真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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89話:城へ、城へ

                    

「っ……!」

 

 関羽は血の滲むほど、強く唇を噛んだ。圧倒的な暴力を前に、己の無力を噛みしめる屈辱はこれで何度目だろう。袁家は徐州から自由を奪い、北郷一刀と諸葛亮を奪い、今度は民の命まで奪っていこうというのか。

 

 ――やはり、戦うべきだった。

 

 関羽の胸に、後悔が湧き起こる。続いて彼女は、今に至る経緯に思いを馳せた。

 

 そもそも、自分は何のために武器をふるっているのか。

 なぜ義兄弟たちと誓いを交わし、旗揚げをしようと決意したのか。

 

 誰もが幸せに暮らせる世界を作りたい……そう語った桃香の理想に共感したからだ。そう、自分は人々の幸福のために立ち上がったはず。それなのに、気付けば虐げられている人々を放置している自分がいる。

 もちろん現実は厳しい。理想通りにはいかないことも多くある。時には耐え忍ぶことも必要だと、諸葛亮あたりに諌められもした。

 

 だが、いつの間にか「現実」を言い訳にして困難から逃げていたような気がしないでもない。困難から目をそらし、妥協することに甘えてしまっていたのではないだろうか。

 

 たしかに荒廃した徐州を立て直すには、豊富な資金を持つ袁家の手を借りるのが一番てっとり早くて確実な方法だったかもしれない。しかし袁家の力を借りることと、その言いなりになって虐げられることを甘受するのは違う問題のはず。自分たちは袁家の奴隷ではないのだ。

 

 ああ、そうだ。我々だって人間だ。金持ちだから、権力者だからと遠慮する必要はない。同じ人間なのだから、理不尽な目にあった時は一歩も引いてはならないのだ。そこで譲歩すれば、自ら自分が相手より劣ると認めたようなものだ。

 

 戦おう――と、関羽は決意した。

 

 それが唯一の道だ、と言い切るほどの自信はない。武はあっても学のない自分の考えることだ。むしろ大いに間違っている可能性すらある。ひょっとすると今まで通り、袁家に服従する道の方が正しいのかもしれない。本当に正しい道なのか、正直なところ保障はできない。

 

 しかし、だからこそ試してみる必要もあった。死力を尽くして戦い、その結果を見極める必要があるのだ。

 

「みんな、よく聞いて欲しい。私は今から――――袁家と戦う」

 

 周りの人間が、一斉に息を飲む音が聞こえる。

 

「私はこれより、忍耐によってではなく、行動によって徐州を変えようと思う」

 

 無理強いするつもりはない。命や家族の安全を優先したい者は、遠慮せずにそちらを優先して欲しい。むしろ一刻も早くここから離れるべきだ。実際、どうなるか保障はできない。もちろん責任はとるが、それでも多くの人に迷惑をかけてしまう結果になるだろう――――だが、それでも。

 

「私は行動によって、新しい理想の世界を目指す! たとえ武器を持って戦うことになろうとも、これ以上は奴隷のように屈したりはしない!」

 

 関羽の演説の後、背後から叫ぶ声がした。

 

「――私も、戦います!」

 

 関羽が振り返ると、そこに立っているのはあの親子だった。全身を震わせながらも、毅然として口を開いた。

 

「将軍のした事は間違っていません! 将軍が助けてくれなければ、この子は絶対に酷い目に遭わされていました」

 

 だから自分の行動に責任を感じる必要などない。あの時の判断は正しかったのだと、むしろ胸を張ってそれを誇ってほしい……そう母親は訴え続ける。

 

「関羽将軍がいたから、私たちは理不尽な暴力から逃れることが出来たんです。将軍がいなくなってしまえば、また袁家は同じことを繰り返します」

 

 袁家は弱者に容赦しない。富める者はより豊かに、貧しき者はさらに困窮していく。せめてもの救いは伝統軽視の風潮のおかげで実績に応じた成り上がりも可能という点だが、そういった成功者もある意味では強者といえるだろう。本当の弱者とは力もなければ金も才能もない人間のことで、社会ではむしろそうした人間の方が多数派だ。

 

