天邪鬼の下克上   作:ptagoon

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悪人と救世主

「やっぱり、私は無茶だと思うよ。引き返した方がいい。その方が身のためだ」

「うるせぇ」

 

 真っ暗闇の空を突き切るように、私たちは進む。風が体の穴という穴から入り込み、身体の内側を蹂躙している。殴られた腹に振動が伝わり、その度に激痛が走った。体のあちらこちらに針が埋め込まれ、その針に電気を流し込まれているようだ。

 

「これ、本当に治療したのか?」

「したさ。応急処置だけど」

 

 黄ばんだ包帯が巻かれている腹をなでる。その包帯は腹だけでなく、怪我していた部分全て、つまりは全身をぐるぐる巻きにしていた。古傷が開きかけていたらしい。生身でいるよりも、包帯に身体を隠している時間の方が多いのではないか、と一人笑う。針妙丸だったら、笑い事じゃないよ! と鬱陶しいくらいに心配してくるだろうか。

 

「といっても、あくまで応急処置だからな。あまり動くとまずい。まあ、妖怪なら五日もすれば完治するだろうけど」

 

 代わってやれたらいいんだけどねぇ、と雲を突き抜けた妹紅はのんびりと言った。極力私に振動を伝えないようにしているのか、基本的に高度を変えず、一直線に飛んでいる。その速さは人間とは思えないくらいに速く、私なんかの比ではなかった。

 

「にしても、治療し終わった途端に紅魔館に連れて行ってほしいだなんて、正気か? しかもこんな深夜にだ。もしかして、自殺志願者だったりするかい?」

 

 彼女の銀色の髪が風で棚引いた。鼻をくすぐるようにさらさらと舞っているそれを掴み、軽く引っ張る。安定していた彼女の体が少し傾いた。

 

「いてて、冗談だよ。でも、正気を疑ったのは本当。そんないつ死んでもおかしくない状況で人里の外に出ること自体がおかしい」

 

 いまや、私にとって人里も安住の地でなくなってしまったが、それを言う事はしなかった。単純に、喜知田のことを思い出すと、感情を抑えることが難しいと思ったからだ。

 

「文句を言うなら、慧音にいえ」

「慧音?」飛んでいる彼女の体がびくりと震えた

「お前さんは慧音と知り合いなのか」

「不本意ながら」

「そうか」

 

 彼女の声は弾んでいた。背負われているので顔は見えないが、きっとだらしない笑みを浮かべているはずだ。慧音と仲がいいとは知っていたが、まさか慧音の友人に会えただけで喜びを露わにするとは思わなかった。顔が引きつる。仲良しこよし、なんとも気持ち悪い。

 

「あの石頭の先生が、私に紅魔館に行くよう強制したんだ。食糧を貰ってくるようにってな。酷いだろ?」

「慧音のことだから。何か考えがあったんだ」

「ねえよ。暇な奴が私しかいなかったらしい」

「私も暇だったけど」

 

 そんなことは知っている。でも、だからといって慧音が、あの死にそうな顔をしていた人里の守護者が、何かを考えて私を紅魔館へ送り込んだとは限らない。ただの偶然だ。たまたまあの日、私が慧音の様子を見に行ったからに違いない。

 

「たぶん、慧音はあなたに手柄を取らせたかったんじゃないかな?」

「手柄だと?」その、手柄という言い回しが随分とちんけなものに聞こえ、呆れる。

「そうそう。ほら、もしあなたが紅魔館から食料を持ってきました。これでしばらくは人里も安泰ですっていえば、大手柄じゃないか。だから、慧音はあなたをヒーローにしたかったんだよ」

「ヒーローだぁ? 笑わせるなよ。というか、何で慧音がそんなことをするんだ」

 

 口を噤み、妹紅はしばらく黙り込んだ。飛ぶ速度も段々と遅くなっている。仕方なく、首を上に向ける。満天の星空が空を覆っていた。腹が立って仕方がない。まるで、己の優位性を誇示しているかのように世界を照らしている星々が憎い。全部を照らしているようで、その実本当に僅かな奴らにしか恩恵を与えていない星々が憎い。そして、そんな星空を憎むことしかできない自分が、憎い。

 

「そういえば」

 思い出した、と妹紅は声を上げた。そうだったそうだった、と同じ言葉を繰り返す。

 

「慧音が最近えらく元気がなかったから、心配してたんだよ。理由を聞いても答えてくれないし。けど、最近ようやく調子を取り戻したみたいで、何かいいことでもあったのかって聞いたんだ。あいつ、なんて言ったと思う?」

「知るか」知りたくもない。

「あいつな、“私のせいで不名誉を被った友人が、何とか人里に溶け込める算段がついたんだ”と胸を撫でおろしていたよ。あれは寺子屋の生徒を心配するような顔だったね。何があったか知らないけどさ、慧音はあなたの不名誉に責任を感じて、何とかしなきゃって思ったんじゃないか? それで、救世主にしようとした」

 そうに違いない、と自分の言葉に納得するように、大きく頷いた。

 

