天邪鬼の下克上   作:ptagoon

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疎外と受容

 人里に着く頃には、既に空は赤くなっていた。今日はいったりきたりと、忙しい一日だ。だが、やらねばいけないことは多い。猶予は一日。それまでにとびっきりの友人を見つけなければならない。それこそ、私のために死んでくれるような。心当たりを探すが、当然見つからない。死んでほしい奴ならばいくらでも見つかるのに。

 

 とりあえず、慧音のところに事情を説明しに行くか、と寺子屋へと足を進めようとした時、自分が笠を被っていないことに気がついた。懐を漁るも、手ごたえはない。紅魔館で落として来たのだろうか。

 

 意味もなく後ろを振り返るが、ただ寂れた民家が並んでいるだけだった。一度疑問に感じてしまえば、そうとしか思えなくなり、あの時か、あの時かと色々な場面が浮かぶ。門から落ちた時か、廊下で腰が抜けた時か、レミリアの部屋で寝転んだ時か。どれもありそうで、特定ができないが、それでも紅魔館で落としたことは間違いない。結局はそう結論づけた。

 

 まあ、あの笠を被っていないところで、大して影響はないだろう。今朝もすぐに正体を見破られ、石をぶつけられる羽目になったのだ。気休め程度しかなかったと、そういうことにしようと決め、予定通り寺子屋へと足を進めたのだが、この判断を後悔することになるのは、すぐのことだった。

 

 

 

 いつもは人が少なくなる時間帯なのだが、どういう訳か今日は溢れんばかりに人が大通りを覆いつくしていた。怪しまれないように、道の端辺りを慎重に進んでいく。が、どうやら烏の新聞は私の想像以上に優秀だったらしく、一瞬にして周りから人が去っていった。乾いた地面に水を垂らし、ぐんぐんと流れていくなか、油の塊を中央に置いたように、きれいな円状の空間が生まれる。

 

「歩きやすくなったな」

 

 私が一歩進むたびに、その円も前へ進み、生まれる空間も大きくなる。一、二、と初めこそは順調に歩みを進めたが、三歩と右足を前に出した時、思わず足を止めた。大柄な男が、円の中から飛び出してきて、私の目の前に現れたのだ。大量の人をかぎ分けてきたからか、大きく肩で息をし、はぁはぁと辛そうに膝に手を置いている。坊主頭と黒縁眼鏡が特徴的だった。確か、甘味屋で難癖をつけてきた、慧音の知り合いの青年だ。

 

「おい鬼人正邪。おまえ、どういうつもりですか」

 

 いきなり現れた青年は、人差し指を突きつけ、親の仇を見るような目で私を見下した。

 

「どの面下げてのこのこ歩いてるんだ!」

「残念ながら、私は選ぶほど顔をもってねぇ。この顔だけだ」

「ふざけないで下さい!」

 

 息を荒らげたまま、顔を赤くし、勢いよく私に掴みかかってきた。避けようと後ろへ下がるも、予想していたかのように距離を詰められ、そのまま首元を締められる。明らかに素人の動きではない。

 

 その男は、私に顔を近づけて、ふざけないで下さい! とまた叫んだ。とんだ唾が頬につき、自然と眉間にしわが寄る。それを反抗の兆しと勘違いしたのか、青年は喉にかける力をさらに強くした。息ができなくなり、その場で足をばたつかせ、脇腹を蹴り飛ばす。が、痛がるどころか、小さく口角をあげ、血走った目を見開いた。怒りのあまり歯を食いしばり、口の端で唾を泡立てている。さらに気管が締められるのを感じながら、私は納得していた。彼の表情は何度も見ていた。怒りに震える自分の顔にそっくりだ。

 

「僕はお前が人間にした仕打ちを絶対に忘れない。あの無垢で、何の罪もない女性を殺したことも、貧乏ながらもひっそりと余生を過ごしていた老人を殺したことも!」

 

 青年が声をあげると、周りの群衆が騒めきたった。一度起きたざわめきは、ドミノ倒しのように広がっていき、一体を包み込む。怒りが辺りを満たしていく。そんな中、私は首を掴まれつつも、こらえきれずに笑っていた。ひっそりと余生を過ごしたというには、彼の余生は過激すぎる。呪いで体が錆びていくのをひっそりというのであれば、地獄の底で暮らすこともひっそりというに違いない。

