真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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74話:疑心の種

        

 一刀から報告を受けた後、諸葛亮はすぐさま宛城へと報告に向かった。巨額の富で潤っている宛城に着くと、さっそく郊外にある袁術の屋敷へと案内された。ケヤキや楢の木が点在する広大な庭園に、いくつもの東屋が立っている。そこからやや離れた孤立した丘の上に、壮麗な袁術の屋敷が見る者を圧倒するように建てられていた。

 

 諸葛亮はなだらかな階段を登って袁術邸に入り、大理石の豪華な玄関ホールを抜けると、広々とした応接室に着いた。中央にはクスノキで作られた円卓があり、それを囲むように人民委員たちがくつろいだ様子で座っている。諸葛亮は軽くお辞儀しながら中に入ると、そろった面々に素早く目をやる。

 

 まず目に入ったのが賈駆。元董卓軍の軍師という不利な立場を持ち前の聡明さで覆し、今では保安委員会のトップとして安定した地位を築きつつある。権力者にありがちな汚職や腐敗とは無縁で、秘密警察を使って社会秩序の強化に力を注いでいる。

 右側では劉勲が手鏡を見ながら、小さなメイクブラシで睫毛の形を整えている。こちらは豪華な私生活と派手な交遊関係で知られており、袁家の負の側面をもっともよく体現している人物でもある。権力闘争から男女関係までスキャンダラスな醜聞が絶えない女性だが、話してみると意外なぐらい気が利いてコミュニケーション上手な印象を受けた。もっとも、それすらも計算づくで動いていると言われても特に驚きはしない。

 

「ようこそ、諸葛孔明さん。袁家は貴女を歓迎しますよ」

 

 にこやかな笑顔と共に、張勲が諸葛亮を迎えた。世間における彼女の評価はパッとしないが、それは軍人としてのこと。他の家臣たちが互いに対立し疲弊してゆく中で、彼らと距離を置きながら権力の座に留まる……少し違えれば全員が敵に回るリスクのある、中立を取り続けられている時点で無能とは言い切れないだろう。

 反対側にいるのが、軍務委員長の袁渙。袁家の血縁者で、がっしりとした体格の偉丈夫だ。その傍にいる白髪まじりの血色の悪い壮年男性が、法務委員会議長の楊弘。皮肉っぽい性格の野心家で、権力闘争を生き抜く才はかなりのものがある。外務委員会議長の閻象は穏やかで人当たりのいい貴族だが、その私生活には謎が多い。劉勲の口添えで出世したこともあり、彼の指揮する外務委員会の決定には、書記局の意向が強く反映されているという。

 最後が周瑜で、その表情からは何の情報も窺い知ることはできなかった。袁家の下にいた期間が長かったせいか、近頃の孫家は以前より協力的だという。孫権ら若手の人間にはその傾向が強く、逆に周瑜ら孫堅時代からの人間は未だに袁家を憎む傾向があった。

 

「――袁家の皆さま、徐州牧・劉玄徳のもとで軍師を務めている諸葛孔明と申します」

 

 恭しく跪き、諸葛亮は奥にいる袁術に向かって頭を下げた。袁術は小さなカップで蜂蜜水をちびちびと飲んでいたが、諸葛亮を見ると挨拶代わりに満面の笑みを浮かべた。

 

「久しぶりじゃな、この前の祭りは楽しかったぞ」 

 

 軍事パレードで盛大にもてなした事もあってか、袁術は割と上機嫌だった。印象も悪くない。問題は他の人民委員たちだ。大半が賈駆のように不信の目で睨んでくるか、劉勲のように面白がって眺めている。張勲のように営業スマイルで本心を押し隠す者もいた。

 

「さて、ようやく主賓も来たところだ。そろそろ本題に入ろうか」

 

 さっそく、楊弘が口を開く。

 

「知っての通り、最初の議題は他でもない――かの大運河の進捗状況を聞くためだ。この手の捜査は保安委員会が担当しているはず。どうだね、同志賈駆?」

 