「馬鹿馬鹿しい」

 思わず、息が洩れる。私が救世主だと? こんな私が救世主になれるなら、みみずも、おけらも、蕎麦屋だって救世主になれるのではないか。でも、もしなれるなら。私が救世主になったなら。人里で怯えて暮らす必要はなくなるのか。私が人里の連中に認められれば、針妙丸と普通に会うことができるか。彼は許してくれるだろうか。水の泡にならないだろうか。もし大丈夫ならば、それはいいなと思った。

 

「でもさ、そんなに嫌なら」ぽつりと妹紅がつぶやいた。

「だったら、行かなきゃいいじゃん。こんな大怪我をしたから、って説明すれば流石に許してもらえるだろ」

「そうだな」

「でも、行くんだろ?」

「そうだな」

「それって、慧音のことを信用しているからじゃないのか?」

「違う」

 

 私はしっかりと言った。「ち・が・う」と明確に否定する。そんな恐ろしいことを認めるわけにはいかなかった。

 

 では、なぜ行くのか。針妙丸が語った夢を思い出し、三郎少年の暗い顔をそれに重ねた。彼らが関係するのか? と自分自身に語りかける。いや、関係ない。

 

「慧音のためにやってんじゃねぇ。私のためだ。紅魔館の食糧を分捕って、私がそれを消費するんだよ。その為にわざわざこんな場所まで来たんだ」

「うわっ、悪いやつだ」

 

 言葉に反し、妹紅はケラケラと子供のように笑った。私もつられて笑う。腹に力が入り、体中がギシギシと音を立てるが、気にしない。

「悪い奴だなんて、当たり前じゃないか」包帯を少し下げて、得意げに言った。

「私は天邪鬼だぞ」

 

 

 

 どんなことにも理由がある。

 

 燕は、雨の前日になると低空飛行をするというが、これは何も燕が雨を察知しているわけでない。高い湿度のせいで虫の翅に雨粒がつき、餌である昆虫が高く飛べなくなったところを狙い、食べる。その結果、雨の前に燕が低空飛行するということになるのだ。

 

 その他にも、太陽が東から昇り西に落ちていったり、春の朝には雨が多かったり、烏天狗が生意気だったり、針妙丸の背が小さいことにすら理由がある。

 

 だとすれば、霧の湖の上空を4回も通過したのにも関わらず、一度もそこを縄張りとしている氷精と出会わなかった事にも当然理由がある。その理由が、私たちの目の前で繰り広げられていた。

 

 紅魔館の正門のちょうど裏側、木々が生い茂り、普通ならば絶対に人が通らないような、そんな怪しげな場所に彼女たちはいた。無数に立ち並ぶ木を何本か切り倒したのか、人数分の切り株の上に、それぞれが立っている。遠目で見ていても異様な光景だ。

 

「なにやってんだ? あいつら」

「さあ」

 

 紅魔館のすぐ近くにまで来た妹紅は、一度、様子を確認した方がいいと言い張り、高度をぐんぐんとあげ、館を見おろした。真夜中で碌に見えないだろうと思っていたが、なぜか館全体が淡い赤色に光っており、逆に鮮明に状況を把握することができた。

 

 その光に映し出されるように、彼女たちの奇妙な集まりが目に飛び込んできたのだ。そのあまりの珍妙さに、私と妹紅はお互いの頬をつねり合った。

 

 ゆっくりと、門の裏の集会へと近づいていく。よく見ると、そこいる氷精以外の人影も、霧の湖の近くに住んでいる妖精たちだった。紅魔館の主と同じように幼い風貌をした彼女たちは、大口を開け、楽しそうにはしゃいでいる。自由気ままな妖精にしては珍しく、きれいに一列に整列していた。その誰もが無邪気で溌剌とした表情だ。不思議と、針妙丸の笑顔が頭に浮かんだ。あの、世の中の不安とは一切の関わりが無さそうな純粋な笑顔を思い出す。それだけで、胸にこもる重い空気が薄れていったような気がした。

 

「どうかしたか? 笑い声なんてあげて」

 妹紅が不思議そうに訊ねてきた。

「そんなにあの妖精たちが面白いか?」

 自分の口に手を当てる。節々が悲鳴をあげ、包帯のざらざらとした感触が肌を撫でる。だが、それよりも自分の口から笑い声が洩れていることに驚いた。そうか。私は笑っていたのか。

 

 ぐんぐんと妖精たちに向かって加速していく。風景を切り裂き、音を置き去りにして矢のように飛ぶ。向かい風に振り落とされそうになりながら、必死に身体にしがみついていると、どすんと振動が響き、土煙が舞った。視界が一瞬で奪われ、コホコホと咳をする声が聞こえてくる。大きく口を開いていたからか、妖精たちは特に酷くむせていた。いいざまだ。

 

「お、おおっと。何ごとですか!?」

 

 土煙の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。焦っているためか、少し声はうわづっているが、自信と幼稚さが同居したかのような、独特の低い声は忘れようもない。

 

「さっきぶりだな、門番」

 

 ゆっくりと視界から茶色が引いていき、また赤色の光に照らされる。私の目の前でだるそうにポケットに手を突っ込んでいる妹紅が、着地に失敗したわ、と赤い舌を出した。確実にわざとだ。

 

