暗闇。 見たモノを怯ませ、足をすくい、怯えさせる黒い空間。 それは確かな畏怖を与えてくるのだ、そう、いまこの光景を目にしてしまった少年の心に……
「こんなことって……!」
確かな慟哭を上げさせる。
「立花さん、これはいったいどういう事なんだ!?」
「いや、あのぉ……そのですね。 最初は全然なんと言いますか、あの、その」
「……これはいくらなんでも」
深町晶、高校二年生。 彼はネフシュタンの少女との戦闘を終え、さらに傷ついた身体をガイバーの再生能力により癒し、そこからさらに朝からの約束を成就するために、目の前の少女……立花響が昨日から使っていた部屋に来た次第である。
しかしその部屋を見た瞬間に、彼の背筋に大量の汗が流れることとなる。
なぜ、どうして? 乙女の部屋を見ることが出来たという、ある意味で男子高校生の夢と希望の集大成その壱を叶えたというのにそのリアクション。 まるで夢の島見学に来た学生のような声を上げるのはどうしてなのか。
誰もが思うその疑問は実は…………
「部屋が、汚すぎるだろ……」
事実だったりする。
部屋の中に足を一歩踏み出せば。
「っぐ? な、何か踏んだ……のか」
足の裏に柔い感触が伝わる。
だが、ここで不快と思うよりもむしろ安堵の心が広がる深町。 そっと息を吐くと、改めて周りを見渡す。 そして……
「なにか硬いものでなくてよかった。 下手したら包丁の一本でも転がってそうだからな」
「そ、それは否定できないかも」
「にしても……」
改めて、この部屋に起こった異常を確認させられる。 いままでどんなところに行ってもこのような状態などお目にかかったことが無い。
……男家族の家も、果てはクロノスの調整室ですらこんな風にはならないだろう。 そうだ、こんな人の心を一層激しく揺さぶるくらいに……
「なんて汚い部屋なんだ」
「……ですよね」
今朝まで、というよりも昨日の入室から初めて使い始めたかのように綺麗だったはずの部屋。 深町少年と同じ広さのそこは、整理整頓の必要もないくらい、いや、むしろ物自体が無い状態だったのにどうやって……
響と合わせて、深町の表情筋は引きつる一方だ。
「……ちなみに聞きたいんだけど、これやったのって」
「つ、翼さん……だとおもいます」
「?」
「わたしも途中で眠っちゃって……それで気が付いたら部屋が」
「……よく脱出出来たね」
「必死でした!」
「そっか……」
彼女の頑張りに心の中で念仏をひとつ。 唱えたところで何かが変わるわけではないのは事実だが、そうやってやらなければあまりにも彼女の賢明な行動が報われない。 ……それが、一通り終わった頃だろう。
「立花さん、今から食堂に行ってビニール袋を持ってくるんだ」
「掃除、するんですか……!」
「うん。 だっていくら自分の部屋じゃないからって、自分が居るところをこのままにしておけないよ」
いう事はかなり至極真っ当。 けど、隣にいる響はかなり乗り気じゃない、ように見えたのだが。
「……がんばりますか!」
「うん」
其れは一瞬のことだった。 彼女は、外に駆けだすとそのまま通路を走り抜けていく……
「……さて、行かせたはいいけどこれからどうするか」
深町が見わたす部屋。 主に響が寝ていたあたりの部屋と、冷蔵庫が置いてあるキッチン周りが特にひどい。 汚れは無いものの、様々な物品が空間を埋め尽くし、足の踏み場を無残にも消されてしまっている。
「なら、まずは足場を作ろう。 細かい物は置いておいて、大きいヤツをどかして――いや、こうなったら外に放り出したほうがいいな」
思い切っての行動は、人から迷いを消し去る。
ひと昔前なら捨てるモノとそうでないモノで悩むだろう少年は、どこか大胆で大味な性格が加味されていたようだ。 そして、彼が気合を入れて一声を上げるところから大々的な大掃除が始まったのである。
そして、2時間の激闘が行われた。
「これで良し!」
「はぁ~~すごいですねぇ、こんなになっちゃうんだ」
両手を叩き、その手を腰に持って行くと部屋を一望する少年の姿が在った。
一つの戦いを終わらせて、どこか誇らしげに瞳を輝かせる姿はまさに達成者のそれだ。 彼は、また一歩人生の苦みを経験したようだ。
「――――って、そんな大げさな事でもないけど」
「そうですかね? 十分、一大事な部屋でしたよ……」
「まぁ、でもこれくらいならまだ何とかなる範囲だよ。 あ、そうだ燃えないゴミとかの分別方法が俺の居た時代とはだいぶ細かく指定されてるのは驚いたよ。 最近じゃペットボトルのキャップはプラスチックごみなんだって?」
「え? あぁ、そう言えば深町さんって90年代初期の」
「……うんまぁ、だからそこらへんに手を焼いたと言えば焼いたかな」
思わぬところで出た時代錯誤の、いや、本当の意味での時代遅れ。 それを思い知った深町はどこか肩を落としたように見える。 少しだけ落としたトーンに、だけど響が駆けれる言葉などどこにもない。
……時代に置いて行かれるなど、普通に生きていたのでは決してわかってやれることのない痛みなのだから。
それを、彼は分っていたのだろうか。
「さてと。 今日は立花さんとの約束を守らなくちゃだから、腕によりをかけよう」
「……はい!!」
次に出た言葉はこれまでの流れを切り。
「はは……あっ」
「え!?」
「立花さん、ひとつ重要なことが」
「…………ッ」
その次に出た言葉に。
「から揚げに、ニンニクを入れるとダメなタイプ?」
