天邪鬼の下克上   作:ptagoon

15 / 33
焦燥と油断

――白沢――

 

 目が覚めると隣に妹紅の顔があり、驚いた。眠い目を擦り、自分の部屋を見渡す。昨日と変わらず、散乱し、汚いままだ。もしかすると、昨日のあれは夢か何かで、布団から起きると、予定通り私の部屋で居候をしている正邪が、生意気にも私の部屋で大の字で眠っているのではないか、と期待したが、残念なことにそんなことはなかった。足元にある金属の箱をたぐり寄せる。未練がましく、もう一度箱を開くが、当然なにも入っていない。分かっていたはずなのに、ついため息が漏れる。

 

 打ち出の小槌。一寸法師のおとぎ話に出てくる伝説の道具。鬼の秘宝であり、願いを言いながら一振りすれば、たちまちそれを叶えてくれるという反則アイテム。ただ、その代償はすさまじく、使ったものは少なくとも無事ではいられないとも言われている、曰くつきのものだ。あの日、巫女に食糧不足の解決を頼みに行ったあの日、突然八雲紫に託された。押し付けられたといってもいい。

 

「だって、あなたは危険物取り扱いの資格を持っているでしょ?」

 

 ふと、その時の八雲紫の言葉を思い出した。こんな大層な物は寺子屋には置けない。あまりにも危険すぎる、と打ち出の小槌を返そうとすると、彼女は平然とそう言ったのだ。もちろん、私はそんな免許は持っていない、と反論したが、妖怪の賢者はそんな私の言葉に耳を貸そうともしなかった。

 

「いいじゃない。だったら、いま私がその資格をあなたに授与するわ。おめでとう」

「そんな適当な」

「あら? こう見えて私は幻想郷の賢者なのよ。私が烏は白いといえばそうなるし、眠れと命じれば荒れ狂う動物も静まる」

「だから、私に危険物取扱の資格を授与すると言えば」

「あなたはこれからそういう立場にもなる」

「馬鹿な」

 

 口元で扇子を隠し、意味ありげにうふふと微笑んでいる彼女に寒気がした。虚ろな目で縁側に座り、こちらを見下ろしている彼女は、何を考えているか分からず、気味が悪い。有り体に言えば胡散臭かった。

 

「いったい、何を考えているんだ。この小槌を私に預けてどうするつもりだ。針妙丸に関係があるのか?」

「まあまあ、お茶の出がらしでも飲んで、ゆっくり話を聞いてちょうだい」

 

 そう言うや否や、どこから取り出したのか、彼女は湯のみを縁側に置き、急須を傾けた。だが、「あら」と小さく呟いたかと思えば、急須のふたが開き、勢いよくお湯が溢れだす。烏龍茶でも入れていたのだろうか、出がらしといった割には真っ黒な液体が縁側の木を濡らし、じわりじわりと広がっていった。

 

「早く拭かなきゃいけないわね」

 そう言った割にはのんびりと雑巾を取り出した彼女は、丁寧にお茶をぬぐい、どうやってやったかは知らないが、木にしみ込んでいた水分すらも拭き取っていた。

 

「お前は何がしたいんだ。質問に答えてくれ」

「少しは、自分で考えなさいよ。一応、先生なんだから」

 

 おそらくわざとだろうが、神経を逆なでするような、突き放すような声で彼女はそう言った。手に持った雑巾を適当に地面に投げ捨て、足で土をかぶせ始める。

 

「おい、なんで埋めているんだ」

「なんでって」

 

 質問の意図が分からないといった様子で首を傾げ、さも当然かのように口を開いた。

 

「だって、もう汚れちゃったじゃない。汚れを拭きとった後の雑巾なんて、ただの汚物よ。とっとと捨てるに越したことはないわ」

「まだ洗えば使えるじゃないか」

「分かってないわね」

 

 これだから半獣は、と言われた気がしたが、聞こえなかった振りをした。

 

「汚れた雑巾なんて、どんなに水洗いしても完全には落ちないじゃない。それに、その汚れは水に移って川を汚すかもしれない。だったら埋めるしかないでしょ?」

「でも、その理屈でいえば、地面に汚れが移るんじゃないか?」

「それは別にいいのよ」

 

 結局、私は八雲紫との会話にうんざりし、逃げるように寺子屋に帰ってきてしまった。だが、どうもその時の八雲紫の顔には、どこか悔しそうな、そんな感情が浮かんでいるような気がした。 

