強殖装甲シンフォギア――不適合者と規格外品   作:群雲

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第13話 共有

 

 

 

 

 

 瓦礫の山があった。

 

 幾たびの犠牲を必要とし、数多くの命を代償に築き上げられる血塗られたそこは、いったい何のために作られた山だったろうか。

 

 いや、意味なんてなかったのかもしれない。

 

 目的が手段で、出来た結果は只の残骸。

 そこに至る道筋が重要なのであって、至った先は何ら意味のない…………無。

 

 だから、奴等が引き起こす“行為”に理由は無く。 雑音と呼ばれる殺人機械が通った後は悲劇しか残らない。

 

 

 …………それを、“彼女”は誰よりも知っていて。

 

 

 

 

 

 だから、そんな彼女はきっと―――――もう、普通の道を歩くことなんてできないのかもしれない。

 

 

 

 

「…………あ、あぁ……」

「………………」

 

 少女の声が道端に落ちる。

 眼前に見えるは屈強の身体。 しかし瓦礫の中を佇み、身体に灰を被るそれは人の身ではない。 敢えてそれを形容するなら、そう……青い、鬼がそこにいたといえるだろう。

 

「な、んなの……」

「…………………」

 

 その姿は少女の知らないものだ。 この世、というよりは、この世界の中には雑音という怪物が蔓延っているのは知っていた。 だからそんな怪物が居るのはまだ理解の範疇内。

 だが、目の前のソレはどうだ?

 

「…………あ、あぁ……っ!」

「…………」

 

 全身を鎧で固めたはずのそれは、しかし生々しいほどにまで生物然とした姿は無意識に手の平を口元に持って行かせてしまう。 生物を思わせる体躯とは相反した頭部の球体が光を発すると口部から蒸気が迸る。

 夕闇に溶け込むその姿は、子供が思い浮かべるヒーロー像からはかけ離れすぎていて……

 

 少女が怯えるのには、十分すぎる理由ではないだろうか。

 

「……!」

 

 走る。 脚を動かして不意にこちらへ迫ってくる怪異。

 奴は――青い鬼は! 少女を……小日向未来に肉迫すると一気に手を伸ばしてきたのだ。

 

「小日向さん、こっちだ!!」

「――え!?」

 

 彼女の姿が不意に消える。

 そのあとに聞こえる破壊音は自身の足元からくるモノ。 耳をつんざくそれが、衝撃音だとわかった時には彼女の背中に硬いモノが触れる。

 

「ケガは無いかい……?」

「あ、あの――」

 

 足元から聞こえた衝撃音。 つまり今自分は上空に居るのだと自覚するのには一呼吸必要だった。 その間に聞こえてくる声は、どこかで聞いたことがあって。

 

「どこか痛めた? ……もしかしてあいつ等に触れてしまったとか!?」

 

 そうじゃない!

 ……などと強く言えないのは、彼女の目の前の怪異が、思った以上に間の抜けた対応をしてくるからだろうか。 正確に言えば、見た目とその行動と、さらには会話とのギャップに心が激しくシェイクされてしまっているからだろうが。

 彼女に、それを自覚する時間は訪れない。

 

「――――――――ガッ!?」

「きゃあ!!?」

 

 不意に態勢を崩す蒼き鬼……否、ガイバーⅠは、口部金属球付近にある排気口から白い蒸気を吹きだしていく。 目に見えてわかる排熱は、そのまま彼が力を行使していることを示していく。

 

「~~~~ッ!!」

 

 強い衝撃が全身に走れば、歯を食いしばることで悲鳴を抑え込む。 全身がやや痛いが、そんなものは些細な事であろう。

 

「深町さん!!」

「来るな! 立花さんはどこか安全なところに避難しているんだ!!」

「で、でも!」

 

 彼が―――

 

「でも深町さん背中が……背中が削り取られ――」

「いいから行くんだ! 小日向さんは俺に任せてくれ」

 

 その身に受けた傷跡に比べれば。

 

 背中を流れる血流は勢いを殺すことが無い。 少しだけ霞んだ意識は、脳髄を這う金属体が電気信号にて醒まし、来る激痛はアドレナリンの過剰分泌で誤魔化す。 常人なら既に息を止めてもおかしくない身体の欠損……それは先ほど、ノイズから未来を守るために刻み付けた物だ。

