真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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69話:包囲と突破

(待て、何かおかしい……!)

 

 その時、張郃の軍に異変が起きていた。いや、むしろ何も起こらなかったからこそ異常事態であった。

 

「……何故だ!? なぜ我が軍の陣形は崩れていない!?」

 

 当時の戦の常識として、いったん近接戦闘が始まると陣形は崩れるものだった。密集方陣でも組まない限り、どんな兵士でも隊列の維持より眼前の敵との戦闘を優先するため、少しづつ陣形は歪んでゆく。

 そして追撃戦が始まった時まで陣形を維持できるのは、戦闘に参加しない遊兵ぐらいのもの。なぜなら敵と戦っている兵士なら例外なく、あらぬ方向へとバラバラに逃走する敵兵を追っているからだ。個々の兵士に戦場全体がどうなっているかなど分からないし、彼らの興味と任務は周囲の敵を一人でも多く排除することであるからして、敵が背中を見せるという絶好の機会を逃す方こそありえない。運がよければ上官の制止で止まるが、上官ですら戦場の全てを把握しているわけでもないし、よっぽど声の響く上官でなければ命令は戦場の喧噪にかき消されてしまうだろう。

 

「いや、もしや敵が同じ方向に逃げているのか……!?」

 

 ゆえに追撃戦が始まって数刻経っているのというに、敵味方がバラバラにならず同じ方向へ移動しているというのは紛れもなく異常事態。敵の偽装退却という可能性もあるが、それにしてはタイミングが遅すぎる。

 たとえば遊牧民の弓騎兵などが得意とする偽装退却戦法において、囮部隊は殆ど戦闘は行わない。先にも述べたとおり、戦闘によって一度乱戦になってしまえば組織的な行動が取れないからだ。

 

 だとしすれば今、何が起こっているのだ? そんな疑問を胸に右方向を見た瞬間、張郃の顔が瞬時に青ざめる。

 

「なッ……身動きの取れない我らに向かってくる敵の新手!?」

 

 ここに来て、ようやく張郃は敵の顎に自ら首を突っ込んだという事実を自覚する。

 今回の敵の敗走は、ひとつだけが通常の敗走と違っていた。白馬義従は全員が(・ ・ ・)友軍に(・ ・ ・)向って(・ ・ ・)敗走していたのだ。

 

 彼女らは最初、主戦場から大きく左に移動し、追撃してきた白馬義従が停止したのを見て旋回攻撃をかけた。上空から見た時、例えば公孫賛軍歩兵隊を北側、袁紹軍歩兵隊を南側とするならば、白馬義従と袁紹軍騎兵は西から東(主戦場方面)へ移動している事となる。これを未だ戦闘に参加していない公孫賛軍右翼から見ると、目の前を敵兵が横断している状況となり、張郃らは無防備な脇腹を敵にさらけ出したも同然の状態となっていた。

 

 ◇

 

「かかれ!」

 

 趙雲の掛声と共に始まった公孫賛軍の反撃は、主君の性格に相応しく戦の常道だった。

 すなわち、数を生かした戦力の削り合い。友軍を追撃する敵騎兵に、横からぶつかる。特に動きは統制されておらず、各々の騎兵がバラバラに突っ込むだけ。敗走する友軍との衝突を回避するという一点のみ、申し訳程度に騎兵の機動力が発揮されていたと言えよう。

 

 だが、それで充分。戦術目標を達成するには、たったそれだけの動きが出来れば良い。乱戦に持ちこむ事さえできれば、敵は逃げる事もままならず数の多い自軍に勝利の女神は微笑む。

 

 趙雲が恐れていたのは、袁紹軍騎兵が「追えば逃げ、引けば追う」といった感じに自軍の両翼包囲を妨害することであり、その隙に袁紹軍中央が突破を成功させてしまうこと。ゆえに袁紹軍騎兵はまとめて潰す必要がある。しかし、あからさまに全騎兵を投入すれば逃げられてしまうし、中途半端な罠でも見抜かれる。

 

 ――ならば、あえて兵力を逐次投入するという愚策を犯し、敵を引き摺りだせばよい。

 

 優勢な騎兵を逐次投入するという戦術上の愚を犯した敵に、それを修正する間を与えず各個撃破する……張郃の判断は、むしろ良い意味で戦の教本通りであり、質・量ともに劣る袁紹軍騎兵が公孫賛軍騎兵に対抗しうる唯一の方法であったとさえ言えた。