 

 

 

「おはよう慧音、よく眠れたか?」

 

 妹紅の間延びした声が聞こえ、意識が引き戻される。まだ重い頭をふり、妹紅に目を向けると、彼女も私と同じく眠そうに目を擦っていた。ふわぁ、とあくびもしている。

 

「ああ、よく眠れたよ」

 

 この言葉に嘘はなかった。あれだけ衝撃的なことが立て続けに起きたのにも関わらず、私はぐっすりと眠っていた。自分でも驚いたことに、疲れは悩みを通り越し、むしろ清々しいくらいに頭はさっぱりしている。思考もまとまってきた。

 

 のそのそと布団から這い出て、朝ごはん替わりなのか懐から取り出した昆布を舐め始めた妹紅を見ていると、何だか私もお腹が空いてきた。事態は緊迫しているが、それでも生理的欲求には逆らえない。部屋の片隅に置いてあった乾パンを掴み、口に入れる。

 

「そういえば、この草履は慧音のなのか」

 

 もごもごと口を動かしながら、足元に落ちている不格好な草履を指差した。まだ少し寝ぼけているのか、口から涎が垂れている。

 

「違う。それは正邪のだ」

「正邪って、あの正邪か!?」

「どの正邪か分からないが、多分思い浮かべている正邪で合っている」

 

 眠気で垂れ下がっていた目尻をきつく吊り上げた妹紅は、落ちている草履を拾い上げ、まじまじと見つめた。つられて私もその不出来な履き物に視線を移す。それが、いつからここにあるかは分からない。だが、正邪がここに来たという事は確かだ。

 

 しかし、だからといって。正邪が打ち出の小槌を盗んだとは限らない。あの捻くれつつもどこか優しい彼女がそんなことをするだろうか。しないと、私は信じたかった。でも、決めつけてはいけない。私は彼女のことなんて、何も知らない。

 

「なあ妹紅」

「なんだよ」

「お前、打ち出の小槌って知ってるか?」

「昨日、無くしたと騒いでいた奴か」

 

 うーん、と首を傾げた妹紅は、聞いたことあるけど、と言葉を濁した。

 

「それ、本当に実在するのか?」

「したんだ。そして何処かへ行った」

 きっと、私はとても渋い顔をしていたのだろう。「そっか」と優しく声をかけてくれた妹紅は、私の肩に手を置き、力強く頷いた。

「なら、やることは一つだろ」

 

 そうだろ? と私に微笑む彼女は、とても頼もしく思えた。

 

「探すしかないじゃないか」

 

 

 

 寺子屋の外に出ると、冷たい風が襲い掛かってきた。帽子が吹き飛ばされないようにと手で押さえる。空は見たこともないくらいに曇っていて、その雲が地上に降りてくるようにすら感じた。視界も非常に悪く、地上ならば問題ないが、空を飛ぶのは一苦労だろう。

 

 目の前の大通りでは、多くの人が集まっていた。ちょうど、皆が朝起きて活動を始める時間だからか、少し眠そうなものの、笑顔で挨拶を交わしている。最近授業を休んでしまっていることを思い出し、少し憂鬱になるが、それでも顔には出さないように努めた。

 

「何か、みんな元気になったな」

「正邪のおかげだよ」

 妹紅が私を睨みつけるのが分かったが、それでも私は口を止めなかった。

「みんな溜まっていたんだ」

「何が? 貯金か?」

「不満だ」

 

 徐々に在庫が無くなっていく食料と、それに比例して吊り上がる値段。段々と腹を満足に膨らませることが出来なくなってくると、彼らは恐怖し、憤った。その、目には見えない爆弾は、日に日に大きくなっていき、そして正邪が野菜を抱えてきたあの日、爆発した。数少ない食料を邪悪な妖怪が泥棒したとならば、それも仕方ないだろう。

 

 明確な敵を持った人間は強い。そのことは身に染みて分かっていた。人々を団結させるのは、カリスマ溢れる指導者と、共通の敵だ。前者の存在が許されていない幻想郷の人里において、正邪という起爆剤はあまりにも十分すぎた。豪雨の後の洪水のように、彼らは怒りに飲み込まれ、そしてその怒りは燃え尽きた。

 

 いまだ食料は足りていないにもかかわらず、彼らの不満は明らかに減少している。頑張って、協力していきましょうと意気込んですらいた。つい前までは、隣で芋を食べる家族をすら憎々し気に見ていたのに、だ。