「って。正邪さん……ですか?」

「そうだ。見りゃ分かるだろ」

「そんな包帯をぐるぐる巻きにしていたら分かりませんよ。変装じゃないんですから」

 

 参ったなぁ、と頭の後ろを掻いた門番は、私の前にいる妹紅を見つめ、目を丸くした。一歩後ろに下がり、そんな馬鹿なと繰り返し呟いている。

 

「もしかして、彼女は……」

「私の友人だ」

 

 何か言いたげに口を開いた妹紅の背中をつねり、睨みつける。

「食料が欲しいなら、友人を連れてこいと言われたんだ」

 あたふたと歩き回っている門番にバレないように、小さく呟いた。

 

 苦笑いする妹紅から目を逸らし、門番へと歩み寄る。が、足の自由が利かないことを忘れていて、その場に倒れ込みそうになり、慌てて妹紅が体を支えてきた。自分の間抜けさに乾いた笑いが零れる。それを見ていた門番は、ますます混乱し始めた。

 

「嘘かと思ったのに本当に仲良さそうじゃないですか。うわー、参ったなあ。まさかあなたに本当に友達がいるとは。これでは計画どころか時間稼ぎすら」

「計画が何だって?」

 

 ぎくりと背中を伸ばした門番は、な、なんのことでしょうととぼけ、口笛を吹いた。音はならず、ただ空気がふしゅぅと唇の隙間から漏れているものを口笛と呼んでいいか分からなかったが、彼女はいかにも、動揺してます! という反応を見せる。わざとらしいくらいだ。

 

「そんなことより、みんな。妖精のみんなは大丈夫ですかー!」

 

 焦りをかき消すように大声で叫んだ門番の声に対し、大丈夫でーす、と威勢のいい返事が聞こえてきた。紅魔館から一番遠く、茂みの中にいる彼女らは、切り株から転げ落ち、全身草まみれになっていたが、それでも白い歯を見せて笑っている。

 

「って、なんだ。あの早いのは藤原だったのか!」

 

 妖精たちの中でも一際元気な、真ん中の奴が妹紅を指差した。特徴的な氷の羽が揺れ、青い髪が逆立っている。私を氷漬けにした氷精チルノだ。

 

「やっぱり、藤原は大人げない!」

「藤原と呼ぶなと言ってるだろうが」

 

 ずかずかとチルノに近づいていき、脳天に軽くチョップを決めた妹紅は、腕をぶんぶんと振り回すチルノの頭を押さえながら、門番に目をやった。ほっぽりだされて地面に崩れ落ちた私のことなど見ていない。

 

「こんなところで妖精を集めて何をしていたんだ。まさか、良からぬことを考えているわけじゃないよな」

「そんな訳ないじゃないですか。えっと、藤原さん」

「妹紅だ」

 

 門番の被る緑色の帽子が揺れる。おそらく風で揺れただけだろうが、鋭い妹紅の視線がそれを動かしたのではないかと私は思った。なぜ彼女がそこまで怒っているか分からない。妖精愛好家か? 

 

「えっと、落ち着いてください。私はただ妖精の指揮をとってただけでして」

「しき?」

「そうだよ!」

 

 頭を押さえられていたチルノは、いつの間にかその手から逃れ、妹紅に抱きついていた。羨ましそうに他の妖精がチルノを見つめている。

 

「なんだよ、随分と懐かれてるじゃねぇか」

 私は、妹紅の体をよじ登ろうとしているチルノを指差し、肩をすくめた。

「餌付けでもしてんのか?」

「違うよ。こいつらも慧音の授業を受けてるから、よく会うんだ」

「あいつは妖精にも勉強は教えてんのか」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘、馬の耳に念仏、妖精に授業と呟く。こいつらに勉強を教えるとは、慧音はどれだけ暇なんだろうか。

 

「馬の耳に、なんだって?」

「何でもねえ。妖精が慧音から授業を受けてるとは世も末だなって思っただけだ」

「偉いでしょ」

 

 へへーん、とうざったらしく頬を緩めたチルノに、妹紅がまたもやチョップをかました。あいたっ、と頭に手を当てるチルノも、楽しそうに笑っている。

 

「チルノお前、いつも脱走してんじゃないか」

「凄いでしょ。頑張ってトイレに抜け穴を作ったんだ。秘密の抜け穴だよ!」

「凄くねえ、勉強しろ」

 

 チルノのこういう態度には慣れているのか、ぽんと頭を叩いた妹紅は、それで? と言葉を続けた。

 

「それで? こんなとこで何やってたんだ?」

「私たちはめーりんから歌を教わっていたのさ!」

 

 ぽかんと口を開けている妹紅に、我慢ならないといった様子で他の妖精たちが抱きついた。赤いもんぺに頬を擦り付け、もこーと甘えた声を出している。のんきなものだ。針妙丸はもっと小さいが、あれで頼りになるとこもあるというのに。

 

「うたの練習をしてたの!」「ずっとしてたんだから、えらいでしょ」「わがあるじレミリアって歌なの!」「がんばって練習していたんですよ」

 

 思い思いに妹紅に声をかける妖精たちは、じれったそうに目を細めた。親猫に群がる子猫のようだな、と思っていると「親猫に群がる子猫みたいですね」と隣にいた門番に声をかけられる。地面にへたり込んでいる私の隣に座り、隣いいですか、と訊いてきた。もう座っているのに、だ。

