天邪鬼の下克上   作:ptagoon

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3章
小槌と大義


――天邪鬼――

 

「打ち出の小槌を振ればいいの?」

 何も理解していない哀れな針妙丸が、私に向き合い、首を傾けた。

 

 人里と妖怪の山のちょうど中間地点に私たちはいた。清々しい青空に、憎々しげに浮かんでいる太陽が私たちを見下している。にも関わらず、肌を切るような寒さは一向に和らいでいない。風が吹いていないのに、草原がざわめいた気がした。そんな些細なことすら気になる程に、私は緊張している。

 

「私の、いや、私たちの野望のためだ」

 言葉を一つ一つ紡ぎ出すように、慎重に言う。そうしないとボロが出てしまいそうだった。

 

「私たちって、その野望には私も関わっているの?」

「むしろ当事者だ」

 

 大きく息を吸う。自分の腹が膨らむのが分かった。鶏ガラの「止めておいた方がいいんじゃないかしら」と珍しく心配そうな表情が浮かぶ。いや、そういう訳にはいかないのだ。もし実行しなかったら、私は死んでも死にきれない。

 

「お前、自分以外に小人を見たことがあるか?」

「ないよ。だから寂しい」

「理由を考えたことは」

「ないなー」

 

 そうだよな、と相槌を打つ。今の言葉に不審な点はないか、頭の中で何度も確かめた。が、針妙丸が私の言葉を疑うほど、捻くれた心を持っているとは思えなかった。

 

「迫害されたんだよ」

「え?」

「強者に酷い目に遭わされたんだ」

 

 どういうこと? と針妙丸は眉を傾ける。言葉尻から不穏な気配を感じ取ったのか、顔が強張っていた。どういうことか、と聞かれても困る。私もそこまでは考えていなかった。

 

「むかしな、強い奴らに酷い目にあわされたせいで、小人はひっそりと暮らさなきゃならなくなったんだ。そのせいで、幻想郷にはお前しか小人がいねえんだよ」

「そんな! 酷い!」

 

 ああ、その通り。酷すぎる嘘だ。私もついにこんな嘘しかつけなくなったのか、と呆れる。

 

「お前がその小槌を振れば、願いが叶う。そうだろう? だったら、見返してやろうぜ」

「見返すって、どうやって」

「ひっくり返すんだ。逆に考えろ」

 

 奥歯を噛みしめ、悔しさをこらえる。目的のためとはいえ、針妙丸に嘘をつくのは、なぜか心苦しい。が、戸惑ってはいけない。多少の犠牲はもはや仕方ないのだ。

 

「強者が弱者を支配するのではない、弱者が強者を支配するんだ。幻想郷を本当の理想郷に変えようぜ。さあ、弱者が見捨てられない楽園を築くのだ!」

 

 だらしなく口を開けたまま、針妙丸は突っ立っていた。私の言葉が理解できなかったのか、と心配になったが、その口元を段々とにやけさせていき、手を叩いた彼女を見て、安堵の息が漏れる。こんなところで棒に振っては、たまったものではない。

 

「いいね! 面白そう」

 

 ご先祖様の無念を晴らすんだね! と満開の向日葵のように、辺りを照らす暖笑を見せる。そこには一切の影もなく、清らかなままだった。少しの安堵と後ろめたさに襲われる。私のせいで、と口走りそうになった。

 

「でも」

 

 晴れ晴れとした表情を一瞬にして曇らせた針妙丸は、不安そうに手に持つ小槌を見つめた。どこか不思議そうに小槌を撫でる彼女の仕草を前に、私は内心どぎまぎしていた。大丈夫だろうな、鶏ガラと心の中で何度も呟く。

 

「でも、なんて願えばいいの?」

「簡単だ」

 

 ほっと胸を撫で下ろしながら、私はその言葉を彼女に告げた。正真正銘の魔法の言葉だ。間違えないようにと、噛みしめながら一音一音発音すると、なぞるように針妙丸も繰り返す。にこやかに口を動かす彼女を前に、私は怯える心を強引に立て起こした。