 

 ――だが、いやだからこそ。張郃は戦術レベルで勝利し、作戦レベルで負けたのだった。

 

 追撃戦が終わるまでは、敵も眼前の敗残兵との戦闘に集中せざるを得ず、別方向からの攻撃に対処することができない。反転攻勢のような高等技術が無くとも、白馬義従が決められた方向に逃げられさえすれば味方が横合いから殴りつけられるのだ。

 

 別に公孫賛軍は特殊な戦法を使った訳ではなかった。何かの生物や道具を使った奇策を弄したわけでもなければ、後世で『釣り野伏せ』と呼ばれるハイリスク・ハイリターンな奇襲を見事成功させたわけでもない。いや、むしろ偽装退却であれば、歴戦の勇者である張郃なら見抜けたはず。そうではなく、本当に敗走していたからこそ、彼女は追撃を決意したのだ。

 

 結論からいえば、単純な波状攻撃。第一波で敵を拘束し、第二波が別方向から攻撃を加える……言葉にすればそれだけの戦法なのだが、囮同然の第一波に精鋭部隊・白馬義従を使ったことで張郃は見事この単純極まる作戦に引っ掛かってしまったのだ。

 なぜなら末端の雑兵ならまだしも、本来なら軍の中核を担うべき精鋭部隊を敢えて敗走させるなど、常識外れもいい所である。実際、公孫賛軍内部でも軍師と武将の過半数が反対意見を述べたほど。この戦が華北の将来を左右する一大決戦でなければ、まず採用されなかったであろうハイコストな戦法だ。

 

 袁紹が可能な限りの大軍を投入したように、公孫賛もまた彼女なりに持てる全てをこの一戦に注ぎ込んでいたのだ。

 

「くっ……横から新手だッ!各員、警戒せよ!」

 

 張郃は必死に叫ぶも、その命令がほとんど意味を為さないであろう事は、他ならぬ彼女が一番よく理解していた。

 騎兵という兵種はもともと方向変換が利きにくい。馬に乗る関係上、歩兵と違ってその場で方向転換できないし、第一前方の白馬義従をまったく無視するわけにもいかない。一口に敗走しているといっても全員が背中を見せている事は稀であり、追いつかれた兵がやむを得ず追撃する兵と戦う、といった場面はよくある話だ。

 

 そうでなくとも、戦闘中の兵士には上官の声など聞こえていない。罵声と悲鳴、剣戟の金属音の中で他人の声を聞き取るのは至難の業であるし、戦場で目の前の敵から少しでも注意を逸らせば命に関わる。ゆえに張郃の命令に反応出来た兵はごく僅か。これでは反撃など夢のまた夢だ。

 彼女に出来る事は可能な限り声を張り上げ、1人でも多くの友軍を趙雲らの槍撃から逃がす事だけだった。

 

 ◇

 

 同時刻、公孫賛はいつになく緊張した面持ちで、本営から全体の戦況を眺めていた。正面は袁紹軍に押されているが、それは当初より織り込み済み。となれば、両翼で行われている戦闘の展開が勝敗を左右するのだが――

 

「趙雲様より伝令! 敵右翼騎兵に対する誘引と側面攻撃に成功いたしました。こちらの攻勢を支え切れず、敵は壊滅寸前の模様!」

 

「我が軍の右翼騎兵隊も敵と交戦! 現状では敵が奮戦しており五分五分ですが、まもなく半包囲が完成するとのことです!」

 

「ほ、本当か!? 嘘じゃなく本当なんだな!?」

 

 額から一筋の冷や汗を垂らし、公孫賛が震える声で聞き返す。自分たちが軍議で決めた作戦ながら、にわかに信じ難い。伝令の報告を信じるならば、公孫賛軍は今まさに史上最大規模の両翼包囲殲滅を成功させつつあるのだ。司令官として冷静さを保たねばならないと理性が訴えているが、久々に沸き上がってくる興奮を抑えきれない。

 

「よし!敗残兵に逆襲されないよう、敵騎兵は完全に排除するんだ! ……と言っても、今からじゃ伝わらないか」

 

