広瀬"孝"一<エコーズ>   作:ヴァン

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裏舞台 ―佐天涙子―

pM 13:10 8F ムービーシアター前

 

「うっ・・・・・・うう。だ、れ、か・・・・・・」

 

「頭が、痛い・・・・・・」

 

 シアター前で、人々が一斉に倒れだしてから数十分が過ぎた。

 

 うつぶせになって呻く人。

 仰向けで、起き上がれず、そのまま天井を見つめる人。

 現場は散々な状況だ。

 

 周囲は電源が落ち、薄暗くなっている。

 

 今から数十分前、突然銃を持った男達が乱入し、銃を乱射し、私の様になんの影響も受けていない人達を攫っていった。

 彼らは、人質を伴い、そのままエレベーターで、下の階層へと消えていった。

 

 あたしは現在、シアター内の受付ボックスに隠れている。

 ヤツラが再び、戻って来ないとは限らないからだ。

 

 大体13:00頃に、それは起こった。

 スピーカーから、「ブウゥウウウウウウン」という大きな声が聞こえてきたかと思うと、行きかう人達が突然倒れだしたのだ。

 あまりに突然のことで、あたしは最初、何が起こったのか分からなかった。

 だけど今、こうして落着いてくると、あたしはこの音に聞き覚えがある事に気が付く。

 

「キャパシティダウン・・・・・・」

 

 言葉として口に出してみて、それは確信に変わる。

 そうだ。

 かつて春上さん達を救出しに、皆で訪れた推進システム研究所。

 そこでこの音と同じものを、確かに聞いた。

 

 それなら、あたしがなんの影響も受けていない説明がつく。

 だとしたら、この音を発生させている大本を叩かないと、皆は回復しない。

 あの時は巨大な装置だったけど、そんなものがこの施設内に設置されているの?

 それに場所が分からない。

 

「うーん」

 

 でも、ここでいつまでもこうしていても、埒が明かない。

 出てみるか。

 あたしは思い切って受付ボックスから出てみることにした。

 

「なんや? おねえちゃん。こないなとこでかくれんぼかいな?」

 

「うひゃっ・・・・・・!?」

 

 あたしは「うひゃああああああ!!」と絶叫しかけの所を、何とか両手で口を塞ぎ、こらえた。

 あたしの目の前にリク君がいた。

 この子は、キャパシティダウンが発生するのと同時に、そのままどこかへと消えていってしまった。

 そのリク君があたしの目の前に立っている。

 

「な、なんで。戻ってきたのよ?」

 

「いうたやろ? おねえちゃんは、助けたるって。だから、お姉ちゃんに危険がないように、邪魔者を排除してきたんや。このフロアと上のフロアは、安全やでぇ」

 

 そういって無邪気そうに笑うリク君の頬には、血しぶきが付いていた。

 それが、幼さの残る少年の笑顔とあまりに不釣合いで、不気味で・・・・・・

 あたしは背筋にぞくりとしたものを感じずにはいられなかった。

 

 ・・・・・・最初に会ったときから思っていたけれど、この子は絶対に普通じゃない。

 何か特殊な訓練をつんだ兵士?

 それともエルちゃんのような誰かのクローン?

 わからない・・・・・・

 全然分からない・・・・・・

 だから、答えが欲しくて、あたしはこの少年に尋ねずにはいられなかった。

 

「・・・・・・あんた、一体、何者なの? 今回の事件について、何か知ってんでしょ!? 答えなさい!」

 

 少し気丈に、怯えていることを悟られないよう、あたしは語気をあらめてリク君に問いただした。

 

「ウチが何者かて? そんなもん。ウチかて知らんわ。ウチはただの消耗品。命令に従うだけの犬や。今回の事は、概要しか知らん。それより、ウチはこれから上の階にいくんやけど、お姉ちゃんどうする? 行くか?」

 

 リク君はあたしの問いをにあっけらかんと受け流すと、そのまま歩いていってしまう。

 

「・・・・・・・・・」

 

 あたしは、言いたい事はたくさんあるのだが、現状じゃこの子についていったほうが助かる確率が高いような気がして、不本意ながらも彼の後をついていった。

 