 ……そんなこと、誰に言われるでもなく理解した少女は。

 

「ふかまち……さん」

 

 彼の名前を、そっと呟くことしかできずにいた。

 

「…………本当なら、ここで立花さんと共闘するべきなんだろうけど」

 

 頭部の金属球が蠢く。 あたりを見渡すかのように動いたガイバーのセンサーは、乱れた深町の精神状態の中で、なんとか半径数キロの範囲で索敵を行う。

 

「動きのある空間の歪みは……ここいら一帯だけか」

 

 先ほどいた学園からは既にかなりの距離がある。 だが、それでもヒトの気配は十分、邪魔な建造物は雑多の限りをつくし――

 

「あ、あの――」

「しっかり捕まって! このまま空に逃げる……!」

「響が――!」

「彼女は大丈夫……」

 

 秘匿されるべき秘密のため、今できる最善は確実に深町晶を蝕んでいく。

 深町はいい。 最初から隠すなどということは、さして重要ではなかったからだ。 けど、いまさっき別れた少女はどうだ? ……彼女の正体を、もしも腕の中の少女が知ったらどうなってしまうのか。

 

「…………大丈夫だから」

「……はい」

 

 其れは、自身の経験が全てを語り尽くしていた。

 

 ガイバーの腹部が光を強める。 備え付けられた重力制御球が力を強めれば、彼は急激に右へ身体のかじを取る。

 

「――――ッ」

「きゃ!!」

 

 左半身にぶつかる衝撃波。 肩を強張らせて、腕の中に仕舞い込んだ未来を必死に守れば強殖装甲が悲鳴を上げる。 同時、脳髄に伝わる激しい痛みに、ガイバーのバイブレーション・グロウヴが振動する。

 

「グァァアア!!」

「あ、ぁぁ……」

 

 左肩が、抉られる。

 通常の成人男性、その20倍程度の腕力を振るったところでびくともしないガイバーの、堅牢な装甲が簡単に引き裂かれてしまう。

 

 その姿はあまりにも痛々しい。

 抱きかかえる少女が声にならない悲鳴を上げる中、深町は必死に意識を腹部に叩き込む。

 

「……お、おちるな……あの子との約束を……」

「だ、だいじょう――」

「顔を上げないで! ……こ、このままうずくまってるんだ」

「で、でも……」

 

 必死に痛みを制御する彼は、今起こった現象すら脳内で整理し始めた。 攻撃された、其れはわかるし敵はノイズだというのも既存の情報だ。 だが、だからこそ納得できないモノがある。

 

「飛行型ノイズに俺の身体が抉られた。 これはまだいい」

 

 わかる。 其れならばまだ理解の範疇内だ。 この間の戦闘だって、空中戦闘が鈍いガイバーを追い込んだ奴の存在を、彼は忘れはしなかった。 ……だけど、だ。

 

「だが、ノイズに攻撃されて、なぜ俺は原形をとどめている?」

「え?」

「奴らに触れれば問答無用で炭化させられるはずだ……なぜだ?」

「ふ、ふかまちさん……」

 

 冷静に、ただ起こったことを脳内で混ぜ込んでいく。

 しかし彼は知らない。 身体の損傷も、いまノイズに襲われている危機感も、この腕の中の少女の不安気な表情もすべて余所へ置いていくようなその、仮面のようなガイバーの貌が、小日向未来の恐怖心に拍車をかけていることを。

 

 しかし――

 

「……ん?」

 

 頭部の金属球が蠢く。

 其れは、深町がこの世界に来てから何度も捉えたことのある波形だ。 空間を伝わり、世界に響く……音。 否、歌声を“ガイバーの耳”で捕えれば彼の疑問が解消されていく。

 

「なるほどそう言う事か。 ……立花さん、彼女が」

 

 腕の中の人間には聞こえないよう、小声で呟き手は歌い手に感謝を告げる深町。 さきほど彼が飛び立ってからかなりの距離を飛んだはずだ。 にもかかわらず届く歌声に、彼女のちからを感じた深町は……

 

「小日向さん、もう少し飛んだら地面に降ろすよ」

「……」

「そしたら申し訳ないけどそのまま自分の足で避難してくれ。 俺は奴らを倒さなくちゃいけない」

「…………はい」

 