 

 覚悟はあるか。自分自身に問いかける。イノシシは、自分の身を省みず、とにかく前に進むのだ。例え、その先が奈落の底だろうとも。覚悟はあるか。あなたに、世界を捨てる覚悟はあるか。世界に捨てられる覚悟はあるか。すでに答えは決まっていた。

 

「なら、振るよ!」

 

 そう云うや否や、右手に持った小槌を一目見た彼女は、軽々とそれを上下に振った。止める暇すらなかった。躊躇する私の心を無視するかのように、彼女は元気に小槌に声をかける。まあ、いいか。これで損をする人物はいなくなった。ハッピーエンドに向かうはずだ。一寸法師の物語のように、最後は円満でみんな笑顔に。何とも現実離れしているが、それでも私はそれを望まずにはいられない。“お前は人間よりも人間らしい”その通りだ。夢見る天邪鬼。もはや、この言葉の羅列が矛盾しているが、それでもいいかと思った。

 

「それなら、正邪も一緒に叫んでね」

 いくよー、と声をかけられる。震える心を奮い立たせ、喉に空気を入れた。何を恐れる必要がある。地獄よりも恐ろしい所なんて、今と変わらないじゃないか。

「せーの」

「「すべてをひっくり返せますように!」」

 

 小槌がシャリンと音をたて、視界が光に包まれる。体に黒い何かが押し寄せてくるような、そんな気がした。胸の内を虫に食い破られている気分だ。その穴に確かに何かが押し込まれていく。間違いない。地獄への片道キップだ。

 

 光が段々と退いていく。どこか嬉しそうに微笑む針妙丸が、両手を開き、私の胸に飛び込んだ。支えきれず、そのまま草むらに倒れ込む。彼女の手に持った小槌が点々と転がっていくのが見えた。えへへーと、子供の様に笑う彼女の胸を小突く。

 

「何しやがる」

「いやー、これで正邪も仲間だなって」

「どっちかといえば、共犯だな」

 まとわりつく彼女を引き剥がし、空を見上げる。そこには、立派な城が上下逆さまで宙に浮かんでいた。

 

 

 

 

 

――魔女――

 

「二度あることは三度あるというけれど」

 目の前に座る、もはや紅魔館の常連となりつつある妖怪に向かい、私はわざとらしくため息を吐いた。

「だからといって、なにも何度も怪我しなくてもいいじゃない」

 

 開いた本を閉じ、彼女をちらりと横目に見る。どこでどうしたらそんな怪我を負うのだろうか。あまりの多種多様な怪我に、むしろ称賛を送りたくなる。たくさんの怪我をしたで賞を勝手に心の中で授与した。

 

「仕方ないだろ。二度あることは三度あるなら、三度あることが四度あっても」

「死ぬわよ、あなた」

「私は死なねぇよ」

 

 貧乏ゆすりをしながら、正邪は刺々しく言った。その、鋭い目で図書館を見渡し、落ち着きなく額をさわっている。顔は青白く、一向に私と目を合わそうとしない。そのいじらしく微笑ましい仕草のせいか、まるで人間のように見えるが、怪我のせいか心的外傷のせいか、死人のように生気がない。気合で軽口をたたいているようにも見えた。それでも、うわ言のように、「私がやるしかない」と唱えていた時よりは、ましだ。

 

 今日の紅魔館はいつにも増して騒がしかった。レミィが妖怪の山の会議から帰ってきてからというもの、様々な細かい指示が私たちに出されていたが、その密度が今日になって急に増した。

 

 やれ壁のこの位置に札束をぶら下げておけだの、本の並びを少し変えておけだの、正直言って面倒くさいことばかりだったけれど、珍しく真面目な親友の頼みを断ることはできなかった。そのせいで、正邪が来た時には館の誰もが疲れ切っていた。あの美鈴ですら「いい転職先知りませんか? 図書館の司書とか」と不満をこぼすほどだ。

 