 能力のある者には、それに見合う権力を与える……それだけだと聞こえは良いが、裏を返せば才能を持たない人間には何の権利も与えられないということ。それを徹底した社会は最も原始的な法則――『弱肉強食』が生きる世界となる。食物連鎖の頂点に立つのは、少数の力を持った人間だけ。残りを占める多くの力なき人々は、彼らに捕食されるべきエサでしかない。

 

「たしかに袁家は強くて、私たちは弱いです。でも、だからといって………」

 

 理由のない暴力が平然と振るわれ、年端もいかぬ娘が犯されても泣き寝入りするしかない――。

 民は家畜同然の扱いを受けながら酷使され、老いて働けなくなれば野山にうち捨てられる――。

 隣人が互いを密告し合い、誰もがいつ殺されるか分からない恐怖に支配されて日々を過ごす――。

 

 

「こんな世の中は異常です! 絶対に、どこか間違っています!」

 

 一瞬、あたりを静寂が支配した。空気が張り詰めたような沈黙……しかし、その場にいた誰もが、体の内側から沸々と何かが湧き上がってくるのを感じていた。緊張した空気は周囲を震わせんばかりで、行き場を失って滞留した熱風が、勢いよく噴き出すはけ口を探しているようでもあった。

 

 直後、どこからか野次が飛んだ。

 誰もが待っていた、始まりの一声。

 

「――そうだ、その人のいう通りだ!」

 

 続けとばかりに、同調する声が次々に上がる。それは燎原の火の如く、だんだんと一過性の興奮による戯言では済まされなくなっていた。てんでバラバラに喋っていた声が、ほどなくして袁家への抗議へと収束してゆく。

 

 もう誰にも止められない――そう関羽は直感した。血が流れたならばなおのこと、果断に行動せねばならない。動くしかないのだ。

 

 袁家による反撃はどうするのか。抗議をして、どうする? 勝算はあるのか、死者はどれほど出るのだろう……そうした諸々の問いが頭をよぎらないではない。だが頭の片隅では、自分でも不思議なくらい迷いがなかった。

 

「行くか」

 

 小賢しい善後策など、とうに吹っ飛んでいた。何をすればよいかなど、行けば自然と分かるはず。自分でも驚くほど大胆な行動だが、既に賽は投げられた。

 

「行こう」

 

 関羽は再び口に出した。

 何処へ、という質問に対して関羽はこう答える。

 

「小沛城だ。囚われた主と、友を助けに行く」

 

 市民たちは互いに顔を見合わせ、互いの意を確かめるかのように頷き合う。将軍に続け、という掛け声がどこからか聞こてくる。次第にその声は大きくなっていき、やがて違う言葉へと変化していた。

 

「城へ」

 

 誰が教えたわけでもなく、誰が命じたわけでもない。強いて言うなら、皆が一斉に天の啓示でも受けたかのようだった。その証拠に、その言葉は勝手に人々の口をついて、おのずから大きな叫び声に変化していた。

 

「行こう、城へ」

「ああ、城へ」

 

 もはや戯言では済まされない。民衆の大合唱。数百、数千、いや数万の人々の声が、今やたった一つの掛け声に収束していた。 

 

「城へ、小沛城へ」

 

 さぁ、城へ行こう。

 

 囚われの劉備たちを救いに。

 関羽将軍を復権させるために。

 

 ――そして、悪い袁家を倒しに。

  

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 同時刻・小沛の中心街にて――

 

 夜が明けたばかりの小沛の街では、人々が広間を避けるように歩いていた。反乱未遂のかどで処刑された、100名を超える罪人たちが晒されているからだ。

 

「こりゃひでぇ……無残なもんだ……」

 

 人々の憩いの場であるはずの広場が、一日のうちに死刑の博物館と化していた。打ち首になった後に晒された者もいれば、吊るされた者もいるし、磔にされたり串刺しにされた者もいる。鞭打たれ、刃物で八つ裂きにされ、こん棒でぶたれ、皮を剥がれた幾つもの死体が、一週間以上も放置されていた。とうに腐敗していたり、鴉に啄まれて肉片をまき散らしている屍もある。

 これらは全て、保安委員会の意を受けた張纏の指示によるものであった。現在、張纏は下邳に着任しており、徐州での取り締まりを強化させていた。

 

