真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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 一部に加筆修正を加えました(10/6)


64話:少女の戦い

             

 2日ほど時を遡る――。

 

 兌州・陳留にある曹操軍の大本営は、重苦しい沈黙に包まれていた。

 

「それで、豫州東部に集結しつつある大部隊っていうのは……」

 

 出来れば聞きたくない、といった本音が垣間見える口調で荀或が部下に問う。

 

「まだ詳細は未確認ですが、目標は徐州と見てほぼ間違いないでしょう。数は最低でも3万、中には5万以上という報告もありますが……」

 

「要するに、下邳の華琳様が逆包囲を受ける可能性があるってことね」 

 

 はぁ、と深く溜息をつく荀或。最後に彼女が受けた報告によれば琅邪城が落ちた後、曹操の本隊2万5000は下邳へ向かったという。下邳には1万程度の徐州軍が存在すると見積もられており、攻城戦になれば袁術軍によって逆包囲を受ける可能性が高いと彼女は考えていた。

 もっとも――現実には堤防決壊作戦によって双方が一瞬で壊滅するのだが、この時点でそれを荀或が知る由もない。しかし彼女は宛城に潜り込ませていた密偵からの情報により、図らずして袁術による徐州侵攻計画を察知できていた。

 

「問題は、どうやって援軍を送るかになるわ」

 

 まず考えられるのは、別の部隊を下邳に移動させることだ。しかし東西2正面作戦を行っている曹操軍ではどこも人手不足であり、無理に引き抜けば別の問題が生じてしまう。もう一つは兌州で新規に徴兵することだが、こちらは訓練期間が絶望的に足りず間に合わない。

 

「となると、残るは同盟諸侯からの増援を期待するしかないんだけど……」

 

 最近の華北情勢を見る限り、期待は薄いだろうと荀或は断ずる。

 華北では公孫賛が、騎兵を活用した機動戦で数に勝る袁紹軍を圧倒していると聞く。袁紹軍の『第17計画』では当初「2正面宣戦を回避すべく、開戦直後に主力部隊を青州に投入。北部は防御に徹し、迅速に青州を攻略した主力部隊の帰還を以て反転攻勢に移る」とされていたものの、青州・徐州連合軍の飢餓作戦によって青州での戦闘が長引いたため、優勢な公孫賛軍に耐え切れず北部の戦線が後退。青州占領と同時に、慌てて兵力を北部に移動させているという最中だ。これでは徐州方面への増援など望めまい。

 

「だからこその袁術軍派遣……道理で今まで動かなかった訳ね。姑息というか、合理的というか……」

 

 実に袁術陣営らしい。常に自分は安全地帯にいながら、他者を争わせて漁夫の利を得る死の商人。傷一つ負わないまま、他者が戦の中で得た勝利の果実を掠め取る。それでいて博打は避け、勝てる戦いしかしない。徹底的に外堀を埋め、じわじわと敵を弱らせ、勝利が誰の目にも明らかになってから動き、当たり前に勝つ。現に、今まさに袁術陣営は必勝の布陣をもって戦に臨んでいる。

 だからこそ――。

 

(こっちだって、負けるわけにはいかない。 この戦争の主役は華琳様よ。今までずっと隅で傍観してただけの脇役が、トリを飾ろうなんて虫のいい事考えてるんじゃないわよ――!)

 

 袁術陣営には前も煮え湯を飲まされた。自分はその屈辱を忘れてはいない。ゆえに何としても今回は勝つ――静かな闘志を胸にたぎらせ、荀或は勝利を生み出すべく頭脳を回転させ始めた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

  

 下邳城の空は、その内情を映し出すかのように灰色の雲が垂れ込めていた。ぽつぽつと小ぶりの雨が降り始め、洪水によって家を失った人々の体力を奪ってゆく。統率を失った兵士は生来の欲望と生存本能に従い、強者から逃げつつ弱者を徹底的に喰らい尽くす。そうした命の削り合いが街のそこかしこで起こる例に漏れず、下邳城の一室でも2つの郡雄が真っ向からぶつかり合っていた。

