天邪鬼の下克上   作:ptagoon

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 更紗灯弾さまから素敵なイラストを頂きました。本当にありがとうございます。
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迎合と別離

――白沢――

 

「踏んだり蹴ったりっていう言葉があるじゃないですか」

 似合わない白装束を来た烏が、私たちに向かい、そう愚痴を零した。

「でも、あの言葉って普通に考えれば“踏まれたり蹴られたり”だとは思いませんか」

 

 早朝の人里の大通りで射命丸に絡まれるとは思わなかった。冬の朝は肌寒く、私なんかは中に重ね着をしてるというのに、彼女は本当に白装束しか身に着けていないようだった。にも関わらず、全く寒そうな様子はなく、むしろ溢れ出る熱が抑えきれないといった様子で私たちに話し続けている。

 

「だから、勇敢な私はそう伝えてあげたんですよ。踏んだり蹴ったりするのは別に苦ではないですよって。そうしたら、大天狗様が」

 

 そこで、ようやくなぜ彼女が私に話しかけてきたかが分かった。この前の妖怪の山の会議で、うっかり私が射命丸と正邪とのあの事件について口をすべらせてしまったのだ。そのせいで大天狗に叱られたのだろう。気の毒だとは思うが、自業自得だ。

 

「大天狗様がですよ、踏んだり蹴ったりするのが苦じゃないのなら、萃香さまを踏んだり蹴ったりするまでは、天狗の装束を着るのを禁止する、とか言い出しましてね。他の連中もそれに悪乗りしだしまして」

「それで、そんな恰好なのか」笑いを堪え切れないといった様子で、妹紅が訊いた。

「そうなんですよ。まさに踏まれたり蹴られたりです」

「私はてっきり、新聞に訃報がのっているのかと思ったよ」

 

 そうでは無かったと分かり、安堵の息を吐く。もし、新聞の雰囲気に合わせて、その格好にしたとか言われてしまったら、彼女の新聞を地面にたたきつけるところだった。と、思っていると、「いえ、白装束を選んだのは新聞の雰囲気に合わせたんです」と平然と彼女は言ってのけた。

 

 受け取った新聞を右手に持ちかえ、思い切り地面にたたきつける。ぼふんと砂煙が舞い、新聞に茶色の染みがついた。少しの罪悪感に襲われる。

 

「あややや、何するんですか」

「それはこっちの台詞だ。不謹慎にもほどがあるだろう」

 

 射命丸は本当に何が悪いか分からない、といった様子で首を傾げた。ぽかんとしている彼女を見て、また妹紅が笑う。

 

「駄目だよ慧音。そこんとこは伝わらない。人間と妖怪の人生観は絶対に違うんだ。むしろ、

 お前と正邪が人間よりなのが異常なんだよ。妖怪は知らない奴の死なんてまるで気にしないし、弔いもしない」

 

 そんなことはないですよ、と否定する射命丸は、なぜか少し不満げだった。が、すぐに、もしかして新聞が売れない理由はこの格好なんですか、と大袈裟に驚き、翼を震わせ始める。

 

「確かに、それもあると思う」

「やっぱ、そうですか! 変だと思ったんですよ」

 

 あやや、と声を上げながら頷いた彼女は、私が投げつけた新聞を拾い、ぱんぱんとはたいた。そして、それをもう一度私に差し出してくる。ブン屋としての執念を感じた私は、断る事なんて出来なかった。

 

「こんなに質がいい新聞なのに、どうして売れないかと不思議だったんですが、そういうことだったんですね」

「それは単純にお前の新聞がつまらないからだ」

 

 はっきりと断言した妹紅は、私の手から新聞を奪いとると、乱暴に開き、読み始めた。なんだかんだ言いつつも、しっかりと内容を確認する彼女はやはり優しい。

 

 妹紅に顔を寄せ、私も新聞を読む。てっきり、正邪が野菜を盗んだという情報が載っていると思ったが、違った。全ての記事を丸々使い、人里の民家で一人の女性が亡くなったことについての論評を延々としている。その民家の具体的な場所は書かれていないものの、ピントを意図的にずらした写真は掲載されていた。それだけでも、大体の位置は把握できた。とはいっても、具体的に誰が亡くなったかまでは分からない。

