真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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72話:大運河建設計画

   

「少し前の話だ。徐州から袁家に内密に打診があった」

 

「徐州から……?」

 

 ますます分からない。周瑜は無意識に眉根に皺を寄せた。

 袁家が大規模な運河建設を勧めているというのも十分に驚きだが、張紘によれば依頼したのは劉備ら徐州政府だという。しかし今までの劉備らの対応を見る限り、袁家とは対立していたように見えた。それが何故今になって――。

 

「徐州の現状は知っているだろう。政府は戦時中の借金を返すので手一杯、民政には手が回らず難民対策は焼け石に水状態、物価上昇も天井知らずだ。このまま放っておけば暴動が反乱に昇華するのは時間の問題だよ」

 

 戦後の難民対策というのは実に厄介だ。生産手段を持たない難民から税を取ることはできないし、放っておけば食うに困って盗賊と化す。難民キャンプが幾らか整備されたとはいえ、やはり全員を収容しきれるものでもない。一刻も早く荒れた農地を再建し、難民が再び農民として立ち直れば万々歳なのだが、現状では不可能に近い。徐州政府も先の戦争の戦費返済が重く圧し掛かっており、農地が復興するまで難民を養う資金など残っていなかったのだ。

 

 もう一つの問題は、戦後インフレとでも呼ぶべき急激な物価の上昇。徐州は戦時中に多額の資金を借り入れており、それは年間予算の3倍にも達していた。戦時中は戒厳令と価格統制によって強引にインフレを抑え込んでいたものの、停戦と同時に戦時体制が崩壊。戦争による生産設備・物流拠点の破壊により供給能力が極度に低下している一方、戦後復興の需要は止まらず、急激なインフレーションに歯止めがかからない。それを見越しての買い占めなども横行し、物資不足と際限のない価格上昇に民の不満は爆発寸前だった。

 

「だが……配給制あるいは価格統制という案もあっただろう?」

 

「最初はそうしたさ。私も含めて皆がそういった経済統制案を支持した。しかし……」

 

 急激な引き締め政策と統制経済は市場経済を縮小させ、市場からの資金引き揚げは貨幣不足を乗じてデフレを引き起こす。インフレは収まったが、入れ替わりに市場が冷え込んでしまったという、典型的なデフレ不況に陥ったというわけだ。

 しかも統制経済や配給制度というのは、政府がそれを民衆に強制できるだけの権限と能力を保有していなければ成り立たず、戦争によって政府機能が大幅に弱体化した徐州政府が満足に遂行できたとは言い難い。あちらこちらで闇市場が生まれ、徐州政府は政策転換を迫られる結果となった。

 

「そこで浮かび上がった案が、先の大運河建設だ。いつも劉徐州牧に付き添ってる若造……『天の御使い』とかいったか?あれが対策として公共事業を起こせばいいと主張した」

 

 北郷一刀の出したアイデアは至ってシンプル。公共事業によって有効需要を作り出し、雇用の改善と景気回復を狙うというもの。この時代では相当に画期的な方法だが、後世では平凡とも揶揄されるほどスタンダードな景気対策だ。

 

 その目玉とされたのが、今回の大運河建設案だ。『山陽瀆』あるいは『邗溝』と名付けられた、長江と淮水を結ぶ大運河建設の利点は大きくいって2つある。

 まず第1の理由としては、大運河の建設には膨大な人民を必要とするため、耕作地を失った無数の難民の受け皿と成り得ること。難民が犯罪者予備軍となるのは生計手段を持たないからであり、彼らを労働者として雇用すれば失業問題は解決する。

 2つ目は運河という交通インフラが整備されれば、物流が大幅に改善されることは勿論、徐州は一気に交易の中心地という地位を確立できる。徐州は大運河によて中国の南北を連結し、南陽郡まで続く淮水によって東西とも結ばれる。発展の著しい江南への進出拠点としても徐州は栄えるはず――。

 

 理屈としてもさほど複雑なものでもないため、公共事業を行う意義と利点を張紘が説明していくと、周瑜はその効用をたちどころに理解したようであった。

 

「要点は理解したが……にわかに信じがたいな。一体何者なのだ?その御使いとやらは」

 

「さぁ?私にも分からない。 だが、彼自身はともかく、その提案は非常に魅力的だ」

 

 周瑜は訝しげに張紘の反応を伺うも、嘘を言っているようには見えない。本当に『天の御使い』について何も知らない様子であった。

 