 賈駆は眼鏡の奥から諸葛亮を一瞥し、劉勲の方に視線を向ける。劉勲は彼女の視線に気づくと、軽くウィンクを返す。賈駆は了解したというように小さく頷くと、目で諸葛亮の方を示した。

 

「思いつく限りの情報提供者を総動員したけど、南陽郡では何も怪しい動きは無かったわよ。やはり当初の想定通り、徐州内部で犯行計画が練られて実行に移されたと思う。そっちは徐州内部の犯罪捜査は現地政府の管轄だから、そこにいる諸葛亮に聞いた方が早いでしょ」

 

 再び全員の視線が諸葛亮に集まり、彼女はゴクリと唾を飲んだ。テーブルの反対側にいた劉勲はそれに気づくと、安心させるように微笑む。

 

「緊張しないでいいのよ、諸葛亮ちゃん。さぁ、知ってる事を正直に話して」

 

 劉勲の口調と表情は優しかったが、緑の瞳に冷めたものがあるのを諸葛亮は感じた。まるで商人が品物を値踏みするような……恐らく、劉勲と賈駆は自分ひとりに捜査の弁明をさせる気だ。

 

「現状、徐州で妙な動きはありません。疑わしい人物を逐一捜査したところ、笮融という人物が捜査線上に浮上してきました」

 

「それで? 逮捕できたの?」

 

「いえ、残念ながら既に逃走した模様で……」

 

 案の定、ちらほらと失望の声があがる。袁渙が遮るように右手を振った。

 

「要するにだ。何も分からんという事だろう。まったく、これでは話にならん!」

 

 軍務委員会議長という立場についているものの、これは袁渙にとって甚だ不本意な任あった。軍務委員会は野戦軍として外敵からの防衛という任を負っているが、袁術軍にはこれと別に領内の反乱や暴動に備える保安委員会という2系統の軍が存在している。人民委員会では地方豪族や商人の力が強いため、野戦軍は潜在的な危険分子と見なされ、軍務委員もどちらかといえば出世コースから外れた役職であった。

 

 そして袁渙もまた、己の境遇を劉勲らとの権力闘争に敗れた結果として不満をもっていた。袁家の血を引いているがゆえに、辛うじて粛清されずにいる……そんな公然の秘密を内に抱えた袁渙が、この一連の襲撃事件を自らの復権に利用しようと考えたのは当然の流れであった。

 

「徐州駐屯部隊の兵力を増強する必要があるな。彼らの権限も強化して、もっと柔軟に活動できるよう取り計らうべきだ」

 

 袁渙は挑むような口調でそう主張すると、ちらりと横目で劉勲を見やる。非友好的な視線であった。

 

「外務委員会は一度、この事件から手を引くべきではないかね? 我々の方が遥かに成果をあげられる」

 

 袁家における統治の基本方針が『間接統治』であることは比較的知られているが、その裏では自身の派閥拡大を企む劉勲の意向が強く関係していた。間接統治とは裏を返せば「表向きは独立している」ということになるため、その管理対応は外務委員会が担うことになる。外務委員会に深いパイプを持つ劉勲としては、直接統治にして内務委員会や財務委員会に奪われるより、間接統治のまま外務委員会が管理していた方がよい、という訳だ。

 かつて権力闘争に敗れた袁渙にしてみれば、この一連の事件は賈駆への牽制と劉勲への復讐を兼ねる絶好の機会だった。

 

「袁術様、すぐに断固とした対策を打ち出すべきです。民はすぐに気づくでしょうし、敵も同じです」

 

 声を張り上げる袁渙だったが、そこで賈駆が横槍を入れる。

 

「軍務委員会の担当は外敵からの防衛だったはずよ。治安維持活動に慣れてないアンタたちの予算と人員を増やしたところで、本当に効果はあるの?」

 