 

「私はてっきり、正邪のことをやると思ったよ」悪びれもせず、妹紅が嫌味をぶつけた。

「そういうのに烏共は目がないからな」

「やりませんよ」

 

 浮かべていた嘘くさい笑みを急に消した射命丸は、冷たくそう言った。怒るでも、茶化すでもなく真面目にそう言ったのだ。あの烏天狗の射命丸が、だ。

 

「私の新聞は、清く正しくっていう理念でやってるんですよ」

「そういえば、いつの日か言ってたな」

 

 記憶を辿り、言われたのはいつだったかと過去の場面を振り返っていると「あの、赤黒く変色した死体の時ですよ」と感慨深そうに射命丸は言った。

 

「もう懐かしく感じるな。あの甘味屋の時か」

「懐かしの甘味屋ですね」

 

 少し表情をやわらげたかのように見えたものの、あの時も言いましたが、と彼女は語調を強くした。

 

「清く正しい新聞に、正邪が野菜を盗んだなんて内容は書けないんですよ」

「どういうことだ?」

「そんな嘘情報載せられるわけないって言ってるんですよ」

 

 僅かに眉を上げ、息を荒くした彼女は、苛立っているのか、強く地面を蹴った。見開いた眼からは、吸い込まれそうなくらいに真っ黒な瞳がこちらを覗いている。反射した私の顔は、確かに怯えきっていた。

 

「お前も正邪が犯人じゃないと思うのか」

 

 震える声を奮い立たせ、私はそう言った。後半は言葉尻が詰まり、言葉にすらなっていなかった。

「あの弱小妖怪にそんな度胸があったら、もっと出世してますよ」真っ黒に曇った空を見上げた射命丸は、口元を緩めた。ですよね、と屈託のない笑みで私たちを見つめてくる。

 

 私の胸に、何か熱いものが込み上げてくるのが分かった。何人に彼女の無罪を、私の罪を言い続けたのだろうか。それでも彼らは認めてくれなかった。正邪は悪で、私は善で。それだけはどうしようもないくらいに変えられないことだと、そう思っていた。だが、彼らは知らない。この世に善悪を明確に区別することはできないのだと。強いて言うのであれば、明確に区別しようとする奴こそが悪だということを、知らないのだ。そして、その知らない内の一人が私だった。

 

「それに、この事件はそんなガセネタより遥かに興味深いんです」

「おまえ、そっちが本心だろ」

 

 妹紅の突っ込みに、あややと微笑んだ彼女は、まあそうですが、と笑った。それが本気であるのか、それとも照れ隠しであるかは分からない。きっと、彼女自身も分かっていないだろう。

 

「そういえば、私まだ朝ご飯食べてないんですよね」

 

 わざとらしく腹を撫でた彼女は、ちらりと私を窺った。あまりにも唐突だったため、一瞬呆然としてしまったが、物言いたげな彼女を見て、ようやくその意図に気がついた。場所を変えたい、ということだろうか。だったら、素直にそう言えばいいのに。

 

「久しぶりに行きませんか?」

「行くってどこへ」

 

 そうは言いつつも、私は彼女がどこに行きたいのかは想像がついていた。

 

「そりゃ、懐かしの甘味屋へ」

 

 

 

 

「やっぱり、甘味も値上がりしてるんだな」

 

 高い高いと大袈裟にはしゃいだ妹紅は、まあ、私は死んでも大丈夫だから、遠慮しておくよとメニュー表を私に突き返した。

 

「別に遠慮しなくてもいいんだぞ。金は払うんだし」

「いいんだいいんだ。それに、私たちは甘味を食べにここに来たんじゃない。そうだろ?」

 辺りを見渡した妹紅は、私の肩を叩いた。

 

 甘味屋にはほとんど人がいなかった。朝ということもあるが、単純に甘味屋に行ける余裕のある人が減ってきているのだろう。少しのおはぎを買うよりも大量の雑穀を買いたい。今はそういう時なのだ。だが、秘密の話をするにはうってつけといえる。