 だから、正邪が傷だらけで門の前に来た時、私は喜びのあまり拳を握った。「しばらく正邪の面倒を見てくれ」レミィの最後の命令を思い出す。無駄に広いこの館をいったりきたりするよりは、口の悪いこの弱小妖怪と話す方がまだマシだ。

 

「いいから、早く治してくれ」

「私は医者じゃないんだけれど」

「お前みたいな不健康な顔つきの医者がいてたまるか」

 

 あなたは本当に治してもらう気があるのか、と言い返そうとしたが、止めた。彼女が怪我をしてここに来るのは初めてのことではなかったし、暴言を吐き続けるのも初めてではなかった。そして何より、そんな失礼極まりない彼女に呆れながらも、回復魔法をかけてしまうのも初めてではないのだ。私はいつからこんなに優しい魔女になったのかしら、と自嘲気味に呟いてしまう。いったい、誰から影響を受けたのやら。

 

 手早く詠唱をすまし、魔法を発動する。最近ではこの魔法を使いすぎて、魔導書が勝手にこの魔法のページを開くようになった。そのことを部下に笑いながら話したら「そんなんだから、いつまでたっても本の虫どまりなんですよ。いつかは蛹になって、蝶にならないと」と馬鹿にしているのか励ましているのか、よく分からないことを言われた。それもこれも、全て正邪のせいだ。

 

「おい、まだか」

「え?」

「正直に言えば、もう結構きついんだ。早くしてくれ」

 

 青白い顔で、正邪はカタカタと震えていた。魔法をかけたのにも関わらず、相変わらず腹からは内臓が覗いている。どういうことか、と首を捻ったが理由はすぐにわかった。単純に、彼女の傷が私の魔法の治癒力で足りないほどに重症なのだ。分かりやすく言えば、死にかけている。焦りを感じつつも、私は呆れていた。どうして一月の間に2回も致命傷を負うのか。しかも、いずれも人里で、だ。

 

 魔導書をひっくり返し、急いで目当ての項を開く。手早くも慎重に術式を唱えると、先に束ねた毛がついた細い杖が飛び出した。それをつかみ、レミィを念話で呼び出す。

 

 そうこうしてるうちにも、正邪の容態は悪くなっていった。はやる気持ちを抑え、レミィの登場をまだかまだかと待ち続ける。図書館の、無駄に大きい扉を見つめていると、バタンと大きな音がし、小さな吸血鬼が飛び込んできた。間髪入れずに手に持った杖を正邪に持たせ、レミィに向けて振るように伝える。その時の掛け声も忘れないように、と念を押した。

 

「痛いの痛いの飛んでいけ」

 

 正邪とレミィが同時に珍妙な掛け声を叫ぶと杖の端から光が溢れだした。かと思えば、一瞬にしてレミィの体に傷が刻まれた。あちらこちらから血を吹き出し、骨が折れる音が聞こえる。だが、それでも親友は一切動じることなく、ただそこに立っていた。

 

「私だって痛みは感じるのだぞ」

「そんなことは知っているわ」

 

 はぁと息を吐いたレミィは、ちらりと正邪を見た。そして、あっと声を漏らし、私の元へと歩いてくる。腕を組みコツコツと歩いている姿は、幼さと共に気品が感じられた。

 

「パチェ、ケチャップ知らないか?」

「ケチャップ?」

「ああ。一週間くらい前におやつ用に買ったんだが、無くなっていた」

「ケチャップをおやつにするなんて、まるで吸血鬼みたいね」

「私は吸血鬼だ」

 

 諦めたのか、それともケチャップなんかのために時間を使うのが惜しくなったのか、何も言わずに去っていった。 そんなレミィの背中から目を離し、床に座り込んだままの正邪に目を落とす。顔は青白いままだったが、傷は無くなっていた。剥き出しだった内臓もきちんと皮膚の下へと戻っている。

 

「魔法ってのは何でもありなんだな」淡々と正邪は言った。

「何でもじゃないわよ。さっきの魔法だって、傷を治したんじゃなくて、レミィに移しただけなんだから。この魔法はどんな怪我も呪いも治せる。正確には治ったようにみせる事ができるけれど、実際はただ移動させているだけなのよ。強い力には代償がつきものなの。レミィに感謝しなさい」