 

 クツクツと喉を鳴らしていると、不愉快だったのか、男に腹を殴られる。目の前が暗くなり、胃液が込み上げてきた。

 

「みんなもそう思うだろ!? なんでこんな奴が堂々と里を歩いているんだ。そんなの許されて良いはずがないじゃないか! 彼の、彼女の無念を晴らさなくていいわけないだろ!」

 

 そうだ! 出ていけ! ぶっ殺せ! 全方向から飛んでくる罵声と共に、小さな石が飛んできた。首を締め上げられているので、避けることができず、そのまま頭にぶつかる。

 

 急に空中で首を離され、そのまま地面に倒れ込んだ。息を吸い込もうともがくが、いきなり肺を動かしたからか、咳が止まらない。ゴホゴホと喉を押さえながら、口元を手で覆った。少なくない血が手のひらについている。喉を切ってしまったようだ。

 

「今すぐ出て行ってください」

 怒りに声を震わせながら、男は言った。

「出ていけ!」

 

 その青年の声を切欠に、周りの人々も声を張り上げ始めた。出ていけ! 出ていけ! と声を会わせて叫ぶ。その団結力に驚かされながらも、私は何とか立ち上がった。前に立っている男を見る。この人殺しが、と何度も罵っている。彼の胸をナイフで貫いた瞬間を思い出した。その場でうずくまり、耳を塞ぎたくなる。ああそうだ。私は彼を殺した。人殺しだ。

 

 逃げ出すように、事実逃げ出したのだが、私は地面を蹴った。ふらふらと慌てふためきながら、空を飛ぶ。空気を掴むように何度も腕を振った。目の前にいる蕎麦屋の親父の背中を追いかける。だが、追えば追うほどその姿は遠くなり、そして消えていった。残ったのは、血のように真っ赤な夕暮れと、頭にこびりついた、出ていけ! という叫び声だけだった。

 

 

 

 

 いつの間にか、私は彼の家の跡地に来ていた。どうやって来たのか、いつ着いていたのか、まるで覚えていない。気がつけば、真っ黒な瓦礫の上で寝そべっていた。

 

 冷たい風が吹き、舞い上げられた煤のつんとした匂いが鼻につく。手足は凍ったかのように冷たく、内臓が冷え切ってしまい酷く腹が痛い。慧音が首元に巻き付けた、紫色の手ぬぐいをほどき、腹の上に載せる。昨日、石が当たった箇所を押さえていたからか、真ん中が赤黒く色づいていた。紅魔館の壁の色とそっくりだ。うんざりとし、目を閉じる。

 

「あれ、正邪じゃん! こんな所でどうしたの?」

 

 疲れと寒さからか、高い子供の声が聞こえてくる。懐かしい、無邪気な声だ。あまりに能天気で場違いに明るい声だったので、一瞬幻聴かと勘違いしてしまう。足が地面を擦る音が段々と近づいてきて、腹付近に衝撃を感じた。重い何かが空から降ってきたかのようだ。耐え切れず、ふぐぅとくぐもった声が洩れる。

 

「ふぐぅって。何て声出してるのさ!」

 

 閉じている瞼を強引に手で開かれる。ぼやけていた視界が安定していくと、そこには予想通り、えへへと笑う針妙丸の姿があった。腹に敷いてある手ぬぐいに身体を擦り付け、気持ちよさそうに身体を伸ばしている。従順な子犬のように愛らしく、憎たらしい。

 

「おいチビ、何してる」

 

 低い声ですごもうとしたが、思いの外高い声が出てきて、驚く。もしかして、私は喜んでいるのか。いったいなぜ。どうして自分が喜んでいるのか理解できなかった。

 

「金輪際わたしに近づくなといっただろ」

 

 先程の、出ていけ! という男の声が耳の奥に響く。名実ともに人里の嫌われ者となった私に関わることは、針妙丸にとっても、私にとっても良くない。そして何より、地獄で待っている彼に怒られてしまうのだ。「水の泡にしやがって」と掴みかかってくる姿が目に浮かぶ。