 

 私たちが射命丸とここに来た目的は、ただの雑談以外にもあった。無くなった打ち出の小槌の情報を、彼女から引き出したかったのだ。いったい彼女がどれだけの情報を握っているかは未知数だったが、今は藁にもすがりたかった。ただ、残念なことに掴むことができたのは藁ですらなく、烏だったというわけだ。

 

「それで、この新聞の記事ですが」

 どう切り出そうかと思っていると、射命丸が先に口火を切った。

「気になりませんか?」

「気になるかならないかでいえば、そりゃ気になるけど」新聞から目を逸らしながら、妹紅は曖昧に答えた。

「でも、その女性は純粋な病死だったんだろ」

「純粋な病死、ですか。まあいうなればそうですけど、気になる点はそこではなく、その息子の方です」

 

 ここです、と新聞を指差したが、私も妹紅も見ようとしなかった。ただですら正邪の件で精神的に疲弊しているのに、これ以上いやな事件を目にしたくなかったのだ。

 

「息子の方が姿をくらましているらしいんですよ。不思議じゃないですか?」

 謎です、と言い切った射命丸は、大きな声でおはぎ下さーい、と叫んだ。厨房の奥から威勢のいい返事が聞こえてくる。

「その息子さんはいくつなんだ」

「数え年で7歳らしいです」

「幼すぎるな」

 

 とても一人で生きていけるとは思えないほど、幼い。そんな子が母を病気で亡くし、そして姿をくらませた。確かに気がかりだ。

 

「その少年の名前は分かるか?」

「おそらく、三郎という少年です」

「慧音。寺子屋の生徒でそんな名前のやつっていたか?」

「いや、いない」

 

 一先ず、自分の受け持っている生徒ではないことが分かり、胸を撫で下ろした。そしてすぐに、その行為自体に嫌気がさす。自分の知っている子供であろうとそうでなかろうと、いなくなった事実は変わらない。目を背けてはいけない。

 

「分かった。私たちの方でもその少年を捜してみるよ」

「見つかったら絶対連絡くださいね。記事にしますから」

 

 死体でもいいですから、と笑う彼女の言葉は冗談だと聞き流し、そのかわり、と指を立てた。妹紅が頷いているのが視界の端に映る。

 

「そのかわり、私たちからも探してほしいものがあるんだ」

「何ですか。半獣のいい所ですか。確かに難問ですね」

 

 おい、と声を上げた妹紅をなだめ、射命丸に向き合う。どうやら怒る妹紅を写真に撮りたかったようで、今の一瞬でカメラを出し、シャッターを切っていた。幻想郷最速という異名をまさかこんな形で理解するとは。

 

「私のいいところよりも、きっと探すのは大変だ」

「無い物を探すことより難しいことがあるんですか?」

「打ち出の小槌って知ってるか?」

 

 馬鹿にされたと思ったのか、眉を少し引きつかせた射命丸は、にこにこと笑い「私は寺子屋の生徒ではないのですが」と言い捨てた。そうじゃない、とゆっくり息を吐く。

 

「打ち出の小槌は実在するんだ。そして、それが無くなった」

「面白くない冗談ですね」

 

 下唇を突き出し、これだから半獣はと楽しそうに笑った彼女だったが、無言で顔をしかめる私たちを見て、ようやく事実だと気がついたようで、本当ですか、と小さく呟いた。

 

「本当だ。私の部屋から打ち出の小槌が盗まれた。私たちはそれを捜している」

「ビッグニュースじゃないですか」

「そうだ。だから、騒ぎが大きくなる前に、人里に更なる不安を与える前に回収したい。絶対に口外するなよ」

「分かってますよ。こう見えて私、口が堅い方なんです」胸を張った彼女は、目を輝かせて私の手を握った。

 

 へい、お待ちと男の店員がおはぎを持ってくる。この前来た時よりも、サイズが小さくなり餡子の量も減っている。店員の顔を見上げると、頬が少しこけていた。

 

「やっぱり、大変そうだな」

 

 大変そうという抽象的なことしか言えない自分が嫌になる。が、それ以外に今の現状を表す言葉も見つからない。

 

