強殖装甲シンフォギア――不適合者と規格外品   作:群雲

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第10話 至福の下に広がるモノ

 

 トントントン……

 

 軽快な音が世界に響く。 リズムよく、軽快に刻まれる心地よい音色は耳にする者の意識をより深く沈めていく。 だが残念なことにその者は既に十分な休息を得て、目蓋が下がるには数十分の時を必要としそうだ。

 ……本当に、残念だ。

 

「……あ、れ?」

 

 起き上がる。 上半身だけ。

 掛けられていた布団に不快さを感じつつ、よく見ればいつも使っているモノと違う物だという事に気が付き納得する彼女。 けど、それがすぐまた違う疑問を呼び込むことは当然であって。

 

「ここ、どこ?」

 

 傾げた首は彼女の心象を表すには十分な仕草。 揺れた茶髪が左右に振れ、前後、一週……あらゆる角度を見たところだ、彼女は呟く。

 

「どこだろう?」

 

 本当に彼女の知っている部屋ではないようだ。

 少しだけ身じろぎ、足元までどかした布団をまたかぶりなおす。 どことなく甲殻類がひきこもる動作に見えるが彼女は決して逃げたわけではない。

 

「……さむい」

 

 身体が冷えた為である。

 だがおかしい。 今この時期に、身体が冷えるなどと……少しだけ俯く少女は珍しく眉をハの字に変えてみる。 十分な思考、長考の末に浮かんできたのは。

 

――――ぐりゅ。

 

「おなか減った……かも」

 

 まるで歌うかのような腹の虫。 ご機嫌斜め45度と言った風に少女へ伝わる振動は、そのまま脳髄に直撃――今いかに被害が甚大かを伝えるに至る。

 

「それにしてもここどこだろう? どうしてわたし……」

 

 思考が、一歩だけもどる。

 少しだけ不安なのは本当の事だ。 知らない場所、温もり無き布団に、いつもの声がない静けさ。

 

「はぁ……ん?」

 

 あるのは……あるのは……呟く少女は、まるで思い出すかのように耳を潜める。

 

「なんだろうこの音?」

 

 トントントン。

 軽快さをより一層強くした謎の音。 しかしどうしてだろう、この音が聞こえてくるたびに少女の噴門が開こうとするのか……

 

――――ぐりゅりゅ。

 

「うぅ……」

 

 虫の音はさらに激しくなる。

 

「どうしたんだろう、特に食欲とかはないと思うんだけど」

 

 腹をさすり、首を傾げる少女は――次に鼻孔が疼く。

 

「……ッ!?」

 

 いい匂いだ。 そう思わずにはいられないこの匂いはなんだろう。 簡素で在りながら、まるですべての者が勝てない原点というか……ともかく、食の根底にあり頂点を思わせる原初の香り。

 こんなものを嗅がされてしまえば、いかに自覚症状がなくとも身体はきっちりと反応を示す。 しかもこの少女、歳は15で華真っ盛りというのに好きなものと聞かれれば……

 

「ごはん……ごはんの匂いだぁ!!」

 

 ――しかないのである。

 先ほどまでの不安気なんて蹴り飛ばしてしまえ! 少女はあたりを見渡すと部屋の構図を理解する。 2LDKと思われ、今いるのが寝室でもう一部屋にダイニングとキッチンなどがあるのだろう。 開け放たれた部屋の向こうは角度が強くて見えはしないが、そこそこ理解した彼女は……

 

「誰かがゴハン作ってる……ふふ♪」

 

 尻尾を振るまであと5秒と言ったところだろう。

 耳が“生えている”なら動かすし、尻尾があるならそうした。 けど人である見ならば出来ないのだか仕方なく、仕方ないから声と表情で今ある喜びをコレデモか! ……っと表現する。

 正直、かなりうるさい。

 そして既にいま現在作業行程中の食事が自分の胃袋に入ることが脳内で決定しているのはどういう事であろうか。 ……この娘、かなり図々しいうえに恥じらいが足りない。

 

「ふふふ……なにができるんだろうなぁ」

 

 気分は完全にお子様だ。 ランチを待っているそれは空腹で倒れそう。 けど倒れたらご飯が食べられないから眠りたくない……いや、眠気なんて吹き飛んでしまっているのだからこの言葉はおかしいだろう。

 さて、キッチンがあると思われるそこから足音が聞こえてくる。 床には絨毯が敷かれ、柔い音しか出ないが少女にはわかる。

 

「ごはんが近づいてくる!」

 

 ……はしたないのは高校生なのでご愛嬌。

 足音での判断ではないところがこの少女がどんな性格をしているのかを想像させるには十分。 理屈じゃない、感情だ。

そこはかとなくわかる今の言葉を前に、聞こえてしまったのだろうか、先ほどから聞こえる気味の良い音の主が少女の部屋に足を踏み入れる。 ……その者は。

 

「あ、起きてたの?」

「深町さん……?」 

 

 深町晶、16歳である。 ジーパンと白いTシャツという簡素な格好は特筆するところではないだろう。 しかし少女の目は釘づけにされてしまう。 いま、ここに現れた少年が持っている物体に視線は確かに固定される。

 

「あつそうですねぇ……」

「え? ……そうだね」

「いいにおいですねぇ……♪」

「う、うん」

 

 わかる。 今この時だけなら凡庸な彼にも人の心がきれいに読める。

 幻想だろうが、まるでブン回されるかのようにご機嫌な尻尾さえも見えてしまうあたり、本当に目の前の娘はご機嫌最高潮なのであろう。 そんな彼女に、少しだけ気後れしてしまい、足を一歩だけ後ろに下げる。

 

「……あ」

「ん」

 

 身体ごとこちらに傾く彼女。

 心配しているのか? そう思った少年は、持った“器”ごと彼女に歩み寄ろうと……

 

「……じゅるっ」

「ん~~」

 

 まるで野獣のような眼光を向けられる。 ここで深呼吸を置き、目をつむって肩から力を抜くあたりはさすが経験値の塊と言ったところか。 いや、実際にはそれほどではないのだが。

 

「まったく」

 

 そんな彼がまた一歩足を運ぶ。

 手に持ったのはトレー。 その上にある白い物体の正体は、3ケタ以上に熱せられた土鍋である。 大きさにして両の掌では足りない程度、重さは3キロとやや重い。 それを、持ちながらため息をついた少年はなにを思ったのだろうか。

 

「少しだけ待ってね」

「……あ」

 

