真・恋姫†無双 仲帝国の挑戦 〜漢の名門劉家当主の三国時代〜   作:ヨシフおじさん

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91話:復讐の招き

  

 どうしてこんなことになったのか。深い闇、しかし仄かな蝋燭の明るさの中、ただ聞こえるのは犬のような息遣いと脳に電流が迸るような嬌声。霞む視界の中ゆっくりと近づいてくるのは、白く細い指だ。顔を上から撫でるようにゆっくりと迂回し、唇に触れてくる。その先は妖しく濡れていて、妙に蠱惑的だ。

 唇に触れるそれは冷たく、まるで幽鬼のよう。されど一刀に抗う術はなく、ゆっくりと口を開いてそれを含んだ。

 

「あ……っ、ん……そう、それでいいの……」

 

 霞んだ視界の先にいるのは、満面の笑みを湛えた一人の女。すっと伸びた鼻筋、丸みを帯びたアーモンド状の目に、色の薄い唇。乱れた前髪が汗で貼り付き、目尻のアイラインが滲み、それまでの激しさを物語っている。

 思い通りになって堪るか。視線が合った瞬間、劉勲は縦に体を震わせた。

 

「きゃっ♪ キミ、いま一瞬、すっごく怖い顔したぞ?」

 

 目を細め、クスクスと笑う劉勲。

 

「てめぇ……」

 

「今ここで解放したら、アタシどうなっちゃうのかしらねぇ? 殴られる? 犯される? それとも両方?」

 

 劉勲はそう言うと、テーブルに置かれた小瓶から、一刀の傷口に白い塩を塗り込む。とたんに弾けるような悲鳴が響く。縛られた状態の一刀は大きく痙攣し、硬直する。

 

 永遠に続くかと思われた拷問が終わったのは、それからしばらく後の事だった。

 

「書記長閣下、書記長閣下!」

 

 扉を強く叩く音が聞こえ、保安委員会の服を着たひとりの士官が入室する。劉勲は不機嫌そうな表情で、お楽しみを邪魔した士官に文句を言う。

 

「一応、アタシ今日の仕事は終わりなんだケド? 緊急かつ重要度の高い要件以外は、秘書官に取り次いで明日に……」

 

 袁家高官ともなれば様々な特権が付くだけに、さぞかし懸命に働いているに違いない……と思いきや実はそうとも限らない。例えば張勲などは袁術の昼寝時間ぐらいしか働いていないので、実質労働時間は2、3時間ほど。張纏は週休3日で一日6時間労働であり、「いざという時の為に、気力と時間に余裕を残しておく」という顔に似合わぬホワイト思考だ。逆に賈駆は働き過ぎの部類で、休日なしで毎日12~14時間も働き続けている。

 劉勲はその中間ぐらいで、昼食~夕食前後の7時間ほどを政務時間とし、終わらなかった分は休日に持ち越して、午前中になんとか終わらすという割と健康的なスケジュールである。

 

「その緊急かつ重要度の高い要件です!小沛にて、武装警察軍が民衆の襲撃を受けました」

 

「……へ?」

 

 尋常ならざる事態が現在進行形で起きている事を告げられ、劉勲はようやく傷口に塩を塗り込む指の動きを止める。小さく舌打ちすると、部下に詳細の報告を求めた。

 

「被害状況は?」

 

「ほぼ全滅かと。詳しい内容は確認中ですが、小沛そのものが民衆の手に落ちた今となっては……」

 

 既に2人は一刀から離れ、部屋の外へと向かっている。両手足は拘束してあるし、あれだけ痛めつけたのだから放っておいても問題はないと判断したらしい。放置された一刀は最後の気力を振り絞り、一言でも多くの情報を知ろうと耳を澄ませた。

 

「随分と大事みたいね……また庶民の暴動なのかしら?」

 

「いいえ閣下、これは革命です――――」

 