「そりゃあ大変ですよ。なんていっても食うもんが足りて無いんですから」

「だよな」

「まあ、でも」

 中年男性特有の、人の良さそうな笑みをみせた店員は恥ずかしそうに前髪を撫でた。

「野菜を盗んでいた鬼人正邪が退治されたらしいですから、これからマシになるでしょう」

 

 妹紅が息を飲むのが分かった。私は知らず知らずのうちに、席を立っている。照れくさそうに笑っている店員に近づき、首を掴もうとして、何とか思いとどまった。この店員に悪意がないのは分かっていた。きっと、そういう出来事があったと誰かから聞いたのだろう。だから、怒りをぶつけるのはお門違いだ。

 

「もし、その弱小妖怪は野菜を盗んでいないといったら、信じるか?」

「え?」

「鬼人正邪の持っていた野菜は、私が持ってこさせたといったら、信じるか」

 

 気を抜けば、その場で声を荒らげてしまいそうだったので、必死に口に力を入れる。目の前の店員の眉が下がったのが分かった。陽気さと真面目さが同居していた店員の顔から、そういった感情がごっそりと抜け落ち、不安に満ちた表情に変わる。大の大人がおろおろとし、口をぱくぱくとさせていた。が、しばらくすると、はっと目を見開き口元を緩める。

 

「慧音先生」

「なんだ」

「面白くないですよ」頼みますよ、と縋るような声で店員は言った。

「そんな冗談はまったく笑えません」

 

 分かっていたはずなのに、心の中の何かが崩れ落ちていくのが分かった。いや、違うんだ。と小さく呟いたものの、彼に聞こえてはいない。正邪はやっていない、と大声で叫びたい衝動に駆られる。が、そうはできなかった。

 

 いま、人里の支えとなっているのは、根拠のない希望だ。正邪が退治されたから、卑劣な野菜泥棒が退治されたから、食糧問題も解決するだろうといった、虚構に満ちた希望。それを私がへし折ってしまえば、人里はそれこそ今より大変なことになる。人里の守護者として、それは避けなければならないことだった。

 

 私のとなりで悲しそうに目を伏せる妹紅の肩を撫で、射命丸に目をやる。彼女は、一切の怒りも悲しみも見せず、美味しそうなおはぎですね、と目を輝かせていた。何を考えているのか分からない。

 

「困窮する人間が作る贅沢品は本当に美味しいです」

「それ、嫌味か?」妹紅がつまらなそうに訊いた。

「嫌味なんかじゃないですよ。ただ、自分ですら満足に食事ができない中、他の人の食事を作るのはどんな気分なんだろうか、と想像すると面白くて」

 

 気まずそうに頭を掻く店員に向かい、射命丸は笑顔で言った。にこやかに、歌うように言葉を紡いでいるが、目は笑っていない。ようやく私は彼女が怒っていることに気がついた。

 

「まあまあ、とりあえず話したいのは、小槌のことだから」

 

 手で店員に退くように合図し、射命丸の目の前におはぎを引き寄せる。おっかなびっくりと去っていった店員に心の中で頭を下げた。

 

「食料問題が解決すれば、きっと大丈夫だ」

 

 食糧問題の解決は時間の問題。妖怪の山の会議ではそう結論が出た。春になれば、全てが解決する。確かにその通りだ。だが、私が求めているのはそういうことではない。冬の被害をいかに無くすかが重要だ。ただ、残念なことに私にできることは皆を励ますことぐらいしかない。

 

「それで? 小槌がどこにあるか見当はついているんですか?」

 

 運ばれてきたおはぎを手で鷲掴みにした射命丸は、大きな口を開けながら、そう訊いた。その顔は飄々としたもので、さっきのことなど忘れているかのようだ。

 

「見当がついていたら、射命丸には聞かないさ」頬杖をつき、手をひらひらと振りながら妹紅が答える。

「私たちが知っているのは、寺子屋にはないってことぐらいだ」

 

 はぁ、とわざとらしく大きなため息を吐いた射命丸は、あのですね、と面倒くさそうに口を開いた。なんで私がこんなことを教えなきゃならないんですか、と半目で睨みつけてくる。

