真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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第六章・東の戦乱
53話:二袁の争い


 

「――あの忌まわしい戦争を防ぐことは出来なかったのだろうか。そもそも、なぜあんな事が起こってしまったのか……誰もが自分から開戦する気がなかったにもかかわらず、我々に用意された選択肢は一つしかなかったのだ」

 

                    ~魏書・袁紹列伝より抜粋。田豊の語録より~

 

 後に『全ての戦争を終わらせる戦争』と揶揄されたこの大戦のきっかけは、後世の歴史学者たちにとって最も興味深いテーマであり、大きな歴史の謎の一つである。

 

 当事者の一人だった劉勲でさえ、「我々は皆、混乱の内に戦争に突入した」と述べている。

 

 多くの文献で直接の原因とされるのは、曹操の父・曹嵩の暗殺だろう。父を殺された曹操はその責任を徐州政府に負わせ、領土拡大の為に占領しようと目論んでいた。そこで同盟相手である袁紹の支持を得た上で、曹操は徐州に最後通牒を叩きつける。親の仇討ちは儒教的な観点から見て咎められるものでは無く、孤立無援の状態に置かれた徐州には降伏か無謀な徹底抗戦の2択しか残されていないように見えた。

 

 また、徐州侵攻を実行するにあたって、曹操軍には『黄色作戦』呼ばれる攻撃計画が戦前から存在していた。曹操の治める兌州と徐州の州境には山岳地帯が広がっており、進攻を容易にするには別方面からの進軍が望まれていた。そこで曹操軍の軍師・郭嘉の考えた策は囮を州境に配置して徐州軍主力部隊を引きつけ、その間に曹操軍本隊は青州から迂回して徐州を側面から叩く、というものだった。

 

 しかしながら、この大胆な作戦には大きな欠陥が一つ残されていた。それは中立を宣言している青州内部を軍が通過するという根本的な部分であり、青州に脅しをかけて軍の領内通過を認めさせなければならない、という事だった。つまり『黄色作戦』は完全に純粋な軍事上の妥当性だけで考えられており、政治・外交を無視した「やろうとすれば、やれない事は無い」という程度の理屈倒れの計画だったのだ。

 曹操軍がそれをどこまで重視していたかは定かでは無いが、一説によれば郭嘉ら曹操軍首脳部は、元々そういった欠点を承知の上であくまで徐州に対する“脅し”のための本計画を練ったのであり、本気で実行する気は無かったともいう。そのため歴史家の中には「曹操に本気で戦争を行うつもりはなく、軍事力をチラつかせた恫喝外交によって徐州を服従させ、政治上の優位性を確保するのが目的だった」という見方する者も存在する。

 

 

 とはいえ、青州の弱小さゆえに『黄色作戦』にも成功の余地があった事が、事態をより複雑化させた。曹操軍以外の全ての諸侯が、曹操は本気で全面戦争をするものだと受け止めてしまったのだ。

 

 その内の一人が、徐州と親密な関係にあり、また袁紹と敵対していた公孫賛だった。曹操が青州・徐州を占領すれば中原の大部分は袁紹・曹操同盟の支配下となり、自らは孤立無援の状態に置かれてしまう――危機感を抱いた公孫賛は徐州への全面支援を打ち出す。徐州牧・陶謙も喜んでこれを承諾し、どちらか一方が攻撃された場合、もう一方も戦争に参加する義務を負うとされた。

 

 数日後、公孫賛はこの同盟にもとづき、幽州全土にて動員を発令。この事態を見越してあらかじめ5万もの兵力を手中に収めていた事もあってか、あえて逆らおうという名士はいなかった。ここに公孫賛は長年の悲願であった名士勢力の無力化・排除を達成する。また、この一連の動きにおける彼女の動機は、純粋に自領の保全の為であったことが近年の研究で明らかにされている。公孫賛は軍を基盤とした強力な君主権力を確立させることで、中央集権化による安全保障ならびに統治の安定・効率化を目指していたのだ。

 だが別の見方をすれば、それは幽州に公孫賛を中心とする軍事独裁政権が誕生した事に他ならない。華北にはかつてない緊張感が漂い、隣接する并州や冀州の豪族・名士の間では、事ある度に公孫賛を黒幕とする陰謀論がまことしやかに囁かれていた。

 

 

 しかし、この時点ではまだ諸侯の利害調整で事態を収拾できる可能性は残っていた。外交に長けた袁術陣営の指導者の一人、劉勲は曹操軍の意図を見抜くと同時に勢力均衡を維持すべく、急ぎ青州に使者を送る。その内容は「青州の中立の保障」であり、早い話が青州に対する軍事・政治上の支援だった。

