真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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06話:想いの行きつく先は

                   

 

 劉表は若いころは儒学者であり、文化人として知られていた。

 

 他の主な同門達と共に『八顧』と呼ばれたこともある。それは州牧となった後も変わらず、文化を愛し、多くの学者や文化人を招きいれていた。また、平和主義者としても知られ、対外的には中立を貫いて専守防衛に努めていた。

 

 中には彼のことを凡庸で優柔不断、平和ボケした事なかれ主義者という者もいる。だが、それは全くの誤りといえよう。 

 

 劉表は決して凡庸な人物ではない。むしろ今の中華において、彼に匹敵する策略家は存在しないと言っても過言ではない。自身に対する負の評価すら、彼の思惑通りだった。

 有能であれば、他者から必要以上の警戒を受けかねない。だが凡庸であれば自然と相手も気を緩める。警戒は疎かになり、劉表への対応は後回しにされる。結果、劉表は行動のフリーハンドを得ることができるのだ。内通に流言、暗殺や情報収集といった裏方の諜報活動には理想的な環境と言えよう。

 

 荊州牧になったのも、洛陽から離れた僻地に移ることで身の安全を図ったのが真の理由だった。

 平和主義や専守防衛も、結局のところ相手に、開戦の口実を与えないための手段以外の何物でもない。

 対外的に中立を保つ、というのは何もせずとも、ある一方の勢力から攻撃を受けた時、パワーバランスの関係上、別の対抗勢力からの支援を期待できるといったメリットもある。また、荊州内部では豪族の影響力が強いため、どこかに肩入れするよりも中立を保っていた方が家臣の反発を招きにくい、という理由も存在していた。

 

 自身を無害な存在だと思わせ、外交や策略を駆使して諸侯同志を争わせて、漁夫の利を得る。それこそが劉表の真の姿である。自らは手を汚さずに安全な荊州から中華をコントロールするのだ。

 

 

 

 ただ、彼が他の諸侯と違う点を挙げるとすれば、それは野心が全くと言っていいほど無いという事だろう。多くの諸侯や政治家が天下を狙う動きを見せる中、劉表の態度はある意味、異質なものだった。ゆえに彼をよく知らない者からすれば、風評や体面を気にせず、ただ領土の保全のみを図る劉表の姿は理解しがたいものであり、不気味ですらあっただろう。

 

 

 

 劉表は幼い頃から優秀な子供だった。故郷では神童としてもてはやされ、またその穏やかな人柄から多くの知人に尊敬されていた。その半生は順風万帆であり、やがて儒学者として大成し、中央の政治にも関わるようになった。周囲の期待に応え、その才能を遺憾なく発揮した。

 『彼ならこの斜陽の帝国を復興させられるかも知れない』、そんな期待が劉表に懸けられるのも無理のない話であった。劉表自身もまた、それに応えようと一層職務に励んだ。

 

 ――ある事件が起こるまでは。

 

 

 党錮の禁。

 後漢末期に起きた、宦官勢力に批判的な清流派士大夫を、宦官が一斉に弾圧した事件である。勢力を強めた宦官による汚職の蔓延に対し、一部の清流派士大夫が批判を行い、結果としてその多くが禁錮刑に処されたのだ。劉表もまた、清流派士大夫の代表人物の一人として罪に問われ、逃亡生活を余儀なくされた。

 

 

 

 党錮の禁の終了後、劉表はようやく晴れて政治の舞台に帰還した。州牧に任命された劉表のことを清流派の新たな指導者として期待する者もいた。

 だが、一度全てを失いかけた彼には、もはや以前の夢は残っていなかった。

 

 

 州牧。一介の人間が得た地位としては、十分過ぎる地位ではないだろうか。

 かつての自分は漢帝国の復興という壮大な夢を見た。だがその結果はどうだろうか?

 家族や知人を危険にさらし、名誉を、地位を、友を失うという散々なものだった。辛うじて彼自身は助かったものの、所詮は運が良かっただけである。

 

 それに引き換え、失ったものはあまりに大きかった。

 身の丈を超えた高望みは、いずれ身を滅ぼす。

 であれば、必要以上の高望みをする理由などどこにもない。

 

 天下の平穏のため、皇帝陛下のため、民のため。それぞれの夢を追って、たくさんの血を流し、取れるかどうかも分からぬ天下を目指す。

 多くの諸侯や宦官、士大夫がその誘惑に駆られて無残に散ってゆく。そのなんと空しいことか。そのようなことに果たして大きな意味があるのだろうか?否、断じて否。意味などありはしない。

 

 

 政治の中央に深く関わっていた劉表には分かっていた。いずれ、漢帝国はそう遠くないうちに滅びるだろう。

 だが、それに巻き込まれるわけにはいかない。自分は多くのものを失ったが、全てを失ったわけではない。

 

