真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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55話:斉国の末裔

    

 中原の東には、渤海と黄海という海がある。それを分断するように存在するのが山東半島――すなわち中華を分ける13州の一つ、青州であった。

 その起源は春秋戦国時代に太公望によって建国された『斉』国を起源とする。海に面しているためか、穏やかな気候から漁業や製塩業が盛んな土地であり、平坦な地形と多くの河川に支えらた農業州でもある。

 

「酷い……」

 

 まるで戦場跡のようだ――馬車から外を眺めていた劉備はそう呟いた。

 陶謙直々の命令により『義勇軍』として宛城を出発し、徐州から馬で北上すること約4日。そこには荒涼とした平原が広がっていた。州都である北海城からそう遠くないはずなのに、開けた平原には廃棄された羊小屋と兵士の死体らしき残骸しかない。かろうじて存在している僅かばかりの田畑が人の営みを証明しているが、雑草が茂っていることから耕作放棄されてから久しいのだろう。

 

「……まるで廃墟じゃないか」

 

 同じように馬車の中から荒れ果てた光景を見ていた人物、北郷一刀も唸るように声を絞り出す。

 実際、その通りなのだろう。中華に存在する13の州の中でも青州は君主権力が確立されず、長きに渡って政情不安が続いていた。あぶれた者たちは黄巾党へと身を投じ、更には袁紹や公孫賛といった列強の思惑に国政は絶えず左右されていた。

 

(彼らもまた平和の(・ ・ ・)犠牲者(・ ・ ・)ということか……)

 

 劉勲の作り出した、平和という名の歪み。もともと彼女が平和維持のために掲げた、『勢力均衡』という概念の本質は現状維持にある。変化を恐れるがゆえに思考を止め、進歩を止め、万人を等しく悠久の停滞の中に閉じ込める……新たに生まれるかもしれない悲劇を回避するために、今そこにある悲劇を現状のままに留めるのだ。

 

 なればこそ袁紹派と公孫賛派が争う青州で、いつまでも内戦が終わらないのは必然と言えた。どちらが勝利してもパワーバランスは崩壊する。土地と人口がそのまま国力となるこの時代、戦争の勝利は勝者へパワーの一極集中をもたらす。そうなれば膨張したパワーは別の場所へ向かい、また新たな戦争が行われるだろう。以前より大規模で、より破壊的な殺戮が。

 

「でも……劉書記長の理論通りにはなりませんでした。勢力均衡は軍拡競争を生みだし、その重みに耐えきれなくなった各諸侯は結局戦争に活路を見出した……」

 

 

 勢力均衡は失敗だった……諸葛亮はそう結論づけた。

 だが、それは勢力均衡が他の安全保障に比べて劣る事を意味しない。南陽郡の発展、反董卓連合戦後の長期に渡る平和を省みれば、むしろ少ない犠牲で多くの効用を生み出したとさえ言える。

 

 とはいえ、犠牲が無かった訳では無いのだ。全体から見れば少ないだけで、彼らのように必要悪として見捨てられた者も確かに存在するのだ。

 

「私たちはそれを忘れてはいけません……たとえ必要な犠牲というものがあったとしても、無いに越したことはないのですから」

 

 

 彼女たちがこれから向かう先は、青州の州都・臨菑だ。

 聞いた話によれば青州軍主力は数日前に袁紹・曹操連合軍と交戦、圧倒的物量の前に大敗を喫したらしい。それからといもの、もともと列強のバランスを保つために祭り上げられた青州牧・孔融の求心力の低さも相まって、軍から離反するものが後を絶たないという。大部分の青州豪族も日和見を決め込み、残った兵士を引きつれて自領へ帰還。結果、未だに忠誠を誓っているのは孔融が若い頃に太守をしていた北海郡の部隊だけとなる。孤立した孔融は自分に従う全部隊を臨菑城へと集結させ、籠城の構えを見せていた。

 

 

 ◇

 

 

 それから馬車を進めること数刻、周囲を高い城壁で囲まれた臨菑の街がその姿を現す。敵に利用されるのを防ぐためか、付近の農村からは邪魔な民家や屋台などがすでに撤去されている。一方で多くの家を追われた難民が城に押しかけており、城門には長い長い列が出来ていた。

