暗い一室がある、1DK程度の狭い部屋だ。 けれど風呂とトイレが別箇についているというのは中々に高得点。 そこで年頃の女子が二人だけで済むというのなら、然したる問題は寝床の在り方だけだろう。
しかしそこはこの学校の頭がいいところ。 この部屋にはなんと備え付けの二階建てのベッドが鎮座しており、スペースを縦にとることによって室内の圧迫を極力殺すことに成功している。 しかもお互いの寝る姿を見られることが無いという、なんとも配慮の効いた効果も重複し、それが生徒間にもどことなく普段自宅では味わえない感覚だとかで人気があるらしい。
ちょっとした旅行気分。
この一室……つまりはリリアン女学院生徒寮に入ってきて数か月の人間ならば、大体そんな感想を抱いて止まないはずだ。
『…………』
複雑な事情が邪魔をしないうちはだが。
今日が終わってどれくらい経つだろうか。 だがこの部屋の主たちは各々寝間着に腕を通して、その身体を温かな布団へ預けて間もない。 まだ重くならない目蓋をうっとおしく思いながらも、部屋の住人の片割れは呟く。
「……ごめん、未来」
自分が下、彼女は上。 どちらが言いだしたかわからぬこの構図は、その実“この学園に来て初めて”の絵柄である。 初めてつかわれる上段のベッドはきっと冷たいだろう……だが、片割れはそんなことで今の言葉を呟いたわけではない。
うつ伏せで、聞こえないように零した声は、今にも壊れてしまいそうで。
「…………うぅ」
この先どうしたらいいの? 誰にも問う事が出来ないまま、彼女の夜は更けていく……
AM11時 深町晶、自室。
いつも通りの朝が来た。 最近そう思えるようになったのは、彼がこの世界に適応し始めてきた証拠であろうか。 いつものように目覚ましを止めた早朝から始まり、炊事、洗濯、部屋の片づけとゴミだしとを終わらせていた彼。 そんな彼は最近日課になりつつあるインターネットへのアクセスを、この1時間ほど行っていた。
最近のネット環境は、というより、彼がいた時代にそんな単語などあるはずもなく。 そもそも、USBはおろかフロッピーディスクが現役だったと言われる時代だ。 そんなIT白亜紀からいきなりこんなところに転げ落ちてしまった彼は当初、やはり相当の混乱を私生活の中で抱えることとなる。
だが、そこはやはり人間の適応能力の成せる技なのだろう。 そもそも、もとより鍛え上げられたタフさからくる彼の頑張りは、この時代の変化を何とか呑み込み、尚且つ彼自身に吸収させるに至らせたのだ。
そんな現代っ子にようやく追いついた、生年月日だけなら40代に片足突っ込んでいる深町晶は、この世界の情報をいち早く知るために、一日の3分の1程度をインターネットに注ぎ込んでいたのである。
「……ふぅ」
今まで座っていた背もたれが、ギシギシと音を立てる。 キャスターが軽く回転すると、彼と机の距離を離し、さらに背もたれから音が響けば彼の後頭部がこんにちは。 視線を天井に放り投げた彼は、胃の中から重たい空気を垂れ流す。
「少し休憩するか」
背もたれに掛かる重さが一気に消えてなくなる。 そのまま床を小さく叩けば、足音が部屋の隅にまで続いていく。
「たしか作り置きの麦茶が……」
小さな白い箱を開けると冷気が零れてくる。
冷蔵庫を開けたのだろう。 深町はその中にあるボトルを取り出せば、キャップを開けて一気にあおる。 喉仏が激しく動く事5回、再びボトルにキャップを付ければそのまま箱を閉じる。
来た道を戻り、また椅子に腰を掛けるとキャスターを小さく回転させる。
「さて、続きだ」
目の前のパソコンの画面をいくらか切り替えると、見えてくる文章の山。 マウスのカーソルを一回、二回と、道に迷った子供のように動かせば、そのまま視線でなぞっていく。
「なんというか複雑だな」
そこに映るのはとある田舎の田畑であった。 大きな山が近くにあるらしく、そこで取れる山菜と天然の泉が売りだとかで観光客も少なくないらしい。 近々大きな道路が開通するらしく、それを機に更なる土地の活性化を狙っているとかどうとか。
