真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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49話:水面下にて

          

 ――荊州・南陽群

 

    

 この日、宛城にある袁術の居城では珍しい客が訪れていた。内容は南陽群太守・袁公路への公式な謁見。贅の限りをつくした煌びやかな謁見室へと通されたのは、桃色の髪をした少女だった。

 

「徐州牧・陶謙様のもとで、客将および小沛城主を務めさせて頂いてる劉玄徳と申します。袁公路様とは、洛陽以来になりますね」

 

 謁見に参列したのは彼女だけではない。劉備の周りには『天の御遣い』北郷一刀、『伏龍』諸葛孔明、『軍神』関雲長とかなりの豪華キャストがひかえていた。これには名門袁家いえども無下に扱う訳にはいかず、劉勲ら袁家家臣も社交儀礼的にお辞儀を返す。

 流石の袁術もそちらを10秒ほど凝視し――

 

「…………誰じゃ?」

 

 やっぱ綺麗に忘れてた。というか、まず劉備達の存在自体を知ってたかどうか疑わしい。

 

「どっかで見た事があるよーな、無いような顔じゃの……」

 

「さっすが美羽様!予想を裏切らない無知蒙昧っぷりに痺れちゃいます~♪」

 

「ふっふっふ、七乃よ。妾は家臣の信頼を裏切らない主君なのじゃ」

 

「きゃー!今日のお嬢様、なんか無駄にカッコイイですぅ!」

 

 やたらポジティブ、そして何事も自分に都合よく解釈する。相変わらずの強引過ぎる袁術クオリティーに、同じく一人お祭り状態の張勲。袁術を初めて見る関羽などは、思わずあんぐりと口を開いていた。

 だが、それも周囲に居並ぶ人々にとっては見慣れた光景らしい。誰も止めに入らない袁家家臣。早々に見切りをつけて、マイペースにネイルの手入れをしている劉勲。何かを悟ったような宙を見つめる孫家の面々――劉備ら一行の内心では、早くもこの場に来たことへの後悔がこみあげていた。

 

「(……ひょっとしてわたし達、なんか間違えた?)」

 

「(はわわ、人民委員より袁術さんへの面会申請の方が簡単に通った理由って、もしかしたら……)」

 

「(桃香様、今からでも遅くはありません。ここは早めに引き返した方が……)」

 

「(だから袁術は止めとけっていったのに……)」

 

 それはさておき、劉備達がわざわざ袁術のもとへ赴いた理由は一つ。来るべき曹操との戦争、あるいは交渉に備えての支援要請だ。徐州をとりまく情勢が、日に日に悪化していることはもはや自明の理。州牧の陶謙は藁にもすがる思いで袁術に協力を依頼したのだが、当の本人は領内をまとめるのに手一杯であり、代わって劉備ら一行が徐州の大使として宛城に赴いていた。

 張勲におだてられてひとまず満足したのか、袁術は再び劉備達の方へ向き直る。

 

「で、そち達がここに来た目的は……たしか妾の部下になりたいということじゃな。うむ、良い判断じゃ」

 

「違います」

 

 素でぽかんとする袁術に軽く眩暈を覚えつつも、劉備は辛抱強く当初の目的を告げた。

 

「わたし達と、軍事同盟を結んでもらえませんか?」

 

 徐州と袁術陣営はすでに自由貿易協定を結んでいるが、あくまで経済上の協力関係であり、それは軍事上の援助義務を伴うものではない。劉備達が曹操に対抗するには、袁術との同盟強化は何としても必要なものだった。

 しかし袁術は渋い顔をすると、ためらいがちに口を開く。

 

「う~む……じゃが、誰だって親を殺されたら怒るに決まっておるぞよ?」

 

 流石の袁術も徐州で曹操の親が暗殺された、という程度のことは知っていた。そして客観的に見れば、非は徐州側にあるということも。

 

「それにの、おとなしく曹操の言う事を聞けば済むことじゃろ?なんで妾たちが戦争に協力せねばいけないのかや?」

 

 曹操の要求は厳しいものだが、物理的に出来ない事は無い。素直に曹操の言うとおりに謝罪すれば、それで済む話ではないのか?――珍しく袁術が真っ当な事を言っている、稀有な事態に俄かにざわつき始める袁家家臣たち。そんな部下の驚きを知ってか知らずか、袁術は言葉を続けた。

