真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜 作:ヨシフおじさん
最も規模の大きかった南東の城門が破壊された後、城内の状況は急速に悪化した。徐州・青州のとった飢餓作戦によって餓死寸前だった曹操軍兵士が城内に放たれ、同じように飢えに苦しんでいた難民や逃亡しようとする徐州兵に想像を絶する蛮行を加えた。かれらは奪える限りの食糧、衣服、毛布、金品、牛馬といった価値あるもの全てを略奪し、家具や住宅は薪にするために破壊され、民が引き渡しを躊躇しようものなら容赦なく槍で突き殺された。
略奪は数日間に渡って続けられ、その間に暴行を受けなかった民はなく、掠奪されなかった建物はない。扉や蓋は乱暴にこじ開けられ、物置はひっかき回され、倉庫にあったものは軒並み持ち去られ、家屋は使いものにならなくなった。そして皮肉な事に、これらの略奪品を運ぶのは難民と捕虜であった。
曹操軍の蛮行が止む気配はなく、むしろ日に日に狂気の度合いを増していくように見えた。なぜなら毎日のように押し寄せる略奪部隊は誰もが、暴力によって更に多くのものを搾り取れると考えていたからである。彼らはありもしない「秘匿された物資」を探して難民を脅迫し、城に残っていた者は絶望の淵へ追いやられた。
しかし中でも最悪の事態が発生したのは落城から2日目の夕方だった。この日、収容所で民間人に変装した徐州軍の武将が発見されたのだ。これが大義名分となって敗残兵狩りが容認され、僅かばかりの敗残兵と多くの無実の民間人が殺害された。その場で斬り捨てられたのはまだ良い方で、女性や子供ではかなりの数が虐待と強姦を受けた後に殺害されている。彼らは「身体検査」と称してうら若き女性を強姦し、「尋問」と称して子供の手足を切断した。容姿の優れた女性は体中に泥や糞尿を擦りつけ、兵士が“萎える”よう偽らねばならなかった。
唯一の救いは、この悲惨な事件が
――後漢書・陶謙列伝より抜粋
◇
黒々と立ち昇る煙が、空を覆わんとばかりに広がってゆく。
琅邪城は一面の炎に包まれていた。
「なんという事だ……」
血塗られた死屍累々の惨状を目の当たりにして、夏侯惇の顔が青ざめる。
要塞内部にあった建物は全て黒焦げになり、そこかしこに死体が転がっている。人の原型を止めている死体はまだいい。年端もいかない少年少女が犯され、殺され、切り刻まれ、人間の尊厳すら失った姿で散らかっていた。
「どうして……こんな……」
激しい戦闘の痕、焼け落ちた家屋、崩れかけの城壁、そして――そこかしこに散らばる無数の肉塊。つい先刻までは息をしていた人々が、血と汚物まみれの屍になって捨て置かれていた。
そういった光景を見たのは初めてでは無い。ここ数ヶ月、毎日のように傷つき倒れた友軍兵士のそれを見ている。この手で肉を断ち、骨を砕いて命を奪った敵兵は数知れず。ゆえに死体などとうに見慣れたと思っていた。
だが、そこにあったのはそのどちらでもない。年端もいかない少年の焼死体、強姦の痕が生々しく残る女性の絞殺体、首があらぬ方向に捻じ曲げられた老人の亡骸――どれも抵抗など出来そうもない民間人の屍だ。
そして今も――内城の奥からは悲鳴と叫喚が響き渡り、それと同じぐらい歓声が上がっている。略奪と虐殺と破壊と凌辱と。鬼畜の所業は未だ休むことなく続けられ、それと比例するかのように友軍兵士の顔には不健康な生気が戻ってきている。その事実が、この蛮行が自分達の所業である事を強烈に意識させる。
「やめろ……」
その声にいつもの覇気はない。おぼつかない足取りで夏侯惇は城の奥へと、地獄のただ中へと進もうとする。
既に起こってしまった事はどうしようもない。だが、これから起こりうること、今起こっている事なら止められるかも知れない。修羅の連鎖を止めようと足を進めた、その時――彼女の腕を掴む者がいた。
「華琳様……!?」
「離れるわよ、春蘭。……私達は此処から先に行くべきじゃない」
無機質な声で告げると、曹操は自分に着いてくるよう合図する。僅かな俊巡の後、夏侯惇が躊躇いがちに彼女の背後に続くと、曹操は俯きながら言葉を続けた。
「いい?今後も
夏侯惇は何も言えなかった。曹操の言う事を認めてしまえば、人として何かが失われてしまうような気がしたからだ。どうしようもない現実の前では夢も理想も無意味だと、そんな“現実”を受け入れられなくて――。
(では、どうすれば良かったというのだ……?)