「おい見ろよ、子供までいるぜ。いくら罪人の家族だからって、何もここまで酷い仕打ちをしなくても……」

  

「ああ、人間のやる事じゃねぇよ。袁家は鬼だ、人食いの鬼だ」

 

 無残な光景を前に身も凍る思いに震えながら、誰もかれもが憤怒の嗚咽を上げている。どこの居酒屋でも、商店でも、銭湯でも、顔を合わせた人々は例外なく袁家の冷血さを罵っていた。

 

「税金は上がりっぱなし、生活は窮屈になるばかり。ったく、本当に嫌な世の中になったもんだ」

 

「そうだそうだ。揚州反乱とやらのとばっちりで、税金どころか物価までひっきりなしに上がってやがる。なのに袁家の連中ときたら、私腹を肥やすばかりで来る日も来る日も贅沢三昧ときた。今月も大宴会やら宮殿の改築やらが目白押しだとよ」

 

「まったくだ。そもそも、途方もない費用をかけて南方の領土を取り戻したって、どうせ儲かるのは揚州に利権のある一部の商人だけさ。俺たち一般人には何の関係もない」 

 

 税金の話となると、皆おのずと暗い顔にならざるを得ない。親から資産を受け継ぎ、土地や奴隷を抱えているような身分の人間でさえ、今度の増税と物価の高騰は大きな悩みである。仕事を終えた市民が集まる飲み屋でも、話のタネはそのことばかり。

 

「お前、郊外に新築された書記長の別荘のこと知っているか? どでかい庭には人工の池やら浴場まであるって噂だ。あの女はたしかに美人だが、ありゃ妖婦の類だ。金の刺繍がびっしり入った絹の服をいくつも作らせるわ、手当たり次第に宝石は買うわ、全国から珍しい食材をかき集めるわ。おまけに旅先で気に入った場所があれば、すぐ別荘まで建てるときた。まったく、金遣いの荒いったらありゃしない」

 

「らしいな。なんでも袁術の宮殿より贅沢だっていうぜ。しかも退屈すればお気に入りの美男子や舞台俳優に囲まれて、毎日のように乱痴気騒ぎだとか」

 

「ああ、それなら俺も聞いた。若くてイケメンの男を見れば、誰構わず寝床に引き込もうとするって噂だ。もっとも結婚もしてない独り身じゃあ、盛りのついた女がいつまでも満足できるわけがねぇ。大きな声じゃ言えねぇがよ、ありゃ絶対に毎晩……」

 

「しっ、静かにしろ! 警察に聞こえる!」

 

 大通りを闊歩する警官隊が去っていくと、市民たちの間で再びに不満の声が燻り始めた。

 

「ちくしょう、クソ食らえってんだ!」

 

「何が名門袁家だ! 守銭奴どもがいい気になりやがって……今に痛い目をみるぞ」

 

 怒りの声を上げるのは、民衆ばかりではない。袁家に好意的だった名士や名族といった身分の高い人々の中にも、保安委員会のやり方に対して疑問を持つ者が現れ始めていた。

 

「下邳に着任してからというもの、保安委員会の連中はすっかり自分たちの天下だと思っております。やることはデタラメ、とにかく締め付けるだけしか策が無いとは、まったく嘆かわしい」

 

「まったくだ。先代の陶謙さまだったら、絶対にこんな事はなさらなかったはずなのに。あの時代が懐かしい……」

 

「しかも袁術様が幼いのをよいことに、その取り巻き連中がますます図に乗っているとか。娼婦と蛮族が江南の支配者ですと? 笑わせてもらっては困りますな」

 

 不満の対象は保安委員会だけではない。袁家が名士たちを徐々に疎ましく思い始めていたのと同様に、彼らもまた袁術とその家臣団への不満を募らせていた。日々の政務を支えているのは、家柄や出身を問わない物欲の亡者――人民委員たちである。中でも賈駆のような辺境出身者や、明らかに如何わしい方法で出世したとしか思えない劉勲は、やっかみの対象であった。

 

「それに何ですか、この前の書記長の温泉旅行は! たかだか女一人が温泉地に行くだけで、護衛の兵士が100人に召使いが300人、取り巻きの女官やら料理人、音楽家までいれて総勢600人ですよ!」