「……ほんと、こういうの見ちゃうと……な」
かれが見たのは只の田畑だ。 けっして戦場だとか、そう言った血なまぐさいモノではなかったはずだ。 でも、それでも彼の表情は哀愁をただ寄せてしまっていて。 17歳、青春真っ盛りな男の子が出来るような仕草を遥かに超えてしまっていて。
「…………やめた辞めた! こういった暗い雰囲気は良くない」
いやでも心細いのは変わらないのだ。
そう付け足した彼はパソコンの画面を暗転させるとそのまま席を立つ。 傍らの机に転がしていた財布と、最近貰った黒い箱――最初にラジオと言った物体――を持てば、彼の軽いフットワークが発動する。
「こういう時は、スーパーの安売りでも見て荒んだ心を和ませよう」
…………十代男子の心のうるおいがスーパーの安売りだそうだ。 この後これを聞いた刀美人は己が女子力を見つめ直し、その叔父は男の青春の青葉の少なさに涙した。 ……らしい。
少年は、取りあえず部屋のカンヌキを持ち上げたのであった。
深町晶が部屋から退出して…………6時間後。
あのあとも、少女にとっては耐え難い時間が続いていく。
学園の教室での会話をはじめ、食堂での相席も無ければ下校時の団欒すらなく。 果ては寮に帰るタイミングもずらされてしまった。 何もない沈黙が響を襲えば、彼女の心を暗い感情が支配する。
……どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
少女の脳裏に駆け巡るのは今まで起きたことすべて。 なにが、どうやってここまで最悪な事体を引き起こしたのか……ダメだと思いつつ、其れはイケナイと知りつつも、ある結論が一瞬、心を埋め尽くした。
「ふかま――ッ!」
彼のせいだ、こんなことになったのは。
言葉に出さなかったそれは、しかし彼女の表情は途轍もなく冷たいモノへとなっていく。 彼女自身、そんなことはないと昨日の出来事を思い出しながら留めていく。 あの爆発の中、誰が親友を助けた? 今一番自分を追い立ててしまうのは誰なのかわからないはずがないだろう?
慌てて止めても、けれど今起こっている最悪の連鎖を止めることが叶わない響は、行き場の無い憤りを自身へ押し殺していく……どこまでも、どこまでも……誰にも、迷惑を掛けないように。
そんな自己犠牲を履き違えた自分殺しが展開されていく中、彼女の影を踏む者がいた。
「……?」
その気配に気が付いたのだろう。 ……確か前にもこんなことがあったような気がする。
立花響は少しだけ前の出来事を想い出し、声を上げそうになる自分を押しとどめる。 今後ろを向いたらどうなってしまうかわからない。 上がる罵声、泣き喚く心……全てをぶつけてしまいかねない自身をいま、果たして制御できようか?
彼に、見せてしまってもいいのだろうか?
……しかしそんな彼女の心配事は――
【…………フゥ】
「――――ノイズっ!」
雑音にまぎれ、誰かに聞こえることも叶わなかった。
現れた不定形の異形。 奴らは異空間の彼方から次々とその数を増やしていく。 だがしかし立花響にはその増える現象よりも何よりも……
「お、おまえたち……」
奴らが……
「おまえたちの……」
目の前にいる異形の存在全てが――
「お前たちのせいで――ッ!!」
許せなかった。
口元が歪む。 忌々しげに雑音が蔓延る世界を見渡せば、そのまま奥歯を擦り合わせていく。 聞こえてくる耳障りな音があたりに響けば、そのまま手の平を強く閉ざす。 ……彼女の闘志はいま、最大限に燃えていた。
「―――――――ッ!!」
変わる。 立花響の身体が輝けば、そのまま身を包む衣服が消失し、新たな物体へと再構成されていく。 機械と乙女が交わりし時、今ここに雑音を打ち消す音色が世界に響き渡る。
「はぁぁあああッ!」
【――!?】
気合一声。 掛け声とともに吹き飛んでいくノイズは、そのままあたりの同胞を巻き込んで塵芥へと還っていく。 打ち付ける拳は今までにないくらいの威力を見せ付け、立花響の心の叫びを奴らにぶつけていく。
……しかし、だ。
果たして彼女は気が付いているのだろうか?
