正直、どのシーンより難しかったです。
人間を書くのって、難しい…
とりあえず、第三部完結です。
「それじゃあ、エルがいつ目を覚ますのか、先生にも分からないんですね…」
エルの病室。
その中で孝一達は、カエル顔をした医師に、エルの状態について説明を受けていた。
身体機能や、臓器、遺伝子レベルで、エルは酷い損傷を受けている。
今はその、傷ついたいた体を癒す、休眠期間に入っているのだ。
その為、彼女がいつ目を覚ますのか、それは誰にも分からないという。
「…その日は、今日かもしれないし、明日なのかもしれない…。だが、確実に彼女は目を覚ます。…今は待ちなさい。そして、もしエルさんが目を覚ましたのなら、笑顔で迎え入れてやりなさい。それが、彼女の友達として、君たちが出来る、一番のことだ」
説明の最後にそういって、カエル顔の医師は、孝一達の顔を見渡した。
(…彼女の生まれは、とても不幸だったけれど、それでも、救いはあったと思う…。こうして君達という友達を得る事が出来たのだから…。彼女は、一人じゃない。だから、これからも、彼女を支えて欲しい…)
医師は、心の底からそう思った。
バシュ
そんな時、病室の自動ドアが開閉される。
入ってきたのは、一人の女性だった。その手には、キレイな花束と、絵本が入った紙袋が握られている。
「あ…。あなたは…?」
孝一は、いきなり入ってきた女性に少し驚いたが、良く見ると、その女性には見覚えがあった。
彼女は、徳永製薬会社に侵入したとき、佐天さんと一緒にガラスの檻に閉じ込められていた女性。そして、エルを外の世界に連れ出してくれた女性。その名前は確か--
「安宅さん…」
孝一が答えを出す前に、佐天は思わずつぶやいた。
◆◆◆
「…世間一般ではね、私は存在しない事になっているの。…奴ら、私を捕まえた瞬間に、私の戸籍や個人情報を、全て消去したの。…だから、ここにいる私は、存在しない、幽霊(ゴースト)と同じ存在という訳…。笑っちゃうでしょ?」
そういって、女性は、花瓶にさしてある古い花を抜き、持参した新しい花に入れ替える。彼女はこうして毎日エルの元へ、足繁く通っているのだ。
「…今は先生のご好意で、ここに身を置かせて貰っているの…。これから先のことは、まだ分からないけれど、彼女が…エルが目を覚ますまでは、ここに留まるつもり」
そういって、エルの眠っている鉄の機械に近づき、顔の部分に手をそっと置き、なでる。
そして、孝一のほうへ顔を向け、お礼の言葉を口にする。
「あなたが、広瀬孝一君ね?あの娘にエルという名前を与えてくれて、匿ってくれた…。ありがとう、エルがこうして無事に生きていられるのは、あなたのおかげよ…。本当にありがとう。あの娘に、人間らしい感情を、与えてくれて…」
そういって女性は深々と、孝一に対してお辞儀をする。
「…」
一方の孝一は、お礼の言葉に対し、何も言わない。この言葉は、まだ受け取れない。彼女に、重要なことを聞いていないからだ。
「失礼ですけど…。安宅さん…じゃなくて…。えーっと…」
「ああ、ごめんなさい。今は水無月(みなづき)って名乗っているの。母親の旧姓なんだけど…」
女性の・水無月の話をさえぎり、孝一が話を切り出す。
「…水無月さん。失礼を承知で、お願いがあります。…どうかあの娘の、エルの、本当の母親になって頂けませんか?」
「!? そ、それは…」
そういって孝一は水無月の顔をじっと見つめ、話を続ける。その顔は真剣そのものだ。
周囲の仲間達は、そんな孝一の言葉に、一瞬戸惑う。
「…ああ。そっか…」
やがて、佐天と初春は、孝一の意図を理解した。
「水無月さんは、研究所で、エル達の世話係りをしていた方ですよね?そして、エルを逃がしてくれた…。最初は、ただの同情心からかと思いましたけど、佐天さんや、エルの話を聞いていると、どうも違うように思えました…。あなたは、いつの間にか本当に、エルを自分の娘の様に感じていたんじゃないですか?」
それはただの妄想や過大解釈なのかもしれない、ひょっとしたら、孝一の思い込みで、本当に同情心からエルを逃がしただけなのかもしれない。でも、それでも構わない。恥なら後で、いくらでも掻いてやる。
…今しかないのだ。恐らく、この機会を逃したら、彼女はエルの前からいなくなってしまう…。
だから話を続ける。彼女にあるはずの、エルに対する愛情に賭けて…
「でも、私は…この娘の母親になる資格なんて、ない…」
その時、孝一は確かに聞いた。水無月から発せられた、言葉を…その意味する所を…
(良かった…。希望は、まだある!)
