別にさ。
あたしだって、こんな役回りを好き好んでやっている訳じゃない。
よく、『試練を一つ乗り越えるたびに人は強くなる』とか、『若い頃の苦労は買ってでもしろ』という言葉があるけど、本音としては誰もそんな苦労なんかしたくないはずだ。
マゾじゃないんだから、何でわざわざ自分を追い込んだり、体に負担をかけるなんて事、しなくちゃならないんだ。
あたしだってそうだ。
あたしだって本当はこんなことする柄じゃない。
本当のあたしは友達とショッピングに出かけたり、初春をからかったり、みんなと仲良く生活する事が望みのただの平凡な女の子だ。
毎日が無事平穏に送れますようにと願う、ごく普通の少女だ。
でも、知ってしまったんだ。
世の中には自分の欲望を満たすために、自分だけの都合で他人を食い物にするヤツラがいる。
そして、そんなヤツラが裁きも受けずに、のうのうと生きているって事に。
学園都市の暗部・・・・・・その一端を、あたしは知った。
知ってしまったなら、もう、見過ごせない。
だからあたしは走る。
12階に続くエレベーターに入り、中央制御室に続く廊下をひた走る。
あいつらに、一泡吹かせてやりたい。
あたしの意地を見せてやりたい。
その怒りにも似た感情が、今のあたしの体を激しく突き動かしていた。
PM 14:50 12F 中央制御室
「――ついた」
『中央制御室』と書かれたプレートを確認し、ドアの前に立つ。
中央制御室まで、何の障害もなくたどり着けた。
あの男は本当に邪魔をする気はないようだ。
その上で、あたしにキャパシティ・ダウンを破壊しろと煽っている。
それが何を意味するのか、今のあたしには想像もできない。
だけど、止まるわけには行かない。
今こうしている間にも、孝一くんが戦っているのだ。
あたしも戦わないと。
「・・・・・・開いてる?」
電子ロックのドアは開いている。施錠がされていない。
思い切ってドアを押し、中の様子を見る。
「ひっ!?」
部屋の中は店内の様子を見るための複数の巨大モニターと、その前に設置されたそれらを制御するための計器類がある。
その計器類を監視するためのオペレーターと思わしき男性2人が、床に血だらけとなって転がっていた。
2人がどんな武器で殺害されたのか、うつ伏せになって倒れているので分からないけど、酷い有様だ。
だって、出血で彼らの周りに血だまりが出来上がっているんだもの。
「・・・・・・ごめんなさい」
あたしは出来るだけ死体を見ないように薄目で彼らを素通りし、キャパシティ・ダウンが設置されている機器を探す。
機器はすぐ見つかった。一箇所だけ明らかにおかしい駆動音をたてている機械があった。CDの挿入口もあるし、たぶんこれで当たりだろう。あたしはCDの開閉ボタンを押してみる。しかし、いくら押しても何の反応もない。
これは、きっとキャパシティ・ダウンのCDが影響しているのだ。恐らくどんなに取り出そうとしても、このままでは埒が明かないだろう。
しかたない。
あたしは、周囲に倒れていた椅子を両手で掴むと、思いっきり振り上げた。
「・・・・・・せぇのぉっ!」
あたしは掛け声を上げると、機械に対し椅子を振り下ろす。
だけど女のあたしでは、機械を破壊するには力が足りないらしい。
「意外と頑丈だっ。こうなったらっ」
根競べだ。
機械が完全に壊れるまで、あたしは椅子を振り下ろす。
「こんのぉっ!」
何度も。
何度も。
何度も。
そして4,5回目にしてようやく機械はバチバチと火花を飛び散らせ、その機能を完全に停止させた。
「はあっ。はあっ。これで、キャパシティ・ダウンは片付いた。後は重力子爆弾(グラビトン・ボム)だけ」
でも、辺りを見渡すが、それらしき爆弾は見つからない。
モニター付近の計器類や周囲の私物なんかも見たけれど、爆弾の「バ」の字すら見当たらない。
まさか、あの男に一杯食わされたのか?
あたしがそう思い始めた時、異変が起こった。
地面に倒れ、血だまりを作っていたオペーレーターの死体。
その内一体が激しく痙攣しだす。
「なっ? え?」
まるで、電機でも当てられたかのような激しい痙攣。やがてそれが極限にまで高まると、オペレーターの体を食い破るようにして何かが吐き出された。
それは、銀色をした直径2cmくらいの丸い玉だった。
玉はあたしの身長と同じ位の高さで止まりグルグルと回転している。
「まさか、これが重力子爆弾(グラビトン・ボム)!?」
なんで?