 

 pM 13:20 10F 飲食フロア 洋食レストラン街

 

 あたしたちは階段を上ると、10階へとやってきた。

 リク君曰く、10階はまだ掃除が済んでいないのだそうだ。

 あたし達は、階段の影から様子を伺う。

 

 辺りは薄暗く、閑散としている。

 だけど人がいないわけじゃない。

 

「う・・・・・・う・・・・・・」

 

 倒れている能力者の女性を、数人の男達がレストランの一角へと運んでいる。

 通行の邪魔になるからだろうか?

 

 

「二人か。ちょうどええ。お姉ちゃん。ちょっとまってて」

 

 そういうとリク君は忍び足で男達に近付き、取り出したナイフで男達の喉を・・・・・・

 ・・・・・・だめだ、見てられない・・・・・・

 

「えへへへっ。楽勝やん。お姉ちゃん来ぃや」

 

 倒れた男達の亡骸を一角に押し込めながら、リク君はあたしに向かっておいでおいでをしている。

 

 この子はっ。

 なんで。

 笑顔で、こんな事が出来るんだっ。

 

 気が付くとあたしは目から涙を浮かべていた。

 悲しかった。

 ただ、悲しく、さびしかった。

 そして、彼をこんな風に教育したであろう誰かが、どうしようもなく許せなかった。

 

 

 pM 13:25

 

「ごめんね。あたしには、これくらいしか出来ない・・・・・・」

 

 おさげ髪の女の子の頭に水で濡らしたタオルを置く。

 この子は、さっき男達に運ばれそうになっていた子だ。

 あたしはせめてこの子が縛られているロープだけでも解こうと手にかける。

 

「そんな事しても無駄や。さっきもいうたやろ? 全員助からんって」

 

 リク君は、まるで時間の無駄とばかりに興味無さそうにしている。

 それなら、あたしを置いていけばいいのに。

 そうしないのは、彼なりにあたしの事を守ってくれているのだろうか?

 

「そういえば、そんなことを言っていたわね。どういうことよ?」

 

 するとリク君は事もなさげにとんでもないことを口走った。

 

「佐伯さんが言うとった。目撃者は全員始末するて。ここのお客も、マフィアの連中も、全員まとめて仲良くドカン! や。重力子爆弾(グラビトン・ボム)いうたかな? ソイツを使うんやと」

 

「んなっ!?」

 

 重力子(グラビトン)!?

 重力子(グラビトン)って、初春達が追っていたあの?

 

 あの時はセブンスミストの一角が半壊状態になったけど、このリク君の口ぶりだと、ビルを丸ごと吹き飛ばせるくらいの強力な爆弾ということになる。

 それって、やばいじゃん!

 

「ど、どこにあるの? その爆弾!? いつ爆発するの!?」

 

「爆弾の場所は、12階の中央制御室いうとったかな? いつ爆発すんのかは知らん」

 

「な、なんてこと・・・・・・」

 

 なんの能力のないあたしには、爆弾をとめる事は出来ない。

 止めるには、それこそ御坂さんクラスの能力者の協力が必要不可欠だ。

 だけど・・・・・・

 キャパシティ・ダウン・・・・・・

 これが作動している以上、能力者の協力は得られない。

 せめて、場所さえ分かれば・・・・・・

 

「ねえ、リク君。キャパシティ・ダウンの発生場所って・・・・・・」

 

「しっ! ここに隠れとき」

 

 リク君が人差し指を当てて声を出すなとジェスチャーをする。

 あたしはとっさに介抱している女の子と一緒に、レストランの一角に隠れた。

 

「あかん。ばれてしもたか」

 

 リク君はしかたないといった風に、ヨッコイショと腰を上げる。

 ドアの隙間から、あたしは顔をのぞかせる。

 

 そこには白い髪をオールバックにした男と、8人くらいの銃を持った男達がいた。

 

「・・・・・・てめえか。どこのどいつだ? 『ガナンシィ』を破壊した挙句。俺らの部下も殺したな? あのガキと女は? お前の仲間だろ? 誰に頼まれた? 他に何人、仲間がいる?」

 

 男は矢継ぎ早に質問をし、後ろに控える男達に銃を構えさせる。子供だろうと容赦はしない。歪む笑みを浮かべる男はそういっているようだ。

 どうする!?