「それにしても、痛いの痛いの飛んでいけとは滑稽な掛け声だな」

「うるさいわね。文句はレミィに言いなさい」

 

 そこで会話は終わるだろうと思っていたが、彼女は予想の他興味を持ったのか「その魔法は変な杖が必要なのか?」と訊いてきた。誰であっても魔法に関心を持ってくれるのは大歓迎だ。自然と頬が緩んでいるのが自分にもわかった。

 

「杖が必要というか、この杖に魔法を仕込んであるのよ。特定の言葉を言えば魔法が発動するように」

「魔法の杖ってわけか」

「レミィ曰く“痛いの痛いの飛んでい毛”らしいわよ。だからわざわざ馬の毛を杖の先に」

「馬鹿じゃねえの」まだ痛みが引かないのか、床に座り込んだまま正邪は抑揚なく言った。

 

 時計に目をやる。15時ぴったり。吸血鬼のくせに昼型の生活に挑戦しているレミィが、眠い眠いと文句を言いはじめる時間帯だ。かくいう私も、朝から忙しかったからか眠気が押し寄せてくる。

 

「そういえば、ケチャップが無くなったとか言ってたが」

 椅子に深く座り直した正邪は、切れ目が入った服に手を入れ、ごそごそと弄っていた。

「私が前貰っていってたんだ」

「何してんのよ」

「まあ、穴が空いて全部ぶちまけたんだけどな」

「本当に何してるのよ」

 

 ふん、と不敵に笑った彼女は、怪我の具合を確かめているのか、ペタペタと自分の身体を触り、思いついたかのように席を立った。私に背を向け、本棚の方へ歩いていく。

 

 奇しくもそこは、今朝レミィに整頓をさせられた本棚だった。これも、運命によって決まっていたのだろうか。その本棚に積まれているのは日本の童話だった。幻想郷に引っ越す際に、民間伝承を調べる資料にしたものだ。一度目を通してからしばらく放置してあったが、今日久し振りに整頓をした。その内の一冊を、正邪は乱暴に抜き取った。もっと丁寧に扱ってほしいものだ。

 

「なあ、この本貰っていってもいいか」

「良いわけないじゃない」

「なんでだよ。こんなにあるんだから一冊くらい無くても平気だろ」

 断ったにもかかわらず、彼女はすでに本を懐に入れようとしていた。

 

「その理屈でいえば、あなたの歯から一本抜いてもいいってことね」

「良いわけないだろ。本はまた買えばいいが、歯はもとに戻らない。価値がちげぇよ」

「あら。歯の一本や二本は魔法で何とかなるわよ」

 

 おお怖い怖い、と馬鹿にするように鼻を鳴らした正邪は、不貞腐れたのか、舌打ちをして、何も言わずに席に戻った。その手にはきちんと本が握られている。ちゃっかりしているというか、意地汚いというか。

 

 広い机に私と向かい合うように座った彼女は、表紙をめくり、真剣な顔つきで見つめている。とても、童話を読んでいるようには見えない。そもそも、天邪鬼が真剣に本を読んでいる姿は、それだけで新鮮だった。

 

 ぺらりと、紙が互いにこすれる音だけがその場を支配する。乾いたインクと、埃の匂いが鼻につく。嗅ぎなれた本のいい匂いだ。目の前に広がる文字列、そして香りは、私を優しく包み込み、溢れる知識の毛布にそっと添えてくれる。頭に新たな情報が加わる度、得も言われぬ快楽が押し寄せてきて、思考はその都度加速した。

 

 その加速した私の脳が、ふと、一つの疑問を紡ぎ出した。手に持っている魔導書の様子が、いつもとは違うのだ。魔導書、といっても本には違いないのだから、様子も何もあるはずないのだけれど、明らかな違和感があった。ページを捲ろうとすると、不自然に紙が手に吸い付き、きれいに目当ての場所まで移動する。逆に、一つのページを熟読しようとすると、本の折目が伸ばされ、分厚い本の最初のページにも関わらず、手で押さえることなく読むことができた。