 

「普通、こういうのは他の人に頼む前に、自分で出来る限り探してみるんですよ」

「とはいっても、当てが」

「あるじゃないですか」

 

 右手を頭の辺りに持っていき、くるくると回した彼女は、くちゃくちゃと音を立てながらおはぎを咀嚼した。その仕草は、もっと頭を回せと注意しているのか、それともお前の頭はくるくるだ、と非難しているのか分からないが、呆れていることは確かだ。

 

「打ち出の小槌といえば、答えは一つでしょう」

「一つ?」

「小人ですよ」

 

 ガンと強く頭を叩かれたかのような気分だった。そういえば、と声が零れる。私は今まで、家に忍び込んで、打ち出の小槌を盗んだ奴はどんな奴か、そればかりを考えていた。だが、逆に考えれば。犯人を特定するのではなく、犯人が行きそうなところに先回りすればいいのではないか。分かってしまえば簡単で、どうしてもっと早く思いつかなかったのかと、自分を叱責する。

 

「行こう。針妙丸の家に」

「針妙丸?」妹紅が誰だそいつ、と呟いた。「打ち出の小槌と関係があるのか?」

 

 そういえば、妹紅は針妙丸と面識がなかったか、と驚きつつ「会えば分かるよ」と彼女に微笑みかけた。打ち出の小槌を見つける算段がついたことで、私は完全に浮足立っていた。

 

 だが、私は経験で知っていた。暗屈とした状態で、僅かながら差し込んだ光に胸を寄せた時、大抵なにか水を差すような出来事があると。その予感に従うように、外から何かが甘味屋に飛び込んできた。

 

 扉を押し倒すように突っ込んできたそれは、身体を大の字に広げ、扉に張り付くようにしてこちら側に倒れ込んできた。ドスンという音と共に、壁を切り抜いたかのようにできた四角い穴から、数人の男が押し寄せてくる。いつも頼りにしている自警団の団員だ。真剣な顔の彼らは、甘味屋に倒れ込んだそれを乱暴に蹴り、外に連れ出そうとしている。

 

「あややや、噂をすれば何とやらと言いますが」

 

 ぼこり、と嫌な音が甘味屋に響く。倒れているそれを自警団が踏みつけていた。それとは何か。正邪だ。正邪が自警団のみんなに蹴られている。

 

「久しぶりですね。それにしては、無様ですが」倒れ込んだ正邪に向かい、射命丸は楽しそうに微笑んだ。

 

「まさに、踏まれたり蹴られたり、ですね」

 

 

 

 

 

――魔女――

 

「何でも願いが叶う魔法の道具なんて、そんな都合のいい物ある訳ないじゃない」

「別にあってもいいだろ」

 

 天邪鬼としての本領を発揮していた正邪をなんとか宥め、打ち出の小槌の話を聞いた後、私は驚きのあまり声を荒げてしまった。まさか彼女の口からそんなメルヘンな考えを聞くことになるとは思わなかったのだ。おそらく、正邪自身も薄々世の中はそんなに甘くないということは分かっていたのだろう。が、それを認めたくないのか、私の言葉を中々受け入れようとしなかった。

 

 空に浮かぶ輝針城。正邪はその城と深くかかわっている。この事実だけですでに気が重くなった。しかも、レミィの嫌な運命の予言付きだ。

 

「あなた、一寸法師の童話は知ってるわよね」

「当然だろ。小人が鬼を殺して打ち出の小槌を使って幸せになる。ハッピーエンドだ」

「馬鹿ね」

 

 気のせいか、頭が少し痛くなってくる。すぐに回復魔法をかけるが、一向に痛みは変わらない。必要なのは精神安定剤のようだ。

 

「その後には少し話が続くのよ。一寸法師の末裔が小槌で自分の欲を叶え始め、最後に“豪華な城を建てて民を支配したい”と小槌に願って輝針城を造り上げたところで、小槌の魔力は尽きてしまうの。その途端、出現した輝針城は逆転し、民のいない鬼の世界へ小人族もろとも幽閉されてしまうっていう救いのない話がね」

 