 

 つまりは、私が正邪にお使いを頼んだばかりに、彼女はスケープゴートにされたのだ。

 

 鬱蒼とした気分のまま、人混みをかぎ分けて前に進む。そのすぐ後ろを妹紅がついてくるのが足音で分かった。その音に励まされるように、前へと進む。正邪には、私にとっての妹紅のような、頼りになる存在がいないのだな、とそう思うだけで胸が苦しい。

 

「あそこだけ人が少ないな」

 

 しばらく当てもなく歩いていると、人の波が一か所だけ薄くなっていることに気がついた。私の言葉に素早く反応した妹紅は、さっと視線を移したが、すぐにうんざりとした顔になる。

 

「原因は分かったよ」

「私も想像がつく」

 

 太陽が昇ったばかりの早朝。そして人通りの多い大通り。なるほど。確かに彼女にとっては、一番の稼ぎ時なのだろう。だが、彼女はやはり人間というものを分かっていない。朝っぱらから新聞を読むほど暇な奴は、この時期には少ないのだ。

 

「それに、あんな格好をしてちゃダメだろ」

 

 妹紅の言葉に、私は頷く。なぜ、そんな恰好を選んでしまったのかと、その場で嘆いてしまうほどだ。

 

「文文。新聞の号外ですよー!」

 

 威勢よく声を上げる射命丸は、いつものような烏天狗の装束を着ていなかった。白く、そして不謹慎極まりない服。白装束を着ていたのだ。

 

「烏が白いって、そういうことか」

 

 あー、お二人とも是非新聞をー、と声を張る烏に向かい、私たちは大袈裟に肩をすくめた。

 

 

 

 

――魔女――

 

 私は既に百年という時を生きてきた。その人生の大概を魔法の研究に費やし、そして時間以外に、地位も名誉も金も、そして倫理すら捨てて、ただひたすら魔法を極めようと、それだけを求め続けてきた。幸か不幸か今では愉快で鬱陶しい仲間に囲まれ、それなりに魔法以外のことにも手を出してはいるが、それでも魔法研究が一番の楽しみであることは変わらない。

 

 そんな楽しい魔法研究だが、主として魔導書を読み知識を蓄えるのが一般的だ。必要な知識を得て、改良し、蓄積する。それを血液の循環のように何度も繰り返していくうちに、高度な魔法理論が形成されていく。それが魔法研究の基礎であり、全てだ。

 

 しかし、それはあくまで机上の空論に過ぎない。私のような高等な魔女は、ただ知識を得るだけではなく、実践もしなければならない。ただ、実践とひとえに言っても、種類は様々で、単純に理論通りに魔力を練り上げればいいものから、様々な道具、生物、環境を整える必要がある大掛かりなものまで、千差万別だ。後者においては、必要な生物、あるいは道具の内に人間が含まれることも少なくない。

 

 とはいっても、生きている人間を使うことは稀で、ほとんどの場合は既に息絶えた死体を使っていた。だからだろうか。私にとって人間の死体など驚くに値しないものであるし、見慣れたものであった。もし、その死体は立派な木に毎年なるものなんだ、と言われても、へえそうなの、としか思えないくらいにありふれたものだった。それは、いつも手元にあり、集めるまでもなく数をそろえられたからだ。一切の血が通っておらず、青白く、そして不気味に固まっている死体の顔は、嫌というほど見てきたし、見慣れたはずだった。ぱっと見ただけで、死後どのくらい経っているか判断できるほどだ。

 

 だから、今私に向かい怒り勇んでいる正邪の真っ青な顔を見て、その顔を本能的に死人と判断してしまい、驚いた。それほどまでに彼女の顔に血の気がなく、青ざめている。

 

「おいおい、冗談にしては面白くないぜ」

 冗談だと言ってくれよ、と縋るように彼女は叫んだ。言葉の端を震わせて、机を強く叩く。

「たかが変な城が出てきただけじゃないか。それで何で死ななきゃならない」

 

 さっきまで、どこか他人事で、心ここにあらずといった様子だったが、彼女は急に感情を露わにした。思い切り手を打ち付けた机が悲鳴をあげ、文字通り飛び跳ねる。こんな所にも影響が出ているのか、と少しは驚いてほしい。

 

「何とか言ったらどうだ!」

「そういう運命だからよ」

 

