真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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第七章・名門の誇りをかけて
66話:共振


            

 曹操軍によって戦端が開かれた徐州戦役は、あと一歩という所で州牧・陶謙の機転により思わぬ形での収束を迎える。終戦間際になって人道的支援(・ ・ ・ ・ ・)を名目に参戦した袁術軍によって徐州は解放(・ ・)され、曹操は残存兵力をまとめて北部の琅邪城まで後退した。

 

「あれは時間との勝負だった。こちらに増援を送る余力はなく、対して袁術軍はその数を日に日に増していた」

 

 後に曹操は当時の状況を振り返り、こう語ったという。

 袁術軍は豊富な資金力を生かして現地で次々と兵を集め、紀霊と華雄という2人の猛将の指揮のもと損害を気にすることなく戦場へと送りこんでいた。戦乱で荒れ果てた徐州では多くの人間が路頭に迷っていたため、数少ない生計手段である兵士に志願する者は後を絶たなかったのだ。数はそのまま力となり、地元豪族も大部分が戦う事無く寝返ってゆく。

 

 だが、曹操は何の勝算もなく残存部隊を琅邪城に終結させたのではなかった。

 巷では「袁紹軍の増援を待っているのではないか」という尤もな噂も流れていたが、公孫賛との戦いに全力を注いでいる袁紹軍に曹操は何の期待もしていなかったし、そもそも袁紹にこれ以上の借りを作る気も無かった。

 

「一日、いや一刻でも長く袁術軍をこの地に留めること。それだけが我々を救う最後の手段だった」

 

 曹操にそれを決断させたのは、陳留にいる荀或から届いた一通の手紙。そこには簡潔に『南陽群・豫州共に動員を行った形跡は見られず』とだけ書かれていたが、曹操に勝利を確信させるにはそれで充分だった。

 

「政治的には劉勲に一得点だけど、軍事的には一失点ね。常に政治を軍事に優越させる……彼女がそういう立場にいるのは知っているし、それも妥当な判断だと思うけど――」

 

 同時にそれが彼女の限界でもある……不敵な笑みを浮かべて夏侯姉妹にそう告げた曹操は、劉勲の意図を正しく読み取っていた。

 つまり動員を行えば他州への挑発行為と受け取られかねず、現時点で劉表――中立だが袁術を警戒しており、下手に刺激すれば敵に回りかねない――ら近隣諸侯との全面戦争を劉勲は望んでいなかった。そのため現有兵力のみで派兵が行われ、宛城の守備隊は必要最低限の数に留められたのだ。

 

 意外なようだが、袁術軍はその国力に比して軍隊の数は恐ろしく少ない。物量戦のイメージが強いものの、それは戦時に大量の傭兵や農奴を徴募するからであって、常に膨大な軍隊を抱えているという訳ではない。むしろ文官の力が強い袁術陣営では、常備軍は存在するだけで「軍人の影響力を強め、政治への口出しを助長する」と考えられており、危険分子として可能な限り抑圧すべきだと考えられていた。ゆえに南陽群・豫州を合わせた計900万以上もの人口を持ちながら、常備軍はせいぜい7万に届くかといったところ。兵の人口比で見れば、曹操のわずか4分の1程しかない。

 

 そんな袁術軍が動員もせずに軍の半数以上を動かしたとなれば――本拠地の守りは自ずと薄くなる。そして一時的にせよ、軍という鎧を失った袁術軍を見逃すはずもない人物が、其処彼処にいることを曹操は知っていた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 劉表軍、南陽に向けて軍を発す。現在は州境付近に2万の軍が展開中――。

 

 

 その報告を聞いた時、劉勲は久々に背中から嫌な感じの冷や汗が流れるのを感じた。

 

「なんで!? どうして劉表軍が……!」

 

 信じかねるような声でそう言ったあと、劉勲は頭を抱えて近くにあったソファに座りこむ。秋の冷気で冷え切った革製のソファに体温が奪われ、元から白い顔がより一掃蒼ざめる。

 

「信じられない……え、だってホントに意味分かんないんだけど!?」

 

「これを」

 

 完全にパニック状態に陥った彼女に、情報を持ってきた部下・閻象はポーカーフェイスでもう1枚の報告書を差し出す。そこに書かれていた驚愕の事実は――

 

「うそ……陶謙が、死んだ?」

 