「おまえ――」
【ぎ?!】
「達がぁぁ」
その、自身が打ち付けている拳がいま……
「お前たちがいなければ“あんなこと”にはならなかったんだ!」
奴らと同じ雑音を鳴り響かせているという事実を。
立花響の拳は普段白いガントレットに包まれているはずだ。 それが変化し、尚且つ最速の矛になるのはいつか見た景色が証明している。 だが、その姿に“追いつけない”彼女はまだ拳で戦うしかない。
故にその手は数多くのノイズを薙ぎ払い、斃してきたのだ。 ……しかし今その手は……
「うぉぉおおおおおッ!!」
黒く淀んでいた。
岩盤を割る勢いで大地を抉り、立ちはだかる雑音をそれ以上の騒音で打ち消せば彼女の歌が乱れていく。 圧倒的にまでにずれたテンポを叫ぶだけで強引にねじ伏せ、可視なんてすでに気にしてなんかいない。
そもそも、その時点でおかしい事に気が付くべきだ。 彼女が身に纏うシンフォギアは歌を糧に力を発揮するシステムの筈なのに……なのになぜ彼女の淀んだ叫びでここまで力を発揮してしまうのだろうか。
そして、なぜ彼女の身体が――――黒く染めあがっていくのだろうか。
不安定な心を表すかのように染め上る自身の身体を、放っておくように拳を打ち付けていく立花響。 獣のように荒々しいそのスタイルは、当然ながら隙も大きいはずだ。 故に後ろからの接近を気付かず……
【――!】
「――――ギッ!」
跳び疲れた瞬間、彼女の握った拳が開かれる。
雑音の頭部を思わせる部位を掴みあげればそのまま持ち上げる。 脚だと思われる箇所を横払いに蹴りつけ、残った腕で胴体部分を抉り、打ちぬく。 ぽっかり空いた穴からは黒炭が溢れ出し、そのまま奴の存在を消し去る――
【gyyyyyy!】
「許……さない……」
事も許されない。
頭部を掴んだ腕がその握力を圧倒的なまでに強めていく。 締め付けられるたびに零れ落ちる黒炭はまるで人間の脳を思わせるほどに、起こされている出来事は凄惨さを極めた。
そのまま、事態が冷却されることなく立花響の腕に強い血流が流れれば……
【gygyaa――】
「許さない!!」
自身の手の中で雑音の頭部は粉々に消し飛んでいく。
足元に転がる残骸はすぐに黒炭に変わってしまい、その場に死体も残しはしない。 それが、彼女に罪悪感を残さなかったのだろうか。
「グゥゥ……」
更なる怒りをその眼に宿し、周囲のノイズを手当たり次第に仕留めていく。
駆けぬければ風で殺し、踏みしめれば大地が……あらゆる手段を使うことも辞さないと、少女が殺意を持って拳を振るう中で――――
「――ッ!?」
足元になにかが転がっていく。
唐突に、前触れもなかったはずのそれに所詮獣の女には察知できようモノがない。 コツンと触れてしまえばその球体が一気に輝いていく。 マズイ――そう思った時にはすべてが光に呑まれえていく。
「……ゥゥ」
膝をつき、今起こったことを少ない思考力で何とか整理していく。 足元に何かがぶつかって、それがいきなり破裂して……周囲が爆炎に包まれて。 まるで子供の絵日記のような景色が彼女の脳裏を支配していけば、思い出されることがひとつだけある。
「…………ゥゥゥ」
爆発。 ……そうだ、この間も自身の周りをいきなりの爆発が襲ったのだ。