 面倒くさくなった私は、適当に彼女を突き放した。が、絶望に打ちひしがれ、何をするか分からない彼女を放っておくわけにもいかず、しぶしぶ説明をすることにした。意外に面倒なことになったわね、と愚痴を零すことも忘れない。

 

「輝針城を出したのは別にどうでもいいわ。ただ、そこから溢れている力が問題なのよ」

「きしんじょう? ちから? あの城に力なんかあるのか」

「違うわよ。あの城が何なのか、もしかして知らないの?」

「それを調べるためにこの本を貰ったんじゃないか」

 

 正邪は床に落ちた本を拾い上げ、表紙をぱんぱんと強く叩いた。本をあげた覚えは無いし、そんなに強く叩いてほしくないが、今はそれどころじゃない。正邪が持っている本をまじまじと見る。薄く、そして小さな子供用の絵本だ。表紙にはでかでかと一寸法師と書かれている。

 

「そんなちんけな本で一体何が分かるというのよ」

「おい、私の本にケチをつけるのか」

「私の本よ」

 

 ため息を隠すことができなかった。彼女は事の重大さを理解していないのか。それとも理解していて、そんな頓珍漢な行動をとっているのか、分からない。

 

「そもそも、あなたはあの城とどういう関係なの? もし当事者なら、そんな冗談を言ってないで真面目に対策しないと、目も当てられないことになるわよ」

「冗談? 私は冗談なんて言った覚えはない」

「本気でその絵本を参考にしようとしたの?」

「そうだ」

 

 呆れて声を出すこともできない。幻想郷を混乱に落としうる城を作り出しておいて、絵本でどうにかしようなど、愚かにもほどがある。いくら弱小妖怪といえど、そこまでとは思いもよらなかった。

 

「馬鹿ね。そんな本でどうにかなるなら焦る必要なんて無いわ。もう少し頭を使いなさいよ。もっと専門的な古文書なら右に積んであるわよ」

 

 丁寧にその本を何冊か取り出し、彼女の前へもっていってあげた。が、当の本人は腕を組み、ソファに身体を沈めている。私に向かいわざとらしく鼻で笑い、手をひらひらと振った。

 

「馬鹿だな。これだからお前らみたいな視野狭窄に陥っている強者は。もう少し頭を使えよ。私は弱小妖怪だぞ。お前らみたいに長生きでも無ければ、際立った知恵もある訳じゃない。人望なんてもってのほかだ。そんな私が古文書なんて読める訳ないだろ。私にはな、こんなちんけな絵本しか頼れるものがねぇんだよ。今まで、そんな綱渡りみたいな人生を送ってきたんだ。立派な図書館に引きこもって、溢れ出る才能で無双して、ただただ知識欲を満たしているようなお前には分からんだろうがな、私たち弱小妖怪はすべてを犠牲にしてでも生きるのに必死なんだよ。私たちにはな、資格が無いんだ。何の資格か分かるか?」

「さあ、古文書を読む資格かしら」

 

 自嘲気味に笑みを浮かべ、次々に言葉を発する正邪に、私は面食らっていた。忘れかけていたが、彼女が天邪鬼だという事を再認識する。天邪鬼は面倒くさいが、怒らせるとさらに面倒くさくなる。それがよく分かった。

 

「古文書なんて読む機会のある奴の方が珍しい。もっと根本的だ。幸せになる資格だよ。私たちにはそれがない」

「なんで、そう決めつけるのかしら」

 

 彼女に反論したのは、何のことは無い。このまま彼女の好きなように話されるのが癪だったからだ。反骨心と言ってもいい。もしかすると、自分が強者であるという立場に胡坐をかいていると、暗に言われたような気がして、腹が立っていたのかもしれない。が、いずれにせよ、ほんの軽い気持ちで私は言った。

 

「そんなことを決めつけるのは、酷いんじゃない? もしかすると、あなたが知らないだけで、弱小妖怪でも幸せに暮らしている奴がひとりくらい」

「いない」

「でも」

「いないといっているんだ!」

 

 彼女の声で、図書館がビリビリと震えた。本棚に声が共鳴し、部屋全体が細かく震えている。正邪に目をやった。俯いている彼女は、弱小妖怪であるはずなのに、なぜか威圧感を放っていた。部屋の震えは、彼女の怒りによって起きているのだと、半ば本気で信じそうになるくらいだ。

 

