真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜 作:ヨシフおじさん
宛城の奥にある最高執務室では、張勲がとある客を待っていた。ややすると部屋のドアが開き、召使が恭しく来客の到来を告げた。相手は保安委員会議長・賈駆である。
「ついさっき、豫州の同志達から知らせがあったわ。前々から監視を続けてた豫州牧のことだけど、そう遠くない内に決起するみたいね」
本心からか、あるいは意図的にか。賈駆の眼鏡が冷たい光を放つ。
袁家中枢部において、豫州牧・孫賁の叛意は、いわば公然の秘密ともいうべきものであった。とはいえ所詮は傀儡に過ぎない孫賁に、それを実行に移す兵と金があるはずもない。内心で何を企もうとも結局は実を伴わない妄想に過ぎず、潜在的反乱分子でありながら放置されていた所以でもあった。
あるいは、更に悪辣な思惑もある。類は友を呼ぶというように、反乱分子の周りには自然と反乱分が集うもの。敢えて孫賁のような者を泳がせておけば、それに吸引されて集った反袁術派をも一網打尽に出来る。
「思ったより釣れたわね。孫賁の取り巻きだけじゃない。潁川太守に梁国、魯国の太守もよ」
報告には冷笑の響きがあった。曹操と袁紹の台頭、華北の戦乱が経済に与える悪影響、徐州の大運河、それらを背景に頻発する暴動とテロ事件……たしかに袁家の足元はぐらつき始めている。それは事実かもしれないが、同時に当の本人たちが一番よく知っている事柄でもあった。であれば、それを好機と捉えた反乱分子が陰謀を張り巡らす、その機先を制してカウンターをかけることも不可能ではない。
「ほんと単純。ボクが暴動と徐州の件に忙殺されているって噂を流しただけで、すぐに反乱分子が群がってきたわ。どんなにコソコソ隠れたって無駄なのに」
保安委員会の処理能力は飽和状態に達している――その事実を逆手にとって賈駆は罠をかけたのだ。誰が敵か分からない状態では手の打ちようがないが、孫賁というエサにつられて集まってくれば、まとめて粛清することも可能になる。かつて洛陽で生き馬の目を抜くような権力闘争を生き抜いた彼女にとって、その程度は動作もないことであった。
「さすがは賈駆さん。保安委員会の権限を増やした甲斐がありました。お疲れ様です」
報告を聞き終えた張勲は頷き、賈駆と保安委員会の労をねぎらう。
「孫豫州牧はこの後、どうすると思います? 賈駆さん」
顔に仄暗い笑みを浮かべ、張勲は問いを投げた。
「これはボクの推測だけど、曹操か劉表あたりとの連携を図ると思う。本人とその取り巻きだけじゃ、出来ることもたかが知れているし」
「あら、それは困りましたねぇ」
張勲は唇を曲げてそう言うも、表情は正反対の相を示していた。その人を食っているような、あるいは相手を煙に巻いて楽しんでいるような態度は、彼女の同僚にも通ずるものがあった。しかし他者を弄ぶこと自体を愉しんでいる劉勲と違って、張勲にそのような傾向はない。柔らかな物腰とは裏腹に、人々を遥か高みから淡々と見つめているような、そんな底知れぬ不可解さがある。
賈駆が粛清の要非を問うと、いつもの微笑を潜め、少しだけ真面目な表情を取り繕った。
「そうですね……今すぐ手出したら取り零しがあるかもですし、粛清後の台本もまだ用意できていません。私が直接、劉勲さんか外務人民委員の閻象さんに会って、反体制派を一掃した後の豫州をどうするかを聞いてきますね」
何を悠長な、と賈駆は思ったが賢明にも口に出すことはなかった。さりげない発言ひとつが命取りになるのが袁家である。そうやって失脚した同僚を何人も見てきたし、彼女自身、政敵の発言の揚げ足を取ることで自らの立場を守ってきた。余計な勘繰りをされないよう、最小限の言葉で返す。
「……それで、ボクは何をすれば?」
「賈駆さんにはもう一度、豫州に潜む潜在的反乱分子の一覧表を作成してもらいます。それと、引き続き反乱分子の監視を怠らないこと。ただし当面は油断を装って、もう少し詳しい情報を集めて下さい。出来ますよね?」