「少し話が逸れてしまったな。ひとまずその件は置くとして……こんな事を言うのも何だが、いささか少し話が大き過ぎないか?」

 

「そう、そこだよ」

 

 眉に皺を寄せる周瑜に、張紘は話の続きを語り始める。

 

「我らには提案があっても、それを実現するだけの金が無い。実を言うと、最初は大運河建設など絵に描いた餅だと皆が一蹴した」

 

 大運河の建設が旨い儲け話だということは誰もが理解するだろうが、大事業なだけに巨額の資金が必要になる。当初は徐州の商人から資金を借り入れるつもりだったのだが、ものの見事に拒否された。商人たちにすれば、ただでさえ戦費の返済に苦しんでいる徐州政府に、とても運河建設に費やした借金が返済できるとは思えなかったからだ。株式によって「塵も積もれば」方式で小口のベンチャー資金を蓄積するという案もあったが、徐州の年間予算の2~4倍とも試算される大運河建設には懐疑的な意見が多数派を占めた。

 

「だがあの小さな軍師、諸葛亮殿は諦めなかった。毎晩のように地図を読みふけり、なんとか既存の運河を繋げて一本の大運河に出来ないかと努力したらしい」

 

 やがてその努力は実を結び、大運河建設に現実味が出てきた。「長江と淮水を繋ぐ大運河」というと何やら壮大な計画に聞こえるが、何も一から全てを作るという必要はない。もともと徐州は河川も多く水運が発達していた土地柄ゆえ、漢代には、小規模な運河なら既にかなりの数が作られていた。新しく作るのではなく、既存運河の改修ならばコストは大幅に削減できる。諸葛亮は無数の小運河を改修・増築しながら連結することで、長江と淮水を繋げるという計画に現実味を与えたのだ。運河の全長はやや伸びる結果となったのものの、コスト的にも当初の計画の7割まで削減できたという。

 

「だが、やはり金が足りない。徐州政府が出資できる金額は、借金をしてもせいぜい計画の5割が限度だった」

 

「そこで袁家の出番、というわけか」

 

 やっと納得した、という口調で周瑜が声を発した。

 

「ふむ……目の付けどころとしては悪くない。今の袁家は金余りだからな。投資先に困って裏で袁紹や曹操にまで金を貸してると聞く」

 

 劉勲が『勢力均衡』を公式路線として中原の覇権争奪戦から距離を置いて以来、南陽郡は自由化の推進によってかつてない繁栄を手に入れている。大土地所有と農奴制による農地の集約化、規制緩和による活発な投資、華北の疲弊に伴う対外競争力の相対的上昇、自由貿易の推進による輸出入の増加のおかげだ。

 しかし副作用として自作農の没落と格差の増大を招き、農業の集約化・機械化による過剰生産は深刻な豊作貧乏を引き起こしていた。「モノを作れば需要は後から付いてくる」と供給を編重した弊害がもろに現れた形だ。

 

 しかし低下した領内の購買力を高めようとすれば、自作農をはじめとした大衆の経済力を強化させるしかない。だが、それは諸刃の剣だ。そもそも袁術領の繁栄は、少数の名士や金持ちが多数の小作人や農奴から搾取するシステムによって生み出されたもの。対処をひとつでも誤れば体制が崩壊しかねず、同時に既得権益層からの激しい反発を受けるともなれば、中間層を増やして内需を増やすという政策が取れるはずもなかった。

 

 

 ゆえに袁家は低下した領内の購買力を回復させるのではなく、その販売・資本投下先を領外に求めた。その標的となったのが徐州と揚州であったが、問題はすぐに表面化する。

 まず揚州であるが、こちらは新興の発展途上地域ということもあり、インフラを始めとする市場の整備がまだまだ未成熟であった。南陽郡の資本と豫州の余剰作物を受け入れるには、あまりに購買力は低過ぎ、その経済規模は小さ過ぎた。将来ならいざ知らず、現時点では“急成長を続ける田舎”(商務人民委員・楊弘の評)でしかなった。徐州に関しては当初こそ思い通りに事が進んでいたものの、曹操軍による侵攻によって将来有望な市場は瞬く間に負債を抱え込んだ荒野となった。

 