 内心叫びたい気持ちを抑えながら、震える声で聞き返す。しかし閻象はあくまでやんわりと、されど容赦なく無慈悲な現実を突きつける。

 

「孫権同志の報告によれば。加えて、むしろこちらの方が本質的な問題ですが……故陶徐州牧の遺言により、袁術様に金印が譲渡されたそうです」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! このタイミングでそんなコトされたら、アタシ達完全に悪役じゃない!こっちはあくまで……!」

 

 思考が追いつかない。つい現代語が出てしまっても気づかないほど、彼女は焦っていた。

 

 おかしい。ありえない。こんなハズではない。これは何かの間違いだ……そうに違いないし、そうであってくれなければ困る。

 自分の役割はあくまで脚本家であって、俳優ではない。曹操と陶謙を互いに疲弊させ、仲介者として漁夫の利を得る――そんなシナリオを描いていた劉勲にとって、メインキャストが突然降板するなどあってはならなかった。だが今、まさにその忌々しい出来事が現実となり、あろうことか脚本を描いた彼女自身が道化を演じる羽目になりかけているのだ。

 

 『可能ならば非公式に、不可能ならば公式に』

 

 このスローガンに代表される通り、これまで袁術陣営の基本的な統治方法は間接統治だった。政治・領土的な支配にかかるを行政経費を節約し、経済的利益のみを追求する。自分はあくまで株主であって、経営者であってはならない。

 ゆえに陶謙が曹操に語ったように、劉勲は徐州を占領する意志など持っていなかった。政権と要人はそのまま、徐州軍の存続も認めるつもりであったし、土地の領有権にも一切手を付けるつもりなど無い。ただ、“救援要請”に応じた見返りとして、外交と経済において袁家が優越権を持てればそれで十分。情報の限られたこの時代のこと。たとえ袁術が徐州の経済を牛耳っていたとしても、州牧が陶謙のままなら、大半の人は徐州が「独立した一勢力」であると錯覚する。『能ある鷹は爪を隠す』との諺を、文字通り実践できる――はずだった。

 

 だが今さっき突きつけられた現実はそうではない。徐州が正式に袁術領に編入……つまり袁家は漁夫の利を得て白昼堂々と徐州を掠め取ったハイエナとして、中華全土から軽蔑と警戒の対象となりつつあった。

 

「ま、このご時世で我々の掲げた“人道的支援(笑)”を本気で信じる郡雄もいないと思うんですが」

 

「いいの! 本音がミエミエでも、建前でゴリ押しするのが外交なの!」

 

 外交のコツは、とにかく周囲から傲慢だと受け取られないことだと劉勲は考えている。目的はストレートに要求するのではなく、相手の顔を立てながら目立たぬようひっそりと。Aを要求する相手に対して敢えてBを要求し、相手の自尊心を傷つけないよう注意しながら、徐々に話を本当の目的である要求Cに誘導する……逆に領地割譲などといった、あからさまな見返りを受けてしまっては馬脚を露わしたも同然なのだ。

 

 ――特に、領土というのは厄介だ。

 

 これが例えば遊牧民相手であれば違ったかもしれないが、農耕民族は伝統的に持てる財(労働投入なども含む)のほとんどを自分の土地に費やしているため、土地に対する執着が異様に強い。極端な話、不毛か肥沃かに関係なく“土地そのもの”に価値があるとし、理屈抜きで「大事な領土に“いる”も“いらない”もない」とするのが漢人の常識だ。

 

「まぁ……漢人の大半は、領土の広さが国力に直結すると思いこんでますからね。いやはや、我々には分からない世界です」

 

 だが歴代に渡って宮廷にどっぷり浸かり、更に大都市・宛城の商業利益こそを富の源泉とする袁術陣営で過ごしてきた彼らには理解しがたい思考だ。

 重荷にしかならない領地は売るか捨てる。必要になったらまた買い戻すなり奪うなりすればいい。過去にどれだけ血を流そうが投資しようが、それはもはや回収不能。経済学でいうサンクコスト(埋没費用)に分類され、領地を維持する為に赤字覚悟で予算を投入し続ければ、単に損失が増えていくだけ。ならば余計な在庫(領土)など持たず、必要なものを必要な時に……それが商業都市国家に近い性格を有する袁術陣営における常識だった。

 