 

「違うかの?」

 

 そう問いかける袁術の表情には打算も計算もない。子供らしく、ただ単に思ったままの言葉を口にしただけ。だが、その無邪気な問いかけこそが、劉備にとっては最も堪えるものだった。

 

「そ、それは……」

 

 劉備とて、完全に自分達の行動に納得した訳では無いのだろう。日頃は明るい彼女の表情も、どこか沈みがちだ。

 そんな彼女の手を、隣にいた一刀が握り締める。

 

「(ごっ、ご主人様……!?)」

 

「(桃香は間違ってなんかいない。俺達は陶謙様に恩があって、徐州の人々にもお世話になった。だから彼らを守るためにここにいる……そうだろ?)」

 

 一刀は小声ながらも、しっかりとした口調で劉備に語りかける。

 

 徐州牧・陶謙はどこの馬の骨とも分からぬ自分たちを厚遇してくれるばかりか、小沛城主という要職にまで着けてくれた恩人だ。小沛は兌州と豫州を臨む最前線であり、本来ならば決して素情の分からぬ義勇軍などに預けて良い場所ではない。にもかかわらず陶謙とその部下達は、全面的に自分達を信頼してくれた。徐州に住む人々も、不慣れな自分達の統治を暖かく見守ってくれた。

 

 そんな彼らの恩に報いたい――それが、劉備たち全員に共通する思いだった。義理や人情などといったものの無力さを思い知ってなお、劉備達に徐州を見捨てるという選択肢は無かった。

 やがて意を決したように、劉備はゆっくりと口を開く。

 

「……わたし達は袁術さんに、戦争の片棒を担いでもらおうなんて思ってません。陶謙様も同じ考えです」

 

「どういうことじゃ?」

 

「曹操さんとは一度きちんと話合って、こちらの事情も聞いてもらいたいんです。もちろん事件の犯人は、わたし達が必ず捕まえます。でも……でも、そのためには時間が必要なんです!」

 

 曹操が提示した猶予期間は一週間。それは恐らく、彼女が部隊を再配置するのに必要な期間なのだろう。もし猶予期間内に要求が認められなかった場合、曹操軍は即座に徐州へ雪崩れ込むに違いない。

 陶謙は懸命に猶予期間の引き延ばしを求めたものの、全て曹操に断られた。だが袁術という強力な同盟相手がいれば、交渉に持ち込めるかも知れないのだ。

 

「今回の事件において、わたし達に責任があることは確かです。でも、だからといって曹操さんが徐州に攻め込む理由にはならないはずです!」

 

 熱っぽく語る劉備。たしかに曹操には親の仇討ちという大義名分があるが、それを理由に侵略戦争を行うのは公私混同ではないだろうか。謝罪すべきは徐州の州政府であり、全ての住民が曹操の言いなりになる道理はない。

 劉備が袁術に向かって頭を下げ、そのままの姿勢で言葉を続ける。

 

「わたし達は戦争を望んでいません。出来れば話し合いで解決したいと思っています。……ですが、今のわたし達では曹操さんと話し合う事も出来ないんです!」

 

 『対話と圧力』、外交の場でよく使われる言葉であり、世にある真理の一つでもある。どちらが欠けていても、またどちらが強過ぎても交渉はできない。そして劉備たちが曹操と交渉を行うには、『圧力』が欠けている。

 

「袁術さん達は今まで、話し合いによってこの国を平和に導いてきました。わたし達と志は違えど、そのおかげで沢山の人が戦争に巻き込まれる事無く、今も平穏に暮らせています。だから――」

 

 劉備の真っ直ぐな視線が袁術を捉える。

 

「お願いします!せめてもう一度だけでも、平和に向けた努力を。みんなが仲良く笑って暮らせる、そんな未来を……わたし達と一緒に目指してくれませんか?袁術さん」

 

 劉備はもう一度、深々と頭を下げた。後ろに控える一刀たちもそれに続く。その姿に何かを感じるものがあったのか、袁術も彼女の言葉を噛み締める。隣に控える張勲や劉勲もまた、無言で主の言葉を待っている。

 そして……しばしの沈黙を経て、袁術ははっきりとこう告げた。

 

 