 

「お前、昨日私が言った通りだったじゃねえか」

「昨日? 何の話ですか?」

「言ったろ。門前でコンサートの指揮でも執るのかって」

「ああ、まあコンサートというには稚拙すぎますが」

「というか、何で妖精に歌なんて教えてんだよ。暇なのか?」

 

 あはは、と例の笑い声をあげた門番は、組んでいた足をほどき、地面を蹴った。ころころと転がっていく小石が門にぶつかり、子気味のいい音を立てる。その音に気分を良くしたのか分からないが、門番は「まあ、言っちゃっていいか」と表情を崩した。

 

「実はお嬢様の命令なんですよ」

「は? あのチビ吸血鬼の?」

「そうです。なんか、運命がどうこうで、怪我をした鬼人正邪という妖怪が来る。その妖怪は妖精にすら負ける貧弱な奴だから、それまで妖精を引き留めておいてくれって」

「よくそんな命令を聞く気になったな」

 

 今思えば、レミリアの部屋でのあの暴言は、理不尽な命令に対する意趣返しだったのかもしれない。そう思うと、確かにあの反応も仕方がないと言える。妖精に歌を教えるなんて苦痛でしかない。

 

「運命だなんて胡散臭い命令を信じたのか?」

「我が主様は、一応運命を操れるらしいんですよ」

 

 自称ですけど、と笑う門番の目は、冗談ではなく、本気のものだった。本気で運命を操るという言葉を信じている。

 

「例えばです。“門の前に不審者がでたら、そいつに慧音の友人かと聞け。もし否定したら、そいつが鬼人正邪だ”とか“血の話をすれば、きっと弱気になるはずだから、予めしておけ”だとか色々指示が出てるんですよ。計画を立てて」

 

 胡散臭い占い師。門番の話を聞いて浮かんだのはそんな言葉だった。レミリアが大きな水晶玉の前に手をかざす姿が頭をよぎる。そんなの、普段の私を知っていればいくらでも言えることだ。血に関する話だって、弱小妖怪が大妖怪にそんな話をされて、びびらないはずがない。それを運命というには無理がある。

 

「でも、たまに外れるんですよね。今回も正邪さんが帰ってくるのはもう少し後の予定でしたし」

「やっぱり出鱈目じゃねぇか」

 

 そうですかね、と照れくさそうに笑った彼女は急に肩を落とした。嫌なことを思い出したのか、苦悩に満ちたため息を吐いている。

 

「どうかしたか?」

「いえ。お嬢様の間違いで酷い目に遭ったので、つい」

 あなたのせいでもあるんですよ、と半目でこちらを見てくる。

「鬼人正邪が来ると言われてから、三日。一向に来ないあなたを待ちながら、私は延々と妖精に歌を教え、挙句の果てにもう一日追加されたんですから」

 

 よく門番の顔を見ると、目の辺りには相変わらず暗い影が浮かんでいた。なるほど。無邪気で、疲れ知らずの妖精相手に延々と歌を教え続ける自分を想像してみる。きっと、意地でも逃げ出すだろう。拷問となんらかわりもない。

 

「門番には忍耐力が必要なんです」

 こんどの彼女の言葉は、最初よりもうんと重く感じた。

 

 

 

「残念ながら、今お嬢様は外出中です」

 暴れる妖精を宥めながら、門番は疲れきった顔で薄く笑みを浮かべた。見ていて痛々しく、なぜか罪悪感を覚える。私は悪くないのに。

「でも、中に入って右にずっと進めば、お嬢様より頼りになるお方がいらっしゃるので、そっちに訊ねてください。きっと力になってくれますよ」

 

 そう言った門番は、また妖精たちを整列させ始めた。きっと、レミリアの指示があるまでは妖精の相手をしないといけないのだろう。不憫すぎて笑える。この私が不憫に思うほどだから、よっぽどだ。

 

 そんな哀れな門番を放置してきた私たちは、その遺言通りに紅魔館の廊下を進んでいた。視界が赤で覆われるこの感覚はいつだって慣れそうにない。

 

「すごい赤いな、この家は」

 初めて来たのか、辺りを見渡した妹紅は雪を見た子供の様にはしゃいだ。

「長い間生きてきたけど、ここまで真っ赤な家は初めてだ!」

「こんな家が他にあってたまるか」

 

 げんなりとした私は、妹紅により深く体重をかけた。速く歩けと急かす。はいはい、と分かったか分かってないような生返事をした妹紅は歩くのを諦め、飛び始めた。が、速度は歩いているときと一切変わらず、とろとろと進んでいる。ほへー、とよく分からない声で目をきらきらさせている妹紅は、何故か分からないが感動していた。

 

「なんだよ。この館を作った奴はいいセンスしているな」

「嘘だろ、お前」

 “嘘でしょ、あなた”

 

 私の声に被るように、どこからか声が響いた。また私の幻聴かと思ったが、どうやら妹紅にも聞こえているらしく、念話か、と冷静に呟いている。心当たりがあるらしい。

 

