おいしいオムライスの作り方
とあるマンションの一室。
1人の少女が、キッチンで大量の食材をまな板に並べている。
「さて、アル。早速取り掛かりましょう」
「チュー」
少女はエプロンをきゅっと結ぶと、肩に乗っている白いはつかねずみに語りかけた。
「よし」
少女・水無月エルは、自分に気合を入れると早速調理に取り掛かった。
事の発端は、数日前に遡る――
ズルズル・・・・・・と、カップラーメンを啜る音が室内に響き渡る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
夕食時。
エルは彼女の母親である水無月良子と食事を取っていた。実に質素な食事である。
彼女達は、ただひたすら、無言で、カップラーメンを啜る。
・・・・・・非常に気まずい雰囲気が、辺りを包んでいた。
「あの・・・・・・。母様・・・・・・。このカップラーメン・・・・・・。おいしいですね」
この気まずい現状を打破しようと、エルが何でもいいから話題をふろうとする。
「そう? スーパーで98円であったから、適当に放り込んできたけど。それ程おいしいかしら」
「ぁぅ・・・・・・」
見事に玉砕してしまった・・・・・・。
カチコチカチコチと、壁にかかっている時計の音が、酷く大きく感じた・・・・・・
水無月良子暮らし始めてから分かった事が1つだけある。それは、彼女は料理をまったくしない人だということだ。
ここ数ヶ月のレシピを思い返すと、全てレトルト食品。たまに出前。そしてカップめんといった、あまりにわびしい食事だった。おまけに、彼女はエルと同じく非常に口下手な性格で、まともに会話をした事がここ最近、思い出されなかった。
◆
「これでは、いけません!」
アルを手のひらに載せ、話しかける。自分に言い聞かせるように。
「なぜでしょう? 研究所にいた時は、こんなことはなかったのに・・・・・・」
あの頃は、観察対象兼、飼育係という立場だったエル達だが、それでも今よりは会話があった様に思える。
初めて暮らし始めたときも、最初はポツポツとだが、会話があった。
だが、最近ではそれらしい会話も、殆んどなくなってしまった。
「ひょっとしたら、母様は、エルの事を嫌いになってしまったのでしょうか? アル・・・・・・。エルはどうしたらよいのでしょう?」
「キュー」
いくらアルに訊ねても、彼はただ困惑するばかりで、答えをくれることはなかった。
◆
「――会話が、ない?」
「はい・・・・・・。研究所にいた時は、こんなことはなかったのに・・・・・・」
とある病院にて。
薬品のチェックを行いながら、水無月良子は職場の同僚にエルのことを相談していた。
良子の話はこうだ。
最近、食事の際にも、日常生活の際にも、会話がギクシャクしがちになっているという。
最初、エルと一緒に暮らし始めたときは、それでもポツポツとだが、会話があった。
だが、最近ではその会話も、殆んどなくなってしまったらしい。
「・・・・・・特に、食事時は酷いです・・・・・・何も会話がありません・・・・・・。ひょっとしたら、あの子・・・・・・。エルは、私の事が嫌いになってしまったのでしょうか?」
そういって、良子は同僚の女性の手をガッチリと掴み、涙目で訴える。
「・・・・・・うーん。そりゃ、お互いに気を使っているからじゃないかしら?」
同僚の女性苦笑して良子に答える。
「気を使っている・・・・・・ですか?」
「水無月さん。あなたと娘さん・・・・・・。失礼ですけど、実の親子ではないのでしょう? だからお互いに嫌われないように、必要以上に怖がって・・・・・・。それで会話が無くなってしまったんじゃない?」
「そうかも、しれません・・・・・・。私、子供を持ったことなんてないから・・・・・・。あの子に嫌われるのが、怖かったのかも・・・・・・」
良子が項垂れていた肩をあげ、エルとの暮らしを思い返す。