どうしてキャパシティ・ダウンを停止した瞬間に、見計らったみたいに、爆弾が作動するの?
不可解なのはそれだけじゃない。
銀色の玉に変化が起こっていることにあたしは気づいた。
「・・・・・・うそ。大きくなって、いる?」
気のせいじゃない。
爆弾は少しずつ、まるで成長するかのように、次第に大きくなっている。
そのまま、どんどんと、銀色の玉は風船を膨らますように、膨張していく。
わからない。
どうして爆弾が?
なんで?
いくら考えても、答えは出ない。
その時ふいに――
――爆弾が、爆弾の形状をしているって誰が言ったんだい? ――
あの男の、人を小馬鹿にしたような笑い声が聞こえた気がした。
――ああ・・・・・・
その時になって、あたしは自分が勘違いをしていることに気が付いた。
これは、ゲームなんだ。
あの男が主催した、お遊戯。おふざけ。
考えてみれば、何故あの男が、こうも簡単に爆弾のありかをあたしに教えてくれたのか。
もっと深く考えるべきだったんだ。
たぶん、重力子爆弾(グラビトン・ボム)は能力者が使うみたいに、あの玉の中で演算を自動で行っているんだ。そして一定の大きさにまで拡張した瞬間、爆弾が作動する仕組なんだ。その演算を阻害していたのはキャパシティ・ダウン。これによって、爆弾を作動させたにもかかわらず停止状態となり、今の今まで実害はなかった。だけど、それに気が付かない愚かなあたしが、それを解除してしまい、再び活動を再開した。つまり――
「・・・・・・遊ば、れた・・・・・・」
あいつは、はなからあたしを使って遊ぶつもりだったんだ。
意気揚々と、あいつの言葉を信じた馬鹿なあたしを、ほくそ笑みながら送り出したんだ・・・・・・
あたしは・・・・・・あたしは、知らないうちに、自分のこの手で、爆弾のスイッチを押して・・・・・・
「あ・・・・・・あ、ああああああ」
カクリと、足に力が入らなくなり、そのままペタンと地面に膝をついてしまう。
重力子爆弾はあたしを見上げる形でさらに膨張し、ついにバルーン状の大きさにまで成長した。
この後の顛末はわかる。
重力子が急速に加速・膨張した球体は、その形状を維持できなくなり、破裂するだろう。
その威力は、そして惨状は想像すらできない。
爆弾が破裂するまで、恐らく1分もない。
「あたしのせいで、あたしのせいで、あたしのせいで・・・・・・」
いまさら、押し殺していた恐怖がよみがえってきた。
あたしは頭を覆い、全身を震わせ、これからあたしが殺してしまう大勢の人達に対して謝罪する。
さっきまで体中で暴れまわっていた、怒りにも似た気迫はすでにない。
代わりにあるのは激しい後悔の気持ちだけだ。
あたしは頭においていた手を胸に置き、自然と手を組んでいた。
・・・・・・神様。
科学の街でその言葉を口にするのは、ナンセンスでしょうか?