 

 最初は、この本にかけられた魔法のせいだと思ったが、それにしては本に魔力が籠っていない。そもそも、術式すら存在しなかった。

 

 疑問が確信に至ったのは、正邪が読んでいる本の様子だった。彼女が読んでいるのはただの童話で、魔導書ではない。当然魔法は一切かかっていないはずだ。けれど、その本はまるで生きているかのように蠢いていた。正邪の手から逃げるように右に逃げ、上に飛び、捲られているページを強引に閉じようとしている。普通の本がしていい動きではなかった。

 

 しかし、それよりも妙だったのは、そんな本の態度を意に介さず、無理矢理押さえ付けている正邪の方だ。暴れ狂う本に眉一つ上げず、体重をかけて熟読している姿は異様としかいえない。まさか、彼女は普段から凶暴な本を読んでいるわけではないはず。だとすれば、彼女はこの違和感の原因を知っているに違いない。

 

 そう思うと、肝が冷えた。正邪に馬鹿にされることを恐れたわけでも、身の危険を感じたわけでも無い。もし、正邪がこの本にこびり付いている力に心当たりがあるなら、発生源に関与しているなら、面倒なことになる。

 

「なあ、少しばかり鶏ガラに聞きたいことがあるんだが」

 私が彼女の手に持つ本を注視していたからか、正邪の方から私に切り出してきた。

「もしも。もし、異変を起こしたとしたら、その妖怪はどうなるんだ」

「急にどうしたの?」

「いいから、答えろ」

 

 本から目を離さずに、彼女は言った。その声にはどこか危機感が溢れている。私は今まで異変を起こした連中の現在を思い起こしていた。

 

「まあ、一度巫女に締められれば、あとは結構自由よ。よっぽどのことをしでかさなければ、逆に巫女と知り合いになれて、色々得することも多いわ」

「よっぽどのことって、どんなことだ」

「そんなの知らないわよ。幻想郷を壊そうとするとかじゃないの?」

 

 博麗神社を地震で壊した天人崩れの生意気な声が頭に響いた。確かあの時、八雲紫はかなり怒っていたはずだ。それでも彼女が殺されたり、封印されていないことを考えると、それくらい大それたことをしない限りは大丈夫だろう。まあ、それでも巫女に怒られるのは生半可な恐怖ではないけれど。

 

「幻想郷を壊す、ねえ」どこか意味深に声を漏らした正邪の顔は、心なしか青白い。窓がないのに、外の様子を気にしているのか、しきりに西を見つめていた。

「安心しなさい。あなたみたいな小物に異変なんて起こせないわよ」

「小さい奴ほど、何をしでかすか分かんねぇんだよ」

 

 苦々しく口を歪めて、もしも、と小さく呟いた。言いづらいのか口をまごつかせている。いい知らせでないのは分かった。自然と、手に力が入る。

 

「もしも、逆さまの城を幻想郷に生み出したとしたら、願いの対価に発生させてしまったとしたら、これは異変になるのか?」

「え?」

「だから、逆さまの城だよ。あるだろ、外に」

 

 開いていた本がぱたりと閉じた。声にならないような、小さな悲鳴が図書館に木霊する。私の声だ。聞き間違いじゃないかと、何度も正邪の言葉を頭でなぞるも、結果は変わらなかった。妖怪の山と人里の間に浮かぶ、逆転した城。つい先ほど、レミィが発生を予言し、そしてその十分後に誕生した悪意の城。その禍々しい姿は、既に脳裏に染みついていた。暗い顔をしたレミィの顔と、残酷な言葉がガンガンと胸を叩く。

 

「何だよ。なに黙ってんだよ」不安を隠そうともしない正邪の声が、どこか遠くに聞こえた。その反応で、あの城とこの弱小妖怪との関係性は既に明らかになっているようなものだ。

 

「死ぬわよ、あなた」

 口から出たのは、心底辛そうに笑うレミィの運命の言葉だった。

 

 

 

 

――白沢――

 