「――嫌じゃ」

 

 

 可愛らしい口から放たれたのは、明確な拒絶の意。唖然とする一同をよそに、袁術は諸葛亮に下がるよう手を振る。この判断に劉備たちは勿論、張勲たちですら驚きを隠せなかった。

 

「えぇ~~!?ここは普通“分かったのじゃ!”とか言ってカッコよくビシッ!とキメる所じゃないですかぁ?お嬢様、もう少し空気読みましょうよ、場の空気!」

 

「だって妾には関係ない戦じゃし、もし巻き込まれて妾の兵士やお金や蜂蜜を無くしたらもっと嫌なのじゃ。妾のモノはぜーんぶ妾の為だけにあるからの。びた一文まけてあげないのじゃ!」

 

 得意げに指を立ててドヤ顔を決める袁術。この上ない暴論だが、これはこれで袁術らしい。

 

「おお~!なんというオレ様理論!いよいよ悪代官っぷりも様になってきましたね、お嬢様!」

 

「驚くがよい七乃、これを勿体ない精神と呼ぶのじゃ!」

 

「いいえ、それはただのドケチですぅ♪」

 

 ばっさり切り捨てられた。

 

「うぅ~、そんな事言っても元々妾には関係ない話じゃからのぉ。会った事もない陶謙や民がどうなろうと知らぬ」

 

 いじける袁術の口からは、またもや暴論が放たれる。だが、その論理も考えようによっては正論とも取れるものだった。いや、子供らしさを極限まで突き詰めたと言うべきか。

 なるほど陶謙を始めとする徐州の人々は、劉備たちにとっては命を賭して守るべき恩人かも知れない。だが袁術にとっては赤の他人どころか、違う世界の住人とも言えた。そもそも大抵の人間は外国で起こった戦争で会ったこともない数十人が亡くなる事より、よく知る職場の同僚が事故で一人亡くなる事の方に心を痛めるものだ。子供なら尚更その世界は狭く、よく知りもしない人間から感じるものは少ない。

 

「とにかく、妾はそち達の兵や土地より、妾のモノの方が大事なのじゃ。……わかったかや?」

 

 袁術はもう一度手を振り、この面談を終わらせようとする。

 だが、劉備たちとてここで引き下がるわけにはいかない。今度は諸葛亮が前に進み出て、抗弁を始める。

 

「今、徐州は危機に瀕しています。正当性の問題はさておき、もし曹操さんの軍勢が徐州を占領する事になれば、そちらも困るのではないでしょうか?」

 

 劉備は先ほど、曹操との対話には圧力も必要だと認めた。だが、その2つが必要なのは何も敵との交渉に限らない。味方と交渉するにも『圧力』は必要なのだ。

 曹操という外圧を利用し、諸葛亮は瀬戸際外交を試みる。

 

「曹操さんの最終目標は天下統一です。対立を先延ばしても、いつかは衝突する時が来るでしょう」

 

「むぅ……確かに曹操が天下を統一するとか悪夢なのじゃ」

 

 洛陽会議以降の中華の歴史は、覇権を試みる曹操あるいは袁紹と、均衡を保とうとする中小諸侯連合との対立の繰り返しともいえる。陶謙は曹操の覇権主義に抵抗する有力な諸侯の一人であり、失うには大き過ぎる存在だった。

 そこまで考えが及んでいないにしろ、少なくとも曹操の強大化は好ましくない、という程度のことは袁術にも理解できた。袁術が話に乗って来たのを見計らい、諸葛亮が懐から一枚の巻物を出す。

 

「もう一つ、こちらをご覧ください」

 

「なんじゃ?この数字がびっちり書かれた紙は?」

 

「徐州と南陽群、そして豫州における収支統計です。無論、全ての資料が集められたわけでは無いので大雑把な情報になりますが、人民委員会の方々ならこの意味がお分かりになるでしょう」

 

 諸葛亮の言葉に、劉勲を含む数人の人民委員が無言で頷いた。

 徐州では袁術領とは違い、陶謙の安定した統治のもとで戸籍・計帳がきちんと整備されており、毎年一人ひとりを対象に年収を調査し課税・徴税するシステムが機能している。商人についても同様で、商いを行う者は必ず市籍に登録せねばならず、脱税が行われた場合には厳しい罰則があった。

