真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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第五章・終わりの始まり
46話:曹操の罠


  

 洛陽体制崩壊後の中華の諸侯は、ことごとく兵力の拡大と軍備増強にしのぎを削った。

 劉勲の築きあげた勢力均衡による国際秩序が、複雑すぎる外交関係と秘密条約の横行を招き、それを制御できなくなった結果、破滅的な暴走をもたらした――そう考えた諸侯はもはや、他人を信用しなかった。全ての仮想敵を同時に撃破できる軍事力、より洗練された戦時体制と兵力の膨張を伴った泥沼の軍拡競争。戦いの手法と展開はより複雑に、かつ大がかりになってゆく。

 巨大な軍事力を組織できる経済力と資金力をもった諸侯だけが、消耗を強いる戦争に生き残れる。その為には、国家の持てる全ての資源・資金・人材を最大限に発揮せねばならない。

 軍拡は領内に重い負担を、領外には一層の軍拡競争を招き、領民の不満は反乱に、政情不安は新たな戦争に結びつく。この相互不信と対立の悪循環こそが、袁術の経済支配と勢力均衡を失敗させた最大の要因だったのだ。

                            ――後漢書・仲国記

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 結論からいえば、劉勲らの消極的な対応は劉焉軍による司隷侵略を招く事になった。勢いに乗る劉焉軍は州境周辺にいた李儒軍を瞬く間に撃滅し、長安まであと一歩の所まで迫った。その目的が、李傕ら連立政権の力を支えていた皇帝を確保と、司隷の併合である事は誰の目にも明らか。

 ここに来て流石の李傕と郭汜も互いに矛を収め、李儒軍の残党と合流。自らの権力基盤である皇帝を奪われまいと、洛陽から長安に向けて10万の軍勢で進撃するのだった。

 

 

「くそっ!李傕の臆病者め、支援はどうなった!?」

 

 郭汜軍野戦指揮官の一人が、思わず苦悶の声をもらす。

 この日、郭汜軍所属の軍候(1000人ほどを指揮する部隊長)だった彼には、司隷連合軍の右翼を構成する部隊の一つを与えられていた。早朝から始まった劉焉軍の攻撃はこれで3度目であり、彼と彼の兵士の顔には疲労の色が見える。

 劉焉軍の襲撃自体はあらかじめ予期されていた事だが、対策がとれるかどうかはまた別問題。つい先ほどまで互いに争っていただけに部隊同士の連携が取れないどころか、反目しあって内部分裂寸前といった状況だ。それでも戦線が維持できているのは、ひとえに劉焉軍が自軍の損害を嫌って全面攻勢に出ていないからだった。

 

(仮に我らを倒したとて、被害が多ければ得たモノを横から掠め取られる……虎視眈々と機を伺う死肉漁り共のおかげで、我らは生かされているという事か。忌々しいっ……!」)

 

 劉焉軍と司隷連合軍の戦力差は8万対10万。指揮統制では劉焉軍が、兵力では連合軍がそれぞれ優位に立っている。どちらも決定的とは言えない戦力差であり、お互いが慎重に戦っている限り長く苦しい消耗戦となる。士気は最低ラインぎりぎりであり、隙間の無い隊列を構築し指揮官が目を光らせる事で、何とか脱走を防いでいるといった有様だった。

 

(だが、それは劉焉軍も同じはずだ……1日に3度も攻撃を行えば、どんなに士気旺盛な軍隊だろうと疲労困憊する。だから普通なら攻撃側の指揮官が敢えて消耗戦を行う利点は無い。

 でなければ何か別の策があるのか、あるいは……?)