孝一はそう思った。そしてその思いに呼応するように、佐天が口を開く。
「水無月さん…。一つだけ教えてください。エルちゃんを"愛していますか?"それとも"愛していませんか?"どっちなのか、教えてください」
「あ…愛…」
水無月は目をそらし、言いよどむ。
…大人の悪い癖だ。世間体や、その他諸々のしがらみに溢れた生活をしてきたせいで、こういう時、本心を言うことに慣れていないのだ。だから…その言葉がどうしてもいえない…。
「…はあ~。大人って奴は、これだから…」
そういって、仕方ないなという風に頭を掻き、「初春」と、彼女の名前を呼ぶ。初春は、水無月の前まで歩み寄ると、彼女の持っている紙袋を「すみません」と、ひったくる。
「…あっ」
「ふーん。色々入っていますね。子供向けの童話や、冒険小説。昔話までありますね」
そういって本を数冊手にする。そして、水無月にその本を返す。
「…水無月さん。もう自分を偽るのは、やめにしましょう?あなたは確実に、エルちゃんを愛しています。そうでなかったら、こうして毎日の様に、病室に通う事なんてないはずです。もし愛していないのならば、それこそ、すぐにでもエルちゃんの目の前から消え去ってしまえば良いだけの話ですから」
そうして、初春は、水無月の手をぎゅっと握り、彼女に詰め寄る。
「エルちゃんには今後、この社会に溶け込むために、様々な試練があるはずです。…ですが、それは安心してください。私達が友達として、きちんとフォローします。でも、それでも私達には出来ないことがあります」
そういって一呼吸間をおいて、話を続ける。
「…それは、家族です。エルちゃんには、まだ家族の温もりが必要なんです。そしてそれは、私達には与えることが出来ないんです。それが出来るのは水無月さん。あなただけなんです!」
初春も、佐天も、孝一も、今は遠く離れて合うことの叶わない家族に思いをはせる。彼らも、たまにふと、望郷の念に駆られることがある。
最初の頃は、会うことのかなわない両親が恋しくなり、枕を涙で濡らしたことも少なくなかった。そんな時励みになっていたのは、故郷から持ってきた写真であったり、小物であったり、近況を伝える手紙であった。
ほんの僅かでも、そこに家族の繋がりを感じることが出来たから、今日までやってこれた。そういっても過言ではなかった。
でもエルには、その繋がりがない。家族の絆も愛情も、暖かさも、知らない。それは、思春期を迎える少女にとって、どれほど不安で寂しい事だろう。
そして、今、彼女にあるその僅かな繋がりも、まさに絶たれようとしている。それだけは、なんとしても避けたかった。だが--
「ごめんなさい…。でも、私は…わたしは…」
水無月は声を震わせて、うな垂れている。
彼女の心は揺れ動いている。自分の心に、正直になろうとしている。だが、後一歩が足りない!
(どうして…。どうして一言言ってくれないんだ…!お願いだから、いってくれ!後一歩…。もう少しなのに…)
静寂が辺りを包んだ。
…もう、どうしようも、ないのか?