淡々と告げられた張勲の命令に、賈駆は即答しなかった。いつもなら賈駆が頷いて話は終わりであり、そのまま退出して、与えられた任務に全力を尽くしただろう。
しかしこの時、彼女の心には小さな焦りがあった。
賈駆は自分自身を、評判ほど公平無私ではないと分析している。前回の人民委員会議で袁渙らに批判されていたこともあって、早い結果を欲していた。結果が出なければ彼女自身の政治生命はもちろん、賈駆と共に袁術に下った旧董卓軍系の同胞たちの立場も危うくなるからだ。華雄や張繍を筆頭とした旧董卓軍の一部は洛陽脱出時に袁術軍に投降しており、その大多数が穢れ仕事を担う保安委員会に回されていた。もし賈駆が失脚すれば、彼らも芋づる式に粛清されるであろうことは明白だった。
「そのことなんだけど……」
念のために即応部隊を準備したらどうか、賈駆はそうした内容の言を、本音を悟られないよう慎重に問いかける。
「万が一相手に先を越された時のことも考えて、有能な隊員を選抜して州境に展開させた方がいいと思う。もし許可がもらえるなら、すぐにでも張繍に命じて事に当たらせるわ」
張繍――旧董卓軍の出身で、反董卓連合戦以降は華雄と共に軍を率いて袁術に降伏した将軍の一人。数少ない女性の政府高官でもあり、賈駆ですら躊躇するような弾圧を実行したこともある。そして今は、領内監視を任務とする保安委員会第2総局の局長として、反乱分子の摘発や軍の監視に心血を注いでいる人物でもあった。
賈駆の真の目的は、反乱に備えるという建前で、彼女ら旧董卓軍出身者に独自の軍事力を持たせることにある。一応の筋は通っているし、自前の戦闘部隊が持てれば容易に粛清されることもなくなる。
対して、張勲は即答しなかった。ややあって形のいい唇が緩いカーブを描いたのを見て、賈駆は己の軽挙を後悔した。
「あらあら、賈駆さんらしくもない勘違いですねぇ。その万が一を起こさないようにするのが、貴女の仕事なんじゃないですか」
張勲の視線は冷たく、声には揶揄の響きがあった。口調も表情も変わっていないはずなのに、彼女を取り巻く雰囲気だけが変化している。少なくとも賈駆にはそう感じられた。
「それに、万が一も何も、豫州は主権を持ったひとつの自治体です。警告ぐらいなら出せますけど、そこから先は外務委員会の管轄です。きちんと話を通しておかないと、越権された閻象さん達が怒っちゃいますよ?」
賈駆は口を閉ざした。もし張勲の言葉を額面通りに受け取れば、彼女は単に外交的儀礼を重んじているだけとなるが、本音は違うところにあるのだろう。袁家はとりたてて形式的という訳ではなかったが、全てにおいて事の本質を優先するという訳でもない。要はその時々に応じて便利な方を使い分けているのであって、そこが2枚舌と叩かれる所以でもある。柔軟性があるといえば聞こえは良いが、上に立つ者にとってまことに都合のいい慣習でもあった。
「……張勲がそう言うなら」
結局、賈駆はその場を凌ぐために無為な部下役に徹することにした。反論することもできたが、それ以上は語るべきでないと理性と直感の双方が告げている。
後でじっくり考えよう、それが彼女の出した結論だった。同時にそんな結論に至った自分の消極性を客観視して、賈駆は内心で苦笑を禁じえない。これでは前例・事なかれ主義のはびこる、袁家の組織風土を笑えないではないか。朱に交われば赤くなるという諺があるが、いよいよ自分も彼らと似てきた。袁家という名の病気に感染したのかもしれぬ。
首を振りながら、賈駆は執務室に背を向けた。
その後ろ姿を、張勲はやはり表情を崩さずに眺めていた。
◇◆◇
名門袁家の保有する財力、兵力、権力を統合すれば、間違いなく中華で並ぶ者のない巨大勢力になるであろう。その総資産は皇帝をも上回り、常備兵力は10万を超え、4世にわたって3公を輩出したことから宮廷にも強いコネクションを持つ。