「いいか、よく聞け。弱小妖怪はな、虐げられる星の元で生まれてきてるんだよ。お前らの好きな言葉でいえば運命だ。そういう運命なんだ。どんなに善行を積んだところで、どんなに自分を犠牲にしたところで、バッドエンドしかないんだよ。お前らが何気なく使いつぶしてる日用品ですらな、私たちは命がけで手に入れてるんだ。お前、土を喰ったことあるか? 腐った猫の死骸を喰った事があるか? 自分の吐しゃ物を喰った事はあるか? ないだろ。そんなことまでしないと私たちは生きていけなかったんだよ。分かるか?」

「分かりたくないわね」

 

 叫ぶでもなく、呪いを呟くように抑揚なく言葉を紡ぐ彼女は不気味だった。正直に言えば、久しく感じていなかった恐怖という感情を思い出すほどだった。いったい彼女の身に何があったかは分からない。だが、何かによって彼女の心が壊れる寸前だという事は分かった。

 

「私たちにはな、何も無いんだ。力がないだけじゃない。信じられる友人も、頼れる仲間も、お前らが大好きな家族だって中々手に入らないんだよ。それこそ、願い事で友達が欲しいって願う程な。でもな、そういうものも大抵誰かに奪われるんだよ。そういう奴らは大抵強者なんだ。自覚的にしろ無自覚的にしろ私たちが必死に守ろうとしたものをあっさり奪い、蹂躙し、捨てる。そういう仕組みなんだよ。ああ、そうだ。あいつらは、そうやって捨てられていったんだ。ほんの僅かな幸せを願ったばかりにな、死んだんだよ。分かるか? お前らが当たり前だと思っている家族を守ろうと、弔おうとするばかりに、あいつらは死んでいったんだ。それでなんだ。今度は、今度はあいつすら奪おうというのか。殺そうというのか!」

 

 目に涙をためながら、力強く唾をとばす彼女を前に、私は何も言葉を発することができなかった。いったい、何が彼女をここまで追いつめたのか、何が琴線に触れたのか、と客観的に考えるように努める。そうしなければ、彼女の感情の波にのまれてしまいそうだった。自分が今、どんな表情をしているか分からない。顔に手を当てる。微かに濡れた頬に、指が滑っていく。まさか、天邪鬼の言葉なんかで、私は泣いてしまったのか。

 

 目を擦ると、彼女の背中に、三人の人間が立っているように見えた。よく似た二人の女性と、一人の老人だ。彼らが憎々しげに私を睨んでいる。その顔は誰もが青白く、間違いなく死人のそれだった。見慣れているはずなのに、鳥肌が立つ。“こいつに怪我をさせてみろ、ただじゃおかねえからな”聞いたことのないしわがれた声が耳に響く。怨霊かと思ったが、それとも違う。私にしか聞こえない幻聴の類だろうか。もう一度目を擦ると、その人影は消え去っていた。

 

 強張っていた体の力が抜ける。正邪の鬼気迫る表情が目に映った。弱小妖怪の実情なら知っていたつもりだった。この世は弱肉強食。力ないものが淘汰されるのは当然のことで、そしてそれに対して何の感慨も抱いていないし、事実今もそうだ。私には必要ないが、人間だって豚や牛という弱者を捕食して生きている。だったら、妖怪が人間を、大妖怪が弱小妖怪を糧に生きるのだって普通のことだし、悪いことではない。頭ではそう分かっていた。今、正邪に力を貸すのは、ただの傲慢だ。彼女よりもっと悲惨な目に遭っている弱者など掃いて捨てる程いる。そう分かっていた。が、私の意思とは無関係に口が勝手に動く。

 

「長生きでも無ければ、際立った知恵もある訳じゃない。人望なんてもってのほか。だから、こんなちんけな絵本しか頼れるものがない。そう言ったわね」

「ああ、言ったよ」語気を強めた正邪は、まだ怒りが沈まっていないようだった。私に対してではなく、私の後ろにある何かに怒っているような、そんな気がした。

「だからどうした」

「私を頼りにしてもいいのよ」

 

 怒りの形相のまま、彼女は固まった。きっと、私も間抜け面で固まっているだろう。こんな嫌味で、救う価値のないような妖怪にこの私が手を貸すなんて信じられない。冷静に考えれば、今すぐにでも冗談よ、と言うべきなのだろう。けれど、なぜか私の口は思うように動かなかった。まさか、同情したわけじゃないわよね。頭の中でそう問いかける。同情なんてしていない。私がこんな妖怪に手を貸す必要もない。じゃあ、どうして? 魔女は常に論理的であるはずよ。その通りだ。でも、理由ならある。

