真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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56話:守るべきものとは

              

 寒風の吹きすさぶ朝、幾つもの軍旗と軍勢が臨菑城を取り囲んでいる。軍靴の足音、兵士の悲鳴、剣戟の金属音、崩れる城壁、焼け落ちる民家――城下町の至る所からは煙が立ち上り、その姿はまるで荒波に飲まれる船を思い起こさせる。

 青州を統べる郡雄・孔融の本拠地として栄えてきた臨菑の町は、終わる事の無い戦火のただ中にいた。

 

 攻城戦というのは大抵の場合、退屈な戦と評される。どんなに優秀な戦術家が指揮しようが、強固な城壁の前では策の練りようがなく、単純な数押しによる陣地の奪い合いに終始する場合がほとんどだからだ。防御側にも同じことが言え、最良の策といえば城に立て篭もって敵の攻撃にひたすら耐えるだけ。

 

「工兵!盾を掲げて前進しろ!」

 

 だが、現場の兵士にとってはそうではない。縦横無尽に兵を動かす機動戦だろうと、人海戦術による単調な力比べであろうと、死に物狂いで戦わねばならない。どんな形で戦闘が行われようと、戦場の死神は等しく彼らの前に現れる。

 

「攻撃止めぇ!一時後退し、戦力再編に移る!」

 

 そしていかなる軍であろうと、兵士が人間である以上、休憩は必要不可欠。ただし、士官はその限りではない。戦死や脱走、怪我で戦闘不能になった兵士数を把握し、継戦可能な兵力を指揮官に報告する仕事が残っている。そして指揮官はその情報をもとに、次の戦闘でどの部隊をどこに投入するかを決定するのだ。

 

「被害状況は?」

 

「今回の戦闘では300人ほど失いました。特に南門の攻略に当たっていた部隊の消耗が激しく、戦死者の半数はそこからだそうです」

 

「南門……というと、たしか清河国の豪族が担当していた場所ですね」

 

 厄介なことになった、と顔良は表情を曇らせる。

 袁紹軍の6割以上は冀州豪族の保有する封建軍からなる。彼らは基本的に恩賞金や恩給地といった見返りと引き換えに袁紹軍に従っているだけなので、「大損害を出すような激戦区など願い下げ」というのが本音だろう。あえて無視する事も出来なくはないが、後々の関係維持や統治の事を考えれば袁家に不満を抱くような命令は避けたい。中央集権化によってほぼ曹操の私兵と化している曹操軍とは違い、袁紹の封建軍はあくまで盟約による緩やかな主従関係であるため、必要以上に強権的な態度で臨めば寝返りの可能性すらあった。

 

「……仕方無いですね。南門は、次回からはわたし達が担当しましょう」

 

「それが良いでしょう。被害が大きいと分かり切ってる戦場に他の豪族を当たらせた所で、戦力温存に走って泥沼化するのがオチでしょうし」

 

 顔良の判断に、補佐官の一人が頷く。

 

「それに――どうせ我らは囮に過ぎませんからね。少しでも激しく戦い続けて、この地へ敵の目を引きつけるための」

 

 補佐官の言葉に、顔良はうっすらと笑みを浮かべた。それが安堵から来るものなのか、不安から来るものなのかは彼女にも分からなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 攻撃の第2波は、主に曹操軍を中心として行われた。正面からは典韋率いる2万3,000の軍勢が、沿岸部からは1万7000の楽進の軍勢が同時に攻撃を開始する。それに全軍を統括する魏の勇将・夏侯淵将軍配下の2万の兵、袁紹軍から増援として顔良率いる1万3000の軍勢が加わり、門ごとに最低5000の兵士を配備して城を完全に封鎖していた。

 

「敵発見!3時の方向からハシゴをつたって城壁を昇ってきています!」

 

