【短編】誘われて隣人になり、気付けば通い妻になっていた話   作:ウルハーツ

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 携帯の画面に映る文香さんからのメール。そこには住所が書かれていて、その住所を頼りに到着したのは大きなマンションだった。それなりに良い所なのは外観から伝わって来て、文香さんが目の前にある建物の1室に住んでいる事を想像すると……余り違和感は無かった。お嬢様、とは違うけど良い所に住んでるイメージはあったから。

 

「!」

 

 突然持っていた携帯が震え始める。画面には『文香さん』の文字が映っていて、私はその電話を繋ぐと耳元に携帯を当てた。

 

「もしもし」

 

『無事に着けたみたいですね。見えるでしょうか?』

 

「?」

 

 文香さんの言葉は明らかに私がマンションの前に居る事を知っている内容。電話越しに聞こえる言葉に私がマンションの廊下を眺めると、とある部屋の前で小さく手を振る姿が確認出来た。軽く手を振り返せば、文香さんは部屋の番号を教えてくれる。頭の番号から階数も予想出来、私は電話を切ると文香さんの部屋へ向かった。

 

 部屋の前には私が到着するまで文香さんが待っていて、私は到着すると笑顔で家の中へ迎えて貰った。大きなマンションに合った広い内装は同じ1人暮らしとは思えない程で、私は思わず中を見回してしまう。そして文香さんに先導されながらリビングへ向かえば……私達を迎える様に1人の女の子がそこには座っていた。

 

「橘さんも来ていたんですね」

 

「文香さんに誘われたので。迷惑、ですか?」

 

「いいえ。嬉しいですよ」

 

 橘 ありす。それが彼女の名前であり、文香さんの友達らしい。かなり年が離れた友達な気がするけれど、私と文香さんだって同い年な訳じゃ無いから不思議な話では無い。最初会った時は警戒されていたのか余り私を見て良い顔をしていなかったけれど、今では仲良くなれた……と思ってる。自然と伸ばしてしまった手で頭を撫でると、照れくさそうにし乍らも拒絶されないから多分間違い無い。何か、妹が出来た気分。

 

「橘さんも今日は1日?」

 

「はい。許可も取れたので、一緒に文香さんの家でお世話になります」

 

「ふふっ。取り敢えず荷物を降ろして適当に過ごしましょう」

 

 今日私が文香さんの家にやって来たのは理由は、以前約束した『一緒に料理をする』という事を果たす為。日程はお互いに確認した結果、後日も休みである土曜日に決まった。その時、文香さんが『どうせなら1日泊まって行きませんか?』と誘って来た事で私はお姉さんに相談した。1人暮らしではあるけれど、お姉さんの家の事を熟している身としては勝手に泊まる事は出来ないから。お姉さんは少し心配そうだったけれど、私ももう高校生。相手が自分より年上である事も話して、長い会話の末に許可を貰う事が出来た。…………実は今回の誘い、私自身は凄く嬉しかった。お姉さんたちの家とは違う【友達の家】での【お泊り会】。一生に一度はしてみたい事だった。

 

「料理は夕方からしますか?」

 

「そうですね。材料はもう買ってありますので、買い出しの必要はありませんよ」

 

「何を作る予定なんですか?」

 

 まだ時間は午前中。今から作ってもお昼ご飯になってしまう可能性がある。簡単に作れない物を作るつもりではあるけれど、文香さんと一緒なら結構凄いのも作れる気がする。私と文香さんが話をしていると、気になった様子で質問する橘さんに私はもう1度文香さんへ視線を向けた。私は既に何を作るか説明していると思っていたけど、私の様子を見て微笑みながら首を横に振る文香さんの姿に違う事を理解した。

 

「橘さんは好きな食べ物、ありますか?」

 

「食べ物ですか? 苺が好きです!」

 

 何時も静かと言うか子供乍ら大人の様に振る舞う橘さんだけれど、私の質問に答えるその姿は年相応の笑顔だった。その様子を見るに苺が相当好きなのが伝わって来る。そして同時に文香さんが何故黙っていたのかも察する事が出来た。詳しいトッピングは決めていなかったけれど、今の答えでそれも決まった。

 

「決定、ですね」

 

「はい」

 

「? 結局何を作るんですか?」

 