 

「今回の異変で、あなたが何をして、どういう立場にいるかは知らない。けれど、紅魔館の動かない大図書館。七曜の魔女として約束するわ。私はあなたに協力する」

「どうして」

 

 机を手に置いたまま佇んでいる正邪に向かい、手を伸ばす。彼女の顔は相変わらず死人のように白く、生気が宿っていない。怒りを露わにしていたにも関わらず、一切顔に赤みが見られない。

 

「レミィよ」

「は?」

「“しばらく正邪の面倒を見てくれ”ってレミィに言われたの。親友の頼みは裏切れないでしょ?」

 

 今思えば、レミィの言ったしばらくという言葉は、私の思ったよりも遥かに長い期間なのかもしれない。とんだ貧乏くじだ。だが、それも悪くない。

 

「なんで紅魔館の主は私にかまうんだ」

 

 吐き捨てるように彼女は笑った。どうせ、お前らも裏切るんだろ、と諦観している。本当に何があったのよ、と聞きたかったが、止めた。今の彼女は、きっと答えてくれないと思ったからだ。その代わり、くるりとその場で回り、宙に浮く。暗い顔の彼女を見おろしながら、気取った態度で唇を撫でた。

 

「そういう運命だからよ」

 

 

 

 

――天邪鬼――

 

「そういう運命だからだ」

 

 目の前で、ぎゃあぎゃあと喚いている針妙丸にそう告げた。だが、どうやらそれでも納得いってないらしく、ああだこうだと文句を言っている。こんな時なのに無邪気なものだ。

 

「いいじゃん別に! 遊んでくれたって」

「嫌だ」

「えー」

 

 小槌を針妙丸に振らせた後、一度紅魔館に寄った私は、輝針城へと来ていた。不機嫌な針妙丸を無視し、近くの窓から外を覗き込む。空はもう暗くなっていた。地上を見下ろすと、人里の明かりがちらちらと見える。あれのどの光が寺子屋なのだろうか、と探すもすぐに諦めた。

 

「でも、意外だったな」

「何が?」

「逆さの城なのに、中は普通だってことだよ」

「そりゃあ」

 

 針妙丸がぴょんと跳ねた。癖なのか、身体を大の字にしてその場でくるくると回る。今の彼女がやると、酔っぱらった大人がふざけているようにしか見えなかった。

 

「部屋まで逆さまだったら、住みにくいでしょ」

 

 答えになってないような針妙丸の言葉を無視し、鶏ガラのことを思い出す。紅魔館での鶏ガラは、いつもに比べ少しやつれていた。元々骨のように生気がない彼女であったが、一段と疲れているようだった。そんな彼女の忠告を思い出す。真面目に対策しないと、大変なことになる。しかし、誰がどう見ても今の私たちは真面目という言葉からは程遠かった。

 

「というか、正邪一回ここに来てるじゃん」

「そうだったか?」

「ほら、なんか小槌をカメラで撮ってたよ」

「ああ」

 

 確かにその時来ていた。が、あまりに焦っていたため、ほとんど覚えていなかった。つい最近のことなのに、はるか昔のようにも感じる。

 

「楽しみだね、下克上!」

「そうだな」

 

 今や、私と同じ背丈になってしまった針妙丸に目をやる。右手に打ち出の小槌を持ち、それを軽々と振り回していた。打ち出の小槌が一体どのくらい恐ろしいものか知らずに、おもちゃのように気軽にくるくると弄んでいる。

 

「それにしても、やっぱ変だよな」

「変って何が?」

「お前」

「酷い!」

 

 ぷんすか! と怒りながら、私に文字通りつっこんでくる。手に握った打ち出の小槌を放り投げ、腹に突進してきた。ボスンと鈍い音を立て床に落ちた小槌を見て、肝が冷える。焦りと恐怖で体が固まり、届かないにも関わらず反射的に手を伸ばした。

 

 だが、何を勘違いしたのか知らないが、針妙丸は私と同じように両手を広げ、鳥のような格好で私に飛び込んだ。小さい時の頃と同じくらいの勢いで体重をかけられるので、当然支えきれるはずもなく、そのまま床に押し付けられる。ギシギシと木が軋む音が聞こえ、そこでやっと彼女の手が私の腰にまわっている事に気がついた。懐に隠している物がばれないかと、不安になる。