「…キュー」
その時孝一は、はっきりとその声を聞いた。そしてその声の方向へ振り向いた。それはエルの眠っている機械の上。そこに、白いはつかねずみ状の生き物がいた。その姿を、孝一は覚えていた。それは夢の中で出てきたねずみ…。瀕死の孝一の目の前で、孝一になついていたねずみ…。佐天さんの話を聞いた今なら分かる…。このねずみは…
(エル…。エルなのか…)
はつかねずみは、じっと孝一の方を見つめ、そのまま孝一を通り過ぎ、水無月のほうへと駆け寄る。
「キュー。キュー」
そして彼女の足に身を寄せ、体をこすり付ける。当然、彼女や周囲の人間にはこのねずみの生き物は見えていない。だれもこのねずみを無視している。それでも、ねずみは諦めず、彼女の足にまとわりついている。
(…そうか…。エル…。お前も戦っているんだな…。体を動かすことは出来なくても、必死に!…必死に母親を繋ぎ止めようとしているんだな!)
そして孝一は、エコーズact1を出現させる。
(…本当に感謝しているよ…。この能力を、エコーズの能力に目覚めたことを…。エル、見てろ!絶対に奇跡を、起こしてやる!)
そしてact1はある文字を作り上げる。その文字は、至ってシンプルな文字。それを水無月に向かって、投げつける!!
(お願いだ!エルの心、受け取ってくれ!!)
「!!?」
水無月の心に、ある言葉が染み渡る。…それは、まるでエルが発したように、ジンジンと胸に響く…
『エルを、愛して』
その言葉が、彼女の頑なだった心を、少しずつ溶かしていく。
「…ぁ…ぁぁぁ…」
水無月がその場にうずくまる。そして、自分の感情を吐露する。その瞳を、涙で滲ませながら…
「…怖い…怖いのよ…。あいつらの実験に加担していた私が、いまさらどの面下げて、母親面なんか出来るのよ…。目を閉じるたび、眠るたびに、あの娘達の姿が、こびりついて離れないの!まるで、私を恨むように、じっと見つめてくるの!!…あの娘を愛しているかって、聞いたわよね?…ええ。そうよ、愛している、愛してしまったのよ!!でも、何を話せばいいの!?結局、私はあの娘達の"かあさま”役。親子の会話なんて、した事もない…。なんていって、どんな会話をすればいいの?もし、あの娘が、私を否定したら?そう思うと、怖くて、怖くて、仕方がない…。どうしたらいいの…私は…」
まるで今までせき止めていたダムが決壊するがごとく、水無月は嗚咽しながら、誰にともなく語りかける。
その言葉を受け止めたのは、佐天涙子だった。彼女は水無月の方にゆっくりと歩み寄ると、目の前にしゃがみ、優しく語りかける。
「…そんなの簡単です。今の私みたいに、こうして一歩、相手に歩み寄るんです。そして何でもいい、とにかく何か、会話をするんです。最初は日常生活で感じた些細なこと、今日の晩御飯の話とか、テレビ番組の話とか、服の話、そんな簡単なことから始めていくんです。そして、ゆっくりとエルちゃんのことを知ってください。…大丈夫です。エルちゃんは、あなたの事が、大好きです」
「…でも、今の私には…あの娘を養うことすら出来ないのよ?…こんな私がどうやって?」
彼女はすでに、恥も外聞もなく涙を流しながら、佐天に尋ねる。
その時、ゴホンと咳払いをしたカエル顔の医師が、水無月に話しかける。
「そのことなんだが、実はね、うちの病院で薬剤師が一人、欠員が出ていてね。ちょうど求人を出そうかと思っていたところなんだ。水無月さん、たしかあなたは医学部に在籍していたんじゃなかったかね?もし良かったら、うちの病院で、働いてみないかね?」
そういって水無月に声を掛ける。
「ほ…本当に、いいんですか?…こんな私でも?」
水無月は突然降って沸いたような話に、驚きを隠せないようだ。
「ああ、君なら、患者の事を第一に考えて、仕事に当たってくれそうだからね。むしろこっちからお願いしたいくらいだよ。それで、どうだい?僕達と一緒に働いてくれるかい?」
しばらくの沈黙の後、水無月は嗚咽をこらえきれないのだろう。口を押さえ、小さく「はい…」とだけ答えた。
