あの日。 あの、コンサート会場襲撃事件が起こって二か月がたった。
世間の騒動は絶えず、被害者たちの傷跡は消えず、生存者たちにはただ、大きなトラウマがその心に深く刻まれてる。
そう、生き残った者は、事件が終わった今でさえ、大きな騒動の中に放り出されているのだ。
この世界に時折現れる怪異。 ……ノイズ。
奴らは13年前の国連総会において『特異災害認定』とされた謂わば自然災害なのである。 予告も、予兆もなく現れる奴らはそう、日本で言うところの地震と同じ扱いというわけだ。
そう言われても納得が行かないヒトも居るかもしれない。 だが、実際に震度が7以上の地震が起こった時、果たして死者が出ない確率はどれくらい……低いのだろうか。 そう考えれば小規模で小範囲の出現でしかないノイズは、まだ今上げた自然災害よりは十分可愛いだろう。
そう言えば過去に上がった調査報告では、東京都を中心とした範囲で、経済、人口密度などを考慮したうえでの、ノイズによる被害を概算したらこんな結果が出たらしい。
…………そこに暮らす住人がノイズ被害に遭う確率は、通り魔事件に“巻き込まれる”確率を下回る……って。
だからこそ、ノイズというのはそこまで恐ろしいモノだとか、人類の天敵だとか言われるまでではないのだ。
そう、…………あの日まで私は、少なくてもそう言う認識が頭の片隅にあった。
「……ひっく――うぅぅ。 ……ひんっ」
広い部屋。
10畳半のそこは人が二人と家具を適度に置く分には特に不自由のない部屋だ。
住み心地も良く、防音と断熱、さらには適度な温度調節が可能な空気清浄機まで完備されている。 ここまで言えば分ってもらえるかもしれないが、ここはあるアーティストの住み家であった。
声を出せるように周りに気を配り、喉を傷めないように空気を穏やかに。 適度な空間はストレスをためないように。 そんな快適をかき集めているような部屋はさぞ過ごしやすいだろう。
…………過ごし、やすかったのにな。
在るのはたった一つの声だけ。
まるでのど元を奥から切りかないとばかりに締め上げ、己の気持ちを伏せっていた枕に感情を叩きつける。 舞い散る羽毛があの朱色を連想させ、そこにいる住人に更なる悲哀を生み出させる。
今までにここまで悲痛な声が鳴り響いたことはないし、させたこともなかったのに。
「どうして……どうして――」
どうしてこのモノは。
「……かなでぇ…………いやだぁ」
どうしてわたしは――――私は。
「どうしてわたしだけになっちゃうの……かなで……会えないなんて嫌だぁ!!」
いいや、私が寝そべっているのは悲しいからだ。 それ以外の理由なんてあるものか。 大事な、それこそ自身の半身とも言える彼女を失ったのだ。 ……見殺しにしてしまったんだ。
自分のからだを半分失ったのだ、これ以上の苦痛があるものか! 死ねるのなら死にたいッ……でも、けど……そんなこと。
「出来るならやってる……けど、出来ないっ」
弱い。
あまりにも私は脆弱すぎる。 奏からは「そんなところがやさしいお前らしい」……などと言われたけど、もうそんなこと言ってくれる人はこの世に居ないッ!
嫌だ、こんなにも身体が重い、冷たい、心が……痛い。 苦しい、悲しい、狂ってしまいそうだ。 もう、こんなのは嫌だ、楽になりたい……生きることを、あきらめてしまいたい。
奏のいない世界なんて嫌だ、居なくなってしまったなんて信じられない。 ……おねがい、帰って来てよ、いつもみたいに笑いかけてよ!!
「かなでぇ……っ、奏……うああああッ!!」
ついに抑えきれなくなった感情は爆発して、気が済むまで涙を流し、流すものがなくなればまたも気が済むまでモノを壊す。
壊れるモノがなくなったら真横に立ち並ぶ壁を叩いて、叩いて……叩いて叩いて叩いて――――防音性の壁ですら通してしまうほどに大きくなった音を鳴らすまで強くたたいて。
「失礼します、翼さ――――な、何やってるんですか!?」
「嫌だぁ! 奏が居ない、いないのッ!!」
「落ち着いて……翼さん、翼さん!!」
「やだ!! 離して……離してッ!!!!」
駆けつけてくれたヒトですら跳ね除ける。
その人がどれほどに私を心配してくれたかなんてそのときは知らなかった。 知ろうともしなかった。 ただ、今は自分だけがかわいくて、かわいそうで、それだけしかなくて。
「わたしが、わたしがあの時手を伸ばさなかったから……ちゃんと奏の手を掴まなかったから――――ッ!!」
「それは奏さんの望みでもあったんでしょう! なら翼さんに何の責任なんて……」
「そんなの……分らない!!」
気づけば突き飛ばしていた。