 

「くっ……流石に厳しいわね」

 

 曹操が苦々しげに呟く。既に呼吸は乱れ、膝から下の感覚は無くなりつつある。されど、例えどれだけ消耗していようと彼女は戦い続けるしかない。動きを止めれば己が覇道、その過程で為してきた全てが無に帰すがゆえ。

 勝機はただ一つ……元凶である陶謙を討ち取ること。

 

「はぁ、はぁ……こっちの戦力は14人。敵は……」

 

 見たところ、ざっと50人といったところか。劉備ら3人を戦力から除外すれば、もはや口に出すのも馬鹿らしいほどの戦力差だ。

 50対14――人によってはさほど数の差を感じないかも知れないが、武道を嗜んだことのある人間なら相当に厳しい状況であることが理解できるだろう。俗に、どんな達人でも3人を同時に相手すれば勝てないと言われる。戦術、戦略レベルではまれに数倍の敵を撃破することがあるが、同じことを戦闘レベルで行うことは遥かに難しい。

 

 まず視界――1000人もいれば誰かが自分の代わりに状況を把握してくれるが、十数人程度ではそれぞれが自分の周囲を確認するので精一杯だ。しかも後ろに目は付いていないため、敵が3人もいれば高確率で背後を取られる。ゆえに一度に3人以上と戦う事を避け、建物などを利用しつつ背後を守りながら各個撃破する技術が必要とされる。

 だが問題はそれだけではない。肉体の疲労――10kg~30kgはある鎧を着たまま2kgほどの剣を30分も振り回し続ければ、全身汗だくになること間違いなしだ。剣を握る手は震え、足腰の関節は軋み、溢れる汗が目に入って視界を遮り、呼吸は徐々に困難になってゆく。そんな状態で仮に理想的な各個撃破の状況を作り出しても、果たして自分の体力が持つかどうか。

 付け加えるならば、陶謙の護衛兵として精兵。いつものように質で勝っている訳では無い。1対1ですら決して有利とは言えないのだ。ゆえに曹操らが曲がりなりにも抵抗を続けられている事は、賞賛されてしかるべきだろう。

 

「後は……」

 

 ちらり、と横に視線を向けると、悲しげな声で叫ぶ劉備の姿が映る。

 

「2人とも、やめて下さい! お願いします……!」

 

 劉備の手には剣が握られているものの、構え方はまるで様になっておらず、過度の緊張で震えていた。一刀はまだマシな方だが、諸葛亮を守らねばならない事を省みれば、戦力としては機能していないも同然だった。

 対して陶謙の返答は――。

 

「そこの3人。彼女らを見張ってくれんかのぅ? なに、無理に今すぐ(・ ・ ・)殺さんでもよい」

 

「……ッ!」

 

 息を飲む劉備。今の発言は、陶謙が劉備たちを明確な“敵”として認識したことを意味する。万が一のことを考えてか今すぐ殺す気はないようだが、対話を一方的に拒絶された事に劉備は動揺を隠せない。

 3名の兵に劉備達の監視を任せて、近づいてくる陶謙と徐州兵。

 

(これで47対14……全然、嬉しくないわね……)

 

 内心でそんなことを考えながら、曹操は苦笑する。

 多少はマシになったのだろうが、せいぜい誤差の範囲内でしかない。その証拠に――。

 

「ぐぅ……ッ!」

 

 腕に衝撃が走り、曹操が苦悶の表情を浮かべる。斜め右後方からの槍のひと突きが、彼女の腕の肉を一部抉ったのだ。数の優位を活かした、死角からの一撃。ぬるりと血が腕を伝い、腕に力が入らなくなる。利き手なだけに少々不味い。

 

「くっ――!」

 

 形勢不利を悟った曹操は一度飛んで後ろに下がり、敵の数を確認する。

 数は残り40名。こちらも7名がやられた。

 この状況でこの人数と戦うのはあまりに無謀すぎる。ならば――。

 