 文香さんは橘さんの好物を知っていた様で、私がそれを聞いて同じ結論に辿り着くと予想していた様子。他人に理解されるというのは何と言うか……少し恥ずかしい気もする。だけど友達思いの文香さんらしいと言えるかもしれない。私自身も文香さん越しにだけれど、同じ考えになれた自分を誇りたい。私と顔を合わせて笑みを浮かべるその姿に私も返して、文香さんと一緒に橘さんの質問に答える。

 

≪苺のケーキです≫

 

 その瞬間、橘さんの表情は満面の笑みに変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケーキ。それはお菓子を作る人なら挑戦する可能性の高い嗜好品。だけど1人暮らしでケーキを作ろう等とは考える事も無く、何か祝い事があったとしても購入で済ませてしまう場合も多い。……だけど今回、私と文香さんはそのケーキを作るつもりだ。ケーキと言っても様々な種類の物があるけれど、今回作るのはホール型のケーキ。橘さんの好物である苺を沢山使い、スポンジから生クリーム等々全て家で作る予定だ。さて、どんな物が出来るのか。

 

「楽しみですね」

 

「あ、ありすちゃん。過度な期待はしないでくださいね?」

 

「大丈夫です。御2人が作った物なら絶対美味しいと思います」

 

「3人、ですよ。橘さんも手伝ってくれていますからね」

 

 それぞれが手を動かしながら会話をする。橘さんは自分が入っている事に驚いている様子だけど、一緒にメレンゲを作ったりしているのだから当然の事。橘さんは「そうですね」と微笑みながら呟いた後、何かを思った様に手を止めて私に視線を向け始めた。

 

「あの……私の事、ありすと呼んでくれませんか?」

 

「え? ですが……」

 

「確かに最初、名前で呼ばないでくださいと言いました。ありすと言う名前は私自身、余り好きでは無いので。でも私の周りに居る人の多くは私が背伸びしてると考えているのか、お願いを無視して呼んで来ます。正直余り親しく無い人に呼ばれるのは不愉快です」

 

 橘さんと初めて出会ったのは半年以上前、文香さんが手伝いをしている古本屋だった。適当に本を見る為に寄った時、店番をする文香さんと仲良さげに話している姿を見掛けた。そして文香さんが私に気付いて話し掛け、隣にいた橘さんを私に紹介したのが出会いとなった。文香さんと話をしている間、不機嫌そうに私を見るその姿はまるで大好きな姉を取られた妹の様で、敵視とまでは行かなくても良い感情を抱かれていなかったのは間違い無い。そして文香さんに促されて自己紹介する事になった時、彼女は私に言った。

 

『……橘 ありすです。名前では絶対に呼ばないでください』

 

 その時は理由を教えては貰えず、私は彼女の言う通りに名前で呼ぶ事はしなかった。その後も極稀に出会う事はあれど、話す回数は片手で足りる程度。少し不思議だったのは私が再会した時、『橘さん』と呼んだ事で彼女が驚いた事だ。自分でお願いしたにも関わらず、何故驚くのだろう? その時はそう思った。

 

「ですが文香さんの様に、もう名前で呼んで貰っても不快にならない程には仲良くなれてると思うんです」

 

「橘さん……」

 

「それに、基本私を子供扱いしない人は珍しいんです。ですから、お願いします。あ、さんも要らないので。敬語も無しで構いません」

 

 私から見てもまだ幼い彼女だけれど、その考えは十分に大人顔負けのものなのかも知れない。しっかり私の目を見てお願いをする彼女に私が断る理由なんて何も無かった。文香さんの時には年上のお姉さんという事もあって比較的スムーズに呼べたけど……呼んで欲しいと言われて呼ぶのは少し気恥ずかしい。でも私の言葉を待つ彼女をこのまま待たせる訳にも行かない。私は静かに深呼吸をして、彼女と目を合わせた。

 

「あ、ありす」

 

「! も、もう1回お願いします!」

 

「ありす」

 

 少しだけ頬を染めながらも嬉しそうに言うありすに私は言われた通り、その名前を繰り返す。この後何故か5,6回程繰り返す事になり、やがて満足した様子でありすは手元を再び動かし始める。大きくありすとの仲が深まった様な気がして、私はふと一緒に作業をしていた筈の文香さんに視線を向けた。……文香さんは此方を見ながら優しい笑みを向けていた。全て、見られていたらしい。

 

「良かったですね、ありすちゃん」

 

「文香さん……はい!」

 