わたしの弱い手を傷つけまいと、器用に慎重につかんでくれていたその人の手を、自分から突き離していたんだ。 ここからだ、私が誰かの手を握ることがなくなったのは。 自分の手が握るのが――――
「わからないッ!!」
それから半年が経つ頃には、私はソロデビューを飾り。
さらに半年が経つ頃には、独りでノイズを殲滅することにすっかり慣れ。
そして、そんな自分に違和感を感じなくなって、さらに数か月経つ頃にはもう。 私は只の弱い女ではなくなり。
この世界を守り、全ての人間をノイズの魔の手から防ぐ人間……“
よっていまのわたしは…………私は、もう女ではない。
「もう、こんな自分に成れてしまった。 いまの私を見たらなんていうだろうかな? 呆れるか、驚くか……はは、なんだかそう思うと身震いがするな」
女でない私は、それでも話し相手ぐらい欲しかった。
だから私は『墓石』に向かって独り言を繰り返す。 昨日もおとといもやった同じ内容の話を何遍も何遍も繰り返して……その『墓石』をいくらでも磨いて。
「でも相変わらず不思議な気分だよ。 初めて見つけた時はぞっとしたりもしたしな。 こんな、石とも生物とも取れないモノが何なのかがわからなくて。 でも了子さんからこの墓石こそが奏だと言われたときには驚いたものだ」
そう言って私は、自身が『墓石』と表現した目の前の物体に手を差し出す。
あのコンサート会場で、瀕死の子供を病院に搬送してもらった後、当然のように私は奏が居る元まで駆けつけた。 何があろうとも助けると、失うモノかという意地で全ての制止を振り切ってまで。
だが、そこにあったのは人間、天羽奏の姿ではなかったのだ。
硬度で言うと本当に岩のよう。
でも、なぜだか陽に当てられたように温度を感じる不可思議さは、まるで奏が残した意思を思わせる。 消える事の無い……チカラ。 この暖かさが今の私を支える唯一のモノであり、死んでしまった奏とつながりのある最後の代物。
「奏…………」
この墓石があるのは、とある組織のとある一室。 厳重保管庫などと立札がされた安置室である。
当然だろうな、こんなところにあるのは。
あの大群のノイズを薙ぎ払った正体かもしれないし、いつまた奏の時のように人を襲わないとも言えないんだ。 実際私も、今現在かなり無理を言ってここに入らせてもらっているのだから。
「あの時のことは今でも忘れない……」
胸に手を置く。
ここに来るといつもこの格好だな。 ふぅ、いい加減、奏に会いに来るときくらい満面の笑みを浮かべたいものだ。 ……できたら、どれほどに心が楽になれるのだろう。
奏……墓石は当然のように無言だ、それは今もあの時も変わらない。
私がコンサート会場で発見した時も、そこから大人数で運ばれる時も。 ここに、狭苦しい部屋に追いやられる時でさえ、この墓石はただの一度だって反応はなかった。 そのこと自体が私の中に影を作るとも、当の本人ですら知らないままにだ。
「奏……きっと見ていないかもしれないけど、私は少しでも強くなれたかな」
その影が作ったのが、この先どのような事態に成ろうとも今は知らない。
「前ほど泣く回数はなくなったし、目元だってメソメソしていた頃よりは鋭いんだ」
いまはただ……
「奏のように、強くなったかな……」
自分の傷を隠して、敵を討つしかこの私には無いのだ。
それしか……残らなかったんだ。
風鳴翼が墓石と呼び、親しみと憎悪の繰り返しを注ぎ込む一室の、そのさらに下の階層。 某組織の某一室にて、ある二人組がコンソールを前にしながら頭を抱えていた。
一人は男。
着込んだ赤いシャツの腕をまくり上げ、下から露わにされる前腕筋を組んでは悠然と立ちそびえる。
胸ポケットに入れたネクタイはまるで『へこ“垂れ”、頭を“下げない”』と言わんばかりにネクタイの先端を上方向へと捻じ曲げる。
もう一人は女。
長い髪を頭頂部で丸めた“シニヨン”型のヘアースタイルはみるモノに強烈な印象を与えるだろう。 しかし、しかしだ、そんな髪型よりもさらに周囲への印象強く残らせるブイがある。
……それは何かというのはあえて言いはしないが、ただ、ここに彼女が来てからというモノの、男性職員の視線は通常時よりもやや15度ぐらい視野が下に落ち込んでいるとのうわさがあるらしい。
さて、関係ない話題が入りはしたが、この二人、只々無意味に気難しい顔をするほどボキャブラリーがないわけでも、余裕がない人間でもない。
そんな二人が強張った顔をするほどだからこそ、今目の前の問題はかなりの大山となっているのだろう。 ……ここでついに、女の方から口を開くに至る。
「どう思う?
「どうって何がだい?