その瞬間、水無月の周りで歓声が起こった。佐天と初春がお互いに抱きつき喜び合い、孝一とジャックは右拳をコツンと合わせ、笑った。
「ヨッシャー!!後は戸籍や、ID、住民票、その他諸々の資料だけだな!安心しな、俺様の誇りにかけて、全てそろえてやる!どんなことをしてもな!」
そういって水無月に対し、ジャックがにこやかに親指を立てる。
「それなら、私もお手伝いできそうです。必要なことを言ってください。どんなデータバンクにもアクセスして見せます」
初春とジャックが、手を取り合いう。そして--
「よっしゃ。一丁やるか、嬢ちゃん」
「やりましょう!」
にやりと、不敵に笑った。
「…私は何も見ていないし、聞いてもいないよ…」
そういってカエル顔の医師は、やれやれといった表情を浮かべ、孝一に話しかける。
「なんというか…君は奇妙な友人に、恵まれているようだね?」
その問いに、孝一は笑って答える。
「ははっ。個性的でしょ?でも、いざという時には、とっても頼りになる、すごい人達なんです」
◆◆◆
「…ふーん。広瀬孝一君っていうのかぁ…、彼」
とあるビルの一室。
そこで広瀬孝一の資料をベッドで読みながら、ビジネススーツの男・「佐伯」はうれしそうに部下の少女に話しかける。
「欲しいなあ…。彼の体、是非とも調べてみたいナァ…。あー。でもでも、今は自重しないとなぁ…。派手なことやらかした後だしぃ…」
そういって、ベッドに寝転がり、ゴロゴロとし出す。
世間では、テログループ「宵の明け星」の組織は、ほぼ壊滅したとの情報が流れている。
その大元であり、テロ組織の隠れ蓑とされていた徳永製薬会社は、アンチスキルの手入れが入り、現在は閉鎖されている。
その事件の首謀者とされている、研究所所長の徳永は、現在行方不明であり、アンチスキルが懸命に行方を追っているらしかった。
「うーん。彼、どこに行っちゃったんだろうネェ…。無事に逃げおおせたのか、それともどこかでのたれ死んでいるのか…」
まぁ、生きていても、死んでいてもどちらでもいい。研究資料は無事に、確保できているのだから。
そう思い、「佐伯」もう一度、広瀬孝一の資料に目を通す。
一度は自重するといったばかりなのに…
そのあまりのご執着ぶりに、部下の少女が、
「必要なら、彼…。広瀬孝一を攫ってきますが?」
そう「佐伯」に進言する。
「佐伯」はしばらく思案していたが--
「…やっぱり止めましょう…。彼、広瀬孝一の交友記録を見てみなさい?常盤台の超電磁砲こと、御坂美琴がいるじゃないですか…。もしこの状況で、彼が失踪なんてして御覧なさい。必ず御坂美琴は出張ってきます。たった一人の少年を手に入れる為に、レベル5と事を構える事態は避けなければなりません。我々は、あくまで極秘裏に、深く静かに、実験を行いましょう…。金と、ゲームのためにね?」
そういってひらひらと、少女に対して手を振る。『もう用が済んだから、帰っていいよ』という合図だった。
「…」
その合図を見て、少女は無言でその場を立ち去る。
「さーて、しばらくは暇になりそうだし、ひとっぷろ浴びて、さっさと寝ますか」
そういって「佐伯」も部屋から出て行った。
闇で蠢く者達。
その活動は、しばらく沈静化しそうである。
◆◆◆
とてつもない開放感を、彼は感じていた。
自分がどこまでも広がっていくような…。それでいて、不特定多数の誰かと、様々な情報を共有している様な一体感を…
それが、とても心地いい…
彼…かつて音石だったものは、電子の海にいた。
エルにやられる最後の瞬間、彼は自身の体を、スパークさせ、周辺にあった電子機器の中へ逃げ込もうとした。試みは成功したが、同時に彼自身の中で、ある変化が訪れた。
それがこの開放感である。
そのおかげか、以前の彼にはあった憎しみという感情は、すっかりと無くなってしまった。
あるのは、ある種、達観したような思いだけである。
--このままここにいるのも、悪くねぇかもな--
彼はのんびりとした気持ちで、そう思った。こんな気持ちになったのは、いつ以来だろうか?