「ふざけんじゃねぇよ!」

 

 胸ぐらを捕まれ、壁に体を打ち付けられる。木の軋む鈍い音が響いた。妹紅の強すぎる力に寺子屋が悲鳴をあげているみたいだ。

 

「離してくれ。帰ってきたばかりで疲れているんだ」

「慧音!」

 

 服を握る手に血管が浮かび、顔を近づけてくる。妹紅の白い髪が鼻をかすめた。荒い鼻息が頬を撫で、彼女の赤い目が私を糾弾してくる。許してくれ、と口の中で呟いた。こんなつもりじゃなかったんだ。

 

「お前、今正邪がどんな状態か知ってんのか。あいつがどんな思いで食料を貰ってきたか知っているのか!」

 

 妹紅がここまで怒るのも久しぶりだな、とどこか他人事のように考える。ただ罪悪感から逃げたかっただけかもしれないが、それでも妹紅が私に食って掛かるのには驚いた。私が自殺をしようとした時以来だろうか。正邪のために感情を露わにするなど、想像もしていなかった。この二人が知り合うとも思わなかったが、そもそもタイプ的に反りが合わないと勝手に思い込んでいたのだ。

 

 あの天邪鬼には、どこか人を惹きつける何かがあるのだろうか。あの憎らしくも憎めない弱小妖怪は、人に好かれやすいとでもいうのだろうか。いや、絶対にない。むしろ、逆だ。どう足掻いても彼女は嫌われるに違いない。それが、今回の事の顛末であり、結論であった。

 

「私は」

 

 唇が乾いていたからか、口を開くと顔に痛みが走った。言い訳なんてしなくていいか、と一瞬思いなおしたが、妹紅との間で隠し事をするのも憚られる。結局、私は思いの丈をぶつけようと決めた。妹紅となら、そんなことで溝が生まれることもない。そう信じることにした。

 

「私はただ、彼女がこれ以上人里で嫌われるのを防ぎたかっただけなんだ」

「知ってるよ」

「もし、正邪が食べ物を持ってきたら、少しは人里のみんなも受け入れてくれると思ったんだ。“意外にこいつは優しい奴だ”って、分かってくれると、射命丸の新聞は何かの間違いだったかも、って少しは信じてもらえると思った。それが、正邪の望むところではないことも知っていたけど、それでも私は」

「知ってたんだよ、そんなことは!」

 

 尖った犬歯を剥き出しにした妹紅にもう一度壁に叩きつけられる。痛みはそれほどない。正邪の受けたものに比べたら、いや、比べることすら烏滸がましいか。正邪の受けた痛みは、身体的にも精神的にも、尋常ではない。それこそ、大妖怪ですら哀れみの目を向ける程に。

 

「慧音があいつを紅魔館に行かせた理由は知っている。何年の付き合いだと思ってるんだ。慧音の考えてることは大体わかる。だけど。だけどなぁ、正邪がその持ってきた野菜を盗んだと勘違いされたのを、それで村八分にされているのを黙認しているのが気に入らないんだ!」

 

 妹紅の瞳には涙が溢れていた。「あいつはな、口では嫌だとか渡さねえとか言ってたけどな、どこか嬉しそうだったんだよ。魔女から野菜を受け取った時なんて、子供の様に七面相してたんだ。それなのに、こんな結果って。こんなのありかよ!」

 

 寺子屋に静寂が訪れる。どうしてこんなことに、と声が零れてしまう。まさか、人里に帰ってきたら、私のせいで正邪が更なる悪評を被っているとは思いもしなかった。人里に燻ぶる不穏な雰囲気に気がつかなかった自分に腹が立つ。安易に行動を起こし過ぎた。だが、いくら後悔したところで、時間は戻らなければ、正邪の立場も回復することはない。

 

「私だって、何とかしたいさ」

「なら」

「でも、もう遅いんだよ」

 