“あのとき”自身と友に襲い掛かる不幸はこの爆発と同じモノだったはずだ。 決定付けられていく己の式に、遠くのノイズに答えを定めていけば――
「オ、マエ……」
そこにある雑音に向かって……
「オマエガァアアア!!」
黒い獣が襲い掛かる。 猛る彼女の咆哮が空間を伝われば、同じく黒いヒールが大地を穿つ。 まさに獅子奮迅が如く周囲の雑音をかき消していく彼女を止められるものはいないだろう。 怒りに身を任せ、彼女は黒い拳を力任せに奮い――
【キシャアア!?】
「!?」
それは“真っ二つに両断”されていく。
攻撃は打撃の筈だ。 いくら変質した彼女の装備だとしてもそれは変わらない。 なら、いったい何が目の前のノイズをかき消していったのか。 ……鋭い武器を使う存在、それには複数心当たりがあった。
「コイツが昨日の事件の犯人か……貴様のせいで小日向さんが――」
「…………ウゥッ」
青い体躯の殖装体。 ガイバーⅠ深町晶その人である。 彼は右肘から飛び出ている突起を伸長させて高速で振動させている。 そのままの態勢で眼下の消し炭を見下ろせば、昨日の事件を想い、少しだけの悪態。
いかにも機嫌が悪いと言わんばかりの態度は、彼が立花響と想いが同じということを見事に表していた。 ……彼女を、何の力の無い少女を巻き込んでしまったという後悔が加算されているという違いはあれど。
「……あ、立花さん?」
「…………ゥゥ」
しかし、だ。
「…………ゥゥゥ」
「な、なんだこれは――キミの身体!?」
「ウォォォォオオ!!」
獣に果たして、人の言語が伝わる物だろうか?
猛り、咆哮を上げるのは立花響の形を取った黒い獣だ。 その周囲が震えれば、ガイバーのセンサーが不意に蠢いて状況を把握しようとする。 彼女の身体を観て、解析し、その細胞に刻まれたある事実を明確に深町の脳へと教え込んでいく。
「――――くッ!!」
攻撃を、回避させながらだ。
「あ、あの子の身体中から聖遺物反応が。 ……まさか、シンフォギアに呑みこまれた!?」
と、言っていいのかは解らぬが、とにかくそう言う表現しかできない。
前に彼が分析した時は、画用紙に一点だけ落とされた汚れ程度だったが、いまではその割合が逆転しようとしている。 思わぬ戦いに深町の闘志は不意に消えかかる。
「……ど、どうしてこんなことに」
相変わらずの対人戦闘。 見るモノが居たのならば甘いと切り捨てられそうな状況を前にして、深町の戦意は一向に上がらない。 彼は出していた高周波の刃を仕舞ってしまう。
「目を醒ませ立花さん!」
「グアア!!」
「だ、だめだ……言葉が通じてない」
獣が走り出す。 黒く染まったガントレットを激しく振りかぶれば、まるで拳銃の撃鉄のように打ち下ろしてくる。 それを体捌きで躱せば、深町は口部金属球を塞ぶる。
「ソニック・バスター」
「!!?」
彼女の、腕に纏うガントレットが微塵に還っていく。 大地に零れていく彼女の装備に、それでも目をくれない獣は深町に三度襲い掛かる。
「止せ! よしてくれ立花さん!!」
「ウゴァァアアア!!」
無手の拳が強殖装甲を激しく叩く。 キズこそないモノの、その衝撃に呼吸が乱された彼は口部の排気口から蒸気を発していた。 少しだけへこんだかのように思える胸部装甲に目をくれると、彼女の戦闘力を再度確認する。 ……あまりにも、以前とは桁が違う。