 臨菑城に集まってくるのは難民ばかりでは無い。城壁付近には幾つもの天幕が設置され、青州全土からかき集められた兵士が来たるべき出陣の時を待っている。

 

 城門には数十名の青州兵が整列しており、一刀ら徐州からの援軍に気づくとすぐさま馬を駆って出迎えた。

 

「徐州の諸君、よく来てくれた!我々は心より君たちを歓迎する!」

 

 城門前に到着した一刀たちに、馬に乗った若い男性が挨拶をする。引き締まった体躯を藍色の外套で包み、その手にはよく磨かれた馬上槍が握られている。被っていた羽根つき兜をおろすと、刈り込んだ金髪が目を惹く、気品に溢れた美男子が現れた。

 

「私は青州第一騎兵部隊隊長の太史慈という者だ!以後、お見知りおき願いたい」

 

「北郷一刀と申します。徐州牧・陶謙殿の命令により、援軍1万5000名を率いて参りました」

 

「なんと、これは心強い。――さぁ、どうぞこちらへ」

 

 

 警備兵が難民の列を退かして道を作ると、太史慈と名乗った男は軽い調子で話を進める。

 主な内容は近頃の青州の内情であり、先の敗戦の結果として敗北主義がまん延しているとのことだった。

 

「知っての通り、我々の状況は芳しいものではありません。とりあえず青州全土に戒厳令を発したものの、果たしてどれだけの諸侯が応じる事やら」

 

 軽口を叩いているが、内容は深刻だ。

 先日、曹操は青州に対して『軍の通行権』を要求。これは“軍隊の通行さえ許可してもらえるなら、青州の政治・経済・外交には一切介入しない”との内容を保証するものであり、勝利を諦めて自領の安泰を図ろうとする者にとっては抗いがたい魅力を放っていた。

 

「ですが、悪い知らせばかりでもありません」

 

 太史慈はくるっと振り返って、輝かんばかりの笑顔を向ける。

 

「あなた方は約束通り此処へ来てくれた!それが、私たちにどれだけ希望を与えてくれたことか!」

 

「は、はぁ……」

 

「見たまえ!道行く人々の表情を!つい先日まで死んだ魚のような目をしていた彼らの瞳には、今や未来への期待の光が宿っている!」

 

 爽やかな好青年といった佇まいを保ちながらも、興奮しながら語り続ける太史慈。初めはハイテンションな彼の言動に困惑気味だった一刀達も、道を進むにつれて段々とその理由がわかるような気がしてきた。

 

「希望、か……」

 

 より軍事的な表現で表すならば、『士気』という単語が適切だろう。青州ではもともと君主権力が弱く、州牧いえども直接指揮できる兵員は4万に満たない。後は有志の豪族の私兵軍を集めることになるのだが、不利な戦に身を投じる物好きはそう多くはない。袁紹・曹操といえば中華を代表する列強だ。軍事・政治・経済・外交・人口・資源……その全てにおいて青州は劣っている。

 であれば、嵐が過ぎ去るまで待つのが賢い選択というもの。豪族も、民も、兵士も皆そう考えていた―――これまでは。

 

 援軍の参戦……例えそれが気休め程度の規模だったとしても、援軍が派遣されたという“事実”は彼らの心を大きく勇気づける。

 

「俺達にできることなら、何でも協力しますよ」

 

「おお、それはありがたいことです!」

 

 一刀の言葉に、太史慈は目を輝かせる。続けて顔を一刀に近づけ、耳元でそっと囁いた。

 

「その、言いにくい事なのですが……実は今、少し面倒な事になっていましてね――」

 

   

 ◇

 

 

「これはれっきとした侵略ですぞ!」

 

「左様です。我々は不当な脅しには決して屈しない!」

 

「そうは言うが、現実を見たまえ!挙国一致で戦えば、敵に勝てるとでも言うのか!?」

 

「やってみなければ分からないだろう!」

 

 太史慈に案内されるがままに北海城へ入った途端、劉備達は先ほどの太史慈の言葉の意味を痛いほど理解した。評議場では激しい討論が繰り広げられ、傍目にも青州政府が機能不全に陥っている事が分かる。このような光景は何度か見たことがあるとはいえ、劉備達にとって一つだけ予想外の出来事があった。