 本陣と両翼との距離はかなり開いており、伝令を飛ばしても辿りつく頃には、とっくに状況は変化しているだろう。戦闘中の味方の中から指揮官を見つけ出すのも至難の業であるし、隊列が密集していればまず辿りつけない。現代戦のように無線機でもあれば話は別だろうが、それ以前の戦闘では一度動き出した部隊に、本陣から追加の命令を飛ばす事など絵空事も同然。部隊が一旦動き出せば好むと好まざるにかかわらず、後は全て直属の指揮官の判断に委ねられる。

 

「まぁ、右翼には星が付いているし、左翼には従弟の越がいるから大丈夫か……。それより、急がないとな」

 

 眉を細めて前方を見やると、予想通り押されに押されている自軍歩兵が目に入る。刀で斬られるように戦列が分断突破されるような事態にはなっていないが、まるで巨大な圧力にかけられているかのように、一人また一人と確実に削り取られている。

 袁紹軍の先鋒を務めるのは文醜率いる部隊であり、指揮官の奮戦もあってか開戦以降も気力が全く衰えていない。複雑な作戦機動で気を煩わされる事のない正面突撃のような場こそ、文醜がもっとも実力が発揮できる戦場であった。

 

「みんな、ガンガン押せよー! 目指せ一番乗りぃぃいいいッ!」

 

「「「おおおおおぉぉぉぉッ!」」」

 

 雄叫びを上げながら突撃する袁紹介軍。突破と包囲の競争を制そうと、彼らも必死なのだ。重装歩兵には軽騎兵のような軽快さも重装騎兵の衝力もないが、ひた押しにジワジワと粘り強い攻め方をするのが特色である。単調だが隙が無く、ちょっとやそっとの小細工で足元を掬われるような事もない。知略の妙より単純な兵力差と武装の充実度がものをいうため、中央の歩兵同士の戦闘における袁紹軍勝利は揺るがないだろう。既に公孫賛軍の戦列は半分近く粉砕されており、急いでその勢いを削ぐ必要があった。

 

「予備の重装騎兵隊と弓騎兵隊にも攻撃するよう伝えてくれ。昨日の軍議で打ち合わせたとおり、両翼から袁紹たちを潰しにいくぞ!」 

 

 部下に伝達用の旗と銅鑼を用意させ、公孫賛自身も腰の剣を抜く。

 初冬の陽光を受けて剣は銀に輝き、準備を終えた予備部隊に緊張が走る。そして一瞬の静寂の後、剣が勢いよく振り下ろされた。

 

 

「――突撃っ!」

 

 それが合図だった。間を置かず、全ての予備部隊が出動する。

 駆け足で袁紹軍後方へと回り込まんとする2000の弓騎兵。彼らの後を追おうは、一糸乱れずに馬を走らせる重装騎兵。まずは弓騎兵の騎射によって敵の陣形を乱し、続いて重装騎兵の突撃によって粉砕、最後に趙雲らも含めた騎兵全軍で両翼包囲を完成させる。各兵種の特徴を活かした、華麗でありながら堅実さをも兼ね備えた戦法だ。

 

 既に前日の軍議で、作戦内容は全ての上級指揮官に伝えてある。それは今のところ順調に進んでおり、ならば今後も忠実に実行するだけ。

 

 幽州の精華たる騎馬武者達が、袁家を滅するべく一斉に動き出した――。

 

 ◇

 

 もしこの時、公孫賛が戦場全体を見渡せるような高地にいたら、はたして予備を投入しただろうか?

 両軍合わせて10万もの大部隊が展開している戦場中央。多少の起伏では遥か後方まで見通すことはかなわず、また無数の人馬が巻き上げる土煙も障害となる。それゆえに公孫賛は袁紹軍歩兵の布陣が、前衛と後衛では微妙に異なっていることに気付けなかった。

 

 袁紹軍の攻撃の特徴は、重装歩兵から構成される密集方陣の波状攻撃である。それは圧倒的な攻撃力を発揮するが、方陣とは本来その場に留まった防御にも威力を発揮する。『動く要塞』の異名通り、機動力がものをいう野戦を固定的な陣地戦に変化させる防御的な陣形ではなかったか。

 

「やはり敵は両翼包囲を目指す、か……沮授の予測した通りだ。後衛だけ長槍と盾に換装した甲斐があったようだな」

 

 袁紹軍の後衛を率いる武将の一人、麹義は敵影の姿を捉えると即座にあらかじめ指示されていた命令を実行に移す。

 