 そんなことも知らないの、と危うく馬鹿にしそうになったが、なんとか飲み込んだ。思ったよりも深刻そうな彼女の顔を見ると、軽口をたたくことすらできない。

 

「だから、巫女に退治されるくらいならいいのよ。別に死ぬわけでもないしね。問題は小槌の代償。一種の呪いと言っても良いわ。小槌の魔力が切れた時、幽閉されてしまうのね。“民のいない鬼の世界”って場所がどんな場所か分からないけど、まあそう易々と返ってこれる場所じゃないでしょう」

「その代償ってのは」

 

 聞いていて不安になるくらいか細く、震える声で正邪は言った。顔はレミィのように青白く、信じられないくらいに表情がない。適温に保っている図書館にも関わらず、額に汗のつぶが浮かんでいる。

 

「代償ってのは、誰が負うことになるんだ」

「そんなの簡単よ」彼女にもまだ希望があるのだという事を強調するように、力強く口を開く。

「打ち出の小槌を振った小人よ。当然でしょ」

「嘘だろ」

 

 勢いよく立ち上がった正邪は机に飛び乗り、私に向かい手を伸ばしてくる。が、それを嫌がった机が自発的に倒れ、正邪もそれに巻き込まれた。痛てぇと頭をさすった正邪だったが、その目には怒りが浮かんでいる。

 

「何であなたに嘘をつかなきゃいけないのよ」

「敵を騙すにはまず味方からっていうじゃねえか」

「意味、違うわよ」

 

 憤る正邪をなだめようと、コップを取り出し、紅茶をいれた。心なしか、コップが楽しそうに跳ねているようにも見える。

 

「そんなにその小人が大事なら、危ない橋なんて渡らなきゃいいのに」

「……小人はどうでもいい。事情があるんだよ。私にはやらなきゃならないことがある」

「何? どうせ下らないことなんでしょう?」

「まあ、そうだな」

 

 眉間にしわを寄せ、顔を険しくした彼女は自分の拳を強く握った。私がやるしかない。多少の犠牲は仕方がない、と呪いのように呟いている。俯きがちな彼女の瞳には、もはや何も映っていなかった。

 

「こんな糞みたいな世界、ひっくり返っちまえばいいんだよ」小さな声で、吐き捨てるように彼女は呟いた。

「少しくらい、弱者が救われてもいいじゃねぇか」

 

 血を吐くように、苦しげな表情で言葉を紡いだ彼女は、一度大きく息を吐くと、まだその時じゃないと自分に言い聞かせるように嘆いていた。その時っていうのは大抵訪れないということを、私は知っていたが、口には出さない。代わりに、疑問を投げかけた。

 

「そういえば、不思議に思っていたことが二つあったんだけど」

「なんだよ」

「どんな願いで小槌を振ったの?」

 

 如何なる願いも叶える魔法の小槌。それがどんな願いを叶え、そして輝針城を顕現させたかに興味があった。

 

「友達ができますように、とかだったら、どうする」

「冗談でしょ」

 

 自嘲気味に、一度大きく鼻を鳴らした彼女は「これだから鶏ガラは」とだけ呟いて返事をしなくなった。

 

「そんな馬鹿げた願いだったら、私はあなたを尊敬するわよ。尊敬のあまり肖像画を額縁で飾ってあげる」

「友達なんて、金で買えるっての」

 

 軽口を言う彼女からは表情が消えていた。真顔で、半ば反射的に言葉を発している。流石は天邪鬼と言うべきか、それともこれだからと嘲笑するべきか、迷った。

 

「それで、もう一つの疑問ってなんだよ」

「え、ええ」

 真顔で床を見つめたまま正邪は訊いてきた。

「打ち出の小槌は小人しか扱えないでしょ? 幻想郷に小人がいるなんて、私は知らないんだけれど。どういう関係なの?」

 

 これが一番の謎だった。現れた逆さまの城と、溢れ出るおぞましい魔力から打ち出の小槌の影響だということはすぐに分かった。が、肝心の小人の存在が見えない。幻想郷の表舞台に立たないように、ひっそりと暮らして来たか、意図的に隠されていたか。いずれにせよ、好奇心が大いに刺激された。

