老夫婦
--それは、いつの頃から存在したのか、覚えているものは存在しません。ただ、それは確かに存在し、来訪者を待ち続けているのです。今、この瞬間にも----
「--さあさあ、そんな所に突っ立っていないで、こちらにおいでなさい。かわいそうに、びしょぬれじゃないか。おばあさん。早く暖かい飲み物とタオルを持ってきておくれ」
「はいはい。すぐに持ってきますよ。おじいさん。」
そういって孝一達を温かく迎えてくれたのは、老夫婦だった。彼らは暖かいまなざしを孝一達に向け、歓迎してくれている。
「ど、どうもスミマセン。いきなり押しかける形になってしまって・・・・・・」
先頭にいた孝一が申し訳無さそうな表情で老夫婦に詫びを入れる。その体は突然降ってきた雨のため、ずぶ濡れである。
「なんのなんの。この大雨じゃしょうがなかろうて。この辺りは他に休める所もありゃせんからのぅ」
老人はカラカラと乾いた声をあげて笑った。
(あれ?)
何かの違和感を孝一は感じたのだが、それが何なのか分からなかった。やがてこの老人の奥さんがタオルを持ってきてくれたので、そのことは頭の片隅に追いやられてしまった。
「あばあさん、ありがとうございますっ。はい、音瑠(ねる)ちゃん。頭をゴシゴシしようね~」
そういって、老婆からタオルを受け取った佐天涙子は、腰を下ろし、音瑠と呼ばれた少女の頭をわしゃわしゃと拭き出した。
「うう~。おねえちゃん。いたいよ~」
「ダメダメ。びちょびちょだと気持ち悪いでしょ~?すぐ終わるからね~」
自身もずぶ濡れであろうに、他人のことを気にかける。そんな優しい彼女が、孝一が好きだった----
事の始まりは迷子探しだった。孝一が街でお気に入りのCDを買うためにショップまわりをしていると。見知った後姿を見かけたのだ。
(あれ?佐天さん、と・・・・・・誰だ、あの娘?)
5、6歳くらいの女の子の手を、彼女は握っている。女の子は肩を震わせて泣いており、佐天涙子はそれをなだめようと、しきりに話しかけている。その姿があまりに痛々しかったので、孝一はたまらず声を掛けてしまった。
話を聞くと、この女の子の名前は音瑠といい、母親と一緒に買い物に来ていたのだが、はぐれてしまったらしい。上の名前も住所も、5歳の女の子が覚えているはずもなく、おまけに携帯もどこかに落としてしまったとの事だった。つまり、完全に手詰まりである。
「とりあえず、あと30分くらい探して、もし見つからなかったら、ジャッジメントに連絡したほうがいいんじゃない?」
孝一は二人にそう提案してみた。
「う~ん。でもやっぱりこういうのは、リアルに再会させてこそ、感動があるのであって・・・・・・」
佐天涙子はブツブツと不満げであったが、それはとりあえず無視しておこう。
「どうかな?音瑠ちゃん?」
孝一はそう音瑠に切り出した。音瑠は少し考えて、「・・・・・・うん。そのかわり、おかあさんがくるまで、まっててくれる?」と上目遣いで二人に聞いてきた。
「うん。それは勿論」
話は決まった。とりあえず30分。全力で探してみよう。孝一は自身の体から、『エコーズ・act1』を出現させ、周囲50メートルを探索させた。もし誰かを探している様子の人間がいるのなら、それが音瑠のお母さんの可能性が高い。しかし、探せど探せど、そのような人物は見当たらなかった。
(やっぱり、一足先に迷子の届けをしにいってるんじゃあないのかな?だとしたら、ジャッジメント支部に行ったほうが再会できる可能性が高いよなぁ・・・・・・)
そんな事を孝一が考えていると、突然エコーズの反応が消えた。というより遮断された?切り離された?