「どんと来いです!!」
「了解」
少年は、少しだけ表情を朗らかにしていくのであった。
夜、月が頭上に昇る頃であろうか。 欠けた月光が大地を照らし、微笑みかける宵の時間帯。 基地の一室で眠る彼は、唐突に目を醒ます。
「……1時か」
傍らに置いてあったアラームに目配せし、ほぼ真っ暗な部屋を見渡した後に出た言葉。 なんだか眠れないのは……原因なら山のようにあるだろう。
「今日はいろんなことがあったなぁ。 ……しかしまさかあの部屋の散らかりが風鳴さん一人の犯行だったなんて」
今でも信じられない事……ではあるが、なにかしら事情があるのだと彼はそれ以上を追及しなかった。 そうだ、彼が追及しなければならないことは他にある。 目を閉じれば白い鎧が揺れ、赤いクリスタルの鞭が今でもこちらの命を狙うかのように乱れ飛ぶ。
「ネフシュタンか……あの武器、蛇のような鞭だとは思ったけど、まさか本当に蛇に由来してるなんて」
あの攻撃の熾烈さには驚き、そして自身の武器でもあり命綱でもある強殖装甲を切り裂いた事実は今後の歩き方を考えさせるには十分であった。 深町は、掛けていた布団を横にずらす。
「蛇……たしか罪と再生を司るんだっけ。 其れなら“あのとき”の反応もわかる、けど、問題はそのあとだ」
立ち上がるとおもむろに歩き出し、今自身が寝ているところから少しだけ離れた位置にある小さな箱に足を運ぶ。 屈み、それに手をのばすと小さな音……箱だと思われた物体の一片が開くと、それは中身を晒す。
「牛乳が500ミリだけか……」
冷気を漏らしながら、今あるだけの物品を披露すると深町はそれを手に取り、口を付ける。 喉から威勢のいい音が奏られると、今とりだした物の自重は一気に軽減……中身を空にしていく。
「あの鎧がモチーフ通りの性能を有しているのなら、最悪、あの鎧事態に強力な再生能力のような物があってもいいはずだ」
空になった箱、それをゴミ箱に持って行かずにキッチンまで歩く深町。 左手に乗せると、そのまま開いた片手で水道の蛇口をひねる。
「ガングニール、天羽々斬といった聖遺物が経年劣化でシンフォギアに改造されて行っている中で、あの鎧が完璧なまでに現存している理由も、再生能力があるからと言われれば納得できる。 多少損傷しても、自分から戻るというのなら確かにこれ以上にないくらいに出来のいい武器だもんな」
出てきた流水に、今しがた開けた紙パックの牛乳の口部分を持って行く。 中身を満たしてやれば一気に逆さにして、吐き出させる。
「けど、アイツはそれを使わなかった……なぜだ」
もう一度向きを直して、水で中身を満たす。
右、左、前後に揺らしてやるとすかさず逆さにして、満たした中身をもう一度ゼロにする。
「……手心を加える余裕を彼女から感じなかったし、そもそも俺を殺しにかかってきた人物があぁもあっさり手を引いたのはなぜだ?」
紙パックを逆さにしたまま2、3回振るうとそのまま口を両手で掴む。 一気に左右に引っ張ると三角形の口元が辺をひとつ増やしながら大口を開く。
「なにか退かないといけない理由が出来た? それとも……」
キッチンの足元、そこに意を構える扉を開ける。 その扉の背に配置されている3本の包丁の内、一番刃渡りの短いヤツを手に取ると、刃を紙パックの口に触れさせ……一気に引く。
「わからないな、どうにも理由があるのだろうけど……っと、これでいいか」
紙パックに刃を入れる事5回程だろうか。 そのまま包丁を元あったところに戻すと、彼はパックを大きく広げていく。 よく見る、紙パックの収集をする時の形に整えてやると、彼が手にしたのは洗濯バサミであった。
「地下だからね、天日干しという訳にもいかないけど、とりあえずこれでいいかな。 牛乳っておいしいけど、放っておくと菌の繁殖が酷いのが難点だ」
挟んでひっかけて、尚且つ水気をある程度手で落しておく。 そうすることで日光の光りが届かないこの部屋でも乾燥を速める算段だ。 ……それが、終わったときであろう。
「…………ん、菌の繁殖」
彼の顔は怪訝さを一気に露わにしていく。
「菌の繁、殖」
己が発した言葉を何度も舌で絡めると。
「…………繁殖」
彼の目は……
「……ガイバーはそもそも、強い生命力と増殖、さらには他の生命を食い散らかし、進化していく強殖細胞を、コントロールメタルで『管制』することで強殖装甲足らしめているけど。 ……あの鎧、その強靭な再生能力をどうコントロールしているんだろう」
一気に。
「もしかして……!!?」
見開かれる。
口を小さく動かしながら、いままで在ったことを鮮明に思い出す深町少年。 あの鎧の所作はすべてコントロールメタル越しに脳髄へと叩き込まれている。 故に、あの時の少女の表情を想いだすことも容易で在って。
「……あれをコントロールしきれず、あの場を去ったとでもいうのか?」
あのときの彼女は、果たして均衡のとれた表情をしていただろうか。
「“立花さんでの例”もある。 もしも聖遺物が俺の思った通りの代物だったら大変なことになるぞ」
その顔は苦悶に歪んではいなかっただろうか。 ……歪んでいたはずだ。
「……彼女は、それを知っているのだろうか」
その顔を、そしてあの子のことを思い出した深町は、気付けば眠気など吹き飛んでいた。
なにかないかと想い、悩み。 それでも湧き出る答えなどありもせず。 本日今宵もことごとく無駄に時間を過ごしてしまうのであった。
学校がない、だから夜更かしだって平気でする。