 

「ただ単に軍隊の通過を認めるだけですぞ!それだけで我々は今まで通り平穏に暮らせるのです!」

 

 議場の中央から一人の男性が声を張り上げる。すると周りの人間も同調するように口々に曹操への妥協を主張し始める。どうやら、彼が反戦派の中心人物のようだ。

 

「太史慈どの、彼は……」

 

「ああ。まだお伝えしていませんでしたね。あの方は我らの君主にしてこの城の主……孔文挙さまです」

 

「なっ……!」

 

 思わず一刀は驚きの声を漏らす。盛んに曹操への従属を唱える非戦派の中心人物こそが、青州を統べる郡雄・孔融その人だったのだ。

 高名な儒学者としても知られる孔融だが、不健康そうな顔色と落ちくぼんだ眼からは学者というより宮廷に仕える宦官のような印象を受ける。いかにも理攻め然といった発言とは裏腹に声は所々で上擦っており、必死に虚勢を張って理論武装している様子が滑稽でもあった。

 

「曹操軍がこの地を草一本生えない焼け野原へと変え、住民を皆殺しにしようというならば、その時は私とて力の限りに抵抗する。だが、いくら曹操軍とて無法者の殺戮集団というわけではあるまい」

 

 孔融は公孫賛と親しい人物だと聞いていたので、一刀は彼の事をてっきり開戦派だとばかり思っていたが、どうやら思い違いだったようだ。

 聞けばつい最近までは公孫賛との同盟を重視して、徹底抗戦を唱えていたらしい。だが初戦で袁紹・曹操の同盟軍に完膚なきまでに叩きのめされてからというもの、その恐怖に怯えてあっさり反戦派に転向してしまったという。

 

「最初から要求を受け入れて我らに付け入る隙を与えなければ、戦争は回避できるのだ。そして戦争にさえならなければ、我々にも挽回の機会は残される」

 

 

(このオッサン、本気で言っているのか……?)

 

 一刀は孔融を信じかねる思いで見つめる。

 恐らく、孔融はこう言いたいのだろう。弱小国ならば戦争という純粋なパワーゲームに全てを賭けるよりも、大国いえども無視できないルールの存在する外交交渉に力を入れるべきだと。

 

(長期的に見れば、考え方それ自体は間違っていない。でも、まずは目先の問題をどうにかしないと……!)

 

 何度も袁術陣営に煮え湯を飲まされてきた一刀には分かっていた。たしかに大国いえども無視できないルールは存在する。だが、そのルールを決めるのは小国ではなく大国なのだ。大国の大国による大国の為のルールであり、それを世間では『秩序』と呼ぶ。

 

 

「孔融様、発言の許可を」

 

 見かねた一刀が意見を言おうと身を乗り出した時、隣にいた太史慈がすっと立ち上がった。軍部を代表する太史慈の発言に、全員の視線が注がれる。

 

「……申してみよ」

 

「軍部の主張は一つしかあり得ません。――今すぐ戦闘準備を行い、侵略者をね跳ね返すべきかと」

 

 予想通り、と言うべきか。太史慈の支持を得た開戦派は勢いづき、非戦派はそれ以上に激しく抵抗する。

 

 

「今や北部同盟は大陸に比類なき大軍だ!戦争になれば青州は為す術もなく蹂躙される!」

 

「要求を受け入れれば万事解決するとでも思っているのか!?一時の猶予を得られたとしても、その後に難癖をつけて潰されるに決まっている!」

 

「だから今すぐ破滅したいと!?」

 

「連中に飼殺しにされ、臆病者と大陸中から軽蔑された挙句に使い捨てられるよりマシだ!」

 

 名誉と誇りに殉ずる者。打算と計算によって生き残りを図る者。

 だが、彼らには共通点が一つだけあった。それは、“同盟軍の勝てる見込みは無い”というもの。

 

 

「諸君、落ち着いていただきたい」

 

 太史慈は再び檀上に立つ。

 

「袁紹と曹操が同盟を結んだのは、その地理的弱点を克服するのが一番の目的です。四方を敵に囲まれた彼らが戦争で勝利するには、時間差による各個撃破以外に方法はありません。こうしている間にも、北では我らの盟友たる幽州牧・公孫賛殿が軍を集めているのです。つまり時間を失えば失うほど、彼女らにとっては不利になる」