「まさか身に纏ったギアが暴走を?」
そう思うのに時間はかからなかった。 なにせ自身にも覚えがある現象だ、装着者の意思次第で強大な力を発揮するのが彼らの装備なら、装着者の意思力が弱ければ普段から力が発揮されない。
ただ今回はその逆転が行われただけなのだ。
意志力がギアに増幅され、肉体からの制御を完全に離れて行ってしまっている。 其れは、深町にも経験がある。
「ガイバーには殖装者の意志力がゼロになった時に、自己防衛のためのシステムがあるけど――」
「ハァァアアッ!!」
「まさかシンフォギアにも同じようなことが!?」
しかし深町の推察は少しだけ的を外れる。
そうじゃない。 彼女の意思はむしろゼロどころか無制限に増幅される一方なのだ。 己が周囲の幸せを踏みにじり、何の慈悲もなく踏みつけていく敵が許せなくて……その殺意がただ、溢れているだけに過ぎない。
「なんとか彼女の意思を呼び覚まさなければ――」
違う。 それだけでは彼女は救えない。
ガイバーⅠが腹部の球体を光らせれば、身体の重量が反転――彼は空に舞い上がっていく。 それを目で追う獣は、そのまま歯噛みするだけの訳がない。 足腰をしならせれば、手を地面に付けて姿勢を丸くする。
ジャンプだ。 そう思った深町は空中で身体を縦に回転させる。
「少しだけ痛いけど我慢してくれ!」
バック宙を決め込んだ彼はそのまま足を獣に向ける。 さらに腹部のグラヴィティ・コントローラーから重力制御のアシストを受ければ、彼は一気に地表へ落下していく。
「――――――ッ!!?」
「はぁぁああッ!!」
身体の回転から生み出される運動エネルギーを、そのまま己ごと相手へぶつけていく。
攻撃の矛となる右足が彼女の腹部にヒットすれば、そのままの状態でアスファルトを削っていく。 強硬策にでた深町は、そのまま彼女の肩に両手をかけて、一気にマウントポジションを決め込む。
光るコントロール・メタル、唸るバイブレーション・グロウヴ。 その間にも身じろぎしつつ、動かせる両足で強殖装甲を激しく叩けばこの状態から脱出しようともがき――
「ウァアアア!!」
「立花さん!?」
苦しむ。
その姿が本当に痛々しくて、だからこそ深町は決着を急ぐ。 獣と化し、理性を吹き飛ばしてしまった立花響の両腕を取り押さえたままに、彼はそのまま頭部を彼女へ近づけていく。
「しっかりするんだ!」
「ウァァァアアア!!」
「これが……こんなことがキミがやりたかったことなのか! 違うだろ!!」
コントロール・メタルの輝きが強くなる。 同時、腹部の重力制御球を全開にすれば、己の自重を圧倒的に増やす。 これで彼女が身動きすることは不可能になり、どうしても正面から深町の相手をせざるを得なくなる。
「キミの戦いはこんなことをするためのモノじゃないはずだ――しっかりしろ!」
そうだ、彼女は何のために戦っている?
ただ、自身に力があるから? 戦ってほしいって言われたから? ……それは何か違うはずだ。 守るべきものがあるはずなんだ“この子にも”きっとなにかあるはずなんだ。 戦う理由、その拳を敵に向ける理由が。
自身がそうであったように、ただ、襲われたから戦うんじゃなくって――
「目を醒ませ! 立花響ぃぃ――!!」
力無き人々を、守りたい一心でその拳を握ってきたのではなかったのか?