「進軍停止!――敵騎兵に備え、防御態勢に移る!」

 

 袁紹軍中央は全員が鎧を着込んだ重装備の歩兵で占められているが、前衛の主武装が片手剣と手盾であるのに対して、後衛は長槍と大盾からなる。西方でいえば前者が対歩兵戦闘に強いローマ軍団(レギオン)に近く、後者は騎兵にも対抗できるファランクスに近い。

 

「あと少しで前衛が中央突破に成功する! 後衛の役割は後方で踏み止まり、友軍の突破を支援することだ!いいか、最後の一兵までこの場で踏ん張れよ!」

 

 もうもうと土煙を立てながら突進してくる敵騎兵を見て、袁紹軍最後尾にいた幾つかの方陣が動きを止める。後衛は袁家直属の精兵で占められており、瞬く間に死角のない全周囲防御が完成する。

 

 ◇

 

 袁紹軍後衛がさっと重装槍兵による密集方陣を組む様子は、公孫賛軍騎兵からも確認できた。先鋒を務める武将・厳綱は、その整然とした動きに思わず舌を巻く。

 

「流石は袁家直属の親衛隊。こっちの馬にビビりもしねぇで、難なく迎撃態勢を整えてやがる」

 

 人馬が一体となって突撃する騎兵突撃は一見すると強力無比だが、実際には見かけ以上に脆い。馬上槍と歩兵の長槍では後者のリーチの方が長い場合がほとんどであるし、騎兵としても槍衾に正面から突っ込む訳だから存外にダメージは多いのだ。

 そのため騎兵突撃が成功する場面の大半は、相手が迎撃態勢を整える前に機動力を生かして突撃できた場合か、敵歩兵が猛然と迫りくる重騎兵の群れに恐れをなして隊列を乱したところへ突っ込めた場合のどちらかとなる。今回のように敵歩兵がきちんと密集陣形を組み、迎撃態勢を整えた上で激突すれば、むしろ不利になるのは騎兵の方。

 

「まっ、そのために俺らがいるんだけどな」

 

 そう言って厳綱が馬上で弓を構えると、彼に続く部下達も同様の行動を取る。先の騎兵同士の戦いでもそうだったが、まずは弓騎兵が騎射によって敵の隊列を乱すのが公孫賛軍の基本戦術。今までの戦闘では、この戦法によって数多の敵を撃破してきたのだ。

 

 とはいえ、相手も名門袁家が誇る親衛部隊。装備・士気・規律・個々の身体能力、と機動力以外の全ての面で勝っており、そう易々と突き崩せる相手でもない。また、肩と肩がぶつかるレベルで密集した方陣は、陣形そのものが個々の兵士の動きを制限する。脱走しようと考える袁紹軍の兵士が隊列を崩したくとも崩れないほど、彼らは強固な「動く要塞」へと変化していた。

 それゆえ厳綱らが騎射を始めて半刻ほどが経っても、崩壊した方陣はわずかだった。

 

「さぁて、いつまで耐えられるのかねぇ? 」

 

 楽しげに騎射を繰り返す厳綱。いくら方陣が堅いといっても、その鈍重さのために弓騎兵は一方的に射撃を加えられる。時間はかかるだろうが、このまま騎射を続ければ敵の隊列を崩せるはず……今までの戦歴から厳綱には自信があった。

 

「――げ、厳綱将軍! あちらを!」

 

 1人の部隊長が彼の名を呼んだのは、その直後だった。

 

「どうした?」

 

「あちらを見てください! 敵の予備が動いています!」

 

「あれは………」

 

 目を細めて部下の指さす方角を見つめると、袁紹軍予備とおぼしき軍勢が移動しているのが目に入った。大盾を背負った兵を先頭に、1万もの弩兵が攻撃準備を始めている。 

 

「やばいぞ……逃げろォっ!!」

 

 それを見た厳綱は慌てて退却命令を出す。弩の射程は300m(有効射程は100~150m)ほどと言われており、弓騎兵が馬上で使う短弓より射程が長く、撃ち合いになれば今度はこっちがアウトレンジで一方的に攻撃される。しかも前方の弩兵は巨大な大盾の陰に隠れて防備も万全。数も相手が5倍以上となれば、ここは引くのが得策だ。

 

 

 厳綱が次鋒として控えていた重装騎兵隊のところまで逃げると、公孫賛範をはじめ数人の武将が迎えに現れる。

 

