真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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 前回の話ではなく、前々回(66話)の続きです。


67話:均衡を継ぐ者

            

 中華のほぼ中央を流れる漢水、その南岸に位置する襄陽は古来より交通の要所として栄えてきた。荊州牧・劉表の優れた統治のもとで、宛城にも負け劣らぬ安寧と繁栄の日々を謳歌している。そんな街の一角にある屋敷では、劉表と劉勲による対談が行われていた。

 

「徐州問題に関して不幸な行き違いがあったようですけれど、我々は互いに理解を深め合うことが出来ると思いますの」

 

 劉勲は内心の焦りを隠しつつ、艶めかしい笑顔と共に劉表の歓心を引くべく言葉を紡ぐ。本人は自らを脚本家だと称していたが、さり気ない仕草すら男性を魅了するよう計算されたその動きは、本職の舞台女優にも負け劣らない。

 

「ほう? どうしてそう思うんだい?」

 

 対する劉表の方も、『優雅』という言葉が服を着て歩いているような端正な風貌の持ち主だ。並の男性なら集中をかき乱されかねない劉勲のアプローチを、やんわりと紳士的に受け流す。この場が言葉という武器で戦う戦場でなければ、実に絵になる光景になっただろう。

 

 劉表――南陽から南側の荊州を統べる郡雄であり、地理的に近い袁術陣営とは伝統的に対立関係にある人物。そんな彼が袁術の徐州占領という事態を見過ごすはずもなく、自身の安全保障のために軍を動かすのは当然の帰結といえた。しかし逆に考えれば、本音では袁術との対立を望んでいない、とも見て取れる。実際、政治的な対立とは別に両者の経済的な関係は年を経るごとに強まっており、これまでも衝突が起こりそうになる度に首脳会談によって合意形成してきたのだ。

 

「こちらを」

  

 駆け引きを楽しむカップルのように、劉勲は媚びと打算が混じった動きで一枚の書類を取り出し、ほっそりとした指で上品に指し示す。そこには現在南陽群に展開中の兵を退いてもらう代わりに、劉表が推薦した人物を徐州牧に就任させると書かれていた。

 

 劉表が今回出兵を決意した理由は、経済的というより政治的な要因が大きい。すなわち袁家が純粋に徐州で商売をする分には止めはしないが、完全な支配を狙っているなら国防上の観点から捨て置けない、と。だが元より劉勲に徐州を占領するつもりなどなく、問題はいかに劉表にその事を信用してもらうかに尽きる。

 ならばいっそ徐州の政治を劉表にプレゼントしてはどうか――それが劉勲の回答だった。“推薦”などという紛らわしい表現でぼかしてあるが、要は劉表の子飼いが徐州牧になるという話である。その権限を利用すれば、徐州の政治を荊州のコントロール下に置くことなど造作もない。袁術に対する抑止力としては申し分ないし、本来なら真っ先に反対するべき袁術陣営が公認してくれるのだ。寛大という段階を通り越して、驚くほど劉表に有利な譲歩だった。

 

「すまないね。私としては、男性が女性に贈り物を与えるのが、本来あるべき姿だと思っていたのだけれど」

 

「たまには逆があっても面白いかと。こちらとしても経済(カ ネ)さえ頂けるのでしたら、行政府(カ ラ ダ)は好きにしてもらって構いませんわ」

 

「これはこれは。南陽の女性は率直で実利的と聞いていたけど、あながち間違いでもないようだね」

 

「だからこそ、中華の富が南陽に集まるのではなくて?」

 

 無論、袁術陣営にとってもメリットはある。まずは単純に目先の劉表軍という脅威を取り除けることであり、次に徐州の独立を劉表が保障してくれるという理由であった。劉表が推薦した人物が徐州牧に就任すれば、徐州を攻めることは劉表の面子を潰すことに他ならない。この交渉が成功すれば、徐州という市場を劉表によって守られたも同然なのだ。

 

「参ったな、一本取られたようだ」

 