 少女にお預けを強要させる。

 そのときに出た声が、本当に小動物か何かを連想させるトーンだったのはいつまでたっても忘れることは無かったろう。 それほどに、彼女の食事に対する思いは凄まじい。

 さてさて。 少年……深町と呼ばれた彼が少女を呼び止めると、持ったトレーを傍らの机に置く。 この部屋の備品なのか趣味なのか、全くと言っていいほどに質素な机に置かれたそれは、独り、白い湯気を高く登らせていく。

 

「あの……あの!」

「まぁ少しだけ待って」

 

 ここで、少女の視線は机の上に集中していく。

 白い土鍋は遠くから確認できた通りだ。 ふたをされ、小さく開けられた空気穴のようなものから立ち昇る湯気は先ほども述べた通り食欲を増進させるには威力が強すぎる。

 それほどの香料……を、醸しているわけではないのにこの刺激だ、実物を見てしまったらどうなってしまうのだろう。 少女は、思わず手に汗を握っていた。

 

「期待しすぎだよ。 そんな大層なものじゃないから」

「でもですね……」

「それよりもこっち向いてくれるかな?」

「はい?」

 

 握った手が、さらに強く握られる。

 

「あ、あの?!」

「……」

 

 少年は無口。 しかし少女の方はというと息は荒いし身体が震えそうになる。 それらを必死に抑えようと握った両手だったが、それもいつ限界が来るかわからない。 なぜそんなことが? 何があった?

 疑問は数多いが、それを解決するには一言で済んでしまう。 なんてことはない、ただ単純な皮膚接触なのだ。

 

 いま、少女の額には少年の手が添えられている。

 

 ただそれだけ。 本当にそれだけ。 ……でも。

 

「あう……ああぁ……」

 

 少女が少女で在るうちは、いささか刺激が強いことも確かだろう。

 

「うん、熱は下がってきたかな」

「あぁぁ…………へ?」

「へ……って、なにそんな奇妙な声出してるの。 立花さん、昨日の戦いが終わった後から体調崩して、さっきまで目を醒まさなかったんだよ?」

「きのう……昨日!?」

「うん」

 

 そこから聞いた話も、いささか刺激が強かっただろう。

 

「昨日ってアレですよね。 ふたりで倒れそうなビルに引きこもったノイズを倒そうとして……ってやつですよね!?」

「そうだけど」

「あの後からずっとですか……」

「ずっとだね」

「……」

 

 思い出される昨日の戦い。 腕も、足も動かないと思った矢先の失態と、それをカバーする二つの蒼。 一方は斬撃にて、もう一方はエネルギー保存の法則から外れた粒子砲で全てをかき消していったその光景。

 忘れるもんか……そう、心に刻んでいたのは眼の前の少年にも言えない秘め事だ。

 自分が、またあの人たちに助けられた……と。

 

「すみません。 ご迷惑ばかりかけて」

「どうしたの急に改まって……っ」

「だ、だって助けに行ったのに……結局たすけてもらってしまって……」

「いやそれは――」

 

 そう言う作戦だから。 ……深町はそう言えなかった。 言ったとしても少女が果たして納得するかと聞かれれば当然違うと首を横に振るだろう。 なら、どうするべきか。 彼は少しだけ息を吐く。

 

「よし」

「……」

「わかった、ならこうしよう」

「深町さん?」

 

 今まで触れていた手を離し、今度は部屋の外まで消えていく彼。 と、思った矢先にまた入ってくると、両手にはまたも手荷物が。

 

「イス?」

「しばらくここに居ようと思って」

「はい?」

 

 言われたことが理解できない少女は、まだ両手を強く握ったままで。

 

「そんなにあの時の事をふがいないっていうんなら、あれはあれで借りってことで立花さんにはコレの感想なんかを事細かに聞かせてもらおうかな」

「これ……お鍋の事ですか?」

「うん。 といっても入ってるのは……」

 

 テーブルの横に移動。 椅子を置いてしまうとすかさず鍋のふたに手をやる。

 熱くないのだろうかと心配そうな目をする少女を置いておき、少年は持ったふたをそのままに数秒の間。 何かを口ずさんだと同時、一気に手を振りあげる。

 

「おかゆ?」

「うん、お粥」

 

 ふわりと浮かぶ湯気。 それが少女の視界を埋め尽くすのはほんのわずかな時間であった。 にもかかわらずこの渇きはどうしたことだろう。

 

「……ごくりっ」

 

 されどあふれ出る唾液は湯水の如く。

 既に目の前の鍋以外を認識できなくなりつつある少女……立花響の空腹は正に天を穿ち地獄をも唸らせるほどであろう。

 

「あの、あのっ!」

「…………」

 

 でも、いまだに発進サインは出されない。 布団を握りながら、まるでその場で跳ねるのではないかというくらいに騒がしくなりつつある響。 それが本当に微笑ましくも騒がしかったのであろう、少年は……深町晶はついに。

 

「熱いから気を付けて食べて――」

「――――はぐはぐっ! んぐんぐぅ~~!!」

「……はは」

 

 行けと言った瞬間に鍋の半分が消えてなくなっていることに焦りを禁じ得ない。 のちに彼はこう語ったそうな。

 

「おいしい~~! 深町さんコレなんですか一体!? おかゆなのに味とか色とかが付いていて……えっと、あの……とにかくおいしいです!」

「ありがとう。 これはね、米を鍋で煮詰める前段階で鶏のムネ肉の出汁と少量の醤油を入れておいたんだ。 そうすることで米自体に味を付けてみたんだけど、そんなにおいしかった?」

「はい! ……はいっ」

「よかった」

「と、ところで深町さん」

「え?」

 

 喜びを全身で表したのもつかの間、響の表情が凄みを帯び始める。 まるで発進前の戦闘機乗りを思わせる眉の角度に、構えをとったサムライのような口元……彼女は、まさに真剣そのものであった。

 

「ダシにつかったお肉様は――!?」

「今夜に使う予定だけど……?」

「ひゃっほーーーい!!」

 

 真剣だったんだ、彼女は。

 

 そして答えを聞いた瞬間に訪れる絶頂は彼女の両手を天に掲げさせる。 角度を変えれば泣いているとさえ思えるほどの凶気乱舞はさしもの深町も少しだけ距離を置くことを強要させる。

 数瞬のあと、コレデモか! と騒ぎ続ける響を前に気付けばこんな言葉を吐きだしていた。

 

「……そっとしてあげよう」

「やっほぉぉい!!」

「はは……」

 