「勿論だ。大事なのは秩序の回復と、政府が行動を起こしたという姿勢だ。私なら兵を大幅に増やし、昼夜問わずに徐州中を見張らせる。何かがあればすぐ動けるし、投資家や住民に安心感を与える事も出来る」

 

 何より大事なのは、運河に対するこれ以上の襲撃を予防すること。それさえ達成できれば極端な話、犯人は見つからずともよい……袁渙は言外にそう主張していた。その裏には自ら指揮する軍務委員会の組織強化という意図も含まれてはいるものの、袁術陣営にとっては一理ある意見だった。

 

「軍務委員会議長のいう効果が本当かどうかは分からんが、少なくとも“行動を起こした”という形は必要だろうな」

 

「私も賛成だ。経済界も既に大きな損失を被っている。生ぬるい対応では、商人たちは納得しないだろう」

 

「徐州にある駐屯地の数も増やすべきだろう。大規模な駐屯地がない場所には、区域ごとに派出所を設けるのはどうだろうか」

 

「――ま、待って下さい!」

 

 気まぐれで徐州の政治に介入されては堪らない。諸葛亮は無礼を承知で会話に割り込む。

 

「たしかに容疑者の確保には失敗しましたが、捜査の過程で分かった事もあります。私たちの推測が正しければ、揚州が関与している可能性があります」

 

 揚州は『袁家の箱庭』とも揶揄される、半植民地でもある。そこに不穏な動きがあれば袁家は重要視せざるをえないはず……つい焦った形になってしまったが、諸葛亮としてはそれなりに有効な手を打ったつもりだった。しかし――。

 

「揚州が? 何のためにだ?」

 

 予想に反して袁家の反応は冷たいものだった。というより、諸葛亮の報告を信じていない風にみられる。

 

「バカバカしい! 辺境にあるがゆえに貧困にあえいでいた揚州で開発を行い、積極的な投資と多額の援助を行ってきたのは我々だ。感謝こそすれ、我々を恨む理由などあるまい」

 

 自信たっぷりに周囲を見回す袁渙。少なくとも袁家の中では、自分たちの投資が揚州の発展を支えているというのが共通の認識であり、無条件に「揚州は親袁術派」との楽観論が多数派を占めていた。支配する側の傲慢と評すればそれまでだが、袁渙とて根拠もなしに論を展開したわけではない。

 

 曰く、袁家は血と剣によって制するのではなく、金貨と言葉によって統治が行われる。条約という法形式をとっているため、支配者のきまぐれで生命を脅かされることがないという点では、非人道的というより人道的である。ただ重税をかけるのではなく、経済発展のための投資を行っている点でも、収奪的というより恩恵的である……もちろん、これは袁家の一方的な視点から見た論理である。支配する側は往々にして、更に苛烈な支配が行われている地域と比べて「自分たちはそうでもない」と自己満足する傾向にある。

 

 

「――まぁ、たしかに揚州名士の大部分は袁家に好意的と見て良いだろうな」

 

 どこか含みのある周瑜の言い方は、暗に袁家の支配が末端まで及んでいないことを示唆しているのか。支配される側にしてみれば、そもそも「他人に支配されていること」そのものが問題なのだ。仮に袁渙の主張が全て真だとして、あくまで“植民地にしては”多少マシな統治を行っているというだけである。可能なら一切の支配から解放されて自立したいと思うのが被支配者の心理であり、それは“比較的”優遇されている孫家とて例外ではなかった。

 

「そうかもしれんな。揚州には特に気を遣っているが、何事も完璧などありえない。我らの目の届かぬところで、誰かが残りの少数派を焚き付けていてもおかしくはない」

 

 楊弘が嫌味っぽく毒づくと、周瑜は軽く肩をすくめた。

 

「仕方のないことでしょう。大きな力を得れば、それと同じくらい大きな恨みを買う。何も揚州に限ったことではないし、袁家に限ったことでもない」

 