これは単一勢力としては比類なきものだが、だからといって袁家に敵がいないことを意味しない。曹操ら他の諸侯、劉備らのような信用できない同盟相手、孫家ら領内の不穏分子……むしろ袁家が栄え強大であればあるほど、敵もそれに比例して増えるかのようであった。恐らくすべての敵対勢力が連合すれば、軍事的にも経済的にも袁家と人民委員会を上回るであろう。
しかし今日まで、それぞれの思惑の不一致と袁家の外交努力によって、袁家に敵対する諸勢力が団結したことはない。非友好的な勢力を近視眼的な対立によって分裂させ、徹底した相対的優越によって確固撃破するのである。
これに大きな貢献を果たしたのが劉勲と外務人民委員会であることは広く知られているが、彼女らは別段に奇抜な策略や陰謀を駆使した訳ではない。そもそも個人の能力においては曹操や田豊、劉表といった他の諸侯の方が秀でていたぐらいである。
だが史実をひも解いてみると、彼らは優れて有能で合理的な選択が出来るがゆえに袁家の外交術策に嵌ったといってもよい。一例をあげるなら、中途半端に終わった曹操と劉表の同盟計画があげられる。
徐州の戦いの後、強大化した袁家を警戒した曹操と劉表は、互いに相手との同盟の可能性を探っていた。これが成れば、袁家を南北で挟み撃ちする形となる。『袁家の打倒』を目的とした場合、
だが、曹操と劉表は共に思慮深い政治家であり、互いに「自分の裏をかこうとしているのではないか」との警戒を怠ることはなかった。そこから考えられる可能性は2通りある。
①もし相手が同盟を破って袁家とこっそり通じていた場合、自分だけが袁家と敵対すれば背後の安全を確保した袁家との全面戦争に陥って大損害を被るであろう。となれば自分も袁家と結び、多少の譲歩で済ませた方が得である。
②もし相手が同盟を守って袁家と戦争になった場合、自分も袁家と敵対すれば戦争に巻き込まれる。しかし袁家と結べば、国力を温存したまま、疲弊した両者から漁夫の利を引き出すことが出来る。
つまり相手の出方にかかわらず、袁家との同盟は
ところが、最近では団結とまでいかずとも、無言の共通認識のようなもので反袁家勢力が連動しているかの如き動きを見せている。『 闇を覗くものはまた、闇からも覗かれている 』といった格言があるが、反袁家勢力が合理的な選択として分裂を志向するように、袁家もその内側から分裂する危険性をはらんでいた。
順調に覇権の道を歩んだ結果として、今や袁術と人民委員会の影響力が及ぶ範囲は南陽郡から北は豫州、東は徐州、南は揚州まで拡大していた。しばしば素早い侵攻が補給切れを引き起こすように、統治領域の急激な拡大は袁家の行政機構に大きな負担をもたらしていた。単純に人員が足りないという問題もあるし、組織が巨大化すれば調整もそれだけ大変になる。
もとより袁家は袁術を頂点としたピラミッド状の組織ではなく、間接統治に各種の同盟関係、出資契約や婚姻関係と、クモの巣のように複雑な利害関係が絡んだ緩やかな連合といった体をなしている。これに出世競争やお家騒動に関連する面倒な裏事情も絡んでくるのだから、高位の人民委員ですら組織の全貌は把握しきれていないのだ。
目標なき拡大とでも言うべきか。それはあたかも複数の頭を持つ伝説上の怪物が、共食いと再生を繰り返しながら成長し続けているようであった。
ゆえに末端まで注意が行くはずもなく、袁家に敵対するものにとっては実に動きやすい環境にある。他州のスパイがウジ虫のように領土中にはびこり、テロと暴動件数はうなぎ登り。これを抑えるための軍需拡大も増税を招くから、一般人の不満も高まって潜在的な反体制派が更に醸成される。混乱は収まるどころかさらに酷くなる一方だった。
中でも徐州と揚州をつなぐ大運河は大きな焦点だったが、状況は困難を極めている。格好の標的と判断した敵対勢力が盛んに攻撃を繰り返しており、あちこちで小競り合いが起こるも、一向に解決策が見つからないまま工事が何週間も遅れているのだ。