 いったい何が起きているか分からないうちに、急に視界が光で包まれた。館の壁や床、天井が一瞬で蛍光灯に変わったかのように、強烈な光が襲ってくる。思わず目を閉じた。平衡感覚が無くなり、どちらが上か下か分からなくなる。不安のあまり、妹紅にしがみついた。苦しいと耳元で言われるが、無視する。

 

 目を開くと、既に光は収まっていた。ほっと胸を撫でおろし、辺りを見渡す。あまりの光景に腰を抜かしそうになる。相も変わらず天井も床も赤いが、それ以外の光景が一変していた。単調に一本だった廊下にいたはずだが、いつの間にか他の場所へと移動させられていたのだ。

 

 最初、目の前にあるのは大きな壁かと思った。茶色の、高そうな木でできた仕切り用の壁だと。しかし、それは壁ではなく本棚だった。不自然に高い天井は30mは優に超えており、その天井に届く程の高さの本棚が無数に乱立している。そのどれもに本がみっちりと詰まっており、ここにある本だけでも私の知らない桁数まで数えなければならなそうだ。

 

「どう? 私の図書館は」

 

 落ち着いた、淡々とした声が聞こえ、視線を向ける。妹紅に抱えられているため、自由に動けなかったが、それでも私は後ずさった。こいつはヤバいと脳内の鐘が煩いくらいに鳴り響く。レミリアと同じくらいにまずい。慧音なんかより、よっぽどだ。

 

 無数の本が並んだ大きな机の前に座っている少女。彼女がその威圧感を放っていた。紫色の長い髪を垂らし、それは青白い顔と対照的に輝いていた。紫と薄紫の縦じまが入った、ゆったりとした服を着て、レミリアと同じような帽子を室内なのに被っている。目の辺りは暗く、酷く疲れているように見えるが、それが逆に彼女の不吉さを強調している。恐ろしい。恐怖のあまり、失禁しそうになる。

 

「なんだかなぁ」

 

 そんな私とは裏腹に、妹紅はずかずかとその声の主の方に近づいていく。止めろと繰り返し言うが、聞いてもらえない。せめて下ろせ。

 

「なんか辛気臭いよ、この部屋。どうせならこの本棚も赤く塗っちゃえばいいのに」

「嘘だろ」

 

 思わず私は口を出した。どうしてこんな強者に物怖じせずに生意気な口が叩けるか不思議だった。そんなことができるのは、天邪鬼である私ぐらいだと思っていた。

 

「嘘でしょ」

 

 私が言ったすぐ後に不健康そうな彼女も声を上げた。表情こそあまり動かなかったが、声色に驚きが混じっている。信じられない、と頭を抱えてすらいた。

 

「レミィと同じセンスの人が本当にこの世にいたなんて。やっぱり長生きしないと分からないこともあるものね」

 

 見た目は少女の様だが、やはり彼女も年齢と見た目が一致し無いらしく、すこしババ臭い仕草で髪を弄った。その大きな机に肘をつけ、偉そうに私たちを見ている。

 

「えみぃ?」

 妹紅が誰だそいつ、と乱暴な口を叩いた。

「えみって、そいつも魔女か?」

「知らないわよ。誰よ、エミって。レミィよ、レミィ。ここの主のレミリア・スカーレットのこと」

 

 呆れているのか、肩を震わせ、本の表紙をコツコツと叩いた。相変わらず声は単調で、表情は硬いままだが、意外に会話が好きなのかもしれない。私がそう思いたいだけか。

 

「ところで、あなた達は? レミィの言った話とはだいぶ違う展開なんだけど」

「人に名前を聞く前に、自分で名乗れと習わなかったのか」

 私も習っていないし、おそらく習ったやつの方が少ないだろうが、私は言った。

 

「面倒な性格してるわね。パチュリー。パチュリー・ノーレッジ。生まれながらの魔女よ。どう? 満足したなら、教えなさい」

「私が生まれながらのイノシシで、こいつが後天性の豚だ」反射的に私は言った。

「ちょっと待て」

 妹紅が私を支える手を離し、代わりに肩を掴んだ。ゆさゆさと揺さぶられる。あまり揺らされると、漏れてしまうからやめてほしい。

 

「誰が豚なのさ。どっちかといえば私がイノシシだろ。というか、後天性ってなんだよ」

「お前、豚を馬鹿にすんなよ。豚だってすごい。何ていったって、喰うとうまいんだぜ」

「だから何だよ!」

 

 バンと何かが音を立てた。戸惑ったが、それがこの部屋の主が机をたたいた音だと分かると、妹紅は気にせず、私は豚じゃないぞ、と私の肩を揺らし始める。

「ちょっと。私はあなた達の名前が知りたいんだけど」

「うるせぇ、鶏ガラ」

 

 おいおい妹紅。そんな失礼極まりない事を言ったら流石に怒られるぞ、私も同じことを思ったけど。そう口にしようとし、妹紅に目をやると、当の本人は何故か引きつった笑みを浮かべていた。

 

「正邪。それは言い過ぎだ」

「は?」

「せめて動物にしてあげてくれ」

 