そう、この身は既に戸籍もなければ存在をきちんと証明してくれる家族も居ない―――もとより彼に親族は存在しない――――なれば、いや、だからこその自由を彼は使い、悩み、考える。
時計の短針がその身を3回程、円盤の上を滑らせたところであろうか。
冷蔵庫の中身を空にし、少しだけ肌に寒気が走り出す日の出前。 深町晶は、下に向けていた顔をようやく上げる。
「よし、確かめてみよう」
存分に、そう、最大限に利用した無駄な時間。 自身に学生としての束縛がないからこそできるこの長考は良い判断だったと言えるのだろうか? だけど決め込んだこの想い、無駄にしないように端正に折りたたみ、胸の中に仕舞い込むと。
「……イケナイな、夜更かしが過ぎたみたいだ」
まぶたが急に重くなる。
思い立っても身体がついて行かないのは、その日に起きた出来事があまりにも大きかったからか……
「ちがうな。 いい加減、眠気が限界を超えただけだろう……な」
口を開けば欠伸が宙を舞い、見送る深町はいまさらに自身の疲労を思い知る。 その場から歩き出し、重い足腰を引きずるように向かったベッドに向かってダイブ……目蓋を閉じればすぐさま夢の世界だ。 彼は、しばしの休息に入っていく……
PM13時半 深町自室。
「ごちそうさまでした……と」
遅い昼食。 四角いテーブルからほのかに香る醤油の匂いは、彼の目の前に置かれた皿から漂う食事の残滓。 かけらほどもない、その、空腹を誘うはずだった物体が何なのかは誰にもわからぬ代物であった。
「さて……これからどうしよう」
立ち上がることもできない彼。 けれどそれは満腹からくる倦怠感だとかそう言うのではない。 ただ、目的はあるけど手段がないのだ。 困った……そうやって目元をほぐしていくと、深町はそのまま椅子の上で小さく息を吐く。
「………はぁ…」
ため息だ。
出てきたものに言語は介さない。 けどそれは、誰もいない部屋の中を確かな音と共に漂っていく。
昨日から今日未明まで十分に考えた。 これからの行動、彼女への対応……それは確かに纏まりはした。 やらなくてはいけないという決意と共に。 ……なぜ自分が、そんな風にあの鎧の女を考えたのかはわからぬままに、だ。
「しかしどうしたモノか」
――――――今度その姿を見かけたら、そのときは必ずぶち殺す!
今でも耳に残る言葉の羅列。 思い出すたびに背筋に汗が浮かび上がり、肺が空気を求めれば胸の鼓動が不規則に走りはじめる。 ……また、彼は立ち上がるタイミングを逃してしまう。
「…………それでも、俺は……」
膝が張り、背筋に力が送り込まれれば一気に立ち上がる。
空虚なのは心? いや、彼自身に最大の目的がある限り、その身の内はいつだって燃え上がらせることはできる。 でも……思えば俯いていた彼は、唐突に腕を振りあげる。
「でもじゃない! ……やるって決めたんだ、俺は――おれは……」
叩いたのは机だった。 物にあたるという最低な行為に及んだ彼は、それでも歯を食いしばるのをやめない。 どんなに強く、どんなに多く叩こうが晴れない心は、いったい何を求めているのだろう。
罪の意識? なら、罰が欲しいのか……
彷徨う心をまとめることができない少年に、答えをくれる人間などいるわけがない……彼は、またもひとり俯いてしまう。 視線が定まらず虚空へと彷徨っていけば部屋中を見渡していく。 どこまで行けば気が済むのか判らない逃避は、けれどすぐに終わることになる。
「……なんだ、これ?」
見つけた物が在ったのだ、少年には。
台所として機能している一角、その、隅に置いてある小さ目の食器棚の足元に、今回の騒動の種が転がっているのだ。
それは紙切れだ、A4サイズの一般的なコピー用紙と思われる物体。 昨夜の長考時ですら気にも留めなかった彼だが、部屋が暗かったからと心で納得させるや否や、徐に身体を縮こまらせる。
「えっと、なになに……?」
目を通す。
右から左に動かし、数センチ先まで動かすとタイプレコーダーのように視線を繰り下げる。 ガッチャンガッチャン……数回ほどその運動が動かされれば、そろそろ内容を理解してもいい頃合いだろう。
はてさて、それはなんと書いてあっただろうか?
「……読めない」
どうやらなんとやら、なにやらひと波乱ありそうである。
「なんなんだこの言語? 見た感じ走り書きみたいだけど、いや、殴り書きか? とにかくすごい感情を込められた感じだ」
いったいなんなんだろう。 読めない文字の羅列は深町の好奇心をくすぐっていく。
彼は手に取ったそれを掴みあげたまま、唸り声を上げていくことしばらく。 インスタント食品がそろそろ出来上がってもいい時間が経ったくらいだろう。
「まさかこの基地で大事な資料だったりして。 ……だったら風鳴司令に渡しておいた方がいいかな?」
ならばそれなりに情報をまとめよう。 さらなるヒントを探すため、彼は手に持った用紙を少しだけ握り返すと、持っていた紙切れを反転させる。
「こ、これは!?」
そこにはとある文字の羅列が掛かれていた。
今までの感情が込められた文字たちではない。 端正に整えられた、まるで教科書の見本のような字がそこにはあった。
――――――――立花響 ノイズの生態に関するレポート
「立花さんレポート忘れてるよォォ!」
レポート。
それは学生が教師に己が実力と、今まで教わった事の全てをさらけ出し、その結果に沿って自身の成績を判定させてもらう代物。 そんなことは現代学生の誰でもわかるものなのではあるが。