なんだか同窓会で昔話に花を咲かせるテンションなのは、彼等の器がそれほどに大きいのかそれともただの能天気か。 だが、そんな朗らかな声とは裏腹に、彼等の見る映像は確かな畏怖の感情を芽生えさせるものであった。
『くそ! やめろ……この、離しやがれぇぇええッ!!』
それは、あの少女の……天羽奏の最後を映した記録。
これは誰もが知らぬ……いいや、あの風鳴翼には決して見せることが叶わない代物。 魅せればどうなるか、分らない大人たちではないのだから当然だろう。
では、彼等はこんなものを凝視して何をしたいのか。
それは……この後に起こる『変態』を見れば大体の察しが付くだろうか。
「あのコンサート会場で現れたノイズ。 それは奏ちゃんのおかげで半数を一掃できたけど、その反動で彼女は『適合系数』を大幅に下げ、結果ノイズからの炭化能力による攻撃を凌ぎ切れず敗退」
「しかしすぐ後ろにいた少女を助けるべく決死の行動と、決意という名の巻き返しを見せたことによって敵総数100を切るが、そこで奏君の身体は限界を迎える」
「そうね、そこまではいいのだけど、やはり問題は……コレ。 不意に、何の前触れもなく現れた攻撃性のある光。 まるで奏ちゃんを救うかのように現れるわよねぇ、角度と言い、放射範囲といい。 あ、この光の成分の大体が素粒子で形成されてるんだけど、弦十郎ちゃん、コレ、いったいどれほどの出力か知りたい?」
まるで小悪魔のように口元を歪めた了子。 彼女は片目でハートを飛ばすと、真横にいるガタイのいい男を誘惑して……
「見当もつかんな。 よく耳にする『10万馬力』だとかそんなふざけた単位ではないんだろう?」
「……弦十郎ちゃん」
「……なんだ?」
そっと、肩を寄せていき。
「ぶっぶー! 全然だめね、大外れ」
「……そもそもこんなものを目利きなど無理だろう。 ……で、この謎の光り、“最低でもどれほどの高出力だったんだ”」
「…………そーゆー聞き方するのって、なかなか見透かされてる感があって嫌いじゃないわよ♪」
「冗談はよせ」
「はぁい」
ススキが、風に接するかのように躱されると、そのまま了子は口元をとがらせつつ、舌を怪しく動かし、乾いた唇をなめとる。 いま、自身の口元が渇いていると自覚した彼女が語る、その出力は――
「では正解。 アレは最低でも、50
「めが…メガワット………だと!!?」
「そうよ。 あ、ちなみにまた別の某国が保有する原子力発電所の出力で138万キロワット……つまり砕いて言えば1380メガになるから、あ~~、すごいわねコレ、なんと原発の25分の一ですって~~」
「そんな馬鹿な! そんなもんがいったいどこから!!」
「それは……」
弦十郎の顔に青筋が走る。 彼にしては珍しいと、思う了子は画面を指さす。 そこには何となくゴミの様な黒い物体。 見過ごしてしまうように小さいそれは、しかし一度指摘されてしまうと……
「コレが知っているんじゃない?」
「なんだそれは」
「今回のキモ。 奏ちゃんをあの状態に追い込んだ謎の物質と言ったところかしら」
「こんな小さいモノが……あんなものを。 そして奏君を?」
遠目から見てゴミにしか映らず、そう指摘されてキーボードを了子が叩くと、画面は拡大の度合いを最大にする。
そこに映るのは……ゴミなどではなく。
「これは、金属?」
「そう、これは弦十郎ちゃんが言うところのゴミなんかじゃなくって立派な機械。 ……しかもまだ稼働状態にあるかもね。 ほら、ここ、微妙に発光してるのがわかる?」
「むぅ、なんだか円形に輝いているとも言えなくないが。 ……しかしこんなものが本当に?」
「そう、言いきれないけど。 そう言うしかないじゃない。 こんな馬鹿みたいな現象……」
唐突に暗い顔に切り替えた了子はさらにキーボードを連打する。 心地よくも苛立たしさを感じさせるのは、道の出会いと同時に自身の常識を覆されたから。
「イチ研究者として、正直アレは異常としか言えないわね」
「これか……」
その視線の先、例の“厳重保管庫”の現在を映した場面。 そこには既に翼はおらず、只ひとつの異形が鎮座していた。
墓、墓石、道しるべ……様々な呼ばれ方をする中で、自身を研究者と言い放つ了子の目は更なる鋭さを帯びる。
色は黄土色、形は鳥類の卵を思わせ、そのところどころに筋というか切れ目……もしくは鱗のつなぎ目のようなものがある。
そして驚くことにそれの全長は2メートルを超え、まさに人間が独りすっぽりと入ってしまうくらいの大きさなのだ。 だからこそ、あの現場にコレが転がっていたときに了子は初見でこの中にある“可能性”を見抜き……
「かなり手を入れて調べ上げたわ。 X線はもちろん、特注のCTで輪切りにしたし、さらに物理的対話も――」
「対話って。 あのノコギリの事か? アレにはさすがに驚いたぞ、なにせ天才科学者の桜井了子ともあろう人間が、まさかあんな原始的な方法で切開だなんて言うものだからな」
「おほほ。 あのときはもう最後の手段だったのよ。 何しても中が見えない、下手に危険な行為で切開しようとすれば中に居るであろう奏ちゃんがどうなるかわからないから」
「しかし、だからってアレはないだろう。 あれは……目もかなりマジだった気がするしな。 キミの新たな一面ってやつを拝ませてもらったよ」
ありとあらゆるアイサツを無碍にした墓石に対しての強硬手段。 そのときに見せた笑い声は、その場にいた所員のほとんどに「女王様! 平に、平に!!」 などと言わせたのは記憶に新しい。
「まぁ、なんにしても、アレの解析は無理だったというわけ。 おそらくだけど微弱に発せられてる電磁波っぽいのが、あらゆる機器のスキャンを阻害しているとは思うけど……なんなんでしょ、アレ」
「さてな。 いま、分ることを言うとすれば」
「すれば?」
弦十郎の肩が強張る。
目をつむり、息を吐き出しこれからを模索しながらヒントを昨日から探し出そうとする。 そうやっても見つからないからこそ、彼はいちばんシンプルな答えを……
「アレの中には、俺たちの大事な仲間が入っている。 それだけは確かだ」
「……そうね」
ただただ、口にするだけであった。
キーボードをさらに叩く音が聞こえてくる。 その追加注文に答えようと、画面が新たなページにすすもうとする、そのときであった。
―――――――――――部屋の中に、警告音が鳴り響く。
「な!? この警報はまさか――」
「ノイズ!?」
それは、あの敵が現れたという事を知らせるゴング。
戦いが、既に彼らのモトにやってきたと自己主張する施設の装置は、その音量を決して緩めることはない。 それどころか、弦十郎が席を立とうとする刹那、もう一つの警報が轟く。
[指令!!]