 哀れみの目を向けてくる妹紅を見て、やっと、さっきの鶏ガラという言葉は私から発せられたものだと分かった。また、本能のせいだ。だが、後悔はない。当然だ。悪口を言うのは楽しい。

 

 しばらく、返事もせずに私を見つめていた鶏ガラだったが、意を決したかのように立ち上がった。ふわふわと浮かぶようにしてこちらに近づいてくる。その手には当然とばかりに分厚い本が握られていた。

 

「そこの包帯の妖怪。やっぱり、あなたは名乗らなくていいわ」

 

 頬を紅潮させて、小さな声で彼女は言った。その、しおらしく、いじらしい言い方は恋する乙女にも見えなくはないが、元の肌が白いせいで、久しぶりに外出した引きこもりが日焼けしたようにしか見えない。

 

「その異様な口の悪さと、図々しさから判断したわ。あなた、天邪鬼ね」

「違う」

「文献によれば、天邪鬼は逆のことしか言わないらしいわね。ていうことは、今のはあっているという事なのかしら」

「違う!」

 

 鶏ガラは笑っていた。が、頬を僅かにぴくりと震わせ、わざとらしく面白い、と手を叩いている仕草から察するに、彼女は怒っている。よっぽど鶏ガラが気に入らなかったらしい。私の本能も、まだまだ捨てたもんじゃないのかもしれない。

 

「そういえば、食料を貰いに来たのだったかしら。ああ、だから包帯なんて巻いているのね。残念だけど、今日はハロウィンじゃないのよ。というか、あなたは妖怪なのだから仮装なんてしなくても。ああ、あまりに弱すぎて、誰も妖怪と認識してくれないのね、可哀そうに」

 

 表情を一切変えずに、一息で言い切った。怒ると饒舌になるのか、すらすらと言葉が出てくる。魔力だろうか、彼女が口を開くにしたがって、後ろで得体のしれない何かが炎のように空間を揺らしていた。恐怖のあまり、身体が強張る。それが私に来ないよう祈るしかない。

 

「訳の分からないこと言わないでさ」

 

 妹紅が口を挟んだ。途中で言葉を切られたからか、ただですら細いその目を鶏ガラはさらに細めた。空間のぼやけが一瞬で消え去る。

 

「来た理由を知ってるなら、早く食料をくれよ。ほら、私という友人もいるし。これでそっちが出した条件を満たしたでしょ」

「あら? 本当にそうかしらぁ」

 もったい付けるように、語尾を伸ばした鶏ガラは、うふふと魅力的な笑みを浮かべた。首を傾げ、唇に人差し指を這わす姿は妙に艶めかしく、どきりとする。

 

「確か、レミィは“命を懸けてくれるような友人”を連れてこいといったはずよ。そこの白髪の人間が何者かはしらないけれど、本当にこんな奴に命をかける慈悲深い心はあるの?」

「慈悲深い心があるかは分からないけど、命をかけるのは得意分野だ」

「へぇ、そう」

 

 鶏ガラは目を細めた。試すように妹紅を見つめ、面白そうに頬を歪める。まるで、童話に出てくる悪い魔女のような、そんな表情だ。

 

「なら、これで頭を撃ちぬけと言われれば、出来るかしら?」

 

 鶏ガラの持つ本から光が溢れ始めた。コップから水が零れ落ちるように、輝きが漏れ出ている。何事かと緊張し、手を顔の前で交差する。彼女が魔法を使って攻撃してくると思い、妹紅の後ろに隠れようともがくが、そうした時には既に光は収まっていた。そして、その本の上に浮かんでいる物を見て愕然とする。

 

 見慣れた、直角に曲がった黒い金属がくるくると宙に浮かんでいた。中心に赤色で何か書いてあったが、知らない言語なので読むことができない。つい、真っ赤な天井を見上げて、いい加減にしろよ、と声を零した。馬鹿の一つ覚えのように、どうして誰もがこれを選ぶのか、と呆れる。弓や剣でもいいじゃないか。やっぱり、最近流行っているに違いない。

 

「この銃で、頭を撃ち抜いてみてくれるかしら?」

 顔に見合わない元気な声で、鶏ガラは笑った。

 

 

 

「ここを頭に当てて、そしてこれをひけばいいんだな」

 鶏ガラから銃を受け取った妹紅は、意気揚々とそう言った。竹トンボをもらった少年が、使い方を親に教わるように、ふむふむ、なるほどと何度も頷いている。その目は期待に溢れていた。

 

「ほら、ここを開けるとどんぐりみたいなのがあるでしょ。これが弾丸となって貫くのよ」

「へえ。これは魔女専用の武器なのか?」

「違うわ。人間が今もっとも使っている武器よ」

 

 それは私専用の特別製だけどね、と誇らしげに言った鶏ガラだったが、その目には僅かながら困惑が浮かんでいる。それもそのはずで、これから死ぬ人間が楽しそうに武器を弄る姿は普通ではなかった。が、残念なことに彼女は、普通の人間ではない。

 

「それなら、ちょくら死ぬとするか」

 

 その辺を散歩してくる、と言わんばかりの気軽さで、妹紅は銃を頭にあてがった。血が飛び散ってもいいようにか、私たちから距離を取り、棒立ちで佇んでいる。その姿は、敬礼している兵士のようであったが、兵士とは違い一切の緊迫感もない。