 ……何であれ、晩の食事にも集る気であるというのは今の言動でお分かりいただけたと思う。 さも当然のようにこの後の予定表に『今夜の飯係り 深町』と烙印を押していた響であったのだ。

 

「あ、そういえば!」

「どうしたの?」

 

 ふと正気に戻る少女。 振りあげたその手を戻すとキョトンとした目つきで深町を見上げる……なにか、タイヘンなことをしたのかと覗き込むと。

 

「わたしって今日、学校休んでるんですよね……」

「え、そうだね?」

「寮とかに連絡って……っ」

「あぁ、そのことか。 それなら司令と風鳴さんがいろいろと手を打ってるはずだよ」

「翼さんも?!」

「うん。 学校への根回しと、キミの友達の小日向さんへの言い訳……って言えばいいのかな? とにかく頑張ってくれてたみたい」

「そうなんですか……」

 

 来た質問になんでもないと答える彼。 安心したのであろう、胸をなでおろした響はそのままふとんへ潜りこんでしまう。 まだ、寝足りないのだろうか? 思った深町は近寄ろうとして、足を止める。

 

「あとでお礼言っておいた方がいいよ、なんだかんだで小日向さんかなり心配してたみたいだから。 それに風鳴さんも電話相手に相当疲れた顔してたよ」

「う゛……未来にも翼さんにも迷惑かけちゃってるぅ……」

「仕方ないよ」

「でも……」

 

 空になった土鍋を持ち上げ、そのまま台所へと消えていく深町。 響の視線がそれを追いかけるがすぐに壁に阻まれ見失ってしまう。 が、それでも会話は途絶えることが無いようで、向こうの部屋から彼の声が続く。

 

「たまにはこうやってどっぷり休むのも大事だよ。 俺たちのやっていることは基本体力仕事だし、立花さんの場合は学業と並行しての2重生活だ。 疲れるのも無理ないよ」

「ですけど……」

 

 迷う声は留まることを知らない。 強い責任感に足を取られているのは目に見えている、だがそう言ってこのままにしておけばいずれ……ため息をついた深町は土鍋を水に浸すとそのまま部屋に戻っていく。

 そこにはふとんを腰まで掛けている響が、彼の入室に体半分起き上がったところであった。 対面する視線、その中でも強い視線を打ち出す深町は……

 

「立花さん!」

「ひゃい!?」

 

 そっと彼女の頬に手を沿える。

 

「つ、つつつ! 冷たいですッ!!」

「ははは! ごめんごめん!」

 

 今まで水仕事でもしていたのであろう、氷点下を思わせる深町の手は本当に冷たかった。 けど、どうしてだろうかその冷たい手にさらされた響の頬は……少しだけ暖かくなる。 まるで熱に浮かされているように、凍傷にでもかかってしまったくらいに熱く、彼女の頬が上気する。

 それが、気恥ずかしかったのだろう。

 

「お、女の子にこういうのはですね!? い、いいいいいきなりこういうことしちゃいけないんだと思いますよ!?」

「そうかな? ……そうかもね、ごめん」

「も、もぅ……」

 

 少しだけ距離を取った響はそのままふとんを深くかぶるのであった。

 それを見て、少しだけ微笑んだ深町はなにを思ったのであろう。 背中を向けて室外へ出るとそのまま部屋の出入り口まで歩く。 

 

「…………あ……っ」

 

 その背中を見た時だ、部屋の中に小さな嗚咽が零れ落ちる。

 それはとても微かで、万人が聞き逃してしまうほどに薄いモノであったろう。 拾う人間など存在しないはずであった、けど。

 

「どうしたの?」

「…………えっと」

 

 彼は、その声を拾い上げた。

 さも当然のように、今の声が自分に向けられたのだと理解するのに時間はかからなかった。 その振られ、向けられた表情を見た響は戸惑う……呼び止めたつもりじゃなかったからだ。

 自分では、確かにそう思っていたはずなのに。

 

「いや、あの……ど、どこに行くのかと思いまして!」

 

 まくし立てた。 焦りを禁じ得ない自分の感情の正体など判りはしない。 けど、それに反してかけられた布団を握る手は強くなっていく。

 

「え?」

「…………あ……いや」

 

 息を、吸う。

 胸元が空っぽになりそうで、何かで埋めていないと自分が保てそうにない……なんでもいい、空っぽになるくらいなら手当たり次第に詰め込んで……そうして出来上がった虚構(ハリボテ)はどこまでも大きくなっていく。

 

「なんでも、ありません……あはは」

 

 彼女に、能面のような笑顔を作らせていく。 ―――――それを。

 

「買い物だよ」

「…………え?」

「今晩は立花さんに手料理を御馳走しないといけないみたいだから、それに合わせて戦力の補充をしておかないとって思ったんだけど?」

「…………ぁ」

「どうしたの?」

 

 本当に、何でもないと言った風な彼はどこまで本気だったのだろうか。

 

 いま立花響の胸の内を締めている感情の渦。 これの正体は本人ですら解ったモノじゃない。

 居なくなる……そう思っただけで内側から何かがせり上がってくる感覚を思えたのは幻覚ではなく真実……の筈だった。 だけどもう痛みは無い、彼が笑ってくれるから。

 

「なんでもないです」

「??」

「なんでもないんですよぉ~~」

 

 変なの……

 深町の心内はこんなものだろう。 どこまでも乙女心が判らぬ凡人は、それでも必死に考えていた。

 

「わかった」

「ふぇ?」

「なるべく早く帰って来るよ」

「……ッ」

 

 それは、少女が期待してやまない答えであり。

 

「おみやげにモモ缶でも買ってきてあげるから大人しくしてるんだよ? おなかが空いても冷蔵庫の中身は勝手に食べないこと、いいね?」

「はぁい!」

「よし」

 

 満たされるはずなのに、少しだけ物足りなくて……もどかしいモノであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、15分の時が流れた。

 

 午後の陽気もだんだんと静けさを醸し出して夜への身支度を開始する。 その刹那に訪れる心地よい風は締め切られた室内には入ってこれないけれど、経過した時間は新たな波を響のもとへ届けていく。

 そしてそれは、やはり突然のことであった。

 

「失礼する」

「……ふぇ?」

 

 そのとき、響は目を見開いた。

 

 そこに並び立つ青は絢爛でいて尾淑やか。 相反する言葉を上げなければならないほどに華麗で居て可憐な彼女を、拙い日本語しか知らない響にはもう例える言葉がわからない。 月だとか太陽だとか、そんな簡単なものでしか言い表せない――そんな顔をした人物がそこにいた。