「どうした!?」
それは、彼の部下だと思われる男性。
額に汗を浮かび上がらせ、操っているであろう機械に目をくれること数秒。 あまりに焦らす彼にいい加減、弦十郎の拳が唸ろうとするときであった。
「“聖遺物”起動の際に発せられる『アウフヴァッヘン波形』を感知……そ、その波形が――――――」
「ま、まさか……!!?」
その所員から発せられた言葉を耳に入れた瞬間、弦十郎と了子は例の“墓石”を素早く確認し――
「うぉ!?」
「きゃあっ!!?」
激しい揺れ。 それに身体を揺さぶられ、コンソールに頭を強くぶつける。
「痛つつ……なんなんだ一体」
物理的に揺さぶられた脳に気合を一声。 弦十郎は笑う脚を気迫で立て直すと……そこに在った景色に、ついに唖然となってしまう。
さっきまで、どうして。 なにが…………そう言ってはいられない彼は、事ここに居たっていまいきなり起きた事態の大きさを思い知る。
「なにが起こってるんだ。 ……今回のノイズ発生、あの時の事件との相違性はないはずだ――しかし」
整理しきれない情報を、彼は既に思考を放り投げだそうとしている。
過去と照らし合わせるというのは重要なことだ、だが、今起きてる例外は確かに起こっているもの、ならばやる事などひとつしかないではないか。
そう言いながら、”何も映っていないスクリーン”から目を離すと……
「あの墓石とやらはひとまず置いておこう。 “消えてしまった”というのは気がかりだが、いまはノイズへの対処が最優先。 了子君!」
「はらほろひれはれぇ~~」
「破ッ」
「ひゃうん!?」
「了子君、我々にしかできない戦いをしに行くぞ。 ほら、はやく立つんだ」
だからこそ、彼等大人はいま…………戦場へ向かったであろう彼女の背中を守る戦いにおもむいていく。 痒さを増していく、その奥歯をかみしめながら……
今日はね、わたしが追っかけてる“ツヴァイウィング”のCD発売日。 あ~~待ち遠しかったはずなのにどうして予約をしなかったんだろうなぁわたしは。 こういうところが抜けてるって言われるところなんだろうけど、こればっかりは一生治らないかも。
はやく着かないかなぁお店……はやく……はやく………………あ、れ?
「はっは、……はぁっ」
おかしい、おかしいよ。
さっきまでは確かに、追っかけてたアイドルユニットのCD買に行くはずだったのに、どうしてわたしが追われてるの!?
ひー、ひーー! あ、あいつ等ってアレ、だよね。 自然災害指定されてるっていう……あの日わたし達を滅茶苦茶にしたあのノイズってヤツだよね?! アレって一生に一回会ったらもう二度と会わないぐらいの頻度じゃないのぉーー!
どうしてこう、気分が絶頂の時にこいつらは……とにかくこのまま走って逃げよう。 一本道を突き抜けて、すぐそこの曲がり角を抜けちゃえば安全なところに――――あ。
「ふぇ……うぅ」
「あの子……逃げ遅れ!?」
曲がり角をまがった先にある小脇。 そこでうずくまっている女の子……身長から大体小学三年生くらい?!
明らかにもう、一人じゃ歩けないって感じだよ。
しかも女の子がいる位置は、最初に考えてた方角とは反対方向。 ここの道を逸れちゃうと『シェルター』からドンドン離れちゃう…………えぇい! そんなこと関係ない!!
とにかくその子もつれて全力疾走! 行けるところまでどこまでも、わたしは足を動かし続けた。
痛い、足が痛いよ。
いまどれくらい走った? 5分、10分!? 時間の感覚がない、脇腹も痛くなってきた。
「おねぇちゃん……ぅぅ」
「大丈夫! ここはわたしに任せなさい! ……きっと、逃げ切れるから」
自信ない、逃げ切れる保証もない。
タダがむしゃらに、あいつ等が……ノイズが居ないところを目指して突っ走ってるだけ。 こういう時に逃げ込むシェルターもあるけど、もうここからじゃ絶対に行けっこない、体力が持たない!!
「こわいよ……こわいよぉ」
「…………っ!」
ダメだ弱気になっちゃ。 わたしがあきらめたらこの子だってノイズに殺されちゃう。 そんなの嫌だ……絶対にさせたくない。 だってわたしは……わたしは――
――――泣くな。
「泣かないで」
「……え?」
あの人に……
優しくて、つよくて、あたたかい歌を口ずさんだあの人に。
――――こういう時はアレだ、何にも考えないで応援でもしてりゃいいんだ。
「こういう時は何も考えないで、応援してくれればいいんだから……ね?」
「……うん」
がんばれ……がんばれ……この子が小さい手で私の服を掴んでくる。
一緒に聞こえてくる声援が女の子のモノだってわかると、わたしの中になんだか力がみなぎって来る気がした。 そうだ、あきらめちゃダメ、わたしだって自分に精一杯応援するんだ。 負けない、大丈夫、絶対に何とかなる……して見せるんだ。
わたしを救ってくれた――あのヒトのように。 どんな時でもあきらめない……あきらめたくない! それにあの人が命を賭けて救ってくれたのに、こんなところで死ぬなんて嫌だ! あきらめきれない……絶対に、絶対ッ!!