 支配者としての袁家は格別に悪辣というわけではなかったが、同時に博愛主義者でもなかった。その力は外交や経済に頼る部分が大きいために、武力による統一を目指す諸侯に比べて血の匂いが薄いというだけのこと。覇権の本質は曹操や袁紹と変わるところはなく、周瑜の指摘した通り、それ相応の恨みも買っていた。

 

「ほう、随分と大きく出たな。証拠でもあるのか」

 

「もちろん。先ほどの言の裏付けではありませんが、ひとつ耳に入れてもらいたい情報が」

 

 冷静そのものの口調で、周瑜はさらに話を続けた。

 

「先ほど私の部下が、兌州から琅邪城に通じる道で曹操軍が動いているという情報を掴んだ」

 

 たった一言で、人民委員会はざわつき始める。曹操が動いているかも知れない……不確定な情報にもかかわらず、広間の空気が張り詰めた。主力が引き揚げたとはいえ、いまだに徐州北部に残存している曹操軍は2万を超える。徐州で万単位での虐殺を行った曹操軍は、今や中華全土で恐怖される存在になっていた。

 

「一度主力を兌州に撤退させた曹操軍が、なぜ今戻ってきたのか。 まぁ、思い当たる節はいくつかあるのだが」

 

 周瑜は最後に横目で賈駆を見やる。その反応を見る限り、どうやら賈駆にとっても初耳だったらしい。不意を付かれた賈駆はとっさに調査中だと返すも、かえって保安委員会には余力が無いという印象を周囲に与えてしまった。

 

 事実、袁術領の治安は悪化の一途を辿っていた。秘密警察の懸命な取り締まりにもかかわらず、暴動や抗議の件数は日に日に増えている。華北の戦争による悪影響が徐々に民衆の生活を圧迫し、その不平不満の矛先が権力者へと向かっているのだ。この隙を、曹操ら他の諸侯が見逃すはずもない――。

 

「まさか……いや、しかし曹操ならやりかねん……」

 

「確かにな。改めて考えると、目の前の事件に気を取られ過ぎていたのかも知れないな」

 

「近頃は物騒な事件が多いですからねぇ。保安委員会には少々、荷が重過ぎましたか」

 

 閻象をはじめ、何人かが不安そうな顔をする。今、こうしている間にも袁家の敵は恐るべき陰謀を企んでいるのかも知れないのだ。 議場が終わりのない疑心暗鬼に包まれる中、諸葛亮だけは周瑜の発言にキナ臭いものを感じていた。「揚州が絡んでいる」という一刀の報告が彼女にそう思わせたのか、あるいは同じ軍師として相手の本能的に裏があると踏んだのか……。

 

「つまり周瑜さんは、先の事件も曹操軍が裏で糸を引いているとおっしゃるのですか?」

 

 努めて冷静に口を開く諸葛亮。

 

「お言葉ですが、今回の事件が、曹操軍の犯行かどうかは不明です。疑わしい諸侯なら劉表さんを始め沢山いますし、他の反体制派かも知れません。奇妙な点がいくつもありまして」

 

「だが、曹操軍の動きと意図は把握できていないのだろう? シロとも言い切れまい」

 

 周瑜の論に数人の人民委員も同調する。今までの経験則からして最も疑わしいのは曹操であり、周瑜は彼女に対する袁家の猜疑心を刺激することで、巧みにこの場の論調を誘導していた。

 

「やはり徐州駐屯軍は強化されるべきだ! 曹操の脅威が迫っている以上、丸腰でいることなど出来ん!」

 

 袁渙が周瑜に賛同して威勢よく吠えると、他にも何人かが続いた。決して彼女の意見に肩を持とうとした訳ではない。しかし曹操の脅威を主張することで、結果的には自身の影響力拡大に繋がるとなれば話は別だ。

 

「他の物的証拠が無い以上、かの曹操が第一容疑者となるのは自然な流れだ。軍が動いているという話もある。今後はそちらにも人員と物資を割くべきだ」

 

 周瑜の発言内容は、どこまでも論理的だった。正面きって相手に道を示すことはない。ただ事実の一部を説き、相手自身に考えさせる。そうなれば最早その考えは周瑜の示した答えではなく、自分の頭で考えた答えとなる――少なくとも相手の頭の中では。