 

「起こしてしまったか?」

「い、いいえっ! そそそ、そんなことありません!」

「そう。 ならよかった」

 

 彼女は自動ドアを通りすぎるや否や、先ほどまで深町が使っていた椅子にまで移動し、腰を落とす。 背中からではなく足の付け根あたりから、まるで据えるように椅子へ落ち着くところはさすがの一言であろう。 礼儀のつくし方、さすがである。

 

「……」

「……え、えと」

 

 だがそれもここまで。 右と左を見た彼女の視線は定まらない。 それを見させられる響も同様なのであろう。 言いたい言葉が見つからず息だけが霧散していく。 それから十数秒の空白が訪れ、余裕がないのかあるのか、現れた彼女は咳をひとつだけ零す。

 

「昨日はすまない」

「へ?」

 

 そうやって言えたのは淡白な言葉だけだ。 聞いた響は間抜けな声を上げることしかできず……けど。

 

「私の心が定まらぬ故、たち――貴方には大きな迷惑をかけてしまった。 これだけはなんとか言っておきたかったんだ……」

「め!? 迷惑だなんてそんな! むしろわたしの方こそ翼さんや深町さんの足をひぱってばかりで……」

 

 言いあう言葉は反省の色が大きいだけのモノ。 称賛、慰めの物など何一つない重苦しいそれは健康不良者には何分つらいモノであろう。 それが、いや、そこまで気が廻らない彼女……風鳴翼は、不意に髪を揺らす。

 

「やめよう」

「え!?」

 

 突然の否定の声。

 それに過敏な反応とも取れる響の唸りは部屋中に行き渡る。 ……やめる、やめる。 なにを? 誰が? 一瞬で思考がまとまっていく少女は、だがそれは決して明るい方向のモノではなく。

 

「ダメですよ!!」

「……なに?」

「だ、だって……だって翼さんの歌はとっても綺麗で、カッコよくて、あの、その! みんなに勇気を与えるんです! もちろんわたしだって勇気づけてもらって励まされたときもいっぱいあります!!」

「え、えぇ……?」

「そんな歌をやめるだなんて絶対だめですッ!! た、戦いが忙しくてとか、そんな理由だったらわたしがもっとずっとめいいっぱい頑張りますっ、だから辞めるだなんて言わないでください!!」

「え、ちょっと?」

 

 少女の視界がグルグルと回る。 両手を振り回して身体ごと今の想いを伝えきる響は息を巻く姿も相まって必至そのもの。 そんな姿に、だけど少しだけ意味が解らないのであろう。 翼は片手の平を向けると響をポーズだけで抑える。

 

「ちがうわよ」

「……ふぇ?」

「やめるのは暗い会話の方。 誰も歌を辞めるだなんて言ってないわ」

「……そ、そうでしたかぁ。 わたしてっきりノイズなんかのために翼さんが歌手をあきらめるとばかり……」

「辞めるなんてあるはずがないわ。 それに私のようなモノの歌で励まされる人もいるのだから」

「あ、いや……あはは」

 

 一喜一憂の子犬に翼の表情は少しだけ崩れる。

 木製の椅子が鳴る。 少しだけ態勢を変えた翼はどうやら足を汲みなおしたようだ……スカートが擦れる音が空気に溶け込む。

 

「具合はどう? 桜井女史の報告では、ギアに不慣れな状態で長時間の戦闘によるオーバーヒート……過剰運動がそのまま身体の疲労につながったと聞いたが」

「そうなんですか? ……なんだか身体がだるくって、頭もたまにボゥっとするから風邪だと思ってましたけど、そう言う事だったんですか」

「えぇ」

 

 響はそう言うなり右手を振ってみる。 

 少しだけ軋みのある感覚を受けるとそこで動きを止める。 手のひらを広げ、閉じるを繰り返す。

 

「へんなところ、ある?」

「え!? 特にそう言うのは……ただ」

「ただ?」

 

 少しだけ、うつむく。

 その影の具合は昔どこかで見たことがある。 翼はすぐに直感したはずだ。 彼女自身、こんな表情をすぐ間近で見たことを在るのだから。 けど、彼女は……

 

「……」

「そのですね」

「………………」

 

 自分から、聞き出すことはしなかった。

 だからだろうか? どうしてだろうか。 その沈黙を身に受けた響は一回だけ呼吸をする。 深く、どこまでも深く沈めた高ぶる気持ち。 いう、言うんだ、伝えるんだ――それが“彼”からもらったアドバイス。

 人が人であるという証拠で、在り方で、自然な対応。

 それをいま、少女は実戦へと移す。

 

「わ、わたし思うんです。 どうしたら翼さんに認めてもらえるかって」

「……」

 

 それは、響の鬱憤だったのかもしれない。

 いつまでも鋭く、寄りあうことを許されない刀剣の瞳。 それが自身と周囲を切り裂くから、彼女の下に歩み寄ることが出来なかった。 どうして? なんで? 問う事さえ拒絶された邂逅の時から十数日、響はついに意を決した。

 

 それが、少年の一押しが在ったにせよだ。

 

「変な事を言っちゃうんですけど……わ、わたしっていつも翼さんを怒らせてしまってる気がして」

「……」

「3回くらい前の戦闘だって、翼さんを危険な目に合わせたし、その前だってつまずいたわたしの援護をしてくれたり……気、散らしちゃってますよね」

「…………」

「至らないところばっかりで迷惑ばかりかけて。 それでだめなところはふたりに頼って甘えて――――わたしッ!!」

 

 いままで、どれくらいため込んでいたのだろうか。

 あの深町にすら言わなかった事をいま、自身の悩みの根源でもある翼本人に零れ落す……いいや、この言葉の奔流は既に零すというよりはあふれると言っても差し支えない。 そして、一度決壊してしまったダムは留まることを知らず。

 

「戦うって口だけでしか示せなくて……翼さんのようにしっかり者じゃないし、深町さんみたいに――」

 

 口早に心の内を外へ流し込んでいく彼女の声は、勢いはそのままにトーンだけが落ちていく。 その落ち込み方を言いかえれば不安、そう感じ取った翼は……うなずくだけ。 

 

「それにわたし……2年前――」

 

 何も言われない、何も言ってくれない……だから触れてしまおう二人の傷跡……それを――

 

「立花」

「っ!?」

 