 どうしよう!?

 あたしに、何が出来る?

 やめてといって、飛び出すの?

 だめだ。

 怖い。

 怖くて、体が動かない。

 

「やったのはウチだけや。仲間なんかおらへん。それより・・・・・・。アンタがボスか? 聞くところに寄るとえらい強そうなスタンドもっとるらしいの? ひとつ、ウチに見せてくれへん?」

 

 だけどリク君は、恐怖の表情一つ浮かべず、相手と対峙する。

 彼がもつ唯一の武器は、懐から取り出したナイフだけだ。

 だけどあのナイフ。

 何か形状がおかしい。

 あたしも、ナイフに詳しいわけじゃないけどあのナイフは何かおかしかった。

 

 そのナイフは中央に、赤いルビーのような、宝玉のようなものがはめ込まれている。

 

「んだぁ!? そのナイフ?」

 

 男が怪訝そうな顔をしてリク君を見つめている。

 

「さあて。何やろな?」

 

 リク君はにやりと笑みを浮かべて、ナイフを前に突き出す。

 

「エフェクト、起動や!」

 

 え?

 なに、が!?

 

 リク君がナイフを突き出した瞬間、宝石が赤く輝きだす。

 あたしが分かるのはそれだけだ。

 あたしには、何も視えない。

 

「な、にぃぃ!? てめえも、スタンドを!?」

 

 男には、リク君が何をやっているのかわかるようだ。

 スタンド?

 リク君がスタンド使い!?

 

「燃えて、消し炭になれ!!」

 

 リク君がナイフを振り下ろす。

 その瞬間に、男の部下達の体から炎が立ち上った。

 燃える。

 男達の持っていた銃が。

 服が。

 体が。

 

 男達は叫び声も上げる事が出来ずに、その場に崩れ去った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 もう一人の、リーダー格の男は無事だった。

 男は乱れた髪をかきあげ、鋭い眼光をリク君に向ける。

 

「おまえ――」

 

 男が言いかけたそのとき。

 

「でやああああああ!!」

 

 男の後頭部を、誰かが踏み抜いた。

 

「ぐはっ!?」

 

 男はもんどりうってその場に倒れこむ。

 

 その場に着地した、突然場に乱入した誰かは、女の子を抱えていた。

 黒いフードを被った小柄な少女だ。

 その誰かはリク君たちには目もくれず、一目散にその場を離れていく。

 

「あ・・・・・・ああああっ」

 

 あたしは思わず声を出してしまう。

 だって、後姿をあたしは知っていたんだもの。

 そうだ。

 あの男の子は、今もっともあたしが会いたかった。

 ――広瀬孝一君だったからだ。

 

「あははははっ。知っとるでぇ。あいつ。資料で見たことあるわ。広瀬孝一や。まさかこないな所であうとはな。へへへっ。よーしっ」

 

 リク君はそのまま、あたしの事など気にせず孝一君の後を追っていってしまった。

 

 

 PM 13:30

 

「――デク。おいっデクっ。返事をしやがれっ!」

 

 意識を回復した男が無線で誰かと話をしている。

 男は二言三言男と会話すると、そのままあたしがいる場所から姿を消していった。

 

「・・・・・・ふーっ」

 

 ばれるかと思った。

 いや、あたしの存在に気が付かないくらい、冷静さを欠いているといったほうがいいのだろうか。

 額に青筋が出来ていたしね。

 まあ、なんせよ。これで、移動が出来る。

 本当は孝一君と合流したい所だけど、携帯も通じず、どこにいるかも分からない彼を探すのは得策じゃない。

 逆に人質になって、孝一君の足手まといになるのだけは、避けなくちゃならない。

 ――あたしは、お荷物なんかじゃない。

 ――彼の負担になんかならない。

 

「・・・・・・行こう」

 