 

 ――何かを待っているか。

 

「報告します!右前方から多数の敵が接近!……軽装歩兵がおよそ1000人規模、部隊間の隙間に割り込むものと思われます!」

 

 部下からの報告に、指揮官は一時思考を中断、軽く舌打ちする。本来なら戦列から部隊を抽出して抑えて回したい所だが、一度組んだ戦列の変更には多大なリスクが伴う。戦場ではほんの小さな混乱が戦線全体を崩壊させる事を考えれば、そのような危険を冒す訳にはいかなかった。

 

「――弓兵の援護射撃を回せ!敵は所詮軽装歩兵、鎧もろくに着てないはずだ!」

 

「ですが、矢が残り僅かしか……!」

 

 弓兵のいる方向に目を向ける。残弾数を分かり易くするべく矢は全て地面に突き刺さっており、部下の懸念が現実であることを示していた。その数は既に戦闘開始前の3割を切っていた。

 だが、一向に補給が来る見込は無い。司隷連合軍は兵士数こそ多いものの、先の内戦によって補給線がまともに機能していないのが原因だった。矢に限らず刀や鎧も折れたり曲がったりする消耗品であるため、それらが枯渇すれば文字通り肉の壁を作るしかない。

 

「補給は何とかして上に申請してみる!だがその前に、まずは目先の障害を取り除く事が先だ!――構えろ!弓兵は敵をよく狙ってから撃て!」

 

 号令を受けて、後方の射手達はゆっくりと弓を構え、慎重に狙いを定める。放たれた矢は緩やかな放物線を描いた後、重力に引かれて敵兵の頭上に降り注いだ。木製の簡易な銅鎧しか着けていなかった軽装歩兵が、次々に血を吹いて倒れてゆく。数分と待たず軽装歩兵部隊は退却し、血塗れになった死骸が辺りに残される。

 だが、ほっと一息つくな間もなく、彼らの目に新たに映ったのは別の敵部隊だった。

 

「新手の接近……!?」

 

 指揮官は目を細めて敵を確認する。移動の早さと舞い上がる土煙の多さからして、おそらく騎兵部隊だろう。数は300騎ほど――万全の態勢で迎え撃てば問題無いはずの数だが、矢が枯渇した現状では厳しいと言わざるを得なかった。

 

(ッ!……そうか連中、こちらの矢が尽きるのを待って……!)

 

 つまり先ほどの軽装歩兵部隊は、こちらに矢の消耗を強いる為の単なる囮。敵の本命は矢の脅威がなくなった所で、脆いが攻撃力に優れる騎兵を突入させることだ。目標は同じく戦列の隙間だろう。

 まんまと騙された事に苛立ちと後悔を覚える指揮官だったが、即座に気持ちを切り替えて命令を下す。

 

「部隊に警告!新たな敵騎兵部隊が接近しつつある!隊列を整えろ!」

 

 問題は戦列間の隙間をどう埋めるか。弓兵は矢を使い果たした。予備兵力も残っていない。増援が来る見込もない。となれば、残る手はただ一つ。

 

(唯一動ける歩兵――弓兵で近接戦闘をやるしかない……)

 

 考え得る限り、最悪の悪手である。弓矢を除いた弓兵の装備は短剣や手斧ぐらいであり、近接戦闘を行わせる事は自殺行為に等しい。時間稼ぎにはなるかもしれないが、間違いなく部隊は壊滅する。

 だが、他に方法が無いのもまた事実。こうして迷っている間にも、「全滅」の2文字が現実になろうとしているのだ。

 

「弓兵は手持ちの武器に持ち替え、間隙の防御につけ!」

 

 戸惑う部下を無視して、部隊長は声を張り上げる。

 

「急げ、時間が無い!全員、騎兵突撃に備え――「ふざけるなっ!」」

 

 部隊長の号令に、弓兵隊を率いていた副隊長の怒声が割り込む。

 

「弓兵に接近戦を行えだと!?――しかも相手は騎兵なんだぞ!俺らを皆殺しにする気か!」

 

 顔を紅潮させた副隊長が声を張り上げる。物資の不足と不利な戦況により、彼を含めた大部分の兵士は疲労の極みにあった。そしてここに来てもまた、全滅しろと言わんばかりの無茶な命令。いくら必要な行動とはいえ、そのような破れかぶれの玉砕戦法で部下を死なせる訳にはいかなかった。

 

「後退は許可出来ない!……騎兵が動いたともなれば、いくら上層部いえども放っておくことは無いはず!時間を稼げば必ず増援が来る!」

 

「この期に及んで“必ず(・ ・)増援が来る”だと!?そんな保障がどこにある!」

 

「甘ったれるんじゃない!戦場に保障などあるものか!いいか、これは命――「もう沢山だ!こんな無茶な命令につき合えるか!弓兵だけでも退却するぞ!」」

 

