真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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88話:殺意の矛先

                      

 張纏は部下と共に、街の外れにある雑木林にいた。摘発した反政府グループは女子供を含む30名ほどで、全員が縄で後ろ手に縛られ、膝をついた状態で目隠しをされている。この状態から逃げ出すには一度体勢を崩してから立ち直さなければならず、警備兵たちが弩を構えている現状での脱走は絶望的だった。

 

「へぇ、思ったより使えるじゃん」

 

 感心したような声で、張纏は一人の男を見つめる。齢は30代ほどで、どこにでもいそうな風貌。しかし彼もまた、この反政府組織の一員だった。――つい先週までは。

 

「つーか、仲間売るってどんな気分なわけ? やっぱ後ろめたい? それとも逆に、嫌な連中がまとめ消えて清々すんの?」

 

 張纏がくりくりとした大きな目で覗き込むと、男は俯いて目を逸らす。これから何が始まるかは、子供でも分かる。かつての同胞を裏切ったとはいえ、いや裏切ったからこそ罪悪感に耐えかねたのだろう。張纏は「理解できない」といった様子で肩をすくめると、近くにいた兵士に現金を渡すように指示する。

 

「はい、お礼の懸賞金。あ、それの使い道は自由だから」

 

 男は無言で金を受け取り、逃げるように去っていった。張纏はしばらくそれを見つめた後、捕えられた反乱分子の一人に声をかる。

 

「残念だったね。押し入れにあった反乱計画は読ませてもらったけど、もし成功すればいい感じに袁家は打撃を受けてたんじゃない? ――もっと人を見る目があれば」

 

 つーか自分から仲間売るとかマジありえないよねー、と張纏は続けるも、話しかけられた相手は答えない。しかし小刻みに体が震えていることから、内心では怒りに打ち震えていることが分かる。

 

「憎い? 殺したい? うんうん、分かる分かる。正直ジブンも殺したいんだよね、あーいう人間は」

 

 しかし、それは禁じられている――保安委員会議長・賈駆の方針に反するからだ。

 

 密告制度と秘密警察の体系化によって保安委員会を中華随一の抑圧・弾圧機関へと成長させた賈駆だが、彼女は密告を制度として定着させるために、「非公式情報提供者の素性と身柄の安全を保障する」という原則を徹底するよう命じていた。

 それまでも密告は行われていたのだが、お世辞にも密告者への対偶は良いとはいえなかった。警察関係者の間でも密告は卑劣で下種な行いだと考えられ、散々使い潰した挙句、用がなくなれば切り捨てるという、いわば捨て駒同然の扱いを受けていたのだ。

 

 しかし賈駆は情報こそが秘密警察が持つ最大の強みだと認識しており、その情報網の維持管理には密告が不可欠だと考え、彼らの信頼関係の構築に努めた。密告者を厚遇するという新姿勢には反発も多かったものの、それに対して賈駆はこう言い放ったという。

 

「――情報に貴賤なし。あるは有益無益のみ」

 

 こうして袁術領では「密告しても安全と秘密は守られる」という意識が、ゆっくりではあるが確実に人々の中に浸透してゆく。それに伴って非公式協力者も増え、その数は5万人とも10万人ともいわれる。こうして保安委員会は名実ともに恐怖の象徴となり、江南に中華最大の監視社会が誕生したのであった。

 

 

「――貴様ら、自分のやっている事が恥ずかしくないのか!?」

 

 反乱分子の一人が、怒りに震えながら口を開く。

 

「歪んだ社会に、腐りきった体制……そんなものを守るために、無実の人々が何百何千と殺されている! どう考えてもおかしいだろ!?」

 

 だが、張纏はむしろ面白い冗談を聞いたかのように笑顔になった。

 

「わぁお、熱いねー。骨のある男って、嫌いじゃないよ。ひょっとして民主主義者?」

 

 民主主義――それは以前から徐州で蔓延している、危険思想の総称である。徐州政府高官の一人、北郷一刀が広めたとされ、徐州牧・劉備もその思想に共鳴しているという。

 

 曰く、人間は生まれながらにして皆が平等で自由である。

 曰く、支配の権威は本来、民衆が有するものである。

 曰く、人間は誰もが平和で幸福に暮らせる権利を有する。

 

「少数の特権階級のために、多数の人間を奴隷にされて言いわけが無い! 人々の権利を平気で踏みにじるような連中に、支配者の資格があるものか!」

 

