真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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71話:祝賀会にて

         

 南陽郡・某所にて……。

  

『――聞いたか? 袁家の連中、今度は軍事力を取り上げようとしてやがる。放っておけば、用済みになった俺たち孫家はいずれ粛清されちまう!』

 

 焦りと憤慨を露わにした手紙を、孫策は少し辟易しながら読み進めていた。差出人の名は孫賁。孫家の縁戚で、袁術陣営の傀儡政権と化している豫州の長官を務める男でもある。

 

『この前に曹操、劉表と緊張が高まってから、袁家の軍事顧問がやたらと介入するようになった。こっちは今じゃ農民反乱ひとつ潰すにも政治将校のお墨付きがなきゃ動けない状態だ。近いうちに農民の徴兵も始まるって話だから、モタモタしていると磨り潰されるぞ』

 

 手紙には増長する袁家への不満がずらずらと書き連ねられており、反逆を示唆させるような言動すら見られた。

 

「そんなこと、言われなくたって分かっているわよ……!」

 

 孫策は歯がゆい気持ちを抑えながら、孫賁に忍耐と自制を促す文をしたためる。これも何度目になることだろうか。

 思い起こしてみれば反董卓連合戦以来、袁家は全く隙を見せていない。袁術に統治能力があるとは思えなかったことから、孫策と周瑜はしばらく待てば自然と機会が巡ってくると予想していた。

 

 孫家の価値は端的にいえば、軍事力である。もちろん文官も揃っているが、固い結束で結ばれた有能な武将達は名門袁家が持っていない唯一の要素であるといっても良い。戦争が始まれば孫家に頼らざるを得ず、戦に勝利すれば孫策らの名声も高まる。しかも戦争中は袁家も監視を緩めざるを得ず、その隙をつく事で政権奪取とその正当性を訴えるつもりであった。

 

 だが孫家は、実に単純な方法で抑え込まれた。『戦争を起こさない』、この簡単なようで難しい外交上の成果によって。袁術陣営はバランサーとして実に慎重に立ち回ることで戦争を回避し、孫家を単なる治安維持部隊として飼殺すことに成功していた。

 それでも袁家の統治が苛烈で民の敵意を買えば、まだ政権奪取のチャンスもあっただろう。しかし(孫家にとっては)残念なことに、内政も極めて安定している。無論、だからといって善政を行い、民に慕われている訳ではない。『袁家は袁家にしか貢献しない』とは賈駆の評であったが、袁家はまさしく利己主義者の集団であった。利益を損なうものは容赦なく排除され、人口における奴隷の比率が最も高い諸侯であった。

 

 されど袁家も全知全能ではない。どれだけ膨大な財力・兵力・権力を誇ろうとも、鶏に金の卵を産ませることもできなければ、砂漠から水を吸い上げることもできない。彼らは権力のなんたるかを人並みには弁えており、民衆という宿主抜きには権力が寄生できないことを理解していた。反抗しない限りは迷惑を与えず、袁家に協力すれば富の一部と引き換えに栄光への切符を手渡す。反抗して失うものと大きさと、譲歩して得られるものを天秤にかければ、民が袁家のもとで飼いならされることを選ぶのは当然であった。

 

 『――痩せさらばえた狼であるより、肥えた豚のほうが幸福である』

 

 誰が言ったかは知らないが、少なくとも上記のように考える人間が過半数を占める限り袁家の支配は安泰であった。民の間で後漢末期の混乱の経験が抜けきっていないともなれば、戦を回避し最低限の安全を保障してくれる袁家は“比較的”寛大な支配者であった。

 

「今、下手に動けば逆に利用されるだけ。ここで失敗したら、何のために今まで耐えてきたか分らないじゃない……!」

 