 

「本当にいいのね」

 鶏ガラが念を押す。それは妹紅にではなく私に向けられていた。

「本当に、友達が死ぬのよ。いいの?」

「死なない。こいつは多分死にやしない」

 

 だって、こいつは不老不死だから。その答えが不満だったからか、鶏ガラは面倒そうに視線を妹紅へと移した。が、落ち着かないのか、手元の本をしきりにいじり、中身が空のコップの持ち手を撫でている。

 

 私はふと、博打に行った時のことを思い浮かべた。暇だから、という理由で烏に誘われて、天狗が主催する賭博場へと連れていかれた時のことだ。

 

 妖怪の山にあるその賭博場に人間の姿はなく、河童や天狗など、妖怪の山の妖怪で溢れていた。その中では余所者の私は目立ったらしく、積極的に声をかけられた。チンチロをしないかい? と声をかけてきた河童もその内の一人だ。「このわくわく感はたまらないよ!」と楽しそうに笑う彼女たちを断ることができず、しぶしぶ参加させられた。

 

 結論から言えば、私はこてんぱんにされた。後から烏に聞いたが、河童が用意したサイコロには仕掛けがしてあり、狙った目を出せるようにしていたらしい。つまりはイカサマだ。河童たちは、自分達の勝ちという結果が分かっていたのだ。

 

「このわくわく感がたまらないよ」と嘯く河童の顔が憎らしく思えた。

 

 いま、強ばった面持ちで妹紅を見つめる鶏ガラを見た私は、得も言われぬ高揚感を感じていた。口元が緩み、皮膚が引っ張られ首が痛む。それでも私は笑みを堪えられなかった。「このわくわく感がたまらないよ」なるほど。確かにたまらない。死なない人間なんて、サイコロなんかよりよっぽどタチが悪いイカサマだ。絶対にバレることは無いだろう。

 

「いちにのさんで撃つぞー」

 間延びした妹紅の声が響くと、すぐにいーち、とカウントダウンを始めた。

「にーの」

 

 図書館内に緊張が走る。誰かが唾を飲む音がした。誰か。私だ。そもそも緊張しているのは私だけで、鶏ガラは面白くなさそうに本を読み、当の本人にいたっては、むしろ清々しい表情だった。

 

 妹紅の息を吸う音が聞こえた。来るぞ来るぞと胸が沸き立つ。頭を銃弾が貫通したにも関わらず、けろりとしている妹紅を見て、その眠そうな目を見開く鶏ガラの姿を想像する。素敵な光景だ。私の視線は既に鶏ガラに向けられている。彼女の驚いた表情を見逃さないためと、後は単純に、脳漿をぶちまける妹紅の姿を見たくなかった。

 

「さんっ!」

 

 妹紅が叫び、バン、と一際大きな爆発音がなった。

 

 

 

 おかしいと気がついたのは、一度大きな爆音を響かせた銃が、間髪入れずにまた大きな音を鳴らした時だ。おいおい、いくら死なないからといって二回も撃つ奴があるかと振り返ると、もう一度音がし、それを切欠に立て続けに音が響いた。無数の爆竹に同時に火を点けた時のような、耳が痛くなる音だ。

 

 驚いた私はその場に座り込み、まじまじと妹紅の方を見つめた。見て、愕然とする。妹紅は銃を持った手を上に掲げ、ぽかんと口を開けていた。彼女に一切の怪我はなく、絨毯には一滴の血もついていない。

 

 彼女の持つ銃の、ちょうど持ち手と砲塔が交差するあたり、Lという字の直角に曲がる場所から、天井に向かい数多の花火が打ちあがっていた。

 

 訳が分からないが、事実なので仕方がない。赤、青、緑と様々な色の小さな打ち上げ花火が図書館を輝かせている。虹色の菊の花が宙に浮かび上がり、消えたかと思えばまた浮かび上がる。赤色の天井が花火の色を引き立て、美しい。

 

 私は、その花火が銃から発せられているものだということすら忘れ、しばらく見入っていた。雨のように垂れてくる花火が打ちあがったかと思うと、それを打ち消すように一際大きな花火が上がった。この館のように真っ赤なその花火は、赤い月のように輝き、そして消えていく。キラキラと光る火花が消え、焦げ臭い火薬のにおいと、天井に漂う白い煙だけが残った。一気に静寂がおとずれる。

 

「と、いうわけで」

 突然声をかけられ、びくりとする。声のした方を向くと、本を閉じた鶏ガラが自慢げに笑っていた。

 

「ドッキリ大成功ってところかしらね」

「は?」

 

 彼女の言葉の意味が分からず、私は呆然としていた。いったいどういう事だと、あたふたと妹紅に訊ねる。いま何が起きたんだ。

 

「あっはっは。これは傑作だ。いいね! 面白い」

 

 私を無視し、妹紅は腹を抱えて笑った。繰り返し銃を、いやそれはもう銃ではないことは分かっていたが、とにかく手に持った銃のようなものを弄っている。妖精に負けないくらいに無邪気で純粋だ。慧音と仲がいい理由が分かった気がする。

 