 そう言うが早いか、副隊長は部下に視線で指示を飛ばす。彼の部下はすぐに頷くと、敵に背を向け一目散に逃走を開始した。

 

「ま、待て!独断での退却は命令違反だぞ!?敵前逃亡は死刑に――……ぐッ!?」

 

 次の瞬間、部隊長の胸から血が溢れ出す。彼の背後に控えていた部下の誰かが、後ろから刃物で突き刺したのだ。部隊長は胸を両手で押さえながら、そのまま地面に膝をつく。

 

「き、貴様ら……!」

 

「――隊長は作戦行動中にて、名誉の戦死(・ ・ ・ ・ ・)を遂げられました。よって現場の判断は副隊長、貴方に委ねられます。ご命令を」

 

 自分を呼びかける声に、副隊長は短く“退却だ”とだけ返した。それに答えるように兵士達の足音が響き、その場から立ち去ってゆく。

 劉焉軍の騎兵が一斉に突撃したのは、その数秒後だった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「部隊の再編と補給を完了致しました。ご命令があれば、我が軍はいつでも出動できる状態です。」

 

 野戦用に作られた天幕の中で、劉焉は部下である張任の報告を聞いていた。

 この日の戦闘では結局、劉焉軍による4度目の突撃によって、司隷連合軍右翼を支えていた郭汜軍の戦列が崩壊。騎兵隊の後に投入した予備兵力が敵中央の側面に回りこんだ事により、片翼包囲の危険を悟った連合軍は退却を決意する。全滅こそ免れたものの退却の途中で行方不明(大半は脱走だ)になった兵も少なくは無く、不利を悟った連合軍司令官・李傕は長安を捨てて洛陽に逃走。もはや劉焉軍の進撃を阻む力は、司隷連合軍に残されていなかった。

 

「先ほど行われた戦闘により、連合軍は戦力の約半数を喪失。兵力の回復には最低でも1ヶ月、組織的な行動が行えるようになるには3か月以上かかる見込みです」

 

 もともと司隷連合軍の大半はゴロツキに毛の生えた程度のものであり、旧董卓軍系の精鋭部隊が彼らをフォローすることで成り立っている。戦列が崩れれば統制が利かなくなるのは火を見るより明らかだった。軍閥の寄せ集めでしかない連合軍ではいざという時の踏ん張りがきかず、劣勢になった途端に崩壊するという欠点を抱えていたのだ。

 

「我が軍にも3000名ほどの死傷者が出ましたが、来週には益州から1万の増援が到着予定であるため、作戦行動に影響はありません。長安に籠っている皇帝陛下をお守り(・ ・ ・)しつつ(・ ・ ・)、敵の残党を掃討出来るでしょう。」

 

 自軍の勝利を伝える報告を部下から聞きながら、劉焉は満足していた。

 これまでのところ、作戦は順調に進んでいる。もともと皇族だった彼には宮中に知り合いも多く、司隷の内部事情についてはかなり詳細な情報を得ていた。

 

 ――自分に対抗するべく同盟を結んだはいいが、李傕と郭汜が完全に協調できていないこと。内戦によって敵の兵士達に厭戦気分が広がっていたこと。これまでの無秩序な統治のせいで必要な軍事費が調達出来ず、物資の補給に問題を抱えていること。

 

 これらを考慮した上で、劉焉は戦力を的確に配置した。

 無理に包囲殲滅などの完全勝利を狙わずとも、補給切れに追い込んだ所で、どこか一か所でも戦列を崩せば後は勝手に自滅してくれる。そして軍隊は一度敗走すれば、再編成までの数ヶ月間は動けない。その期間は統制が取れていないほど、士気が低いほど、そして金が無いほど長くなるのだ。

 

「しかしながら、まだ油断はできません。袁術陣営は、李傕らの現政権支持を表明しており、資金援助や傭兵の給与が行われる可能性があります。また、交易路の安全確保を目的に、涼州の馬騰が出兵してくる危険性も否めません。」

 

「気にする事は無い。なぜなら私は曹操からは激励文をもらっている。――ゆえに問おう、この意味が分かるか?」

 

 芝居がかった仕草で満面の笑みを浮かべると、劉焉は部下の返答を待たずして口を開く。

 