 それに追い打ちをかけるかのように華北の戦乱は時を追うごとに広がり、中華の市場は大きく縮小する。かつての経済の中心地・洛陽と長安ですら荒廃したとなれば、行き先を失った資本が“比較的安全”かつ“よく整備された”南陽の金融市場に向かうのは当然の帰結であった。袁術以外にも、劉表など優れた外交手腕によって戦乱を逃れた諸侯は数あれど、金融センターとしての条件――規制が少なく、発達した貨幣経済があり、インフラなどの市場基盤が整備され、流動性が高く規模の大きな市場を持ち、戦争に巻き込まれておらず政治経済的に安定している――をまがりなりも備えていたのは南陽郡だけであった。

 

 

 かくして南陽郡には巨額の資本が流れ込む。それ自体は喜ぶべきことだが、先にも述べた通り格差の増大によって購買力が追いつかない。しまいには華北での戦乱リスクを嫌って南陽郡に逃れたはずの資金が、行き場を失い巡り巡って華北に再投資されるという、なんとも間抜けな事態に陥っていた。

 

 『 敵にすら金を貸し付ける』とは南陽商人の貪欲さをよく表現した後世の皮肉であるが、その裏には純粋に政治的な対立で片付けきれない複雑な事情があったのだ。しかし袁術陣営とて、本心から敵への投資を望んでいるわけではない。

 もし収益が確実に見込める、将来有望な投資先が見つかれば――袁術陣営のこうした切実な願いに諸葛亮が『大運河の建設』という解答を提示した結果、徐州と南陽郡の奇妙な協力関係が生まれたのだった。

 

 

「そういうことだ、周瑜殿。残念だが、貴女に協力を約束することはできない」

 

 机の上で指を組むと、張紘は真面目な表情で周瑜に告げた。

 

「徐州を立て直すには、袁家に協力を仰ぐ他ないのだ。我々だけではどうしようもない」

 

「たしかに袁家に協力を仰げば一時的に救われるかもしれませんが……彼らがこれまで何をしてきたか、その傀儡政権が誕生した豫州で何が起こってるのか、袁家に追従した青州がどうなったか、もう一度思い出していただきたい。曹操が攻め込んできた時、袁家は徐州を切り捨てようとした……そんな相手を信用できると?」

 

 その言葉に張紘はやや怯んだように体を引いたが、すぐに沈痛な面持ちになる。

 

「だとしてもだ。我々は未来のことを考える前に、まず現在を生きねばならん。袁家を頼る以外に、徐州を今すぐ復興させる方法があるのかね?」

 

 ◇

 

 結局、周瑜が張紘から引き出せたのは、袁術陣営が徐州に害を為した場合には協力するという曖昧なものだった。他の名士も基本的には似たり寄ったり。総括すると「袁家に頼りたくはないが、そうする以外に復興の目途がない」という消極的な袁術支持だった。

 

「ままならないものだな……」

 

 周瑜は誰にともなく呟く。その言葉の相手は諸葛亮か、自分か、あるいは――。

 いや、誰であろうと関係ない。とにかく自分は出だしから躓いてしまった。袁家と劉備たち、そして世間そのものを甘く見過ぎていたのかもしれない。

 

「明日に袁家を倒すため、今日は袁家と結ばねばならない……なんとも矛盾した世の中になったものだ」

 

 あれは依存性の強い酒のようなものだ、と周瑜は考えている。確かに短期的には害が無いどころか、目先の問題から目を反らせてくれる良薬にすら見える。だが多くの人が「何時でも止められる」と思いつつも、気づけば依存症になっているのだ。

 

 しかし彼らを一概に愚かだとは言い切れない。飢饉の年に来年の収穫を気にして種もみを食べずにいれば、年内に餓死する者も出てしまう。高利貸しはそういった時を狙って貸し付けを行い、現在と引き換えに農民の将来を奪って隷属させる。だが高利貸しがいなければ農民は飢饉の年を越せないため、嫌々ながらも彼らに頭を下げるのだ。こうした搾取の構図が幾度となく繰り返された結果が、今の中華の“社会秩序”だった。

 毎日のように袁術領では抗議の声があがるが、その度に潰されてゆく。名士も民も袁家の作り出す社会秩序から抜け出せない。

 

「やはり、力が無くては何もできないか……」

 

 周瑜は壁にもたれて目を閉じる。弱肉強食――自然界における唯一無二にして絶対的かつ普遍的な法則だ。人間社会では『道徳』や『倫理』といったものが幅を利かせているが、それを決めるのは支配者階級であり力の強い者たちだ。巧妙に隠されているだけで、本質的には強者が弱者の上に君臨する自然界と何ら変わりはない。決して「力を持っていれば何をやっても構わない」とは思わないが、「何かをやるには力を持たねばならない」、それが今の“社会秩序”なのだから。