 劉表は朗らかに微笑み、降参するように両の掌を見せる。相変わらず飄々として掴みどころの無い人物だが、ひとまずは納得してくれたらしい。

 

「では、さっそく条約の調印を――」

 

 

 そう、劉勲が言いかけた時だった。

 

「いや、少し待ってくれないかな? 君のように見目麗しい女性と話をするのは久しぶりでね。私としてはもう少し会話を楽しみたいのだが、構わないかい?」

 

 それまで劉勲のペースで進んでいた会話の流れを、始めて劉表が自分から断ち切る。されど洗練された劉表の語り口に強引さはなく、茶を嗜む老紳士の如く絶妙に加減を加える。

 

「話というのは他でもない、曹兌州牧についてのことだ」

 

「……女性と2人きりで話をしている時、他の女性を話題にするのは無粋ではなくて?」

 

 とっさに軽口で返すも、劉勲の表情が一瞬曇る。それはつまり、内心では彼女がこの手の話題を避けたがっていた証拠に他ならない。そして、そんな隙を見逃す劉表でもない。

 

「その点については謝罪しよう。 けれども徐州の未来について語るのなら、今回の件の当事者である彼女にも話を通すのが筋だと思うよ。もう戦う(・ ・ ・ ・)必要はない(・ ・ ・ ・ ・)とはいえ、事の顛末を聞く権利ぐらいはあるはずだ」

 

(っ……!?)

 

 もう戦う必要はない――その意味するところは、袁術軍に対する停戦勧告に他ならない。

 内心で舌打ちする劉勲に、劉表は生徒を優しく諭す教師ように語りかける。

 

「君も知っているだろう? 今回の曹操軍の出兵目的は『父親の仇討ち』で、その仇とされた徐州牧・陶謙はすでに成敗された。ゆえに彼女は兌州に帰る準備を進めている訳なんだが……とある事情(・ ・ ・ ・ ・)によって遅れているみたいなんだ。何事も(・ ・ ・)なければ(・ ・ ・ ・)、一週間もあれば兌州まで撤退できるらしいのだけれど」

 

 今回の戦役の大義名分からして至極まっとうな弁であり、曹操軍が徐州から撤退するならば、それを追撃する根拠はない。もし袁術陣営が“曹操の開戦理由は不適当であり、徐州を全面的に支持する”と宣戦布告でもしていれば話は違っただろうが、リスクを最小限に抑えたかった劉勲は“徐州の要請により、現地で人道的支援・治安維持活動を行う”とお茶を濁していた。そのため曹操軍との戦闘は全て“治安維持活動を妨害されたため、やむを得ず反撃した”という『正当防衛』の立場をとっており、逆に言えば曹操軍が『徐州から撤退する』と宣言してしまえば、どちらも相手に攻撃することは出来なくなる。

 しかし曹操軍が九死に一生を得る形となるのに対し、割を食うのは袁術軍だ。

 

「でっ、ですが……曹操軍が本当に撤退するという保障がどこに? そう見せかけて、戦力を増強して徐州を奪いに来るかも知れませんし……」

 

「さぁ、そればかりは曹兌州牧個人を信用するしかない」

 

「でしたら……!」

 

「だが、現に曹操軍は撤退している。それを妨げているのは、他でもない君たちじゃないのかな?」

 

 ぎくり、と僅かに劉勲の肩が震える。

 

「あまりこんな事は言いたくないのだけれど、“徐州の治安維持”という君の宣言が、この頃どうも信じられなくてね。私には、君たちが徐州問題を理由に曹操軍を滅ぼそうとしているようにしか見えない」

 

 まぁ実際その通りなのだが、そういう本音は口に出せないもの。声に出したが最後、外交の場で誰からも信用されなくなる。

 

「残念だが、その懸念が払拭されない限り兵を引く事はできないよ」

 

「そんな……いえ、それほどまでに我々は信用なりません? これでも劉表様との約束を違えた事はないハズですのに」

 