 流石の曹操いえども3方で同時に戦火を交えれば、相当な負担を強いられる……『黄色計画』の欠点を的確についた彼女の機転により、ようやく事態は収拾するかと思われた。そう、劉勲は外交官としてこの時点で考え得る最善の手を打ったのだ。

 

 ところが袁術による青州の独立保障をきっかけとして、事態は更に思わぬ方向に進展する。

 皮肉にも戦争を止めるため最善手が、別の諸侯に開戦を決断させてしまったのだ。その諸侯の名は、袁本初――冀州牧として華北最大勢力を誇る名門袁家の跡取りだった。

 

 多くの諸侯と同じように、袁紹陣営もまた戦争に備えて動員計画を練っており、その内容は曹操軍のそれよりもさらに緻密で精巧なものだった。『第17計画』と呼ばれた作戦計画は、東の青州と北の公孫賛という2つの仮想敵を同時に撃破すべく作られたもの。その骨子は、最初に主力で速攻をかけて青州を打倒し、全軍で速やかに北にとって返して公孫賛と戦う、という内容だった。

 この計画の要点は、公孫賛が攻勢をかけてくる前に青州を倒すこと。それが実行できると思われたのは、公孫賛は領内に不安要素を抱えており、かつ青州の軍事力が非常に弱体である事に起因している。同時に反董卓連合戦で大軍の召集にまごついた経験から、袁紹軍は「先制攻撃」という点を何よりも重視していた。

 

 ところが袁紹軍首脳部の思惑通りにはいかず、曹操軍による徐州占領の野望に危機感を抱いた公孫賛が、牽制の為にいち早く動員をかけてしまう。更に青州の独立を袁術が保障した事によって「青州は弱体」という前提条件も崩れ、先制攻撃で時間・空間差による仮想敵の各個撃破を目的とした『第17計画』は根本から破綻しつつあった。

 

 問題は他にもある。袁紹陣営が名士・地方領主の支持を基盤とした政権であったことが、領内での軍事行動の選択肢を大幅に狭めていた。具体的にいうと、事前の相談なしに各地方領主の領土を進軍することが出来なかったのだ。古今東西、軍隊がある土地を進軍する際にトラブルが無かった例はなく、地方領主の立場からいえば当然ではあるのだが……自らの支持基盤を敵に回す訳にもいかないとなれば、後手に回る防御的なプランは非現実的。袁紹軍の行動は全て『敵地への先制攻撃』を前提とし、かつ「事前の計画通り」に行われねばならなかったのだ。

 

 公孫賛が動員を始めるなら、あるいは青州が軍事的に強化されるなら、袁紹軍がとるべき「最善手」はただ一つ……先制攻撃を受ける前に、戦争を始めるしかなかった。

 

 そして長い議論の末、ついに袁紹の決断が下る。ひとたび命令が下されるや否や、『第17計画』は機械仕掛けのような正確さで発動し、袁紹軍は予定通りに総動員を開始する。同時に袁術の介入を恐れていた曹操にとっては待ちに待った援軍であり、彼女は同盟相手の袁紹軍と共同で青州へと軍を進める。単独で青州、徐州、そして袁術とは戦えないが、袁紹軍がいれば話は別だ――曹操がそう考えた時、外交によって戦争を抑止しようという劉勲の目論見は潰えたのだった。

 

 そればかりでは無い。袁術が青州に独立を保障したことが、更なる波紋を呼びこんだ。この外交的優位の逆転は、思わぬ反応を徐州側にもたらしてしまう。孤立無援で曹操と戦争になると思われた矢先に、北方の軍事大国として知られる幽州からの全面支援。そして公孫賛、袁術がバックについた青州からの友好的な態度――これで強気にならないはずが無かった。

 結果として徐州の家臣達の間では、仮に戦争になっても他の諸侯が助けてくれるという楽観論が強まり、ここに来て再び強硬論が台頭。更に長年に及ぶ曹操との対立がこれに拍車をかけ、劉備達の努力も空しく主戦派が徐州を牛耳ることになる。

 

 幾多もの議論を経て、徐州牧・陶謙はついに徐州全土に動員を発令。曹操との州境付近に兵力を集中させる。ただしこの行動も曹操との全面戦争を決意したというより、むしろ領民や徐州の豪族を安心させる意味合いが強く、陶謙自身はまだ対話の可能性を捨ててはいなかったと記録されている。

 

 ――だが、当然このような弁明を曹操が信じるはずもなく、彼女もまた総動員を開始。兌州全土から屯田兵を含む15万もの兵が集められ、加えて6万の旧黄巾党系の兵士が予備戦力として駆り出される。そして曹操が正式に宣戦布告を発表するに至り、ついに戦端が開かれたのだった。