あるのだが……
「ど、どうして一枚きりなんだろう」
数の圧倒的な不足。 これが深町氏が持った第二感想である。
「レポートっていうのは大体、用紙をふんだんに使って無駄に長ったらしい説明を遠回りにウダウダと書き連ねるモノなんだ。 そ、それなのにこんな少ない枚数でケリが付くなんて」
おかしいにもほどがある。 しかもこんな読めない言語でまかり通るものなのだろうか。 深町少年の疑念は深まるばかり。 そして、その思いがある一点を突破した瞬間である。
「これが時代の変化なのだろうか……?」
……おそらく、勘違いであろうことは誰もが言うまでもないだろう。
「というよりノイズ生態に関するレポートか。 そりゃそうだよな、ああいうのが頻繁に出現する世界だ、一般に知識が共有されないとそれこそ死活問題だ」
と言っても現状この基地にいる人間ですらノイズの全てを把握しきれているわけではない。 奴らは群れをなし、ただひたすら人間を襲い掛かる殺戮の悪魔だ。
感情なく、ただ、無慈悲に命を刈り取っていくだけの存在。 少なくとも深町はそう言う見解でここまで歩いてきた。 人類総意の敵……それは言われるまでもないモノであろう。
「……だけど平気で紛争が起こっている。 ここにいるとわからないけど、どの時代でもやっぱり争いは絶えないんだな」
少しだけ愁いを帯びた顔。 でも、自身にやれることなどたかが知れている。 いくら運命を崩され、その身に多大な力が舞い込んだとしても出来ることなどほんの僅か。 其れは、いまさら言われることもないのだろう。
彼はそっと、持った手紙を閉じていた。
「これ、立花さんに渡したほうがいいな。 確か“ここの上”なんだっけ? だったらここのヒトにでも頼めばどうにかなるだろうか」
次なる行動の指針は女子校。 上にそびえ立つ秘密の園を思い起こし、けれどすぐさま下を向く。 当然だろう、なんといっても真上には男子高校生が逆立ちしたって入れない魅惑の空間が広がっているのだから。
「……っ」
眼だって背けたくなるものである。
思い浮かぶ桃色の空間。 彼だって男子高校生である、聖人君子でもないごく普通の感覚を持っているならば当然の反応と言えよう。 未熟な男子のサガである。
「よすんだ深町晶。 そんな邪なことを考えてしまえばどうなるか、解っているはずだろう」
そんなサガに一区切り。 今現在露わにしてしまっている表情を見てしまえばおそらく襲い掛かるであろう刀美人を頭の片隅に置い、彼は一回だけ肺の空気を入れ替える。 緊張感ではない、ほんの少しだけ脅迫を混ぜ込んだ使命感を心の中に取り込めば。
「届けてもらおう。 きっと彼女も今頃困っているはずだから」
彼の、本日動く理由がここにできあがっていく。
異邦人たる彼には働く窓口など存在していない。 故に、世界が平和な今現在、力を使うこともなく平穏無事にグウタラと過ごしているのだが。 やはり人間になのだ、かれは……少しだけ刺激が必要なのかもしれない。
そんな彼は溜りにたまった鬱屈とした空気を振り払い……部屋の内側に掛かっている“カンヌキ”を押し上げる。
そこから先は彼自身、かなり頑張った方である。
「あの、桜井さんはいますか?」
「え? 了子さんならいま、私用で席を外してるけど……急用?」
「いや、居ないのならいいんです。 こっちも私用でしたから」
一番最初に浮かんだ頼れる人が、まさかの“彼女”だったことに肩を落としたのは言うまでもない。 彼が知り、頼れる唯一の女性である桜井了子の不在に、そのまま紙切れをヒラヒラさせれば次の目的地を夢想する。
その次に出たのは。
「そう言えば風鳴司令は?」
「司令はいまこの基地に居ないの。 すこしばかり“会議”が長引いているらしくて」
「司令が会議……」
この基地のトップであろうことは言うまでもない。
だがそれもすぐに失敗に終わるのはどうも作為的な何かを感じずにはいられない。 深町少年は、少しだけ首を傾げながらその部屋を後にする。
「どうしよう。 こんな時、このあいだ会った緒川さんにでも頼めればいいんだけど」
その人物は今現在、深町少年がしでかしたビル消滅のツケを払っている最中である。 まぁ、彼自身に悪意なくすべてはノイズが起こした騒動故の結末なのだから仕方がないだろう。
さて、早くも八方ふさがりで事態が止まろうとしているこの瞬間。 額には汗が浮かび上がり、ゆっくりと彼の顎もとへと流れ落ちていく。 ……そろそろ、観念する時が来たのかもしれない。
「いやいや、それはないだろう」
では彼女をここで見捨てるのか? 出来る人間は自分一人しかいないというのに?
「……みんな忙しそうだったもんな」
自分は戦闘要因だ。 故に平時は身体を鍛え、ときには休めるのが仕事。
そのバックアップを行ってくれているみんなの邪魔をして、おいそれと休息を取ることなど果たしてやっていいものなのだろうか。 彼は、悩む。
「……しかたない」
行ってみよう、取りあえず。
進まないよりは全然かまわないと、やはりどこか吹っ切れた印象が強いのは彼が進んだ道の険しさを暗にあらわしているのだろう。 今まで行ってきた苦行に近い試練に比べれば何でもない。 言外に語る彼の背中は、どこまでも頼もしかった。
しかし現実は非情である。
「あ、あの……ここが」
「なんだねキミは? 関係者ならIDを見せてもらいたいんだけど」
「…………」
深町晶、閉口!!