 それが、薄れゆく意識の中で一刀の聞いた最後の言葉だった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 揚州の反乱を契機とした不況……揚州への派兵から僅か数か月後のことであった。それは先の戦役で被害を受けた徐州において、ことに厳しいものであった。農民やその家族は、凍てついた住居で飢餓すれすれの食料で暮していた。抗議活動が民衆たちの間で再び頭をもたげ始めたのは、こうした時期であった。人びとは耐え難い日常と化した飢餓、独裁、それに迫害を打破する何か根本的な変化を待ち望んでいた。

 

「こちらも防衛の為に、敵からの攻撃に備えて武装するべきだ!」

 

 その頃、小沛城では今後の対応について活発な議論が交わされていた。張纏ら武装警察軍の姿はなく、街を支配しているのは民衆だった。議論の中心にいるのは関羽。主戦論を唱える彼女の主張に、少なくない数の民衆が同意する。

 

「異議なし!奴らが黙ってるワケがない!」   

 

「袁家が我々に攻撃を加えようとしているのは明白だ! 準備は早ければ早いほどいい」

 

 張纏らを撃退したとはいえ、小沛城の防衛能力は脆弱そのもの。かつては徐州の前哨基地として有数の堅城であったが、袁術の傘下に入ってからは防衛費削減の煽りを受けて弱体化している。城壁などはともかく、食糧や武器の備蓄はおよそ1週間分しかない。

 

「汝南には、袁術軍の兵站基地があります。そこを襲撃すれば、兵糧も必要分を賄えるはず――」

 

「いけません」

 

 主戦論で盛り上がる場を鎮めるかのように、小さな声が聞こえた。鳳統だった。

 

「しかしだな、雛里……」

 

「袁家にも面子があります。こちらが先に袁家を攻撃すれば……戦争は避けられません」

 

「この期におよんで何を言っているんだ!? 相手は桃香を撃ったんだぞ!?」

 

 関羽が唸る。あの事件の後、重体の劉備はすぐに医者の元へと運ばれ、辛うじて一命を取り止めた。しかし意識はいまだに戻らず、予断を許さぬ状況だ。

 

「あれは事故で……」

 

「事故で済むもんか! 桃香は殺されかかったんだぞ!? 我々が許したところで袁家は感謝なんてしない! 2度目、3度目の“事故”で今度は何人が殺される!?」

 

 周囲は静まり返った。人々は不安そうな顔を浮かべ、関羽と鳳統、どちらに付くべきか迷っているようにも見受けられる。

 

 鳳統は関羽に近づき、その目をじっと見つめた。

 

「まだ袁家からは何の公式発表もありません。攻撃してくると決まったわけでは無いんです! わたし達が話し合いもせず一方的に決めつけて先制攻撃をすれば、それこそ交渉の糸口は断たれます!」

 

「そんなもの、ただの時間稼ぎに決まっている! 袁家は端から話し合う気などない! 何度も見ただろう!」

 

「だとしても、です。袁家に抗議するなら、なおさら袁家と同じになってはいけません!」

 

 汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいる……これは後世のとある哲学者の言葉だが、ここで暗示されているのは物事の相対性だ。袁家の暴力に対抗するために暴力を振りかざす、そうした矛盾は必ず自身へ跳ね返ってくる。

 

 しばらく鳳統と関羽は睨み合っていたが、やがて先に折れたのは関羽の方だった。

 

「……わかった。先制攻撃はしない」

 

 だが相手が攻撃してきたらこちらも反撃する、そう言い残して関羽は踵を返した。

 

 鳳統はほっと胸をなでおろしながら、大切な友へ心の中で感謝するのだった。だが同時に、恐らく関羽の方が意見としては常識的なのだろうとも考えていた。

 

 袁家は敵に容赦しない。それが己より弱い敵となれば、猶更だ。

 

 

 **

 

 

 そして鳳統の悲観的な予想通り、劉備の想いは南陽には届かなかった。同時刻、人民委員は隣接する都市に戒厳令を布告し、抗議活動を行った人間を即座に殺すよう命令を下していた。