 

 勢力均衡を国是とし、これまで最低限の介入以外は控えていた袁術陣営。だが先日結ばれた青州との協定がある以上、これ以上の様子見を決め込むわけにもいかず、やむなく曹操・袁紹へと宣戦を布告する。この動きにかねてから曹操と対立していた劉焉も呼応し、一方で袁術・劉焉の勢力拡大を懸念していた劉表は曹操・袁紹と密約を結ぶ。

 合従連衡の波は次から次へと連鎖反応を起こし、やがて袁紹を盟主とする勢力(華北を拠点とする袁紹、曹操が中心となったため、現代では北部同盟として知られる)と、袁術を中心とした対抗勢力(主に河南以南の諸侯によって構成され、南部連合の呼び名が一般的)の2大勢力に集約。

 後に『二袁の争い』と呼ばれる大戦争の始まりであり、文字通り戦火は中華全土に拡大したのだった。

 

           ――『古代の歴史13章・三国志 二袁の争い』(20××年発行)より

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 荊州南陽群・宛城――

 

 豪奢な調度品、綺麗に飾られた名画、高価な陶器、精巧な作りの金銀細工、上質の絨毯――およそ庶民には手の届かない、絢爛豪華な貴族の世界。華美で知られる袁術の宮殿にも劣らぬ、屋敷の一室に彼女はいた。

 澄んだ翠色の瞳、白磁の肌、柔らかな亜麻色の髪……部屋が部屋なら、家主も相応という事だろうか。悔やまれるべきは、歪んだ表情がその美しさを損なっているという一点。彼女――劉子台はこみ上げる激情を無理矢理抑えこむのに必死だった。

 

「そうまでして社会を、この世界を動かしたいの……?」

 

 もはや戦争は不可避……諜報を司る保安委員会からの報告は簡結だった。

 言うまでもなく、曹操達の最終的な目標は――。

 

 勢力均衡を狂わせ、止まっていた時間の針を再び動かすこと。

 

 司隷への挑発行動、袁術との取引、劉焉への思わせぶりな態度、袁紹との密約……一見するとこれらの行動に一貫性は見られない。だが、劉勲が「勢力均衡」というただ一つの目的の為に無節操な外交を行ってきたように、「均衡の破壊」という観点に立てば曹操の行動は終始一貫している。

 

 永遠の敵もなく、永遠の友もなく。状況が変化すればそれは刻一刻と変化してゆく。

 劉勲が諸侯間の不信感を煽る事で均衡と冷たい平和を達成したように、曹操も諸侯間の不信感を煽る事で中華の全諸侯を完全な決裂へと導いた。

 

 ここに、ひとつ大きな見落としがある。勢力均衡による平和は、あくまで均衡状態の一形態に過ぎないということ。仮に戦争が起ころうと、パワーバランスさえ偏らなければ勢力均衡は維持され得る。

 つまるところ冷たい平和をもたらしたのは勢力均衡そのものでは無く、均衡を保つための会議。事なる利害を持つ諸侯が、相互に妥協・協調し、処理して秩序を維持する「話し合いの場」だったのだ。皮肉にも、袁術陣営は自らの手でそれを封じてしまった。

 

 そして諸侯は話し合いの場を失った。口で語る場を失った彼らは、己の拳で語るしかなくなった。均衡を保つためには、『話し合い』ではなく『戦争』をせねばならなかったのだ。

 そして、それこそが曹操の目的だ。長い停滞の時代にあって中華に溜まった膿を、曹操は外科手術によって一気に摘出しようとしている。下手をすれば患者が死にかねないほど、大胆な手術を。

 

 

「それでも、世界を変えるの……?」

 

 劉勲は軋むような声で言葉を漏らす。

 月明かりに照らされた翠色の瞳が、蝋燭の灯りで僅かに揺らぐ。

 

「前にも言ったのに……。世の中は何も変わらない、変えられない。世界は、個人の手には大き過ぎるのよ……」

 

 必然、無理に変えようとすれば必ず歪みが生じる。

 悲しみの数は増えるだろう。苦しみの数も増えるだろう。嘆きの数が増えるだろう。

 

 止まっていれば、何も変わらなかったというのに――。

 

 

「……それでも、アナタは変えたいんだ?――華琳ちゃん(・ ・ ・ ・ ・)

 

 

 ふっ、と思わず漏らした音は苦笑だったか。それとも嘲笑か。

 

「本当に、昔から自分勝手なんだから……」

 