 人里に帰ってきた瞬間のことを思い出す。たくさんの人たちが表情を明るくし、「先生のいない間に自分たちで悪い妖怪を退治したんだ」と意気揚々と話しかけてきた。そのたびに私は、その妖怪は悪い妖怪ではない。彼女は本当に紅魔館から野菜を貰ってきたんだ。私がそう頼んだんだ、と主張した。

 

 が、そうすると決まって彼らはこう笑うのだ。「先生、何もあんな妖怪まで庇わなくてもいいんですよ」と。当然私は何度も反論した。が、全く取り合ってもらえなかった。おそらく、妹紅もそうなのだろう。私と同じように、いや私以上の時間をかけて正邪の無罪を訴えたに違いない。だが、誰もまともに受け持ってくれなかったのだ。

 

「正邪は私が紅魔館へ運んだよ」

 消え入りそうな声で、妹紅は言った。その顔からは既に怒りは退いていた。ただ、悲しみだけが溢れている。

 

「人里の外の墓場で座ってたんだ。全身に怪我を負ってな。この私が認める重傷だったよ。訳を聞いてもはぐらかされてね。紅魔館に連れていけの一点張りだった。それで、門番にあずけたんだ。ま、私は追い出されたけどな」

「どうして、紅魔館に」

 

 レミリアの幼いながらも邪悪な姿が目に浮かぶ。まさか、と恐怖した。まさか、彼女は正邪を殺したりはしないだろうか。

 

「魔女に怪我を治してもらう腹積もりらしいよ。まあ、上手くいったかは分からないけどね」

 

 ひとまず安堵のため息を吐く。が、それを見透かされたのか、ただ、と強い口調で妹紅が口を挟んだ。

「ただあいつ、凄い顔していたよ。死人のように無表情でさ、見てられねえよ。ずっとうわ言のように“私がやるしかない”って呟いていた。正直、怖かった」

 

 でも、紅魔館に着いた時にはもう意識を失ってたな、と呟いている妹紅を尻目に、私はその場に座り込んだ。身体も、精神も限界が近い。

 

「おい慧音、大丈夫か」

「大丈夫、とは言い難いな」

 気を抜くと、すぐにでも目を閉じてしまいそうになる。考えなければならないことは数多くあるが、もう頭が回らなかった。

 

 耳元で、よいしょと囁く声が聞こえたかと思えば、身体が宙に浮いた。妹紅が身体を持ち上げてくれたのだ。

 

「ありがとう、妹紅」

「気にすんな」

 

 固めていた頬を、ふっと緩めた。真っ白い彼女の顔には一切の疲れはない。文字通り、死ぬ気で人里を走り回り、何回か死んだのだろう。それが、何らかの事故によるものか、疲労によるものか、それとも疲労を回復するために自ら命を絶ったのかは分からない。だが、身体の疲労以上に精神が疲弊しているのは明らかだった。

 

「私も、その、言い過ぎたよ。ごめん」

「謝らないでくれ」

 

 妹紅が私に謝る理由なんて無いし、私にはもうその価値すらない。そう自分を卑下することで、救いを求めている自分にますます嫌気が差す。

 

「奥の部屋でいいよな」

「ああ」

 

 絹のような肌を僅かに上気させた妹紅は、寺子屋の奥にある休憩部屋へと私を連れていく。ギシギシと廊下を歩き、半開きになっている戸を開け、中に入った。

 

「うわ。整頓ぐらいしとけよ、慧音」

「え?」

「汚くて、足の踏み場がない」

 

 寝ぼけていた頭に叩き込むように、多くの情報が目に映った。一瞬、これは夢で、そもそも今まで起きていた正邪に対する悲劇は無かったのではないかと、疑うほどに現実を見たくなかった。

 

 部屋が荒らされている。ただ、それだけなら別に大して驚くことではない。腹は立つが、金目のものが盗られていないか確認し、部屋を整頓して、何か盗まれていたとしても、残念だったね、と酒のつまみにすればいいだけの話だ。だが、今は訳が違った。目の前が真っ白になる。嘘だといってくれ、と何度も呟いた。

 

「降ろしてくれ」

「ど、どうしたの、急に」

「いいから!」

 