考えなしだった。 いくらなんでも無理があった単身突撃であった……勝敗は明らかであった。
紺色の制服を着た中年男性に行く手を阻まれた彼の居場所と言えば、私立リディアン音楽院高等科正門前である。 高校は高校でも女子が集う秘密の園、当然警備もそれなりであって。
深町少年はごく自然な流れで警備に足を止められていたのである。 風が吹けば波が立つかのような自然さに、既に笑いが漏れそうである。
「はは……はぁ」
落胆による色合いが濃いようだが。
「というよりキミいくつだい? まだ学校に行くような年齢だと思うけど、こんな時間帯に何やってるのさ」
「え!?」
これには、さすがの深町も焦りを禁じ得ない。
考えてみればかなり不味い状況ではないだろうか。 そもそも自身は秘密にしなければならない存在で、滅多な事では世間に知られるべきではない異邦人。 ……正直、今回外に足を運んだのは彼の致命的なミスである。
それでも。
「……結構」
「え?」
「結構みんなそう言うんですよね。 顔が若く見えるってこういう時不便で……」
「……ふぅん?」
一度起こしてしまった波風は、簡単に収まらないことを彼は知っている。
けれど出てきた言葉はなんとも苦し紛れに包まれた代物だった。 彼のピンチはまだ続く。
「それで、そんな貴方はどうしてこの学院に?」
「……」
「ちょっと?」
用事なんて3秒で片が付く代物だ。 会って、渡して、別れの言葉を言う。 たったそれだけのことがこんなに難しい世の中になったことを、深町晶は全くと言っていいほどに知らなかったのだ。
まぁ、そうでなくとも年頃の男が女子校前にうろうろしていれば補導は待逃れないだろうが。
「少し待ってなさい――――っと、なんだこんな時に」
「……っ」
考えが悪い方向へと進んでいく彼に救いのベルが。
警備の男の懐が振動すれば、そのまま彼は胸ポケットから黒い機械を取り出していく。 長方形、手のひらに収まる程度のそれは現代で言うスマートフォンと呼ばれる携帯電話だ。 まだ、自身が扱いに手を焼いているそれに、何の躊躇もためらいもない動作で操作を行う中年男性を見て。
「……俺って」
少し、視線を落としてしまう。
さて、ここに来ての事態の変更は深町少年にいったいどういった未来を見せてくれるのか。 彼は言葉を発せず、物静かに警備員の男性を見つめるだけだ。
「―――え? そんな報告……」
「?」
少しだけ不機嫌そう。 驚いたかもしれないな、あの顔は。 そうやって判断するや否や、計便の百面相が始まっていく。
「いくらなんでも急すぎやしませんかね?」
眉を動かし、若干の舌打ち。 明らかに不機嫌だという状況を露わにすると、彼はそのまま深町少年を見渡していく。
「はいはい……そうですか。 それではその方向で」
見る、というより観るような視線を感じて若干後ろに下がってしまう。 情けないな、こんなところでも――抜け切れない一般人としての感覚に、どうしてだろう、少しだけ彼の顔はうれしそうだった。
そんな、自己満足に浸っている中で、警備の男は少年に声を投げかける。
「キミ、新人なんだって? ダメだよ、そう言うのはキチンと言ってくれないと」
「……!」
ここで驚いた顔をしなかったのは、いままで散々あの桜井女史にもてあそばれて態勢が付いたからだろうか? 不意な出来事に表情を変えずに、深町少年は片手を振りあげる。
「そ、そうなんですよ。 その、すみません」
「いいんだよ。 こんなところだもんねぇ、緊張するのも仕方ないさ」
一気にやさしくなる中年男性。 同僚が出来たという安堵? それとも厄介ごとを抱え込む者への同情か。 とにかく、態度が軟化していく男性はそのまま携帯電話を手でもてあそんでいき。
「そんじゃこのまま職員室に行ってね。 アイサツ、いろいろあると思うから」
「は、はい!」
この学院に、男の子の侵入を許していく。
「……すごい」
目に映る物すべてが新鮮、というよりも見たことが無いモノばかり。 なんというか、学校というよりもどこかのお城にでもいるかのような校風は、作った人間の趣味を垣間見させる。
「いや、まさかな」
そのときに思い浮かべてしまった人物像にはすぐにふたをして、彼はお城のような女子校に入り込んでいく。 眼に見着く校舎と、見渡せるほどに大きいグラウンド。 その、どれもが莫大な資金を投入されているとわかる施設の数々は見るだけで腰が引けてしまいそうになり。
「……俺がいたところとは比べるのもおこがましいほど、作りが豪華だ」
口にしていたのはそんな庶民じみた言葉だろう。
スリッパに履き替え、玄関口へと入り込んだ彼はそのまま深呼吸。 自身が持つ鼓動を日常のモノへと変えていく。
「当然か、俺がいた時代から何年経っていると思っているんだって話だよな」
例え世界の軸自体が違かろうと、辿った歴史の大多数が同じなら自分がいる世界もやがては同じ道を歩んでいくのだろう。 少しだけ目を細めると、そのまま彼は自身に置かれた状況を整理していく。
まず、行かなければならない場所は職員室らしい。
「さっきの男の人の言葉を無視するのは簡単だけど、いまいち状況がつかめてない中で闇雲に突撃するのは良くないはずだ。 それに……」
それに、思うのはどうして我が身がこの女子校に入ることを許されたか、だが。 これには深町少年自身、心当たりが多くあてはまる。
「とりあえず行ってみればわかるだろう。 どうせ立花さんの居る場所なんてわかるはずないし」
一階、二階、三階……どの階層が何年生で、どこの棟が教室なのかがわからない。 知らないことが多いなら、知っている人に聞けばいい。 自身は異邦人だ、なら、他に頼れるうちはそれにすがってもいいはずだ。
どことなく逞しさを垣間見せる深町少年は、そのまま玄関口をようやく進みだしたのだ。
「さて、と」
スリッパが床を擦っていく。
あの、独特な音が周囲へ広がっていくのは、やはりどこか懐かしいモノを感じてならない。 遠い昔でもないはずだろうに、けどその日常は酷く懐かしいと思わずにはいられない。
「…………っ」
眼の奥が熱くなってくる。
別に懐かしい場所ではないはずだ。 なにせこの地は自身の故郷どころか、生まれた世界ですらない。 だけど、この建物から感じる雰囲気……学び舎独特の空気は、やはり一学生だったものにとっては日常を思い起こさせるには……
「懐かしい……な」
十分すぎる代物だったのだろう。
目を細め、少しだけ俯けば頬をなにかが伝っていく。 それが自身の目から零れるモノだと気付くのに、少しだけ……ほんの少しだけ時間が必要だった。
「あ、あの?」