脳裏にこだます、自問の声。
だが、その問いに答える者はいない。
「ごめんなさい……」
「華琳……様……?」
思わず、敬称を付けるのを忘れそうになる。それほどまでに曹操の声はか細く、涙を堪える姿は弱々しく見えた。幼少時からの長い付き合いの中で、彼女のそんな姿を見るのは数えるほどしかなかった。
「私は、何もできなかった……。普段は偉そうに人に命令しているくせに、最初の虐殺が始まった時、ただ茫然と見ている事しかできなかったのよ? 城内に入った時だって、死体の傍で輪姦されている少女を見つけて……」
今でもその娘の姿は脳裏に焼き付いている。自分を犯している兵士に殴られ、咳き込み、泣きじゃくりながら“気持ちいいッ!もっと、もっとぉッ!”とうわ言の様に繰り返す少女。それを卑下た笑顔で囃し立てる兵士達。傍にあった死体は5つ、年齢構成から見て彼女の家族に違いない――ぽつり、ぽつりと語る度に曹操の顔が苦しげに歪む。
「でもね、私はやっぱり何もしなかった。どん底まで下がった士気を短期間で上昇させるために、そのまま見殺しにしたの」
どんな理想や高潔な大義名分があろうと、それだけで兵士は戦い続ける事は出来ない。人が人である以上、もっと物質的で具体的な
しかも皮肉な事に、曹操軍がよく訓練された軍隊であることが、略奪強姦による士気回復効果を保障していた。例えどれだけ蛮行を重ねようとも、曹操軍は野党の群れに非ず。確乎たる軍隊であり、彼らの統率はその程度の蛮行では揺るがない。ある程度の兵が落ち着けば再び統制できるようになる。
「あんな状況でも私は……略奪と強姦を黙認することが合理的な判断だって、まるで機械みたいに冷静に計算できたのよ」
全身を強張らせ、肩を震わせる曹操。
こんな時でさえ、自分は感情に左右されず行動できている。人の生き死にを、単純な計算問題として勘定してしまう。内心で苦悩しようが葛藤していようが、己の頭脳は寸分違わず一点の狂いもなく“最適解”を導きだす――そして自分はそれを覆す事が出来ない。理屈の積み重ねで導き出される論理的帰結こそが最良の結果をもたらすと信じているが故に、その結果に囚われてしまうのだ。
違う、と反射的に夏侯惇は口に出しそうになった。
自分は曹操を子供の頃から知っている。いつも落ち着いているから冷血だと誤解され易いだけで、ちゃんと人並みに感情だってある――けれど、曹操の瞳を覗き込んだ瞬間、火照った顔から一気に熱が引いた。
いつもの小柄な体、錦糸のような細い金髪、くっきりとした凛々しい顔立ち。にもかかわらず、その蒼い双眸に浮かぶ色は、苦痛のようで、悲哀のようで、狂気のようで。
「……昔ね、劉勲が似たような話をしてくれたことがあったのよ。あの子も言ってた。目の前で人が壊されていても、見ている内に心がすっと醒めていって、すぐに落ち着いて観察できるようになるって……。そんなこと理解できないって私も昔は思ってた。でもね――」
違わない。何も理不尽な点などなかった。それどころか恐ろしいぐらい理に適っているから、
ささやくような声が、侵食するように夏侯惇の心に沈みこんでゆく。
「これが私の本性。つまるところ、歪んでいるのよ……曹孟徳は」
ひどく乾いた声で独白する曹操の姿に、夏侯惇は鳥肌が立った。