「いや、私は個人的に(・ ・ ・ ・)君のことを信頼しているし、約束を誠実に守る人だとも思っているよ。個人としては(・ ・ ・ ・ ・)、君の言葉を信じてもいい。 ただ、私も所詮は一人のつまらない人間だ。残念ながら荊州の豪族全てを纏め上げるほどの力はないし、人望もない。残念ながら、せいぜい軍隊を州境に貼り付けて見張らせるぐらいしか、私には彼らを納得させる方法が思いつかないんだ」

 

 袁術領を攻撃する気はないが、かといって兵を引く気もないという劉表。

 

「あるいは、こういう条件ならどうだい? 曹操軍の撤兵を確認するまで、そちらは徐州に充分な数の兵を駐屯させる。同様に私達との州境においても、お互いに監視のために軍隊を張り付ける。これなら不公平はないはずだよ」

 

「そっ、それは………」

 

 してやられた、という焦燥感が劉勲の心中を埋め尽くす。

 

(コイツ、ひょっとしてアタシの事情知ってて――!)

 

 冷や汗が流れるのを感じながら、思わず唇を噛む。劉表の提案は完璧に理に適っているものだ。袁術陣営としても損を被る訳では無いし、本来ならばこの辺が落とし所になるだろう。

 

 だが劉勲は(・ ・ ・)個人として(・ ・ ・ ・ ・)、今この場で決着をつけねばならない理由があった。

 

(ヤバい……このまま帰ったらゼッタイ自己批判させられる! 急いで成果を作らないと、アタシの立場が……!)

 

 実のところ人民委員会では、劉勲はかなり不利な状況に置かれていた。

 袁術が一人勝ちしたと思われる徐州戦役だが、舌三寸で陶謙を誑かして終わりではない。漁夫の利を得るにも入念な下準備――精密な情報収集、紀霊ら派遣軍の準備、曹操や劉備らにそれを気づかせないための隠ぺい工作――は必要だ。となれば計画が失敗した時、その発案者と最高責任者にはそれ相応の責任追及がなされる事は想像に難くない。

 

(徐州の政治的実権を劉表に渡すのは仕方ないとして、曹操軍をみすみす逃した上に、荊州との州境警備の増強……ダメ、どう考えてもリターンがコストに見合って無い。次善の策だといっても、そんな理屈で納得する連中でもないし……)

 

 たとえどれだけ赤字を最小限に抑えたとはいえ、赤字は赤字。担当者は責任を取るのが社会のシステムというものだ。ゆえに劉勲に限っていえば、認められるはずもない提案だ。既に水面下では反劉勲派の人間が動き始めており、孫家がその急先鋒となっている。何の成果もないまま劉表との対談を終えれば、権威と影響力の低下は免れないだろう。なにせ劉勲の公式の役職は、あくまで人事部の長に過ぎないのだから。

 

(とにかく、最低でも劉表軍は何とかして撤退さなきゃ……!)

 

 ぶっちゃけ曹操を逃してしまったことは、軍部に全責任を押し付ければどうにかなる(軍部との関係悪化は免れないが)。とはいえ、こちらは主に外交的な失態である。外務人民委員会議長を兼任している劉勲としては、是が非でも解決せねばならない問題であった。

 

「不服かな? 悪い条件ではないと思うんだが……それとも」

 

 劉表の眉がわずかに吊り上がる。

 ここまで来ればもう、劉勲の事情を知った上でブラフをかけているのだと嫌でも理解できる。敢えて最後の言葉を続けなかったのは、人前で女性に恥をかかせまいとする劉表なりの気遣いゆえ。もしくは、逃げ道を残す事で彼女がもがく様を楽しんでるだけなのかもしれないが。

 

「いっ、いえ……ですが、その……友人(・ ・)という間柄で、武器を向けるだなんて無粋だと思いません?」 

 

「そうだね。友好の証が睨みあう軍隊などというのは、私も正直あまり好ましくないと思っている」

 

 では、それなら君には何が出来るのかな?――視線でそんな事を伝えてくる劉表に対し、劉勲は改めてその非凡さを意識する。恐らくは自分の一挙一投足でさえ、劉表にとっては掌の上の出来事なのだろう。