 まだ、自分には守るべきものが残っている。

 

 自分に期待してくれる民がいる。自分を頼ってくれる友がいる。自分を育て上げてくれた、中華の偉大なる文化はまだ残っている。

 それらを取りこぼすわけにはいかない。例え卑怯者と罵られようとも、構わない。どんな手を使ってでも守ってみせる。もう二度と、この手に掴んだものを失うわけにはいかないのだ。

 だからこそ――

 

 

 

「天下を望まず、荊州の保全のみを図る。」

 

 

 

 ――それが、劉表の出した結論だった。

 

 

「……私には、守ると決めたものがあるんだ。それだけは絶対に守ってみせる――荊州以外の全ての大地が、罪無き者の血で赤く染まろうとも」

 

 襄陽の宮殿から遠く、新野で行われている戦いも、まもなく決着が付く。その方角を見つめながら劉表は一人、誰にともなく呟いた。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 夜、袁術軍補給拠点。

 

 袁術軍の補給拠点は交通の便を考えて街道近くの村に併設されている。防御には若干難のある場所だが、袁術軍は大軍を維持するため、迅速に大量の物資を輸送することを優先。そもそも補給拠点を攻撃するだけの兵力は劉表軍には残っていないのだから、そこは割り切っても問題無いのだろう。

 

 むしろ大軍を投入すればするほど、劉表軍が奇襲できるチャンスは減る。下手に軍を分散してしまえば、袁術軍が全面侵攻した時に抑えられなくなるからだ。

 味方が裏切った場合などは話が別だが、裏切り対策などする軍の方が珍しい。

 

 

 

 孫堅が見たところ、巡回している護衛の兵士はそう多くない。暗闇のせいで正確な数は不明だが、松明の数からして恐らくこちらの部隊より少ない。ここで孫堅が攻撃命令を出せば、瞬く間に彼女の軍は補給拠点を制圧できるだろう。孫呉の未来はもう目の前だ。

 

 にもかかわらず、その拠点が目に映った時、孫堅が感じたのは安堵でも歓喜でも無く、何とも言えない違和感だった。

 

(おかしい。なんだ、この漠然とした不安は?)

 

 言いようのない不安感が込み上げてくる。

 それは長年、戦場という生死の狭間で生きてきた者だけが分かる、一種の生存本能のようなものだった。

 

 だが、それを表に出すわけにはいかない。不安を始めとする指揮官の負の感情を、部下は意外と敏感に感じ取るもの。孫堅が迷いを見せれば、せっかくの勢いを失ってしまう。

 

(どうする?攻撃するか、否か?)

 

 慎重に周囲を観察しつつ、孫堅は考える。

 これは何かの罠だろうか?

 だが、彼女はすぐにその可能性を否定する。こちらの計画は陳紀に漏れていないはず。現時点で計画の全貌を知っている者は、発案者である劉表とそれを伝えにきた黄祖、自分と祭の4人だけだ。

 

 進軍も隠密性を重視して、できるだけ人目につかないような場所を移動してきた。

 しかも先ほど戻ってきた斥候の話では、陳紀の軍は劉表軍に奇襲を受けて壊滅寸前だという。仮に気づいたとして、現場を離れるわけにもいかないだろう。

 

 別の人間を送る可能性はあるものの、その場合は返り討ちにしてやればいいのだ。孫堅の知る限り、今回の出兵に参加した袁術軍の主な指揮官のうち、脅威になりそうなのは陳紀だけだった。

 数にものを言わせればその限りではないが、劉表軍と交戦中である以上、そこまで大部隊を送ることもできないはず。

 

 

 劉表が自分を嵌めたという可能性もあるが、そんな余剰兵力は彼には残っていない。というか、そんな兵力があればわざわざ内通などせずに、正面から戦った方が確実だろう。

 

 

 何度か思考を凝らしてみるが、特に問題になりそうな要素は見当たらない。自分の立てた計画に穴など無いはずだ。

 

(迷ってばかりいても、埒が明かないか……)

 

 結局、孫堅は攻撃命令を出すことにした。

 このままダラダラと考えていても、それは単なる時間の浪費にしかならない。襲撃をするなら早いうちにするのが上策だ。時間がたてばそれだけ相手に気づかれる可能性も高くなる。

 それに、明確な根拠も無いまま作戦を中止することもできない。ならば、当初の予定通りに動くまでだ。

 

 

 孫堅は覚悟を決め、兵士たちに向かって腕を高く掲げた。

 兵士達は孫堅の合図に従い、ゆっくりと、だが確実に補給拠点に近づいてゆく。

 

(頼むぞ、みんな……!)