「初期段階において、彼女は我々と同じ目標……司隷の併合を目指しているのだ。つまり曹操は我らの味方であり、現政権を打倒するまでは協力関係にあるということ。そして私と彼女以外の諸侯は動けないか、動こうとしていない。ならば必然の結果として、戦後は自分と曹操との間で争いが始まるだろう。……そうなった時、各地の諸侯はどちらを選ぶと思う?」

 

 劉焉は自分が皇帝になろうと画策しているが、地方への支配体制についてはあまり深い関心を持っておらず、現状維持――地方分権色の強い、諸侯による緩やかな連合体――でもよいと考えていた。

 一見すると「皇族による統治」という劉焉の目的とは矛盾しているように見えるが、この時代の“中華”というのは主に中原、華北平原のことであり、幽州や長江以南の土地はさほど重要視されていなかった。

 

「これまでの発言や領地の統治方法からして、曹操が目指しているのは強い君主権力と軍隊が支える中央集権国家に違いない。多くの諸侯は既得権益を守るために必ずやこれに反対するはず。彼らに適度な譲歩をすれば、優位に立つ事は可能だ。

 無論、中原の支配権を譲る気は無い。だが人体に頭と手足があるように、国にも中枢と末端がある。地方を手放して諸侯の支援が得られるならば安い買い物だ。そもそも偉大なる中華の大地に蛮族の血など不要。連中の住む不浄な土地など、成り上がり者にでもくれてやる」

 

 戦争とは戦場が全てでは無い。かつて袁術が反董卓連合でそうしたように、劉焉も戦後会議で諸侯の多数派を味方につけ、自分に有利な体制を作ろうと目論んでいた。

 

「曹操が活躍すればするほど、諸侯は過激な成り上がり者の彼女を恐れ、より穏健で確固たる権威と名声のある相手に縋ろうとするだろう。そもそも、なぜ私が帝位への野望を公式に公表せず、皇帝陛下の保護(・ ・)を優先していると思う?――全ては諸侯の警戒を抑えるため。同じ保護(・ ・)でも宦官の孫と皇族が言うのでは、天と地ほどの差があるのだッ!」

 

 『論語』の一節に次のような文がある。

 “父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直、其の中に在り。(家族の為に罪を隠す事は、人間の自然な形である”――社会よりも一族・家族を優先する儒教的家族主義がよく現れた言葉であるが、親しい人間同士の絆を重視する儒教思想は、良くも悪くも人々の感性に訴え易い。

 そして皇族の血を引く劉焉は、いわば現皇帝の遠い親戚といっても良い。劉焉が必要以上の欲を出さなければ、彼が現皇帝を保護するのに反対できる道義的な理由は無いのだ。

 

(皇族こそ至上にして最上の人間なり!由緒ある血統は、それだけで力なのだ!才能なのだ!権威なのだッ!!)

 

 皇族の血を引いているという事実は、それだけで劉焉に権威を保障する。家柄や血筋が重視される儒教社会では圧倒的なアドバンテージであり、そんな彼に取り入って権威を得ようという名士には事欠かない。袁術陣営のように計算高く実利的な諸侯なら、既得権益さえ保証すれば簡単に味方になるだろう。後はじっくりと時間をかけて宮廷での権力を拡大させながら、時期皇帝の座を既成事実化すればいい。

 

(残念ながら、ほとんどの皇族は血筋という力を生かし切れていない。我ら皇族を蔑ろにして宦官や外戚、そして外様の豪族が政治を思いのままにしているのが何よりの証拠。宦官らの魔手から解放されたかに見える現皇帝も、所詮は諸侯に担がれた傀儡にすぎん。

 ――だが、私は違う!生まれつき備わった血筋・権威・名声、その全てを使ってこの国の頂点となる!高貴な血筋を絶やしかねない乱世など、起こさせて堪るものか……!)