でも、お願いです。
あたしのお願いを聞いてください。
みんなの命を、助けてください。
孝一君を助けてください。
あたしの好きな人を助けてください。
もし足りないと言うのであれば、あたしの命を使ってくれても構いません。
だから、どうか。
奇跡を起こしてください。
こんな時ばかり神様にお願いするなんて、都合が良すぎると思われるかもしれません。
でも、それでも、お願いします。
・・・・・・誰でもいい。
「だれか、助けて・・・・・・」
その時だった。
あたしの背後から足音が近付いていることに気が付いたのは。
「はぁっ。はあっ。はあっ・・・・・・」
吐く息も荒く、その人物は、こっちに近付いてくる。
この人物に、あたしは見覚えがあった。
この人は、確か美坂さんの想い人の・・・・・・
名前は、確か、上条当麻さん。
上条さんは体の至る所から出血している。
きっと、あいつらにやられたのだろう。
学生服は所々破れ、傷口からあふれ出す血液が、歩くたびに地面に血の滴をしたたらせている。
そんな、致命傷にも近い傷を負いながら、それでも上条さんは止まらない。
左肩を庇い、右足を引きずり、それでも一歩、また一歩と、闘志を秘めた目で重力子爆弾(グラビトン・ボム)に近付いていく。
「――こいつが、重力子爆弾(グラビトン・ボム)・・・・・・」
爆弾を前にして、上条さんが右手を突き出す。
「あ、あぶないっ。爆弾が――」
爆発する――。そう言いかけるあたしと上条さんの視線が重なる。
一瞬だ。一瞬、上条さんはあたしに微笑みかけ、視線を爆弾に戻す。
「爆弾は、作動させない。だれも、死なせない。そんなこと、俺の目の黒いうちは、絶対にさせるもんかぁ!」
ついに爆弾が臨界を迎え、球体を維持できなくなり変形を始める。
ボコボコという音を立てながら、爆弾が少しずつ圧縮されていく。
その後に起こるのは、圧倒的な重力子の解放。そして破壊。
「うぉおおおおおおおお!」
上条さんが吼え、右腕を重力子爆弾(グラビトン・ボム)に触れる。
「うそ・・・・・・」
ありえない事が起こった。
どう表現していいのか分からないし、理屈も分からない。
でも、ありのままを表現すると、
上条さんが触れた右腕が、重力子爆弾(グラビトン・ボム)を押さえ込んでいる。そう表現するしかない現象が目の前で起こっていた。
「きゃあっ!」
それでも抑えきれない爆発によって生じた熱風や、衝撃、耳を劈くばかりの轟音。目を覆うばかりの凄まじい閃光があたし達に襲い掛かる。
あたしは体を支えきれなくて、地べたに這いつくばり、爆風に吹き飛ばされないようにすることしか出来ない。
「重力子爆弾(グラビトン・ボム)が・・・・・・」
ちらりと薄目を開け、様子を見たあたしが見たものは、またしても信じられない光景。
爆発の威力が次第に弱まっているのだ。
あの体を焦がすような熱風も
耳を劈くような轟音も
破壊を象徴するような衝撃も
目を覆うばかりの閃光も
まるで上条さんがその威力を吸収しているかのようにその力を弱めていく。
やがて、その全てが収まる。
重力子爆弾(グラビトン・ボム)は完全にその機能を停止し、消滅した。
「終わった・・・・・・の?」
まだ耳の奥で、爆発の轟音が轟いている。
頭の中で、衝撃の記憶が反芻している。
あのまばゆいばかりの閃光は消えうせ、辺りは薄暗い闇に包まれている。
爆発の衝撃で管理室の電源が破壊されたためだろう。
「おい。御坂の友達。生きてるか?」
夜目にまだ慣れていないあたしに、不意に声が掛けられ、右手が差し出される。
あたしはその手を握ることに一瞬躊躇してしまう。
この右手で、爆弾を押さえ込んだんだ、よね・・・・・・?
一体どういう能力を使えばそんな芸当ができるのだろう。
少なくとも、あたしが知っている能力者にはそんな人はいないし、常識的に考えて、こんな非常識な能力なんてありえるのだろうか?
「大丈夫かよ? 腰が抜けたのか? よしっ」
「え? ええっ?」
上条さんはあたしが立つ事が出来ないほどの状態だと勘違いしたらしい。あたしの前まで近付くと、背を向けしゃがむ。
まさか、これって・・・・・・
「ほら。背中貸してやるから負ぶされよ」
やっぱりっ。おんぶだこれ。
「いいっ。いいですっ。自分で立てますし歩けますからっ」
「いいから遠慮するなって。御坂の友達を見捨てたとあっちゃ・・・・・・。あら?」
上条さんがぐらりと体をよろめかせ、尻餅をつく。
「かっ。上条さん!?」
「やばいな。力が・・・・・・」
そうだ。ここに来るまでに何があったのか知らないけれど、上条さんは重症なんだ。
そんな状態なのに、あたしにまで気を使うなんて。
「肩、貸してあげますから、つかまってください」
「いいって。これくらい・・・・・・」