 

「だとしてもだ!連中の軍事力は合わせて50万にも迫る勢いなんだぞ!?要求を拒めば、その最初の一手は我々の頭上に振り落とされる!」

 

「無論、それは承知しています。しかし兵数が多いという事は、それだけ出費もかさむもの。あれだけの兵力を長期間にわたって維持できるとは到底思えません。臨菑城に兵力を集中して敵を引きつけ、長期戦に持ち込めば曹操は引き上げざるを得ないでしょう」

 

 切り出した意見に反論しようとする者を、太史慈は手を振って制す。立場からすれば不適当な仕草ではあったが、動作には気品と迫力があった。彼の軍人らしく力強くも優雅な所作は、満場の者達を制する力を十分に含んでいた。

 

「皆さん、『屯田兵制』という言葉をご存じですか?」

 

 続いて太史慈が言及したのは、曹操軍の特異な軍事システムだった。これは兵士に新しく耕地を開墾させ、平時は農業を行って自らを養い、戦時には軍隊に従事させる制度だ。

 もともと曹操の領地・兌州は黄巾党の乱以降、度重なる戦乱で人口が激減し、生産力もガタ落ちだったという。そこで曹操は荒れ地を屯田とし、流民化して戸籍を失った人々に土地や農機具を与える。更にこれを常備化し、戦時には兵士としても使用できるよう軍事訓練まで施したのだ。

 

 だが逆に言えば、こうでもしなければ人口減少と生産力低下に歯止めがかからなかったとも言える。実際に曹操は屯田と称して難民を半ば強制的に土地に縛り付けており、更に彼らを屯田兵として軍の監視下に置く事によって脱走を防いでいる。つまり本質的に曹操の経済は弱体であり、ある種の「先軍政治」によって軍事大国として列強の地位を維持しているのが実状。当然ながら長期戦に耐えられる財政基盤も存在せず、辛うじて農業を支えていた屯田兵が根こそぎ戦争に投入されたとなれば、彼女の兵站が長持ちしないであろうことは明白だった。

 

「袁紹にしても同じことです。彼女は曹操と違って豊かな領土を保有していますが、軍の内実は冀州豪族の寄せ集め。戦いが長引けば自領に引き返す豪族も現れるでしょう」

 

「……言っておくが、その点は我々も同じ(・ ・)だ。そして資金力では我らの方が袁紹に比べて圧倒的に劣っている事も忘れてはいないだろうな?」

 

 孔融が念を押すも、太史慈は動揺しない。逆にその言葉を待っていた、とばかりに笑顔で口を開く。

 

「ですが、我々には強力な同盟相手がいます。大陸最大最強の経済力を有する、商人の国が」

 

 もし北部同盟に対抗できる勢力がいるとすれば、それは袁術陣営をおいて他にはないだろう。全ての諸侯の中で最大の人口と経済規模、財政と資源を有する商業国家。かつて袁術は曹操の野望を防ぐべく青州に『独立を保つ』こと要求、間接的に自陣営に協力するよう要請した。青州はこれに応じ、その見返りとして袁術陣営からは多額の軍資金を受け取っている。

 

 

「……だがな、肝心の軍の召集はどうするのだ? 主な豪族はほとんど自領に引き籠ってる。私の州牧就任時にはあれほど忠誠を誓うと言っていたくせに、いざ自分の身に危険が及ぶと真っ先に逃げ出すような連中を再び召集するのか?貴公には悪いが、例え軍資金があったとしても集まるとは思えんね」

 

 小馬鹿にしたような孔融の言動。嫌味が必要以上に含まれてるものの、内容だけを見れば彼の発言も間違っていはいなかった。

 なぜなら大多数の諸侯の例に漏れず、青州もまた有力な豪族の連合軍からなる封建的な軍隊を保有しているからだった。土地や恩賞を与える条件として、地方領主や豪族は一定数の兵士を集める事を義務付けられ、彼らの家臣は自ら雇用する家来を同伴し、週または月単位で兵役を務める。それぞれの領主が召集した軍勢はあらかじめ指定された戦場に集められ、この寄せ集めの連合軍を総称して『青州軍』と呼ぶのだ。