 

 

 **

 

 

 その後、祝賀会では大運河の建設計画が正式に発表された。

 大規模な公共事業を行う事で徐州の難民に職を与え、経済の活性化も促す――『山陽瀆』と名付けられた、長江から淮水までを繋ぐ運河建設の発表は大きな驚きをもって受け止められたが、徐州名士には概ね好意的に受け入れられる。戦後復興が思うように進まない中、政府の積極的な介入を求める声が広がっていたからだ。

 

 むしろ袁術領や揚州名士の方が採算や実現性について疑問を投げる者が多く、張勲や賈駆など治安維持かかわる要人からも懐疑的な意見が多く出た。しかし財界からは、行き詰まりつつある景気を打破する一大プロジェクトとして支持される。

 最終的には徐州に対する復興支援金を削減する代わりに、運河建設費用の実に4割を南陽政府が出資するという内容で一応の決着をみたのだった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ――南陽郡・宛城

 

「はぁ……疲れた」

 

 徐州で開催された合同軍事パレードから2週間後、賈駆は最悪の気分で家路についていた。残業が終わらないまま、定休日に朝帰りする羽目になったからだ。もちろん家に帰っても、休日返上で自宅残業が待っている。それというのも、最近は連日のように領内外で様々な事件が発生しているのだ。

 

「週末にまた(・ ・)暴動とか勘弁してよ……被害報告とか責任追及とか犯人逮捕とか、本当にいろいろ面倒なんだから」

 

 初めのうちは小さな事件が時間・場所・内容・原因ともにバラバラに起こっていたため、単に領外の戦争による景気停滞のあおりを受けているだけだと考えられた。

 しかし小さな事件でも積み重なれば大きな社会不安となる。そのため賈駆は秘密警察の増員によって反体制派を検挙と事件のもみ消しを図るも、“近頃の保安委員会の増長は目に余る。有事だからといって無暗に秘密警察に権限を与えるべきではない”“安易に人員を増やすのではなく、もっと努力して効率のよい仕事をするべきだ”とライバル達の妨害によって思うように進まないのが現状だ。

 

「――ったく、必要な権限も資源も無しにどうすればいいんだか。面倒な作業と責任は全部ボクに押しつけるくせに」

 

 賈駆は毒づきながら、窓からのぞく宛城の風景を眺める。窓の外には落葉広葉樹の並木に沿って散歩道が中央広場まで続き、広々とした庭園が気持ちのいい街並みを演出する。官庁街から2里と離れておらず、しかも中心地区の喧騒とも無縁の高級住宅街――そこに袁家の重臣たちが集まっていた。彼女も例にもれず、この地区に屋敷をもっている。ただし屋敷とはいっても、賈駆のそれは保安委員会本部庁舎の別棟を借り受けたもので、派手好きの袁家家臣の屋敷の中では比較的こじんまりとしている方だ。2階構造の細長い建物で、全体的に天井が高いのが特徴である。家具の数は控えめで、調度品の配色もホワイトやブラックなどのモノトーンが多いため、やや殺風景ともモダンとも取れる内装だった。 

 

 

「――失礼します、同志。 ご不在時に発生した重要案件をまとめました。後で確認をお願いします」

 

 書斎に戻るや否や、彼女の元にはさっそく書類の束が届けられた。左手で茶を飲みながら、右手で書類をさっと広げ、じっくりと文面に目を通す賈駆。

 

「暴動7件、一揆が4件、放火2件……うち1つは官庁への襲撃、か」

 

 面白くない状況ね、と賈駆が片眉を上げた。報告を届けた秘書官は真面目な表情で頷き、確認するように手帳をめくる。

 

「はい。原因については目立った偏りはありませんが、うち半数が豫州で起こったものです」

 

「……まったく、この忙しい時期に。 豫州の同志たちは何をやってるのよ……」

 

「聞くところによれば、戦争による不景気が民の生活にも影響し始めているようです。豫州は対曹操の最前線ですし、不安と不満が政府への敵意となって膨らんでいるようです」

 

「豫州政府の対応は?」

 

 賈駆がら質問すると、秘書官が答えにくそうな表情になる。

 

「それが、“下手に刺激しない方がいい”と……」

 

「また?」

 

 賈駆は胡散臭そうに顔をしかめた。実は以前から豫州では暴動が多発していたものの、当の豫州政府や州牧である孫賁が中々動こうとしないのだ。“無理に押さえつけると却って暴発する危険がある”との主張にも一理あるが、それにしても呑気過ぎる。そのくせ“対策の為に人員を送る”と言っても“内政干渉だ”と拒否する孫賁には、賈駆もいい加減いらついていた。