「出来ることがあるはずだ」
―――――生きることを……
そうだ、あの人は最後にわたしに道を教えてくれたんだ。
どんなに辛いことがあっても逃げない。 どんなに痛くっても立ち向かう強さ……あの人は、わたしにこう言ったんだ。
「あきらめないで…………」
あきらめない……絶対に……絶対に。
ビル街に逃げ込んで数分ぐらい。 わたしたちはこの辺で一番高いビルの下まで来ると、そこで大きく深呼吸。 そこで気が付いたんだ、そうだよ、このへんって確か道路の補強かなんかで工事中だった事に。
「い、行き止まり?!」
あーほら案の定だよぉ。 もう、どうしてこんなことも忘れちゃうんだわたしは!!
めずらしく順路じゃなくショートカットだなんて茂みに入ったところからなんかおかしかったんだ。 この前通った時はもっとクネクネだったし、こんなに見通しも良くなかった……しかも……
【…………】
「あ、はは……こんにちは~~」
【………………】
の、ののの――ノイズ様の団体がご到着ですかそうですか……
まるでわたしがこのビル街に逃げ込むってのがわかってるんじゃないかってくらいのびっしり感。 わたしやっぱり呪われてるかも……もぅ。
あ、あそこの電信柱、わたしの体力でも登れそう。 背が大きいけど上の方は細くなってる。 でもその途中で枝分かれした先、あそこのすぐ近くに行き止まりになってるビルの窓が…………よ、よし。
「ちょっとだけ我慢してね」
「……はい」
この子をおぶって、着込んでたブレザーを巻きつけて命綱に……んしょ、なかなか人を包みながら上着を巻くって難しいや。 でも、こんなことじゃあきらめないよ!
「迷うな、あきらめるな」
助走をつけて、1、2、3!! 一気に走り出して電信柱をよじ登っていく。 手をひとつ動かすたびに、コンクリートで皮がむけて泣きそうになるけど、人の命がかかってるんだ、こんなことで泣き言なんて言えるか!
「あきらめ……ない!」
上へ上へ。 下には大群のノイズが集まって、海みたいにわたしたちを取り込もうとしてる。 でも、どうしてか昇ってる電信柱には追ってこない……あきらめた? こっちの根気勝ち?!
このまま電信柱を昇って、高層ビルの中に窓伝いで入り込んで、階段をひたすら登っていく。 カンコンカンコンって音がするのは不気味で、すぐ後ろに実はノイズが迫ってるんじゃないかってイチイチ振り向きそうになるけど……やらない。
そんなことをしているくらいなら、まずは逃げなくちゃ。 追いつかれて、触れられるだけで終わりなんだから。
そうこうして10分くらい階段を上ったのかな。 もうすぐ、で、はぁはぁ……念願の屋上。 ここまでくればあいつ等も簡単には追ってこれないはず。 やった、やっぱり人間あきらめなければどうとでも…………
そうやって呼吸を整える私は、終点の屋上入口で女の子を背中から降ろす。
ゆっくりドアノブを握って……まわすと…………
「……嘘」
「あ、あぁぁ」
そこには、いろんな色をした大群がはびこっていた。
「そ、そんな……」
うじゃうじゃ……ひしめいてるよ、いっぱいのノイズが。
ヒト型だったり、不定形っぽかったり、なんだかよくわからない形だったり。 確実に両手の指だけじゃ数えきれない大群は、一斉に……
【!!】
「き、気付かれた!」
「嫌ぁぁァァァああああッッ!!」
もう限界だったんだろうね。 すぐそばにいた女の子が、あきらめちゃったみたいに膝をついてる。 正直わたしもダメだ、限界を超えちゃったよ。
あきらめたい、楽になりたい、助けたはずの女の子みたいにべったりと地面に尻餅をつきたい……けど。
「それでいいのか立花響…………」
よくない、良くないんだ。
「あきらめちゃダメだ」
そうだ、こんな大変なのは一度や二度じゃない。 “あの時”だって、……そうだ、あの時わたしを助けたあのヒトはこんな時だって笑っていた。 微笑んでくれてた……あきらめなかった。 勇気づけられる歌を、喉が擦り切れそうになるまで歌っていたんだ!
あの人みたいになりたい。
あの人の様にこの子を助けたい。
あの人の…………あの人みたいな力が……チカラが――
「ちからが……欲しい――――うッ!!?」
な、なに……?
「あ、あつい……身体が」
心臓がバクバクする。 まるで体育の授業で1500メートル走を全力疾走したみたいに……うっ!? は、弾けそう。
「はぁ……はぁ……な、なんなの」
あたま、ぼんやりする……でも体が熱いから眠くならない。 眠ることが出来ない。
なんなのこの感じ、まるで体中が別の何かの成るような……今まで味わったことがない不思議な感覚。 でも、なんでだろう、どうしてか悪い気がしないんだよね。
――――――トクン。
心臓が一回だけ激しく跳ねる。
ココが苦しいって、今にも飛び出しちゃいそうで、燃え上がりそうで。 ……だめ、そこからは出れないから大人しくして……
――――――トクン。
もう一回だけ跳ねる。
それを感じたとき、わたしの脳内にあの人……あの、“コンサート会場で助けてくれたあの人”の声が思いっきり蘇ってくる。 走馬灯? ちがう、そんなチンケなもんじゃない! そう、ここまではっきり聞こえるんだ。
あの人の声、体温、眉の動きから表情のすべて!!
「……あ、あ」
聞こえる……ちがう、胸の中から何かが叫んでくる! この声、この言葉、何が何でも口から出せって、とっても強くわたしを急かすみたく。
「が、がんぐ……」
違う、その言葉は最初の文字じゃない。
どう違うのかはわからないけど、とにかく違うんだ、間違いないんだよ。 ……ドコ、どれ? 何を最初に言えばいい。
学校みたいに教えてくれる人はいない。
けど、分るんだ。 もう、わたしは知っているんだ――――だってわたしは。
「あの人……あの人は」
わたしは『戦う姿を知っているから』
あとはそこに、わたしの中から聞こえてくる言葉を……足せばいい!!