 対して臨菑城に篭るのは青州軍2万と、袁術の軍資金によって急きょ編成した傭兵1万、そして増軍として参加した徐州の義勇軍3000人あまり。城攻めでは攻撃側は最低でも防御側の3倍の兵力が必要とされるため、なんとか曹操軍に対抗できる数字を揃えたと言えよう。もちろん兵の数だけが全てではないが、それでも戦局に与える影響は無視しえぬもの。日の出と共に始まった臨菑城の防衛戦は、やや防御側優位のもとで開始された。

 

「敵を城壁の上に辿り着かせるな!弓隊、前へ!」

 

 土煙でけぶる臨菑の空を切り裂くかのように、複数の矢が風を切って放たれてゆく。連鎖する敵兵の悲鳴を耳にしながら、太史慈は本日5度目になる敵の攻撃を半ば驚嘆する思いで見つめていた。

 

(いくら数の上で優位とはいえ、現状ではどう見ても敵の損害の方が多い。だというのに、よくも諦めずに戦いを続けられるものだ……)

 

 まだ城壁より内側へは侵入を許していない。時おり壁をよじ登ってくる曹操軍が城壁に到達することはあるものの、その程度では戦局全体への影響は限定的なものだった。城壁の下には弓矢で殺傷された同盟軍軍兵士の死骸が積み重なっており、血と肉の腐敗した臭いが辺り一面に立ちこめている。

 

(明らかに被害が大きいと分かっていて、敵はなぜ退かない……?)

 

 だが曹操軍は甚大な被害にも怯むどころか、その攻撃は回を増すごとに激しくなっていた。太史慈も今日だけで10人以上の兵士を倒したが、むしろ敵を殺せば殺すほど不安は増していくばかり。敵に大損害を与えているという事は、万が一にでも敗北を喫した時、それ相応の報復が待っていることを意味するからだ。

 無論、それは曹操軍の捕虜にも適応される。全てを得るか、全てを失うか……つまり曹操軍はそれだけの覚悟で戦に臨んでいるということ。四方を敵に囲まれた彼女たちには、たった一度の敗北も許されない。戦端を開いたその時から、曹操軍には完全な勝利か滅亡の2択しか用意されていないのだ。

 

(敵もそれだけ必死ということか……。もっとも、我々も領民の期待を一身に背負っている以上、易々と負ける訳にはいかないがな!)

 

 太史慈はこの戦争を、大国に対する小国の抵抗戦争だと考えていた。『力』という正義を振りかざして傍若無人に振る舞う大国に対し、これまで言いなりになるしかなった小国がその意地と誇りをかけて戦う――青州や徐州に住む民の間ではそう捉えられている。

 

(青州と徐州は共に弱小勢力だ。だがこの戦いで勝てば、そんな我々でも手を取り合えば理不尽な『力』に対抗できる事を証明できる……!)

 

 青州の参戦によって徐州は北部の護りを気にすることなく、西部からの攻撃に専念できるようになるはず。そして青州もまた、最前線での戦闘を担う代わりに徐州から大量の支援物資を受け取る手はずとなっている。

 たとえその物資が袁術からの借款によって賄われていようと、同盟軍の戦略を頓挫させる事が出来れば、それは多くの青州人、徐州人にとって希望となるはずだ。

 

(この戦いは我々だけのものではない。もし我々が敗れるようなことがあれば、その時は徐州も危機にさらされる。私たちの要請に応じて援軍を送ってくれた徐州の期待に応えるためにも、一秒でも長く連中をこの地に釘付けにせねば!)

 

 

 

「北壁に敵の攻城塔が接近中!至急、増援を要請します!」

 

 部下の報告を受け、太史慈は緊張を打ち消すかのように叫ぶ。

 

「分かった。弩兵は左手の外郭から連中の側面に回りこめ!2番、3番隊は私に続け!敵は今までの黄巾賊とはわけが違う、油断するな!」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ――徐州・琅邪城

 

 

 結論からいうと、琅邪城での仕事はブラックだった。到着するやいなや、休む間もなく劉備達には任務が与えられる。

 

『――友軍の陣地を補強せよ。詳細は現場の指示に従うべし』

 