「強がらないで下さい。今にも死にそうなくせに」
「・・・・・・・・・悪い」
あたしが強く言うと上条さんは何も言わず、あたしに肩を預ける。
あたしは上条さんの肩を支え、立ち上がる。
「このまま、エレベーターまで歩けますか?」
「ああ・・・・・・。でも、11階で一度とめてくれ。友達がいるんだ」
「わかりました」
上条さんの肩を支え、歩くさなか、あたしは自分のことについて考えていた。
今回の事件ではっきりと分かった事がある。
それは、あたしは無力だということだ。
思えば、あたしはいつも、誰かのお荷物だった気がする。
重力子(グラビトン)事件の時も、幻想御手(レベルアッパー) の時も、R事件の時も、エルちゃんの時も・・・・・・。そして、今回も・・・・・・
あたしは敵の思惑通りに、爆弾を作動させ、数千人というビル内の人間を危険にさらしてしまった。
今回は上条さんという奇跡のような存在がいたから、被害は免れたけれど、それでも敵の言葉を鵜呑みにしてしまった自分が許せなかった。
あたしは、無力だ。
無力で馬鹿な、ただの小娘にすぎないんだ。
「おい。さっきから黙っているけど、大丈夫か?」
「・・・・・・・・・」
あたしは何も言わなかった。
いや、言えなかった。
あたしの心の中で、激しい自責の念が渦巻いていたからだ。
こうして、今回の事件はあたしの心に深い悔恨を残し、幕を閉じた。
◆
「――オーシャン・ブルーにて、テロ未遂事件が発生して、早くも一週間が過ぎました。しかし事件の詳細につきましては今だ不明な点も多く残されており、テロリスト達がどのルートで学園都市内へ侵入をはたしたのか不明なままです。今回の事件につきましては、事件に関与したとされるテロリストが1名を除き、全て死亡するという事態で幕を閉じました。その事が、 事件の真相解明を困難な状況にしている一つの要因となっています――」
あたしはテレビのスイッチを切り、自室のアパートのベッドに寝転がる。
そのまま、特にすることもなく天井をボーッと眺めていた。
何もする気が起きなかったのだ。
――あの後、あたしたちは通報で駆けつけたアンチスキルの隊員達によって無事保護された。
その後は病院へ収容され、事情聴取や、カウンセリングなどのケアを受け、無事帰宅が許されたのは昨日の事だ。
そういえば、病院で入院していたとき、白井さんと、初春がお見舞いに来てくれたっけ。
あたしの顔を見るなり口々に「大丈夫ですか」「お体に異常はありませんこと?」と血相を変えて心配してくれたのが、ちょっとおかしくて笑ってしまった。
あたしの事を心配してくれる友達が要るって言うのは、やはりいい。心がほんわかと温かくなってくる。
初春達はあたしの病室に顔を出した後、今度は御坂さんと孝一君の病室にもお見舞いにいくと言い残し、病室を後にする。
そういえば、孝一君とはあれから顔を合わせずじまいだ。
あの黒いローブを羽織った女の子は一体何者なんだろうと孝一君に問いただしてみたいが・・・・・・
それに結局、あの佐伯と名乗る男とリク君の行方は分からずじまいだ。
まさかあのまま、死んだなんて事はありえない。
きっと、うまいこと脱出して、あたし達を嗤っているんだ。
どこにいる? どこに消えたの?
あいつらのアジトは?
・・・・・・・・・
やめよう。
今は自分のことで精一杯だ。
この病室で、あたしが出来る事は限られている。
なら、目を閉じ、自分自身のことについて考えてみよう。
自分自身と向き合おう。
そしてそれは、アパートに帰宅し、ベッドで寝転がっている今でもまだ続いていた。
――あたしは、無能力者だ。
あたしはいつも、友達の間で疎外感を感じていた。
御坂さんはレベル5で、初春と白井さんはジャッジメントの活動で忙しく、孝一君はスタンドと呼ばれる未知の能力を持っている。
あたしだけだ。
あたしだけ、何もない。
力が欲しかった。
あたしもみんなと同じになりたかった。
同じ目線で、同じものを見たかったんだ。
でも・・・・・・
そこで気が付いた。
長い長い思考の旅の果てに、あたしは気が付いた。
あたしは、それに見合うだけの努力をしてきたのだろうか?
答えはわかりきっていた。
あたしは、何もしていなかった。
能力を伸ばす努力も、勉学も部活も、何にもしてこなかった。
ただ、自分はダメなんだとか、どうせ自分には才能がないだとか、自分で都合のいい理由を作って諦めてしまっていた。
自分で自分の成長の目を摘み取ってしまっていたんだ。
自分だけの現実(パーソナルリアリティ)は自分の中にある様々な可能性から能力を一つ選び取り、能力を発現させる。
早々に可能性の芽を摘み取ってしまっていたあたしに、能力など発現するはずもなかった。
それでいいのか?