 

 

「庶民共が、まさかこんなことを起こすとは……」

 

 南陽の宮殿で、そう呟いたのは法務委員長・楊弘だった。周囲には急遽集められた人民委員たち及び高級官僚達で溢れていた。

 

 この頃、宛城には次々に凶報が届けられていた。反乱の火の手は大方の予想を裏切って瞬く間に広がり、あらゆる領地で役所や官公庁が襲われている。

 

「広陵、東海、彭城、梁国、陳国、魯国……やれやれ、これでは東部一帯が火の海ではないか」

 

 当初は単なる庶民の蜂起だと思って甘く見ていたものの、それが僅か一週間ほどで燎原の炎の如く広がってしまった。いつ他の地域に飛び火してもおかしくない状況であり、予断を許さなかった。

 そんな危機的状況においても、相変わらず人民委員はひとつにまとまり切れていなかった。楊弘などは意気揚々と賈駆らの責任追及にかかる有様だ。

 

「同志賈駆、これは君の責任だぞ。今回の件をどう説明するつもりだ?」

 

 コイツは事の重大さが分かっていないのか。もはや怒りさえ通り越し、賈駆は可哀そうなものを見るような目で楊弘を見つめる。

 

「そうね。確かにボクたち保安委員会は、今回の事件を止められなかった。副議長・張繍と精鋭部隊たる武装警察軍まで出したのにも関わらず、蜂起の鎮圧に失敗した」

 

「ほう、やっと自己批判する気になったか」

 

 一瞬、勝ち誇るような表情を浮かべた楊弘を無視して、賈駆は再び口を開いた。

 

「これが何を意味しているのか……結論は一つしか無いわ。――警察では力不足だという事よ」

 

 袁家の支配地域において、秘密警察の権力は絶大である。しかし賈駆はその長として、同時に限界をもまた熟知していた。秘密警察の持つ最大の武器は「恐怖」に代表される『権威』であり、物理的な強制力である『権力』は考えられているほど強大ではないのだ。

 

 まさに最悪のタイミングだった。豫洲では農民反乱が起こり、徐州は関羽らを中心とした反政府勢力によって小沛が占拠、おまけに揚州の戦闘は膠着状態に陥っていたからだ。鳳統ら一部の人間は劉備の意志を継いで対話の可能性を捨てていなかったが、もはや袁家の側に対話に応じるような余裕はなかった。

 

「軍を出すしかあるまい! それ以外に方法はない! あの愚昧なる平民どもに今一度我らの力を示し、傷ついた政府の威信を取り戻すのだ!」

 

 軍務委員長・袁渙の大声が大広間に響く。彼の威勢の良い言葉に続くようにしてそうだそうだ、と周囲の貴族から賛同の声が上がった。

 

「しかし、軍の主力は既に揚州に……」

 

 大広間の中の空気が軍隊による治安維持に決まりかけた中、閻象が疑問を投げかける。

 

 揚州では、依然として袁術軍と揚州軍の戦闘が続いている。現地には8万に及ぶ大軍が進駐しているが、連日のように増援の要請が来ている。そのうえ補給面での負担も馬鹿にならず、揚州派遣軍は袁家の金庫を瞬く間に食い荒らしていった。

 

 直接口には出さなかったが、閻象はこの辺りが引き時だと考えていた。撤収とまではいかずとも、派遣軍の規模を縮小するぐらいは検討すべきだ、と。

 そんな彼の発言の真意を理解したのか、袁渙は慌てたようにして必要以上の声で叱責する。

 

「いまさら戦いを止めろとでも言うのか!? 揚州を完全に制圧する、それが開戦時の決定事項だったはずだ!」

 

「交戦期間は最大2か月、予算は3年分の歳入を超えないこと……この2つも開戦時の決定事項だったはずですが」

 