 その後、私の顔に起こる火照りはケーキが出来上がるまで静まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出来上がったケーキは初挑戦乍ら、そこそこ美味しい出来栄えだったと言える。ありすも美味しそうに食べてくれて、大き目の1ホールを作った事で食べ切れなかった分は私とありすで持ち帰る事になった。最初からそのつもりで大きいのを作った様子で、私はお姉さんに渡す。ありすはご家族に渡すつもりらしい。

 

 お腹も一杯になった事で私達はそれぞれお風呂に入る事となった。文香さんは自分の家だけれど、私にとっては初めてお泊りをする故の慣れないお風呂場。1人で入るにも関わらず少しだけ緊張して、私は身体を洗った。……そして自宅よりも少し広い浴槽でお湯の温かさに癒されていた時、ガラスの扉越しに声が聞こえ始める。

 

『湯加減は如何でしょうか?』

 

「あ、大丈夫ですよ。とても心地良いです」

 

『文香さん』

 

 文香さんの声に私は大きな声を出して答える。響き渡る自分の声に少し煩く感じ乍ら、次に聞こえるありすの文香さんを呼ぶ声に私は耳を傾けた。だけど先程私へ話し掛ける為に出した声とは声量が違う様で、その内容を聞き取る事は出来ない。しばらく黙って居た時、再びガラスの向こうに人影が立った。

 

『あ、あの……私達も入って良いでしょうか?』

 

「はい?」

 

『親睦を深める上で一緒にお風呂に入りましょう』

 

「で、ですが」

 

『もう脱ぎましたので、失礼します』

 

 思わぬ提案に困惑する私を置いて、当然の様に浴室の扉が開かれる。そこには何も纏わぬありすの姿があり、その向こうに壁で半分見えないけれど下着姿になっている文香さんの姿もあった。

 

「え? あの……え?」

 

「やっぱり。文香さんの家のお風呂は結構広いですから、3人で入っても大丈夫そうです!」

 

 浴室の中を見渡しながらありすはそう言った後、湯船に浸かる私に視線を向ける。先程と違って私もありすも裸で、同性ではあるけれど家族やお姉さん達ぐらいにしか見られた事無かった私は凄く恥ずかしかった。学校で年に1回ある様な泊まりでは、友達と言える人もいないせいか意識する事なんて無かったから余計に。

 

「その、お邪魔します」

 

「文香さんまで……」

 

「ありすちゃんが『もっと仲良くなりましょう!』と言ったのでつい。嫌、だったでしょうか?」

 

 正直、その言い方は卑怯だと思う。確かに恥ずかしいし困惑もしているけれど、嫌という訳では無い。だけど喜ぶのも違う気がするから……結局私はどうなんだろうか? 取り敢えず不安そうに此方を見る文香さんに首を横に振る事でしか、私には答える事が出来なかった。

 

「折角ですから、洗いっこもしましょう」

 

「あ、洗いっこ?」

 

「ありすちゃん。もう既に洗い終わってると思いますよ?」

 

「大丈夫です。もう1度洗えば良いだけですから!」

 

 何だろう。名前で呼ぶ様になった辺りから、ありすの様子が大分変わった気がする。今まであった壁や距離が無くなって、傍で年相応に甘えて来ている感じ……で良いのだろうか? とにかく、彼女の中にあった遠慮が無くなった様な。そんな感じがする。文香さんの言う様に私は既に頭も体も洗い終えたけど……偶にはこんな事も良いかもしれない。

 

「仕方ない、か。ありす、髪を濡らして。洗ってあげる」

 

「ぁ……」

 

「! はい!」

 

 湯船から出る私の姿に何処か呆けた様子で此方を見つめる文香さんと、子供らしく喜んだ様子で返事をするありす。後者は分かるけど、文香さんは分からない。私がした事と言えば湯船から出た事ぐらいで、その後も入る前に使って良いシャンプーなどを聞いていた私がそれを泡立てる横で文香さんは動き出しもしなかった。

 

「文香さん?」

 

「っ! は、はい」

 

「どうかしましたか?」

 

「い、いえ……何でもない、です」

 

「?」

 

 様子のおかしい文香さんに声を掛ければ、我に返った様に返事を返してくれる。だけどどうしてそうなったのかは結局分からず、同じ様にシャンプーを手に乗せるその姿に私は首を傾げる事しか出来なかった。文香さんの行動から一緒にありすの頭を洗おうとしているのは明白で、私は考えるのを止めると目を瞑って待ち続けるありすに声を掛ける。