 結局のところ孫家が袁家を倒して後釜に座るという事は、どんなに体裁を取り繕うとも謀反に変わりはない。豪族や士大夫の信奉する儒教は主君への忠誠を理想としているし、民に慕われているとは言えずとも袁家による支配は一定の支持を得ている。他の諸侯と戦争もしていないから、軍事負担に対する民の不満もない。加えて孫家には統治の実績がなく、武人としての名声はあっても内政面では彼女らの能力を疑う知識人は多かった。

 そんな状態で反乱など起こしたところで支持は集まらないだろうし、袁家が持久戦の構えを見せれば兵力で劣る孫家が不利。しかも内戦の長期化はかえって袁家統治時代の平和さを相対的に強調してしまうため、孫家は悪役として全ての責任を被せられた上で不満のスケープゴートにされてしまう恐れがあった。

 

 まだだ、まだ“その時”ではない……孫策は昂ぶる神経と血流を抑えようと深呼吸を繰り返す。長い雌伏の時は孫策を精神的に鍛え、彼女は以前に比べて忍耐強く冷静な判断を可能としていた。

 

(冥琳は今頃、どうしてるのかしら……)

 

 孫策は彼女の親友に思いを馳せる。いつもならこうした事務作業は周瑜に任せているのだが、彼女は現在この場にいない。なんでも下邳で大規模な袁術軍の閲兵式があり、それに強制参加させられる形で徐州へ出向いているとかいう話だ。

 

 取り留めもなくそんな事を考えていると、ふと窓の隙間から反対側の建物のバルコニーに立つ孫権の姿が目に留まる。

 

「蓮華……?」

 

 孫権は文官用のゆったりとした服を着こみ、手に持った書類を見つめていた。何を読んでいるのだろうか、などと首をかしげながら見つめている内に、孫権の顔色がどんどん暗くなっていく。綺麗に整った横顔には憂いが滲んでおり、書類を見つめる眼差しは、こちらの胸が苦しくなるほど哀しそうだった。だが孫権はもう一度書類を見つめた後、切なそうにかぶりを振ると、部屋へ戻っていった。

 

 

  

 ◇◆◇

 

 

 同時刻、下邳城では軍事パレードもやっと終盤に差し掛かってきた頃だった。

 

 (……さて、そろそろ私たちも用意した方がいいかもしれないですね)

 

 張勲は次に行われる祝賀会の準備にとりかかるべく、頃合いを見計らって袁術に声をかける。

 

「美羽様~、あんまり前に出すぎないよう気を付けてくださーい。墜落したら美羽様、熟れた石榴みたいになっちゃいますから」 

 

「ひっ! ……そ、それは嫌なのじゃ~! 」

 

「張勲、あんた自分の主君にも結構容赦ないわね……」 

 

 ちなみに下邳城の内城の城壁はけっこう高い。先の戦争の折、近くにあった堤防を決壊させても内城だけは浮かんでいたというから、実際に人が落ちれば怪我では済まない。

 

「うぅ……や、やっぱり妾は部屋に戻るぞ!」

 

 そして高さに対する恐怖をいったん意識すると、袁術の興奮も瞬く間に急降下し、安全な屋内に戻りたくなったらしい。

 

「そうですねー。この後にはまだ祝賀会とかありますし、少し休んだ方がいいと思いますよー」

 

 パレード中ずっとはしゃいでいた袁術が疲れて寝てしまわないとも限らない。外部の要人が集まるパーティーでそうした粗相を起こさないよう、張勲も彼女なりに袁術の体調管理に気を遣っていた。

 

 ◇ 

 

「遅ぉ~い! いつまで待たせてんのよぉ」

 

 途中で張勲らと別れて賈駆が屋内の休憩室に戻ると、さっそく拗ねたような女の声が響いた。人民委員にはいろんな人間がいるが、この何となく人を舐めたようなしゃべり方をするような人間といえば、1人しか思い当たらない。

 

「しんどぉーい、アタシ待ちくたびれちゃったー。だからお茶出してー」

 

「……なんだろう、このイラッとくる感じ」

 