 元凶を倒すしかない。頭を失った蛇は無力。複数の味方の犠牲の上に、ただ1人のを討ち取る捨て身の突撃。離れた位置から指揮をとっている陶謙を殺すことが、唯一この絶体絶命のピンチを切り抜ける方策だった。

 

(問題は、そこに辿り着くまで生きていられるか……)

 

 だが、やらねばならない。残された時間は少なく、戦闘が長引けばそれだけこちらが不利になる。

 曹操は痛む腕に無理やり力を込め、再び足を踏み出した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 南陽群・宛城―― 

 

 日は暮れて日没となっており、張勲は部屋に備え付けられた暖炉に薪をくべる。南陽群はどちらかといえば温暖な気候だが、初冬の夜間ともなると流石に冷える。

 

「いやぁ、今日もお疲れ様でーす。やっぱ戦争って疲れますねぇ」

 

 疲れたと言う割には、張勲の口調は至って呑気なものだった。

 

「……アンタは何もしてないでしょうが。さっきの人民委員会議だって、袁術ちゃん寝かしつけてたぐらいで……」

 

「それも仕事の内ですぅ。だいたい下手にお嬢様が起きてたら大変ですよ?軍事予算が蜂蜜の湖に化けますよ?」

 

「いやいや、いくら袁術ちゃんでも流石にそれは――」

 

 ないだろう、と言いかけて押し黙る劉勲。……やっぱり、あり得そうで怖い。

 

「でも定期報告書ぐらいはちゃんと読んどきなさいよ。情勢が情勢だし、いつ何が起こるか分からないんだから」

 

 椅子にもたれながら、劉勲は報告書を張勲に手渡す。徐州や華北での戦乱に直接巻き込まれずにいる袁術陣営ではあるが、かといって平時通りという訳にもいかない。目まぐるしく変化する情勢を把握し、今後の身の振り方を考えるためには積極的に諜報活動を行う必要がある。

 

 現状、『二袁の争い』は徐々に袁術の率いる『南部連合』優位に傾きつつある。初戦こそ袁紹ら『北部同盟』軍の先制攻撃を許し、青州を占領されるという失点があったものの、徐州にて曹操軍主力を壊滅させたことは大きな成果だ。北部でも同盟を結んだ公孫賛軍が袁紹軍を圧倒。

 西部戦線では曹操と対立していた益州の劉焉が南部連合側に立ち、袁術の勢力拡大を恐れる荊州牧・劉表と対立。ただし西涼の馬騰が中立を表明した事により、西部戦線はせいぜい小競り合い程度のもの。一方の司隷では益州と荊州、涼州の3すくみ状態の隙をついて李傕らが再び勢力を伸張。こちらも洛陽を占領する北部同盟軍と戦う関係上、袁術らには友好的だ。

 

「で、私たちはその間ドサクサに紛れて徐州を掠め取ろうと。劉勲さんって、ほんとしょうもない悪知恵だけは働きますよねぇ。ここまで来ると逆に尊敬しちゃいそうですぅ」

 

「頭脳派、って言ってよぉ。 ったく、そこらの脳筋と一緒にしないで欲しいわね。もっとこう、人生賢く生きていかなきゃ」

 

「ですよねー。正面切って戦争してたところで、疲れるだけで誰も得なんかしませんし」

 

「ねー」

 

 おどけるように同意する劉勲に、つられるように笑顔を浮かべる張勲。相変わらず、仲が良いのか悪いのかよく分からない2人ではある。

 

 

「それにしてもあの狸……」

 

「陶謙さんの事ですかぁ?」

 

「ええ、どうして中々、話の分かる男じゃない。今まで散々善人ヅラしといて、切羽詰まった途端に曹操軍もろとも住民まで水底に沈めるなんてさぁ。あんなのが為政者じゃぁ、徐州の庶民も大変でしょうに」

 