 

 自分で導き出した解答を疑う人間はそう多くはない。ましてやそれが自分にとって都合の良い方向に向かっているならば、出来るなら肯定したいという心理も働く。

 周瑜は解剖でもするかのような正確さで袁渙の心理状態を分析し、彼の望む情報を与えることで望み通りの反応を引き出していた。巧みな話術と感情操作は名軍師の名に恥じぬものであり、それを見抜いた者がいるとすれば同じく才能に恵まれた者か、あるいは――。

 

「……いくつか確認したいんだけど、いい?」

 

 探るような視線で周瑜を見つめながら、劉勲が慎重に尋ねた。鮮緑色と暗緑色の瞳から放たれる視線が交差する。

 

「仮にアナタの話が本当だとして、どうしてそれをアタシたちに?」

 

 言葉を選んでこそいるが、劉勲が周瑜を信用していないことは明らかだった。周瑜もまさか袁家のためを想って、などとタチの悪い冗談は言うまい。孫家と袁家の確執が依然として残っている以上、彼女の発言の意図を推し量る必要があった。

 

「なに、簡単な話だ。対曹操戦ないし揚州の反乱に備えて、我々の軍事力を重用してもらいたい」

 

 周瑜の直接的な要求に、劉勲は一瞬、虚を突かれたような顔になる。

 

「そんなに意外な要求だったか? 我々が再興を望んでいることは、今更隠すこともないだろう。何も雪連を袁術軍総司令官にしろといってる訳ではない。もちろん、ある程度の予算や権限拡大などは認めてもらうつもりだが」

 

 逃げも隠れもしない容疑者というのは、逆に逮捕されにくい。ついでに言えばここ数年の間、孫家は袁家の配下として働き、充分な実績を残している。何か上手い言いがかりを付けられないかと頭を捻る劉勲ら人民委員の内心を見通したように、周瑜は鷹揚に話を続ける。

 

「現状を整理しよう。大運河建設は袁家に大きな利益をもたらすが、それゆえ敵からの格好の標的ともなる。徐州を占領し、劉表ら周辺諸侯を警戒しつつ、その上で精強で知られる曹操軍を牽制しながら、長大な運河を防衛する。ああ、それと豫州でも最近は不穏な動きがあるとか何とか………いずれにせよ、それらの諸問題に今の袁術軍だけで対応できるのか?」

 

 劉勲は舌打ちを堪えた。周瑜の指摘は、袁家の抱える問題を的確に捉えていたからだ。

 大量の歩兵による物量戦を志向する袁術軍は、本質的に機動戦に向いていない。歩兵は粘り強く固定的な陣地戦に強いが、それゆえ移動速度が遅く、複数の戦場を行き来するような内線作戦をとることは難しいとされる。事実、以前に下邳のドサクサに紛れて主力部隊を徐州に介入させた際、突如として動いた劉表軍に対応できなかった。その点、少数精鋭の孫家はこういった流動的な戦場でこそ強みを発揮する。

 

「黄巾の乱以来、孫家は袁家の剣として幾多の戦場を潜り抜けてきた。我らの軍事的有用性は証明済みだと思っている。機動性のある戦略予備として使っても構わないし、曹操軍への備えとしても悪くはないはいずだ」

 

 言葉に詰まる劉勲。周瑜の言う通り、少しでも軍事力が欲しい現状では、孫家は非常に頼もしい存在に思える。例えそれが袁家に劇薬と投じることになろうとも――。

 

(孫家に裏がないとは思えない……とはいえ、それは他の人民委員たちも同じ……)

 

 劉勲はチラリと目を横に向ける。渋面を作りながら腕組みをしている楊弘、顔を真っ赤にして怒れる袁渙、胡散臭そうな顔をしている賈駆、笑顔の仮面で内心を押し隠している張勲……考えてみれば、誰に対しても同じような不安を感じる。どの人民委員も野心と地位、金と権謀術数にものをいわせて己の利益のみを求めている。その中で生き抜くために、自分もずっと同じことをしてきた。