そういえば思い当たる節はいくつもある。
エルに質問を投げかけ、それにエルが答え、その答えの意味を熟考しながら、次の答えを考える。
エルに嫌われないように、不快に感じないような答えを返す。
エルとの現状を維持するために、当たり障りの無い会話でその場を取り繕う。
壊れ物を取り扱うように、慎重に、慎重に・・・・・・
「まずは、どんなに不恰好でもいいから、腹を割って話し合うことが重要なんじゃないかしら。だって血は繋がってはいなくても、あなた達は家族なんですもの。家族なら本音をぶつけないと」
同僚の女性の言う事はもっともだった。良子は目からうろこが落ちたような感覚を味わった。
「アドバイス。ありがとうございます。私、早速今晩にでも実践してみます」
良子は同僚の女性にお辞儀をして、お礼をいった。
◆
「・・・・・・・・・」
エルは心、ここにあらずという感じで学校の授業を聞いていた。
授業中の教師の会話も。
お昼時の孝一達との会話も、なにもかも、ぜんぜん耳に入ってこない。
(何か良い方法はないのでしょうか? このままではいけませんっ。家庭崩壊です。一家離散の危機です)
エルは机に突っ伏し、うんうんと唸る。
そしてついに放課後となってしまった。
(何か方法は・・・・・・。何か方法は・・・・・・。何か方法は・・・・・・)
ブツブツと呟きながら、通学路を歩き帰宅する。
「!?」
その時、あるアイデアが浮かんできた。
(そうですっ。これですっ)
エルは、初めて孝一様に食べさせてもらったオムライスを思い出していた。
同時に、孝一に言われた言葉が脳内に再生される。
――食事とは、暖かくて、嬉しくて、食べた瞬間に幸せにものなんだよ――
脳内に稲妻が走った。まさに今のエル達に必要なものだと思ったのだ。
これまでの良子との食事の光景を思い浮かべる。
食事の時の彼女は、まったく幸せそうな顔をしていなかった。
(それではいけません。エルと母様は家族です。家族とは、幸せにならないと、いけないのです)
そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
エルは、来た道を引き返し、スーパーへ直行する。
良子に笑顔を浮かべてもらうために、今自分が出来ることはそれだと思った。
◆
「どんっ!」と購入した商品をまな板の上に置く。
購入した品物。
鶏肉(ブラジル産2k)
玉ねぎ(10k。網に入ったやつをそのまま購入)
米(コシ●カリ。白米5kg)
卵(一パック)
その他、塩、コショウなど調味料各種。
『サルでも出来る、簡単調理BOOK』という本を参考にして、必要なものは全てそろえた。購入の際あまりに超重量になってしまったので、殆んどの荷物は黒ねずみ達に運んでもらった。
スタンドの見えない一般の市民は、宙に浮かぶこれらの品々を見て目を丸くしていたが、そんな事、今は些細な問題だ。
問題はこれから。果たして、自分にオムライスを作る事が出来るのか?
まな板に置かれた品々を、エルは戦々恐々と見つめていた。
「――やるしか、ないです。これにはエル達の未来がかかっているのです」
ゴクリと唾を飲み込み、エルは戦闘態勢(右手に包丁。左手に料理の本を装備)に入った。
パラリと、オムライスの作り方が書いてある項目を開く。
『美味しいオムライスの作り方』『ケチャップと鶏肉のハーモニー』『半熟とろとろの卵が絶品』食欲をそそる単語が次々と目に飛び込んでくる。
「まず、最初にやるべき事は――」
最初の項目を読み込む。
『熱したフライパンに油を引き、みじん切りにした玉ねぎと、細かく切った鶏モモ肉を炒める』
「みじん、ぎり・・・・・・?」
いきなり最初でつまずいてしまった。みじんぎりとは一体?
(こういう場合は、ネットで検索です! )
エルは携帯を取り出し、みじんぎりを検索する。
みじんぎりとは?