 声だけで止めたのは翼であった。

 彼女は目をつむってそれ以上言葉を発さない。 綺麗に整った呼吸音が物語るのは制止の音。 これ以上……言わずして響の叫びに待ったをかける。

 

「あれは、お前のせいじゃない」

「……」

「いや、違うな」

「え?」

「数日前からお前に対しての態度を含め、全てお前のせいじゃない」

「………翼さん…?」

 

 声は依然なだらか。 纏う空気だって心地が良いモノだ。 決して他人を責めるような雰囲気を感じさせないのはどうして? 響は黙って翼を見つめる。

 

「私の過去は、あの当時現場にいた立花が知っている通りだ。 そして、その横にいつもいた大事な存在を失ったのもそのとき」

「天羽、奏さん……」

「そうだ、あの時お前を救おうと命の炎を燃やし尽くしたのが、ツヴァイウィングの片翼たる私の友……奏だった」

「……」

 

 友。 その言葉がどれほどに大切で、重い物なのかはいかに響とはいえ……いや、響だからこそわかる。 彼女で言うところの小日向未来、深町で言うところの瀬川兄妹というかけがえの無い、なんとしても守りたい存在の事を響は確かに知っている。

 

「その奏が守った者がお前で、そんな立花が奏の持っていたガングニールを纏って戦場に立つ……正直なところ複雑至難とはああいった心境だったろう」

「うっ……」

「どうしてあの子が……そう思った時もあった」

 

 響は思わず視線を下に向ける。 これ以上、向かい合うことも困難なくらいに痛めつけられる心。 翼の言葉を聞くたびに思い起こされる今までの戦闘風景は、自身が脚を散々引っ張ってきたものばかり。

 力を得た、だから今日から君も戦士だ。

 そう言われて誰もが戦士に成れるわけではないと、解っているはずなのだがそれでも思うところはある……彼女は、布団の中で手をきつく握っていた。

 

「けれどね、少しずつその考えが変わっていったのよ」

「…………え」

 

 だが翼は、そこに一石を投じる。

 

「この間の戦いに置いて貴方の覚悟、戦いに対する姿勢……それが大幅に変化したように見えたから」

「え、え?」

「……別に貴方を完全に認めたわけではないし背中を任せられるとは言い難い」

「は、はい……」

「けれど……けれど同じ方向を見て、共にケンを構えるのなら出来る。 少なくともそうは思えるようになったわ。 この間の貴方の奮闘を肌で感じることが出来た今なら」

「そ、それって」

 

 それは、思わず響の顔をリセットしてしまうくらいに涼しい声であった。 心を打ち、馴らすかのような回答はどうしてだろう、言った本人の表情も徐々に温度を上げていく……なにが、そこまで彼女を震わせたのか判らぬまま。

 

「と、共に戦いましょうという意味よ……」

「……つ、翼さん」

 

 席を立つとそれきり。 風鳴翼はそれ以降響と視線を合わせることが無かった……できなかった。 今までの行いが悪かったのは何も響の方じゃない。 むしろ少なからず悪意があった時点で……

 後悔か懺悔か。 わからぬ感情を腹に据えてしまった剣は、刀身冷めぬままに後ろを振り返る。 歩き始めた音に鋭さは無い、コツンという涼しい音を奏でてはいるものの、それは決して彼女の心象を表しえないモノである。

 

「あ、あの――」

「すこしお喋りが過ぎたわね。 飲み物を取って来るわ」

「え?!」

 

その姿をマネージメントの人物が見たら微笑を禁じ得ないだろう……足取りが、浮いているようだと。

 

「そ、そそそんな悪いですからっ」

「冷蔵庫に何も入ってないじゃない。 ……まったくあの子は何をやっているのやら」

「あ、いえ! お構いなく――」

「病人が無理をしない、ここは私に任せて大人しく寝床で養生していなさい」

「は、はい……」

 

 少し、いや、それなりに上からの目線で言い聞かせるのはどこか姉を思わせる。 普段からの凛々しさを崩したかのように見えたのは気のせいだったろうか。 少しだけ熱が上がった立花にはわからなかった事だったろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後16時半 都内某所。

 

「勝った」

 

 深町晶はいつか歩いていた道を、己が勝利の余韻に浸りながら進んでいた。

 

「いやー、今回はあのガタイの良いおばさんが居なくて助かった」

 

 その手にあるは栄光の品。 勝利を掴んだものしか手にできない至極の一品。 良質で高品質、数多の猛者を退けてようやく手にできる一級の代物。

 

「ラグビー選手と見間違えるくらいに身体が大きいんだもんなあの人。 下手すると一番最初に戦った獣化兵にも負けないんじゃないか……ホントいなくてよかった。 あ、そう言えばアレってなんだっけ」

 

 揺らす手荷物はご機嫌最高潮。 ユラリ遊くれて振られていくそれはまるで犬のシッポを思わせる陽気だ。 その気持ちはどこから来るのだろうか? 思い通りに行った今日の戦果? それともその先の……

 

「グレゴールって名前かな? ……本当にそれを連想させる主婦の方だよなぁ」

 

 わからない、いや、知ろうとしなかった彼は浮かれたままに足を動かす。 今しがた居た施設から既に2キロは歩いた夕暮れ時、周囲に人気は無く、その先にある帰る場所からはもちろん迎えなんか来ない。

 

「グレゴール……か」

 

 一人きり。 それは彼がこの数か月のあいだ経験しなかった事……なのであろう。

 

「…………クロノス」

 

 それを意識してしまえば途端に視線が落ちてしまう。 哀愁が揺蕩う彼の頬、そこに雫が流れていかないのは少年が青年に変わろうとしているから……そうでなくとも変わらなくてはならない。 時は、待っていてはくれないのだから。

 

「…………皆、どうしているだろうか」

 

 心残りは数多。 だが、どうしてだろう。

 

「残してきたと思ったときはあんなに心を乱したのに……俺、今とても――」

 

 その心境は水面のように穏やかだ。 ……それを不安どころか疑心を持ってしまう彼は呟く。

 

「…………人でなしだ、こんなヤツ」

 

 言葉は空へ、心は地に向かって行く今日この頃。 少女が身体を患っているとき、少年は心を病もうとしていた。 誰にも理解できないであろう次元間跳躍による一人旅。

 

「みんなが恐ろしい目に逢っているかもしれないときにこんな……」

 

 孤独な時間旅行。 ……いや、世界すら超えてしまったこの世界には彼が生きてきた痕跡は何一つない。 味方だった、頼り頼られていた仲間である者の痕跡どころか出自もない……それどころか敵すらもいない。 彼は、本当にひとりだった。