 自身の発言がブーメランとなって跳ね返り、黙り込む袁渙。

 

 開戦時、揚州北部を破竹の勢いで進んだ袁術軍であったが、南部への侵攻は難航していた。揚州南部は地形が山がちな上、長江のような河川が無いため補給にも支障をきたす。短期決戦、という前提で組み上げられた臨時予算は既に大幅にオーバーしていた。

 

「だったら徴兵を……」

 

 

「――その徴兵対象である平民が反乱を起こしているんでしょう? いま奴らに武器を与えれば何をするか分かりません」

 

 荒れる会議を鎮めたのは、遅れて入室した張勲だった。その後ろには劉勲と取り巻きたちも付いている。

 文句があるなら解決策の一つでも出してみろ、と言いたげな袁渙の表情を見て、張勲がうっすらと笑う。

 

「そうですねぇ、領内に兵がいないなら外部から雇えばいいじゃないですかぁ?―――傭兵、とか」

 

 指を立て、いかにも名案だとばかりに一人でうんうんと頷く。が、周囲の反応は芳しいものではない。

 

「傭兵だと? まぁ、案としては悪くないが……腕の立つ傭兵の大部分はとっくに華北へ移動したと聞く。あそこは以前から曹操やら袁紹やら公孫賛やらが争ってるからな。新規契約できそうな腕利きの傭兵となると、もう中華にはほとんど残ってないだろうよ」

 

「あら、どうして中華限定なんですかぁ?」

 

 さらっと返された張勲の返事に、一斉に息を飲む音が聞こえた。強硬派の袁渙すら、思ってもみなかった解決策に狼狽の色を隠せない。それほどまでに、張勲の発言は常軌を逸しているものであった。

 

「それはつまり……」

 

「ええ、その通りです。――異民族、使っちゃいましょうよ」

 

 それは即ち、蛮族を以て中華の民を殺戮することに他ならない。政府が外国人兵士を使って自国民を虐殺するのだ。

 

「漢人の部隊は遠隔地へ移動させましょう。その代りに、西涼から傭兵を補充します」

 

「しかし……!」

 

「目下、最大の問題は兵の忠誠心です。彼らの一部は反乱軍に親近感を抱いていますからね。その点、異民族ならば申し分ない。お嬢様の施しに、剣と血で答えてくれるはずです。――違いますかぁ?」

 

 張勲が要求するのはただ一つ、袁術への忠義である。そこには漢民族も蛮族も関係ない。

 

「異民族である彼らの場合、お嬢様以外に後ろ盾はありません。傭兵なんて不安定な身分じゃ、自分達を雇ってくれるお嬢様だけが頼りです。だから美羽さまには絶対服従ですよ」

 

 加えて異民族の兵士ならば、中華の土地に地縁も血縁もないはず。反乱分子に知り合いもいないし、彼らに仲間意識を感じられるほど社会に同化できてもいない。だから雇い主の命令で、虐殺でもなんでも簡単に出来るのだ。

 

 あるいは、もっと切実な理由もある。外国人であり容貌も違い言葉も不自由な異民族が傭兵隊から逃亡しても、すぐに異民族傭兵だとわかってしまう。逃亡してもすぐに見つかってリンチに遭うのは明らかであり、最後まで軍に留まって戦うしかない。好むと好まざると、彼らは逃亡する事ができないのだ。

 

 ならば猶更、お嬢様にとって都合がいい……張勲は自分でも名案だと思いながら、ほくそ笑んだ。彼らは死の瞬間まで、美羽さまに忠誠を誓って戦い続けるだろう。

 

 

 そうと決まれば動きは早かった。外務委員長・閻象に命じて傭兵を集めさせる。特に西涼のような厳しい環境の土地には強兵が多く、貧しさゆえに兵の成り手も多い。

 

 そして保安委員会には、反乱軍の親戚全員を逮捕し一人残らず収容所へ連行するよう劉勲から指示が下った。抵抗した場合にはその場で処刑も止む無し、との許可もある。名目上は危険人物の監視であるが、その内実が人質の確保であることは衆目の一致するところであった。