 

「針妙丸と私の関係か」一瞬だが、ふわりと頬を緩ませた彼女は、何か楽しい夢でも見ているような、儚げな笑顔を浮かべた。

「あいつは、私にとって」

 

 幸せそうに語ろうとする正邪を遮るように、バタリと大きな音と共に図書館の扉が開かれた。何事かと目を向けると、そこには息を切らした美鈴が立っていた。なぜか全身から血を流し、片足を引き摺っている。

 

「いやぁ、失敗しました」あはは、と笑う彼女の声にはいつもの覇気がなかった。急いで彼女の元へと駆け寄り、治療をする。最近、誰かの怪我を治してばっかりだな、と思い、つい正邪を睨みつけてしまったが、彼女は気にしていないのか、ただやる気なく美鈴を見つめていた。

 

「いったい、誰にやられたのよ」

「そんなの、霊夢さんしかいないじゃないですか。暇つぶしでやられたんですよ」

「おいおい」

 

 たまらず、といった様子で正邪が声を荒らげた。ふらふらとおぼつかない足取りで美鈴に近づいていき、首元に手を置いた。

 

「巫女はそんなに暴力的なのかよ」

「いやぁ、どうですかね。あ、でも異変の関係者に対しては厳しい態度をとることが多いような気がします」

 

 黙り込む正邪の顔に、僅かながら焦りの感情が浮かんでいた。なぜ、彼女が焦る必要があるのかと首を捻る。

 

 美鈴の傷は思ったよりも早く塞がっていった。正邪の時とは大違いだ。彼女自身の治癒力も相まって、目に見え彼女に活気が溢れていく。数分経てば、彼女はいつもの調子を取り戻し、元気にアハハと笑い始めた。

 

「それで? どうして正邪さんは辛気臭い顔をしているんです?」

「さあ?」

「更年期ですかね」

「うるさい黙れ」

 

 天邪鬼に黙れと言われてしまってはおしまいですねと、楽しそうに美鈴は笑った。その姿は子供の様に無邪気で、純粋だ。子供。頭に浮かんだこの言葉をきっかけに、そういえば、まだ正邪と小人の関係を聞けていないことを思い出した。

 

「結局聞き逃してしまったけれど、正邪と小人はどんな関係なの?」

 

 なんの話ですか? と首をかしげている美鈴を無視して、正邪を真っすぐ見つめる。髪の毛をくしゃりとやり、唇をかみしめた正邪は、ゆっくりと口を開いた。

 

「私にとってあいつは」

「あいつは?」

「あいつはただの道具だ。私の願いを叶えるために必要だったから利用したに過ぎない。そういう関係だよ」

「あっそう」

 

 思ったよりもつまらない答えに拍子抜けする。ただ、同時にこの天邪鬼がそんなことをするか、と疑問が浮かんだ。このお人好しな弱小妖怪は、願いを叶えるために他者を踏み台にしたりするだろうか? 

 

「正邪さんの願いって何ですか?」

 

 にこにこと微笑みながら、美鈴が口を開いた。きっと、何も状況を理解せず、単純に雑談だと思っているに違いない。輝針城も小槌も彼女には伝えていないからだ。が、偶然にもそこで初めて私は結局彼女の願いについての質問の時、はぐらかされてしまった事を思い出した。

 

「私の願いは」

 

 目をきょろきょろと動かし、せわしなく足の位置を組み替えている正邪は、小さな声で逆に考えろ、と呟いた。

 

「逆。そう。この世の中を逆にしようと思ったんだ。ひっくり返すんだよ」

「ひっくり返すって、どういうことですか?」目を白黒させ、しきりに首を横にしながら、美鈴は訊いた。

「下克上ってことですか?」

「そうだ!」

 

 勢いよくそう叫んだ正邪は、下克上。最高に最低だな、と一人納得していた。なぜ楽しそうなのか分からない。そんな彼女とは対照的に、私は冷静になれ、と自分に言い聞かせていた。

 