 

「……みんな」

 

 今だって一人じゃないのはわかる、言うまでもなく立花響や風鳴翼という背中を任せられる仲間はいる。 だがそれでも彼女たちは知らないのだ、深町晶が凌ぎ、削ってきた今までの生き様すべてを。

 死中に活を見出したところで無駄になってしまう虚しい戦いを……

 

 最後にはその身を無に還らされたあの光の奔流を――――

 

「……やめよう」

 

 それを思い出しただけで身震いがする。

 

「決めたんだろう? 今はここで出来ることをするって、ここで救える命に全力を出すって」

 

 恐怖が身体中を支配してしまいそうになる。

 あの強大無比な力を……いや、存在感を見ただけで規格外と烙印された自身の力ですら小人のように思えてしまう。 響く歯ぎしり、沈む拳。 彼は只々後悔に流され始めていく。

 

「……決めたんだ」

 

 決意は弱々しい。 足りない力を求めても“願っただけ”では何も手に入らない。 動かない現状に歯ぎしりしかできない脆弱な少年はただ、うつむくことしかできなかった。

 

「…………ん?」

 

 俯いた先、自身が踏みしめている道路を凝視していた時だ。 視線の先はいつもながら何の変哲もないスニーカーを履いている自身の足。 26センチ程度の決して大きいとは言えないそれが、小さな影を踏んでいる。

 夕刻のこの時間だ、その影はどこまでも深く暗くて……でも、それは――――

 

「俺の影じゃない……いや、というより俺以外に!?」

 

 誰も居ない。 そう思った時に届いた風鳴り音が耳で聞いた時だ、深町晶は脚力を全力でもって稼働、その場を離脱する。

 

「ぐああーーッ!?」

 

 転がる身体は深町の者。 どこまでも回る景色に吐き気を催しながら思考は既に今起こった現象の究明にあたっている。 ちからの方向、迫りくる会った何者かの気配……それらを整理していけばわかるのは。

 

「敵……まさかノイズか!?」

 

 ごろり、ごろりと身体がアスファルトを転がっていく。 無軌道にどこまでも行くそれは次第に速度を緩めてコンクリート塀を前に停止。 もどっていく景色に三半規管の回復を感じると両手で地面を触る。

 腕に力を込めると背筋に伝え、両足で踏み込めば立ち上がる。 ……そして。

 

「……馬鹿な」

「…………………………ハン――!」

 

 目の前に信じられない光景を確認する。

 

 …………そもそも、いままでこの世界で深町が相対してきた“敵”は不定形な怪物『ノイズ』 なのに今目の前に居るのは固形、さらには発声器官まである。 手足はそれぞれ2本、頭部があり胴体もあれば表情もある。

 その顔が、決して友好的で無いところは今までの“敵”と同じではあるのだろうが。

 

「なんでこんな――」

 

 戸惑う彼は、しかしそのときだ。 

 

「…………ったらどうして」

「なに!? こ、この声」

 

 彼の背後、コンクリート塀の向こうから何者かの声が聞こえてくる。 どこかで聞いた、最近知ったような感じを確かめた深町は一気に表情を硬くする。 いや、そもそもこの時に通りかかるのが最悪だ、少年は一気に戦闘態勢へ精神を切り替える。

 

「おいおい、“敵”を前にいきなりよそ見とは随分余裕なんじゃねぇの?」

 

 振り向いた先に見えるのは、紅蓮の夕闇に照らされた白き者。 あまりにも神々しく、どこまでも禍々しく感じてしまうその白さは、見た者に畏敬の念を与えるには十分すぎる。 其の人物が何かを握ると一気に振りかぶってくる。 ……深町に、狂気の渦が襲い掛かる。

 

「――――っく!!」

「…………あれ? なんだかこっちの道……?」

「なっ!!?」

 

 攻撃が肉迫した時だ。近づいてくる声がある。

 小さく、か細いながらも芯を通したようなそれは野に差し込んだ日向を思い起こさせる。 しかし今は夕闇が支配する時間帯、日差しはむしろ邪魔でしかない。

 

 深町晶は一回だけ歯ぎしりする。

 

「誰かいるのか、こんな時に! ……やむを得ない」

「誰かいるんですか――?」

 

 手を握り締め、呼吸を整える。 持っていた買い物袋を落として、背に感じる声の接近距離を大体で掴みとる。 …………人の足であと25歩と言ったところ。 そう頭の中でイメージすると決め込む。

 

「あのーーー?」

「ごめん立花さん……“彼女”を巻き込んでしまいそうだ」

 

 謝る相手は声の人物にゆかりが深いモノ。 一番のと聞かされた時を思い出すと深い後悔の念が深町の心を占め付ける。 それでも呼吸を整えると、彼はすかさず駆け抜ける。 既に攻撃が迫る中……なんと彼はそれに対して背を向ける。

 

「馬鹿かテメェ!? いきなり背中を向けるなんざ殺してくれって言ってるもんだろうが!!」

「来い――」

 

 赤い狂気が迫る迫る。 彼の無様にも向けられた背中に風穴を開けてやらんと牙を剥く。 ……そうだ彼の、規格外を背負う深町晶を狙って飛んできたのだ。 ならやる事はひとつ、自身に刃が迫るのなら抵抗するのは必定。 彼は呼吸器官を総動員し、腹の底に感情を増幅させると一気に爆発させる。

 

 呼びし生物の甲冑、その名も――――

 

 

「ガイバァァーーッ!!」

 

 

 叫んだ時、彼の背後が異空間に包まれる。

 

 衝撃波が巻き起こり、異界より流れるエネルギーが凶器を原子に分解していく。 それと同時に現れる影は中身が空っぽの怪物。 腕、脚、胸部に頭部。 亡骸をも思わせるそれは主を求めて蠢き巻きつく。

 生命(いのち)を捕え、身体(にく)を喰らい、細胞を変色させていく。 あらかじめ認識していた“自身”の持ち主と融合するとそのまま自分と少年を混ぜ合わせる。 ……それはまるでパレットの上にある絵の具のように掻き、乱され、色が青にまとまると衝撃波が不意に消失する。

 もう、守るものがなくなったのは保護する理由がなくなったから。

 異空間からの防護など必要としないその強靭な身体、屈強の肉体は……地面を踏みしめる。

 

「うおぉぉぉぉおおおッ!!」

「なに!? 馬鹿な、突っ込んでくるだと!?」

 