「く……く、ちがう……その言葉は“あの人”のものだ。 わたしの、わたしだけの言葉で――」
この声を、形にしてみせる。
「Balwisyall Nescell――――」
そして、そのあとにやっと。
「……gungnir tron」
その言葉を言うことが出来た。
「あ……あ!?」
胸元が光りはじめた。 ペンダントも何もつけてないはずなのに、目を閉じちゃいそうになるくらいの激しい光。 それがわたし、女の子……それにノイズたちですら照らすと――
「い、痛い?!」
からだが、体中が急にケイレンしたみたいに……
「う、うぅ……あぁっ!!」
痛い……痛い痛い痛い――カラダがおかしくなっちゃうよッ!! 助けて、誰か――この痛みを消して!!
心臓が、足が、腕が、目の奥も……痛くないところがどこにもない。
こ、こんなのいつまでも続いたら気が変になる……い、たい……だれか……
「助けてッ」
違う……そうじゃない……だろ。
「いたい……ちがう……ッ!」
そうだ、助けを求めてるのはわたしじゃない。
助けなきゃいけない人は今、わたしの隣で泣いている。 助けられたわたしに向かって、必死に手をのばしてるんだ。 だったら……
「だったら……」
痛みなんか邪魔だ。 こんなの、こんな痛みは……慣れっこなんだ!!
それにあのちいさな女の子は今、わたしよりも辛いに決まってる……だから、だから……
「わたしは、この子の手を離さない! 離すもんかぁぁァァァッ!!」
逃げてたまるか。
この痛みから背を向けちゃいけない。
堪えるんだ、耐えるんだ。 大丈夫、ぜったいに……ヘッチャラ、なんだから……
「うぅぅぅッ……ぐああああああ――――」
苦しさも痛さも全部全部吹き飛ばしてやる。 そう思ってお腹から、うんん、身体から声を出した途端、わたしの中で暴れまわってた痛みが引いていく。 嘘みたい、さっきまであんなに痛かったのに。
それどころかさっきよりも身体が軽い。
背中に羽根が付いたみたいにヒョイヒョイ飛んで行けそうだよ……ん? とんで?
「あ……れ?」
なんだか、足に変なブーツが付いてるんですけど……
「うそ、なに?! どうなっちゃってるの!?」
「おねぇちゃん」
「ふぇ!?」
「かっこいい……」
……えっと、女の子には評判がよろしいみたいで。 その、何よりです。
「じゃなくって、どうなってるのこれ! なんだかマンガに出てくる変身ヒーローみたく、全身が大変なことになってるんですけど!?」
さっき騒いだブーツにはカカトにヒールがあって。 腕には武器? になりそうなガントレットって言うのかな、それが右と左におんなじのがあって。 あたまにはカチューシャ……じゃないんだろうなぁ。 耳がなんか覆われてるし、きっとヘッドホンだと思うモノが被さってる。
うん、ここまではなんとか呑み込めたんだけど、その……やっぱり気になるのがあるとすれば。
「これ、すこしばっかり露出が派手じゃないですかね……」
しかも機械じゃないところはスパッツみたいに身体にフィットしてるし。 いやぁ、動きやすいっちゃそうなんだけど……
「すこし、恥ずかしいかも」
……なんて、そんなこと言ってる場合じゃなかった。
わたしの変化? に、驚いてるのかは知らないけど、ノイズたちが今まで動かなかったのはラッキーかな。
けどそれもここまでみたい。 ぞわりと奇妙な音をたてて、あいつ等が軍隊の行進みたいに押し迫ってくる。 よし!
「よくわかんないけど」
脚に力を入れろ、腰を低くして前傾姿勢だ。
女の子をそばに寄せて……離れないようにしっかりと抱え込む。 そしてやる事はただ一つ。
「この子を、無事にここから逃がす!」
要は逃亡だけど、これは仕方ないはずなんだ。
いくら変身ヒーローみたいな格好になったとしても相手はノイズ。 ケンカして勝てるかも以前に触れたら炭にされてしまうから、だからまずはここからにげ――って。
「な、なに?!」
脚に力を入れて……ってところから周りを見てなかったけど、なにこれ!? わたし今宙に浮いてる! 飛んで……るわけじゃないのは、すぐ来たお腹の違和感……ほら、ジェットコースターの降りるときのアレ、あれを今感じてるから間違いないんだけど。
「すごい! 今わたしビルからビルを飛び越えた!」
その飛距離が既に人類を超越してる。 これにはさすがにびっくりで、思わずカカトをトントン。 地面を叩いて足の状態を確かめずにはいられない。 だってあんな高さを平然と跳んだんだよ? ふつう筋が切れちゃうよ、“アキレスけん”とか。
「と、とにかくこのすごい力があれば女の子を無事にシェルターまで連れて行ける。 行くんだ響! この子は絶対に助けるんだッ」
そうして飛んだ先のさらに先に視線を……しせんを……
【…………ムゥ】
「ま、またまたこんにちわ……あはは……」
【ポフゥ…………】
向けた先にノイズがこれまた沢山。 あ、はは……これっておかしくない、おかしいよね、どう考えても昔どっかの誰かが出した『ノイズの被害は通り魔事件に巻き込まれる可能性を下回る』って奴を全否定だよね?!