 孫家の伸長を見過ごせば禍となり得る。しかし仮に孫家を押さえつけたとして、代わりに他の人民委員増長すれば、結局は同じことではないのか――。

 

 周瑜の播いた疑心暗鬼の種は、今や蔓のように伸びて人民委員たちの心に絡みついていた。それは劉勲とて例外ではなかった。

 

 ◇

 

 その後も議論百出、結論は得られそうになかった。最終的にはとりあえずの対処として、賈駆の保安委員会による取り締まりの強化と、揚州における諸葛亮らの調査の続行が決定される。

 

 一見すると何の実りもなく閉会したような形となったが、この会議で疑心暗鬼の種がまたひとつ、袁家の中に植えつけられた。それは象が針に刺された程度の小さな傷口に過ぎないが、それが原因となって化膿する確率もゼロではない。炎症を起こした傷口が広がり、それはやがて象を死に至らしめるのかも知れなかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 ――さて、実のところ揚州の名士たちはどうしていたのだろうか?

     

 かねてから揚州は田舎と思われていた節はあったが、今のように袁家の傀儡ではなかった。貧しいながらも自力で立っていた。逆に言えば独立は出来ていたが、辺境での生活はやはり苦しく困窮していたのである。ゆえに袁家から多額の資本投下を打診されたとき、揚州名士は諸手を挙げてこれを歓迎した。袁家資本によって開発と発展が進めば、その前途には無限のフロンティアが広がっているかに見えたからである。

 

 結果は、今日の状況である。袁家にとって揚州は江南を支配するための植民地に過ぎなかった。かつて袁家が両手に金貨を携えて揚州の名士たちを訪ねてきたとき、彼らは、袁家が揚州支配の過程において自分たちの協力を欲しているのだと考えた。それは一方では誤りではなかったが、大きな誤解を含んでいた。袁家が欲していたのは「力」のある同盟者であり、それは臨機応変に変えられるべきものであったのだ。

 

「近頃の袁家の傲慢は目に余る! 恩知らずにもほどがあるというものだ!」

 

 そう嘆いた揚州名士の数は1人や2人ではない。名士たちがその地において大きな力を有する限り、袁家はその協力を必要とする。が、ひとたび彼らが弱体化すれば、用済みとして新たな同盟者を探すのが袁家のやり方だ。袁家との蜜月に胡坐をかいていた彼らが冷徹な袁家の本質を理解した時には、すでに事態は手遅れになっていた。

 

 気付けば実権は地方政府から袁家出資の商館に移っており、これは揚州名士の財布とプライドの両方を傷つけた。彼らに残されたのは歴史や伝統ぐらいのもので、袁家あるいは人民委員会がこういった類を一笑に付しているのは明らかであった。古くなったら捨て、新しいものを買う――ファッション感覚で常に流行と最先端を追い求めるのが袁家のスタイルである。若い女性が季節ごとのトレンドに合わせて新しい服を買うように、古いものには見向きもしないのである。

 

 「古くからある店は常に新しい」とは劉勲の言葉であるが、その革新的で革命的な姿勢こそが、今日まで続く袁家の繁栄を作り上げた。対して旧守的な思考から脱却できない名士たちに出来た抗議といえば、せいぜい同じような人間を集めて愚痴を言う程度のものだった。

 

「余所者が大きな顔をしおって! 揚州は揚州人のものだというのに!」

 

 能力なき者が頼みとするものは、伝統と慣習である。自分が生まれる前から決まっているもの、努力せずとも既に手に入れているものがこの2つだ。血統や民族、宗教に同郷などといったコミュニティとのつながりを失えば、後に残った自分には何も残らぬ……能力なき者がそれに気づいた時、彼らは先の2つに身を委ねる。