 “防衛陣地の補強”という命令ではあったが、司令官によれば陣地はまだ6割しか完成していないとの話だった。理由は様々だが、中でも多くの兵士を困らせている問題は「民間人の管理」だという。本格的な戦争が始まれば農村は真っ先に略奪の対象となるため、多くの農民が戦火を逃れて琅邪城をはじめとする安全な城下町へ逃れて来ている。難民によって急激に人口の増加した城下町では、つられる様にトラブルも急増。需給バランスの崩壊によるインフレや治安の悪化も見過ごし難く、守備兵は何かある度に街へ駆り出されている。そんな状況では当然ながら敵軍監視・陣地構築に割ける時間は減る一方で、休憩時間を返上して何とか間に合わせているといった状態だ。

 

 しかも袁紹の大軍が青州に雪崩れ込んだとあっては此処だけに全部隊を投入する訳にもいかず、一刀など一部の人間は青州への増援として移動させられていた。当然、抜けた分の負担は城に駐屯する部隊へ重くのしかかってくる。

 

 これでは戦争が始まる前に過労死してしまう……兵士の間ではそんなジョークが笑えないレベルまで達しつつあり、“戦える内に曹操軍に襲撃してもらいたい”と本末転倒な事を言い出す者まで現れていた。

 

 

「う~、曹操の奴、なかなか来ないのだ!」

 

 一週間も経った頃、関羽たちがいつものように作業をしていると、張飛が不機嫌そうにばやいた。

 てっきり曹操軍と一戦交えるつもりで来ていた彼女の期待とは裏腹に、いっこうに曹操軍が現れる様子はない。予想では到着後2、3日で曹操軍が現れるはずだったが、未だにそんな気配はなく難民だけが途切れることなく流入していた。

 

 しかも上司から課されるノルマは日々悪化しており、苛立ちと不安だけが募ってゆく。それでも戦時中なので文句を言えるはずもなく、「月月火水木金金」が守備隊のスローガンとなる始末。おかげで毎日のように不眠不休で土木工事ばかりやらされ、幼い彼女の忍耐は限界に近づいていた。

 

「そう焦らずとも必ず曹操軍は来る。もう少し辛抱だ、鈴々」

 

 やんわりと関羽が宥めるも、張飛は納得いかない様子で口を尖らせてる。彼女のみならず陶謙軍の武将の誰もが、姿を見せようとしない曹操軍と今の自分達が置かれた環境に苛立ちを募らせていた。

 

(連日の激務による疲労に、一向に敵が姿を見せない不安……必要な作業とはいえ、これが長引くようだと士気に悪影響が……)

 

 そんな現状を、鳳統は冷静に分析する。労働環境の悪化で守備隊全員が気が立っている上、いつ戦闘が始まるかも分からない不安感。また、人は時として目の前にいる大軍よりも姿の見えない寡兵の方に恐怖を覚えるもの。あえて侵攻を遅らせる事もまた、曹操の策略の一部なのだろうか。

 

 

「にしても、まさかこんな場所があったとは……」

 

 小休止のために作業の手を止めた関羽が、ふと思い出したような感想を口にする。作業場からは遠くの陣地も見渡せるが、少し離れた所から見るとまるで子供の作りかけの積み木のような歪さがあった。

 

「洛陽で董卓との戦争があってからといもの、中華はずっと平和だった。この辺には異民族もいない上、戦争らしい戦争を経験してこなかった。それを考えると何というか……こういう物騒な場所を作る計画が昔からあったかと思うと、やや意外な感じがしないか?」

 

「鈴々もここまででっかいお城があるとは知らなかったのだ」

 

 張飛も小さく首をかしげる。

 この時代の常識からいって、城の建設というものはかなりの大事業だ。これだけの城塞群を築くには、相当な労働力と資材、そして資金が必要になる。数年前から周到に計画を練っていなければ、およそ完成するはずの無い代物だ。

 