 しかし、そうした考えは農耕民族である漢人の中では少数派であり、領土拡大はそれだけで外交的孤立のリスクを孕んでいると言わざるを得ない。面白い事に、自国が赤字を垂れ流すだけの新規領土を獲得した時、実態は強大化するどころか出費が増えて弱体化しているのにもかかわらず、他人からは警戒されてしまうのだから。

 

「では、全てなかった事にして徐州を放っておきますか?」

 

 閻象がそう進言するも、それこそあり得ない。曹操軍が捲土重来してくるかもしれないし、政府機能を失って無法地帯と化した隣国など百害あって一利なしだ。

 

(ヤバイ、どうしよう……)

 

 しかも彼女は指導者層として、こういう緊急事態に際して責任を問われる立場にある。「想定外の出来事」などという理由で、外交上の失敗を許すほど人民委員会は甘い組織ではない。タカ派には「軟弱外交と軍事軽視のツケ」と糾弾され、ハト派には「そもそも徐州問題への介入が間違い」と非難されるだろう。

 

(だとしたら、反対派が勢いづく前に何か別の成果を作らないとマズい……)

 

 もっと権力があれば――そう思わずにはいられない。後世のイメージとは異なり、当時はまだ書記局の権威は絶対的なものではなく、本来の業務である袁家家臣団の人事を担当しているに過ぎなかった。劉勲は袁家の運営という面では最高権力者であったものの、政治的な実権は外務人民委員として外交を任されているだけであり、軍事的な実権は無きに等しかった。

 ライバルは依然として袁家に多数存在し、外交上の失態を利用して彼女を失脚させようとする輩はここぞとばかりに責任追及を行うだろう。彼らを黙らせるには、それ相応の結果が必要になる。

 

「張勲に頼んで、南陽群からありったけの兵を動員させるしかない、か。それから念のため、豫州にも兵を寄こすよう伝えて……」

 

 とりあえず徐州は置いておき、劉勲はまず目先の問題を先に解決することにしたらしい。

 

「曹操に隣接する豫州の護りが薄くなるのは危険なのでは?」

 

「どうせ一時的な措置なんだから、現地で強制徴募でもすれば充分でしょ。曹操ちゃんは軍の再編も終わらないまま突撃するようなバカじゃないし、形だけそれらしく見せときゃ問題ないって」

 

 むしろ問題は南のほう。念のため軍隊は動員させるが、劉表との正面衝突は出来れば避けたい、というのが劉勲の本音だ。もしそうなれば曹操と劉表に南北から挟まれ、二正面作戦の愚を犯す事になる。

 

「閻象――至急、劉表と面会できるよう取り次いで。このままだと、確実に破滅するわ」

 

「……はっ」

 

 恭しく一礼し、了解の意を示す閻象。再び顔を上げると満足そうに頷く劉勲の顔が映り、ふと頭に浮かんだ疑問を彼女に問いただしたい衝動に駆られる。

 

 すなわち破滅するのは袁家なのか――それとも、彼女自身の事なのかと。

 

 

 

 ◇◆◇

 

              

 

 ――豫州・許昌

 

「くそっ、袁術軍め! バカにしやがって!」

 

 ここは中華に13ある州の長官、州牧の執務室である。地方政治の中心と言っても過言では無いこの部屋で、あろうことか真昼間から大量のアルコールで体に流し込んでいる男がいた。濃い無精髭を生やし、そもすれば酒場の酔漢にしか見えない彼の名を孫賁、字を伯陽という。孫家の一員であるが、州牧として豫州の統治を任されている人物だ。

 

「『――緊急の用件につき、急ぎ兵1万を南陽に送られたし。不足分はそちらで徴募し埋め合わせよ』だと!? 俺のことを使用人だとでも思ってるのか!」

 

 ふざけるな、自分は州牧なんだぞ……傲慢な袁術の態度に対し、怒りがふつふつと込み上げる。これで何度目だろう。思えば、洛陽会議からずっとこんな扱いだった。

 

 事の発端は反董卓連合戦の後、洛陽会議で袁術が豫州における軍事・外交の権利を獲得した事から始まる。その上、豫州では郡と太守の自治権が大幅に拡大することが決定されていた。これは袁術の勢力拡大を恐れる諸侯の計画を解くため、劉勲が権限の分散を提案したためだ。しかしながら、袁術陣営は多額の献金や天下り先の提供などによって現地豪族の殆どを懐柔しており、支配体制を強めていた。

 