 ふかふかのソファで足をパタパタさせる女性――劉勲もどうやら後のパーティーに備えて休憩に入っているようだった。しかも隣にはなぜか周瑜もいる。意外といえば意外な組み合わせに賈駆が首をかしげると、それに気づいた周瑜が補足を加える。

 

「孫家と周家は江南の豪族に顔が広い。今回の祝賀会には徐州と関係の深い江南北部の豪族も多く来ているから、袁家としても我々がいた方が何かと話を進めやすいというわけだ」

 

 不本意丸出しで語る周瑜。なるべく冷静に振る舞おうとしているようだが、その声は硬い。

 あまり深くは触れられたくない様子だったので、賈駆も話題を変えようと隣へ視線をずらす。

 

「で、アンタは此処で何を――………やっぱ別にいいや」

 

「えー」

 

 なんだか不満そうに構って欲しいオーラを放出する劉勲だったが、賈駆は気にしたら負けだと思って無視することを決意する。

 

「文和ちゃ~ん」

 

「目を潤ませて上目遣いで見上げても無駄だから。 あと勝手に名前呼ぶな」

 

「むぅ……もうちょい刺激が必要かぁ」

 

 ならば、とばかりに劉勲は妙に慣れた手つきで服を脱ぎだした。パレード用の軍服のボタンが外され、肌が透けそうな薄い白無地の開襟ワイシャツがのぞく。その下に付けている黒のブラジャー(特注品)が見事なまでに透けているが、彼女の性格的に狙ってやっているのだろう。と、そこで賈駆は自分の視線が彼女に注がれていたことに気づく。

 

「どう?興奮した?」

 

「……しないわよ」

 

「ふぅん」

 

 あくまで平静を装って徐々に視線を逸らそうとするが、劉勲は例の媚態じみた眼つきとポーズでじっと見上げてくる。既に下衣も脱いで生足が見えるようになっており、少し動いたせいで服に出来たシワが繊細に揺れ動く。

 

「じゃあ、試してみる?」

 

 ゆっくりと手を伸ばし、そぉっと賈駆の頬を撫でる。同性でも思わず見とれてしまいそうな、蠱惑的な笑み。

 

「動じないんでしょう?」

 

「っ……!」

 

「ふふっ、可愛い―――ったぁい!?」

 

 唐突にゴンッと大きな音が響き、劉勲が可愛らしい悲鳴を上げる。犯人は周瑜。即興で編み出されたピンクな空間は、そこで終わりを告げた。

 

「すまんな、蚊がいたもので」

 

「アタシ、思いっきり殴られたような気がするんだけど!?」

 

「ほう、よく分かったな。実を言うと、見るに堪えなかったので茶番劇に幕を引くべく鉄拳制裁を」

 

 もはや否定すらしない周瑜に、「やっぱコイツ嫌ーい」と劉勲は子供のようにじだばだ暴れ出す。そんなんだから周りに呆れられるんだと思いつつ、賈駆は投げやりに口に開く。

 

「どうせなら同性のボクとかじゃなくて、がっついてきそうな紀霊将軍あたりにでも見せたらどう? 傭兵隊の詰め所にでも行けば、喜んで襲ってくれるかもしれないわよ?」

 

「あー、うん。さっき行ったら20人ぐらいに襲われた」

 

 行ったんかい。ほぼゴロツキ同然の傭兵隊にその姿見せびらかすとか、意外と勇気はあるのか。

 

「いやいや、流石のアタシもヤバイかなーって思ったんだけど、やっぱ女の子的には新しい服買ったら周りに自慢したいじゃない?」

 

「普通は身体と命賭けてまで自慢したいとは思わないけどね」

 

「で、行ってみたら男共が血眼になって見つめてくるわけですよ、生脚を。はぁはぁしながら触ろうとしてくるわけですよ、胸を。――分かる? この乙女的な危険信号感じるんだけど、でもみんな必死過ぎてなんか笑えてくる感じ?」

 

 いや、その感性はおかしい。

 