叫ぶ深町の声は、文字通り立花響を揺れ動かす。
全身の筋肉が痙攣し、飛び跳ねそうになるカラダは押さえつけられたまま、弓なりにしならせ声にならない叫び声をあげていく。 苦しそうだ……それでも深町の手が彼女を離すことはない。
このままどこまでも見届ける。 そんな強さすらうかがわせる光を込めた視線で彼女を射抜けばやがて騒動が沈静化していく。
「…………ぅぅ」
「収まった、のか?」
黒く染まっていった彼女のシンフォギアが、其の色を元の純白へ還っていく。 いまだマウントを取ったままの深町の頭部、その金属球が蠢いていく。 外的要因は収まったがその内部はどうなっている? 殖装者の意思を正確に受信したコントロールメタルの独自判断だったろう。
……そしてその回答は。
「…………こ、これは」
深町少年から、深刻な言葉を吐き出させるに至る。
白い装甲、それに包まれた柔い肌。 見るだけならごく普通のその姿も、しかしガイバーの解析能力を駆使できる深町から見れば――――
「何やってるんですか!!?」
「!?」
見れば……見ていたところで横合いから声が弾丸のように飛んでくる。
腹の底からくるそれは怒声。 ガイバー越しにも伝わってくるその、非科学的な力は身体的なダメージを与えずとも深町を怯ませるには十分な迫力であった。 いったい誰が……思ったと瞬間には深町の視界に少女が飛び込んでくる。
「あ、あなたはそこで何をしているんですか!?」
「こ、小日向さん……」
「なにをしてるのかって聞いているんです!!」
思わずつぶやいたその子は、深町にまさしく食って掛かる。 圧倒的でもなんでもなく、只怒声を上げているに過ぎない彼女はなんでもない、只の世間知らずの状況確認不足であろう。
しかし、それでも彼女が深町を怯ませたのは事実だ。 ……それほどに今この瞬間の彼女の感情の高ぶりは、激しい。
「お、俺は――」
「響から離れて!」
弁明の余地はない。 なぜならいま、深町の身を包むのは異形の姿だから。 それが友人の身体に覆いかぶさっているのだ、ここで叫ばないのは友ではない。 彼女は、目の前の
「―――ッ」
その勢いを止めることなど簡単だ。 彼女は人間で、女の子で、力の無い一般市民なのだから。 身体を改造したわけでも、シンフォギアを纏った訳でもない少女など相手にもならないだろう。
ならば今彼女がガイバーを退けたのは……心。 心からの叫び声が、自然と深町を響から遠ざける。
「響……しっかりして」
「……ぅぅ……み、く?」
「よかったぁ……」
揺さぶられ、ゆっくりとまぶたが開けば見えた友人の名を呟く。 いまだ微睡のなかなのであろう、はっきりしない口元からは甘たるい友形容できる呼吸音。 それを聞くたびに未来の心の中は穏やかになっていく。
「――――ッ!!」
「あ、え?」
……反面、深町へ向ける視線は鋭さを増していくのだが。
「み、みく……未来?!」
その姿を見た響はまるで跳ねるように……しかし身体が言う事を聞いてくれないから起き上がることができない。 もがく彼女は、しかし精一杯の行動を通ろうと必死になる。
「わ、わたし!」
こんな格好で。
今まで何を。
彼女になんて言えばいい?
組織は?
黙秘義務は?
あらゆる重圧が一気にのしかかってくる頃合いだ。 だけど立花響よおどろくことなかれ、今はその様なことを話している場合ではないのだ。
「どうして貴方が」
「み、く?」
「襲ったんですか! 響の事!!」
「え!?」
驚きの声は、一体誰から上がった者だろうか。 夕焼け雲が流れていくこの時間帯で、あまりにも流れの速すぎる展開に響の狭量はいきなり限界だ。 ノイズを見た、そこまでならはっきりと覚えている。 だけどなぜそのあとが真っ暗で、しかも自分は大地に背を付けている?