 そのため豫州は名目上、州牧の孫賁が治めている事になっているが、実態は袁術の傀儡でしかなかった。州都は袁家の影響力が強い頴川郡の許昌に移され、実質的な仕事はほとんど袁術の息がかかった部下が代行している。外交・内政政策は全て袁家顧問の承認を得なければならず、また自治権が拡大した豪族の大半は自分達を孫賁と同等だと見なしていた。そのため何かをやろうとしても民主主義的(・ ・ ・ ・ ・)に反対されるばかりで、陰では『お飾りの州牧』として直属の部下にも内心見下される始末だ。

 

「それに雪蓮の奴もだ! この国を統一するんじゃなかったのか?」

 

 孫賁の脳裏に浮かぶのは従姉の雄姿。黄巾党の乱と反董卓連合戦で多大な功績を挙げ、小覇王として全国にその名を知られた孫策の姿だった。

 自分も孫家の一員だ――かつてはそんな自負を抱いていた時期もあったが、ここ数年でその気持ちは急速に冷え込みつつある。孫堅の死亡以来ずっと目立たぬよう息をひそめているだけの、孫家本流のやり方に不満はたまる一方だった。

 

「袁家の味方になるのか、敵になるのかハッキリしろってんだ。耐えるのが重要なのは分かるが、ずっと我慢しっぱなしなのは性に合わないんだよ……」

 

 時が来るまでひたすら耐えろ――理屈としては分かるが、それは口で言うほど易しくは無い。いつ訪れるかも分からぬ「好機」を、保証もないまま待ち続けるなど精神的苦痛以外の何物でもない。その点、孫賁は従姉妹より遥かに凡人であった。孫策のような揺ぎ無い信念もなければ、孫権のように強い意志もない。「孫家の一員」として袁術陣営に監視され続ける毎日は、彼の神経を確実にすり減らしていった。

 

「玉璽だって、肌身離さず持ってるくせに……なぜ使おうとしない……!」

 

 何もできないもどかしさ。自分より秀でた才能を持ちながら、遥かに多くの手札を持ちながらも中々動こうとしない従姉妹たちへの苛立ち。なのに、何時まで経っても現状を抜け出せない自分に対する鬱憤。それら全てが孫賁のプライドを傷つけ、酒に逃げる結果に繋がっていた。

 

「失礼します」

 

 再び酒に耽溺しようとした時、軽いノックと共に扉が開く。恭しく一礼して現れたのは、孫堅時代からの部下だった。初老の文官であり、困惑したような表情を浮かべている。

 

「……なんだよ。俺に用か?」

 

「その……手紙を預かったのですが……」

 

 恐る恐る、と言った様子で部下が渡してきたモノは――

 

 

 

「……からの密書、だと?」

 

 

 

 ◇◆◇

    

 

 ――冀州・鉅鹿郡

 

 袁術軍の介入によって徐州が混迷を深めていた頃、河北でも冀州の袁紹と幽州の公孫贊が支配権を巡って激しく争っていた。

 事前の予想に反し、初戦は大勢としては公孫賛軍有利に進み、袁紹軍は敗戦を重ねてしまう。青州で無敵を誇った袁紹軍がこうもあっさりと公孫賛軍に敗れた原因は、単純に戦力配分の問題だった。袁紹軍首脳部の考えていた『第17計画』は弱小な青州の早期降伏を前提としていたが、不利を悟った青州軍は袁紹軍の想定していた野戦を避けて“籠城戦”を選択。これによって短期決戦による早期占領の望みは失われ、袁紹軍主力が青州に拘束されている間、公孫賛軍は大した抵抗を受ける事無く冀州北部を制圧できたのだ。

 

 また、袁紹軍の編成にも構造的欠陥があった。反乱リスクを冒してまで粛清を含む徹底的な名士冷遇政策をとった公孫賛軍では、指揮系統が一本化されて君主を頂点とした迅速な意思決定と強力なリーダーシップを発揮できた一方、袁紹軍は旧来の豪族の私兵や農民兵を主力とする混成部隊だったからである。しかも皮肉な事に平和を享受していた袁紹の領地では実戦経験を積んだ将兵が少なく、異民族との戦闘に明け暮れていた公孫賛軍には訓練・戦闘経験において遥かに及ばなかった。

 

 機動力に勝る騎兵を中心とした公孫賛軍の快進撃は留まる事を知らず、やっとのことで袁紹軍が青州から主力を呼び戻した頃には、既に冀州の半分近くが公孫賛の手に落ちていた。現在では冀州・鉅鹿郡を挟んで北部・西部に公孫賛、南部・東部に袁紹が割拠する形となっている。