そうした袁家体制の綻びは、徐々に至る所で見受けられるようになってきた。それを最初に察知したのは袁家中枢というより、むしろ末端に所属する人間である。所詮は末端と捨て置かれる分、むしろ下手に覆い隠したり行き当たりばったりの対処療法で視界が曇らないのかもしれぬ。
徐州の特使として揚州に派遣されていた北郷一刀もまた、そうした時勢の変化にいち早く気付いた人間の一人であった。
◇
一刀ら徐州使節団が訪れた揚州の州都・曲阿は、建業(現在の南京)からやや東の長江南岸にある。気候は温暖湿潤であり、冬でもそれほど冷えることは無い。徐州の特使としてこの街にやってきた一刀は、曲阿市内にある揚州行政府に立ち寄っていた。さっそく窓口で受付を済ませ、2階にある州牧の応接室に入る。
「失礼します」
そこは天井の高い木張りの部屋で、窓からはにぎやかな曲阿の街並みを一望できる。部屋の中央には丸いテーブルが置かれ、周囲に椅子が3つ置かれていた。
「北郷一刀だな? そこに座れ、袁家から用件は聞いている」
一刀の姿を認めると、部屋の窓際に座る大柄な男がぞんざいに言い放つ。齢は40ぐらいか。短く刈り込んだ髪と立派な頬髭が特徴的で、一目で有力者だと分かる出で立ちをしている。
「揚州牧・劉繇だ。さて、聞きたいのは運河の進捗状況のことか?」
「はい。こちらが徐州牧・劉玄徳様ならびに南陽軍太守・袁公路様からの、依頼状になります」
袁家の印が押された封筒を恭しく差し出す一刀を、劉繇はつまらなそうに見る。封筒の中身には、最近の運河襲撃事件に対する捜査協力の依頼が書かれており、丁寧に人民委員会の承認を得たものであるとの証明書まで付けられていた。
「知っていると思うが、こちらで分かっている情報は全て開示してある。その上で更に何を求める?」
「ここ最近の運河襲撃事件のことはご存じでしょうか? 残念ながら、その犯人は未だに捕まっておりません。我々はそれを突き止めるべく、捜査に参りました」
「捜査」
そうオウム返しに言って、劉繇はふんと鼻を鳴らす。あまり友好的な声音ではない。名目上は捜査協力の依頼となっているが、実質的には袁家からの命令に近い。一州の長を自認する劉繇からすれば面白いはずもないのだが、揚州に対する最大の出資者が袁家である以上、渋々ながらも従っていたのだ―――つい、この前までは。
「そちらには何度も伝えたはずだが、揚州の警察権はそれぞれの郡を統べる太守にある。安心なされよ、犯人は必ず我々が突き止める」
「存じております。しかし難航している捜査の助けになればと思い、我々も……」
「私の言葉が聞こえなかったのか? 揚州はひとつの州であり、また郡同士は対等である。袁南陽郡太守が同意なしに我々の管轄に踏み込めば、越権行為と見なす」
南陽郡太守、という袁術の正式な役職を強調しつつ、ぴしゃりと突き放すように劉繇は言う。理屈としては間違っていないが、名門袁家の要求を堂々と撥ねつけているに等しい。前々から揚州は袁術の傀儡だという評判を聞いていただけに、一刀は拍子抜けした気分だった。
「失礼ですが……大運河は袁家と徐州、そして貴方がた揚州の有力者達の共同出資によって作られているはず。何か問題が生じれば、共同で対処に当たるのが筋では?」
なぜ自分は袁家の肩を持つような発言をしているのだろう。今しがた自分でした発言に、一刀は小さな驚きを覚えていた。自分が袁家を嫌っていることを一刀は強く自覚していたが、同時に袁家の存在を除外して政治や社会問題を考えたことがないのもまた事実であった。
袁家は強大である。それゆえに意識せざるを得ない。山脈や大河のようなものだ。好むと好まざるに関係なく、そこにあるのだから仕方がない。誰もが常にそこにある巨大なものとして、袁家の存在を肯定している……あるいは、それこそが袁家の力の源泉なのかも知れなかった。
「共同対処、か」
面白がるような劉繇の反応だった。
「もしそう考えるならば、袁家は1人の州牧と1つの州に対し、然るべき礼と敬意をもって接するべきであろう。なぜ一つの州を統べる州牧が、一太守ごときに命令されねばならん?」
「それは………」