「厳綱将軍! 何があったのだ!?」

 

「弩兵だ、弩兵! なんとか撃たれる前に大方の兵は逃げ切ったが、何割かははぐれちまった」

 

「……その前に密集方陣は崩せたか?」

 

「いや。無理だった。 多少は隊列を乱してやったんだが、今あんたらが突っ込んだところで槍衾の餌食だな。あと15回も矢を当てればどうにかなるとは思うが……先に連中を排除してもらわない事には、おちおち弓矢なんか撃ってられないね」

 

 そう言って袁紹軍弩兵を指さす厳綱。

 

「急いでくれ。弩兵の撃退にとまどってると、密集方陣が完全修復されちまう」

 

「しかし……我ら重装騎兵は突破の要だ。弩兵の掃討は軽装騎兵に任せた方がよいのでは?」

 

「おいおい、1万の弩兵にそれ以上の軽騎兵を突っ込ませるなんて単なる兵力の無駄使いだろ。それに俺らとあんた達の兵力だけじゃ、両翼包囲は出来ないぞ」

 

 小馬鹿にしたような厳綱のもの言いに、公孫範はむっとして反論する。 

 

「誰が軽装騎兵全軍で弩兵に当たれと言った。2万の軽装騎兵の内、右翼と左翼からそれぞれ3000騎づつを抽出し、それを弩兵にぶつければよかろう。6000騎もいれば弩兵は掃討出来るだろうし、もしそれによって彼らが両翼包囲に加われずとも、残った1万4000騎と我らを合わせれば兵力的には何とかなるはずだ」

 

「理屈の上ではそうなるがな……あんた、本気でそれが出来ると思ってるのか?」

 

「何が言いたい?」

 

「どうやってその6000騎を抽出するんだ?」

 

 後漢の全盛期には部隊単位がきちんと定められていたらしいが、この時代の軍隊になると兵の供給先は乱雑で、もはや統一された部隊単位は存在しないようなものだった。

 兵は募集・徴兵・懲罰人事・人身売買・拉致など実に様々な手段で供給されており、しかも中央政府ではなく地方官や豪族が独自に徴募していたのだから、当然規模も内実も違うに決まっている。その為ある将軍は1400人、またある将軍は7200人といったようにバラバラで、それは公孫賛軍とて例外ではなかったのだ。辛うじて兵種だけは統一できたものの、総勢5万もの大軍の中で、どの将軍がどれだけの兵を掌握しているかなど覚えられたものでは無い。

 

「それに軽騎兵の連中は、敵騎兵と一度やりあった後だ。死んだ奴もいるだろうし、部隊ごとに死傷者数も違うだろうから誰が何人の兵を持ってるかなんて分かりゃしないだろうよ」

 

 つまり今の軽騎兵隊はオンかオフかの2択しかないということ。やるなら全軍で突撃、やらないなら全軍で待機という訳だ。

 3000の重装騎兵と2万近くの軽装騎兵。片方を弩兵の掃討に、もう片方を敵主力への両翼包囲に使うとすれば、どういった振り分けをすべきか言うまでもない。

 

「……分かった。弩兵はこちらで何とかするから、そっちは散らばった弓騎兵隊をもう一度編成し直してくれ」

 

 小さく返して、公孫範は全軍に矛先を袁紹軍歩兵に変えるよう指示する。

 

 

「作戦変更だ! 我らはこれより、友軍を支援するべく敵弩兵を優先して排除する!」

 

 続いて槍を掲げた彼を先頭に、隊列を整えた重装騎兵が一斉に突撃を開始。

 

 重量感のある馬蹄音を轟かせて重装騎兵が急迫し、両軍の距離は瞬く間にに縮まってゆく。弩兵の弱点は発射に時間がかかるという点であり、公孫範は一気に距離を詰めてランスチャージに持ち込む。

 

「「「おおおおおぉぉぉぉぉっっっッッ!!!」」」

 

 見たことも無いような重装備で大きな馬に鎧を被せ、一丸となって突撃する公孫賛軍の重装騎兵隊。後世でいえば重戦車の大部隊が歩兵陣地に突撃しているようなもの。急速に迫る彼らの威圧感は凄まじく、ベテラン兵士ですら及び腰になる。

 

「 「っ――――ッッ!!」 」

 