 空を跳ぶ速度をさらに上げる。 人体に悪影響なGが掛かることの無いように、必要最小限の速度を維持しつつ、なるべく早く戦線を離脱していく。

 

「此処までくれば……あとはさっき言ったように……」

 

 早く此処から逃げてくれ。 地上まで残り5秒と言ったところまで高度を下げた深町は、そのまま腕の力を緩めようとする。 自身を掴んで離さなかった拘束が緩もうかというときだ、小日向未来は信じられないモノを見る。

 

「ふ、深町さん……からだが……」

「え?」

 

 背中から流れる血液。 それは、未来にとっては信じられない光景である。 ……そもそも、強殖装甲などと言っても常人から見ればパワードスーツと勘違いさせる代物でもある。 それほどに堅牢さを思わせる格好なのだ、ガイバーとは。

 だけど、欠損した場所から見えるのは無骨な部品やケーブルなのではない。 ……人体の、変異した内臓器官と骨格なのだ。

 

 普通なら苦痛の声を上げてもいいはずなのに。

 

「どうかしたの?」

「な、なんで……」

 

 彼は、自分の心配をしているのだろうか。 キズを追っているのはわたしじゃない、彼の方だ。 ならばそのような声を掛けられる謂われなどないはずなのに……むしろ、足を引っ張った自分が――

 揺らめく思考のなかで、未来はただ、己がのど元までせり上がってくる感情を抑えていき……

 

「な、なんでもない、です……」

 

 なんとか、呑み込む。

 息を整え、彼を見る未来の表情は硬い。 尋常じゃない出血量の筈なのに、まだ平静としていられる姿は常軌を逸しているだろう。 だけど、だ。

 

「奴らの数は大したことは無いな。 けど、不意の増援が奴らの常とう手段だ……急がないと」

「――あ」

 

 即座に転進し、また戦場に戻っていく深町晶。 彼の背中の痛々しさに、未来の心になにか得体のしれない感情が駆け抜けていく。 電流のように、激流のように流れていくそれは、あまりの激しさで正体が掴めず。

 

「どうして……」

 

 漏らした言葉は、誰にも届かず空気へ溶け込んでいく……

 

 

 

 同時刻。

 

「はぁぁ……やああ!!」

 

 ノイズが3体、黒炭へ変えられていく。 本来あるべき姿と言わんばかりに、その身体を脆い存在に返還させられる。

 

「ふん!」

 

 右足を踏み込み、大地に窪みを作り出す。 それだけでこれから先起こる攻撃の威力を思い起こさせるには十分すぎて、ノイズの数体はその場から散る。 ……だが。

 

「――――――――――でりゃあああ!!」

 

 気づくのが遅すぎた。

 

 少女の鉄拳がノイズの一体を吹き飛ばす。 そこからその一体を先頭に、正に矢が駆け抜けるように遠方の有象無象を巻き込んで一気に炭化し、消えていく。 一撃必殺を込めた正拳突きに、空気が震え空間が戦慄いたときである。

 

「立花さん!」

「深町さん! み、未来は!?」

「大丈夫。 安全圏まで連れて行ったし、途中に襲われたノイズはソニック・バスターで消し飛ばした」

「……よかったぁ」

 

 その比喩的表現が、実際の威力を以ってノイズたちを撃滅する。

 

「やっぱり深町さんって……すごい」

「…………反応なし。 なんとか追い払ったか」

「え? 倒したの間違いじゃ?」

「相手は無尽蔵と言ってもいいくらいに湧き出るんだ。 討伐、というよりは撃退に近いと俺は考えてるよ」

「ほぇ……」

 

 少しだけこの世界への認識を変えた瞬間だろうか? いままで、タダ倒すという姿勢から、何とか街を――ひいては人々を守るという姿勢が現れる発言だ。 ……ある意味で、今までの認識は仕方がないと言えるのだが。

 

「……いままでがいままでだったからね。 逃げる必要もなければ、心強い仲間もいるから、こんな考えが出来るんだと思う」

「……ぁ」

 

 決死の逃亡生活は、きっとこの世界の誰よりも濃厚に経験を積んでいるに違いない。 詳しく聞いたことが無い響も、今この時だけは深町に送る視線が心細いモノになる……けど。