「でねでね、気づいたら男同士で奪い合いになっちゃったみたいで。いつの間にか大乱闘になってて超笑えるの! あはははっ」

 

 本っ当、性格悪いなこの女! 無意識に突っ込もうと開きかけた口の筋肉を抑えたところで、賈駆はあることに気づく。

 

「あれ? あの騒ぎの元凶って、ひょっとして……」

 

 そういえば閲兵式中に副官から伝えられた警備状況の話に、そんな事件があったような無いような。

 

「やだ、文和ちゃんってば鋭すぎぃ」

 

「やっぱアンタなのね!? この際だから言うけど、そのせいでボクとばっちり受けて張勲に脅されたんだけど! しかも割と目が本気で怖かったんだけど!」 

 

「大変だったわねー。でも、もう大丈夫よ。お姉さんが守ってあげるから」 

 

「完全に嘘よね、それ。今唐突に考え付いた台詞をなんとなく言ってみたかっただけだよね?」

 

「うふっ♪」

 

 殴りたい、この笑顔。つい心の声を実行しそうになるが、すんでのところで自制する。

 

 そうやってギャーギャーと騒いでいた2人だったが、それに終止符を打ったのは小さな子供の声だった。

 

「――2人とも騒がしいぞ! 立って礼ぐらいしたらどうなのじゃ!」

 

 驚いて振り向くと、張勲を引き連れた袁術が立っていた。

 

「妾を誰だと心得ておる! 名門袁家の世継ぎ、袁公路なるぞ!」

 

「頭が高ぁい、 控えおろー♪」

 

 印籠でも出しそうな勢いでふんぞり返る袁術と、さらっと便乗する張勲。疲れて仮眠でも取っていたのかと思いきや、案外元気であるらしい。時に子供は興奮状態になると、大人より不眠不休で動き回れるものらしい。

 

「これは失礼、見苦しいところをお見せしましたわ。どうぞお座りください、袁南陽郡太守さま」

 

(切り替え早っ!?)

 

 ほとんど条件反射的に、ガラッと口調と雰囲気を変化させる劉勲。舞台女優の経験でもあるのかと疑いたくなるレベルの変貌ぶりだ。立ち上がって優雅に一礼すると、恭しく袁術に椅子をすすめる。

 

「そういえば、先ほど徐州の方から上質の栗入り月餅をもらいましたの。よろしかったら、お茶と一緒にお出ししますわ」

 

「うむ。大義である。ただ……その、妾は苦いお茶は好きじゃないのじゃ」

 

「でしたら……そうですね、天竺由来の砂糖を使った緑茶などではどうでしょう?」

 

 現代日本人の北郷一刀がいれば大いに突っ込みたくなるチョイスだが、グローバルスタンダードではむしろ砂糖入り緑茶がジャスティス。甘いお茶といえば緑茶、しかも南方からの輸入品である高級品・砂糖をたっぷり使うことは古き良き上流階級のステータスでもある。

 袁術の許可を得て使用人に指示を飛ばすと、劉勲は何かに気づいたように、にんまりと笑いを堪えながら質問した。

 

「袁術さま、次の祝賀会に使うお召し物はいかが致しましょうか? 何かご要望のものがあれば、すぐに用意させますわ」

 

「ええっと、そうじゃの、まずは金と赤の翟衣じゃ。あと、簪は出来るだけ大きな真珠が付いてるのがよい」

 

「仰せのままに。――ほら、早く持ってきて。周中郎将」

 

 悪意を含んだ笑顔で周瑜に合図をする劉勲。

 

「なぜ私に振る」

 

「だってお付きの使用人はお菓子取りにいっちゃったしぃ。 でも考えようによっては、袁南陽太守たってのご要望にご奉仕できるいい機会よ。光栄でしょう?」

 

「それほど光栄ならば、自分で持ってくればいいだろう」

 

「ううん、ひょっとして不満なの? まぁどうしても嫌っていうなら、アタシがやるけど?」

 