自分に問いただしてみる。
このままの自分で、本当にいいのか?
何もしないでいるのは楽だ。
だけどその状態が長く続くと、今度はそこから抜け出せずに、変化を恐れるようになってくる。
一歩も先に進めなくなる。
もう一度自分に問いなおしてみる。
停滞を取るのか、それとも前へ進むのか。
「――佐天涙子。あなたは本当は、どうしたいの?」
言葉に出して問いかける。
あたしは・・・・・・
あたしはっ・・・・・・
◆
夕日が沈む夜の高校で、教師が帰宅の準備をしている。
教師は外見がほぼ子供そのままといった容姿で、教材道具を持ってトテトテと歩き、校門から外に出る。
「あの・・・・・・月詠小萌先生。こんな夜分にすいません。あたしのこと、覚えていますか?」
そんな彼女に声を掛ける生徒がいた。
この学校の生徒ではない。
でも、その姿には見覚えがあった。
「あなたは確か―。佐天涙子ちゃん。特別講習の時以来ですね―。元気していましたか―?」
小萌はにぱっと人懐っこそうに笑うと涙子の元まで駆け寄ってくれる。
月詠小萌はレベルアッパー使用者の特別講習を行う際の担当教師だった。
出会ったのはその一回こっきりの講習のみだったのだが、こうして自分の名前を思えていてくれた事に、涙子は自然と胸に暑いものがこみ上げて来るのを感じた。
「あの、先生。先生に折り入ってお願いがあります」
「お願い、ですか―?」
ちょこんと首をかしげて頭の中に「?」マークを作っている彼女に、涙子は頭を下げる。
「涙子ちゃん?」
「自分だけの現実(パーソナルリアリティ)についてもっと、ちゃんとした講義を学びたいんです。あたしは自分のことを、もっと知りたい。自分を、受け入れたい。努力したい。だけど、その方法が、まだ分かりません。それは、授業をまともに聞いていなかったせいですし、何の行動も移さずにただその日をなんとなく過ごしてきたあたしが悪いってのもわかってます。でも、やっと気が付いたんです。このまま何もおきない、何の変化もない停滞するだけの人生なんて、もういやなんです。だから放課後の少しの時間でもいいんです。あたしに教えてください! 講義を受けさせてください。お願いします!」
自分でも、無茶苦茶な要求だと涙子は思っていた。だけど、他に教えを請えそうな人物は思い浮かばなかった。
涙子は事の顛末を月詠に掻い摘んで説明する。
オーシャン・ブルーで事件に巻き込まれたこと。
何も出来なかったこと。
その時に自分がいかに無力だったのか思い知ったこと。
月詠はそんな涙子の説明を、何も言わず、黙って聞いてくれた。
「――なるほど。それで涙子ちゃんは、私を頼ってきてくれたんですね。でも、どうして私なんですか? 他にも指導してくれる先生はいくらでもいると思うんですけど」
「それは、講習会の時、先生の授業を受けたからです。先生の授業は分かりやすかったですし、あの授業のお陰で、あたしは自分の侵した罪を見つめなおす事が出来たんです。頑張ろうって思えたんです。だから、誰に声を掛けるのか悩んだとき、真っ先に先生の顔が思い浮かびました。先生なら、あたしに能力開発の糸口をくれるんじゃないかって」
月詠はしばらく涙子の顔をじっと見ていたが、やがてあっけらかんと「いいですよー」と、見ているこっちが罪悪感を覚えるくらいの純粋な笑顔を見せてくれた。
「・・・・・・本当ですか? 本当に、講義してくれるんですか?」
「はい。涙子ちゃんはどうやら迷える子羊のようですから―。それを導くのは教師である私の使命なのですよ」
小萌は「大船に乗ったつもりでいろ」とばかりに胸を叩き、こちらを見据えている。
「ありがとうございます!」
涙子は何度も頭を下げ、感謝の感情を行動で示す。
ここから、はじめるんだ。
怠惰な毎日はもういらない。
自分に甘える日々もお終いだ。
前に進むんだ。
歩くような速さでいい。
少しずつ、努力していこう。
失敗を恐れずに、出来ることをやっていこう。
(あたしはもう、逃げない)
前に進むと決めた少女にさわやかな風が吹いた。
epilogue 佐天涙子 END。