 瞬間、鼓膜が破れるかと思うほどの大音量が轟いた。予想通り、袁紹軍の最前列は被害甚大。大盾が割れ、弩兵が馬蹄に潰され、指揮官が槍に貫かれる。長大な馬上槍が折れるほどの衝撃を受けた袁紹軍の被害は言うに及ばず、接近戦に持ち込まれた弩兵に為す術は無かった。

 

 ただ、問題があるとすれば数に圧倒的な差があることか。公孫賛軍重装騎兵の数はわずか3000騎であり、1万もの袁紹軍弩兵を掃討するには、これまた時間が必要であった。盤上の演習なら「騎兵が突撃し、弩兵が退却」で済むのだが、現実の戦闘ではこれに“時間”という障害が加わる。

 結果、袁紹軍弩兵の排除によって公孫賛軍弓騎兵は再び騎射を行えるようになったものの、予想通り突破の要である重装騎兵を拘束されてしまうという皮肉な事態になったのだ。

 

 ◇

 

 ――公孫賛軍右翼

 

 動きのとれない重騎兵に代わって、密集方陣への突撃を敢行することになった軽騎兵隊。重装歩兵の密集方陣に軽騎兵を突撃させるなどほとんど自殺行為に等しい作戦なのだが、他に妙手がない以上やるしかあるまい。弓騎兵の騎射によって敵の隊列は乱れている事が、せめてもの救いだった。

 

「くっ……思った以上に再編成に時間がかかっているな……」

 

 まずい――いつもの飄々とした雰囲気はどこへ行ったのか、趙雲の表情には焦燥の色が濃い。

 敵騎兵隊を追いかけて戦場から離れてしまった上、戦闘によって統制を失った部隊に再び指揮系統を確立させるのは彼女の予想以上に困難だった。敵騎兵を撃退した後、趙雲がすぐに戦場に戻れなかった理由はここにある。総勢2万騎もの大兵力を運用したのは公孫賛軍にとって初めての出来事であり、いかに趙雲とて慣れない大軍運用を演習同様にこなせるわけではなかった。

 

 いっそ弓騎兵の再編と援護を待たず、軽騎兵だけですぐさま敵の密集方陣を叩くべきだったかもしれない……そんなヒロイックな考えが一瞬だけ脳裏をよぎるが、すぐに理性によってそれを否定する。今や趙雲の軽騎兵部隊だけが唯一袁紹軍歩兵にトドメを刺せる切り札であり、それを冒険に賭けることは許されない。

 

 ――結果、再度集結した弓騎兵隊が騎射を済ませ、袁紹軍後衛に突撃できるようになったのはそれから半刻後のことであった。

 

 

「だいぶ予定より遅れたが……やっと両翼包囲に持ちこめる……」

 

 かなり時間はかかったものの、もう袁紹軍も予備を使い尽くしたはず……やっと見えてきた勝利への道筋に勇気づけられ、公孫賛軍将兵は最後の気力を振り絞る。

 

「すでに敵の後衛は崩れかかっている。あの方陣さえ崩せば、袁紹軍は前と後ろから完全に包囲されたも同然だぞ!」

 

 血濡れた槍を天へと突き上げ、趙雲が大声で叫ぶ。

 部下も彼女を上回る大音量でそれに応え、今まさに乾坤一擲の突撃を行おうとした、その時。

 

 

 ――袁紹軍の前衛から、爆発のような歓声が上がった。

 

 

 そう、忘れてはならないもう一つの戦場。両翼で双方の武将が武勇を競い、軍師の知略がぶつかり合う中、地道に正面から芸の無い殴り合いを続けていた戦場で、ついに決着が付いてしまったのだ。

 

 すなわち――。

 

「うおっしゃああああっっッ! やっと突破できたぜぇぇぇ!!」

 

 袁紹軍中央。その先頭で大刀を振るっていた文醜がひときわ大きな声で叫び、ガッツポーズを決める。彼女の前には公孫賛軍の戦列最後尾にいた兵が倒れており、開戦当初から続けられていた正面突破が成功したことを示していた。

 

 袁紹軍、中央突破に成功――その情報は瞬く間に戦場を駆け巡り、分断される形となった公孫賛軍は一挙に浮き足立ってしまう。騎兵部隊はまだ統制がとれていたものの、始終押されっぱなしだった歩兵部隊の士気は完膚なきまでに打ち砕かれ、また実際問題として中央突破によって指揮系統が寸断されてしまい、もはや歩兵部隊は戦力たりえなかった。