 

 だとすれば下手に彼を欺いたり、値切ろうとするのは逆効果。愚鈍な金持ちはその場で騙して貢がせるに限るが、頭のいい金持ちにはまず自分から先に尽くすしかない。男が自分を彼の「所有物」と認識し「庇護する価値がある」と見なした時、初めて投資した労力と配当を回収できる。それまでは、ひたすら相手を悦ばせるしかあるまい。

 

 

「……そういえば、近頃は荊州でも不穏な動きがあったそうですわね」

 

 世間話でもするように、劉勲は荊州情勢について話を振る。平和なイメージの強い荊州だが、実は南部で張羨という人物が長沙・零陵・桂陽の3郡を中心に反乱を起こしており、劉表も手を焼いていた。

 

「ああ、張羨君のことか。今の所は捨て置いてるけど……いやはや、彼の身勝手にも困ったものだよ。州牧などと呼ばれてはいるが、どうも私には人望がないようだ」

 

 困ったとは口で言いつつも、劉表の表情は微塵も曇らない。実際、当時の荊州南部は未開発な後進地域だったので、虚勢では無く本音なのだろう。

 とはいえ、この時期には華北の戦乱を避けてきた難民がフロンティアを求めて南下しており、荊州南部は人口増加率が最も高い地域の一つだった。年々魅力が増している上、反乱をいつまでも放置していては州牧の権威に関わる。

 緊張で上擦りそうになる声のトーンを抑えながら、劉勲は最後まで残しておいた切り札をきった。

 

「あまり自身を過小評価なさらないで下さい。その証拠に、劉表様が逆賊・張羨討伐を決意されたあかつきには、我ら袁家も荊州の一員(・ ・ ・ ・ ・)として義務を(・ ・ ・)果たすべく(・ ・ ・ ・ ・)、充分な軍役代納金(・ ・ ・ ・ ・)を納めたく存じます」

 

 軍役代納金とは、主君に軍役を求められた時、臣下が諸事情によって応じられない場合に支払う免除料のことである。今や中華屈指の郡雄として知られる袁術がそれを支払う事に違和感を感じるかもしれないが、彼女の公式の役職はあくまで荊州南陽群太守。つまり形式的には劉表の部下であり、本来なら劉表の求めに応じて軍や労働力を提供する義務がある。

 

 劉勲はそれを利用し、軍役代納金という形で劉表へ資金提供を提案したのだ。無論、対価は劉表軍の撤兵であり、早い話が金を払って軍を引いてもらおうという漢帝国の伝統的な手法である。

 

 とはいえ……ここに一つの疑問が残る。たしかに金を払えば劉表軍は撤退するだろうが、その資金を負担することは別の問題を抱え込むだけなのではないか? と。

 

 戦費など個人のポケットマネーで出せるような額でもなく、となれば資金の出所は南陽群の政府予算となるだろう。しかし、それでは借金を解決するために別の借金を抱え込む多重債務も同然。そもそも“今すぐ”兵を退いてもらわねばならぬのは劉勲個人の事情であって、本来なら袁家は劉表に金を支払う必要などないからだ。保身のために劉表の提案した「両軍による相互監視」を蹴って公金を流用するなど、そんな提案が人民委員会に知れれば劉勲の政治生命は確実に終わる。

 

 だが――軍役代納金という形でなら、劉表に金を納めても責任を追及されることはない。それを批判する事は漢帝国の定めた役職と上下関係を無視しろ、と諭しているに等しいからだ。

 しばし思案していた劉表もその結論に辿り着いたのか、面白おかしそうに頬を緩める。

 

「ほぅ……人民委員会のために荊州を黙らせるのではなく、むしろ荊州に譲歩して人民委員会を黙らせる、か」

 

 まさしく詭弁、それでいながら正論。敗軍の将として自国へ帰還し失脚するよりは、敵の軍門に下り勝者として凱旋するべき……自己保身の為なら平気で周囲を喰い物にする、その生き汚さにおいて劉勲は指折りだった。