 

 私の腹の上で立ち上がった針妙丸は、ふっふっふと不敵に笑った。無性に腹が立ったので、赤色の着物をつまみあげ、その額をつつく。被っているお椀がグラグラと揺れ、面白い。

 

「何するのさ!」

「お前が私に近づいてくるのが悪い」

 

 バタバタと足を揺らし、はなせーと喚いている針妙丸の姿は滑稽だった。親猫に運ばれる子猫のようだ。

 

「そんなこといったら、正邪がこんなところで寝てるのが悪いよ」

 

 流石にいじめすぎたからか、不貞腐れるように頬を膨らませ、私を睨んでくる。だが、迫力という言葉とは縁遠く、睨むというよりかは見上げると言った方が正しい。気圧されたわけではないが、その場にゆっくりとおろした。

 

「どこで寝ようが私の勝手だろ」

「でも、こんなところで寝たら風邪ひいちゃうよ。つい最近まで大怪我してたんだから」

「私はお前ほど弱くねぇ」

 

 ほれ、と起き上がり、その場で屈伸運動をしてみせる。さっきまで痛かった腹はいつの間にか治っていた。寒さで感覚がなくなっていた両手足も、しっかりと動く。

 

 俊敏に身体を動かす私を見た針妙丸は肩をすくめた。目を半開きにし、馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 

「私が言いたいのはそうじゃなくて、もっと自分を大切にしてってことだよ」

 

 胸を張り、はきはきと言った。自分を大切に。単純だが、難しく曖昧な言葉だ。このクソみたいに理想的で、薬にも毒にもならない標語にも関わらず胸を張って言う勇気に感動する。どうせ、慧音の受け売りなのだろう。あの先生は本当に傲慢だ。自分を大切にできる奴など、ごくわずかしかいないというのに。

 

「わたしは、正邪と話すのが好きなの。もし正邪が風邪ひいたら、わたしも困るの。分かる?」

「分からねぇ。というか、もう私と関わるなと言っただろ」

 

 私の言葉が聞こえているのか、いないのか。針妙丸は心配そうに眉を下げ、言葉を続けた。

 

「わたしはきっと、正邪がみんなを助けてくれると思うんだ。それでね、正邪が人里のみんなから感謝されて、けいね先生にもほめられて」

 両手を胸の前で組んだ針妙丸は夢見がちに語る。その顔には歓びが浮かんでいて、やがて訪れる未来に期待をしているようだった。

「それでね、私たちはもっと仲良くなって、きっと世界を変えちゃうの。私の夢は悪者を倒すかっこいいお姫様になることだから、正邪は従者にしてあげるよ」

 

 そんなあり得ない未来予想図を語る針妙丸を、何故か馬鹿にすることができない。私が人助け? 感謝される? 絶対にない。それでもって、弱者である私たちが世界を変えることなんて、もっとあり得ない。だが、あまりに嬉しそうな彼女の顔を見ると、何故だか私もその夢へと引き込まれそうになる。慌てて、首を振る。

 

「そんな叶いっこない夢を追いかけても、人生を棒に振るだけだぞ」

「そんなことないもん!」

 その小さな体をこれでもかと広げ、大の字にに手足を伸ばした。蟷螂の威嚇にそっくりだ。

「人生はね、夢なんだよ!」

「は?」

「大きな夢に向かって走り続けるのが人生なんだ! だから私もきっと夢をかなえるよ!」

 

 酷すぎる。理想と欺瞞にまみれた、綺麗ごとだ。この世で私が一番嫌いな類の妄言だ。だが、何故だろうか。不思議と非難する気になれない。馬鹿にすることができない。それどころか、悪くないなと思っている自分がいて、驚く。

 

「それ、慧音がいってたのか?」

 針妙丸は胸に手を置いたまま、目を丸くした。ただですら大きな目をこれでもかと見開いている。

「何でわかるの!?」

「そりゃ分かるよ」

 