 

 

 ***

 

 

 ――こうして『界橋の戦い』は中央突破を成功させた袁紹軍の勝利として、後世まで記録されることになる。「巧遅より拙速を尊ぶ」という名言とおり、荒削りだが基本に忠実な正攻法で攻めた処に勝因があった。中央突破という単純明瞭な戦術目標を定め、両翼の騎兵・後衛の方陣・予備部隊などの動きも全て「時間稼ぎ」という点で統一されていた。

 

 対して公孫賛軍は各兵科の特徴や相性の差をよく生かして善戦したが、動きの複雑さゆえに戸惑う将兵も多く、大軍であることも加わってスムーズに作戦が遂行されたとは言い難かった。双方共に未だかつて運用経験がない大部隊を投入した一大会戦に臨むに当たり、作戦を可能な限り単純にすることで運用面でのトラブルを減らそうとした袁紹軍に対し、公孫賛軍は部隊運用に対する認識が甘かったと言えよう。日頃10人程度の部下しか動かしたことの無い人間が、いきなり50人の部下を与えられても同じようには動かせないのだ。

 これは後世の工場管理などでも言われる事だが、労働者の数が増えれば増えるほど命令伝達と労働者間の意思疎通が困難になるため、ムダを無くすための工程を組み込むと却って混乱が起こり逆効果になってしまうことがある。たとえば適材適所という言葉があるが、誰が・何を・どのぐらい作業すればいいか、等を見極めるコストを考慮すると、大規模な工場では却って一律の作業と待遇で接した方が効率的な場合もあるのだ。

 

 公孫賛軍も個別の戦いだけを見れば、常に相性の良い兵科を充てることで、袁紹軍に対して高いキルレシオを発揮している。しかしそのために小さな遅れや混乱、命令伝達と意思疎通の不調に起因する時間のロスが徐々に積み重なり、最終的にもっとも重要な「突破と包囲の競争」に遅れてしまったのが敗因といえよう。

 

 ――そして公孫賛軍がその遅れを取り戻すことは、この敗戦以降2度と無かったのである。

 

 敗北した公孫賛は残存部隊を率いて、遥か北の渤海郡まで退却。この会戦の趨勢に注目していた華北の諸侯は、競って勝ち馬に乗ろうと袁紹のもとに馳せ参じ、華北における袁紹の優位は揺ぎ無いものとなったのであった。 

 




 麗羽様大勝利! 勝因はとにかく「命令が簡潔だったこと」です(あるいは公孫賛軍が複雑すぎた)。
 袁紹軍の場合、出された命令は
 中央前衛・・・とにかく前進して攻撃
 両翼騎兵・・・なるべく戦場から敵を引き離して時間稼ぎ 
 中央後衛・・・ファランクス組んで防御
 予備部隊・・・後衛の援護

と一つの部隊に一つの命令しか出していないのに対し、公孫賛軍は 

 中央歩兵・・・ひたすら防御
 両翼軽騎兵・・・①白馬義従の攻撃と戦術的退却 ②主力軽騎兵部隊が敵騎兵を側面攻撃 ③味方の背面攻撃が成功したら両翼包囲
 予備騎兵・・・①敵後衛を弓騎兵が撹乱 ②続けて重装騎兵が突撃
 ※実際には①敵後衛を弓騎兵が撹乱→失敗 ②作戦を変更し重装騎兵が敵予備を攻撃 ③弓騎兵は戦力再編の後、再度敵後衛を攻撃 ④軽騎兵が重装騎兵の代わりに敵方陣を攻撃 ⑤方陣撃破の後、残存する全ての騎兵をかき集め両翼包囲

 とタダでさえ一つの部隊に対する命令の数が多い上に複雑で、しかも他の部隊との連携まで求められるという高度なもの。これを今まで経験した事の無い大人数でいきなりやった挙句、どんどん現場が「柔軟に対処」していったので混乱が重なり、モタモタしている内に中央突破された形になりました。

 当時の情報伝達能力だと「一つの部隊に一つの命令」が基本なので、複雑な作戦をしたければ戦力を小分けにするしかありません。もっとも、それはそれで下手すると戦力の逐次投入・各個撃破の危険がありますが……。

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