 

「それにしてもアイツら、とんでもないタイミングで襲い掛かって来たな」

「――そ、そうですよね! ……未来を襲うなんてとんでもないですよ!」

「うん……もう少しで取り返しのつかないことになるところだった」

「……っ」

 

 その言葉にいったいどれほどの意味が込められているだなんて、立花響にはまだわかるはずがない。 深町晶、17歳。 この世界に来てまだ1月と経たない少年は何もしゃべってはくれなかったからだ。

 

「さぁ帰ろうか」

「あ、はい」

 

 自身に起こった身の上話を、なぜこの男が極力避けてきたのか……

 

「……立花さん」

「はい?」

 

 “聞くことも、話すこともしない”彼は、ただ、余計な干渉を避けたいだけ? ……この時少女は、少しだけ考えてしまって。

 

「この先をずっと歩いて行ったところに、小日向さんを置いてきたんだ。 悪いんだけど、迎えに行ってやってくれないかな」

「深町さんは?」

「俺は……すこし、時間を置いてから“話す”ことがあるから」

「…………あ!」

「うん」

 

 だけど今は目先の事件が重大不可欠だ。 なにせ自身の親友が、よりにもよって隣にいる男の正体というか、その特殊な能力を観てしまい、尚且つノイズの戦闘に巻き込まれてしまったのだから。

 

「戦闘後ってことで、もしかしたらショックを受けてるかもしれない。 それにいろいろと気味の悪いモノも見せたかもしれないから」

「き、キミって……?」

「嫌だろ? ガイバーの姿だったとはいえ、人の血肉が飛び交うところなんて。 ……普通の神経してたら卒倒してもおかしくないよ」

「あ、……ぅ」

 

 否定が、出来ない。

 確かにそうだ。 言われている通りだ。 でも……それでもと響は思ってしまう。 最初の理由はどうであれ、今はもうこの世界を守る戦士の一人。 しかも彼は異邦人だ、この世界に、真の意味で彼の事を知っている人物は誰一人としていない。

 

 ……彼が、守らなければならない道理がない。

 

 その中でも彼は自身を削り取るかのような戦いを繰り返す。 引き裂き、切り裂き、消し去っていく過激な戦闘の中で負った傷は、確かに不気味な部分もあるだろう。 怖気を、走らせてしまうこともあるだろう。

 

 いまもなお、その傷を背中に負う彼は……だけど響は思ってしまう。

 

「…………かっこいいと、おもいます」

「立花さん……?」

「な!? なんでもないです!! あははーー! わ、わたしそろそろいってきますねーー!!」

 

 慌てふためき、転がるように前へ駆け出す彼女は今日も元気がいっぱいだ。 駆ける姿がやっぱり仔犬に見えてしまうのは彼女に女らしさを感じないから?

 

「…………」

 

 たった一つしか違わない年の差の筈なのに、どうしてかかなり年長な目線で響を見た深町は……そっと……

 

「…………ありがとう」

 

 バイブレイション・グロウヴを揺らすのであった。

 

 

 

 

 

 数時間後。

 

「すみませんでしたー!!」

「なに晶くん、あなた正体がばれちゃったの?」

「…………面目ないです」

 

 最近覚えた深町晶の必殺技がある。 古くより日本人の最大級の謝罪を、さらに極限まで高めた禁断の奥義。 ただし、それを扱う時は細心の注意を払わなければ、逆に礼を失する諸刃の剣。

 土に座るそれを遥かに上回る、究極の近代土下座――――それは!!

 

「どうでもいいけどいい加減やめなさいよ? その、五体投地……だっけ?」

「この時代で最上級の謝罪の仕方だと聞きました」

「……たぶん、それ情報源がおかしいわよ」

 

 深町晶は20年以上も前の文明社会で生きていた男だ。 其れは自身が一番わかっているし、その間に流れて行った時間、さらには常識の変化に早く慣れようと日々努力はしているつもりでもある。

 ……今回、見事にそれが滑ったのは言うまでもないが。

 

「てなわけだけど弦十郎ちゃん? 今回の措置ってどうなるの?」

「……正直、こちらも困っているところだ」

 

 大人ふたりがしばらくの相談事を繰り返す。 いくらなんでも、今回の事はかなり慎重にならざるを得ない理由というのがあるのだ。 そもそも、これがたとえば立花響の正体がバレタと仮定しよう。 