 そのため役所には年ごとの詳細な収支データが記録されており、徐州は袁術領に対して大幅な資本収支の黒字ならびに経常赤字であることが確認された。

 

 要約すると徐州は輸出商品の競争力が無い為に輸入超過になっているが、袁術領から他額の投資を受ける事で国際収支のバランスを取っている、ということ。逆に袁術領では、輸出で稼いだ資金で金貸しを行っている。よってカネの流れは差し引きゼロとなり、収支の赤字や黒字そのものには損も得もない。

 袁術陣営にとって問題になるのは“大幅な”という部分だった。先の自由貿易協定を通して経済交流が活発化していたこともあり、財界は徐州の敗戦によって借金が返済されなくなることを恐れていた。

 

「つまり、アタシ達の経済は相互に深く依存し合ってるから、片方が潰れるともう片方も被害を被るってワケよ。曹操ちゃんが負債を引き継ぐとも思えないし、徐州に投資した商人にとって債務不履行は最悪の状況になる」

 

 今まで会議そっちのけで爪のケアをしていた劉勲が、ようやくここで話に参加する。それから何か面白いものを見つけたように、少しだけ眉を上げた。

 

「ひょっとしてアナタ、こうなった時のことまで見込んで、あの自由貿易協定を結んだのかしら?いざという時の保険も兼ねて」

 

「返答しかねる質問ですね……未来を予想することなど、誰にも出来ないはずです。違いませんか?」

 

 落ち着いた声で質問に答える諸葛亮。だが彼女が口ではそう言いながらも、一瞬だけ一刀と目を合わせたのを劉勲は見逃さなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「……で、その後も賛成か反対かで話がまとまらず、袁術は決断を保留したと」

   

 その部屋は薄暗く、大量の書類と2人の人影が蝋燭に照らされていた。うち片方は来客らしく、起立したままもう一方の問いに答える。

 

「はい。結論は明日の中央人民委員大会で出されるものと思われます」

 

 来客……呂蒙はこの日、周瑜への定期報告に来ていた。彼女の前には大きな机があり、そこには書類に目を通す周瑜がいた。

 

「袁家の中ではどちらが優勢だ?」

 

「現時点では同盟賛成派が若干有利かと。ただ、劉書記長をはじめ財界の声を後ろ盾にした者の多くは反対に回っており、決定的とはいえません」

 

「そうだろうな。でなければ、今日中に結論が出ていたはずだ。……他には?」

 

「それから……明命から極秘連絡が届きました。内容は例の交渉(・ ・ ・ ・)についてです」

 

 再び口を開く呂蒙。周瑜への定期報告の中には、彼女や周泰を始めとする一部の者にしか知らされていない、極秘命令の報告も含まれていた。

 

「周瑜様の読み通り、彼は我々の存在を必要としています」

 

「……具体的には?」

 

 周瑜が書類を書く手を止め、呂蒙のいる方を振り向く。

 

「向こうの要求は一つだけでした。洛陽体制が崩壊しつつある現状で、誰もが喉から手が出るほど欲しているもの――優れた兵士からなる軍隊です」

 

「つまり来たる脅威に備えて、我々の軍事力を利用したいということか」

 

 周瑜はふっ、と口元に笑みを忍ばせた。

 

「よし……交渉はそのまま続行。それと、くれぐれも袁術の『同志達』には気をつけるように。どこで情報が漏れているか分からないからな」

 

「はっ」

 

 呂蒙は言われた言葉を一字一句、心に刻みつける。周瑜の言うとおり、何よりも気をつけなければならないのは『同志達』と呼ばれる非公式協力者だ。気を抜けばいつどこで密告されていてもおかしくは無い。そして袁術陣営ではどんなに実績を立てようと、『国家保安委員会』に敵と見なされた瞬間に全ての努力が水の泡と化す。

 

「……それと、もう一つ報告しなければならない事があります」

 

「ほう……」

 

 ためらいがちに口を開いた呂蒙を見て、周瑜は興味深そうに眉を上げる。どちらかというと引っ込み思案なこの新米軍師が、わざわざこの場で自分に直接報告するほどの情報だ。さぞや有益で――それ以上に危険な情報に違いない。

 