「どう? 天邪鬼はびっくりした?」

「何がどうなってんだ」

 状況を飲み込めていない私を馬鹿にしているのか、鶏ガラは鼻で笑った。座り込んでいる私の前に立ち、本を開く。

 

「言ったでしょ、ドッキリよ。レミィが企画したの」

「悪趣味だ」

「この館を設計したのよ。悪趣味に決まってるじゃない」

 鶏ガラが本に何かを書き込んでいるのが、音で分かった。

 

「本当は、もう少し感動的にしてほしかったのだけれど。“お前のために、私は死ぬ”“そんな! こんな下賤な天邪鬼なんかの私のために! ”ってね。意外にさばさばしてて、面白みにかけたわ」

「面白い天邪鬼がいてたまるか。何だってこんな面倒なことをしたんだよ」

「レミィの言葉を借りれば“真の友情を見せた者にのみ、慈悲をくれてやる”らしいわよ」

「なにが真の友情だ。あほくせぇ」

 

 鶏ガラが言うには、本来であれば、私が連れてきた友人は銃を見て恐れ、怯えつつも何とか私のためと自死を決意し、それを涙ながらに見守る私は、その友人の慈悲深い心に心酔する。そして、銃が偽物であると分かった瞬間、たまらず抱きしめ合い、二人の仲を祝福するかのように花火が空を覆いつくす、なんて予定だったらしい。だが、思いの外に妹紅が死に対して躊躇せず、私も一切の動揺を見せなかったので、鶏ガラは困惑したのだ。

 

「まあ、何にせよ食料は貰えるわけだな」

「そうね。あ、動かないで。あと少しで終わるから」

「さっきから私の前で本を広げて何をしているんだ。写生か?」

「違うわよ」

 

 そうは口にしつつも、本とペンが奏でるカリカリとした音は止まらない。体を動かそうにも上手くいかなかったので、仕方なしに妹紅に視線を移した。遠くにいたはずが、いつの間にかすぐ近くまで来ていて、驚く。

 

「なあ、これどうなってんだ? こんな小さな筒の中に花火がしまい込んであったのか?」

 

 妹紅の背がみるみる縮んでいき、針妙丸と同じくらいの大きさになった。鶏ガラのスカートのすそを引っ張り、教えてよー教えてよーと駄々をこねている。目をぎゅっと閉じ、頭をふる。そして重い瞼を持ち上げると、妹紅の背は高くなっており、握っているのはすそではなく、肩になっていた。だが、教えてよーと駄々をこねているのは変わらない。

 

「ちょっと、揺らさないで。魔法よ魔法。魔法を使ったのよ」

「マジか。凄いな魔法」

「当然でしょ。魔法は何でもできるのよ。ほら、その銃だって本物そっくり。実は人里にも結構な数それを売り払っていたりするのよ。凄いでしょ。私にとって、見た目だけ完全に同じで、性質がまったく異なるものを作る事なんて、朝飯前よ」

「こんな時間になって朝飯を食わねえからそんな鶏ガラみたいに血の気が悪いんだ」

「煩いわね。魔法使いは食事をしなくても生きていけるのよ」

「マジか。凄いな魔法は」

 

 そう言いつつ、なぜか妹紅は私の懐にその銃を押し込んできた。いらない、というがいいからいいからと強引につめていく。そういうところも慧音にそっくりだ。

 

 そんな下らないことを考えていると、急に体が軽くなった。全身に刺さっていた針が消え、傷がみるみる塞がっていくかのように痺れが取れていく。突然のことに驚きながらも、ためしに立ち上がり、ぴょんぴょんと跳ねてみた。問題なく体は動く。それどころか、普段よりも調子がいいようにさえ思えた。

 

「どうかしら? しっかり怪我はなくなっているんじゃない?」

 腹の包帯の隙間から、様子を窺う。青黒く変色していた鳩尾が、きれいな肌色へと戻っていた。軽く押してもまるで痛みがない。信じられないが、完全に傷が治っている。

 

「これも魔法か?」

「感謝してほしいわね。普通だったら一生分の財産ぐらい要求するけれど、今日はそうね。本一冊で許してあげるわ」

「ただではないのか」

 けちだ、と指さして妹紅が笑う。

「ほら、よく言うじゃない。ただより高いものは無いって」

「言わねぇよ」

 

 そうは言いつつも、私は懐を探った。鶏ガラに本を渡そうと思ったのだ。慧音の家から拝借した、あのボロボロの本を取り出し、投げつける。綺麗な弧を描いて鶏ガラへと向かっていった本は、途中で軌道を変え、落ち葉が落ちていくように机へと着地した。

 

「驚いた。まさか本当に本を持っていたなんて」

 

 よっぽど意外だったのか、彼女は私が投げた本を手に取り、偽物じゃないわよね、と呟きながら弄っている。そして、それが本物だと分かると、太陽のような笑みを浮かべた。今までの、隠屈とした顔からは想像もできないような、いい笑顔だ。壊しがいがある、幸せな笑みだ。

 

「あなたの肌はこの本にそっくりですね」

 

 どういう意味よ、とまた暗い顔にまで戻った鶏ガラを見て、私は頬を歪めた。

 

 このわくわく感がたまらない。


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