「な、なんだ?どうしたんだ?」
「どうしたの?孝一君?」
様子のおかしい孝一を、佐天涙子が訝しげに見つめる。
「エコーズの反応が消えた・・・・・・。あのビルの奥で、一体何があったんだ?」
そういって、孝一はエコーズの消えた方向へ走り出した。
孝一は内心焦っていた。今までこのような事はなかったからだ。敵の攻撃を受けたのか?でも、なんのリアクションもない。孝一を襲ってくる様子もない。まるで、電波の届かなくなった携帯の様に、エコーズの反応だけがなくなったのだ。
ビルの奥、人通りの少ない空間。孝一がその場所に到着すると、強烈な違和感があった。
「・・・・・・エコーズ?」
エコーズはそこにいた。だが何か様子がおかしい。本体である孝一がそばに来ても、エコーズは何の反応もしめさない。まるで、孝一の姿が認識できないように。
「?」
良く見ると、エコーズと孝一を隔てるように、薄い膜のようなものが見える。心なしか、エコーズの後ろの建物の色が、違うように感じる。
(これは、触れるべきなんだろうか。エコーズは”これ”のお陰で、僕の姿を認識できないのだろうか?いや、でも何かの罠かも・・・・・・)
そう、孝一が思っていると、後ろの方で佐天涙子の声がした。ああ、そういえばおいて来ちゃったな。と、孝一が思った瞬間。
「わあ~!!どいて!どいて!」
「うげっ!?」
背中に衝撃が走り、孝一は膜の中に突っ込んでしまった。
「いたたっ。佐天さーん・・・・・・」
「ごめんごめん。だってビルの角を曲がったら、孝一君が突っ立ってるんだもん。あんなの避けられないって」
「おにいちゃん、だいじょぶ?」
恨みがましい目で抗議する孝一に対して、佐天涙子はどこ吹く風だった。心配してくれる音瑠の心使いが、心の支えだ。
しかしそのお陰でエコーズに接触できた。エコーズは孝一の姿を確認すると、孝一の体内へ戻っていった。
「うわ?」
すると今度は、突然の大雨と雷が孝一達を襲ってきた。
「な、なんで?」
「うひゃー。髪がー!制服がー!」
「うえぇぇぇん」
まるで、孝一達に狙いを定めるかのように、大雨の粒が孝一達に降り注いだ。
「ど、どこかっ。隠れる場所!家!」
孝一達は嵐から逃れるために、身を隠す場所を探した。しかし、探せど探せどそのような場所は見つからない。それどころか、周りの景色が、どこかおかしい。孝一達の周りを囲んでいたはずのビルの群れがまったく見えない。代わりに周辺にあるのは、漆黒の闇と森。
「う、嘘だろ~?今は昼だぞ。何で”夜”になってんだぁ!?」
孝一は思わず時計を見る。だが、時計は秒針の針が止まっている。まったく機能していない。
おかしい。何かがおかしい。僕達は今、いったい”どこ”にいるんだ!?
その時、佐天涙子が先のほうを指差し叫んだ。
「孝一君!明かり、明かりだよ!ほら!」
「え?」
そこには屋敷が立っていた。日本の家屋ではなく、映画で見たような、西洋風の古ぼけた屋敷だ。なぜこんな所にと思ったが、暗闇と嵐から逃れたい現状からすれば、この屋敷は、まさに救いの女神だった。
そして孝一達は屋敷のドアの前に立ち、ノックをした。ガチャリとカギの外れる音がし、扉がゆっくりと開いていく----
「まずは部屋でシャワーを浴びなさい。二階に部屋がある。音瑠ちゃんと、涙子さんは二人部屋。孝一君はその隣の部屋だ。食事は、冷えた体を温めてからだ」
お互いに自己紹介を済ませると、ロルフと名乗った老人は、先導して階段を上り、部屋に案内してくれた。屋敷の内装は木造で出来ており、学園都市の自分達が住んでいる建物とまったくちがう温かみに溢れていた。まるでおとぎの国の一軒屋のようだ。孝一はそう思った。
「ロルフさんと、メイソンさんはお二人でこの屋敷に住んでいるんですか?」
佐天涙子はそういって、物珍しいのだろう。きょろきょろと周りを見渡している。見ると、それを真似して音瑠も同じようにしている。
「ああ。こうして人と話すのは数年ぶりだろうね。しかも今日はお客さんが5人もだ。こんなに嬉しい事はないよ」
「5人?」
孝一は思わず聞き返した。
「ああ。君達の前にも、2人程やってきたんだ。年齢もさほど君達と変わらないくらいだ。彼らには3階の部屋に泊まってもらっている。食事時には会えるだろう」
自分達のほかにも2人。彼らも同じようにしてきたのだろうか?そういえば、この場所のことについて聞いていない。ロルフさんに聞いてみよう。
「あの・・・・・・」
そう言おうとして、何か違和感が生じた。
・・・・・・ナンデボクタチ、ココニキタンダッケ?