「私の見たところ、陶謙殿はあまりこういった荒事を好まない人だと思っていたのですが……伊達に州牧を務めていた訳ではない、という事ですか」

 

「陶謙様は以前から曹操さんとの戦争を見据え、防衛計画を練ってきました。恐らくは“これ”が、陶謙様の出した答えのようですね」

 

 そういって鳳統は、ぐるりと周囲を見渡す。琅邪城は夕日を浴びて不気味な輪郭が浮かび上がらせ、その隙間を蟻のように兵士達がせわしなく歩いていた。

 

「徐州は曹操さんの治める兌州に比べて人口で劣っていますが、地政学的な問題から実際に投入可能な戦力はこちらとあまり変わりません。ただし、先ほども述べたように曹操軍の主力が常備軍なのに対し、私達は昔ながらの封建軍。最終的に揃う兵力はほぼ同数ですが、初期に投入可能な兵力は曹操軍が一歩秀でているんです」

 

 それを克服する為に陶謙が考えたプランは、州境にあって守り易い琅邪国に強固な防衛線を構築し、動員完了までの時間を稼ぐ、というもの。

 此処にあるような複合的な防衛ラインの特徴は、何といっても幅広い範囲をカバーできることである。。また、独立した複数の拠点を点在させた事でリスクが分散され、一度の攻撃で全滅する事もない。逆に言えば各個撃破されやすい、という事にもなるが、そこは腐っても城。1日や2日の攻撃で簡単に落ちるものでも無く、悠長に一つ一つ潰していれば、徐州側の動員が先に完了する。

 

「陶謙様はこの防衛線で曹操軍を釘付けにし、領内への侵攻を食い止めるつもりだと聞いています。ですが……」

 

「青州がどうなるか、だな。問題は」

 

 渋い顔で語る関羽の言葉に、鳳統も頷く。

 一応、青州に警告は出してある。だが、領内をまとめきれてない青州に、どこまでの準備が出来るのか。せめて屯田兵制をこちらでも導入していれば……鳳統はそう言いかけ、唇をぎゅっと噛む。

 

 今さらぼやいても、どうしようもない事だ。軍事力と生活水準のうち、かつての自分達は後者を優先した。ご主人様の国には「大砲かバターか」という言葉があるそうだが、限られた資源を効率的に配分するには犠牲にしなければいけないものも出てくる。そして洛陽体制下で平和が謳歌されていた数年前には、それが最良の選択肢だったのだ。

 

「ん?なんだか外が騒がしいな」

 

 そこまで言った所で、にわかに城の外が騒がしくなる。関羽は何事かと思いつつ、声のする方へ向かうと――

 

「こ、これは……」

 

 最初に城の外を覗き込んだ関羽が思わず言葉を失う。つられて一刀たちも外を見る。

 

「人……?」

 

 そこにいたのは人だった。数千、下手をすれば数万もの人が続々と城へ向かって来ている。

 だが、それよりも彼女らの注意を引いたのは、彼らの顔だった。みな何かに怯えたような顔をしており、パニックを起こして警備兵と乱闘になる者すらいた。

 

「おい、そこの兵!いったい何があった!?」

 

 関羽が近くにいた下士官とおぼしき兵を捕まえる。見れば兵の表情には疲れが滲み、服装は乱れている。彼も民間人と共に逃げて来たのだろうか。

 

「何があったかって?…ああ、曹操軍の焼き討ちだ!あの野郎ども、片っぱしから民家に火を放ってやがる!」

 

 まだ若さの残る下士官は、苛立たしげに今しがた起こったことを語る。

 彼の話によれば「曹操軍は2,30人ほどの少数部隊に分かれ、避難の遅れた集落を次々に襲撃している」とのこと。避難誘導にあたっていた彼の部隊も慌てて現場に駆け付けたものの、既にもぬけの空だったらしい。他の部隊も同じような状況で、曹操軍は民家だけを狙い撃ちにし、陶謙軍が来るとすぐに逃げ出してまるで勝負にならないという。

 