 あの先生は、きっと子供の様に純粋なのだろうか。決してそんなことはないはずだ。半獣という自身の境遇ゆえに、迫害されたこともあるだろう。それなのに、どうしてここまで素直でいられるのか。愚直にいられるのか、不思議だ。

 

 そう思っていると、どこからか声が聞こえた。針妙丸の声ではない。かすれた男の声だ。ああ、これは確実に幻聴だなと確信する。彼の声だ。

「お前は人生は蕎麦だと思うか?」

 いつの間にか声に出していた。人生は蕎麦で、また人生は夢である。つまり、蕎麦は夢だ。

「どうしたの正邪。何笑ってんの?」

 腹の奥に埋もれた熱い炎が、じりじりと湧きたっていくのを感じた。

 

 

 

 いつの間にか針妙丸とかなり話し込んでいたらしく、日が沈みかけていた。赤くなっていた空に黒が混じり、世界の終わりすら感じさせる。うっすらと浮かび上がる星が見おろしていた。

 

「もう暗くなってきたから、帰れ」

 なんで私が先生のような事を言っているんだろうか、と内心で苦笑いしつつ針妙丸を急かす。

「正邪は?」

「私はまだやらなければならないことがある」

 

 あと半日。その間に友人を見つけなければならない。目の前の、小さな少女に頼めば嬉々としてついてくるだろう。だが、駄目だ。こいつをあんな禍々しい館に連れて行くわけにはいかない。

 

「ちゃんと、布団で寝てよね!」

 あと手洗いうがいと歯磨きも! と叫びながら去っていく針妙丸の背中を見つめる。慧音といい針妙丸といい、私のことをガキと勘違いしていないかと心配になった。

 

 はぁ、と気の抜けた息が洩れる。が、それと共に疲れも抜けた気がした。頑張る、という陳腐な言葉は嫌いだが、それでも頑張る、と声に出した。自分を鼓舞するというより、声に出すことで、頑張らざるをえない状況に自分を追い込むつもりだった。だから、まさか返事が返ってくるとは夢にも思っていなかった。

 

「何を頑張るんですか?」

 

 針妙丸が去っていた道の反対、人里の外に繋がる道から男の声が響いた。慌てて振り返る。壊れたボロ屋が乱立している入り組んだ細路から、青年が現れる。ついさっき私の胸倉を掴み上げた、体格のいい男だ。そいつがまた私の前にいる。

 

「ねえ、教えて下さいよ。人を殺した妖怪が、今度は何を頑張ると言うんですか!」

「友達探しだ」

「はぁ?」

 

 一瞬、きょとんとしていた青年だったが、私の言葉が聞き間違いではないと分かるや否や、大声で笑い始めた。口から涎を垂らしながら、だらしなく声を上げる。

 

「冗談ですか!? お前なんかに友達が出来る訳がない」

「そう思うか?」

「当たり前だ!」

「私もそう思う」

 

 男は露骨に嫌そうな顔をした。唇をかみ、肩を細かく震わせている。きっと、馬鹿にされたと思っているに違いない。良かったな。正解だ。

 

「お前、自分の立場ってもんを分かってるんですか?」

 

 熱い胸板に張り付くようになっている甚兵衛から、男は何かを取り出した。距離がそんなにある訳ではないが、それが何かが分からない。

 

「立場を気にするのは人間くらいだ」

「あまり人間を舐めないで下さい。お前は人里にいてはいけないんですよ。みんなが嫌っている。同じ空気を吸うのも我慢ならないくらいに!」

 

 怒りの形相で男は左手を伸ばした。この時になって初めて取り出した物体の正体がわかる。黒く光る筒のようなものが途中で直角に曲がり、男の手のひらへと伸びていた。見覚えのある武器だ。

 

「銃ってやつか」

 

 喜知田の顔が思い浮かぶ。あいつも確かこの武器を使っていたはずだ。流行っているのだろうか? 