 

「おい、私に下克上しても意味ないぞ」

「正邪が私のことを変とかいうからじゃん」

 

 怒っていると言いたいのか、頬を膨らませながら不満を口にしているが、その目からは喜びが溢れ出ていた。理由は容易に想像できる。小さかった昔の自分では、私の膝までしか届かなかった手が腰にまで伸びているのが嬉しいのだろう。なんとも単純だ。

 

「変ってのはあれだよ、お前の背だ」

 

 えー、とよく分からない声を漏らしている彼女を私は見ていなかった。床に落ちた小槌を見つめ、それから自分の懐にこっそりと手を伸ばす。ほっと胸を撫で下ろし、焦った昔の私に文句を言いたくなった。大丈夫だと分かっていたのに、手を伸ばしてしまった事が悔やまれる。打ち出の小槌の恐ろしさを、私は身に染みて感じていた。文字通りで、だ。

 

「どうして私の背が変なの? むしろ、普通になったでしょ」

 

 こてんと首を傾げた彼女は、頭のお椀が気になるのか、手で弄っていた。そのお椀はもはや鍋くらいの大きさになっている。間違いなく、幻想郷最大のお椀だ。

 

「だから変なんだよ。小人の身長が普通だったら、おかしいだろ」

「そうかな?」

「そうだ。背の大きい小人、空飛ぶ魚、昼行性の吸血鬼、全部おかしなものばかりだ」

「そこまで変じゃないよ!」

 

 私にまたがったまま、針妙丸はポカポカと胸を叩いてきた。大して痛みは無いが、無視できるものでもない。左手で体を起こし、彼女を振り払う。鶏ガラに怪我を治してもらっていなかったら、こんな風に起き上がれることもできなかったはずだ。そう思うと、恐ろしい。

 

「変なんだよ。お前だって、頭突きをしない慧音がいたら、驚くだろ?」

「それは……驚くけど」

「それと一緒だ」

 

 そうなのかな、と納得したのかしてないのかよく分からない声を出した彼女は、そんなことより! とまた声を張った。どこからそんな声が出ているのか分からないが、鼓膜を直に殴りつけるような、暴力的なまでの大声だ。もしかすると、彼女が窮地に陥った時は、大声で叫べば、相手を失神させることもできるのではないか、とそう思うほどだった。

 

「そんなことより、遊んでよ!」

「だから、嫌だと言っただろう」

「いいじゃん、どうせ暇なんだし」

「それはお前だけだ」

 

 地面に寝転び、駄々をこねるように転がる彼女に目を落とす。いくら体が大きくなろうが、根は子供のままだ。

 

「でも、正邪も悪いよ。セキニンってやつがあると思う」

「ねぇよ。何だよ責任って。説明してみろ」

 

 口にはしたものの、どうやら責任という言葉の正しい意味は分かっていないようで、あのねあのね、としどろもどろに口を動かしている。

 

「セキニンっていうのは、えっと、あれでしょ。お祝い事の時に食べる、あのもちもちした」

「それは赤飯だろ、馬鹿じゃねぇの」

「うるさい! どっちも似たようなもんでしょ!」

 

 へそを曲げてしまった彼女は、そっぽを向き、「だったら、悪いことをした人が来たら赤飯をあげればいいじゃん」と支離滅裂なことを言った。

「責任をとって、赤飯を食べさせるのか? それ、逆に喜ばせるじゃねぇか。毒でも盛るのかよ」

「そうだよ!」

 

 私の言葉をまともに訊いていないのか、彼女はそれ以降なにを言っても生返事しかしなくなった。相も変わらず頑固者だ。こんなところばかり彼に似てしまって、不憫としか言えない。

 

 畳に座り込み、私と目を合わせようとしない針妙丸に構うのを止め、部屋を見渡す。呆れるほどに広く、そして豪華な城だ。緑のい草を敷き詰め、そこに黒と金の混じった漆のようなもので線を引き、最後に梅の花の香りを練り込みました。そう言われても違和感がないほどに、部屋中に高貴さが漂っている。正直にいえば、落ち着かない。それはどうやら針妙丸も同じようで、部屋を見渡してはどこか不満そうに頬を膨らめた。

 

「やっぱ、暇だよ。なんで外に遊びに行っちゃいけないの?」

「なんでって」

 