 それは、いきなり敵を掴んで飛んでいく。

 腹部を光らせ重力を反転させて、背に居たであろう少女から刻一刻と離れるために夕闇に消える。

 

「く、離せこのヤロウ!!」

「も、もう少し……せめて誰も――」

「殺すぞ!」

「うぐっ?!」

 

 襲撃者の反撃は深町の腹部に直撃する。

 なにか鋭利なものが突き立てられたかと思うと痛みが一気に駆け抜ける。 僅かなものであったはずなのに妙な痛烈さを感じると顔を歪め、一気に集中力を乱す。 それは重力制御球の操作を手放すという意味だった。

 

 彼らは、地上に落ちていく。

 

「がはッ!?」

「……ふっ!」

 

 不意を突かれ、なぜか激痛を覚える深町に対して襲撃者は余裕のある着地を決め込んでいた。 背中から見事にアスファルトを削った深町は咄嗟に立ち上がろうともがき、彼我戦力を確かめたいがために上げた視線の先、それは当然の如く佇み……深町から余裕を消し去った。

 

「な、に……!」

「ハァッ! くたばり損ないがもがき苦しんでやがる、言い眺めだぜ」

 

 全体像を見た時だ。 全身の強殖細胞を強張らせ……彼のバイブレーション・グロウヴが大きく戦慄く。

 

「にん、げん……間違いない、やはり人間の女の子?!」

「……はっ、何をそんなに驚いてやがる」

「しかもその白い鎧……まさか!!?」

「ぁあ!?」

 

 そうだ、彼女はノイズなんかではない。 只の人間なのだ。 ……その身に聖遺物という名の鎧を身に纏う以外はだが。

 

「こ、この世界に来ていつかはとは思っていたけど……まさか初めて戦う人間の相手が――ッ!?」

「オラどうしたッ!! 小言並べていつまでもオネンネかよ!?」

「――――よりにもよって聖遺物(シンフォギア)を付けた年端もいかない女の子だなんてッ」

 

 唐突に飛んでくる謎の物体。 攻撃の意思を宿したその飛来物は深町の胴体を目がけて高速で肉迫する。 コントロールメタルが光ると深町の身体が横に逸れる。 そして見る、今しがた自身を襲った凶器を。

 

「さっきの攻撃は鞭か!」

「まだこんなもんじゃねえぞッ」

「――っく」

 

 恐ろしい位に透き通り、血が発光したかのような赤い三角形の水晶が幾多にも連なっている刃の鞭。 変幻自在に動いては縦横無尽に殖装体を切り裂いていく……そう、今目の前に居る女は深町の……いや、ガイバーの装甲を切り裂いているのだ。

 

「馬鹿な、こんな……」

「女子供と油断したのか? 甘ぇよ!」

「ぐぅ!?」

 

 深町が腕を目の前で交差させる。 止まる脚に遅くなる鼓動。

 しかしその目は追っている。 いつまでも自分を切り裂いていく血のように赤い鞭の軌道を、その癖を。

 

「1、2……」

 

 右腕を撫でる事2回。 左脚、右わき腹をそれぞれ5回。

 

「…………」

 

 表層を傷つけるだけのそれは鞭だからこその威力の無さ。 しかし塵も積もれば夢の島になるように、小さなダメージも蓄積すれば痛烈な事体を引き起こしかねない……それでも、深町はさらに意識を集中する。

 

 

 …………ひたすら、集中していく。

 

 

 

 

「うらうら!」

「ぐっ!? っく……」

 

 女の子……立花さん達とそう歳が離れていないはずの子が俺を敵だと刃を向けてきた。 その攻撃はガイバーの装甲をいとも簡単に切り裂き、身に纏う装甲からはなぜか生命反応すらうかがえる。

 謎多き襲撃者は、背に負った夕日の色合いからまるで血染めの白人にも見えなくない……不気味さが俺の背中を駆け上がる。

 

「だ、だがいまはそんなことを言っている場合じゃない……何とかしなくちゃ」

 

 相手の武器は鎧の首元にまるでマフラーのように駆けられたクリスタル状の鞭。 一つ一つにかなりの硬度と切れ味を備えている様で、――っく!? 鞭特有の変幻自在な動きからくる攻撃は厄介だ、身動きを取れば急所を打たれかねない。

 

「どうしたどうしたッ!! 怪物の形して実力はヒヨコ並みかよ?!」

「ぐぅッ! わ、脇を……!」

 

 抉られたか! さっきから執拗に狙われていたから強度が落ちていたんだろう。 拳大に空いたのはグラビティ・コントローラー付近、もう少しで飛行能力を奪われるところだった。

 にしてもさっきから的の大きいところを狙ってきては来るけど、急所を狙わないのはどういうことだ……いや、今抉られたところも十分急所だが、それにも増して頭部への攻撃が少ない。

 

「なにが目的なんだ……!」

「はぁ!? 何言ってんだてめぇ」

「なに……?」

「こんなところまで怪物を追いかけてきたんだ、ぶっ殺さねぇ道理はねぇだろうが!」

「っく、今度は右腕が――」

 

 大きく切り裂かれていく。 ……まだ神経は生きているな、手の動きに支障はない。 しかしこの子の発言はどういうことだ、俺を怪物扱いという事はまさかと思うけど俺の事……なら!

 

「お、俺は怪物じゃ――」

「怪物に喰われた元人間……そんなもん言われるまでもねえ!」

「なに!? だったらなんでこんなこと」

「うるせぇ! ピーチクパーチク騒ぐんじゃねえよ怪物!! てめぇのその力がイチイチ周りに影響を与える……火種になるそれは今のうちに刈り取ってやるって言ってんだよ!!」

「火種……? うぉ!?」

 

 何を言っているんだこの子は。 言われていることに何一つピンとこない……っぐ?! 切り裂かれた右腕にまた鞭が走っていったか! くそ、今度は攻撃を通してしまった、腕が……上がらない。

 

「もってけこのヤロウ!!」

 

 彼女が鞭を振りあげる。 その運動が駆け抜けると大きく持ち上がり、まるで顎を持ち上げた猛獣をイメージさせる形状を作り上げる。 俺は咄嗟に無事だった左腕を顔の前に持って行く。

 

「な、に!?」

「誰が縦からの攻撃だって言ったッ!」

「む、鞭がうねりを……」

 

 次に振るわれた腕の運動により鞭が大きくしなり、螺旋を描いて俺を襲う。 ……眼前の視界を覆う紅の鞭が俺を取り囲む。

 

「ぐあっ!?」

「吹っ飛べんじまえ!」

「ぐぁぁああああ――!!」

 

 全身に衝撃が走り、まるで真空波をこの身で受け止めたかのようにそこかしらに損傷を負う。 200キロを超える身体が浮きあがり、そのまま衝撃に身を任せて後方へ吹き飛び、コンクリート製の壁をぶち抜いて背中から倒れる。

 ……なんて攻撃をしてくるんだ、ガイバーの身体が吹き飛ばされるなんて。

 

「いい感じにくたばり損ないになってきたじゃねえかよ……このままくたばっちまえ!!」

「やめ……やめろ」

「あん?」

 

こうなったら……動かせるだけの腕を胸元に添える。 鳩尾から上に向かって刻まれたくぼみに当てると力を籠め……だが、しかし!