既に初めてやったネイルアートの失敗回数よりも多いんですけど! どうなってんのこれえぇ~。
【ボォォォ――】
「あ、しまッ?!」
聞こえにくいうめき声と一緒にノイズの一体が急に近づいてきた。
さっきあんな大ジャンプをやってのけた身で言うのもなんですけど、実はわたし……帰宅部なんだよね。 当然、護身術どころか運動なんて体育の授業以外にやってるわけなくってですね……
「――――ッ!!」
無意識に振った手が、決して触ってはいけないノイズに触れてしまった。
だめ、マズイ! 腕が消えちゃう、なくなる……なく、な……え?
次に耳にした音は、何かが崩れる音だったんだ。 でも、それは決して――
【 】
「た、たおした?」
わたしから出る音じゃない。
腕はそのままくっついてて、どこも炭にはなってない。 それどころか、わたしたちを襲ったノイズがいま、逆に炭になって砕け散っていく。
それは、間違いなくわたしの情けないパンチが当たったノイズ。
という事は、どういう事か。 ……考えがまとまるまで深呼吸が2回必要だった。
「いま、わたしがノイズを倒した!?」
だとしたらこれはすごいことだよ。 わたし達があんな目に逢った……あのノイズをこの手で何とかできちゃうんだもん。 それにここでわたしが頑張ればこの子をわたしみたいな目に逢わせないで済む。
「……だったら、やる事はひとつ」
やるんだ、わたしも。
どうしてこんなことになったかはわからないけど、今ここに泣きそうな人が居て、自分にはその子を慰めることも助けることもできるチカラがある。 だったらそれを使わない手なんて……
「ないんだッ!!」
なんだか闘志がわいてきた。
それに胸の中がドンドン熱くなってくる。 なにか、言い表せない想い、言葉……そう、“歌”が頭の中に流れ込んできて…………気が付いたら、口が自然とその言葉を紡いでた。
胸の鼓動がリズムを刻んで、身体を走る電流が音程を決めていく。
まるでわたしの身体全部が音楽器にでもなったようで、紡いだ言葉は、本当に歌になってたんだ。
「…………ッ!」
すごい。
歌を歌いはじめたらさっきよりも断然強い力が湧いて出てきた感じがする。 身体も軽いし、女の子の体重を全然感じない。 普通にお米10キロが限界なわたしが、いまや子どもとは言え人ひとりを楽々抱えてる。 ……これが、この“服”のちから……?
「…………!!」
湧いて出た力をそのままに、女の子を抱きかかえて、決して離さないように、迫ってくるノイズの群集を突き抜ける。 片腕、それだけで10や20のノイズを消し去っていきながら。
「……っ……!」
身体中を走る電流が少しだけ落ち着いたテンポになってきた。 ……これって今間奏? 良かった、なんだかんだ言っても歌いながらは結構きつい。 息継ぎのタイミングと、ノイズの攻撃を避けるタイミングが重なるときなんか最悪だよ。
「……はぁ…………うぅ!」
音程が崩れた!? でも、まだまだ……ってアレ!?
さっきまでの力が急になくなっていく……? どうなってるのこれ……
「………………ッ」
呼吸を整えて、1、2、3。 もとの音程に戻すと、また身体中に力が湧いて出る。 ……そうか、もしかしてこの服、歌を歌うと力が上がるの!? これまたなんていうか――
「あ、……くぅ」
集中力を乱しちゃった。 女の子は……大丈夫、離してない。
でもいつまでもこのままじゃラチが開かないよ。 こっちは片手が塞がってて、派手な動きは一切できない。 しかも女の子をノイズに触れさせないように、攻撃のタイミングはかなり限られてる。 その上わたしが戦いなんて知らない一般人なのも大きいかも。
確かにパンチ一発でノイズが消えるけど、それは小さいヤツだけ。 身体が大きい……ひと型とかだとそれだけじゃダメ。 なにか、決定打がないと……
「ッ――ッ――…………!!」
どうすればいいの……どうすれば。
「……! ……っ!!」
こ、呼吸がつらい。 段々歌うことに力を注げなくなってきた。
今でさえかなりつらいのに、歌がなくなって力が落ちたら今度こそ奴らの餌食だ。 そんなのはダメだ、許せるわけがない。
でも状況は悪くなるだけ……どうする、どうする……どうすればいい!?