 一瞬、周瑜のこめかみが引きつる。今の状態で劉勲の提案を肯定すれば“袁術に対する奉仕という栄誉(・ ・)が嫌であり、不満をもっている”と受け取られかねない。

 

「……承知した」

 

 刺々しい空気をまき散らしながら劉勲を睨みつけた後、周瑜は踵を返して出ていった。

 

(そういえばボクが昔通ってた私塾でも、あんな光景があったような……)

 

 要領いい上に先生や先輩に甘えるのが上手なクラスの女王と、真面目で頭はいいのだがイマイチ人間関係的に孤立しがちな優等生。ちなみに賈駆は私塾の学生時代、いわゆる委員長ポジであった。

 そして袁術は目を丸くして底冷えするような女2人の諍いを見ていたが、周瑜が出ていくと緊張がとれたように可愛らしく肩を下ろす。

 

「な、なんだか怖い顔をしておったな」

 

「そうなんですよぉ、愛想悪くてアタシ達もどう付き合えばいいのか分んなくて」 

 

 いかにも困ってます風の表情を浮かべ、自分への同情を誘おうとする劉勲。別に嘘は言ってない。だから信憑性が増す。おかげで袁術もいろいろ誤解したまま劉勲の言葉を鵜呑みにしたらしく、少しだけ憤慨したように頬を膨らませた。

 

「まったくじゃ。あれでは皆が怖がるではないか。――妾も一瞬、反乱でも起こされるのかと思ったぞ」

  

 続く一言で、見事に部屋の空気を凍らせて。

 

 

 **

 

 

 祝賀会が始まったのは、それから数刻後のこと。徐州と南陽郡による合同閲兵式の成功と更なる発展を祝い、双方の交流を目的とした祝賀会が開かれる。各地の主だった名士が集い、友好を深めながら見合い話やゴシップに花を咲かせるのだ。

 

「まぁ、趙広陵太守は漢詩もお得意ですのね」

 

 広間の中央では案の定、見事なまでに猫をかぶった劉勲が、社交デビューに気合いを入れる徐州名士たちの輪に入って会話に花を咲かせていた。着替えも済ませ、明らかに異国のものだと分かる、大きく背中を露出させたホルターネックのイヴニングドレスを纏い、相手の反応を楽しむかのように身を乗り出している。そんな彼女に目をつけられた相手――趙昱はどちらかといえば育ちのよさそうなお坊ちゃんタイプで、思わせぶりな仕草で擦り寄ってくる劉勲に顔を赤らめていた。

 

「そっ、そんな……大袈裟ですよ! 僕みたいな田舎者にはとても……」

 

「ふふっ、そういう謙虚なところも素敵ですわ」

 

 絵になる逆ナンという意味不明な構図が展開されているのだが、それを上流階級は社交技術と呼ぶ。だがイイトコのボンボンを漁っているばかりではなく、政治家・外交官としての責務も完璧にこなしているからタチが悪い。

 

「今日は1人ではるばる広陵から?」

 

「いえ。同郷に陳登という知り合いがいるので、彼と一緒に来ました」

 

「ひょっとして典農校尉を務めていらっしゃる、あの名門陳家の?」

 

「はい。ええっと、どこかに……――あっ、いました! ほら、あそこで麋竺さんと話している背の高い人が……」

 

 向こうも劉勲たちの視線に気付いたのか、澄ました愛想笑いを浮かべて輪に加わる。こんな様子でどんどん人が集まってくるのだが、劉勲の対応は慣れたもので、華やかな笑顔を絶やさず、数え切れぬほどの名士たちとの挨拶をこなし、虚飾と美辞麗句で塗り固めた挨拶を交わす。それだけでも外交官としては十分であったが、驚くべきことに劉勲は接触する(あるいはしてきた)相手の姓名と役職、加えて来歴や趣味まで記憶しているらしく、最適な話題を提供することで相手が話やすい雰囲気を作り出していた。

 

(いったい何処からあれだけの情報仕入れてるのよ……)

 