「ふぅん、そうなんだ?」

 

 張纏は明らかに内容を理解していない事が分かる様子で、取りあえず頷いてみる。無学な彼女は端から思想の是非を議論するつもりなど無く、「なんか必死でウケるwww」ぐらいの軽いノリでしかない。後世で政治団体の街頭演説を遠巻きにスマホ撮りしてる野次馬と同じ、政治的無関心層の一人であった。

 

 ――正直なところ、難しい話はよく分からない。何が正しいとか、どれが効率がいいだとか、そういった学術的な話は。上司の賈駆や劉勲、そして孫権なんかはああ見えて高学歴だし、こういった議論も好きそうだが、あいにく自分は真面目な話が苦手でしかない。分かるのは、実に単純な事柄だけ。

 

 人が死ぬのは悪い事だ。ゆえに多くの人が死ぬ事になる反乱は法律で禁止されている。そして法律を破った人間は処罰される。だから目の前の反乱分子たちは、処罰されなければならない。定められた法律に従って。

 

「とりあえず、罪状は……何だっけ? 反乱未遂罪とか危険物所持とか、まぁその、とにかく死刑になるやつ。 んで、死刑囚を処分すんのがウチら警察官の仕事」

 

 別に恨みはない。殺意もない。ただ単に法律でそう決まっていて、それが仕事だから人を殺す。

 まぁ、敢えて言うなら人殺しが好きで、いっぱい殺せそうだから警察に入ったのだが。それでも法律は守ってるのだから、むしろ模範的な市民の部類ではないだろうか。運のよいことに、自分は趣味と実益を兼ねた理想的な職場にいて、日々の生活を楽しんでいる。そうした毎日が、張纏は嫌いではなかった。

 

 しかし反乱分子の男は納得できなかったらしく、更に反論を続ける。

 

「そうした官僚的な態度が、今の惨状を作り出した! 少しは自分の頭で考えてみろ、自分のやっている事に疑問を覚えたことは無いのか!?」

 

 もしかすると、彼の語る理想はとても立派なものなのかも知れない。彼の主張は、より多くの幸福と人々にもたらし、世界を平和へと導くものなのかも知れない。袁家や秘密警察の大義名分は偽善でしかないのかも。だから――。

 

「まぁ、仕事終わって時間があったら考えてみるね」

 

 張纏は一呼吸置いてから、小型の弩を片手で構えた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――南陽郡・宛城

 

 書記局長・劉勲は午後の政務を早めに切り上げ、一人で廊下を歩いていた。廊下とはいっても、羊毛と綿で織られた絨毯が敷き詰められているような、南陽貴族の屋敷に多い洒落た通路ではない。頑丈な石材で作られた、地下牢へと続く道。

 通路は暗く、わずかに松明が灯されているだけ。手に持った燭台の上にある、蝋燭の炎がゆらゆらと蠢く。わずかな付き添いのみを引き連れ、劉勲はその通路を歩いていた。

 

(さぁて、ちょっと気分転換でもしようかなぁ、っと)

 

 地下牢を目指す、劉勲の足取りは軽い。まともな婦女子なら反射的に嫌悪感を抱くであろう場所を、むしろ目を輝かせて歩く様は、彼女もまた一人の異常者なのだと充分に証明していた。

 

(久々に愉しませてもらうわよ。今週は大変だったんだから)

 

 その言葉に偽りはない。たしかにここ数日というもの、袁家高官は例外なく多忙な日々を送っていた。揚州で戦争が始まったのだから、忙しいのは当然であるのだが、内政面でも問題は山積みである。

 

 

 ――いや、むしろ内政面での問題の方が大きいとも言えた。

 

 江東に広がる袁術領のGDPに占める揚州の割合は、おおよそ30%ほど。戦争でそれがごっそり抜けたのだから、額面上のマイナスとその波及効果を含めて、江東経済は前年比で4割近い落ち込みを見せるという恐慌状態と化していた。

 

 これに対応するべく、劉勲はありとあらゆる手段を用いて経済を刺激した。財務委員会や商務委員会など経済関連の政府機関と連動し、様々な金融・規制・財政政策を打ち出すも、すべては文字通り焼け石に水だった。公共投資として大運河建設の予定を早めて有効需要を創出しようにも、不景気という名の底なし沼に金が吸い込まれるばかり。道路建設などの公共事業で期待された乗数効果も、さほどの効果を上げず期待外れに終わった。反乱が起きた揚州や徐州のような田舎ならともかく、従来から順調に交通インフラが整備されていた南陽郡と豫州では、これ以上の経済効果は望めなかったのだ。

