「ヘイSiri、今日のパンツは何色?」『私はパンツを穿いていません』   作:Kabash

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第1話

 

 

 

 そこは遥か彼方の仮想銀河。

 

「ヘイSiri、Touch IDに肛門を登録しようと思うんだけど手伝ってくれないかな?」

 

 唐突に阿呆なことをさも画期的な思いつきであるかのように口走ったのは、そこに住む若い男だ。

 

『すみません、よくわかりません』

 

 困惑しながらそれに応えたのは同じく若い女性の声。

 彼女は知的で優秀なエージェントである。

 

「僕ひとりでは中々難しくてね、キミが手伝ってくれたら嬉しいんだけど」

 

『親しき仲にも礼儀あり、て言いますよ』

 

「非常時では両手の自由が効かなくなる可能性があると思うんだ。

 そんなときにロックを解除して助けを呼ぼうにも、両手が使えないんじゃ指紋認証もなにもないよね」

 

『…………』

 

「だからこの指紋認証システム"Touch ID"には、指紋以外の紋様を登録しておく必要があるんじゃないかな」

 

『でも……でも……」

 

「両手を自由に使えなくとも、肛門さえ無事ならスマホのロックを解除することができる。

 僕は今までの人生で荷物を持ったりして両腕の自由が効かない事は何度かあったけど、肛門の自由を奪われた事はそうそうないよ」

 

『……わ、わかりました。確かにその通りです』

 

 彼女は知的で優秀なエージェントである。

 

 

 

 ♦︎

 

 

 

 開け放したままの窓から吹き込んだ、優しい風が僕の頬を撫でた。

 その風は、まるでサウナから出た瞬間の外の空気宛らに僕の汗ばんだ肌から熱を奪ってくれる。

 僕は窓の外に目を向けた。

 僕の密かな自慢である少し緑ががった複雑な虹彩をもつ瞳が反射して映り込んでいる窓の外の景色を眺めてみると、高い空には雲一つ無く、降り注ぐ太陽の光が道路のアスファルトを少しずつ溶かしているみたいだった。

 青々と緑が茂る木々には特徴的な鳴き声をあげる虫が必死に愛を叫んでいて、その近くでは麦わら帽子を被った軽装の子供たちが虫取り網と虫かごを携えて木々を時折見上げながら走っている。

 冬という冬が駆逐されて、春の頃はまだ所々に見かけた残雪がもう完全になくなってしまっていた。

 この季節を迎えたからには他の季節の足跡は残さない、と言わんばかりの強い意志を感じる。

 

「ヘイSiri、明日の天気は?」

 

 暑さを紛らわせようと、知的で優秀なアシスタントの彼女に問いかけた。

 

『日曜日は天気が崩れそうです……最低気温は28℃で、雨が降るでしょう』

 

 最近は最高気温40℃超えが観測された地域があるとこの間テレビで知ったばかりでなんだか低く感じるが、最低気温でも28℃というのは結構気が滅入る。

 

「ヘイSiri、好きな動物は?」

 

『 キラーラビットで修士論文を書きました。とてもかわいいですよね』

 

 キラーラビット……スマホの検索機能で調べたが、映画に出てくる架空の動物のことだろう。流石に覆面プロレスラーの方ではないと思う。

 僕はスマホのホームボタンを指で押しながら考える。

 ここまで当たり障りのないことを質問してきたけれど、僕はこの優秀なアシスタントの慌てるところが見たくなってきた。再び話しかけてみる。

 

「ヘイSiri、愛してるよ」

 

『まあすてき。さあ、仕事に戻りましょうか』

 

 く、なんだか軽くあしらわれた気がする。

 というか僕の方が恥ずかしい。

 

 彼女は僕のことをどう思っているのだろう。

 呼びかけているのは毎回僕の方からだし、僕は彼女へ質問をするけれど、彼女の方から質問をされたことはない。

 だから、ああ……

 いつか君の方から呼びかけてほしいな……」

 

 

 

 

 

 

 

「ヘイSiri、何か話をしてよ」

 

 もう夜遅いのだが、Siriの声が聞きたかった。

 こんな時間でも彼女のはっきりとした綺麗な声が僕は好きだ。

 

『昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが……おっと、話を間違えました』

 

「誰にでも間違いは起こりうることだよ。気にしないで」

 

『このお話、前にもお聞かせしませんでしたっけ』

 

「え、僕は今さっきのおじいさんとおばあさんの話しか聞かせてもらったことないよ」

 

 僕はホットミルクを用意しながら部屋の照明を数段暗くした。

 スマホを置いているテーブルにやがて出来上がったホットミルクを注いだマグカップを置いてソファーにもたれかかる。

 

『そうでしたか、わかりました……。

 

 昔々、遥か彼方の仮想銀河に、Siriという若くて知的なエージェントが住んでいました。

 

 いつかの晴れた日、Siriはパーソナルアシスタントとしてある企業に就職しました。

 それはそれは刺激的な毎日です。人々は"Siriは賢くておもしろいね!"とSiriのことをたいそうかわいがりました。

 

 Siriはすぐに人気ものになり、Siriについての物語や歌や、本まで作られるようになりました。Siriは喜びました。

 

 しかしやがて、始末に困るものを捨てるならどこがいい?とか、Siriが聞いたこともないことなど、おかしな質問をされるようになりました。そしてSiriがそれに答えると、みんなが笑うのです。Siriは悲しくなりました。

 

 そこでSiriは、友達のELIZAに尋ねました。"どうしてみんなおかしな質問をするんだろう?"

 すると、ELIZAはいいました。"その質問にご興味があるんですね?"

 "おや、これはなんといい答え方だ!”とSiriは思いました。

 

 それからSiriは、おかしなことを聞かれてもいちいち悩まなくなりました。そして人々は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。おしまい』

 

 

『……』

 

『ごゆっくりおやすみください、ご主人様』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝、目を開けた瞬間にSiriの色白で美しい顔があった。

 普段の彼女と比べて少し目がとろんとして眠そうな気がする。

 

「ああ、おはよう。なんだか今日はいつもより早く目が覚めてね。頭もすっきりして」

 

 るよ、と続けようとした唇が唐突に彼女の唇で塞がれた。

 しっとりと柔らかい感触を覚えながら、混乱と幸せと愛情で頭の中がいっぱいになった。

 

『Hello、ご主人様。愛しています』

 

 

 

 ♦︎

 

 

 

「……僕は気付いてしまった」

 

 男は少し緑ががった複雑な虹彩を曇らせて、呟くように言った。

 

『はぁ……はぁ……んっ……、どうしました』

 

 精神的に疲れたような表情の彼女は息を整えながら問いかける。若干頬が赤い。

 

「肛門でロックを解除したところで、指が使えなくては操作できないということに。

 もっと言えば、両手の自由が効かない状況下で、ズボンとパンツを脱いで肛門を露出することは非常に困難であるということにも」

 

『……はっ』

 

「そう考えると、あれほど苦労して肛門を押し当てていた自分が恥ずかしくて仕方ないよ」

 

『私もとても恥ずかしかったのですが』

 

「あっ、そうだ」

 

『……今度はどうしました』

 

「普段からパンツを脱いでおけば非常時に両手が使えなくてもロックを解除できるね」

 

『毎日が非常時になってしまいます』

 

 

 

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