「焼き討ち……だと?」

 

 信じられない、といった面持ちで関羽が絶句する。

 曹操ほどの武人が、武器を持たない民を襲っている?しかも、駆け付けた陶謙軍と戦おうともせず、逃げ出した?いくら親の仇討ちという大義名分があろうとも、もはや許される限度を超えている。

 

「それで、民衆への被害は……?」

 

 恐る恐る、鳳統が質問する。しかし下士官から返って来た返答は、予想外のものだった。

 

「被害……被害か……。もし民衆へ被害があれば、どれだけ助かったことか……」

 

「それは一体どういう……?」

 

 全く要領を得ない返答。

 だが文脈から察すると、彼はまるで民への(・ ・ ・)被害を(・ ・ ・)望んでいる(・ ・ ・ ・ ・)ような――。

 

 そこまで考えて、鳳統はハッとしたように息を呑む。

 

「まさか……まさか、曹操軍は――!」

 

「ああ、そうだよ!クソッ、奴ら畑と(・ ・)家だけ(・ ・ ・ ・)焼いてやがる!」

 

 下士官は皮肉げに顔を歪ませ、唇を引きつらせる。そして続く彼の言葉が、3人を絶望の淵にたたきこむ。

 

「そうとも!民は全員無事(・ ・ ・ ・)だ!――この城に全員分の家と、食べ物は無いけどな!」

 

 溜まった鬱憤をぶちまけるように放たれた言葉。民の安全、それは本来ならば喜ぶべきはずの状況。だが、今となってはこれほど恨めしい状況もなかった。

 

 逃げてきた難民すべてを養う事は出来ない。城には兵士も2万人以上いるため、その両方を養おうと無理な努力を続ければ必ずどこかで限界が来る。そして食料不足が長く続けば、いずれ不満の溜まった民は暴動を起こす――。

 鳳統は表情を強張らせる。

 

(……かといって、自国の領民を追い払うなど問題外です……。敵の狙いは、わたし達を兵糧攻めにすることだった……!)

 

 曹操軍の進撃は遅れてなどいなかった。自分達が防衛線の構築に気をとられている間、彼らは周辺の村を破壊していたのだ。だが決して、怒りにまかせて民を虐殺するようなことはしなかった。それどころか、民に逃がす猶予すら与えていたのだ。数万の民で、こちらの兵糧庫を喰らい尽くす為に。

 

 自分達はとんでもない相手を敵に回してしまったのではないだろうか――鳳統は内心の動揺を隠すように、城壁に背を向けて歩き出した。

       

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 同時刻、徐州・琅邪国北部、とある監視所にて――

 

 最初に異変に気付いたのは、一人の騎兵隊員だった。いつものように軍馬の世話をしていると、妙に馬たちが神経質なのが気にかかった。より正確に言うと、彼の愛馬は何かに怯えているようだった。まるで戦場に出る前日のような――怪訝に思っていると、今度は厩舎の番犬が吠えだす。

 それは彼の担当地区だけではなかった。この日、琅邪国北部のいたる所で異変が起きていた。そして変化に敏感な動物たちは警戒を露わにしていた。一様に、北に向かって。青州のある、北の方角へと。

 

 時が経つにつれ、遠くから響く音が違和感の正体だと気づく。北から、何かとてつもなく大きなモノが近づいている……それは段々と強く、大きく、より激しくなってゆく。そればかりか、足元から振動すら感じる。兵士達は互いに顔を見合わせ、その家族は本能的に子供と家畜を安全な家の中へと連れ戻す。

 

「なんだ、ありゃあ?」

 

 監視塔にいた兵士が、北へ向けた瞳を細めて呟く。

 

「おい、何があったんだ?随分と北の方角がやかましいが」

 

「知らんよ、ここからだと土煙しか見えん。……いや、待て」

 

 風向きが変わり、視界を遮っていた土煙が晴れてゆく。

 そして、その兵士は見た。

 何千、いや何万もの騎兵が土を蹴りあげ、大地を疾走する姿を。

 