「まずはこちらをご覧ください。……陸遜さんからの手紙ですが、しばらく皆さんには内密にして欲しいとの話でした」

 

「穏が……?」

 

 いささか面喰った様子で手紙を受け取る周瑜。

 陸遜は彼女の一番弟子であり、孫家の副軍師的なポジションについているほどの切れ者だ。その彼女が、手紙の内容を自分と呂蒙以外には内密にして欲しいという。となれば、手紙の中味は必然的に他の孫家の人間に知られると困る類の内容のはず――そんな情報ともなれば、考えられる可能性は一つしかない。

 

「……裏切り、だな」

 

 周瑜は即座に看破する。陸遜の一族は『呉郡の四姓』とも呼ばれる有力豪族であり、厳密に言えば孫家直属の家臣ではない。あくまで陸遜が個人的に孫家に仕えているというだけで、他の一族の者はそのまま揚州呉郡に割拠し強い影響力を保っていた。

 揚州は中央から離れている事もあってか、昔から地元豪族の力が強い。もともとは孫家も揚州の小豪族であるし、周瑜自身も揚州の名門豪族周家の出身だ。袁術陣営はそんな地元豪族たちと癒着することで揚州を牛耳り、半植民地化を推し進めている。陸遜の一族もそんな地方豪族のひとつで、袁家との経済的な繋がりは年々深まる一方だった。

 

「自らは直接手を汚さず、孫家に内部分裂を引き起こしての漁夫の利狙い……相変わらずの金にモノを言わせた買収工作か」

 

 だが、呂蒙から渡された手紙を読むにつれ、周瑜の表情に不穏な気配が混じる。緊張しながら顔色を伺う呂蒙に、周瑜は不機嫌そうな声で告げた。

 

「予想通り裏切りの密書だったが……予想外の内容が2つあった。1つ目は、この手紙の差出主が穏に裏切らせようとしたのが我々ではなく袁術だということ。2つ目は、送り主そのものだ」

 

 周瑜はふん、と鼻を鳴らして机を指で叩く。

 成程、これなら穏が内密に自分へ手紙を送ったのも分かる。確かにこれは、他の孫家の者に聞かれたら不味い話だ。

 

 だが、もし見つかったのが周瑜や呂蒙であった場合には、困るどころか僥倖ともとれるものだった。

 

「いや……むしろ手紙の送り主は、穏を通じて我々に伝えようとしていた可能性が高いな」

 

「我々に伝えようと……?それなら、どうして直接こちらに密書を渡さないのですか?」

 

「簡単な話だ。孫家と我々のような直属の家臣は、常に『同志達』によって監視対象とされている。だが袁術と深いつながりのある穏の一族ならば、監視の目も多少は緩む」

 

 もちろん一定のリスクはある。国家保安委員会が監視の目を緩めるからには、穏の一族の大部分は袁術寄りのはず。この密書を渡された一族の者達も、即座に手紙を廃棄するか隠したに違いない。袁術に反乱分子との疑いをかけられては困るからだ。それでも同じ一族である穏なら密書の存在を知っていても不思議はないし、どこかで隠されていた物を複写でもしたのだろう。

 

「袁術に対する裏切りの要請ならば、放っておいても袁家に親しい陸遜さんの一族が勝手に証拠を隠ぺいしてくれる。でも手紙の内容を知った陸遜さんは、必ず孫家に伝えようとするはず。実際、密書は私を通じて周瑜様のもとに……」

 

「そういう事だ。我々と彼らの間で連絡がとれ、しかも袁術に知られずに、な。……まったく、食えない相手だ。“そういう人物”だと知ってはいたが」

 

 周瑜は相手を褒めるような口ぶりを見せつつも、どこか苦虫を噛み潰したような顔になった。その様子からは、周瑜が手紙の送り主と旧知の仲であることが伺える。

 

「どうしますか?」

 

「今は無視する。まだ向こうが本気かどうか分からない上に、袁術が裏切り者を網にかけるための自作自演かもしれん。――ただし、引き続き明命には監視の手を緩めるなと伝えろ」

 

「了解しました」

 

 呂蒙は深く頭を下ると、くりと背を向けて歩き出す。そのまま部屋から退出しようと扉に手をかけたとき、後ろから再び周瑜に呼び止められる。

 

「そういえば……蓮華様はどうなった?」

 