 

「素晴らしいよ、劉書記長。いや、お世辞ではなく本気で言っているんだ」

 

 劉表から満面の笑みと共に拍手を送られ、戸惑いながらも一礼を返す劉勲。僅かに頬が染まったのは安堵ゆえか、それとも掛け値無しの賞賛を得たが故か。

 

「こういう経験は久しぶりでね。なかなか楽しい時間だったよ」

 

 そう言って劉表は席を立つと、対談を終えて退出しようとする劉勲の為にドアを開ける。

 ようやく身の安全が保障され、劉勲にも心の余裕が出来たのだろう。今まで演じていた妖艶な雰囲気はなりをひそめ、帰り際に教師をからかうよう女子生徒のように明るく声をかける。

 

「そういえば劉表様、徐州牧には誰を推薦なさるのですか? “当事者なら、事の顛末を知る権利”があるのでしょう?」

 

 新たな徐州牧を推薦(今回は事実上の任命)するのは劉表だが、その人となりを知っておけば自陣営に取り込めるかもしれない。特徴としては“いざという時に切り捨てられ”、“周辺諸侯に警戒されない程度に劉表との関係が薄く”、“袁家への抑止力と成り得る”ような人物が推薦されるはず――。

 

 そんな劉勲の内心を知ってか知らずか、劉表はにこやかに微笑むと、隠す事無くその名を告げる。窮地を脱して上機嫌な劉勲を、一瞬の内に固まらせる言葉を。

 

「そうだね、陶徐州牧の遺言を伝えた人物………たしか劉玄徳といったかな?」

 

 

 後日―― 劉表は劉勲との約束に従い、南陽群付近に展開していた荊州軍を撤退させる事になる。見返りとして、徐州の州牧ほか数人の要人が彼の推薦によって就任。注目の的となった徐州牧に推薦された人物の名は、劉玄徳。『仁徳の名君』という名の爆弾が、袁家に放り込まれたのだった。

  

 

 ***

 

 

「さて……私としては最善を尽くしたつもりなのだけれど、満足してくれたかい? 荀彧君」

 

 劉勲が去った後、劉表は隣の部屋から出てきた少女に語りかける。

 袁術軍に曹操軍への全面攻勢を思い止まらせた今回の出兵、それを劉表に依頼したのが彼女だった。

 

「はい。この度は劉荊州牧に尽力していただき、感謝の念に堪えません。これで兌州と荊州の関係は、より一層強固なものになるかと」

 

 深々と頭を下げる荀彧。しかしこれが単なる社交辞令に過ぎず、本心から感謝などしていない事は劉表は十分承知しており、荀彧もまた隠す気などない。

 

 劉表にとって曹操とは、コストのかからない対袁術用の抑止力であり、彼女ら2人が北で争ってくれるからこそ荊州の安全が保たれている。ゆえに、どちらか一方に天秤が傾くような事態は避けねばならない。曹操軍の壊滅という危機に際して、何らかのアクションを起こす事は荀彧にも容易に予想できた。

 ただし劉表が楽観的に曹操軍の存続を前提として動くのか、あるいは悲観的に壊滅を前提として動くのか、そればかりは直接会わねば分からない。劉表軍にしても曹操が捨て身の一発逆転を狙うのか、ジリ貧を続けてチャンスを待つのか判断しかねる部分があるはず。それゆえ荀彧は直接劉表と対談し、徐州からの全面撤退の意志を伝え、そのために袁術軍を抑えて欲しいと頼んだのだ。

 

 かくして袁術の足を引くという、両者の利害は一致する。誰もが強くなり過ぎず弱くなり過ぎず、皆を等しく横並びに……劉勲の作り上げた勢力均衡(ち つ じ ょ)は、もはや彼女だけの専売特許ではないのだから。

 

「それはそうと……なぜ劉備を徐州牧に?」

 