自分は恐れている。己が主君に怯えているのだと、抵抗もなく彼女は自覚した。長年付き合った彼女ですら知らない、曹操の内側にある“なにか”に。自分の理解が及ばない所にある、曹操の内面に。
何か言わなければいけないような気がするのに、言葉が出ない。凍りつく夏侯惇に、やがて曹操はふっと微笑んだ。
「兵に伝えて。4日間の
ほろ苦い声でそう命令する曹操に、やはり夏侯惇は何も言えなかった。
◇◆◇
「もう、終わりだ……」
琅邪城陥落――その知らせは遠く、青州まで届いていた。加えて袁術軍の動向が不明な事もあり、城を包囲していた北部同盟軍は敵の士気を挫くべく盛んに喧伝。同盟軍の戦略を狂わせた青州にも、いよいよ最期の時が迫っていた。
「降伏すれば命は保証する、顔良将軍はそう約束しています」
同盟軍の元から届いた降服勧告。臨菑城の大広間に揃った青州の主要人物は一様に蒼い顔をしながら、同盟軍から派遣された使者、逢紀の言葉を聞いていた。
「徐州は琅邪城で2万の精鋭を失い、下邳は未だ混乱の極みにある。しかも南皮からは第2次動員を受けた3万の我が軍がこちらに向かっている。彼らが到着すれば、今まで日和見を決め込んでいた豪族達も身の振り方を変えるだろう。無論、より強く、より将来性のある陣営にな」
逢紀は勝ち誇った様子で語る。
青州にはもともと袁紹派の豪族も多くいる。ここまで戦局が同盟軍優位となった以上、もはや彼らに寝返りを躊躇う必要はない。青州側の高官は屈辱に身を震わせるも、逢紀の推測が全くの正論である事を認めない訳にはいかなかった。
「それで……降伏の条件は?」
「条件だと?この期に及んで、そんなものが認められるとお思いか?」
青州には『無条件』での降伏以外は認めない――そう嬉々として語る逢紀。彼の口から出てきた『無条件降伏』という言葉が、何より同盟の余裕を物語っていた。
一般的に無条件降伏と言えば「降伏対象の武装解除」、そして「勝者に対して全ての権利を譲渡する」という2つを意味する。下手をすれば自暴自棄になった敵部隊に戦闘継続の意志を焚き付けかねないだけに、よほど勝てる自信が無ければ使われない。逆に言えば、今の同盟軍には青州を完膚なきまでに叩き潰せる自信があるということだった。
「そんな……馬鹿なことを言うな……」
無条件降伏――その言葉は、太史慈の心を打ちのめした。
軍人の太史慈には、現在の自分達を取り巻く状況が良く理解できた。食糧の備蓄にはまだ少し余裕があるとはいえ、このまま徐州方面の袁紹軍の合流を許せば敗北は時間の問題だ。今となっては袁術はおろか、徐州からの援軍も満足に期待できない。傭兵の中からは脱走兵も出ており、士気は下がる一方。そしてここまで戦力差が開いた以上、間もなく豪族たちも同盟軍に鞍替えするだろう。
「……嘘だ。我々はまだ……まだ負けていない……」
夢だ。これは悪い夢に違いない……震える声で太史慈が呟く。体が宙に投げ出され、地の底へ突き落されていくような気味の悪い悪寒。頭では理解していても、その心が敗北という事実を拒否していた。
「戦場は生き物なんだ……どれだけ戦力差があろうと、数倍の敵を打ち破った例は歴史上にいくらでもある!」
だが、それでも太史慈は降伏という選択肢を認めることが出来なかった。否、分かっていても認めたくはなかったのだ。
「現に私達は