 彼女と親密な関係にある小日向未来は当然として身を案じ、理由を聞くという手段に出る。 ならば響としてもそれに答えてあげなければとなって、その姿を見てあぐねてしまえば弦十郎は恐らく何らかの超法規的な手段に出ざるを得ないだろう。

 

 そこが、例え甘い判断だと軽んじられようとも、だ。

 

「…………ん」

 

 ついつい吐いてしまった息。 重苦しいそれは、来るであろう未来予想図を最悪の方向へと転がしていく。 そもそも、深町少年が供述する内容によれば、小日向未来は理由はどうあれ、深町に対して暖かい感情は持ち合わせていない。

 ……理由は、本当にどうであれだ。

 

 其処を重く見てしまえば、今回の出来事はかなり分の悪い出来事になるであろう。 もともとある不信感が、今回の事件で確実な嫌疑となって、少年へ送られる視線は悪路の一途を辿るに違いない。

 最悪、少年に対してなんらかの悪いうわさなど出る恐れもある。 ……それは、本当に避けなければならない。

 

「……と、考えはしたが」

 

 しかし、だ。 そこで弦十郎は腕を組み直す。

 そもそも今回、深町晶がガイバーを身に纏うことがバレタのがなぜ不味いのか。 其れはやはり彼が異邦の地から来た人間だということに尽きる。 住所は当然として戸籍もなければ肉親の一人すらいない異邦人、それが深町晶なのだ。

 そんな彼の存在が公に知らされれば、当然として深町少年を匿っている存在にもスポットライトが当たってしまうことになるだろう……そしてそれは、連鎖的にシンフォギアを纏う存在にも目が行くこととなりかねない。

 

 ……それでも。

 

「今回の件、もう少しだけ様子を見ようと思う」

「か、風鳴司令?!」

「良いの?」

 

 この基地の司令官は、性急な決断を良しとしないようである。

 男の判断に少しだけ戸惑いがあるのは深町も一緒だ。 そもそも、自分だってどうすればいいのかもわからないこの現状だ。 そこに来てこの空白の時間を作らされれば、心に少しずつ余裕を削り取られてしまうのは明白だ。

 

 ……ほんの少し、少年は右手に力を入れてしまう。

 

「とりあえず今日の所は此処までだ」

「け、けど――」

「それにまだ“彼女”からの連絡も来ない。 決断を迫るには、それを待ってからでも遅くはないはずだ」

 

 彼女が誰のことを指すのかなんて、いちいち聞く人間もいないだろう。 弦十郎は踵を返せばゆっくりと部屋の出口へと足を運んでいく。 その背中を見る深町の視線は形容しがたい雰囲気をただ寄せていただろう。

 それでも喉の奥から出てこない声に、少年はもう一回拳を作っていく……硬く、硬く……

 

 

「――――あぁ、そうだ」

「?」

「晶君。 キミは後で俺の所に来てくれ」

「……っ!」

 

 話がある。

 言われなくともわかる弦十郎の背中を見て、深町少年はついつい声にならない返事を上げていた。

 

 

 

 

 ――――数分後。

 

 

 とある一室。 壁しかないそこは、この施設が地下に埋まっているからこそ出来てしまった息苦しいスペースだ。 呼吸がしづらくなるという錯覚は、それだけで深町少年から余裕と冷静さを削ぎ落していく。

 しかも戦闘の後だ、そんな非日常の中に居れば当然ストレスもたまっていくであろう……彼は、ほんの少し全身に汗をかいていた。

 

「…………あつい」

 

 否、それは違う。 彼がいま発した言葉は、自身の体感した温度による苦痛の声である。

 

「…………」

「こんな中で顔色変えないなんて……おかしいって」

 

 そんな彼の姿は半裸。 衣服のほとんどを脱ぎ捨てた状態で、ヒノキの板張りに囲まれた一室でただ、動かないでじっと時計の針を見つめている。 その横にあるデジタル表記の文字盤には[78]と、何やら意味深な数字を映し出している。

 さて、彼等は今、なにをしているのだろうか?