 

 結局のところ、劉焉の最終的な目標は『漢帝国の再興』という一点に集約される。皇帝一族が諸侯の傀儡へと墜ちた現状は、高貴なる血筋を持つ者こそが最上と信ずる劉焉には、到底認められないものであった。

 だから自らが『中興の祖』となり、分裂寸前の中華を再び中央から纏めあげる……劉焉もまた彼なりに国を憂いていたからこそ、今回の行動を起こしたのだ。

 

「この中華を下賤の輩が無責任に分割しているのを、これ以上見て見ぬふりはできん。国とは、選ばれた者が責任を持って指導する事で、初めて機能するのだ」

 

 どれだけ不正や腐敗が蔓延っていようと、平和ならそれでいい。意見が合わないなら、意見が合う者同士で纏まれば問題は起こらない――劉勲らの勢力均衡政策を支持する人間はそう考えている。

 だが劉焉の見たところ、それは単なる事なかれ主義、問題の先送りに過ぎない。目先の危機だけ回避しても、社会に残った傷は消えず膿として残り続けるだろう。膿の除去にはひどい痛みを伴うが、対処療法的に痛み止めだけ打ち続けていてはいずれ限界が来る。

 

「連中は分かっていない。この国には厳正な規律で人民を導く指導者が必要だ」

 

 異民族の問題もある。今まで中華が外国や異民族の支配を受けなかったのは、強力な中央集権体制によって巨大な統一国家を築いていたからだ。勢力均衡によって中華が諸侯間で分割されるような事になれば、外敵の侵攻を受けないという保証は無い。

 国内問題を解決するために国を分割し、その結果外敵に各個撃破されるような事になれば本末転倒。だが、長らく外敵との全面戦争を経験してこなかった諸侯の大半はその自覚に乏しい。

 

(この国は目覚めねばならん。いつまでも惰眠を貪っている訳にはいかないのだ!)

 

 そして愛すべき祖国を立て直すのに相応しい人物は、皇族の血を引く自分に他ならない――劉焉の中では中華再生への想いが激しく燃えていた。

 

 

「しかし、残念ながら全ての諸侯がそう考えるとは限らないでしょう。中には自己の利益のみを考え、皇帝陛下を長安から拉致、あるいは殺害しようと考える者もいるのでは?」

 

「フム……たしかに長安は包囲下に置いたとはいえ、数人程度なら警備の目をくぐり抜けられる。ならば念のため、監視と防衛の両方を兼ねられる函谷関を占領しておけ」

 

「了解しました。」

 

 函谷関は、長安と洛陽という2つの大都市の中間に位置する関所である。前漢では首都・長安を守る東の壁となり、首都が洛陽に移った後漢では西の壁となった。その重要性から楼閣や城壁で要塞化されており、8万の兵力を擁する劉焉軍が駐屯すれば落城はあり得ない。長安包囲と占領地警備の兵を差し引いても、6万程度は投入できるだろう。

 

「なぁに、焦る事は無い。全てが計画が終わった時、私は必要なもの全てを手に入れる。そう、私が漢帝国になるのだ……!」

 

 自分で自分に言った言葉に、満足げに頷く劉焉。

 もし彼の人生に絶頂期があったとすれば、間違いなくこの日、この瞬間だっただろう。誰もが憧れる皇帝の玉座に、劉焉は中華で一番近い位置にいた。

 

 ――だが、現実とは非情である。ひとたび人生の頂点に立てば、後は落下していくだけなのだから。

 

 劉焉の野望は、それが始まった時には既に終わりへと向かっていたのだ。

 

 

 ふと、天幕の外が騒がしくなる。劉焉が何事かと思っておると、一人の伝令が息を切らして駆け込んできた。

 

「たっ、大変です!曹操軍が……!」

 

 尋常では無い様子の伝令。その姿に少しの疑問を覚えたものの、劉焉は威厳を示すべく落ち着いた声を返す。

 

「焦るでない。曹操軍がどうかしたのか?」

 

 また袁術の横槍だろうか?曹操の軍事行動は、過去に何度も妨害されている。

 

「いえ、曹操が新たに軍事同盟を結びました!――相手は冀州牧・袁本初です!」

 

「なっ……何ぃィイイ!?」

 

 その瞬間、劉焉は自分の中で何かが崩れゆく音を聞いた。

 

 

「彼らは李傕達を司隷の正当な政府と認定、我が軍に対し“『集団的自衛権』に基づく武力行為を行う”とのことです!」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 鉛色の空、その下に広がるのは黄土色に濁った大河だった。吹き抜ける強風が黄河の水平面を波立たせている。