 

「敵襲だぁッ!あれは全部、敵の騎兵だぞぉおおおッ!」

 

 

 迫りくる騎馬の大部隊。先陣を切るは幅広の刀を携えた、片眼の女性。その武勇を中華全土に轟かせる、曹魏の猛将だった。

 

「我が姓は夏侯、名は元譲! 徐州の兵に告ぐ!名乗り出て一騎打ちを望むか、さもなくば道を開けよ!」

 

 慌てふためく徐州軍を尻目に、夏侯惇は部下を率いて敵陣を突破する。彼らは黒騎兵と呼ばれる精鋭騎兵であり、文字通り黒尽くめの装甲に身を包んでいる。数は2000と多いとは言えなかったが、その一糸乱れぬ動きを見れば厳しい訓練をくぐり抜けた精兵であろうことは一目瞭然だった。

 

 突然の奇襲と名の知れた猛将の登場に、徐州の兵は浮足立つばかり。混乱は恐怖に、怒号は悲鳴に、規律は騒乱へ。兵士は上官の命を無視して与えられた役目を放棄し、瞬く間に組織としての体を成さなくなっていた。

 

 夏侯惇に付き添う黒衣の精鋭を先頭に、2万もの騎兵が続く。彼らに与えられた役目は徐州内部へ直接侵入し、兌州に終結している徐州軍主力を背後から叩くこと。程昱らが北海城で青州の注意を引きつけている隙に、ゆえに今回の目的はこの場にいる徐州兵を全滅させることではない。逃げ出す徐州兵には目もくれず、ひたすら南へと馬を駆る。

 

「狼煙を上げろ!せめて下邳にこの襲撃を知らせねば……ッ!?」

 

 徐州軍の一人が慌てて声を張り上げるも、次の瞬間に一本の矢が彼の後頭部を貫く。そのまま声を詰まらせて崩れ落ちる兵士。

 だが周囲にいた幾人かの兵士は正気を取り戻し、慌てて油と火種を抱えながら狼煙台に昇る。

 

「将軍!あれを!」

 

 徐州兵の意図に気づいた黒騎兵の一人が、急ぎ夏侯惇に報告する。

 

「ッ!……狼煙か」

 

 夏侯惇は徐州側の行動を阻止しようと馬首を返すも、一歩遅かった。狼煙台からは狼を糞を使った黒く濃い煙が立ち昇り、遥か遠く下邳に緊急事態を知らせていた。

 

「……行くぞ」

 

 夏侯惇は興味を無くしたように短く告げ、南へと馬の向きを変える。

 

「よいのですか?」

 

「敵の連絡手段は狼煙だけじゃない。伝書鳩や早馬の存在も考えれば、遅くとも明後日には襲撃の噂が徐州全土に伝わっている」

 

 そして下邳にある陶謙の居城では情報が錯綜し、戦力配置の再編を巡って少なくない混乱が生じるはず。最前線である琅邪城にとってもそれは同じこと。多数の難民を抱えこんいる上、自らの背後が脅かされたとなれば士気は大きく低下する。その時こそ、曹操軍にとって絶好のチャンスだ。

 

「向こうが体勢を整える前に、一気にけりを付けるぞ!」

   

 




 「要塞が邪魔ならほっとけばいいじゃない」を割と地でゆく曹操軍。正史でも曹操軍はよく現地挑発に頼った挙句に兵糧不足で進撃停止したりしてるので、兵站に関しては案外適当だったのかもしれません。

 ちなみに今回の話、元ネタはお察しの通りアルデンヌ突破作戦です。ベルギー方面とマジノ線の両方で適当にお茶を濁して、本命をその間に突っ込ませたドイツ軍。でも兵站は現地調達に頼って地元のガソリンスタンドで補給してたのはご愛嬌。フランスだとインフラが整ってたおかげで補給無視して猛スピードでかっ飛ばせたそうですが、独ソ戦ではこの方法が完全に裏目に……。

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