 その下種い作戦を立案した本人が言うのもなんだが、正直なところ陶謙が承認するとは劉勲も思っていなかった。劉備らを重用していることから、陶謙もああいう手合いだと思い込んでいたのだが、どうやら自分の見込み違いだったらしい。他者を矢面に立たせて裏から操る、自分の同類だ。

 

「こき降ろしてる割には、なんだか嬉しそうですね」

 

「あら、これでも褒めてるつもりなんだケド? なんだかんだいって、2面性のある男ってアタシ結構好きよ?惚れちゃいそう」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、しなをつくる劉勲。手慣れた仕草が妙に洗練されているだけに、激務のせいで痛んだ髪やら目の隈やらが残念でならない。

 

「というより、劉勲さんってオジ専でしたっけ? それとも単に守備範囲広いだけですかぁ?」

 

「何とでも言ってなさい。恋多き女には出会いも多いのよ」

 

「世間ではそれを尻軽と言うんですよ、劉勲さん」

 

 適当な軽口を叩き合った後、張勲が思い出したように言う。

 

「でも、少し意外ではありましたねぇ」

 

「何が?」

 

 胡乱げに首をかしげる劉勲に、張勲はうっすらと微笑みを浮かべる。 

 

「ずーっと戦争を避けてきた劉勲さんが、ここに来て裏工作をしてまで曹操軍を潰そうとするなんて。何か心境の変化でもありました?」

 

 対する劉勲はというと、当惑したような苦笑を僅かに浮かべただけだった。

 

「う~ん、そうかなぁ? アタシは今も昔も、勢力均衡を保とうとしているだけよ」

 

 積極的に中華を変革していこうという曹操や一刀達とは違い、劉勲はむしろ停滞を是としている。だからこそ彼女は現在の情勢を壊そうとする動きを許さない。ゆえに勢力均衡によってバランスを維持し、極端にパワーバランスが偏ることで既存の秩序が崩壊するのを防ぐ……彼女の目的は終始一貫してそれだけだ。

 

「ずっと変わらない、って案外大変なことなんだよ? 自分が望まなくても、周りが勝手に変わる。変わろうとする。その中で不変であり続けたければ、変わろうとする周りの足を引っ張るか、周りが変化した分だけ自分を成長させなきゃいけない」

 

 そうでなければ、気づいた時には一人ぼっちになって取り残される。皆はどんどん先へ行く中で、自分一人だけ置いてけぼりにされてしまう。そうならないためには――。

 

「後はそうね……何を思っても結局のところ、最後にモノを言うのは『力』だから、かしら」

 

 例え変わろうが変わることが無かろうが、この世界はいつだって誰にだって残酷で。

 酷薄で、冷徹で、容赦がなく、思い通りにならないから。

 

「願って祈って想いの強さで勝てるなんて、現実そんなに甘くない。少なくとも、アタシはそう思ってる」

 

 強い力がなければ、何を為す事も出来ないのだと――。

 

「……なーんてね。ちょっとカッコつけてみたんだけど、決まってたかしら?」

 

 それは随分と卑怯な聞き方だと、張勲は思った。

 何だかんだ言って、やはりその先が気になってしまうから。 

 本音が垣間見えるようなスレスレの場所で、結局いつも本心は謎のまま。

 

「そうですね、まぁ……悪くはないと思いますよ?」

 

 へぇ、と人を食ったような劉勲の眼差しに、張勲の唇が僅かに吊りあがる。

 

「でも、『政治家』としての劉勲さんには、もう一つありますよね? 曹操さんと戦う理由が」

 

「ああ、そういえばそんなモノもあったわね」

 

 劉勲の双眸がすっと細まる。まるで捕えた獲物を前にした蛇のような、全てを呑み込まんとする貪欲な商人の瞳。やはり劉勲は意地汚い笑みを浮かべながら、悪巧みをしている方が似合っていると、張勲は思う。

 

「――袁家は契約を破らない。対価をきちんと支払い続ける限り、決して契約内容を違えることはない。例えどれだけヤクザな取引だとしても、支払いに応じる者には相応の見返りを。……ただし」