 逆に考えれば、劉勲は会ったこともない相手の詳細な情報を知っているということ。その気になればあっさり警備の隙間をぬって暗殺、なんてこともあり得る――自分も諜報関係の仕事に就いているだけに、賈駆は戦慄にも似た何かを感じていた。

 

 それなのに会話相手が誰一人として劉勲に疑問を抱かなかったのは、ひとえに彼女の会話の上手さゆえか。よくもまぁ、次から次へと話題を絶やさずに舌が回るものである。その上で彼女は、ともすれば形式的になりがちな社交辞令も堅くならないよう、適度に話を広げたり、相手の話に相槌を打ちしながら場を盛り上げることも忘れない。

 すると相手も気分を良くして饒舌になるものだから、他人の痴話喧嘩から流行の音楽、有名人の失敗談にうまい儲け話まで実に様々な話題が耳に入ってくる。ネットも新聞もない時代、こうした社交の場で手に入る情報は金にも増して貴重なもの。社交能力の高さが、冗談抜きで国運を左右することすらあり得るのだ。

 

 

 

 そして劉勲ほどで無いにしろ、それなりの地位と名声を持つ人物にとって、社交パーティーで人脈を広げたり何らかの情報交換や依頼をするのは義務のようなもの。周瑜もまた、揚州の名士を中心に矢継ぎ早に顔合わせをして周り、特に孫家ないし周家と関係のある名士達と会合を重ねていた。

 

「実に答えにくい質問をするものですな、周瑜どの」

 

 江南名士の一人である張紘は、盗聴を気にするように声のトーンを落として言った。2人がいるのは下邳城の庭園片隅にあるひっそりとした東屋だが、用心に越したことは無い。

 

「袁南陽太守に対抗しようと、豫州牧殿が……?」

 

「孫賁殿とて孫家の一員だ。袁家の傀儡で満足するような柄ではない」

 

 重要人物の中にも袁家に反感を持つ者がいる、と伝えることで周瑜は遠回しに自分達への協力を依頼する。江南の要人が一同に会するこの祝賀会で、周瑜は出来るだけ多くの協力者を得ようと考えていた。 

 

「しかし、豫州は代々袁家が本拠地としてきた地域だぞ? 州牧一人が音戸を取った所で、民や名士が支持すまい」

 

「そうです。彼らは“袁家”に忠誠を誓っているのであって、“袁術”とは限りません」

 

 袁家は大雑把に分けて袁紹派と袁術派に分裂しており、本拠地の豫州とて例外ではなかった。むしろ本拠地である分、争いが激しいともいえる。周瑜は袁紹派を中心に切り崩すよう工作を仕掛けており、孫賁からの連絡ではそれなりに賛同が得られたという。

 

「ここ徐州でも、劉徐州牧は袁術との“同盟関係”には懐疑的という話です。袁家が手を広げ過ぎた今なら、機会は充分にあるはずです」

 

 周瑜は畳み掛けるように詰め寄る。本当のことを言えば袁術政権はそこまで脆くは無いのだが、そう思わせることが大事なのだ。

 

「最後に揚州ですが、あそこは元より親孫家の名士が多い。加えて我ら周家に穏家の支持があれば、間接支配の為に置かれている武装商船や商会の私兵などものの数ではありません」

 

「……君の話は分かった。だが、一歩遅かったな」

 

 張紘は大きく溜息を吐くと、やるせないといった表情で首を左右に振った。

 

「どういう意味ですか?」

 

「……これを見たまえ」

 

 張紘は懐から十数枚の書類を取りだすと、周囲を警戒しながらゆっくりとそれを広げる。

 

「『淮水―長江間連結計画』……?」

 

 そこに書かれていたのは、淮水と長江を繋ぐ大運河の建設計画であった。そして担当者の欄にはこう書かれていた。“――劉徐州牧名代・諸葛孔明および袁南陽郡太守名代・劉子台”と。

       




 やっと孫家が動き出す……かもしれない。

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