敵は? それにどうして――――
「ふ、深町さん……」
「フカマチ?」
こんなところに、居るのだろうか……だが。
「……やっぱり貴方なんですね!?」
「――あっ」
塞いだ口は手遅れ。 完全にやってしまったという顔は、未来の心にざわめきを起こすのに十分だ。 少しだけ奥歯が擦れれば、それだけで耳障りな音が聞こえてくる。 ……完全に何かが崩れる音であった。
「貴方が現れてから響の様子がおかしくなったんだ……そうよ! 全部貴方がイケナイんだ!!」
「違う俺は……!」
「なにか隠し事しているように見えたのも、響がこんな姿で戦ってるのも――」
否定の声に、だけど彼女の憤りは隠せない。
いままでいろんなことがあったのであろう。 深町の、いままで見ていたセカイの裏側で知らぬ涙がこぼれたのだろう。 それを解れというのは無理がある……それを、普段の彼女なら理性で押さえつけられたはずだ。
だけど。
「約束を破ったのも全部…………貴方が現れたからッ。 全部貴方がいけないんだ!!」
「―――ッ!!」
全部……自分がいけない。
その言葉に深町の足が一歩後ろに下がる。
心当たりなどない。 なにせ彼は知らないから。 そもそも彼女たちを戦いに巻き込んだのは深町少年のせいでは決してない。 なら、なぜ彼の足は下がるのだろう。
「お、おれは……」
巻き込んだ。 その言葉だけが深町の心に深く突き刺さる。
どんな激しい打撃より。 どんなに切れ味を増した斬撃よりも彼を酷く傷つける……彼女の怒声。 叩きつけられた叫びはそのまま深町を揺さぶっていく。
「――くっ」
駆ける、彼。
彼女たちに背を向けて、力の限り駆けぬけていく姿は途轍もなく弱いモノだ。 叫びたい泣き言に、崩れてしまいたい心。 頭の中が混乱という渦が巻き起こり、今にも転げ落ちてしまいそうになる。
その心が、今、誰の下にも届かないとしてもだ。
なぜ逃げた。 なぜこの場所から彼が消えなくてはいけない?
守ったのはいつだって彼だったはずだ。
その身に纏う強殖装甲を何度だって傷つけながらも……だ。
「おれは、おれは――――」
今までやってきたことは胸を張っていい事ばかりだったはずだ。 “彼がこの世界に来てから”……で在ればだ。
しかしこの時、この世界の誰もが判らなかったであろう。 彼がその背に掛けた重い十字架と、そこから来るトラウマ。 さらには彼が心に刻んだ決意もすべて。
「お……れは…………ッ」
水滴がやがて大岩を穿つことがある。
その身はいくら強くなろうとも、激変した環境が彼の心を大きく抉っていた。 強い身体に弱き心。 そのアンバランスさがついに限界を超えた時、彼は戦場からその身をひるがえす。
逃げるように……己の罪から。
貴方のせいだ――――その言葉が彼の脳内に焼き付いて離れない。
「――うッ!?」
不意に蘇る光景は先ほどのモノだ。 あの、己が怨敵をかみ殺すような、死すら与える憎悪の眼。 それが自身を射抜いてしまったとき、彼の身体から自由が消えていく。
腕はその逞しさを失い、堅牢さを失った胸部装甲はバラケ、疾走する脚部はその回転を止める。 全てのパーツが自身から離れて行ったとき、今まで道を駆け抜けていた殖装体はその姿を消し……道に転げ落ちる。
躓いたのだろう、擦りむいた手の平を見れば血がにじんでいる。 ただの軽傷だ、普通なら気にする必要もないその傷は…………
―――――消えた雑木林。 穿たれた地面。 意識を失っていたはずの自分。 ……戦いを継続していた身体。 ……そして、そして……今目の前で消えていく父親のかたう――
「うぁあああぁぁぁああぁッあぁああああああ―――――――!!!!!」
少年が思い出したのは暗い過去。
少年の過去を引きだしたのは暗い感情。
少年をここまで追い詰めたのは…………辛い、環境。
真に彼を理解してやれるものがこの世界に居ない中、彼と彼女たちのすれ違いは治ることなく、溝はさらに深くなる。
少年は…………しばらく立ち上がろうとしなかった。