 

 劉勲につられて、にやりと張勲も意地の悪い笑みを浮かべる。

 袁家は契約を破らないが、約束という概念はない。だから時として、小さな悲劇が起こり得る。青州のように。

 

「袁家とて万能ではない。それゆえ真に残念ながら時々、ほんの時々だが履行できない事もある……ええ、実に現実的ですねぇ」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「はあああぁぁぁぁッ!!」

 

 威嚇するように叫びながら突貫する曹操と生き残りの曹操軍兵士たち。その様子を見た徐州兵たちは、とっさに陶謙の周りに集結し護りを固める。だが――。

 

「なにっ……!?」

 

 正面に突撃するかと思われた彼らは、突如としてその方向を横に変更した。陶謙の周囲に兵が集まっていた事もあり、曹操軍は敵の包囲網を突破。途中、一人が脱落するも、残る姿をくらますべく柱や調度品に隠れながら移動する。

 だが陶謙らもやすやすと逃がすほど愚かではなかった。 

 

「衛兵、門を閉じよ! 屋敷の外にだけは出すな!」

 

 どこに隠れようが、門さえ閉じれば逃げられまい――とっさに判断した陶謙は間を置かず指示を飛ばす。曹操が全力で走り抜けるも、端にいた兵が門を閉じる方が僅かに早かった。

 

「行け! 兌州牧の首を取れば恩賞は思いのままぞ――!」

 

 立て続けに命令を発する陶謙。徐州兵を引き連れ、曹操の逃げた方角へ向かう。兵の動きに無駄はなく、訓練された動きで瞬く間に曹操を取り囲む。4方にそれぞれ10人づつ、それに陶謙を加えた41名が曹操と麾下5人を完全に包囲する。これで、逃げ道は完全に塞がったはず。だが、しかし――。

 

「へぇ……いい香炉を持ってるじゃない」

 

 にやり、という笑みと共に曹操の動きが止まった。彼女の前に置かれているのは、直径三尺ほどの大香炉。古来より香は臭気を除くと共に、不浄を払うものとして重要な調度品と見なされている。また香木は高価であったことから、豪華で巨大な香炉は権力の象徴としても使用されていた。

 

「しまっ――!」

 

 兵士達が気付いた頃には既に遅かった。曹操は高価な大香炉に愛用の鎌を突き立て、そのまま力まかせに破壊する。香炉が割れると同時に溜まっていた灰が舞い上がり、一瞬にして視界を奪われる。例えどれだけ数で勝っていようと、敵が見えねばその優位は発揮できない。同時に視界が回復するまでのタイムラグは、決定的な隙となる。

 

「ぬ……っ!」

 

 陶謙が歯噛みし、慌てて距離を取る。おそらく硬直時間は数秒に満たないが、曹操にはそれで充分だった。やや離れていた陶謙はまだしも、自分達により接近していた徐州兵は目を潰され、とっさの事態に対応が出来ていない。ならば――。

 

「「「 おおおおぉぉぉぉッ!! 」」」

 

 瞬間、曹操と生き残りの兵士達が正面――陶謙のいる方向へ突撃する。視界不良でたじろいだ徐州兵に、それぞれが必殺の一撃を加える。

 

「おの、れ……!」

 

 だが残った徐州兵も即座に態勢を立て直す。側面にいた兵士は慌てて煙幕から離れ、正面にいた兵士が1人が1人の相手をすれば――。

 

「遅い」

 

 敵が再びこちらへ向かってくるより早く、危機を感じた陶謙が避難するより早く、曹操は思いっきり飛び出していた。陶謙の前に躍り出て、そのま躊躇せず鎌を横に薙ぐ。

 

「――っ!?」

 

 絶句する陶謙。あらん限りの力を振り絞って突き出された曹操の鎌は、真っ直ぐに彼の元へと吸い込まれる。とっさに避ける間もなく、必殺の一撃は容赦なく陶謙に突き刺さった。