 ここまでの戦績だけを見れば公孫賛軍の大勝利だと言えるが、当人達はそれに酔いしれる事無く冷静に現状を分析し、袁家の反撃に備えていた。

 

「星、并州の反応はどうだった? 私達と同盟を結んでくれそうか?」

 

 この日、公孫賛は并州から帰還した趙雲を迎えていた。冀州の西に位置する并州との同盟が成れば、背後の安全は保たれたも同然。

 そんな期待が大きかっただけに、趙雲から「適当にはぐらかされましたな」と告げられた公孫賛のショックは大きかった。

 

「はぁ~。まぁ、そうだよなぁ……相手は袁紹だし、躊躇うのが当然か。そもそも、どうせ私なんかじゃ……」

 

「そう悲観なさるな、我が主。たしかに同盟の件は有耶無耶にされましたが、某が見たところ、張燕どのを始め多くの郡雄は迷っている様子。今後の戦況いかんでも味方につく事もあり得るかと」

 

「そうか……。だが星、そうなると……」

 

「然り。本格的に袁紹軍と一戦交え、我が軍の優位を天下に証明する必要があるかと」

 

 決戦は不可避――その事実を告げられた時、公孫賛がまず抱いた感情は「ついに来たか」という感慨だった。

 総兵力30万とも噂される袁紹が長期戦を決めれば、地力で劣る公孫賛の敗北は必須。そこで彼女はまず冀州を進軍して地元豪族を離反させ、袁紹を野戦に引き摺り込もうとしていたのだ。

 もちろん袁紹の本拠地・南皮への急襲も考えられたが、南皮は青州に近く、青州派遣軍が急いで引き返してくるリスクがある。逆に防備の薄い北西部から反時計回りに進軍すれば、占領地から徴兵も出来る上に袁紹の求心力低下も狙える。豪族連合軍の体裁をとっている袁紹軍にとってそれは致命的であるため、必ずや野戦に応じるだろうという発想だ。

 

「どの道、決戦なら望むところだよ。私たちとしても財政がそろそろ限界に近い。今は劉勲の“錬金術”で何とか凌いでいるけど、これ以上戦いを長引けば……」

 

 公孫賛が袁紹との決戦に踏み切ったもう一つの理由は、貧しい幽州の財力では長期戦に耐えられないことがある。特に主力の騎兵は歩兵の約11倍の維持費がかかり、それを支える兵站と財政の負担は限界に近い。略奪で補うのも一手だが、華北の豪族が袁紹から離反しかかっている好機に行うのは悪手だろう。

 

 その意味では、袁術との同盟は大成功といえた。劉勲らは援軍こそ送らなかったが、現代でいう『間接アプローチ戦略』にもとづく多額の軍資金援助を与え、この『魔女の黄金』は公孫賛の頼もしいパートナーとなった。国力の乏しい幽州が軍事大国になれたのも、かつて北郷達がもたらした『鐙』によって大量の騎兵を育成できたことと、金食い虫のソレを維持できる袁術の資金援助が組み合わさってこそ。

 

「まさに“金は戦争の筋肉”といった所ですな。領地の離れている袁術と盟を結ぶ益、よもやこのような形で現れようとは……流石は我が主、ここまでお見通しでしたか」

 

 悪戯っぽく聞いてくる趙雲に、公孫賛は苦笑で返す。

 

「よしてくれ、星。私だって袁術がここまで援助してくれるとは思ってもみなかったさ。 いくら金持ちとはいえ、遠隔地へ送金するには矢鱈と手数料がかかるからな。 だが劉書記長と来たら……」

 

 古来より同盟相手への資金援助は珍しい手段ではなかったが、劉勲の強みは為替(手形)取引が南陽で発達していたため、リスクとロスの少ない遠隔地送金システムを作れたことである。南陽から直接援助金を幽州まで届けなくても、袁家の重臣会議である中央人民委員会の公証する手形を使って、安全に遠隔地との取引が出来た。

 