 

 貧困層の失業率が指数関数的に上昇する一方、彼らへの食糧配給率は急激な下降線をたどっている。今や宛城ですら餓死者が発生し、弱肉強食を根本原理とする、社会保障・福祉制度の薄い袁家の国家体制の問題点がさらけ出されていた。

 なぜなら飢餓の原因を調査したところ、食糧生産が不足している訳ではなく、流通システムが機能していない事が原因だと判明。行商人など流通関係の業者が破綻して機能不全になっていたり、さらなる物価上昇による利益を期待した大地主たちが売り惜しみをしているからだ。そのため都市では店頭にモノが並ばず閉店が続出し、商品作物に特化したプランテーション地帯の貧民が飢える一方で、穀倉地帯では倉庫に食糧がうず高く積み上げるという矛盾が生じていた。しかも物価上昇は失業して収入源を喪失した市民の財布を直撃し、消費は完全に落ち込んでいた。

 

 加えて多くの投資家や貴族が破産したことで、自殺も急増。資金繰りに窮した多数の商会が経営破綻し、有機的に結合された巨大経済は連鎖倒産を招く。高利貸しなどの金融機関はその債権を回収できない上、自前の投資資金を市場暴落で失って多大な損失を計上、経営が圧迫されていた。

 

 中華で最も高度に発達した袁家の経済は、その巨大さと複雑さゆえに制御を難しくしていた。この経済危機を解決できない劉勲に、人民委員会では批判が噴出していた。この機に乗じて、劉勲らの権力基盤を切り崩して出世を狙う輩も多い。

 

 世間に堪りつつある憤怒の空気を察知したのか、保安委員会は既に警官の重武装化を進めている。危険の目があるなら、早めに摘めるよう密告も今まで以上に奨励されていた。

 

 

 **

 

 

 地下牢と呼ばれる部屋は一般に、天守や塔の下層にある。そこは防衛施設としてもっとも堅固な部分であったから、壁の強度を保つために窓がない。それゆえ囚人を閉じこめておくための場所として使われていた。

 

「――いたいた」

 

 劉勲の目当ては、畏れ多くも袁家に敵対し、利敵行為を行った裏切り者だった。反乱を起こした揚州と接触を繰り返し、秘密警察を妨害し、玉璽を隠し持っていた袁家の敵――その者の口から、情報を聞き出すことを求めていた。

 

「さて、質問でーす。君の取り調べ担当者は誰でしょーう?」

 

 部屋にいた男がぴくり、と反応した。両手は拘束されていて、必死になってこちらを睨みつけている。とはいえ流石に地下牢に長時間拘束されていたせいか、そこに含まれる疲労までは隠せていなかった。

 

「……劉…勲………?」

 

 名前を呼ばれ、にっこりと微笑む劉勲。いつものようなドレスではなく、絹のナイトガウンを纏っている。光沢のある淡い紫色で、レース飾りを控えめにしたシンプルな作り。その下から覗く透明感のある白い肌は、世の男にとって目の毒でしかない。

「おおう、大正解。はぁい、一刀くん元気にしてた? ――――って、そんな嫌そうな顔しないでよぉ。連れないなぁ」

 

 劉勲はあざとく拗ねてみるも、一刀は露骨に顔をしかめた。

 

「……何でお前がここにいるんだ? こういうのは秘密警察の管轄じゃないのか? 賈駆はどうしたんだよ?」

 

 劉勲の戯言を遮って質問を重ねる一刀。あの眼鏡女も気に入らないが、目の前にいる面倒臭そうな女よりかは幾らかマシなはず。

 

「あー、そーいうコト言っちゃうんだ。せっかくキミのこと心配して見に来てあげたのに、他の女の催促ぅ?」

 

「………」

 

「あ、反応薄い。そーいう態度、お姉さん感心しないなぁ」

 

 むぅと頬を膨らませる劉勲に、しかし一刀は答えない。口もききたくない、という意思表示の表れなのだろう。

 拗ねちゃったか―、と劉勲は苦笑する。晴れ晴れしい、愛おしさすら感じさせる笑み。状況とのアンバランスなギャップが、耽美的な美しさを醸し出す。

 

「でも……ふふっ、拗ねたキミの表情も、すっごくイイ……」

 

 緑の目をうっとりと細め、ゆっくりと一刀に近づいていく劉勲。白い頬は上気してピンクに染まっており、無意識の内に息も早くなっている。

 

「もぉ、元気良くしなさいって言ってるのにぃ……カズト君ったら負けず嫌いなんだから。そんな風にずぅっとヘソ曲げてると……」

 

 ――お姉さん、お仕置きしちゃうぞ?