 

 

 **

 

 

 この卑劣な行いに対して、小沛の市民は激怒した。彼らは一線を越えてしまったことで、同時に精神的な恐怖感をも乗り越えてしまったらしい。袁家の脅迫に憤りを覚えようとも、恐れを抱いた者はいなかったのである。

 

「雛里!もう我慢でないぞ!あんな卑怯な事されて黙ってられるか!」

 

 有無を言わせぬ口調で、関羽が血走った瞳で鳳統を睨み付ける。

 

「こっちも人質を――!」

 

「それはダメです!」

 

 声を荒げる関羽の口を、鳳統が塞ぐ。

 

「何故だ雛里!? 人質を取るなんて真似されて、お前は平気なのか!」

 

「そういう問題じゃありません! わたし達がなぜ此処にいるのか、その意味を思い出してください!」

 

 此処にいる意味。自分が槍を振るう意味。そんなもの、一つしか無い。関羽は歯ぎしりしながら、絞り出すように告げた。

 

「……桃香の、理想の為だ」

 

 みんなが笑って暮らせる世界を作る、それが劉備の理想だった。自分はそのために戦っている。

 

「であれば、私たちは憎しみに飲み込まれてはなりません!復讐心に駆られて、袁家と同じ非道を行ってはいけないはずです!」

 

 彼女には珍しい、大きな声で熱弁を振るう鳳統。

 

「だが……!」

 

 それでも、関羽の表情は険しいままだった。頭では理解していても、感情が同意できないのだろう。それは鳳統にもよく分かる。彼女だって、内心では煮えくり返る思いだからだ。

 

「………それが、桃香さまの意志でもあるはずです」

 

「っ――!」

 

 大きく息を飲む関羽。それは彼女にとっての、呪いの言葉にも等しい。

 

 敬愛する主人を守れなかった――口には出さずとも、関羽が例の一件で激しい自責の念に駆られている事を、鳳統は知っていた。もう長い付き合いだ。彼女の思考も行動も、ある程度は把握している。彼女はきっと、この言葉には逆らえないだろう。

 そんな風に計算してしまう自分に自己嫌悪を覚えながらも、鳳統は関羽の答えを待ち続けた。

 

「……勝手にしろ」

 

 そっけなく吐き捨てると、関羽はさっとその場から退出する。無礼と言えば無礼な態度なのだが、これが彼女に出来る精一杯の譲歩。鳳統は心の中で感謝しつつ、その後ろ姿が見えなくなってから部下を呼ぶ。

 

「小沛城にいる捕虜の事ですが、どうするかは桃香さまと事前に取り決めています。彼らの自由と安全を保障するように。街の人々にも、乱暴は避けるよう通達してください」

 

 それを聞いた部下は一瞬、驚いたような表情をする。鳳統も予想はついていたのか、少し疲れたような苦笑いを浮かべた。

 

「武器を下ろしたなら、もう敵も味方もありません。彼らに復讐した気持ちは分かりますが、どうかそれを抑えてください。袁家を憎むあまり、わたし達が袁家になってはいけないのです」

 

 剣に頼る者は、剣によって滅びる。先代徐州牧・陶謙は曹操軍という暴力から民を守るために、同じ暴力で対抗しようとした。

 しかし結果は共倒れにも等しいもので、最終的に別の暴力――袁家によって徐州は支配されることになったのだ。それを間近で見ていた主――劉備には、何か思うところがあったのだろう。だからこそ「やられたらやり返す」という従来の抵抗とは別の、なにか違う方法によってこそ徐州の自立は達成されるのではないだろうか。

 

 怪物と戦う時は、己も怪物にならぬようにせよ。劉備は安易な暴力に頼らない困難な道を敢えて進むことで、覇道を突き進む曹操や袁紹とは違う王道を歩んできた。だからこそ、暴力や財力とは違う、平和という理想を民の前の掲げられたのだ。