 

「殺したくない、頼む手を引いてくれ!」

「それはいつでも殺せるって事かよ……舐めてんのか? この死に損ないの化け物ヤロウ!」

「違う! 人間なら分かり合えるはずだと――このッ!」

 

 俺は“そこから先の行為”を起こす気になど成れない。

 俺を襲う理由はわからない、彼女の心意なんか測れない。 けれどここで獣化兵を相手取るようにこの子と闘ってしまうのはダメだ。

 

「武器を持ち、襲い掛かってくると言ってもまだ……」

「おら、おらおら! くたばれ!!」

「やめさせられるはずなんだ、こんなこと! 俺と父さんのような事にはしたくない……だから辞めてくれ、お願いだ!!」

 

 改造され、洗脳され、意のままに操られているわけじゃない可能性があるというのなら、俺はそれに賭けたい。 無謀な賭けだとしても、こんな闘い……

 

「俺は……おれは――」

「うぉら!!」

「俺は!!」

 

 こんな闘いはしたくないんだ。 なんとか止めないと、この子を惑わせるものを見極めて、今の行いが間違いだと正さないと絶対に不味いことになる。 周囲の人間にも……

 

「この子自身にも――!!」

「消えろ怪物!!」

「そのためにも、今は……」

 

 ただ耐える。 それだけしかできないのが歯がゆいけど、今はそれしか無い。 この身は強靭で、どんな損傷をも治すかもしれない。 けれど他人の傷を治すことも、誰かを真に救い上げることなんてユニットにはできないのだから。

 それは人間、深町晶自身の力で成し遂げなくてはならないのだから……

 

「……いまは!」

 

 身体を強張らせて、斬撃を無理矢理堪える。 全身に刃が走り、その度に激痛が駆け抜けるようになってきたのはダメージ量が許容範囲を超えようとしているからか。 きっと今の身体を立花さんが見たら悲しい顔をしてしまうかもしれない……。

 

「そうだ、そんな顔をさせてはいけないな……」

「はぁ? 何言ってるんだよ……てめぇはよォ!!」

 

 彼女が鞭を振りあげる。 形状と材質的にしなるというよりは一気に波を作る感じの武器は、本当に軌道を読むのに苦労する。 そうだ、いままでコントロールメタルがこの武器の特性を理解するのに、本当に苦労した。

 

「死にさらせ!!」

「一振り目で縦に動き……」

「この化け物が!!」

「二振り目で円を描くッ」

 

 けど、その癖を理解するのに時間はかからなかった。 おそらく戦闘経験が俺よりも浅く、自分の欠点だとかを把握するほどに“質”の高い戦闘をやってこなかったんだろう。 武器の扱いが、パターン化している。

 

「この瞬間を……」

「なに!? 」

 

 彼女が大きく腕を振るうと、まるで竜巻を上から見たような軌道で俺を襲い掛かる鞭―――それを見る前、彼女が大きく腕を振るう前に一気に駆け出す。 ……渦の中に。

 

「待っていたんだ!」

「自殺志願者かよてめぇは――!」

 

 螺旋の中身は当然刃が走っている。 其の中に身体を放り込んで無事でいられるわけがない。 さらにどこへ攻撃が来るかわからないから防御だって難しい。 ……だから俺は、守ることをあきらめた。

 

「と、頭部さえ無事なら何度だって……!」

「突っ込んできやがるだと!!?」

「ウォォォオオオッ!!」

 

 死んだ右腕はそのままにして、俺は左腕を眼前に添えながらひたすら渦の中を突っ切る。 腹部で光る重力制御球に意識をさらに叩き込み、俺はとある追加注文をメタルを経由して与えていた。 ……それは。

 

「なんだあいつ、右腕が!?」

「持ち上がれ、腕よ!」

「か、勝手に腕が!?」

 

 “右腕あたりの重力を反転させること” 勝手に浮き上がった腕はそのまま俺の肩の位置で制止せる。 ボクサーが使うブローにそっくりなのは形だけ、その威力も、技術も何もかもが見よう見まねなそれは、ガイバーのポテンシャルが無ければ実現不能な物であろう。

 その姿を見た彼女は目を見開いたように思えた。 当然だろう、どうあっても死に体だった右腕が動いたんだから。

 

 俺だって動かせるかどうかわからなかったんだ、当然だ。

 

「だぁぁああッ!」

 

 右腕を、いや。 右肩を前に突き出す。 腕は依然として動かせないし、左腕は今もなお額のコントロールメタルを守っているから攻撃に転用は出来ない。 だから、この死んでいる腕を前に差し出す。

 

「…………ッ」

「しまッ?!」

 

 しかしその重さは通常の人間の数倍はある。 そんな重い物体をがむしゃらに反動だけで放り投げればそれなりの威力はつくはずだ。 ガイバーの脚力をフルにしたダッシュ力、重力制御球によるアシスト、身じろいだ時の背筋その他、使えるすべてのラインを経由したこの威力を、耐えられるのなら耐えてみろ――――

 

 

「はぁぁああああ!」

「このヤロウ、跳んだ悪あがきを――――!!」

 

 

 俺の腕が飛ぶように奴の腹部へ迫っていく。 薄そうで、それでも立花さん達の例があるから油断ならないヤツの装甲。 もしも俺が考えている通りの事がヤツに当てはまるのなら、奴は……

 

 夕暮れがあたりを赤く染める時間帯、幸か不幸かあたりに人気を感じない町はずれで鎧と装甲がしのぎを削りあっていく。 俺は、この戦いを生き残ることが出来るのだろうか。

 青い拳は、奴へと突き進んでいく――

 

 

――衝撃音があたりを食いつぶした。

 

 

 

 

 

 

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