--広瀬孝一…。考えてみれば、何でアイツにこれほどまでに、拘ったんだろうな…。今思うと、自分で自分の感情が理解できない--
だんだんと彼は眠くなってきた。…ちょうどいい。人体実験のおかげで、眠ることすら禁じられていたのだ。このまま眠ることにしよう…。そして、眠りに落ちる直前、彼はこう思った。
--広瀬孝一。お前には、何か人を惹きつける、魅力みたいなものがあるのかもな…。俺がここまでこだわったのも、それが原因かもしれない…。ちょうどすることも無いんだ…。今度目が覚めたときは、お前の人生を観察させてもらうことにするよ…。お前の生き様って奴を、俺に見せてくれ--
そういって、彼の意識は、電子の海に広がる、無数で膨大な情報の渦の中に、消えていった。
◆◆◆
「ふぁあ」
柵川中学の朝のホームルーム。
その最中、広瀬孝一は、大きくあくびをした。
昨日、テレビの深夜番組を見ていたら、つい夜更かしをしてしまったのである。
(平和だなぁ…)
孝一は、平和な朝の光景を眠気とともにかみ締めていた。
…あれから1ヶ月が過ぎた。
エルは、いまだにその目を覚まさない。というより、最近は、会わせて貰っていない。カエル顔の医師の話によると、しばらく調整やら何やらが必要な為だそうである。
「はぁー」
孝一は机に突っ伏してため息を吐く。
こうやって、エルに会えない日々が続くと、アレは夢だったんじゃないかと勘ぐってしまう時がある。エルなんてそもそも存在していなくて、全て自分の妄想が生み出した、白昼夢だったんじゃないだろうか?
そんなことを思ってしまう。
「はぁー」
本日何度目かのため息を孝一が吐いていると、抑揚の無い声で教師がこう告げる。
「えー。皆さんすでに知っているとは思いますが、今日は、転校生の紹介をしたいと思います。最近、学園都市外から引っ越してきた、水無月さんです。…じゃあ自己紹介を…って、おい!」
(そういや、そんな話がでてたなー。話半分で聞いていたから忘れていたよ。どんな子なんだろ?)
そんな事を、孝一がボーっとした頭で思っていると。
「…孝一様」
孝一の頭の方で、そんな声がした…。周囲に耳を傾けると、なにやら騒がしい。一体なんだろ?
そう思い頭を上げると--
「あ…え…?」
孝一は目をこすった。自分はまだ寝ぼけているのだろうか?そんな事を思ったが、これは違う。彼女を見間違うはずが無い!
白い髪に、幼い顔立ち、セーラー服にロングスカートという出で立ちだったが、間違いなかった。彼女は--
「え…る…?」
「はい。エルです、孝一様。今は母様に、『水無月エル』という名前を貰いました」
そういって、エルは孝一の手をとると、ギュッと握り、そのまま孝一を抱きしめた。
「母様の件。ありがとうございます。エルは、ずっと見ていました。孝一様や涙子様、飾利様が、エルの為に、尽力してくれたこと、ずっと見ていました。そのお陰で、"かあさま"は、エルの本当の『母様』になってくれました」
そいってエルは、孝一の頬に擦り寄る。
「で、でも、どうして…?調整が必要なはずじゃあ…」
エルのスキンシップにドキドキしながら、孝一は尋ねる。
「あれは、嘘です。実はもっと早くに、エルは目を覚ましていました。…孝一様を、ビックリさせたくて…」
(そりゃあ、ビックリしたけど、でもなんで?どうしてここに?柵川に?)