「どうなった、とはどういう意味でしょうか?」

 

「袁術との関係についてだ。孫堅様の死後、袁術陣営は露骨に孫家に仕える武官を冷遇する一方、文官を優遇している。洛陽会議の件といい、徐州の件といい、袁術陣営は積極的に接触を図っているようだが、蓮華様の反応が知りたい」

 

 孫家家臣は大きく武官と文官に分けられ、それぞれを孫策と孫権がまとめている。袁家はそれを利用して待遇に差をつけ、こちらでも孫家の内部分裂を狙っている――周瑜はそう読んでいた。

 

「ここ最近、蓮華様が雪蓮様に会う回数が減ってきている気がする。蓮華様の立場上、袁家文官との仕事が多いのは承知だが、しかし――」

 

「……失礼を承知で申し上げますが、周瑜様は蓮華様が袁家に取り込まれたとお考えなのですか?」

 

 呂蒙が珍しく強い口調で詰め寄る。彼女の忠誠心は主に孫権に向けられており、それを侮辱するような発言は例え周瑜だろうと見過ごすわけにはいかなかった。

 

「おっしゃる通り、蓮華様はは袁家の人間とも親しくしておられます。ですが、それは全て民の生活を思ってのこと。決して孫家を見限った訳ではありません」

 

「分かっている、亞莎。私もそう信じたい。……ただ、蓮華様はまだまだ若い。比べてあの女狐と、その取り巻きは狡猾だ。知らず知らずのうちに利用されている可能性が無い、とは言い切れまい」

 

 孫権に限らず、孫家の文官達が民の為を思って職務に励めば励むほど、それは最終的に袁術領を富ませ袁家に利することになる。一方の武官はというと、あからさまな待遇の違いに不満を持つ者が少なくない。周瑜も何度か家臣に忠告していたのだが、長い年月を経て袁家に対する憎しみと孫家への忠誠心は薄れつつあり、逆に武官と文官の溝は深まるばかりだった。

 

「……まぁいい。この件はまた追って話そう。こういう事に関しては私があれこれ思案するより、思い切って雪蓮様に相談した方がいいこともあるからな」

 

「はっ」

 

 もう一度振り返ってお辞儀をすると、呂蒙は部屋から退出した。その後ろ姿を見送りながら、周瑜は小さく溜息をつく。

 やらねばならない事は沢山ある。徐州との同盟、孫家の利用を図る相手との密約、陸遜からの手紙……問題は山積みだ。加えて呂蒙から渡された報告書の中に、気になる点がもう一つあった。

 

(徐州との同盟交渉で、劉勲が買収工作を行った痕跡がない……?)

 

 周瑜の知る劉勲の常套手段は、買収による多数派工作だ。賄賂のような直接的なものから、別件での支持の約束、天下りの便宜など実に多種多様な方法がある。これらは劉勲の持つ、財界のバックを背景とした資金力と、書記長という地位を生かした組織力があって初めて可能になるもの。劉勲は商人らしく、自分の使える全ての財を利用することで、今までその発言力を保ってきた。それをしない、ということは――。

 

(よほど賛成派を説得する自信があるか、あるいは別の解決策でも見つけたのか……?)

 

 そのいずれかだろう。劉勲の本質は小物だが、考え無しの馬鹿ではない。だからこそ今まで勢力均衡を維持し続けられた。彼女自身に問題を解決する力が無ければ、他者を誑かし利用することで己の目的を達成するのが劉勲だ。

 

(……結局、誰もが生き残りをかけて乱世に立ち向かっている、という事か。劉備も袁術も曹操も、それぞれが己の進むべき道を模索し、この国を飲み込む戦乱の波に抗おうと……。

 ――我々も、乗り遅れるわけにはいくまい)

 

 徐州への対応は明日に開かれる、中央人民委員大会で決定されるという。決定内容よっては、中華の情勢もまた大きく変化するだろう。これまで中原の戦乱に対して明確な方針を明らかにしていなかった袁術陣営が、ついに態度を明らかにするのだ。

 

「……これから、忙しくなるな」

         




 なんか久々に袁術陣営の面々が出てきたような気が……。忘れてたわけじゃないんですが、しばらくは徐州動乱やらで曹操さん辺りの話が増えるかも。

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