 この時代にしても、一人でやっていける能力がある者ほど生まれた土地を離れ、能力が無い者は逆に、独り身で放り出されたら生きてゆけぬから、生まれた土地にしがみつく傾向があった。無論、能力さえあれば何処でも通用するとは限らぬが、何処でも通用する人間は概して能力があるものだ。

 

「――軒先を貸したら母屋を取られた」

 

 揚州名士が袁家との関係を自虐する際に、よく使われるフレーズである。店の一部を別の商人に貸したら、いつの前にか商売上手な相手のほうが繁盛して、もとの店主が店を奪われてしまった、というような意味合いで、要は「乗っ取られた」と言いたいのだろう。

 

 なんとも義憤を誘う話ではあるが、それに比例して虚しさも増大する。「他人に仕事を奪われた」とは奪われた側の一面的な視点であり、視点を変えれば「他人に奪われるような仕事しか出来ていなかった」というような見方も存在する。

 

 広い母屋で商売をしているにもかかわらず、狭苦しい軒先で商売をしているような間借商人に客を奪われるような仕事をしていた、店主の怠慢こそ責められるべきではないか……誰が先駆者であろうと、それに胡坐を欠いていれば衰退するのは分かりきった結果である。自由競争と資本主義的な立場に立脚すれば、業績の高い子会社が赤字を出した本社の経営を乗っ取る事は何ら悪ではない。

 

 

 袁家が無慈悲な商売と怜悧な外交によって、痛みを伴いながら少しづつ己を変化させていた間、長い伝統を誇る揚州名士たちは何をしていたというのか。不平不満を言う権利は万人にあるが、なぜ「袁家が揚州を乗っ取る」前に「揚州が袁家を乗っ取る」ことが出来なかったのだろうか。

 

 いずれにせよ、毎年のように出世競争で顔ぶれの変わる人民委員と同じように、揚州経済はかつてないテンポで変化している。後漢時代を通じて江南の開発と人口移動は大きくなる傾向があったが、袁家の介入でそれが更に促進された結果といえよう。よってGDPは毎年2、3%と驚異的な伸び率で増加しているものの、その何割かは袁家の息がかかった借り物の繁栄である。揚州の発展を支えたのが袁家であるなら、繁栄すればするほど袁家の都合(ルール)が揚州に押し付けられるのは必然であった。

 

 

 無論、必然であるからといって、それに納得できるかどうかは別次元の話である。揚州名士とて人の子だ。聖人君子を目指しているわけでもなければ、素直に繁栄を謳歌している袁家を讃えてやる義理もない。妬み引き摺り下ろすことに力を傾けるのもまた、本人の自由な意志である。

 

「袁家の専横、もはや放置しておけぬ」

 

 全員とまでいかずとも、この時期の揚州名士の間では袁家に対する不満が高まっていた。実害を被っている者はもちろん、仮初の繁栄から取り残された者にとっても南陽の商人たちは鼻持ちならない存在であった。

 

 だが、袁家をよく知る揚州名士たちだけに、正面きって名門袁家と戦うことのリスクもまた十分に承知していた。彼我の実力差からして、どう考えても正攻法の先に勝利はありえない。奇襲か、陽動か、はてまた漁夫の利を狙うか……どちらにせよ、袁家の注意を他に向けさせなければならない。

 

 袁家に不満を持つ名士たちの間でそんな話が交わされる中、一人の女性がふと、思い付いたように口を開く。

 

「そういえば、豫州でも不満が高まっているらしいですねぇ」

   

 南陽から実家に帰ってきたというその女性は、薄い緑髪に小さな丸い眼鏡をかけていた。姓を陸、名を遜、字を伯言という。呉郡の四姓がひとつ、陸家の次期当主――陸遜は極めて自然な口調で呟いた。

 

「特に、豫州牧の孫賁さんは筋金入りの反袁術派だとか」

    

 揚州名士たちの心に、小さな暗い希望の光が見えたのは、決して偶然ではなかった。

   




 この中に1人、人民の敵がいる!

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