 

「ええ。その点は私も重々承知しています。今この場におられる方も含めて、青州牧殿に忠実を誓う豪族の方々の兵数を合計しても、恐らく1万5000は超えないでしょう。それに私のような州政府の直属部隊が5000人ほど、合計して2万程度なので戦力的には全く不足しています」

 

 つまるところ青州軍は、孔融が他の豪族の上に立ってピラミッド状の指揮系統を保有しているわけではなく、あくまで豪族の一人として全員の纏め役を担っているに過ぎない。現代風に言うと、せいぜい『顔役』としてその地域一帯のギャングやマフィアを代表しているようなもの。組織として一身共同体という訳ではない以上、状況が悪くなればトップを見捨てて寝返ったり日和見を決め込む事は珍しくなかった。

 

「ですが、何も軍は常備軍や屯田兵、豪族が領民を集めた封建軍に限りません。もっと集めるのが簡単で、戦慣れした兵士がいます」

 

「っ!……傭兵か!」

 

「はい。袁術からの資金提供がある限り、傭兵はいくらでも戦い続けてくれます。そして劉書記長は青州の独立保障の条件として、我々の年間予算の半分以上の額を少なくとも10年は用意できると約束してくれました」

 

 太史慈の言葉に、再び議場は再びざわつき始める。本当にそれだけの額があれば、仮に傭兵を2万雇ってもゆうに2、3年は養えるだけの金額だ。

 

「我々は一人ではありません。それは此処にいる徐州からの助っ人が何よりの証拠です!よき隣人と手を携え、理不尽な北部同盟の侵略に対抗しようではありませんか!」

 

「結論を急ぐな! たしかに劉書記長の使者は青州の独立維持を条件に、多額の軍資金を約束してくれた。だが……そうだとしてもだ!袁術陣営が約束を守るという保証がどこにある?!」

 

「勿論、どこにもありません」

 

 もっともな孔融の反論を、太史慈はあっさりと肯定する。この男は袁術を頼りながらも、今はっきりと「袁術は信用ならない」と発言したのだ。支離滅裂な言動に数人の文官が非難の視線を送るが、太史慈はどこ吹く風だ。

 

「もし“約束”ならば、守られない可能性は高いでしょう。ですが……」

 

 太史慈はうっすらと笑う。

 

「それが“契約”なら話は別です。――我々軍部は今期の予算すべてを使い、袁術領から傭兵を雇用することを提案します!」

 

 

 袁術陣営を一言で言い表すならば、“商人の国”だ。安定した交易で富を得る事を至上の目的とし、円滑な商売を行うために長い年月をかけて中華の経済上のルール作りを主導してきた金満国家。金のためなら手段を選ばない貪欲な金の亡者達だが、そんな彼らがたった一つだけ神聖視するものがあった。

 

「南陽商人は契約を破らない……それが彼らの誇りであり、その事実が南陽を中華一の商業国たらしめる要因なのです。同時に、それがあるからこそ、各諸侯は信頼せずとも信用して袁術と商売が行える」

 

 

 一般的に言って、世間における袁術陣営の信頼はかなり低い。その原因は大きく分けて2つ。

 一つは袁術陣営の国是が勢力均衡であり、バランスを是正するために同盟相手を頻繁に変えることが原因だ。もう一つは政治と経済が完全に切り離されている事に由来する。『自由放任』を主たる経済政策として掲げる袁術陣営には、政府が商売を監視・監督するシステムが全く存在していなかったのだ。そのため商人達の間では「利益があれば敵国とも取引する」という商売魂が伝統となっており、彼らは自由な経済活動を妨げようとするいかなる動きにも抵抗した。

 

 だが利益のために手段を選ばぬ商人達は、逆に言えば利益に反する行為は絶対に行わない。一方的な契約破棄による信用喪失は、すなわち商人生命の終了を意味する。そしてそんな愚行を冒すような三流商人が、南陽での激しい競争に生き残れるはずもなかった。

 

「もし袁術陣営が信用できない、と主張するならば、失礼ながら事の本質が全く見えていないと言わざるを得ません。彼らの忠誠は長期にわたる特定の国家や個人に対してではなく、その場その場の“お客様”へ向いているのですから」