 あたしは、気合を入れると、そのまま階段で上の階層を目指した。

 

 

 PM 13:40 11F 会議室

 

「・・・・・・・・・」

 

 あたしは身を低くして部屋の様子を伺っていた。

 フロアは複数の個室で区切られており、用途によって展示会や説明会、大型研修等に使われているようだ。

 階段で登ることはできるのは、ここまでだ。

 後は、中央付近にあるエレベーターで上層に行くしかない。

 各部屋には明かりが灯っている。

 そして人の気配がする。

 下の階層は真っ暗だった所を見ると、ここがヤツラの拠点なんだろう。

 あたしは四つんばいで、少しずつ少しづつ先へと進む。

 

 そのとき、コツンコツンという足跡が聞こえてきた。

 誰かが、廊下を歩いてきているのだ。

 もう少しで、エレベーターまでいけたのにっ!

 どうする!

 どうする!?

 このままだと確実に見つかる。

 それを避けるためには、部屋に隠れるしかない。

 でも、部屋には明かりがついているのよ!?

 中に敵がいるのは確実。

 どの道、敵に捕まってしまう。

 

 なら・・・・・・

 なら・・・・・・

 

 祈るしかない。

 あたしは、『研修室』と書かれたネームプレートの部屋で止まると、ドアノブをまわしてみる。

 よし。鍵はかかっていない。

 ここから先は出たとこ勝負だ。

 いきなり中に入って、敵をふんじばる。

 祈るのは、敵が一人だったらいいなということだけ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 いや、もう一つ。

 ――どうか敵が弱っちいヤツでありますように。

 

 あたしは神様にそうお願いするとゆっくりとドアノブを――

 

「あ」

 

「あ」

 

 ドアノブを開ける前に、あっちから開けられた。

 中にいたのは、ビジネスマン風の男だ。

 体格は逞しくない。むしろ華奢なほうだ。

 よし。

 これならいける。

 

 あたしは立ち上がると拳を振り上げ、男の顔面に・・・・・・

 

 拳を打ち込もうとしたが出来なかった。

 男が取り出した香水のスプレーのようなものを吹きかけられたあたしは、そのまま力が入らなくなり、そのままうずくまる。

 

「まったく、乱暴なお嬢さんだ。出会い頭にいきなり殴りかかろうとするなんて・・・・・・。んっ?」

 

 男があたしを抱きかかえる。

 

「・・・・・・君は、佐天涙子か? ・・・・・・ふふふっ。君といい、孝一君といい、よほどトラブルに巻き込まれる体質らしいな? こんなに嬉しいことはないよ」

 

 朦朧とする意識の中、男の顔が笑ったような気がした。

 

 

 PM 14:30

 

「・・・・・・おや、気がつかれたかな?」

 

「・・・・・・・・・」

 

 覚醒したあたしが最初に目にしたのは、テーブルのまえであぐらをかき、グラスで赤い液体を啜る男の姿だった。男のそばに開閉されたビンがある。どうやらそれはワインらしかった。

 あたしは覚醒後ではっきりしない頭を振り、何とか意識を正常に保つと、起き上がる。

 

 あたしは意識を失った後、そのまま運ばれ、床に放置されたようだ。

 女の子相手にそれはないだろう。

 せめて、そこにある椅子を複数まとめてベッド代わりにするとか、他にやりようはあったと思うのだが・・・・・・

 まあ、敵に捕まったあたしにそんな高望みは望めそうもないけど・・・・・・

 

「?」

 

 そういえば、拘束とか、されてない?