 

「しかも自分が通いやすいように街道の整備と別荘建築まで始めたとなれば、呆れて開いた口もふさがりません。それともアレですか、調子に乗って自分の力を見せつけているのですかな?」

 

「それを言うなら袁家も袁家だ。そもそもあんな右も左も分からぬ子供が統治しているから、ああいう連中がのさばってしまうのだ。頼みの資産も、戦争と不況のせいで今やほとんどカラだとか。今度の増税は貧乏人ばかりではなく、富裕層にも重い負担だ」

 

「揚州との戦争は、このままいつまで続くとも知れません。にもかかわらず無駄な贅沢にばかり国庫金を使っているとは、冗談じゃありません。皆さんもご存じだと思いますが、今度の景気刺激策も失敗に終わったようで……」

 

 

 いつもの場所での、いつもの愚痴。悲しいかな、いつの時代も上に立つ人間は決まって腐敗していて、強欲なうえに無能なのだが、一市民の身ではどうしようもない。せめて愚痴を言うことで、自分が不幸なのはお上のせいだという事にして、多少の自己満足を得るのである。

 それゆえ、彼らはこの日も同じように仲間内で不満をぶちまけた後、適当な頃合いを見計らって店を出ようと考えていた矢先の事だった。

 

「おい、あれは何だ……?」

 

 この日は、いつもと少しばかり様子が異なっていた。最初の一人が声をあげると、残りの面々も釣られて同じ方向――窓の外を見やる。

 

(………っ!?)

 

 その日、彼らが目にしたのは城へと向かう民衆の群れだった。何千、いや何万という民衆が城へ向かって行進しているのだ。明らかに尋常ではない。彼らは互いに顔を見合わせ、ひとつの結論に達した。

 

「――俺たちも、行ってみるか」

 

 

 **

 

 

 劉備が袁家から“工作員”捜査要請を受けて数日、弾圧の嵐は徐州全体を覆おうとしていた。勤労が美徳とされている秘密警察は精力的に働き、昼夜問わず犯人探しに奔走する。

 

 ところが捜査手法は乱暴なもので、勝手に民家に押し入って家中をめちゃくちゃにするなど日常茶飯事。その他にも、法律を悪用して実に様々な乱暴狼藉を行っていた。たとえば“証拠品の押収”といえば金品を巻き上げることと同義であったり、少しでも口答えすれば“公務執行妨害”、武器や密書を隠し持っていないか調べる“身体検査”の5割は、なぜか若い女性が対象であった。

 

 保安委員会徐州支部の取り調べは苛烈を極め、その横暴ぶりは本部から派遣された隊員が目を顰めるほどのものであったという。これは人員の優先順位が本部(南陽)、豫洲、揚州、徐州の順であったため、徐州支部には低質な人材や、左遷された人間ばかりが送られてきたのが原因とも言われている。

 

 もちろん徐州の民は大いに憤慨した。もともと徐州は前徐州牧・陶謙の元で比較的公正な統治が行われており、その後を継いだ劉備もまた、民の平和と幸福を第一に考えた政策を行っている。ゆえに徐州の民は過酷な統治――軍隊と法律による厳罰的な統制が行われている曹操領、熾烈な競争・格差社会が当たり前の袁術領、異民族の遊牧地に隣接するため常に臨戦態勢にある公孫賛・馬騰領、伝統を重んじるがゆえに身分・階級制度の厳格な袁紹・劉表領などに比べれば、徐州は民にとって過ごしやすい地域だった――に慣れておらず、他の領民なら諦めているような事柄にも抵抗した。

 

 そのため秘密警察の行動は様々な妨害に遭い、それが秘密警察のやり口を一層過激なものにし、結果として住民がさらに彼らを敵視するようになるという悪循環に陥っていた。

 

 ――反乱の下地は、すでに出来上がっていたのだ。

 

                              後漢書・袁術伝より抜粋――。

 

 

 ◇◆◇ 

 

 

(い、いったい何が起こっているんだ……!?)