 

 金の切れ目が縁の切れ目……袁術陣営は己に利がないとみるや長年の友人や血縁者すら売り渡す合理主義者の集まりだが、利益をもたらしてくれる相手にはどこまでも誠実だ。

 

「加えて青州は同盟関係にある2大列強、公孫賛と袁術が唯一接触可能な地。此処を北部同盟に占領されれば、彼女らは南北に分断され、各個撃破の憂き目に遭うでしょう。袁術陣営がこの危機を座して見過ごすとは、私には到底思えません。必ずや我らを援助してくれるでしょう」

 

 袁術が支援してくれる――つい先刻まではあやふやだった未来図が、ここに来て現実味を帯びてくる。今まで中立を保っていた者達から開戦を唱える声が徐々に増え始め、次第に議場の空気は明るいものへと変化していった。

 

「言われてみればそうかも知れん。それに、此処には黄巾党に備えて兵糧も十分にある。立て篭もるだけならば、十分に勝算はあるぞ」

 

「徐州を通じて南陽から補給物資を受け取る事も出来る。我らがこの城で抵抗を続けている限り、曹操は南には手出しできないからな!」

 

「そうだ!かつて都昌で黄巾党の大部隊相手に奮戦した、太史慈将軍が保障するなら間違いない!」

 

 議論は次第に熱を帯び始める。太史慈は満足げに頷きながら優美な顔に微笑を浮かべ、自信たっぷりに告げた。

 

 

「我々は曹操にも、袁紹にも負けません。――我々はこの戦で、勝てるのです」

 

 

「おお……!」

 

 誰だって好きで理不尽な要求を飲む者はいない。曹操に屈したくないという感情、そして現実に勝てるのかという理性。その2つを制した太史慈に反論できる者はなく、会議はそのまま決した。

 

「議決の結果を伝える!――賛成30、反対4、棄権7!」

 

 開戦を推していた者は反対する筈もなく、中立派の者達も理路整然と説かれれば反対する理由はなかった。歓呼に湧く者。戦争に恐れ慄く者。様々な反応を示す評議場の中で、州牧・孔融は会議が終わらぬうちに「全員の意志を尊重する」と言い残して退席する。

 

「以上の結果をもって、青州は北部同盟の侵略行為に対し、これより防衛戦争の継続を宣言する!」

 

 戦争継続の議決を受け、軍部を代表して太史慈が再び檀上に立つと、群衆達は一斉に手を叩いて声を上げる。

 太史慈もそれに応えるように天に拳を振り上げ、声を張り上げ叫ぶ。

 

「今ここに改めて問おう!――北部同盟の属領と成り果てて奴隷となるか!栄誉ある独立を保って自らの土地を自分達で治めるか!」

 

 問うまでもなく、答えは決まっている。求めるは栄誉ある独立のみ。

 

 

「無論、我らは後者を選択する!これは戦国の七雄・斉の末裔たる我らの、侵略者に対する正義の抵抗なのだ!」

 

 

 かくして青州は徹底抗戦を宣言。州都・臨菑城に籠城し、最後まで曹操・袁紹と戦う道を選択した。

  




 恋姫世界はどうだか知りませんが、史実では国家直属の常備軍らしきものをもっていたのは魏ぐらいだそうですね。その魏でも初期はやはり有力な豪族の私兵に頼っていたそうで、常備軍っぽいのが組織化されたのは曹操が華北を統一した前後ぐらいにやっとだそうです。

 逆に呉は典型的な中世型軍隊で、有力豪族が独自に軍隊をもち、戦時にそれをかき集めて「呉軍」としたそうですね。

 蜀軍は割と特殊な部類らしいです。劉備なども含めて他の州からの流れ者が多く(というか首脳部は殆ど他州出身で、地元の益州出身者はむしろ少数派)、外人部隊を率いた傭兵隊長がドサクサに紛れて政府を乗っ取ったみたいな経緯で誕生してます。そのため劉備を頭とした外国人傭兵部隊が軍閥を形成し、それに馬超など他の外国系軍閥が次々に加わって形成された軍事政権・征服王朝みたいな?

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