 当然、危険だからに決まっている。だが、直接そのことを伝える訳にはいかない。そう伝えると、彼女は必ず「何で?」と聞いてくるだろうし、そうなると、私は確実に答えることができないからだ。

 

「ねぇ、いいでしょ。晩御飯までには帰るからさぁ」

「駄目だ」

「いいじゃん!」

 

 ばさりと着物を翻し、身体をバタバタと床に打ち付けている彼女は、小さかった時はただの子供のおふざけにしか見えなかったが、今では川際に打ち上げられた魚のようだ。

 

「いいか、よく聞け。晩御飯までには帰るって言葉は信用しちゃいけないんだよ」

「そうなの?」

「そうだ。絶対に誰にも言わないからって約束する奴と同じくらい信用してはいけない」

「なんで?」

 針妙丸は不思議そうに首を捻った。

「考えてもみろ。晩御飯がいつできるかなんて、分からないだろ? それに、いつの晩御飯か言ってないじゃないか。これだと、別に今日じゃなくて、違う日だとしてもおかしくない」

「おかしいよ」

「おかしくない。だから、そもそも晩御飯までに帰るとかなんとか言った時点で、お前はもう外に遊びに行く権利は無くなってんだよ」

 

「えー」と眉を下げた針妙丸だったが、「でも、正邪は今さっき紅魔館に行ってたじゃん」と恨めしげに見つめてくる。その目は半分閉じられており、非難するというよりは、呆れているようだった。

 

「私はいいんだよ」

「何で?」

「晩御飯までに帰るってのは、温かいうちにご飯を食べれるために帰るってことだ。おいしく食べるために」

「そうだね」

「私は別に、もうその必要がないからな」

「正邪は美味しいご飯を食べられなくてもいいってこと?」

「ああ。今はそれどころじゃない」

 

 私はまた嘘をついた。できれば、美味しくご飯を食べたいに決まっている。しかし、それは過ぎた願いだ。毎日食事ができ、生きていけることだけで私たち弱小妖怪にとっては幸運といえる。それ以上を願うのは高望みというものだ。だから、後悔なんてしていない。

 

 まだ少し納得していなかったようだが、膨らませていた頬からふしゅぅと空気を抜き、分かった、と頷いた。

 

「正邪がそこまで言うなら、止めとく」

「そうしろ」

 

 とぼとぼと立ち上がり、私にもたれかかるように座り込んだ彼女の重みを感じながら、窓の外を見やる。地上よりもかなり上に浮いているはずだが、星との距離は相変わらず遠い。弱者と強者の差も、同じようなものなのだろうか。絶対に手が届かないのだろうか。そんなはずはない、と自分に言い聞かせる。そうしなければ、心が折れてしまいそうだった。

 

「あ、あれって、もしかして人じゃない?」

 

 そんなことを考えていると、針妙丸が突然声を上げた。あまりにも急だったため、体が震え、隣にいた針妙丸の背中に肘をぶつけてしまう。が、彼女は痛がる素振りもなく、けろりとしていた。

 

「やっぱり。あれは絶対人だよ。ほら見てみて!」

 

 頬と頬をくっつけるようにして私の顔の位置を変えた針妙丸は、窓の外を指差した。いやいやながらも、彼女の指の先に視線を移す。

 

 結論から言えば、窓の外に人はいなかった。当然だ。こんな深夜に外に出る人間なんていないし、そもそも空に浮かんでいる逆さの城に来られる方がおかしい。では、針妙丸が見間違えたのかといわれれば、そうでもない。確かに、輝針城の外には動く影があった。窓にへばりつくようにこちらを見て、何かを伝えようと必死に口を動かしている。しかし、肝心の内容は分からない。 

 

 そいつは、縦にくるくると巻いた髪を棚引かせていた。和装にスカートという奇妙な格好をしており、ひらひらと白いフリルが印象的だ。暗くてよく見えないが、青い髪が良く似合う少女。ぱっと見はそう見えた。だが、実際はただの少女ではない。明らかに異常な点が何か所かあった。

 

「背の高い小人はおかしいと言ったけど」

 

 まず、その少女には耳がなかった。本来耳がある箇所には先のとがった、ヒレのようなものがついている。だが、それよりも圧倒的に印象的だったのは、足だ。

 

「まさか本当に空飛ぶ魚がいるとはな」

 

 彼女の足は、魚の尾びれと全く同じだったのだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。