 理不尽だとは分かっていたが、妹紅に怒りをぶつけてしまう。そんな私に対しても、優しく分かった、と言ってくれる彼女に、懺悔にもにた感情を抱く。が、今はそれどころじゃなかった。

 

 疲労と混乱によって思考は既に限界を超えていた。床に散らばった紙をかき分け、目当ての物を探す。

 

「あれ? 慧音こんなもの持ってたっけ?」

 

 私の心境を知ってか知らずか、のんびりとした声で妹紅が言った。いや、ついさっきまで激怒していたとは思えないほどに、平然としていることを考えると、焦る私を見て、敢えてそのような態度をとっているのだろう。本当にいい友人を持ったものだ。

 

 妹紅のおかげか、少し落ち着いた私は手を止め、妹紅が持っているものへと視線を移した。紫色の帯が目立つ、安物の草履だ。流石にここまで質の悪い物を売るような人はいないだろうから、おそらく手作りだろう。そしてその手作りの草履に、私は見覚えがあった。

 

「嘘だろ」

 

 思わず、天を仰いだ。目に映るのは、綺麗に整った天井の木目のはずだったが、なぜかそれが私を取り囲み、くるくると回っているように感じた。なんで、正邪の草履がここにあるのか。いや、あるだけならいい。何の問題もない。そう自分に言い聞かせる。

 

 再び、捜索を始める。がさごそと散らばっている書類を漁っていると、そう時間がたつことなく、目当ての物を見つけることができた。木で出来た、小さな鍵だ。だが、一応仕掛けがあり、容易に複製ができないようになっている。本来ならば常に持ち歩きたいところだったが、寺子屋で保管していた。それが仇となった。

 

 そのカギを掴み、震える手で机に積んである本を漁る。よくよく確認すると、その内の一冊の位置が変わっていた。平仮名で書かれた“いっすんぼうし”と書かれた本だ。その表紙に僅かに黒い染みができている。匂いをかぐ。まるで腐ったトマトのような腐乱臭がした。嫌な予感は加速する。塔のように連なっている本を崩し、真ん中の下から二番目、分厚く、だが、どこか安っぽい本を引っ張り出した。心なしか軽く感じ、それを認めたくなくて細かく振った。

 

 本を裏返し、背表紙の表面に張られた薄い紙をめくる。ぺりぺりと音を立て、表紙がはがれていき、無骨な金属が露わになる。手で触れると、特有の冷たさが肌を刺し、それが全身に広がっていった。

 

「それ、なんだ?」

「預かりものだよ」

 

 興味深そうに屈みこんでくる妹紅を他所に、鍵を握りなおす。剥き出しとなった金属の下部分に、小さな穴があった。鍵穴だ。そこに右手にある鍵を慎重に突き刺した。ゆっくりと捻り、かちゃりと音を立てたのを確認すると、大きく息を吐いた。

 

「それ、もしかして箱になっているのか」

 

 妹紅からの質問を無視し、鍵を机に置く。答えなかったのは、苛立っていたからではない。それどころではなかっただけだ。両手で上下に抱え込むように持ち、右手を引き上げていく。ずりずりと金属同士がこすれ合う嫌な音と共に、少しずつ中身が見えてくる。本に偽装した、金庫のようなこれは、中は空洞になっており、そこに物をしまえるようになっていた。そして、そこには八雲紫に託された、大事という言葉では表せないくらいに大切なものが入っていた。はずだった。

 

「何だよ、何も入ってないじゃん」

 

 妹紅がぽつりと声を零した。何も入っていない。本に偽装し、特殊な鍵で施錠した強固な箱の中には、ただぽっかりと巨大な空間が存在するだけだった。

 

 声にもならないような、小さな呻きが口から洩れる。なんで入っていないんだ。どこへ行ったんだと心の中で何度も唱えた。まさか。持っていったのか。誰が。正邪が。

 

「その箱の中には何が入っている予定だったんだ?」

「小槌が」

 

 私は震える声で、何とか言葉を紡ぐ事しかできなかった。

 

「打ち出の小槌が無くなっているんだ」


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