 

「か……はッ……!」

 

 骨の折れる嫌な音が聞こえ、陶謙の顔が苦悶に歪む。その脇腹には早くも鮮血が広がり、致命傷であることを否が応でも認識させる。

 己の脇腹から噴き出す鮮血を凝視しながら、陶謙は瞠目した。

 

「な……ぜだ………?」

 

 その時、何よりも早く陶謙の脳裏を占めたのは疑問の念。

 あり得ぬ。分からぬ。完全に有利な状況にいたのはこちらだ。煙幕という想定外の出来事があったとはいえ、もし仮に(・ ・ ・ ・)あと一人(・ ・ ・ ・)でもこちら(・ ・ ・ ・ ・)にいれば(・ ・ ・ ・)曹操を止め(・ ・ ・ ・ ・)られたのに(・ ・ ・ ・)――。

 

 曹操が自分に刃を突き立てられたのは、ほとんど奇跡のようなものだ。煙幕で視界を奪った僅かな時間に、5名の曹操軍兵士が正面にいる徐州軍兵士10名中5人を倒し、回復した正面の残る5名を足留めする。ゆえに側面にいた兵士が煙幕から逃れ再び向かってくるまで、ほんの一瞬だけ曹操の動きを止める者はいなくなる。そして自分は、その刹那に刃を突き立てられたのだ。

 

 よりによって、その程度。あと僅か1人か2人ほど自分に兵がいれば、防げたはずの事態。にもかかわらず、なぜ運命の悪い悪戯のような逆転(キセキ)が起こる? 

 それとも、もしこれが必然とでもいうならその因果はどこに―― 

 

(ああ……)

 

 記憶の糸を手繰るまでもなかった。

 

(そうか、あのとき彼女らを“敵”と認識したから……)

 

 彼女達との対話を拒絶し、兵を3名差し向けた。その程度の兵が減った所で対局は揺るがないと判断してしまったからこそ、本来起こるはずの無い奇跡が起こってしまったのだ。

 

(玄徳殿、だから貴女という人は……)

 

 やがて陶謙の体はグラリと横に揺れたかと思うと、そのまま地面へと崩れ落ちる。

 その瞬間、全ての戦闘が停止した。

 

 陶謙に従っていた兵士は初め唖然とした様子で呆け、次に怯えたように周囲をキョロキョロと確認し、最後は観念したように武器を置いた。自分達を指揮する主君を失い、改めて部屋の外にいるであろう曹操軍の大部隊を意識したのであろう。

 

 戦闘は陶謙の敗北で終わった。

 それは同時に曹操軍が、再び下邳の支配権を取り戻したことを意味していた。

 

 

 ◇

 

 

「………」

 

 徐州牧・陶謙は、部屋の中央で倒れていた。

 自分は、何か間違ったのだろうか……混濁する意識の中で、ふとそんな事を思う。

 

 自分はただ、純粋に故郷の未来を想い、己の信ずる正義に従って戦ったまで。

 他意は無かった。劉勲との取引は高くついたが、落日の徐州を救うには他に方法が無かったのも事実。

 ならば、いったい何が曹操に劣っていたというのか。それとも――。

 

「少し予想外の事態はあったけど――」

 

 自分を斃した少女が告げる。全身傷だらけで至る所から血を流しながらも、その瞳は強い光を放っていた。

 

「所詮はそれだけよ、陶謙。貴方ごときで私の覇道は阻めない」

 

 全身を蝕む激痛を堪えながら。言葉を紡ぐたびに肺が焼けるような苦しみに耐えながら。

 それでもなお、彼女は“勝者”の義務としての勝利宣言を忘れない。

 

 まるで、そうする事が敗者に対する労りであるとでも言うように。

 

「あれほどの犠牲を捧げて、まだ勝てんか……」

 

 呆れ半分、恨み半分で陶謙は呟く。

 

 兵に出血を強いた。民の命を捧げた。息子の想いを踏みにじった。そして自らの誇りと名誉を、全て泥に投げ打った。そこまでしたのに何故――。

 