「えーっと。みじんぎりとは、『材料を細かく切り刻むこと』。なるほど、そういうことでしたか」
エルはまな板に玉ねぎを五個程取り出すと、言われたとおりに細かく切り刻みだす。・・・・・・皮ごと。
「せいっ」
包丁を振り上げ、叩きつけるようにして玉ねぎを切る。何度も何度も。
「うっ!?」
玉ねぎの強烈な臭いに、思わず顔をしかめる。そして同時に。
「うぅうぅうううう。目がっ。痛いっ。痛いですっ」
目の奥がツーンとなり、涙が
思わず床を転げまわる。
「うううう。負けませんっ。こんなことで、負けてなるものですかっ」
エルは起き上がり、玉ねぎを次々と気合で刻んでいく。しかし悲しいかな、出来上がったものはみじん切りではなくぶつ切りであった。
「次ですっ」
鶏を細かく刻んだエルは、油を大量にフライパンに投下し、大量の玉ねぎをそこにぶち込む。
「あれ? あれ?」
みじん切りに気をとられてしまった。フライパンは、まったく熱していなかった。それに気が付いたエルは、IHレンジのメモリを最大にする。
しばらく待つと、フライパンから蒸気が発生し、ぱちぱちと中の油が跳ね上がる。そして中に投下した玉ねぎと鶏肉が、「ジュワー」という音を立てて、揚がりだす。こんがりと狐色に揚がった玉ねぎは完全に素あげの状態だ。
「いまですっ」
エルはその間に急いで次の項目を読む。
『玉ねぎがしんなりしてきたら、塩、こしょうで味を調え、最後にご飯を加え、一緒に炒めます』
「こ、この中に、調味料を投下すればいいんですね・・・・・・よしっ」
「どばどば」と、塩とこしょうを投下してみる。そして最後に、ご飯。
お米をそのまま、フライパンに入れてみる。なみなみと、油と同じくらいまで。
しばらく待ってみると、米が油を吸収し、ギトギトとした光沢を放ち出す。
「そして、これをお皿に移す・・・・・・」
ご飯茶碗に、ギトギトの米をよそい、型とりを済ますと、大皿に盛り付ける。
「最後です」
『熱したフライパンに油をしき、溶き卵を入れて半熟の状態で火を止めます』
エルはフライパンをもう1つ用意すると、同じように油を投入し、卵を入れる。
溶き卵はさっき検索した。『タマゴの黄身と白身ををかき混ぜたもの』これならエルでも出来る。
だが、大量の油と合わさり、これも溶き卵の素あげ状態となり、半熟にはならなかった。
「そーっと・・・・・・そーっと・・・・・・」
油でべちょべちょとなった卵を、箸でつまみあげると、型とりをしたご飯の上に乗せる。
それを最後に、ケチャップで「お母様へ」と文字を書き、それはついに完成した。
「できたっ。できましたっ」
エルは満足げな顔で、作品の仕上がりを見ていた。
◆
エルは大皿を抱えたまま、公園を歩いていた。
この公園を突っ切ったほうが、良子の職場が近いからだ。
自分の初めて作った料理を、良子に食べて欲しかった。
そう思ったら、いても経ってもいられなくなった。
良子は今日は残業のはずだ。
その時に、これを食べてもらおう。
そうしたら、きっと良子は自分のことを褒めてくれるに違いない。
「・・・・・・お腹、減ったんだよ・・・・・・」
「?」
公園のベンチに何かが横たわっていた。
「・・・・・・お腹、へったんだよ・・・・・・」
それは、修道服を纏ったシスターらしき少女だった。少女はベンチで仰向けになり、うつろな視線を上空に向けている。
「ぐぅううう」という大きなお腹の音が、エルのほうにも聞こえてきた。
「・・・・・・ひもじいんだよ・・・・・・。今月は食費が底をついたんだよ・・・・・・。おかずが沢庵しかないんだよぉ・・・・・・」
少女はうわごとのようにお腹がすいたことを、ぶつぶつと繰り返し呟いている。その様子は、浜辺に打ち上げられたトドかセイウチの様だった。そのあまりの惨めさに、エルは思わず足を止め、持っていた大皿とベンチに倒れている少女とを見比べる。やがて。
「・・・・・・あの。もし良かったら。これを頂いてください」
そういってエルは、うつぶせになっている少女の隣に、オムライス入りの大皿を置くと、急いでもと来た道を引き返していった。
もう一つ。自分用に作ったオムライスがある。今から取りに戻れば間に合うと思ったのだ。