 

 にっこりと微笑む劉勲。続けて彼女の視線は部屋の隅――彼女お気に入りの古今東西拷問器具コレクションへと向けられ、再び一刀に戻る。

 

 口に出すもおぞましいような事を考えながら、じっくりと対象を観察する、深い緑色の双眸。

 ほっそりとした指が、剥き出しになった一刀の体を這う。糸に絡めとられた獲物を、味見する蜘蛛のように――。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 ――徐州・小沛

 

 

「はぁ……はぁっ………!」

 

 夜の裏路地を、一人の女性が走っている。言うまでもなく、夜の街というのは危険極まりない。当時の都市は清潔さとは無縁の場所で、領主の城や貴族の屋敷から一歩離れればゴミと汚物塗れの空間が広がっているのだ。不潔で薄暗いスラム街には多くの貧困層――犯罪者と同義であった――が住んでおり、夜に女性がそこを一人歩きするなど正気の沙汰ではない。しかもその女性が、まともな衣類を身に着けていないとなれば猶更だ。

 

 恐らくはどこからか逃げるようにして走ってきたのだろう。見たところ齢は20代半ば、ちょうど結婚適齢期の女性。元々は自分の服だったと思われるボロ切れを体に巻き付け、ふらつきながら必死に走っている。途中、何度も倒れながら彼女は走り続けた。並みの女性なら等に諦めているだろうに、彼女はそれを止めようとはしなかった。

 

 ――少しでも早く、ここを離れなければならない。逃げ遅れれば、自分の宝物まで壊されてしまう。

 

 それは執念。火事場の馬鹿力という諺にもある、覚悟を決めた者だけが引き出せる力。

 そして彼女から秘められた力を引き出した者の名を、秘密警察と言う。

 

 

 **

 

 

「ど、どうかお慈悲を! うちの娘は無関係ですっ!」

 

「うるさい、静かにしろ! 貴様も公務執行妨害で逮捕されたいのか?」

 

 城下を巡回していた関羽が宿屋の前で目撃したのは、秘密警察による逮捕劇であった。年端もいかぬ少女が手錠をかけられ、必死に懇願する母親を警官たちが押さえつけている。

 

「お願いします! 本当に何も知らないです! だからどうか、どうか娘だけは――」

 

「ハッ、どうだか。こんな時期に家を離れて宿に泊まっていた時点で、自分は怪しいって言ってるようなもんだ。どうせ当局から逃げようとして、宿に泊まっていたんだろ?」

 

 秘密警察のリーダー格は取り付く島もないといった様子で、涙を流す母親を乱暴に突き飛ばす。

 

「黙れ、この反乱分子が! 逮捕令状は出ているんだ。文句があるなら、まず役所に必要書類を届けてからにしろ」

 

 連座で再逮捕されなかっただけ有り難いと思え、そう吐き捨てて秘密警察の男は立ち去ろうとする。怯えた少女を連行して後ろを振り向いた時、その前に関羽が立ち塞がった。

 

「失礼。何があったか、説明願おうか?」

 

「あ?」

 

 秘密警察の男は胡散臭げな顔を関羽に向けたが、彼女の服装とその象徴的な武器――青龍偃月刀――を見ると、目を見開いた。

 

「か、関羽将軍……?」

 

「いかにも。 さて、さっきのは一体なんの騒ぎだ?」

 

 関羽の名を聞いた周囲がざわつき、秘密警察の顔色が変わる。悪行を咎められた類のものではなく、むしろ誇らしげな様子で警官は口を開いた。

 

「はっ! 街の平和を守るべく、反乱分子の捜索に当たっていたところであります!」

 