 

 なればこそ、ここは復讐という常識的な手段を取ってはならぬ時。もし暴力という“常識的”な手段を選んでしまえば、その瞬間に劉備は他の諸侯と何ら変わらぬ存在になってしまうからだ。

 

 

 もっとも、市民の間では、どちらかといえば関羽寄りの意見が多数を占めた。「袁家討つべし」と息巻く市民たちを前に、鳳統らは平静と理性を求めて辛抱強く説得を続ける。無い時間の合間をぬって彼らの前に現れ、捕虜を含むすべての民に話し合いを呼びかけたのである。

 

 

 これと並行して鳳統たちは食糧の優先供給を拒否、一般市民と同等の待遇に身を置くことで彼らの決意のほどを示した。食糧は病人と子供に優先して配給されるようになり、結果からいえば袁家の脅迫的行為は失敗することになる。それは小沛の民衆を分断するどころか、却って団結を促したのであったのだから。

 

 

 また、鳳統の指示によって、捕虜にも常識では考えられない厚遇が施された。夜の寒さに震える彼らには空き家が寝床として提供されたばかりか、燃料として余った薪すら配られたのだ。思いもかけぬ施しに、元袁術兵たちは困惑した。

 

「どうして……俺たちにそこまでしてくれるんだ? 俺たちは……敵だったんだぞ」

 

 多くの元袁術兵にとって、それはまったく理解不能な出来事であった。袁家ならば、こうはいかない。首謀者は見せしめとして公開処刑され、それ以外の者は収容所で死ぬまで酷使される。

 

「我々は、君たちの友人を殺したかもしれないんだ。それなのに、我々が憎くないのか……?」

 

 そう、本来なら市民たちは捕虜を処刑してもおかしくないなのだ。袁家が人質をとっているという噂すら流れてきている。怒りに駆られて嬲り殺しにされるのが、常識だったはず。

 

 しかし民衆の代表は悲しげに首を振ると、困惑する元袁術兵を前に口を開いた。

 

「正直に言えば、わだかまりが完全に溶けたわけじゃねぇ。だがな、あんたらだって元は俺たちと同じ庶民だろ? 今は色々あってこんな事になっているが……きっと分かり合えるはずさ。少なくとも、劉備の嬢ちゃんはそう信じてる」

 

 劉備の気高い理想は、誰一人隔てることなく平等だった。傍から見れば、笑ってしまうほど非合理的な理想論。だが、劉備は長年にわたって公正な政治を心掛けてきたことは、小沛市民の誰もが知る所だった。

 

「最初はみんな冷めた目で見てたよ。あんな小娘に何ができる、ってな。実際、言ってることが空回りしてる事も多かった。でもな、何度追い返されても馬鹿にされても、劉備の嬢ちゃんは諦めないで俺たちの事を理解しようと頑張ってくれた」

 

「………」

 

「俺たちには、それが嬉しかった。そんな領主は見たことも聞いたこともねぇ。何十年も生きてて、初めての事だった」

 

 だからこれは恩返しだ、と。

 

「たしかに袁家のやる事は“合理的”って奴なのかもしれない。南陽に行ってきた友人が言ってたよ、あそこは使い切れないぐらいのモノが溢れてるってな」

 

 ただし、その代償が密告に怯える監視社会であるのなら。身内や友人すら、敵と見なさねばならない競争社会であるのなら――。

 

「俺たちは現実の見えない間抜けでも構わない。劉備の嬢ちゃんたちに付いていく」  

   




体制側の切り札「外国人傭兵」

 現代人視点から見ると色々問題ありそうな方法ですが、近代的な「国民軍」の登場以前は、兵士の半分ぐらいは外国人だったそうな。まぁ、そもそも「国民」意識自体があんま無かった時代なんで、あんま気にしてないだけなのかもしれませんが……。

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