 外套を着用した曹操が天幕の外へ出ると、既に大勢の軍師と将兵たちが待ち受けていた。およ6万に達する曹操軍は出撃準備を完了している。黄河を挟んだ対岸には味方である袁紹軍3万が待機。計9万にも上る大部隊が展開されていた。

 

「知っての通り、劉焉軍は諸侯に先んじて司隷へと軍を進め、公然と侵略行為(・ ・ ・ ・)を行っている!司隷の現政権を脅かす劉焉(・ ・)軍の行動は、明らかに中華の平和および安全に対する脅威であろう!」

 

 曹操が凛とした声で演説をぶつ。

 もはや騙す必要も隠す必要もない。荀或の立てた策とは、劉焉と連携して李傕らを倒す事では無く――

 

「これは洛陽憲章で定められた“諸侯の権利”を著しく侵害する行動であるばかりか、紛れもない侵略行為である!我々は社会の一員として、ただ座してこれを見過ごす事は出来ない!」

 

 ――劉焉が侵略するように仕向け、彼を悪と断定する事で、軍を進める大義名分を得ること。

 

「ゆえに我らは“ならず者諸侯”の侵略から司隷を解放し、漢帝国に秩序を取り戻すべく『集団的自衛権』を発動する!」

 

 『集団的自衛権』とは、他国が武力攻撃を受けた場合に、第三国が協力して共同で防衛を行うという権利だ。反董卓連合戦の後に全ての諸侯間で結ばれた『洛陽憲章』においても“不当に条約を破ったした諸侯に対し、その他の諸侯は集団で制裁する”との記載がある。

 だが、曹操はこれを逆利用したのだ。勢力均衡の維持と洛陽憲章の遵守を謳う事で(表向きは)、まんまと司隷に兵を進める大義名分を得た。

 

 曹操軍は李傕らの治める司隷を侵略するのではなく、劉焉に侵略された司隷から侵略者を追い出す為に参戦する――こう言われてしまえば、他の諸侯に曹操を非難する事は不可能だ。袁術とて、曹操が洛陽憲章の擁護を掲ている以上、これを止める事は出来なかった。曹操の行動を否定する事は、自身が主催した洛陽会議を否定する事になるからだ。

 

 これに加えて曹操は袁紹と軍事同盟を締結する事で、より確実な勝利を狙っていた。戦力の充実に加え、前回のような諸侯の介入を防ぐ為にも、強力なパワーを持った諸侯との同盟は必須。そこで同じく司隷への侵攻を目論んでいた袁紹に対し、曹操は軍事同盟を持ちかける。

 

 袁紹にしても、同盟が締結されれば兌州に睨みを利かせる必要もなくなり、冀州南部に展開していた軍をそのまま動員できる。動員速度と兵員の2つをいっぺんに獲得できるのだ。諸侯会議の失敗と煮え切らない馬騰の態度、劉焉軍の司隷侵略に焦っていた事もあり、袁紹はあっさりこれを承諾。同盟によって曹操の一人勝ちを防げるばかりか、万が一劉焉が皇帝を確保するような事態になっても曹操という心強い同盟軍がいる。加えてかつて皇帝を保護したという曹操の実績は、劉焉の手から皇帝を奪還する大義名分と成り得るだろう。

 曹操に不信感を抱いていた田豊にしても、これ以上の遅れを取る訳にはいかず、最終的には首を縦に振ったのだった。

 

 賽は投げられた――覇王・曹孟徳は剣をかざし、乱世の到来を謳い上げる。

 

「――総員、直ちに長安に向けて進軍せよ!」

  




 他人に戦争煽っておいて、それを逆手にとって使い捨てちゃう華琳様。2枚舌を駆使して世界を止める劉勲に対し、曹操さんもまた2枚舌でそれに対抗しました。
 ……劉焉はとばっちりだけどまぁ仕方無い。

 政治外交がメインだと、どうしても狐と狸の化かし合いみたいな話ばっかりになってしまいがちなんですよね。・・・どうしたものか。
 まぁ、そろそろ戦争だし、少しは「これが武人の誇り!」みたいなサッパリした話も……入れられたらいいなぁ。

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