 

「晶君、もう5度くらい上げてもいいかね?」

「いやいや! これ以上は無理ですから」

 

 男が腰を上げようとしたその刹那、全力を持って阻止に掛かる少年のなんと必死な形相だろうか。 ヒノキの板に敷かれたマットに腰をおちつけさせると、少年は呟く。

 

「……反省会がサウナってどうなんだろう」

 

 そうだ。 彼らはいま灼熱の狭い部屋で己がカラダを焼き尽くしている最中なのだ。

 周りの常軌を逸した温度が肌を焼き、その肌を守らんと全身の血流が一気に周り、発汗を促す。 その汗が肌を覆えば焼きついた身体に潤いを与えながら敷かれたマットに零れ落ちていく。

 その繰り返しを行うも、ここは灼熱地獄。 次からくる熱波に、人間の持つ新陳代謝は益々上がっていく。

 

 ……少年は、額に流れる汗を腕で拭う。

 

「キミは今いろんな出来事に直面して、自分でも気づかないほどにいろんなものをため込んでいる」

「お、俺そんなこと――」

 

 拭った腕の動きが止まる。

 なんでこの人はここまでこうやって他人の心に踏み込んでくるのであろうか。 ……自分が、見せようとしなかった痛みをいとも簡単に見つけてしまうのだろうか。

 

「わかるさ。 俺もそうだからな」

「……あ」

 

 否、彼と少年は非常に立場の似ているところに居たのだ。 だからこそ……

 

「神出鬼没で、触れたら一発で終わりなノイズ相手に不安がないわけはない。 ……俺だってな、少しだけ思うことだってあるさ」

「し、司令……」

 

少年の、肩に乗っている重りを測り知ろうと出来るのだ。

 

「キミは今までみんなを守らなくちゃ、俺しかできないんだ……と、躍起になって戦ってきたのはまぁ、初めて出会った時から何となく思っていた」

「……そうなんですか?」

「あぁ。 なにせ此処が別の時代、別の世界だということを知った時に発した言葉が『俺はどうすればいいんだ!』ではなく『みんなは!?』なんて、仲間を心配するほどだったからね」

 

 ……言われた言葉に心当たりがあったのだろう。 深町は少しだけ舌を向くと、視線も合わせずにそのまま天井を仰ぐ。 動いたときに零れ落ちた汗が床を濡らすと、まるでなかったかのようにあっけなく乾いて行ってしまう。

 

「でも今回ばかりはキミの力ではどうにもできない部分が大きいだろう」

「……はい」

 

 小日向未来にお願いしてみるのは至難の業、力づくで黙らせるなんてもってのほか。 深町は今まで考えていた悩みを、今ここでくっきりと掲げれば、見えない先にため息をつく。 ……自身の正体を知られた。 だが、彼が真に悩んでいるのは其処だけではない。

 

「――俺たちの事なら心配はいらん」

「……っ!」

 

 不意を、突かれた。

 どうすれば……俺、迷惑を……なんて考えていた深町の心を、剛腕でぶん殴るかのように祓っていく弦十郎。 彼の言葉に根拠がないというのはいくら深町にだってわかるし、そもそも今回の一番の解決方法なんてはっきりしているだろう。

 

「前に、縁日で金魚を一匹掬ったことがある」

「?」

 

 朗らかな声。 どことなく心に響いてくるそれに、少年は視線を弦十郎に戻していた。 言った言葉の意味は分からずとも、この男が自身に何かを伝えようとすることが、いまはっきりとわかってしまったから。

 

「あぁいう金魚はすぐに死んでしまうらしくてな。 そりゃあもう飼育にはかなり力を入れたさ」

「……」

 

 何を言いたいのかはまだわからない。 けど、深町は決して視線を逸らさなかった。 赤い髪を湿気でしならせた男の目線が、今もなお力強く自身を捕えているから。

 

「時々危ういこともあったが、一年頑張ればあっという間に逞しいヤツに育った。 今じゃ家の水槽を独り占めでな、番長格って奴だろうか」

「……」

「まぁ、なんだ。 金魚一匹だって見過ごさずに育て上げてやる事が出来た……なら、いまさら問題児の一人や二人くらい面倒見てやれる」

「…………」

「それにキミは金魚のように弱くは無い。 弱気を助け、邪悪な存在を祓うことに命を懸けられる立派な戦士だ。 俺はそう思っているよ」

「!」

 