 

「いいでしょう。高かったんですよ」

 

 悪い妖怪を退治するために買ったんです、となぜか得意げに青年は笑う。とある少年は食料すら買えないのに、この青年のように武器を買うような愚かなことをする人間までいる。彼らは一体どこで差がついたのだろうか。

 

「金さえあれば、何でも買えるのかよ」

 

 意識していなかったが、いつの間にか口が動いていた。それは一種の皮肉だったのかもしれない。天邪鬼としての本能が、無意識に口を動かすのは珍しいことではなかった。だが、男は腹を立てるでもなく、いきいきとした表情で頷いた。私の本能は相手を怒らせることすらできないらしい。天邪鬼としても無能だ。

 

「その通りです。金さえあれば何だって手に入る。武器も、女も、仲間も、愛情も、名誉すら買えるんです。酷い世の中でしょう」

 

 そこで、男は浮かべていた笑みを消した。真顔になると、眉が下がり、困っているかのような顔になる。緊張しているのか、息をのみ口をもごもごとさせた。

 

「鬼人正邪。これ以上人里に手を出さないと誓いますか? 誓えば、とりあえず今日のところは退いてやる」

「は?」

「答えろ!」

 

 男の顔はトマトのように赤くなっていた。口をまごつかせていたのは、緊張のせいではなく、怒りのせいだったのだ。本当は今すぐ私を撃ち殺したいのだろう。それほどまでに彼の怒りは強い。だが、そうはしない。彼は喜知田と違い、純粋な正義感に突き動かされているのだ。慧音と同じ、青臭さを感じる。だが、甘い。天邪鬼にそんな質問をしてはいけない。そんな事を言われたら、私はこう返すしかないのだ。

 

「嫌だ。死んでも嫌だね」

 青年が素早く動くのを見た時、私は目を閉じた。

 

 

 

 銃を向けられた私は動くことができなかった。恐怖で足がすくんでいたわけではない。今になって、腹の痛みが増してきたのだ。絞められた喉も焼けるように痛い。てっきり、寒さが原因だと思っていたが、内臓がやられたのは、青年による殴打のせいだった。

 

 今撃たれたのか、まだ撃たれていないのか、分からない。何度も自分の身体に痛みがないかと確認するも、元の痛みのせいで判断ができなかった。おそるおそる目を開ける。

 

「驚いたか?」

 

 悪戯が成功したかのような声がすぐ近くで聞こえた。青年の声ではない。愉悦に満ちた女性の声だ。

 

 顔を前に向ける。青年と私の間に一人の女性が立っていた。私を庇うように両手を広げている。いつ来たか、どうして庇ったか、まるで分らない。

 

「おいおい、そんな物騒なものを人に向けるんじゃない」

 

 銀色の髪を揺らしながら、女性は腕をぐるぐると回していた。その姿は勇ましく、可憐で、そして浅ましい。

 

 赤いもんぺを身に着け、札のような物をたくさん張り付けている彼女は、武器を持っている青年へと歩いていった。知り合いなのか、気楽に右手を上げている。

 

「ふ、藤原さん」

「妹紅と呼べっていってるだろ」

 

 藤原妹紅。聞き覚えがある名前だ。慧音の親友。不老不死。人外の人間。急に現れた彼女にどうしたらいいか分からず、私はただ立つ事しかできない。

 

「何してんの? 喧嘩? それとも殺し合いか」

「い、いえ。ちょっと威嚇を」しどろもどろと答える。銃は既にしまい、大きく手を広げて必死に弁明している。私の時とは態度が大違いだ。

「威嚇?」

「そ、そうです。ほら、今慧音先生がいないじゃないですか。だから、怪しい妖怪は早めに脅して、大人しくしてもらおうと」

「だからって人に武器を向けたらだめだよ」

「あ、いえ」

 申し訳なさそうに青年は呟いた。

「こいつは妖怪です」

 

 頭をガシガシと掻き、小さく息をついた妹紅は、青年の肩を掴んだ。

 

「ま、まあ。君の自警団としての正義感には目を見張るものがある。だけど、今日は私が慧音の代わりに見回りをするから、そこまで気を張らなくていい。いつも通り、ただ外を見張っといてくれ」

「はい、分かりました!」

 

 きびきびとした動きで礼をした青年は、走って去っていった。きちんと、私を睨みつけるのを忘れなかったのは、流石だと思う。よっぽど私のことを憎んでいるようだ。

 

 どこか気だるそうに振り返った妹紅は、私を見るなり悪かったな、と謝った。

 