 あたしは、てっきりロープとかで手足を縛られているかと思ったけど、そんな事はなかった。

 周囲に視線を向ける。

 円卓形式で囲まれた机の中心部分に、あたしは寝転がされていた。

 周囲には誰もいない。

 あたしと、男だけだ。

 

「・・・・・・あんた、誰なんです?」

 

 150インチ位ある大型モニターの前で、あたしを見据えながらお酒をたしなむ男。

 そいつに、訝しげながら質問をしてみた。

 

「あんた、テロリスト達の仲間ですか? どうして、あたしをロープとかで縛らないんです?」

 

「どうしてかって?」男はグラスに入った液体をくるくると回しながら、笑った。

 

「まあ、ぶっちゃけ、君と話してみたかったのさ。今、このフロアにいるのは私と君の二人だけだ。ちょうど、話し相手が欲しかった所でね。”暇だった” その理由だけじゃ、不服かな?」

 

「・・・・・・キャパシティ・ダウンを設置したの、あんた達でしょ。何の為に? どうしてこんなことを?」

 

「なんだ、キャパシティ・ダウンの事を知っていたんだ。これは意外だ。てっきり、何も知らないお嬢さんだとばかり・・・・・・」

 

「はぐらかさないで、答えて!」

 

 のらりくらりと会話を交わす男に、あたしは語気を荒める。男はそれでもにやにやとした、人を小ばかにしたかのような笑みを絶やさない。こういう奴は、本能的に好きじゃない。でも、こいつは何かの答えを知っている。僅かでもいいから、何か情報を引き出さないとっ。

 

「・・・・・・君の質問に答えてあげよう。これはね? 実験だ。キャパシティ・ダウンは能力者の演算能力を阻害し、戦闘力を奪うには有効な装置だったが、いかんせん巨大すぎる。持ち運びに不便だし、標的を設置場所にまで誘導しなくちゃならないという欠点を持つ。そこで開発されたのが、このソフトだ」

 

 男は懐からCDケースを取り出す。

 

「キャパシティ・ダウンが能力者の脳波に影響を及ぼす一定の音域は解析できた。後はそれを増幅させ、密閉された周囲に拡散すれば、同様の効果を得られるんじゃないかと思ってね? 今回はその実験なんだ。結果、いいデータを得る事が出来たよ。後はコイツを――」

 

 実験?

 そんなことの為に、こんな事件を?

 人死にが出ているかもしれないのに?

 男が得意げに話を続けているが、頭の中に入ってこない。

 ふざけている。

 人の命を、人間を、何だと思っているんだ?

 あたしにはわからない。

 どうして。

 どうしてこいつらは、こんなに簡単に、人を実験動物の様に扱えるんだ。

 男はあたしの事などおかまいなしに、癇に障るにやけ顔でまだ話している。

 これ以上、こいつの声は聞きたくなかった。

 

「・・・・・・どうして。笑ってられるの?」

 

「ん?」

 

「あんた達、何様のつもりなの? 実験っていう大義名分があれば、何をしても許されると思ってんの? ふざけんなっ!」

 

 あたしは口を開くと、男に対し、罵声を浴びせていた。

 許せなかった。

 こいつらは何だ?

 神様にでもなったつもりか?

 

 

「人間は、おもちゃじゃないのよ? どうして、あんたは笑えるの? こんなことして、ただで済むと思ってんの?」

 

 あたしは男の前まで歩み寄ると、男が持っていたワイングラスをはたいて叩き落した。

 グラスはパリンという小さな音を立て、砕け散る。

 飲みかけの赤ワインが、床に赤い染みを作る。

 

「おやおや。気の短いお嬢さんだ」

 

 男は取り立て動じる風でなく、グラスを弾いた時に濡れた指を、ポケットから取り出したハンカチでゆっくりと拭いた。

 

「重力子爆弾(グラビトン・ボム)のありかを教えなさい! 後、キャパシティ・ダウンとそれの解除方法も!」

 

 男を睨みつける。

 もう、くだらない話は、無しだ。

 もし男がこれ以上ふざけた事を言うつもりなら、コイツをぶん殴って、首根っこを引っつかんででも、爆弾のありかを聞き出してやる!

 

「なぁんだ。 重力子爆弾(グラビトン・ボム)の事も――」

 

 確定だ。

 コイツをぶん殴る。

 

 あたしは思いっきり腕を振り上げ・・・・・・!?