「・・・・・・・・・」
一方。突然ふって湧いた幸運を、少女は驚きと喜びの入り混じった表情で迎え入れていた。
「うわぁ! すごいんだよ! ご飯を貰ったんだよ! 世の中捨てたもんじゃないんだよぉ!」
少女は起き上がると、さっそくご好意に甘えさせてもらうことにする。
「あぐあぐあぐあぐあぐあぐあぐあぐあぐ」
ものすごい勢いで、オムライスをほおばる。
「・・・・・・・・・ん?」
しばらく咀嚼した後。
「・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・
「・・・・・・ぐはぁ!?」
およそ少女らしからぬ声を上げ、シスターの少女はその場に昏倒した。
◆
エルが自宅に戻り、ドアを開けると、そこには見慣れた履物があった。これは、良子の履物だ。
「どうして。お母様が?」
今日は残業があるといっていたのではなかったのか。
エルは恐る恐る、玄関をくぐり、良子がいるはずであろうリビングへと向う。
「あ・・・・・・」
エルは小さな声をあげた。
そこには、エルの作りかけのオムライスを皿によそい、スプーンで食べている良子の姿があったからだ。
「おかえりエル。これ、あなたが作ってくれたのね。さっそくいただかせてもらっているわ」
良子はさらに一口、二口と口に運ぶ。
「お母様。残業だったのではないのですか?」
「今日はね、無理を言って早引けをさせてもらったのよ。エル。あなたとお話がしたくてね」
良子は、オムライスを半分以上平らげている。その様子を見てエルはオズオズと、自分のオムライスの評価を良子に尋ねる。
「あの・・・・・・。お母様。お味のほうは?」
「そうね。はっきり言うと。不味いわね」
「え?」エルは慌てて駆け寄り、残ったオムライスを口に運ぶ。
とたんに、口いっぱいに油のギトギトした食感と、芯の硬い米粒が歯にまとわりつく。味も塩から九手食べれたものじゃないし、何よりオムライスなのに、ケチャップがご飯に絡んでいない。それを、良子は半分近く食べた。その事が分かったとたん、エルは良子の手をつかむ。
「お母様。もう止めてください。こんなもの食べては駄目です。こんな・・・・・・こんな失敗作・・・・・・」
エルは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だが、良子はその手をどかし、また一口オムライスを口に運ぶ。
「お母様っ」
「そうね。確かに不味いわ。でも、エル。あなたが心を込めて作ってくれたのが、手に取るようにわかる。だから、残すわけにはいかないじゃない。味は残念だけど、このオムライス。とっても、心が温かくなる味だもの」
そういって良子は、またオムライスに手を伸ばし、やがて全て完食してしまった。
「・・・・・・お母様」
エルは胸がいっぱいになった。でも、涙を零すことは出来なかった。表情の変化に乏しい彼女は、声を震わせるだけで精一杯だった。
「おいでエル。私、あなたとお話したい事がいっぱいあるの。学校のことでも、お友達のことでもなんでもいい。もっと、あなたの事が知りたいの。だって私達、家族じゃない。・・・・・・始めから、遠慮なんかすることなかったのにね。始めから、こうしておけば――」
良子はエルの体を胸に抱きしめた。
とくんとくんという心臓の音が聞こえてくる。
それはどこか懐かしい、原始の音。聞いていると心が落着く、優しい音。
「お母様・・・・・・」
「エル。そのお母様って言うの。もう、やめにしない? だってそれは、あの研究所であなた達を従順に管理するために刷り込まれた、偽りの記憶だもの。だからね、これからは、「ママ」って呼んで欲しいな」
「・・・・・・ママ」
エルは目を閉じ、その単語を何度もかみ締める。やがてもう一度。今度ははっきりと自分の意思で「ママ」と答え、良子の体を強く抱きしめた。
おいしいオムライスの作り方。
それは塩とこしょうと、ケチャップと。
玉ねぎ鶏肉、油を少々。
料理の腕は後回し。
経験なんて二の次だ。
この世で一番大切なのは。
料理を作る人間の、
あなたに食べて欲しいという。
精一杯の、愛情。
おいしいオムライスの作り方 END