 例えば袁術が金を公孫賛に送金する場合、まず袁術は南陽の両替商Aに金を渡す。すると南陽の両替商Aは受け取った金で、幽州との取引のある商人Bから手形を買い入れ、それを幽州の両替商Cに送る。両替商Cはその手形を再び幽州の商人D(袁術領と取引のある人物)に売りつけ、代金を両替商Aに代わって公孫賛に渡していた。最後に互いに取引のある商人Bと商人Dが、必要に応じて相互に手形を売り買いすることで相殺・処理すれば、現金を大量に輸送する事無く大規模な取引が可能となる。

  

「桃香の仲間の北郷、だっけ? 彼が発明したという『鐙』を見た時も驚いたけど、これも負けないぐらいの重大な発明だよ。惜しむらくは、発明の動機と経緯が不純過ぎるんだよなぁ……」

 

 ――何でも、劉勲が為替を思いついた大元の理由がワイロの隠ぺい手段だったとか。

 

 微妙な顔をする公孫賛に、趙雲もつられて「まぁ“汚職は文化”とか言ってる人ですし、今さら……」と言葉を濁す。

 ちなみに参考までに『ワイロの達人が伝授!絶対にバレないワイロの方法集:劉子台 著(非売品)』によれば、為替の原型となった方法は以下の通り。

 

 まず、劉勲に1万銭のワイロを送って不正に官職を得ようとする悪人がいたとする。しかし直に渡すと贈賄罪で逮捕されてしまう。そこで彼は劉勲とコネのある悪徳商人から、通常価格が1銭ぐらいの木簡を1万銭で購入し、悪徳商人から領収書を発行してもらう。そして劉勲子飼いの書記局に向かい、そこで先ほどの領収書を見せ、木簡を渡す事で不正に官職を得る。最後に書記局が劉勲の命を受けて、渡された木簡を最初の悪徳商人に1万銭で売却すれば万事問題なし、というわけだ。

 なお、悪徳商人は賄賂を預かっている間は無利子で自分の資金として運用できたため、手数料が少なくとも(あるいは存在しなくとも)、事実上の融資資金を得ているというメリットがあった。しかも木簡は他の悪徳商人や不正役人などと取引・売買することもでき、遠隔地にいながら現金輸送リスクを負わずに官職売買ができる便利さから、売官制の横行と相まって徐々に普及。次第に便利で安全な汚職方法という枠を超え、商人たちの間で発達・複雑化して為替(手形)の原型になったとか。……嫌な歴史である。

 

 いずれにせよ、袁術はこういった複雑な金融システムを構築し、外交と組み合わせる事で「間接アプローチ戦略」を実現していた。袁紹には公孫賛と孔融を、曹操には陶謙と劉焉をぶつけ、それぞれ2正面作戦を強いる事で敵を手一杯にさせ、自国は平和なままに……。

 

 やはり利用されていると分かっていると、どうにも良い気分はしない。が、かといって南陽からの資金援助がなければ、国力で勝る袁紹相手にここまで善戦出来なかっただろう。

 

「だが袁術への依存度が更に増せば、今後に禍根を残しかねない。この辺が潮時だろうな」 

 

 仮に戦争で勝っても袁術への負債が払えず、土地などを担保にされてしまえば結局は領民が困ることになる。そろそろ袁紹と決着をつけ、本当の意味で自立しなければ……そんな風に思いながら決戦に向けた決意を固める。

 

(もうすぐ……もうすぐ戦争は私達の勝利で終わる。いいや、民の為にも私達の勝利で終わらせなければならないんだ……!)

 

 期待と不安が入り混じり、そのプレッシャーに押しつぶされそうになる公孫賛。しかし彼女は州牧であり、弱音を吐く事は許されない。心配そうに自分を見つめる趙雲に「何でも無い」と無理に笑顔を作ると、公孫賛はさっそうと愛馬に跨る。

 

「私はこれから兵の訓練と視察に出かける。星もしばらく休んだら来てくれないか」

 

「はっ……お望みとあらば」

 

 その返答に満足したように笑い、公孫賛は愛馬と共に陣営地へと向かう。

 毛並みの良い白馬に跨って駆けてゆく様は、白馬将軍の名に相応しく純麗で。

 

「我が主……」

 

 その姿に何かを想ったのか――趙雲はしばらくその場に佇んでいた。

         




 新章の導入話です。南がキナ臭くなり、北には戦争の足音が……。

 劉勲さんがパニクってるのは少々わかりづらいですが、

 徐州を衛星国化しようとしたら、陶謙さんが死んで本物の植民地になった←他国から無駄に警戒される&責任問われる、みたいな。

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