「……っ!」
俯くのをやめ、何とかギリギリで顔を上げることが出来た。 彼はいきなり聞こえてきた音、つまり声がする方へ急速に首を曲げてしまう。 今しがた流れた雫は既にない――男の子なのだ、人前で目を腫らすなんてできようはずがない。
そんな強がりが得意な少年に向かって、声をかけてきたものは……
「どちら様ですか?」
「え、あっと……」
その身を制服に包んだ、見知らぬ女の子。
背格好を言うならば、今まで幾度もなく深町が共闘してきた少女達と似た感じだろうか。 当然だろう、なにせここはその少女が通う学校の敷地内。 同じ制服に身を包む者がいても何ら不思議ではない。
それを確認した時、深町は少しだけ彼女と距離を離してしまう。
「?」
「……どうしよう」
事ここにきてようやく思い知る自身の行動。
学園だ、いや、其れはいい。 けれど自分はなんだ? 見る限り普通のジーンズと半袖のTシャツに腕を通した只の少年だ。 そう、この女の子だけが通うことを許された場所に、男子が一人だけ混じっているのだ。
「……気まずい」
彼の胃袋が圧迫され、口内が酸っぱくなってしまうのは仕方がない事であった。
「もしかして“フカマチショウ”さんですか?」
「え!?」
「あ、やっぱりそうだ」
「……?」
訝しげになるのは仕方がなかっただろう。 少女から言われた単語は本当に予想外の言葉であって、それに反応しきれない深町はどこまでも間抜けを晒してしまう。 そんな彼に、出会ったばかりの少女はほんのりと口元を緩めると……
「おーい! ビッキー!」
「び……?」
またしても聞こえてくる謎の単語に今度こそ訳が分からなくなる。 こんなところに来てしまった自分の迂闊さをそろそろ呪い始めた彼は若干身体が震えて見えてくる。
「…………」
そもそも、こんな事でいちいち狼狽えるほどに脆弱な暮らしではなかったはずなのだが……そんなことを思う余裕すら、今の彼から抜け落ちている。
「あれ? ……あぁ!!」
「え?」
驚きの声が上がるのはほぼ同時だったらしい。 周囲のはた迷惑さを顧みない大声が響く中、彼女と少年は今やっと邂逅したのである。
「立花さん!」
「深町さん!?」
その姿を確認する中で深町は少しだけ声が震えている。 ……当然だろう、今まで同性が居ない世界でまるでひな鳥のように怯えきっていた彼だ。 少しのミスが即地獄行きであるこの世界に置いて、顔なじみの存在のなんと心が安らぐことだろうか。
安堵のせいだろう。 彼は、持っていたプリントを手の中から零してしまう。
「これ?」
「あぁ、そうだった。 立花さんにコレを届けに来たのを忘れてた」
「…………………あぁ!! コレ!!」
慌てて拾って、そのまま彼女の手の中に収めてもらう。 瞬間、聞こえてくる安堵の息は少女が心から吐きだした物であろう。
「これで補修がなくなるぅ! やった!」
「うん…………よかった」
その顔を見るなり出てきた言葉はどこまでも優しくて。 彼はそのまま少女の顔から視線を外すことが出来なかった……
少しだけ『はにかむ』ようでいて、それでも安堵の方が大きいと言わんばかりの笑顔。 それは少女が少女の年齢通りの笑顔で在って。 それは、平和な世界ではごく当然のモノでもある。
「本当に、良かった」
『……?』
その言葉が、どれほどに深い意味を備えていたかなど判らぬ者達は、ただひたすらに彼に対して疑問符を掲げるばかりであった。
さて、そんな深町少年は此処で何やら自身に突き刺さる凶器を感じ取る。 否、何もそれは物理的な威力を持ったものではなく、精神に作用するモノ。 計り知れない威力を伴うそれを、いま、深町は最後の確認と言わんばかりに振り返る。
「…………どうしてあなたがここにいるんですか」
「こ、小日向……さん、だっけ」
「こんにちは。 ……それでどうしてここにいるんですか?」
「……あ、はは」
その視線、その、どこまでもを突き刺していかんとする鋭利な刃の正体こそ、立花響の友人である小日向未来その人である。 黒い髪をショートにそろえ、どこか深層な令嬢を思わせる華奢さを思わせる体格は、触れれば折れてしまいそうな印象を与える……はずだった。
第一印象が互いに最悪でなければだが。
「いや、その……」
ここで正直に言わない。 其処が今回深町が成長した証しである。
そもそも、ここに来た理由が何かなんて言ってもみよう。 “なんでそれを持っているの?” などという指摘が飛んでくるのは明白な事である。
宿題(レポート)つまり家で行うはずのそれを男である深町が持っていること自体イレギュラーだ。 それに、深町自身知り得もしないことなのだが彼女実は――――
「あ、そっか。 わたしって深町さんのところにカバン置いたままでしたもんね。 そのときに落っことしたのかも……ありがとうございます!」
「……かはぁッ!!」
『!!?』
ここで深町に最大の苦難が降りかかる。
そうだ。 隠し通そうとしその瞬間に起こったとんでもない裏切り行為にいま、少年は文字通り膝をついて目元を隠してしまう。 信じられないという視線が突き刺さりながら、それをなかったことにしたい気持ちでいっぱいな少年は今、人生である意味最大の困難に立ち向かうところだろう。
「え、ビッキーって……」
「響……うそ……」
「いや、まって! 違うんだ俺は只!!」
「いやぁ、あの時のお粥ホントおいしかったです。 また作ってください!」
『…………』
この娘はどこまで少年を弄れば気が済むのだろうか。 まさかの追加攻撃にさしもの深町も回復が困難なのだろう。 息を荒げて体中に汗が流れ始める。 ナイアガラもびっくりだ。
「あ、え……ビッキーとこの人って」
「………………ッ!!」
「ちがう……ちがうんだ! というかなぜ俺がこんな」
誤解が誤解を生み、それを弩天然がアンプのように増幅していく。 そろそろ収拾がつかなくなり、深町の体内から液という液が流れ尽くそうとしていたその瞬間であった。
「深町、こんなところに居たか」
「……うお?!」
「皆、すまないが少しの間この男を貸してもらう。 火急な用故、申し訳ないが事情は後で“コイツ”に説明してもらってくれ」
『つ、翼さん!?!』
刀美人、いま全てを断ち切る時。
余裕のない表情はいつも見ている彼女たちからしてみれば珍しい表情。 彼女は、そのまま彼をとある一室にまで招いていくのであります。
―――――――校長室。
深町晶は、とある席に座らされている。 何も不穏な装置が付いたものではない、むしろかなり上質だ。 肌触りもいいし、きちんと磨きの入ったそれは程よい光沢さえ散見される。
革だろうか?