 そう言って口を尖らせる様は、まるで拗ねた少女のような。

 あるいは、お転婆な妹に呆れる姉のようでもあって。

 だから――。

 

「うふふ………あははははっ!」

 

 思わず笑ってしまう。笑いが止まらない。自分でもおかしいと思いつつも、なぜか止めることができない。初めは小さく絞り出すような音でしかなかったそれは、やがて空気をつんざくような笑い声へと変化してゆく。

 

「はははっ、あはははは、アハハハハハハハ―――ッ!」

 

 この広い世界を。どうしようもない現実を。所詮は一介の人間でしかない存在で、本気で望み通りに(・ ・ ・ ・ ・)変えられるとでも? 笑止、可愛らしいにも程がある。

 

「いいわ。面白いじゃない! 世界を変えて、望み通りに変えられると思うならやってみなさいよ――」

 

 半世紀以上の長きに渡って続いてきた、儒教の呪縛を解けるというのなら。

 千年を超える中華の伝統と秩序を壊し、変革し再建するというのなら。

 劉備を、孫策を、周瑜を、袁紹を、劉表を、劉焉を、馬騰を、公孫賛を、そしてこの自分を。まとめて悉く一掃できると信じているのなら。

 

 ――やってみればいい。

 

 それを以て、彼女の覇道は完遂する。逆らう人間をねじ伏せ、邪魔な者は殺せば良い。曹孟徳の価値観が中華の全てを覆い尽くした時、その時こそ自分もまた敗北を認めよう。

 

「――まぁ、させないけどね」

 

 ゆっくりと、目に見えぬ質量を伴って劉勲は立ち上がる。蝋燭の灯りを受けて、幾つにも分かれた彼女の影が妖しく踊る。斯くして――魔女は、獲物を見定めようとその鎌首をもたげ始めたのだ。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 青州・都昌、沿岸部にて――

 

 そこには、今次大戦を象徴するかのような光景が広がっていた。普段なら緩やかな波が陽光を浴びて輝いているはずのその湾では、無数の艦隊が水面を埋め尽くしていた。オーソドックスな闘艦や露橈から、大型の楼船まで、ありとあらゆる艦艇が停泊している。波に揺られる甲板からは次々に兵士が吐き出され、橋頭保を確保すべく内陸へと進撃を続けていた。

 

「各員報告!状況はどうなっている!?」

 

「高覧隊、目標地点に到達!なおも橋頭保への接近を継続中!」

 

「張郃隊より報告!前方距離8里ほどにて敵騎兵を視認――数は約700、威力偵察部隊だと思われます!」

 

 『第17計画』の発動から6日と3刻後の現在、作戦は第2段階に入っていた。

 第1段階においては袁紹軍の先遣隊が陽動のため南部の州境を突破、青州側の州境警備隊は直ちにこれに応戦し、現在も交戦が継続中だという。4日後、孔融軍主力が南部州境へ向けて移動を開始したとの報告を受け、袁紹軍筆頭軍師・田豊は陽動の成功を確信。総大将・袁本初によって袁紹軍青州方面北方遠征軍所属の全部隊に上陸作戦が伝達され、青州楽安国にある3ヶ所の河岸の町と1ヶ所の港町都昌に向けて強襲上陸が開始された。中でも最大規模の上陸が行われたのは都昌付近の海岸からであり、沿岸部をつたって2万もの部隊が投入されていた。

 

「顔良将軍より伝達!“必要以上の追撃をこれを禁ず。橋頭保の構築を優先せよ”とのことです!」

 

「よし!――聞いたか貴様ら!いいな、俺達の任務が後続部隊の為の拠点確保だという事を忘れるな!」

 

「「「 了解! 」」

 

 だが孔融軍もそう簡単には通してくれない。海岸特有の足場の悪さに四苦八苦する袁紹軍に、巧みにダメージを蓄積させてゆく。

 そんな自軍の兵士達を、顔良は旗艦の台座から眺めていた。彼女が乗船しているのは、楼船と呼ばれる巨大な木造船だ。船の周囲に防御用の板を張り巡らせ、乗員は少なくとも200人はくだらない。全長20m以上もあるこの大型船はオールと帆を動力とし、この時代では数少ない外洋船でもある。

 

「いよいよ、始まるんだ……。本当の、大戦争が……!」

 

 上陸部隊の司令官として平静さを装いつつも、事の重大さに気押されそうになっていた。理由はどうあれ、自分達は青州の中立を一方的に踏み躙ったのだ。ここまで来た以上、もはや後には引けないだろう。腹をくくって戦争を始めるしかない。

 

 

「ふむ……様子を見るに、ひとまずは我らの勝利ですな。敵もまさか海を越えてこれほどの大部隊が送る込まれるとは、想像だにしていなかったでしょう」

 