 

 その日、小沛城の警備に当たっていた兵士たちは、己の目を疑った。

 眼前には、数万の群衆。それが自分たち目指して進軍しているのだ。

 

 ――まさか、民衆が蜂起したのか。

 

 警備隊長の脳裏に、最悪の事態がよぎる。数万もの人間が集まれば、それだけで脅威となる。いくら武器を持っているとはいえ、背筋が寒くなるのを禁じ得ない。蜂起の噂は絶えなかったし、つい先日も警官が一人行方知れずになったばかり。そんな推測を補完するように、今までには考えられない光景が飛び込んできた。

 

 行進を続ける民衆の前で、兵士たちが走っている。たしか、彼らは役場や城門など市内の要所に配置されていたはず。その彼らが、勝手に持ち場を離れて逃げ出している。

 それが意味することは明白だ。すなわち、一回の戦闘も無いまま市内の戦略的要所および公共施設のすべてが民衆の手に陥ちた、ということ。

 

「――劉備さま達を解放しろ!」

「――秘密警察に捉えられている、無実の人々もだ!」

「――ここは徐州だ! 袁家は南陽へ帰れ!」

 

 それが民衆の声だった。乗り込んできた民衆は道も家も関係なしに蹂躙し、周辺からも押し寄せた数万もの人海は途絶える様子がない。民衆は愚かだが、それゆえに脅威でもある。彼らは子供のように我慢を知らず、その野蛮さと節操のなさは一応の教養を修めている貴族たちの比ではない。

 

 大通りを封鎖する部下の兵にも動揺が広がり、士官ですら逃げ出したい気持ちに駆られる。しかし、群集の姿がはっきりと見えるようになってくると、その印象が微妙に変化した。

 

 槍だの弓だのといった、本格的な武器を携行する輩もたしかにいる。しかし大部分は包丁や農具などを担ぐにとどまっており、数の上では角材が主装備だ。いや、それっぽい武器を構えられればまだ上出来な部類で、そもそも武器など持っていない丸腰の人間や単なる野次馬、運悪く人の波にのまれて逃げ出せなくなっただけの通行人までいた。

 

 

「――止まれ、ここから先は立ち入り禁止だ!」

 

 計画された武装蜂起ではない。単に一時の場の雰囲気に呑まれた民衆が日頃の鬱憤を晴らしに来ているだけ……警備隊長はそう結論づけた。部下にも臨戦態勢を取らせ、槍と弩で威嚇する。

 

「とまれ! 止まらんと撃つぞ!」

 

 兵士たちの威圧行為は、一時的にではあるが、民衆の動きを止めたようだった。戸惑いの声も聞こえる。

 しかし後列の人々は前列の停止に苛立ったのか、罵声を上げながら前へと進もうとする。野次も再燃した。

 

「軟禁された劉備さまを解放しろ! 秘密警察どもに逮捕された人々もだ!」

「というより、なんで袁家が徐州でデカい顔をしているんだ。さっさと南陽に帰れよ!」

「無実の人々が大勢、冤罪で捕えられてるって聞いたぞ!」

 

 口々に自分たちの主張を叫ぶ民衆。声ばかりではない。ガンガンと物が打ち鳴らされ、足が地面を踏み鳴らす音は地震のように大気を震わせる。

 

「一体どうなっているんです! 米も薪もありません! どうやって冬を越せというんですか!?」

「減税しろ! これじゃ生きていけねぇだよ!」

「子供が腹を空かせているんです! せめて食料品の値段をもう少し安くしてください!」

 

 同じ主張ばかりでは、やはり無学な大衆いえども飽きるのだろうか。政治的な主張をしていたはずが、いつの間にか話題が米の値段やら物資不足に変化している。

 さすが低学歴ども、支離滅裂だ――貴族出身の警備隊長は、そんな懇願をする人々に向かって大声で告げた。

 

「黙れ! これ以上騒ぐと収容所送りだぞ! こちらには攻撃許可も出ている!」

 

 解散せよ、さもなくば攻撃する……警備隊長は片腕を上げ、攻撃の準備をした。実際にはそんな指示は出ていないが、ハッタリとしては有効なはず。そう、今までもこうやって民衆を黙らせてきたのだから、今回だってきっと収まるはずだ。

 

 しかし、そんな彼の予測は覆された。

 

 

「――おう、俺たちとやろうってのか!?」

 