そうだ……まだだ。まだ全てが終わったわけではないのだ。もう何をやってもダメだと諦めた時、その時が負けなのだ。“必ず勝つ”という強い意志をもって抗い続ける限り、可能性はゼロではない。
「兵士を集めるんだ!敵の増援が北上してくる前に、この城の全部隊で敵を倒す!」
自分達はまだ戦える。その意志がある。今ならまだ――
「もう……いいだろう」
声が、響いた。
その場にいた全員が、声の主へと振り向く。彼らの視線の先にいたのは、ゆっくりと椅子から立ち上がった青州牧・孔融だった。
「い……今、何と……?」
「太史慈――もう、この辺で止めにしないかね」
半ば放心気味の太史慈に、孔融は達観したように告げる。
「我々はよく頑張った。少ない兵力で出来るだけの努力をして、不利な状況を覆して、一時は勝利を目前にして――。そして………最後に、負けたのだ」
淡々と、決定事項を確認するように告げる孔融。青州側の変化を見て、逢紀が興味深そうに片眉を上げる。
「ほう? では、我ら北部同盟の要求をそっくりそのまま受け入れ降伏すると。そう解釈しても宜しいかな?」
「いや、そうとは言っていない。ただし……我々は
“袁家になら”、その言葉を聞いた逢紀は初めポカンと呆けていたが、やがて意を得たりとばかりに笑いだす。
「くくくっ……ははは、ハハハハハハハハハッ! 袁家に降伏する、成程そうですか!これはこれは……いや申し訳ない。とはいえ、いやはや何とも……」
北部同盟ではなく、袁家に降伏する――それは裏を返せば袁紹の支配を許す代わりに、曹操との共同統治を認めず、曹操軍を青州から撤退させる約束を意味する。数万の民を虐殺するような連中に支配されるぐらいなら、そういった悪評のない袁紹に従う方がマシというもの。
「――なんとも悩ましい。これじゃあ断れないじゃないですか。くはははっ……我ら袁家は青州と300万以上の民を合法的に手に入れられ、失うのは曹操陣営の好感だけ。ですが、いずれ敵対する相手の好意など買っても仕方がない。
しかも困った事に、仮に支配権を得れば私たちは貴方がたを無下に出来なくなる。片や虐殺、片や寛大な戦後処理……曹操の小娘と名門袁家の格の違いを世に示すのに、これほど分かり易い対比はない。なるほど、これは一本とられましたな」
「条約を交わした両者が共に得をするとなれば、悪い話ではありますまい?」
未だ笑いの止まらない逢紀と、慇懃な態度を崩さぬ孔融。既に戦後処理について話し合っている彼らに太史慈はあっけに取られていたが、やがて擦れるような声を喉の奥から絞り出した。
「あ、貴方達は何を言っている……?」
相手が目上の存在である事を忘れ、更には言葉を飾ることすら忘れて聞き返す太史慈。
それに孔融は気分を害した様子もなく、出来の悪い息子を諭すように口を開いた。
「まだ分からんかね?降伏すると言っている」
「!?」
孔融の結論は変わらなかった。無条件降伏を受けいれる――それはつまり、青州が完全に他者へ従属するということだ。最悪、抵抗を指揮した主な豪族や名士は殺され、残った住民は奴隷に売られるだろう。そこまでいかずとも青州は北部同盟の植民地、収奪の対象となる。中華統一を目指す袁紹と曹操の野望の為、切り捨てられる「小」として社会の底辺に置かれるのだ。
(そんなこと……!)