 そう言って顔良に声をかけたのは、逢紀という壮年の軍師だった。ひょろっとした線の細い男性で、同じく青州方面北方遠征軍に所属している。その言葉に顔良も軽く頷き、戦場の方へ視線を向けた。

 袁紹軍は小型船を使って負傷兵と新手の兵士をピストン輸送しながら、じわじわと目標の港町へ浸透している。このままいけば、もうしばらくで全ての拠点を確保できるはず。 

 

「あと少しで我々も上陸することになります。その後は基本的に田豊殿が決めたとおりに動く事を予定していますが、顔良将軍からは何か?」

 

「念のため、もう一度すべての士官に命令内容の確認をしてもらえますか?戦闘は可能な限り回避、橋頭保の確保を最優先にと」

 

「了解しました。では、私から部下にそのように伝えましょう」

 

 一礼して立ち去ってゆく逢紀の姿を見送りつつ、顔良は本作戦の前に伝えられた田豊の言葉を思い出す。

 

 

“――孔融軍主力が南部に向かっているため、北部での進撃は比較的容易だろう。お前達の目的は青州の州都・臨菑の制圧だ。兵站は基本的に現地調達で賄い、速度を優先せよ”

 

“――陽動で孔融軍主力を南部におびき寄せ、その間に北部から上陸し一気に州都制圧を目指す……そういうことですか?”

 

“――然り、理解が早くて助かる。我らの本命の敵は北の公孫賛だ。青州は可能な限り短期間で占領するに越したことは無い。”

 

 加えて北への兵力輸送には速度を重視して船舶を使用する予定であり、それまでに水軍との連携が取れるようにしておきたい、との思惑もある。田豊は続けて、もし孔解軍が方向転換して北へ向かった場合のプランを話した。

 

“――その場合は姫様の本隊が青州侵攻軍の主力となり、冀州から全面侵攻を開始する。上陸部隊は当初の予定を変更し、青州北部に複数の拠点を確保しつつ、孔融軍に対して遅滞防御を行う”

 

 

 要するに出来るだけ時間を稼げ、ということ。顔良たちが孔融軍を引きつけてくれれば、それはそれで本隊にかかる負担が減らせ、正面からの侵攻が容易になるからだ。

 まさに数の優位を生かした典型的な外線作戦といえよう。田豊の意見に従って総動員を行った袁紹軍では、最終的に30万もの兵が使用可能になる。“動員が完了するまでに時間がかかる”という弱点は、こちらから先制攻撃をかける事で克服した。後は各指揮官が己の任務をきちんと全うすれば、機械的に勝利は転がり込んでくるはず。

 

(どちらにせよ、私達が今なすべき事は変わりません……)

 

 雑念を振り払うようにして、顔良は戦場へと顔を向ける。

 先ほどの敵の主目的はやはり偵察であったらしく、先行していた部隊の一部に軽い損害が出たものの、本格的な反撃を受ける前に退却していった。落ち着きを取り戻した袁紹軍は後続部隊の安全を確保すべく、再び橋頭保を広げる作業に戻っていた。

 

「将軍、高覧隊は港湾地区の占領に成功したようです。張郃隊も再び進撃を開始しており、まもなく目標を達成するものと思われます。明日までには必要な縦深を確保できるでしょう」

 

 部下の報告を受け、顔良は小さく頷く。

 

「分かりました。では、目標を達成した部隊から順に休息を取らせて下さい」

 

「はっ!」

 

「その間に船から残りの兵を降ろし、哨戒と野営の準備を。――明日からは本格的に内陸侵攻を開始します」

 

 作戦はまだ始まったばかりだ。たとえ孔融軍を撃滅したとしても、次には公孫賛との戦いが待っている。華北を制し、地盤を盤石にするまで袁紹軍の戦いは終わらない。

 あの日、麗羽様はそう決断された。そして責任をもって大役を任せてくれた。ならば、自分もその期待に応えねば。

 

 袁家の将兵を預かる者としての責任を胸に、顔良は戦場を見つめる。その視線の先には、無数の死体と荒廃した大地が広がっていた。

               




               
 また前回の投稿から期間が空いてしまいました。その割には話があまり進んでないような……。
 でも一度まとめた方がいいと思ったので、曹操の父親暗殺からの流れをさくっと。

 史実だと董卓死後の漢は袁紹派(曹操、劉表など)と袁術派(公孫賛、陶謙など)に分かれてドンパチやってたそうですね。一応親戚なんだから仲良くしとけば袁家で天下とれたかもしれないのに……もったいない。

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