 話を聞けば、目の前で手錠をかけられている少女は、反乱分子の娘だという。母親の尋問は既に済ませたものの、そのときに改めて娘さんにも後ほど協力を願いたいと告げたところ、2人で逃亡を図ったため止む無く逮捕した……そう語る秘密警察の姿は、まさしく職務に忠実な警官の鑑である。

 

 それに横槍を入れたのは、先ほど突き飛ばされて伏していた母親だった。

 

「それはっ……あなた達があんな事(・ ・ ・ ・)をするから!」

 

 再び瞳に涙が溢れ、歯を食いしばりながら警官を睨み付ける母親。その尋常ではない様子に何かを感じ取ったのか、関羽は続きを促した。

 

「その……差し支えなければ、何があったか聞かせてもらえるか」

 

 しかし母親は、当惑したような目つきで再び黙り込む。沈黙――怪訝に思った関羽がもう一度問うも、それでも彼女は動こうとはせず、その視線は娘と秘密警察に向けられていた。

 関羽はどうしていいか分からず、無言で彼女の顔をじっと見つめる。その涙にうるんだ目を見ていると、やがて一筋の涙が頻をつたって落ちていった。

 

 

 ――その瞬間、関羽は全てを理解した。

 

 

 関羽は再び秘密警察に向き直ると、低い声で問い詰める。

 

「……そういえば、昨日はこのご婦人に尋問をしたそうだな。――貴様、いったい何をした?」

 

 関羽から剣呑ではない空気を察したのか、警官の方はやや困惑気味に口を開いた。

 

「か、簡単な取り調べだ。口頭尋問と、荷物検査。ああ、それから――」

 

 秘密警察の男はさも当然、というように言い放つ。

 

 

「――体に何か隠し持っていないか、身体検査もしたな」

 

 

 ◇

 

 警官のその言葉に、離れて状況を伺っていた群集――特に男たち――の剣幕が変わった。

 

「オイ、身体検査ってどういうことだ!」

 

「そういえば、取り調べを受けた若い娘が次々に自殺しているって噂も聞くぞ」

 

「まさか、コイツらが――」

 

 遂に、涙目になっていた母親が口を開き、毅然として語り出した。

 

 ――取り調べの際に、衣服を全て剥ぎ取られたこと。

 ――抵抗すれば殴られ、数人がかりで地面に押さえつけられたこと。

 ――頭に袋をかぶせられ、袋の穴から口と鼻に大量の水を注ぎこまれたこと。

 ――そして最後には鼻、口、肛門、膣に特殊な拷問器具を押しこまれたこと。

 

 すべてを言い終わると、母親はわっと泣き出した。群衆の半数は彼女に同情の眼差しが向け、残りの半数は殺気だった視線で警官を睨み付ける。今や秘密警察による取り調べは日常茶飯事であり、彼らにとっても他人事でもなかったのだ。この中に、自分も含めて秘密警察の取り調べと無関係でいられた者はいなかった。

 

「てめぇ、目の前の娘にも同じことをするつもりだったのか! まだ年端もいかない生娘だっていうのに!」

 

 一斉に警官へと詰め寄る男たち。流石にここに至って、ようやく警官も自分が失言を犯したことを悟った。ここは徐州、南陽ではない。弱肉強食という、彼にとっての常識は通用しないのだ。

 

 対して、民衆の方は暴発寸前だった。もちろん先ほどのような非道を聞いた憤りもあるだろうが、それ以上に男たちの心を支配されていたのは、恐怖だった。

 

「こいつら……俺たちの女房ばかりじゃなく、娘まで犯したのか……?」

 

 本人たちから直接聞いたわけではない。むしろ被害を受けた女性たちの身中を鑑みれば、言えるはずがない。男たちの心に渦巻いた疑念は、恐怖と怒りを統合し、さらに集団心理と結びついて暴力的なエネルギーへと昇華していった。

 

「ひっ……!」

 

 数の暴力。無数の群集から慌てて逃げ出そうとした警官の周りには既に彼を取り囲むようにして殺気立った人々が集まっていた。

 

「誰か! 誰かいな――」

 

 そこで彼の言葉は途切れた。次の瞬間には首が弾け飛び、胴体が血の噴水と化す。所在なげに硬直すること数秒、首が地面に落ちると同時に胴も崩れ落ちる。

 首には死ぬ間際の驚いた表情が張り付いており、その瞳の先には――

 

 

 青龍偃月刀を振り下ろした、血塗れの軍神が立っていた。

    




 年明け初投稿。
 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

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