そんなことが……認められるわけがない。それでは生きながら死ぬも同然だ。例えそれが全滅を免れる唯一の方法だとしても、太史慈は言わずにはいられなかった。
「ふ……ふざけないでもらいたい!我々はまだ負けた訳では――!」
「いいや、負けだ」
孔融は反論を許さぬ強い表情で、きっぱりと言い放つ。
「袁術の増援は間に合わない。徐州軍は壊滅。そして我らは敵の包囲下にある。今のこの状況を見て、君はまだ勝てるというのかね?徹底抗戦などしてみろ。我々は皆殺しだ」
「だがっ……まだ我々は負けていない!勝負は時の運だ!たとえ圧倒的に劣勢であるとはいえ、実際に戦ってみなければ分からな――」
「貴様はそれでも軍人か!!」
突如、孔融が怒声を放った。
「万に一つの確率で勝てばよい!だが残りの大部分の確率で我らは皆殺しだ!琅邪城がどうなったのか知っているだろう!?」
「……っ!」
鬼気迫る表情で一喝する孔融に、太史慈は言葉を失う。
「戦えば――人が死ぬぞ。飲み仲間が体を削がれ、顔見知りの女性が犯され、親戚の子供が理由なき暴力を受け、最後には等しく屍を晒す。もしこの城が陥落して虐殺の憂き目に遭った時、貴様はその責任がとれるのかね?」
現に徐州ではそうなったと聞いている。それが孔融の言葉に現実的な重みを加え、全員の心に突き刺さる。孔融は全員の内心を確かめる様に一人一人を順に見つめ、最後に太史慈の前でぽつりと告げた。
「貴様がどうかは知らん。だが……少なくとも、私には無理だ」
最後まで徹底抗戦を選択した結果、琅邪城では3万もの難民が虐殺されたのだ。長引く籠城戦でストレスが溜まり、なし崩し的に乱戦となったがゆえに兵は暴走し、上官が止めようとした頃には手遅れだった。元来曹操は略奪を厳しく取り締まっており、袁紹軍もそれなりに統制は取れていたはずだったが、長く苦しい包囲戦に耐え抜いてきた兵士たちはもはや自らの欲望を止めようとはしなかった。勝者の当然の権利とばかりに奪い、犯し、殺しつくした。
青州が同様の悲劇を辿らないという保証はどこにもなかった。
「戦争は終わったのだ。これ以上の無謀な抵抗は更なる悲劇を招く。どうしても負けを認められないというのなら、その時は君一人で戦って来い。だから……君の自己満足の戦いに、これ以上青州の民を巻き込むのはやめてくれ」
最後はほとんど懇願するような口調だった。そこにいるのは、もはや権威ある漢王朝の州牧などでは無い。死の恐怖と責任に怯える、一人の哀れな中年男性だった。
(あぁ……私達は、負けたのか……)
自分達は追い詰められている。だから大勢の犠牲を払い、沢山の苦労を乗り越え、今まで積み重ねてきたもの全てをここで捨てねばならない。そうする以外に、自分達が生き残る道はない。
答えは既に出ていた。本当の事を言えば、降服勧告が届く前からこうなるのでは、と太史慈も内心では理解していたのだ。いや、軍人として誰よりも理解していたが故に、その現実を認められなかったのか。
「……結論は出ましたかな?」
重苦しい沈黙が場を支配する中、それを破ったのは逢紀だった。ちらりと横目で孔融の点頭を確認すると、満足したように告げた。
「では、私も顔良将軍の了承を取り付けねばならぬ故、今日は下がらせていただきます。さきほどのお言葉、ゆめゆめ忘れること無きよう」
そう言った逢紀が退出するのを見届けると、孔融は再び口を開いた。
「それから……劉備、といったか?徐州の方々は今すぐ脱出した方がいい」
驚く劉備に対し、孔融は如何とも形容しがたい表情で告げる。
「同盟軍の戦略を狂わせたのが、そちらの軍師の手によるものであるという事実は如何ともしがたい。同盟軍に捕らえられれば間違いなく処刑だろう」
その言葉に劉備はは青ざめ、口を両手で覆う。可能性としては濃厚だ。今回は流石に事が大きくなり過ぎた。例え曹操や袁紹が能力を買って個人的に許そうとも、末端の兵士は絶対に納得しないだろう。
自分達を飢えで苦しめ、同僚を死に追いやった仇敵が味方になり、しかも自分達の上官に?酔っ払いのジョークの方がまだ笑えるだろう。
「そんな……これじゃあ、わたし達は孔融さん達を見捨てることに……」