 

 かくして、孫呉の主は牙を剝く。この瞬間、孫堅は一世一代の大博打を打ったのだ。

 

 

 だがしかし――彼女達は気づけなかった。

 闇の中から、彼女達をずっと監視していた別の者たちがいたことに。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「……守備隊には連絡したか?」

 

 孫堅が決断を下したとき、陳紀もまた決断を下していた。

 休まずに走り続けて来た甲斐あって、孫堅よりも先にここへたどり着くことができた。現在、彼とその軍勢は補給拠点からやや離れた場所にある森に隠れている。

 

「はい。出来るだけ普段通りを装うようにと伝えました。」

 

「よろしい。では、合図を待て。守備隊からの合図を受け次第、突撃を開始する。」

 

 そう言うと、視線を再び孫堅軍に戻す。これが名誉挽回の最後の機会だ。袁家の未来のためにも、何としても成功させなければならない。孫堅軍を見つめるその表情は真剣そのものだった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 あと少し、補給拠点はもう目の前だ。

 そこで孫堅は、一度後ろを振り返る。兵士達がついてくるのを確認し、鞘から名刀、南海覇王を抜く。

 

 孫堅が今まさに攻撃せんとしたその瞬間―――耳を劈くような轟音が響いた。

 

 補給拠点の方を見ると、松明が一斉に灯り、警備兵が一斉に銅鑼を叩いている。それが合図だったのか、建物の影や櫓から弓を持った兵士が姿を現す。

 

 

「うおおおおおおおおぉぉぉぉ!!!」

 

 今度は別の方角から、新たな雄たけびが響き渡った。見れば、陳紀に率いられた親衛隊と騎馬隊が、脇目も振らずに全力で駆けてくる。やや遅れて現れた歩兵も合わせると、袁術軍の増援は4500ほど。補給拠点の守備隊と合わせれば、実に3倍もの兵が孫堅軍に襲いかかったのだ。

 

 

 

「陳紀……どうやってここに!?」

 

 驚愕のあまり、孫堅の目が大きく見開かれる。

 ――ありえない。

 一瞬、そんな言葉が脳裏をよぎる。だが、目の前にあるのは紛れも無い袁術軍司令官、陳紀の姿だった。

 

(まさか、移動中に見つかった?……いや、その場合は仮に見つかったとしても、補給拠点に来るまでもう少し時間がかかるはず。それに、劉表軍と交戦中のはず……。)

 

 そう、いくら陳紀が孫堅の裏切りを発見したとしても、この場には来れない理由がある。

 既に袁術軍は劉表軍と交戦しているのだ。仮に交戦中に指揮官が抜け出せば、指揮官を失い、戦場に残された軍の方は崩壊してしまう。

 

 だが、現実には陳紀はこの場にいる。劉表軍が負けた、ということは無いだろう。もしそうなら、もっと大部隊を連れてくるに違いない。であれば、袁術軍主力部隊を支えられる人間が別にいることになる。

 

 つまり、それが意味することは――

 

 

(……そうか、そういう事(・ ・ ・ ・ ・)だったのか。)

 

 

 ふっ、と場違いな笑みが漏れる。

 なるほど、道理で分からぬわけだ。気づけぬわけだ。そう、自分の立てた計画に穴など無い。ただ、 前提(・ ・)が間違っていたのだ 。

 

 劉表は最初から、自分と組むつもりなど無かった。陳紀でも無い。その両方を消したがってる連中と組んだのだ。劉表は、この機に乗じて袁家の実権を掠め取ろうとしている、金の亡者達と組んだのだ。

 

 

「奴が本当に手を組んだ相手が、袁家に群がる拝金主義者共だったとはな……」

 

 陳紀も、そして彼をうまく欺いた気になっていた自分も。結局のところ最初から最後まで、劉表の掌で踊っていた道化に過ぎなかったのだ。

 

 

「武人の端くれとして、貴様のやり口は気に食わん。だが……見事だ。」

 

 ははは、と孫堅の口から乾いた笑い声が出る。

 流石は劉表、伊達に州牧をやっている訳では無いらしい。完全に一杯喰わされた。最後まで、気づくことが出来なかった。

 

 

「この私を、孫文台を………謀ったな、劉表ぉおおおおおおッ!」

 

 戦場の喧噪の中、孫堅の絶叫が空しく響く。

 

        




 前半は劉表のお話。 

 個人的には劉表ってどこか毛利元就を思わせる人物です。マイナーだけどチートな孫呉や曹魏の面々を何度も撃退し、豪族の力が強くて不安定な荊州を発展させた優秀な人間だと思っています。しかも、クセの強い劉備と愉快な仲間たちを7年間もうまく制御してますから。
 チキンとか言われるけど、良くも悪くも自分の限界を知って高望みしない人物だったのだと思います。

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