 僅かに顔を顰めて、荀彧が問う。民の支持を得るべく地元の有力者を『お飾り』の最高権力者に就ける事は、間接統治の基本ではある。しかし適当な人物なら他にも沢山いるのではないか? より操り易く、より荊州に従順な……。

 そんな彼女の内心を知ってから知らずか、劉表は曖昧に顎を撫でた。

 

「そうだね、敢えて言うならば………誰も彼女を理解できないから、かな?」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――冀州・界橋

 

 袁紹軍、ついに北上す。やっとのことで前々から噂されていた、決戦の時が来たのだ。この報に万人が戦慄し、程度の差こそあれ驚きをあらわにした。

 

「確かにこれまで、わたくし達は始終負け続けていました。それは認めましょう。――しかし! それは青州に出かけていた留守に空き巣に入られただけのこと!」

 

 急速に勢力を拡張する公孫賛を止めるべく、袁紹は万を期して大軍を動員。歩・騎兵合わせて8万を超える大軍勢を編成し、両軍は界橋にて対峙する。

 

「ですが、今は違います! 苦しい青州の戦闘に勝利し、わたくし達は故郷に帰ってきたのです!ならば恐れることなど何もありません!」

 

 この会戦のために袁紹が集めた兵力は、重装歩兵5万5000(うち4万が戦時動員)、軽装歩兵1万5000と騎兵7000、それに直属の親衛隊1万を加えた8万7000人。筆頭軍師・田豊をして「もしこの人数で敗れる事があれば、袁家は2度と立ち直れないだろう」と言わしめた大兵力であり、それが袁紹の決意のほどを物語っていた。

 

 

「幽州の民よ!華北に住む、全ての民よ! 華北を我がものにせんと欲す袁紹の存在は、近隣諸侯にとって大きな脅威である!その証拠に彼女らは徐州で無実の民を虐殺した曹操を幇助しており、己が野望の為に青州を侵略した!」

 

 対して公孫賛が動員した兵力は5万と数では袁家には劣るが、その内実を見れば決して袁家より弱体とは言えない。軽騎兵1万、重騎兵3000、弓騎兵2000、それに3万の軽歩兵と精鋭部隊である白馬義従5000騎を加えた騎兵主体の編成であり、機動力の点では遥かに勝っていた。

 

「忠猛なる我が兵士達に告ぐ! 袁家を倒さぬ限り、もはや幽州の民に平和はない!全力を以て暴君を駆逐し、華北の地に平和をもたらそうではないか!」

 

 剣を掲げながら演説し、士気を昂揚させる公孫贊。この戦いが袁紹の天王山ならば、公孫賛にとっての大詰めであった。

 来る会戦に勝利すれば、諸侯の大半はこちら側につく……現状を見て、公孫賛はそう確信する。冀州の北部と西部はこちらの手中にあり、西に位置する并州の郡雄・張楊は積極的に自軍にすり寄ってきているし、黄巾党の一残党『黒山賊』からも協力依頼があった。そして豪族私兵の混成部隊である袁紹軍なら、劣勢が明らかになれば空中分解するはず。

 必要なのは、それを周囲に確信させるひと押しなのだ。

 

 

 ――袁紹との決戦が行われたのは、これから数日後のこと。

 

 後に『界境の戦い』と呼ばれる、華北の命運をかけた一大会戦であった。

 




 タイトル通り、今まで『勢力均衡』で他人の足ひっぱりまくってた劉勲さんが、今度は劉表さん(と荀彧さん)に足を引かれる話。64話で久々にチラッと出てきた荀彧さんが、やっと袁術陣営に一矢報いた形になりました。

 あと5章ぶりに復活した劉表さん。袁術陣営以上に引き籠って何もしてないのに、美味しい所はちゃっかりいただく腹黒ジェントルメン。
 ちなみに史実でも袁術が曹操と戦おうとした時、劉表さんは背後から攻撃して兵站潰したりしてます(しかも本隊も曹操にフルボッコにされたおかげで、袁術は本拠地から追い出されてたり)。
 

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