劉備が申し訳なさそうに俯く。それでも「ここに残る」と言い出さないのは、彼女達も内心では生きて逃げられる事に安堵しているからか。あるいは、残った方がむしろ迷惑になると考えているのか……。
「代わりに、と言ってはなんだが……」
孔融はそんな彼女達を一瞥すると、背を向けて小さく呟いた。
「太史慈も一緒に脱出させてくれ。彼がいれば、下水路あたりを伝って逃げられるはずだ」
予想外の言葉に、太史慈は驚いた表情で振り返る。
「ま、待って下さい!私だけ脱出せよとはどういう意味ですか!?貴方は……孔融殿は、どうなさるつもりですか?」
「私は……青州の州牧だ」
再び振り返った孔融は、その顔に悲痛な決意を秘めていた。
「青州は私が皇帝陛下から授かった領土だ。責任は全て私が取る」
「なっ……!?」
太史慈は言葉を失っていた。周囲にいた劉備達も呆然とそれを見つめる。
「あ、貴方は何も悪くない!もし責任があるとすれば、それは戦争を煽った私にある!本来処罰されるべきは私であって、初めから講和を訴えていた貴方では……」
「分かっとる!!」
再び、怒声。それが我慢の限界だったかのように、孔融の口から途切れることなく恨み節が放たれた。
「そうだ!私は何も悪くない!こうなると分かっていたから、私は戦争に反対だったんだ!徹底抗戦などしてみろ!その責任者が処罰抜きなどあるわけがない!だから私は最初から反対したんだ!なぜ貴様らの自己満足のための戦争に付き合って、挙句の果てに責任を問われるなど御免だ!」
太史慈も、そして劉備達も顔を伏せる。それは紛れもない事実であり、孔融からみた現実だった。
「だがな……それでも私は青州の州牧なのだ。この青州を統べる最高位の名士なのだ。そして部下の不始末の責任は、上に立つ者が負わねばならぬ。責を負うに相応しい者が、負わねばならんのだ」
孔融は唇を噛み締めていた。肩が小刻みに震えているのは、押さえきれぬ怒りと悔しさゆえだろうか。それとも己の無力に絶望しての事か。
「貴様らを逃がすというのは、せめてもの私の意地だ。劉備とやら、貴様達らの支援は害悪にしかならなかったと私は考えているが……それでも好意にはそれ相応の返礼をもって返すのが名士の流儀だ。同じく優秀な部下がいれば、その才を伸ばせる機会を提示するのも上司の役目。――死ぬのは、先のない年寄りだけでいい」
「………」
誰も二の句が継げない。この場にいる全員が、黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
「それに、な……私は青州人であることに誇りを持っている。この地で生まれ、育ち、ここまで出世した。今さら貴様らと見ず知らずの土地に逃げろなどと抜かすな」
孔融は僅かに間を空けた後、悲壮感を漂わす口調で小さく呟いた。
「死ぬ時は青州で死ぬ……もう私はそう決めたのだ」
◇
これから3時間後……青州牧・孔融は北部同盟軍に対して無条件降伏を受諾すると通達。青州はその大部分が袁紹の支配下に置かれる事となり、これ袁紹軍は公孫賛軍に対する反撃の準備を着々と整えてゆく。また青州が同盟の勢力圏内に入ったことで、徐州侵攻を進める曹操軍の勢いは以前にも増して苛烈なものとなっていった。
青州の陥落――中華存在する13州の一つが無条件降伏したという事実は各諸侯に衝撃を与え、北部同盟軍の持つ力を改めて大陸全土に知らしめることになる。同時に北部と南部の間に決定的な亀裂を生じさせ、もはや和解は不可能な状態だった。ある諸侯は危機感を募らせ、またある諸侯は生き残りをかけて強者の側に与する。戦うも地獄、降伏するも地獄。そんな戦争の世紀、誰もが否応なく選択を迫られていたのだった。
前半は虐殺回&華琳様の心の闇回。
原稿ではもっと直接的な虐殺描写もありましたが、曹操軍がリアル世紀末にしか見えなくなったので止めました。なんか春蘭あたりが「汚物は消毒だ~!」とか言ってヒャッハーしてる姿が思い浮かんだので。
後半は今まで小物感の強かった孔融さんの最初にして最後になるだろう見せ場です。脇役おっさんのツンデレとか誰得……。