「そうした事がいかんというわけでない。たしかに袁家は大きい。力のある者が他者の上に立つのは世の理だ。しかし、それが袁家でなければならんという決まりもない」
かつて袁家は揚州に存在しなかった。中華の長い歴史においてはむしろ新参者とさえいえる。袁家が存在しなくとも、中華の歴史は袁家抜きで紡がれるだけだろう。
「長く権力の座についていると、この世の果てまで見通せるかのような気分になる。だがな、変化とは初めから目に見える形で現れるものではない。知らず知らずの内にそれに感染し、食事の時にそれを味わい、歩くときにそれを吐く」
言葉に詰まる一刀をよそに、劉繇は窓からじっと曲阿の街並みを見つめる。話すことはこれで終わりだと、その後ろ姿が告げていた。
「私が話せる事はここまでだ。今日の所はこれでお引き取り願おうか」
劉繇は立ち上がり、徐州からの特使を丁重に送り出す。一刀が扉から出ていく瞬間、その目に不審の色がありありと残っているのを確認したが、劉繇は何事もなかったように扉を閉じる。
「――……よかったのかね?」
一刀が退室すると、隣の部屋から4人の男が入って来た。会稽太守・王朗、豫章太守・華歆、丹楊太守・周昕、九江都尉・陸駿――いずれも名の知れた揚州の有力者たちだ。4人は挨拶もそこそこに、劉繇に詰め寄る。先ほどの会話内容を、ある程度は聞いていたのだろう。申し合わせたかのような、疑念の混じりの薄暗い表情だった。
「よかったのか、とは?」
「彼を帰したことだ。本人はともかく、随伴者の中には間違いなく袁家の密偵が含まれている。袁家に悟られないよう、まとめて殺すか監禁した方が……」
不満げに口を開いた華歆を、劉繇は手で制する。
「そちらの方が逆効果だ。このところ袁家では強硬派が勢いづいている。いま問題を起こせば、彼らに介入の口実を与えるだけだ」
「一理あるのぉ。未だ戦の傷が癒えぬとはいえ、徐州が袁家の側につけば厄介な事になりかねん。徐州を気にしなくて済むようになるだけで、袁家にはいくつもの選択肢が増える。今しばらくは無難に事を進めるべきじゃろうな」
2人のやりとりを傍で聞いていた王朗が頷く。山羊髭の小柄な老人で、任地の会稽を順当に発展させてきた有能な人物だ。その隣では周昕が真面目に相槌を打ち、ときおり神経質そうに薄くなった髪を撫でつけている。
「違う違う、そうではない! 私が気にかけているのは劉揚州牧、貴方のことだ」
最後の一人、陸駿はぽっちゃりとした中年男だ。陸遜の実の父親で、王朗らの発言を受けてむっとしたように顔をしかめている。
「本当に、袁術と手を組むつもりはないのですな?」
「何度も言ったはずだ。どうやら私のことを親袁術派だと勘違いしているようだが、今までの袁家追従政策はそれに利があったからこそ。揚州名士の貴公らの不興を買ってまで手を組もうとは思わん」
もともと揚州は中央から遠いゆえに地元豪族の力が強い土地柄だ。長江を超えれば漢帝国の威光などあってないようなもので、地元の有力者や山賊が跋扈する未開の地であったといえる。劉繇自信も州牧という地位に就いていながら、その実権は「有力な豪族」程度でしかなった。地元の有力者たちの不興を買ってしまえば、たちまち政治の表舞台から退場させられる。
「必要な時がくれば、私は必要な手を打つ。今はその時でないと判断したまでだ」
「……分かりました。 ですが、先ほどの言葉もお忘れなきよう」
陸駿が釘を刺すように言うと、劉繇はフンと鼻を鳴らした。
「忘れるものか。呉の四姓――顧・陸・朱・張――の全てが結束し、かつその背後に盧江の名門・周家がいるとなれば、無視できるはずもない」
劉繇は冷たく笑って窓際から離れると、重厚な作りの椅子に腰かける。
自分は別段、袁家の滅亡を望んでいるわけではない。ただ、地元の有力者から暗殺されるリスクを負ってまで袁家に尽くす忠誠心がないだけだ。利があるから袁家に従う。それが無くなれば離れるのは当然であり、また必然でもあった。
張勲「劉勲さん? いえ、知らない子ですね」