「はぁ……っく!」
あきらめない。
「…………くぅう!!」
あきらめるもんか。
届けなきゃいけないんだ、この子を、この子を待っている人の所へ。 この子が……帰りたいって思ってる場所へ。
――――――――――だから。
「あきらめきれるかぁぁぁあああッ!!」
…………今にして思えば、この時の思いが“あの人”を目覚めさせたのかもしれない。 歌だけじゃない、聖遺物のせいでもない。 ただ、誰かを助けたいっていう、胸の鼓動があの人に届いたんだと、本気でそう思う。
時間は夕刻。 既に周囲は暗く、周りに人気は無い。 そもそも今は普通に生活をして、ただ毎日を暮して居たい人間ならば外出を控えるどころか一所で身を潜めなければいけない瞬間。
だからこそ、このとき訪れた瞬間は人目に触れることはなかったし、公表されるという事もなかった。
そう、現れた異質を、まだ世界は知らずに済んだのだ。
「……な、に?」
異様な装備を纏った少女……名を立花響という彼女は、唐突にのしかかってきた重い音に背筋を伸ばす。
不意にとられた背後、正体のつかめない感覚と……高揚感。
なぜ、今この時にこんな感情が現れるのかがわからず、だけど確かめられずにはいられないという謎の興奮と好奇心が織り交ぜられた感情を制御しきれない。
「……」
そんな彼女は。
「…………」
立花響は……
「………………あ、あぁ……な、なに……これ」
ついに、見てしまう。
背後にあった不確かな感情の正体。
それは一見して気分を高揚させるものではなかった。
硬質、異質。 それがまるで鱗のように重なり合い、ひとつの形を成している。
形状は丸みを帯びるそれは言うなれば『卵』と、みるモノは口をそろえて言うかもしれない。 だが、彼女は……彼女だけは違った。
「なん……なの、これ」
触り、なぞり、さすっていく。
その間に感じる温もりは、この物体が生きていることを感じさせる……そして。
「~~~~っ?!」
その温もりを感じた瞬間に走る背筋の電流。
まるでなにか、自分の中の大事なものが疼くその感覚は、少女が少女で在る内は一生経験できない代物。 それが、只々怖くて、でも恐ろしいとは思えない彼女は……想う。
「なんなんだろう」
こんな卵みたいな形状の癖に、だけどそう言わずにはいられない衝動をついに爆発させる。
「この、“サナギ”みたいなの」
ついに、言った。
それは、彼女の無意識の反応であった。
気になり、さわり、感じたからこそ脳内に出た言葉――
【…………!!】
【……ッ! ……っ!!】
【――――!! ……!!】
ノイズが一斉に退く。
波のように、波紋のように。 クモの子を……散らしたかのように。
その姿をさすがに不信と感じたのは響も少女も同じ。 だが、その胸中は天と地の差がある。 少女は怯え、竦み……しかし響きには――確かな確信が芽生えていた。
「なにがなんだかわからないけど、もう大丈夫」
「おねえちゃん?」
その事実を、確認する前に少女へ紡ぐ彼女の顔は明るい。 どうして? などと質問をする少女を地面に降ろし、彼女はそのまま自身が『蛹』と称した物体に“道を譲る”
「……………………………」
開く。
開いたのだ、蛹は。 突然に、唐突に。 なんのアクションもなくいきなりだ。 光も振動もなく、ただ当然のように強固な外殻を開放していく。
その光景に、心も知性も持たない本能だけのモノたちが退く。
アレは危険だと。
数年前に同胞たちが一瞬で消された原因だと。
脳も心もないはずの、人を消し去ることしかしないはずの彼らが一斉に後ずさりする。
「………………………」
「す、すごい」
響の口から出たのはそれだけである。
だが、見たものは中から這い出た者の『脚』だけ。 なぜ脚? いや、響は只、視線を水平にしているだけだ。 それなのに見えるのが脚だけという話。
「わ、わたしッ…このあいだの身体測定で、身長が156㎝に伸びたけど………」
だけど、だけどこの大きさはどうだ。
目の前を覆い尽くす下半身、そこから見上げれば……
「あ、あぁ」
顔が見えない程の上半身。
「すごい、わたしが二人縦に並んだら、やっと勝てそうなくらいに大きい」
さらに見上げたそこには、やはりと言うべきか、人の顔などなかった。 それでも響だけは恐怖がない。
どこからかからやって来る安心感が彼女を包み、そのうえで目の前の怪異の様子を……
「……じぃ」
「…………………」
思いっきり見る。
体色は黄色がかった白。 もしくは黄土色。 フットボール選手を思わせる巨大な肩に、そこから伸びるスタビライザー。 こんな人型のどこを安定に保つのかと、専門家が見たら首をひねりそうなそれはもちろん飾りではない。
さらに見渡すと、身体の至る所に見られる半透明の球体。 タダの丸だったり楕円だったりと形は場所によりけり。
だが、均等に配置されたそれは確かな法則性を持っているのだろう。
一本角の生えた胸元、同じく一本角のある頭部。 その、どれもが怪異であると言わざるを得ないのに、どうして響は恐怖を感じないのか。
そして……
「お、おねぇちゃん!! の、ノイズが――」
「……」
「……………………」
「おねぇちゃん!! 逃げて!!」
どうして、ノイズの攻撃があっても、そこから動こうとしなかったのか。
分らない。 後に本人にも聞こうものなら、同じ答えが返ってくるだろう。
「……ほぇ?」
「ほら、大丈夫だった」
「……………………」
けど、結果的に生き残ったのなら。 ……彼女のその感覚はきっと、正しい物だったのであろう。
怪異の周囲の景色、それはわずかだが光を屈折させていた。
歪み、曲がり、……外との関わりを確かに断っている。 そして僅かな電磁波を帯びたそれは、いま、確実にノイズの攻撃から響たちを守っているのだ。
「……………………」
怪異が何をしたのかはわからない。
この怪物が何者なのかも知る由もない。
ただ、分る事と言えば。
「――――シュゥゥゥゥ」
「う、うごく……おねぇちゃん」
「大丈夫……大丈夫だから」
今ノイズが起こした行動は、それ相応の代価を払うことになる……それだけだろうか。
時は既に午後6時を過ぎて、陽は沈み月が昇り、あたりは静寂が支配する。
もう、人気のないビル街の一角、そこから始まろうとする殲滅戦はきっと酷く一方的な戦いになるだろう。
250対2という圧倒的な戦力差だ、当然響たち人類が劣勢であったはずだろう。
現れし巨人……それが本格始動したそのときまで……は。
巨人から吐き出される蒸気は、まるで開戦の狼煙のようにゆったりと夜空へ上っていく。
この世界に降り立った異物たる巨人……初陣である。