 

「お飾りの州牧ならお飾りらしく素直に言うこと聞けばいいってのに……。 これだから自尊心高い奴は困るのよ。変に意地張ったあげく、一緒にボク達まで巻き込むのは勘弁して欲しいわね」

 

「では、告発しますか?」

 

 秘書官がさらりと言う。賈駆の指揮する人民保安委員会は、袁家が誇る世界最大の秘密警察・諜報機関だ。反体制派のテロ対策や傀儡政権の監視、言論統制、他にも様々な秘密工作を担当している。いわば暗部の集まりで、その気になれば「敵対勢力との内通」容疑で孫賁を逮捕し、裁判の場で“自白”させることも不可能ではない。

 

「……いや、今は止めておく。ボク達にはまだ他にやる事が沢山ある。――それより、この徐州で起こった事件の方が気になるんだけど」

 

 賈駆が問うと、秘書官は持っていたメモに目を走らせる。

 

「建設途中の大運河に対する放火事件ですか」

 

 メモによれば、逮捕されたのは大運河建設の際に農地を失った自作農たちだという。先の軍事パレードにとそれに続く祝賀会で、徐州豪族の大部分が運河建設を支持したとはいえ、無論そうでない者もいる。特に運河建設予定地周辺の農民は猛反発し、大勢が運河建設の為の退去を拒んでいる。報告書にはその一部が武器を取り、建設中の大運河に対して放火などの大規模な破壊活動を行ったと書いてあった。

 

「標的となったのは作業員の宿舎、資材倉庫、竹足場……まったく、これで作業が2カ月は遅れるわね。人的被害は、作業員8名が死亡、1名が行方不明、警護にあたっていた兵6名も殉職、か……」

 

 賈駆は報告書をファイルにとじ、秘書官に向き直る。こうした事件が起こるであろうことを、事前にある程度は予想していたらしい。冷静そのものの顔つきで、そっけなく告げた。

 

「早速、といったところね。遅かれ早かれ、ボク達を弱体化させようと狙う敵が大運河を攻撃すると思っていたのよ」

 

 思っていたより早かったけどね、と賈駆は付け加える。大運河が敵対勢力のターゲットにされるであろう事は、計画の発表段階から予測されていた。後世の鉄道と同じく、運河は軍事・経済的な重要性が高い割に防衛する事が困難なため、敵にとっては格好の標的となる。また、実際に破壊できなくとも長大な運河を防衛するために多大なコストを払って大軍を張り付ければ、結果として曹操や劉表などに軍事上の自由を与えてしまう。 

 

「敵対勢力の支援ないし介入があったと、同志賈駆はそうお考えですか?」

 

「たぶん、実行したのは外部の敵対勢力だと思うけど……」

 

 一度そこで話を切ると、賈駆は秘書官に顔を近づけるよう手招きする。

 

「ここだけの話、ボクは内部から手引きがあったと考えてる」

 

 内部からの手引き――袁家において、それが示すものはひとつしかない。

 

「……孫家、ですか?」

 

「ええ」

 

 秘書の問いに、賈駆は疲れたように頷く。徐州で開かれた閲兵式では、周瑜が祝賀会の最中に様々な徐州の要人と会談していたという記録がある。まだ本当のところは分からないが、状況からして何かを企んでいる可能性は高い。協力者は曹操か、劉表か、運河建設に反対する揚州豪族の誰かか、あるいは袁家内部の反対派かも知れない。いずれにせよ、早急に排除しなければ……。

 

「至急、徐州と揚州にいる“同志達”に連絡を。それから――」

 

 賈駆は紙に何か書くと立ち上がり、秘書官に渡した。

 

「劉勲にも取り次いで。ひとつ、徐州でやって欲しいことがあるから」

        




 今回の大運河建設は隋の京杭大運河の1つ、『山陽瀆』をモデルにしました。
 今の北京から杭州まで繋がる隋の大運河ですが、後の唐や宋の発展はこの大運河によって広大な中国が経済的に統一されたことが大きいそうです。

 隋は農民に労役を課すことで反感を買って滅びましたが、流石に劉備さんはそういうことはしないです。で、ちゃんと給料を払おうとすると、金が無いので袁家に出資してもらうしかなく、そうするとパナマ運河を巡るアメリカとパナマみたいに……。

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