その孝一の疑問を、今まで静観していた佐天が、これまた動揺しながら尋ねる。
「え…エルちゃーん?何をしているのかなぁ?朝っぱらからそんな事をして…。ねぇ?抱きつくなんて、はしたない。あはははっ。それに、どうして柵川の制服なんか、着ているのかなぁ?」
…なんか青筋が立っているようにも見えるが、見なかったことにしよう。
その佐天の問いに、エルが答える。
「それは、孝一様に会うためです。そのために、母様にお願いして、孝一様のいる学校に入れてもらったのです」
「は?」
「え?」
一瞬、周囲が凍りついた。そしてエルがさらにとんでもないことを口走る。
「エルは、孝一様が気に入りました。エルの命が続く限り、孝一様に仕えましょう。どうぞ何なりとおっしゃってください。きっと、孝一様のお役にたってみせますから」
そういって、再びぎゅっと孝一に抱きついた。
その光景に、周囲の男子生徒の大多数が、切れた。
「てめぇぇぇぇぇぇ!こういちぃぃぃぃぃ!佐天さんや、初春さんだけでは飽き足らず、そんな幼い子まで手篭めにするとは!!この外道がぁぁぁぁ!!」
「バッ馬鹿な!?会って1分も経っていないというのに、いつの間にフラグが立ったというんだぁぁぁぁ!?どこだ!?フラグはどこに落ちていたというんだぁぁぁぁ!?」
「孝一よ、この後ちょっと、面を貸せ(字あまり)」
「お前は、クラスの女子全部を攻略するつもりなのか?やっぱり、現実なんてクソゲーだぁぁぁっぁ!?」
「孝一さんと、呼ばせてください!」
朝のホームルームは一転して、クラスの男子による、涙と怒号が飛び交う戦場と化した。
「…これは、強力なライバルの登場ですね?」
初春がクスッと佐天に話しかける。
「あ、はははっ。何を言っているのかなぁ~?初春?そんな訳、あるはずないじゃん!?…孝一君!良かったね!?エルちゃんと、いちゃいちゃ出来て!!」
そういって孝一に笑顔(?)をみせるが…。怖すぎる…。顔が引きつっている…。
「? 皆さん、どうして騒いでいるのですか?」
騒ぎの張本人であるエルだけが、良く分かっていないようで、首をかしげている。
「は…ははははは…」
孝一は顔を引きつらせ、この後の展開について考え、頭を抱えた…。
孝一達の日常に、新しい友人が一人加わる。
『水無月エル』
その子は、言われたことをすぐに信じてしまうような、とても世間知らずで、危なっかしくて、見ていて保護欲を掻き立てられる女の子。
彼女はこれからも騒動を巻き起こし、孝一はその為に、様々なトラブルに巻き込まれる事になるのだが…
それはまた、別の話である。
長かった…ホントに長かった…。第三部も、ようやく終わらすことが出来ました…
途中でしんどくなり、このまま諦めようかと思う時期もありましたが、皆さんの声援のお陰で何とか完結させることが出来ました。
皆さん、どうもありがとう。
エルの名前が水無月になったのは、六月の誕生石を見てです。
石言葉は、健康、長寿、富/高貴、情熱、秘めた思い/愛の予感、調和、決断力。
なんかエルにぴったり会うんじゃないかと思い、つけてみました。
今後のことですが、しばらく長編は控えようかなと思います。
なんか、ごっそりと体力を削られてしまったので…。
(正直、めちゃくちゃしんどかったです…)
しばらくは短編を中心にやっていこうと思います。
(思い直して、いきなり長編にいくかもしれませんが…)
ともかく、今まで読んでくれた皆さん。どうもありがとうございました。