この手に疎い深町ですら、この椅子が上質の一品だということは理解できた。
「……おれ、一体どうなるんだろ」
今回、彼がここに来た理由はまだ分かったもんじゃない。 そもそも、こればかりは彼が招いた失態の結果だ。 ……責められるべきなのは、当然だ。
「怒られるだろうなぁ……いくら外出の許可が出たとしても、なんで女子校に突撃しちゃうかな俺……バカでしょ」
既にお叱りは自分自身で進行中。 自問自答の末に出した、己のミスを幾度も繰り返した彼は、既に表情を見せたくないのだろう……顔を地面に向けるようにうなだれている。
「風鳴さんはあの後すぐ『もうあとひとつ授業が残っている、お前はここでしっかりと懺悔なさい』って言ってすぐにいなくなっちゃうし……はぁ」
出るのはため息ばかり。 そんな、気の小さい少年を不憫に思ったのだろう。
「どうした晶君、青春真っ盛りな男の子に元気がないっていうのは良くないな」
「元気は元気ですよ……だけど今回ばかりは自分の馬鹿さ加減を呪いたいというか」
「かもしれんな。 さすがの俺も、今回ばかりはフォローで手いっぱいだった。 次からはもっと慎重に動いてくれ」
男の声が聞こえてくる。
イメージは赤。 ネクタイなんて言うのもつけたしてもいい。 胸ポケットに入れたそれは、『し』または『J』という字を形造るようでいて……変わっている。 そもそも、ネクタイを付けた人物のイメージカラーが赤という時点でどうかと思う。
想うのだが…………
「……え?」
「よっ、青少年、元気してるか?」
「か、風鳴司令!!?」
はっはっは!
豪胆な笑い声が室内に行き届けば、反響して深町の鼓膜を揺さぶっていく。 ……この男のスケールというか、気概の大きさをこんなところで感じ取れてしまうの。
「まったく、なんでキミがここに居る? 最初ガードマンに止められているのを見た時は肝を冷やしたぞ」
「あ、はは……ということはもしかして」
「そうだ。 電話を入れてこちらに通したのは俺だ」
「その節は本当にすみませんでした……」
「ホントだ、まったく」
平謝りをひたすら繰り返せば、大きな笑い声が帰ってきてしまい。 それがなんでだろう、深町にはとても安心できる声に聞こえてしまい。
「なにをにやけてるんだ?」
「あ、いえ……すみません」
「おかしなやつだな、キミは」
「あ、はは」
つい、腹から空気を吐き出してしまった。
「まぁ、今後のことについては後で話がある。 丁度、キミにお願いしたいこともできたしな」
「??」
「そこん所はまとまってから改めて言う。 今日はもう帰ってもらってもいいかな?」
「あ、はい」
弦十郎に勧められるまま、彼は席から立ち上がり……しかし一つだけ気になることがあって。
「あの、なんで司令がこんなところに?」
「なに、少しばかり用があったのさ」
「は、はぁ……?」
やはり、分らない物語であった。
それから、数分後。
「はぁ……今日は完全にやってしまったなぁ」
あれから、すぐに校舎から出ようとした深町晶。 当然だ、本来ならここにいること自体許されない存在であり、そもそも教師でない限り女子校のモンを潜ること自体が在ってはならない。
「まぁ、あの人に切り捨てられなかっただけましか」
この少年、未だ翼の事を誤解しがちだが、それは初対面が初対面なための致し方ない事であろう。 彼女は生真面目で、理不尽に対して容赦がないだけなのだ。 ただ、それだけなのだが。
「その容赦がないのが、本当にそのままだからなぁ」
人生此れすなわち戦い也
まさに俳句か川柳の世界で生きているような言葉の羅列を、その身で体現してしまうのだから余計に深町は身構えてしまう。 その内側にある優しさは、この間その目に焼き付けたはずなのに。
そんな彼は今現在、学院の正門から少し離れたカフェで一服中だ。 本来ならば余計な所持金の浪費は押さえたい所、だが……これには深いわけがある。
「立花さん達、おそいなぁ……」
…………………深いは深いでも、決して不快になるような話ではないことをここに明記しておこう。
「帰りに少しだけ遊びませんか……ねぇ。 俺、そんなこと女子に言われたのなんて瑞紀以来だな」
嗚呼、凡才高校生の悲しきサガよ。 あんな珍しく人懐っこい女子が居なければ、この少年の生活に華など永遠に訪れないであろう。 そのことは本人が一番理解しているのであろう、独り、ため息が零れ落ちる。
そのときである。
「……っ!?」
横揺れだ。 それもかなり大きめの。
只の地震だと、皆が心を落ち着ける中でも深町だけは違う。 彼はその場を立ち上がり、レジまで走ると小銭入れから硬貨を4枚ほど取り出して――
「ごちそうさま!」
レジ台に叩きつける。
駆け抜けるように足を動かし、息も絶え絶えに形ながらも腕を動かしていけば、見える風景は……黒い。
「く……なにかが爆発したな……?」
匂いで解る火薬の残り香は深町晶の心に強い警戒心を与える。 周りを見渡し、少しでも異変を感じればその場から即座に駆けだす。
「なんだ、いったい何が……」
ノイズであれば自分だけで歯が立たない。 逃げる算段も必要だろう。 だが、もしもそれ以外であるならば……
「俺に出来ることがあるかもしれない、急げ――」
だからこそ彼は走る。
この身にある力を、誰かの命のために使わんがために。 消えて行こうとする運命に、逆らうかのように。
数分の後、あたりをあらかた調べた深町は、遂にアスファルトを蹴るのをやめた。 消えてしまったのか、それとももっと別の要因なのかがわからぬが、居ない爆発の主。 もしかしてガス爆発か? などと、片付けようとした時だ。
「あ、深町さーん!」
「……立花さん」
目的の少女は、ようやく深町の目の前に現れる。
先ほどまでの喧噪で、半ばまで忘れかけていた少女との約束は、果たしてなんだったのだろうか?