 

「知らないわよ」

 

 

 しかし曹操は何一つ表情を変えず、その場で老人を見下ろしていた。碧の瞳に冷たい光を宿らせながら、それでいて鋭く燃える視線が注がれる。

 

「貴方が何を願い、その為にどんな犠牲を払ったか……そんなもの私は知らない。分かっているのは、私の覇道と貴方の考えは相容れないという一点のみ。ゆえに私達は戦い、そして最後に貴方が負けた。それが“現実”よ」

 

 老人の剣は若き覇王の皮を切り、肉を裂き、されど骨までは断てなかった。

 

「……薄氷の勝利だろうと勝利は勝利。敗北は敗北だと、そういう意味かの?」

 

「然り」

 

 最後に勝敗を分けたのは、曹操の策とも呼べぬ刹那の機転。そして、ほんの少し判断を誤ったがゆえに出来た隙を突かれたという、それだけの理由だった。

 劉備たちが居たから、などと責任を転嫁するつもりはない。彼女らの存在を考慮したところで、自分は遥かに優位に立っていたはずなのだ。それでも負けたというならば、下手に言い訳する方がみっともない。

 

 蓋を開けてみれば、何とあっけない結末だろうか。戦略でも戦術でも勝っていながら、戦場の流れ弾で敗死した歴史上の名将にでもなった気分だ。

 

「だが……これもまた、“現実”か」

 

 狙いとおり焦土作戦は敵味方に多くの犠牲を強いたが、精強を誇った曹操軍を確実に弱体化させるという目標は果たした。自分は自らの持つ何もかもを失ったが、代わりに曹操を彼女の持つ全てから切り離したのだ。

 琅邪城で虐殺された3万の民と兵、自らの血と家を継ぐはずだった息子の命、そして下邳の住民……それら全てを犠牲にして作りあげた刹那。曹操を彼女に従う全ての兵士から切り離し、無双の剣をへし折り鎧を剥いだその瞬間。

 

 下邳に立つは指揮官がただ一人。そこにいたのは、ただ一人の女。ただの曹孟徳という、個人に過ぎなかったというのに――。

 

「……それでもなお、儂の剣は届かなかった」

 

 所詮、それだけのこと。あまりに簡潔過ぎる結論に、思わず苦笑する。単純明快過ぎて、もはや恨む気持ちも、不幸を嘆く気にもなれない。

 

 ただ、……ほんの少しだけ悔しかった。年甲斐もなく、素直にそう思うのだ。

 

 

「そう、貴方の剣は届かなかった」

 

 ぽそりと、そんな呟きが漏れた。

 

「でも、見事だった」

 

 曹操の表情が、ふっと緩む。それが混じり気のない彼女の本心だと、なぜかそう確信できた。

 見下ろすような姿勢はそのまま、乱世の覇王は言った。

 

「たとえ下郎の奇策を弄そうと、この曹孟徳をあそこまで追い詰めたのは貴方が初になる。ならば、礼を尽くす事にやぶさかではない。――改めて、敬意を表しましょう」

 

 静かに、されど厳かに。そう宣言した曹操の声には、紛れもない賞賛の響きがあった。

 自らの誇りにかけて、この勝利は汚さないと。必ずや価値ある勝利として未来に繋ぐと。

 それが勝者として敗者に送る、せめてもの手向けだと彼女は言外に告げていた。

 

 

「―――……ならば、必ず守れよ」

 

 

 口の中に血の味を感じつつ、絞り出すようにして陶謙は声を紡ぐ。

 己の敗北が真に絶対のものであった言うなら、今後もそれを証明し続けててみせろと。

 

「―――――」

 

 刹那、眼前の少女が微笑んだような気がした。

  





 前書きも書きましたが、後半部分を再編集しました。
 最後の曹操と陶謙さんの会話は65話に乗せてたんですが、やっぱ同じ話にまとめた方がしっくりくると思ったので。

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