 

 後ろから衝撃が走った。

 あたしは足を払われ、右手をひねられてしまう。そして地面に体を思いっきり押し付けられる。

 

「たとえ、お姉ちゃんでも、これ以上佐伯さんに狼藉働くようなら、その腕、へし折るで?」

 

 あたしを拘束していたのは、孝一君を追って姿を消したはずのリク君だった。

 リク君は、まるで全ての感情を消し去ってしまったかのような機械的な声を出す。

 

「お疲れ様。首尾の方は? 戦闘経験はつめたかな?」

 

「てーんで、だめや。あいつら弱すぎるで。話しにならへん」

 

「スタンド使いのリーダーとはやりあったかい? エフェクトの効果は? 実戦に耐えられたかい?」

 

「それがな? ウチがやりあう前に横槍が入りよって、白髪のおっちゃんとはやりあえんかったんや。それとな? その・・・・・・な? その時に、エフェクト壊してしもうたんや。堪忍な?」

 

「なるほど。耐久性に問題ありか。そのときの状況を、後で詳しく知りたいな。帰還後に、レポート作成するから、逃げるなよ?」

 

「・・・・・・佐伯さん。怒らへんの?」

 

「なにがだい?」

 

「エフェクト、壊してしもたし。リーダーとは戦えへんかったし・・・・・・。そのな? 任務、うまくできひんかったし・・・・・・。ウチ、佐伯さんに捨てられるかとおもて・・・・・・」

 

「馬鹿だなぁ。せっかく大金はたいて君を購入したのに、捨てるなんてしないさ。大丈夫。安心したまえ。君が任務を無事にこなせるうちは、飼ってあげるからさ」

 

「ほんまに? えへへっ。よかったぁ。ウチ、佐伯さんに捨てられたら、他に行くとこないんや」

 

 ・・・・・・なに、これ? 

 あたしを拘束したまま、佐伯と名乗る男と、リク君が会話している。

 リク君は、あたしを拘束した時とは違い、感情表現豊かな声で、男のご機嫌を伺っている。

 あの時、リク君は自分の事を犬と例えていたけれど。これじゃ、まるで、本当の犬と飼い主みたいだ。

 

「・・・・・・リク君に、何をしたの? ・・・・・・普通じゃない。こんなの。こんな関係・・・・・・」

 

 あたしは首を振り、まるで駄々っ子の様に、彼らの関係を否定した。

 人間が人間を買う。

 こんな世界があるなんて、あってはならない。

 ううん。

 認められない。認めたくない。

 そんなあたしの態度が佐伯と名乗る男の悪戯心を芽生えさせたのか、あたしの前に歩を進める。

 そして「一つ、君にこの世の真理というものを、教えてあげよう」といい。あたしと同じ目線になるまで腰を落とし、あたしの目を覗きこむ。

 

「人間はね? 平等じゃないんだよ。世の中は、二種類の人間しかいない。搾取する人間とされる人間だ。・・・・・・利用する側とされる側という風に置き換えてもいい。世の中を動かしているのはつねに一握りの権力者だ。彼らは富を欲し、至福を肥やし、一時の快楽を得るために刺激を求める。今回の事件も、君達にとっては巻き込まれただけの悲劇だろうが、我々にとっては十分価値のあるイベントだったよ。キャパソティ・ダウン改良型の運用試験はうまく行ったし、エフェクトの効果も十分有効だということがわかった」

 

 

 金、名声、名誉。快楽。人間の欲求は果てしない。

 やがてそれを得るために、他者をどんなに痛めつけても、心が痛まなくなる。

 今回の事件も、たぶん彼らにとっては些細な問題なんだろう。

 人が何人死のうが、自分達に利益があるのならかまわない。

 そういう人間が、あたし達の知らない所で、あたし達の知らないうちに、日々誰かを食い物にしている。

 

「・・・・・・そんな、ことが」

 

 許されている。

 まかり通っているのだ。

 これが、現実。

 世界の、真理なのだろうか。

 

「しかし、君達は愚かだよね。日々をただなんとなく生き、我々から与えられた娯楽に満足し、人生を全うする事になんら疑問にも感じないんだから。そんな社会にとって何の役にもならない人間を、僅かばかり殺した所でどれほどの損失だ? 数が減ったら、またどこかで補充すればいい。このリクみたいにね?」

 

 男はリク君の頭にポンと手をおき撫でる。

  

「彼も元は搾取された側の人間だ。家族と引き離され、人格さえ消され・・・・・・。君達はこういう場合、悲劇とか、かわいそうという言葉を使うのだろうね? だが、世の中にはその悲劇を生業としている人間も存在しているんだよ。こういう子達はいると便利だからね。使い捨てが聞くし、何より主人に従順だしね」

 

 そのときのあたしはどんな表情をしていたのだろう?