 何処からか聞こえたその叫びが彼の耳に届く。さらに、彼がその声の主に反論する前に前方の群衆の中から同意の声が無数に上がる。そしてその熱狂は人々を更なる批判へと駆り立てた。

 

「みんな聞いたか! 袁家の奴ら、俺たちを皆殺しにするつもりだ!」

「連中、最初からそのつもりだったんだ! やっぱり話合いなんて無駄だったんだ!」

「くそっ、やられる前にやっちまえ!」

 

 どういう理屈だ、と警備隊長は思いながら、反論しかけた口を閉じる。そもそも理屈が通じる相手ではない。仮に論破に成功したとして、その頃には後列の群集はさっきの支離滅裂な論法に同調しているだろう。

 

「黙れっ!いいから下がれと言っているんだ!」

 

 そう怒鳴り返しながらも、彼は困惑していた。今までなら、こんなことは無かった。その間にも、人々はまるで波のように、広場に向かってゆっくりと進み続ける。

 

 どう対応すればいいのか分からない。だが、部下の手前で逃げ出すわけにもいかない――そんなジレンマに引き裂かれそうになりながらも、彼は必死に権威にすがって叫び続けた。

 

「これは上の命令だ! 袁家に逆らうのか!?」

 

 最後はほとんど悲鳴に近かった。しかし、民衆が歩みを止める気配は皆無だった。仮にその意思があったとしても、もう止まることが出来ないのだ。ひとたび動き出した人の群れは、いまや巨大なエネルギーとなり、自然現象と同様に人の手が届かぬ領域に達していた。

 

(……ひっ!)

 

 それは殆ど動物的な本能だった。命の危機に、生存本能が反応する。それは申し合わせたかのように、兵士たちに一様の行動を促した。

 

 

 **

 

 

「おい! あれを見ろよ!」

 

 民衆と共に小沛城に向かって進む関羽の耳に、誰かが叫ぶ声が聞こえた。

 

「袁家の連中、逃げていくぞ!」

「なんだって!? 今の話は嘘じゃないだろうな!」

 

 ざわめきは瞬く間に広がっていき、数分もしないうちに行進に参加した民衆全員がひとつの情報を共有することになる。

 

 ――袁家の軍隊が逃げ出した。自分たちは、小沛を取り戻したのだ。

 

「勝ったぞ!俺たちだってやれば出来るんだ!」

 

 誰かが威勢の良い声を上げ、続いて何人もの人間が呼応した。最初の爆発が落ち着いて、興奮はなお覚め止まず、それどころか一層浮つき始めた。

 

 

 関羽もしばらくは思考が追いついていない様子だったが、ようやく自分を取り戻したようだった。

 

 ――ついにやってしまった。もう元には戻れない。

 

 これで袁家は完全に敵に回る。徐州の民も、袁家との徹底抗戦を決めたようだった。であれば発端の責任のある自分も、一緒に腹をくくるしかない。

 だが、不思議と不安は無かった。袁家の報復を考えると決して状況は楽観視できないのだが、同時に関羽は吹っ切れた者に特有の清々しさをも感じていた。一種の興奮状態ともいえる。

 

 それに、考えてみれば悪い事ばかりではない。改めて考えると、自分が大人しく従ったところで、袁家が自分たちの生命を守る保障はどこにもない。従えば一時的に安全は守られるかもしれないが、執念深い保安委員会のことだ。舌の根の乾かぬ内に冤罪とでっち上げの罪状で、無実の民を強制収容所にぶち込むに違いない。

 なればこそ、万が一にでも勝つ可能性に懸けて戦うべきだったのだ。いや、どのみち一緒だとすれば余計に決して逃げるべきではなかったのだ。

 

 見れば、周囲では未だ興奮冷め止まぬ民衆たちが互いの健闘を讃えあっている。どの顔も明るい表情で満ちており、袁家に支配されてから久しく見る事の出来なかった表情であった。

 

 何はともあれ、小沛の民衆は、恐怖の権化だった保安委員会を自力で押し返したのだ。

 それは徐州の民が自らの手で掴んだ民衆の勝利、記念すべき解放の記念日であった。

                        




 無血開城に成功した関羽さん。やっぱ数は力ですね(適当)。
 さて次回、解放された劉備と袁家はどうするのか――?

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