 だから手間がかからんしな。

 男はわざとらしく笑ってみせると、そのまま個室のドアをあける。 密封されていた高温の空気が外気に誘われて風を引き起こす。 その風が少年の髪をかき上げれば、垂れ落ちて来るだけの汗をも吹き飛ばす。

 

「26分40秒か、それなりだな」

「いや……長すぎますよ風鳴さん」

「ん?」

「……え?」

「いや、なんでもない」

 

 

 その日から、少しだけ彼らの関係はやや、変化をし始めたらしい。

 

 何がきっかけだとか、何を言ったのかは誰にもわからない。 ただ、少しだけ上司と部下という感じではなくて、もっと別の言い方が出来る関係になったのだと、周りのみんなは言っていたらしい。

 

 そして……

 

「あの俺、実は――」

「なに?」

 

 彼の変化は、此処までではないようだ。

 

 そのあとの言葉に、ただ、弦十郎は頷くことしかできなかったという。

 

 

 

 

 

 同時刻。 ……女学院寮のとある一室。

 

「あ、あのね……」

「…………」

「うぅ」

 

 少女が二人、机を挟んでいる。 目の前にあるノートと筆記用具を見るに、どうやら課題か何かをやっているのだと見受けられるがはてさて。 

 

「あ、響。 消しゴム貸して」

「うん……」

 

 どうやら雰囲気はあまり芳しくないようである。

 

 小日向未来の表情は、立花響には一切わからない。 先ほどからノートにばかり視線をやる彼女に、果たして響はどういう表情を投げかけてやるべきだったか。 シャーペンをノートに走らせる音だけが室内に広がれば、その分だけ時間が無慈悲に過ぎ去っていく。

 

「あ、あのね未来――」

 

 不意に視線を上げるのは響だ。 彼女はようやっと決心がついたかのように頷けば、声帯を懸命に奮わせて目の前の友人に話を切り出して見せる。 この部屋についたのが夕方で、今はもう月が頭上に昇ろうかという時間帯。 辛く、果てしないほどに長い沈黙の時間に終止符を打たんと、彼女は言葉を投げかけたのだ。

 

「なに?」

「……ふ、……し――」

「響?」

 

 あと少しだ頑張れ!

 心の中で自身を舞妓する響はどこまでも健気で、意地を見せようとしていた。 ここであきらめては自身の大切な人たちが仲違いをしてしまう、いいやそれだけにはきっと収まらないであろう。

 見えてこない不安な明日を切り開け少女! 彼女はいま、全身全霊をもって――

 

 

「シャーペンの芯、ちょうだい……」

「うん、いいよ」

 

 ワタシの馬鹿ァァ……

 響く怨嗟の声は己自身に向けた物であることはあえて言うまい。 先ほどまでの力みが一気に脱力し、ここにきて発揮された勝負度胸の無さに机に伏したくなってくる。 彼女の、限界が近い。

 

「…………」

「うぅん……う~~ん」

 

 横広がりの頭髪がふぁっさふぁっさと音を立てれば、聞こえてくる呻く声。 ここが図書館なら退場願いたいほどにまで上がるヴォリュームに、しかし未来の反応は対して感度が良いわけではない。

 

 シャーペンの芯が入った青いケースのふたを開け軽くシェイク。 出てきた数本を親指でガードしつつ、必要本数だけ取り出していく。 少しだけ丸めて御椀状にした左手を響に差し出せば、彼女に自身の筆記用具を分け与える。

 

「……はい、これ使って」

「どうしよう……どうしよう……」

 

 

 

 ……接した時間が長い? こんなことは慣れっこだ??

 言われて見ればそうなのであろう態度も、しかし観るモノが視れば不自然だとすぐにわかる沈黙である。

 

 だってそうではないか。

 

 

「………………」

「うぅ~~」

 

 こんなに困っている“親友”を前にして、いつもと変わらない反応しか返さない時点で、其れは無理をしているとは思えないだろうか?

 

 しかし少女はしゃべらない。 決して、己が内を悟らせないように。

 

 彼女は只の一言もしゃべらないでいた。

 その唇を、ほんの少しだけ歪めながら……今宵の部屋には只、ノートにペンが走る音しか聞こえないままに終わっていく。

 

 

 

 

 

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