「あいつ、幼いころに親を妖怪に殺されてんだよ」

 

 聞いてもいないの青年の過去を話し始めた。慧音の影響だろうか。

 

「だから、妖怪ってだけですごい警戒するんだ」

「だから何だよ」

「許してやってくれ」

 

 絶対許さない、そう言おうとしたところで、私は地面に倒れ込んだ。私の気力は限界だった。喉が裂かれるように痛み、腹には釘が入っているようだ。この痛みを与えた相手をただで許せというのは聖人君子でも難しいだろう。そもそも私はあいつの親を殺していない。

 

「あ、おい。大丈夫か」心配そうに妹紅が駆け寄ってくる。

「大丈夫じゃない。介抱してくれ」

「介抱つってもな。なんでこんな時に慧音はいないんだ」

「慧音か」

 

 ん? と片眉を上げた彼女は、私の隣に座り込んだ。怪我を治療してくれる気はさらさら無いらしく、困ったなぁと気楽に笑う。

 

「慧音が今人里にいないから、私が代理で見回りしてたんだよ。暇だったからな。でも、見回りっていってもやり方が分からないから、適当にぶらぶらしてたんだ」

 

 ぶらぶら、と気に入ったのか何回か呟き、実際に足を何度かぶらぶらと振った。その爪先が腹に当たり、焼けるような痛みに襲われ、うめき声がもれる。

 

「あ、悪い悪い。感覚が麻痺してたけど、かなり酷いじゃないか。何でこんなことになってんだよ。首にも絞められた跡があるし」

「チャンスはな」

「ん?」

「チャンスは、巡り巡って自分の首を絞めるんだ」

 

 彼女は顔に手をかざし、天を仰いだ。手をひらひらと振り、私の頭を撫でる。

「やばいな、頭までおかしくなってやがる。重症だ。ほんと、不幸中の幸いだよ。感謝するんだな」

「感謝? だれに」

「こいつだよ、ほれ、地面の」

 

 そういった彼女は、私の顔のすぐ横を指差した。ぼやけた目では、そこに何かがあるようには見えなかったが、よくよく目を凝らしてみると、真っ暗な空に映えるような黄色が見えてきた。そして、だんだんと見覚えのある姿に変わっていく。長い、八本の足を器用に動かし、妹紅の靴へとのぼろうとしている。黄色と黒のまだら模様が綺麗だった。

 

「蜘蛛か」

「そうそう。暇だったから蜘蛛を追いかけてきたら、ここに着いたんだ。すごいな」

 

 彼の家で見かけた蜘蛛を思い出す。見れば見る程、あの時見た蜘蛛とそっくりだ。もしかして、同じ蜘蛛だろうか。私が逃がしてやった恩を、返してくれたのだろうか。

 

「そんな訳ないか」

「どうかしたか?」

「なんでもない。今、暇か?」

「暇じゃなかったら、見ず知らずの怪我人なんかと話さないよ」

「お前、殺され屋やってんだよな」

 

 慧音が言っていた殺され屋。不老不死で、何度も死ぬことができる彼女のみができる画期的で、全く栄えていない商売。こんな怪我人でも客として扱ってもらえるか不安だったが、予想に反し彼女は「初めての客だ!」と喜んだ。

 

「仕事、頼んでいいか」

「もちろんだ。怪我の治療はおまけしといてやるよ」

「助かる」

 

 急に浮遊感に包まれ、視界が変わる。私の首とひざの下に手を通し、妹紅が持ち上げたのだ。このまま、どこかへ移動するつもりだろう。

 

 あの、高慢ちきな小さな紅魔館の主を思い出す。きっと、あのケチなコウモリは私には不可能だと考え、こんな妙な指令を突きつけたのだろう。あいつの苦悶に満ちた表情が頭に浮かび、胸が弾む。

 

 紅魔館に行ったら、真っ先にあいつに言ってやろう。自慢の家族に包まれた彼女を前に、啖呵を切ってやるのだ。

 

「命をかけてくれる友達も、金で買えるんだってな」

 

 ああ、治療が間に合うか不安になってきた、と妹紅がつぶやいた。

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