 目の前の出来事が信じられなくて、驚きの表情を浮かべていたのだろうか?

 それとも、絶望にも似た表情をしていたのだろうか?

 わからない。

 まったく違う価値観を教えられ、あたしの思考は停止寸前だからだ。

 

「――リク。涙子さんを離してやりなさい」

 

 あたしを拘束していたリク君の手が離れ、自由になる。

 

「さっき訪ねた質問に、答えてあげよう。まず、キャパシティ・ダウンの解除方法だが、それは単純だ。機械をぶっ壊したまえ。中のディスクさえ消滅すれば、この音はやむ。そして、重力子爆弾(グラビトン・ボム)のありかだが、キャパシティ・ダウンと同じ場所に設置されている。つまり、12階の中央制御室さ。ちなみに私のCDを奪おうとしても無駄だよ。これはコピーだからね」

 

「なんで、急に・・・・・・」

 

「君が、我々にとって、なんの価値もない人間だからさ。よくいるだろ? 自分の秘密を、飼っている愛玩動物に告白して、気持ちを落着かせたりする人間が。それと似たようなものさ。たまには私も退屈しのぎに遊んだりするんだよ? ちょっとしたお遊戯みたいなもんさ」

 

「どこまでも、馬鹿にして・・・・・・」

 

「いいのかい? 12階に行きたいんだろう? 私達は別に君を止めたりしないよ。むしろ頑張れって応援してるさ。せいぜい、善戦してくれたまえよ」

 

 男は、「がんばってね」といって手を振っている。

 ふざけている。

 馬鹿にしている。

 あざ笑っている。

 

 思いっきり、この男の顔面にパンチを入れたい。

 でも、今はこらえろ。

 たとえ遊ばれていても、キャパシティ・ダウンと重力子爆弾(グラビトン・ボム)のありかは分かったのだ。

 あたしには重力子爆弾(グラビトン・ボム)はどうにかできない。でも、キャパシティ・ダウンは何とかする事が出来る。

 キャパシティ・ダウンさえ破壊できれば、能力者の人達が復活する。そうしたら、異変に気が付いた誰かが、重力子爆弾(グラビトン・ボム)を何とかしてくれるかもしれない。

 そうだ。

 無駄なんかじゃない。無駄なことなんてない。

 あたしはあたしが出来ることをするんだ。

 

 あたしは歩く。

 出口へ向かって、ただひたすらと。

 

「残念やわぁ。お姉ちゃん、好いとったのに」

 

 リク君があたしの背中に声を掛ける。その声は心底残念といった風ではなく、ただ単に自分のお気に入りのおもちゃが手に入らないから残念といった声だった。

 リク君・・・・・・

 たぶん、そういう風に育てられた君は、あたしが何を行っても聞く耳を持たないんでしょうね。

 だから、あたしは何も言わない。

 でも、もしあたしが生き延びて、もう一度目の前に現れたそのときには・・・・・・

 もう一度、話をしましょう。

 

 ドアノブに手をかける。

 じっと、あの佐伯という男の顔を見る。

 

「?」

 

「・・・・・・絶対、後悔させてやる」

 

 あたしの声がアイツに聞こえたかどうかは分からないけど、構わない。

 これはあたしの宣戦布告だ。

 あんたの顔は、忘れない。

 もう一度、あんたに合う事があったなら、その顔を思いっきりぶん殴る!

 

 乱暴にドアを閉め、あたしは12階を目指して走る。

 もう、後ろは振り返らなかった。

 

 epilogue 佐天涙子 へ続く

 

 

 

 

 


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