 

「それじゃあ今から2人で髪を洗うから、目を開けない様に」

 

「はい」

 

「…………ずるいです」

 

「え?」

 

 ありすの返事を聞いて髪にシャンプーを撫でる様に付け始めた時、反対側で同じ様に髪を洗う為に手を動かす文香さんが小さな声で告げた。一体何に対して文香さんは『狡い』と言ったのか? 手を動かしながら私が目を合わせると、文香さんも手を動かしながら喋り始めた。

 

「私の方が知り合って長いのに、ありすちゃんには敬語無しで喋るんですね」

 

「まぁ、そうお願いされたので。それに文香さんの場合、年上ですから」

 

「……私も敬語は無い方が良いです」

 

 まさかそんな事を言われるとは思ってもみなかった。敬語が外れた理由は外す様に言われた事もあるけれど、年下だったからという理由も大きい。お姉さんには子供の頃からの付き合いだったから最初から無かったし……でも本人がそう願っているのならそうするべき、なのかも知れない。

 

「分かった。年上の人にするのは気が引けるけど、文香さんにだけは頑張ってみる。でもさん付けは外せない。親しき仲にも礼儀あり、だから」

 

「はい、それでも十分です。ふふっ、ありすちゃんの言う通り。一緒にお風呂に入ればもっと仲良くなれました」

 

「あの、お話が終わったところで……そろそろ流して欲しいです」

 

 ありすちゃんの言葉に私と文香さんはずっとその髪にシャンプーを伸ばしていた事に気付いた。思わずお互いに見合ってしまい、笑ってしまう文香さんの姿に自然と私も笑みが零れた気がする。

 

「っ!」

 

「? どうかした?」

 

「い、いえ……何でも無いです」

 

 何かに撃たれたが如く突然反応を見せる文香さんに私はシャワーへ手を伸ばしながら質問する。だけどその様子になった理由を説明しては貰えず、私は気になりながらもありすの頭を洗う事にした。……その後、文香さんは自分で洗うという事でありすと互いに背中を流した私達は3人で湯船に浸かる。足を伸ばす事は出来ないけど、並んで座れば問題無く3人でも入る事が出来る広さだった。

 

「文香さんとは何度か入った事ありますが、違う人と入るのは新鮮ですね」

 

「? ありすは何度か泊まってるの?」

 

「あ、いえ。そういう訳じゃ無いんですけど……」

 

 ありすの言葉からてっきりもう何度か泊まった事があると思ったけれど、どうやら違うらしい。そう言えば文香さんとありすはどうやって仲良くなったんだろうか。私は勝手にありすも本を読むから私と同じ感じで仲良くなったと思ってたけど、もしかして違うのかもしれない。その辺は聞いてみたい気もするけど……今は流石にそれどころじゃ無くなって来た。頭がボーっとしてきたから。多分、長くお風呂に入り過ぎたからだと思う。

 

「流石に逆上せそう。先に出るね」

 

「あ、はい。バスタオルの位置は分かりますか?」

 

 入る前にシャンプー同様色々場所の説明は受けていたから、大丈夫の筈。私は頷いて浴室を後にすると、脱衣所でバスタオルを手に身体を拭き始めた。

 

『何時か、話せるでしょうか?』

 

『大丈夫です。私達の事を知って態度を変える様な人じゃないですから』

 

 まだ浴室の前であった事と、扉がピッタりしまっていなかった事で話声が私の耳にも届く。どうやら2人は私に何か共通の秘密を持っているらしい。当然気にもなるし、聞けるなら今すぐにでも聞きたいと思う。でも……こういうのは向こうから打ち明けてくれるのを待つのが一番良い。私は持参したパジャマを着て、脱衣所を後にした。

 

 その後、私達は泊まりという事もあって布団の中で色々な話をした。途中で私のお姉さんについての話にもなったし、説明する内に文香さんの様子が少し変わって行ったのは覚えてる。だけど話の途中で眠ってしまったらしく、気が付いたら私は朝を迎えていた。まだ眠っている2人を起こさない様にして、朝ご飯や洗濯を終わらせた私は2人を起こして一緒に朝食を取り、お昼頃まで文香さんの家で寛いでから帰宅する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『仕事先で貰ったんだが、俺は行く時が無くてな。良ければ使ってくれ』