何を言おうとしていたのか、思い出せない。
「ん?どうかしたかね?」
ロルフが孝一に尋ねる。
「い、いえ。嵐がすごいなぁって。いつまで降るんだろう」
まあいいや。思い出せないって事は、たいしたことじゃないんだろう。きっと。孝一はそう思い、質問を変えた。
「ふふ。この辺りはいつもこうさね。だけど安心したまえ。明日の夜明け前には嵐は過ぎ去っているよ。君達も無事、帰れると思う」
「そ、そうですか。それは良かったです」
そうこうしている内にロルフの足は止まる。部屋に着いたようだ。ロルフは懐をごそごそと漁り、カギを2本取り出し、孝一と佐天に渡した。
「部屋の鍵だ。何もないとは思うが、念のために渡しておこう」
「音瑠ちゃんには、はい。これ」
一緒についてきたメイソンが、ポケットに隠していたものを音瑠の前に差し出す。それは、クマの人形だった。クマは目はボタンで、口は×印に縫い付けてあり、黒いちょこんとした鼻がとてもかわいらしかった。
「うわあ!くまちゃんだぁ!」
音瑠はさっそくクマを気に入り、頬ずりしている。
「すごいな。手作りですか?」
孝一は思わず感嘆の声をあげる。
「ワシの唯一の趣味でね。こうやって何体も作っているんだ。音瑠ちゃん。この子が気に入ったんならお部屋に入ってごらん。きっと、もっと気に入るよ」
「ホント!う~!入る、入る!」
音瑠は待ちきれないのか、佐天に「早く、はいろ」とせかしている。
「ふふふ。それじゃ、ワシらはこれで。また食事時に」
「フフフ。やっぱり子供っていいわねぇ」
ロルフとメイソンは笑いながら一階に降りていった。
「それじゃ私達も。孝一君。また後で」
「おにいちゃん。あとでねっ」
そういって佐天涙子と音瑠も部屋に入っていこうとする。
「あ、そうだ」
「?」
何かを思いだし、佐天は孝一の耳元に囁きかける。
「私達、これからお風呂に入るけど、孝一君の『エコーズ』で覗いちゃだめよ」
「覗かないよ!!」
顔を真っ赤にした孝一に満足したのか、悪戯っぽいまなざしを向けた佐天は、今度こそ部屋に消えていった。
「まったく、僕を何だと思ってんだよ!」
シャワーを終え、ひと心地付いた孝一は、さっきの佐天の言葉を思い出し、一人愚痴た。
それにしても、疲れた。
孝一はベッドにどさりと寝っころがり、周りを見回す。
周りにはロルフが作ったのだろう。手作りの人形達が可愛らしいまなざしを孝一に向けている。
今頃、隣の部屋では佐天と音瑠が人形に囲まれて大喜びだろう。まあたまにはこういうのもいいかな。明日になったら、帰れるんだ。それまでは、僕も楽しむことにしよう。
・・・・・・って、あれ?
ナンデアシタニナッタラ、カエレルッテオモウンダ?
???
・・・あれ?
なんだっけ?良く思い出せない・・・・・・
・・・・・・ああそうか。
もうすぐ食事の時間だったっけ。
でもその前に、すごく眠い。
すこし、ねよ・・・・・・
孝一の意識は、そこで途切れた。
孝一が目覚めたのはそれから30分後。メイソンが食事の用意が出来たと、呼びにきた時であった。
--こうして、5人の男女がこの屋敷に集められました。この屋敷は、見える人間、波長の合う人間にしか存在を認識することが叶いません。この屋敷は何なのか、この老夫婦は何者なのか、その疑問を持つ権利を、彼らは与えられていません。なぜなら、それがこの屋敷のルールだからです。
そしてもう数時間後、後からやってくる男が一人。
彼が何をもたらすのか、5人の男女がどうなってしまうのか、それはまだ分かりません。物語はまだ、始まったばかりなのですから----
時間が作れず、投降ができなくてごめんなさい。
これから少しずつ投降できればいいな。