そもそも、少女からのお誘いだ。 それも自身とそう歳の離れていない現役女子高校生。 まぁ、生まれた年代生きてきた時代がかなり誤差があるものの、男女がそろってやる事なんてそれほどないだろう。
―――――――いいや、そんな邪な考えで言い訳あるか! もっと冷静になれ俺!!
心を冷水に浸ければ視界がクリアになっていく。 最近、きれいでかわいい女の子、または女の人に囲まれて気が緩んでいたのだ、自分は……そう言って、やらなくてもいい気合を入れ直した彼は――身構える。
「さぁ、こい……コケる準備は出来ている」
どうせ肩透かしな内容なんだろう。 ……歯を食いしばる深町は、遂に声に耳を傾ける。
「あのですね、これからご飯食べに行きませんか?」
「……えっとねぇ」
これが、立花響である。
この、ある意味で期待を裏切り、事の進展をむちゃくちゃにしてしまうのが彼女だ。 ちょっぴり入った天然は頭髪だけにしてくれ……聞こえてこない文句は、そのまま深町の背中を押す。
「行っていいのか……俺、女子とお茶なんて……」
どこまでも卑屈、何よりも自信がない。
見よ、これがモテたためしのない男子高校生の平均的な反応である。
しかも彼はここ最近の戦いで心が疲弊している。 有頂天にまでゲージが上がりきれず、むしろ疑いの眼差しすら作っているこの事実。 ……どこか、悲しい。
「お茶じゃありませんよぉ」
「え?」
「ご飯、食べに行くんです!」
「だからそれを世間一般ではお茶をしに……いや、時代が変わったのだろうか?」
彼は、もちろん何も間違っていない。
世間的に見て、いま、立花響が行ったのは所謂“逆ナン”だし、事情を知らぬ者から見ればまさにそうであろう。 実施には、おそらく何らかの想いが込められてはいるのだろうが……そんなことがわかるほどに、彼らの親交は決して深くはない。
だから、だろう。
「…………爆発の正体もわからないし下手に動かない方がいいか」
「ふぇ?」
「いや、何でもないよ。 行こう!」
「はい!!」
彼らは、道を進んでいくことになったそうだ。 ……進んだ、はずだったのだ。
『!!?』
今度は縦揺れだ。 なにか、そう、何かが近くで爆発したのだ。 ……ナノにいままで騒ぎにならなかった時点で、深町は“準備”をしておくべきだったのだ。
「あ、危ない!」
『え?』
気づいたのは彼だけだった。 話しに夢中だった彼は周りを警戒していたわけでもないし、かといってボウっと立っていたわけでもない。 ただ、本当に偶発的に気が付いてしまったのだ。
「あ、あ! 未来!!」
立花響もここでようやく気が付く。 其れは、自身の友に降りかかった災難だ。 どこからかとんでくる瓦礫の山……先ほどの爆発の被害かどうなのか、知らないけれど飛んできたこれは事実。
その残骸が今、無慈悲にも友を下敷きにしようと襲い掛かる。
「未来ゥ―――!!」
……重い音が、あたりを行き渡る。
同時、聞こえてくる金切り音は何かが擦れたんだろうか。 けど、そんなことも分らぬままに、ただ、響の時間は動こうとしない。
消えてしまった……友。
その姿は確認できずとも、築き上げられた残骸の山を見た瞬間に、彼女の心臓が跳ねる。
「……だれだ。 ……こんなことをするのは」
血脈が跳ね上がり、血管が浮き出るほどに鼓動が早くなる。
「よくも……………」
つぶやく少女の前には……空間の歪み。
其れはまるで彼女の悲痛な顔を身に来たと言わんばかりのタイミングで現れる……だが、其れは今回。
「お前たちかッ!!」
とんだ間違いだ。
風はない、無風だ。 なのに少女の髪が舞いあがるように揺らめく。 その背に黒い感情を煌めかせれば……全身を覆う―――――筈だった。
「ガイバァァーーー!!」
「え?」
何かが、瓦礫から跳びあがる。
青く、細身であるはずなのにどこか力強さを感じるフォルム。 頑丈そうでありながら、生物感を拭えない装甲を身に纏うのは……
「ふ、深町さん……っ!」
「危なかった。 もう少しで下敷きになるところだった」
「え、え?!」
深町晶、その人だ。
彼は今しがた自身を押しつぶしかけた瓦礫に視線をやると、そのまま抱えている人物……小日向未来を大地に降ろす。 未だ、事態の把握がまだなのであろう、何が起きたかと周囲を見渡す彼女は、見てしまう。
「―――ひッ!?」
「…………」
その、あまりにも人間をかけ離れた容姿と、生物的過ぎる装甲。 脈さえ打っているのが、先ほど抱え上げられている刹那に感じ取れた彼女は、ここでようやく声を出していた。
……あまりにも、悲鳴の割合が大きい声だが。
「立花さん、済まないけど小日向さんをお願い」
「え、あ、はい!」
「ひ、響……」
「ごめん未来……あとで説明するから」
そう、響が未来を丁寧に論した時だ……高音域の波長が空間を揺さぶる。
「…………ソニック・バスター」
小さく呟いた彼は、少女達の方を向かずに佇んでいた。 “既にチリへと分解”され、風に消されたノイズだったモノたちを肌で感じながら……
「あなたは……一体」
「お、おれは……」
「あ、あうぅ……」
遂に見られた深町晶。 彼はこの世界にいらぬ動乱を持ってきてしまうのか、それとも……小日向未来を巻き込んだ彼は、この後一体どうしてしまうのか。 そして、見てしまった未来は……
さらに今この瞬間に起こった、不可解で説明不能な“現象”はどういうことなのだろうか。
その答えは、まだ誰にも分らない。