 

 私の手にはプロデューサーさんから貰った遊園地の無料チケットが2枚。貰った本人は私以外にも他のアイドルを担当しているから、行っている暇が無いとの事で偶然貰って最初に居合わせた私にそれを譲ってくれた。最後に遊園地に行ったのは……何時頃だろう? あの子と行ったのは間違い無いけれど、それが何時だったかは思い出せない。後で寝室にある日記を確認してみよう。

 

「もう帰って来てる頃よね?」

 

 昨日、あの子は私と一緒に別の場所へ来て初めて出来たという友達の家へ泊まりに行った。朝見送って最後、夜に自宅へ帰っても普段付いている明かりは真っ暗で夕飯の用意も無ければ私を迎える彼女の姿も無い。誰かの家に泊まりに行くと聞いた時、私は凄く心配になった。自分が耐えられるのか? と。当たり前の様に迎えてくれる彼女が居ない事を想像しただけで胸が締め付けられて、途轍もない喪失感が私を襲う。だけど彼女を私に縛り付ける訳にも行かず、彼女曰く料理を一緒に作る事が大きな目的という事もあってそれが私の為でもあると分かった故に私は耐える事を決意した。

 

「はぁ~、会いたいよ」

 

「あれ、お姉さん?」

 

 無意識に零れた声は誰にも拾われなかったけれど、突然掛けられた声に私は反射的に顔を上げた。そこにはネギの刺さったエコバックを片手に立つ彼女の姿があって、私は頭の中が真っ白になる。気付けば身体が動いていて、彼女が困惑する声を聞きながらもその身体を抱きしめる。

 

「え、えっと……どうしたの? ! 何かアイドルの仕事で辛い事でもあった?」

 

「ううん。そうじゃないの。唯、少しだけこうさせて。お願い」

 

 彼女の身体を感じ乍らお願いをした時、返事をする様に彼女の腕が私の背中を抱きしめてくれた。体格差から大きい私が小さな彼女に抱き着いている為、彼女の腕は私の背中を包み込むには至らない。だけどそれをしようとしてくれた事が、喪失感で一杯だった心を満たしてくれる。時間は既に暗い事もあって街灯の明かりに照らされながら、少しの時間私は彼女の身体を感じ続けた。

 

「……ありがとう、落ち着いたわ」

 

「大丈夫? 何かあるなら、相談して」

 

「本当に辛い事とかは無いの。唯少し……寂しかっただけよ」

 

 首を傾げる彼女に少し元気も出た事で笑いながら答えた後、私は背に回った彼女の手をとってエコバックの中身を覗いてみる。食材的に出来るものは……かに玉辺りかもしれない。

 

「帰りましょう。これからお夕飯、作るんでしょ?」

 

「うん。昼過ぎに帰って来て片づけしてから夕飯を決めて今買って来たところだから、少し時間は掛かる。先にお風呂溜めるから、入って」

 

「えぇ。そうするわね」

 

 何気ない会話でも、空いた私の心には染み渡る気がした。あぁ、そうだ。あれを渡さないと。

 

「実はね、今日こんな物を貰ったの」

 

「? 遊園地のチケット?」

 

 余り変わらない表情ながらも驚いた様子で私の手にある2枚のチケットを見る彼女に私は頷いた後、彼女を誘う。彼女は少し考えてから頷いてくれて、今度私がオフの日に一緒に遊びに行く事を約束した。

 

「私で良いの? 他にアイドルの友達とか、居ない?」

 

「最初に誘うなら貴女って決めてたの。だから大丈夫。それに他の子は皆私がオフの日、忙しいから……ね?」

 

 誰かが休めば誰かが働く。どんな仕事でもそれは普通の事。彼女は働いた事が無くてもそれを理解出来ていて、私の言葉に納得してくれた様子でまた頷いてくれた。その後自宅に到着するまで、私は片手に感じる温もりを大事にしながらその日を楽しみに感じる。……あぁ、でもその前に楽しみな事があった。

 

「お夕飯、楽しみにしてるね」

 

「過度な期待は厳禁だよ」




遊園地の話も考え中だから、多分もう1話作ると思う。何時出来るかは分からない。投稿形式、連載に変えた方が良いかな……。


常時掲載

【Fantia】にも過去作を含めた作品を公開中。
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