なる兵士達よ!漢帝国と皇室に忠誠を誓った全ての民よ!」

 

 快晴の空の下で、一人の男が声を張り上げている。その名も劉君郎、天然の大要害・益州を統べる州牧その人であった。

 彼が司隷に兵を進めるにあたって、激怒した李傕により洛陽にいた2人の息子は殺されていた。しかし、それすらも扇動の道具として、劉焉は兵士に語りかける。

 

「李傕ら逆臣共は陛下を蔑ろにするばかりか、卑劣にも陛下の忠臣を虐殺したッ!私の息子達と多くの忠臣は、皇室に忠誠を捧げたが故に殺されたのだ!」

 

 何千、いや何万という完全武装の大軍勢。司隷からの難民を中心に選抜・訓練されたこの軍勢は『東州兵』と呼ばれ、開戦にあたって絶妙なタイミングで絶妙な配置についている。彼らの存在そのものが、この事態が“あらかじめ予期されていた”事を暗に示していた。

 

「諸君らの中には、董卓やその後釜である李傕らのせいで、家を失った者も少なくは無いだろう。家族を、友を失った者も少なくは無いだろう。……それでも諸君は李傕ら逆賊を許すのか!?」

 

 東州兵のほとんどは難民出身だ。答えは聞くまでも無く分かっていた――即ち、否と。

 

「そう、許せるはずが無いッ!答えは否、断じて否だ!我らはこの国と、正義と、そして犠牲者たちの魂に報いる為に奴らを打たねばならんッ!」

 

 ゆえに劉焉は命じる。

 州牧として。皇族として。彼の最初の臣民となった難民たちと、彼自身の野望の為に。

 

 

「全軍進撃ィイ!――目標は帝国首都、長安ッ!逆賊をこの手で討ち、同胞を圧政から解放するのだぁァァーー!!」

 




 近隣に暮らす人々の間の平和とは、人間にとって自然な状態ではない。それどころか、戦争こそが自然な状態である。

      ――イマヌエル・カント『平和のために』第ニ章より


 再び戦争が始まります。劉勲さんの作りだした平和は、小さなきっかけから諸侯が国益最優先でそれぞれが勝手に動いた結果、負の連鎖反応を起こして崩れてゆきます。見るからに不自然な平和だったんで“いつかこうなるだろ”と分かっちゃいましたが、戦争って意外と始まる時はあっけないものですよね。
 イラク戦争とかも“大量破壊兵器を持ってる疑いがある”とか割と無茶な理由でかなり唐突に始まってますし……そりゃフセインもブッシュと最後通牒をハッタリだと勘違いするでしょうねー。

 話は変わりますが、劉焉は息子の劉璋と違ってかなり有能な人間だったそうです。益州は事実上、劉焉の独立国家みたいになってたとか。ただ、李カク達が仲間割れした時に西涼軍閥と結んで攻め込み、返り討ち&洛陽にいた息子2人殺された後はいろいろ不幸が続いた挙句、病気で寝込んでしまったそうな。
 そんな訳で私の中では“そこそこ有能だけど不幸なかませキャラ”のイメージとなっております。
 

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