 下克上。この言葉がさす意味はあまりにも広く、限定することはできない。だが、もしも。もしもこの幻想郷のしくみの根幹を揺るがすものであれば、流石に八雲紫も黙っていないのではないか。そんなうすら寒い予感がする。

 

「友人を作るのではなかったの」

「さあな」

 楽しそうに笑った正邪は、人の気も知らないで、平然と言った。

「敵を騙すにはまず味方からっていうしな」

「意味、違うわよ」

 

 

――天邪鬼――

 

 人魚、と聞けば普通はどのような印象を抱くだろうか。おそらくは、優雅で美しく、放漫な体と人を魅了する歌声で人間を虜にする魔性の存在。そんなことを考えるのではないだろうか。

 

「あの、始めまして、であってますかね」

「当たり前だろ、私はお前なんて知らない」

 

 間違っても、いま私の前で、おどおどと怯えるように周りを見渡している小魚のことを思い浮かべる人はいないはずだ。

 

 輝針城。私たちがいる空に浮かんだ逆さまな城を、鶏ガラはそう呼んだ。当然、ただの城ではなく、無駄に広く、そして迷路のように入り組んでいる。警備も万全の様で不審者が入ってこれば、様々な罠が発動するらしい。その不審者の判断基準は定かではないのが恐ろしいところだ。目の前で、ピチピチと跳ねている小魚は、どうやら不審者には該当しなかったようで、平然と輝針城へと入ってきた。警備という言葉の意味を、私ははき違えていたのかと、心配になる。

 

「私はわかさぎ姫といいます」

「姫! 私と同じだね」

 

 何が同じなのか分からないが、針妙丸はそうはしゃぎ、わかさぎ姫に勢いよく抱きついた。見るからに弱気なわかさぎ姫は、きっと、針妙丸の勢いに気圧されてしまうだろう、と考えていたが、予想に反し、元気がいいですね、と優しく微笑んだ。

 

「私、霧の湖に住んでいるので、妖精の扱いには慣れているんですよ」

 

 そいつは妖精じゃない、と口では反論したものの、私は納得していた。確かに霧の湖の妖精たちは、針妙丸よりも騒がしく、幼く、そして愚鈍である。そんな彼女らと共に過ごしていれば、嫌でも寛大になるはずだ。

 

「それで? 何の用で来たんだ。まさか珍しい建物が浮かんでたから、なんて馬鹿な理由で来たわけでも無いだろ」

「まあ、それも少しはありますが」

 

 苦笑いをした彼女は、その太い尾びれをくねらせながら、魔女さんに頼まれたんです、と口元を歪めた。

 

「実は、これを届けに来たんです。あなたにとって大事な物と聞いたので」

 

 笑みを崩さずに、懐をまさぐった彼女は、円錐状の茶色い物体を取り出した。一瞬、それが何だか分からなかったが、にこにこと笑みを携えながら頭に被るわかさぎ姫をみて、何時の日か無くした笠だという事に気がついた。

 

「この笠って、正邪のなんだ!」

 

 久しぶりに私以外の奴と会ったからか、針妙丸は浮足立っていた。くるくるとその場で踊り、わかさぎ姫にえへへーと笑いかけている。それに答えるように、小魚も首を傾けた。なぜだか、無性に腹が立つ。

 

「遅せぇよ、馬鹿野郎」

 だからだろうか、つい語調が強くなってしまった。

「遅いって、何か使う予定でもあったの?」

「おいおい自称茶碗蒸し姫様。あなたは笠の使い方も知らないのですか? 」

「ちょっと! その丁寧な言い方止めてよ。正邪がいうときもちが悪い」

 

 私はてっきり、笠の使い方ぐらいわかる、だとか、私は茶碗蒸しではない、と怒られると思っていたので、少しの間ぽかんとしていた。まさか、敬語を叱られるとは思っていなかったのだ。

 

「きもちが悪いとは、酷いですね。姫様」

「止めてって!」

「良いことを教えてあげますよ、姫様」

 

 自分を抱きしめるように両腕を肩に回している針妙丸を見ると、心が躍った。顔がにやけていくのが自分でも分かる。大きくなっても小人は小人、その単純な性格は変わっていない。

 

「敬語には不思議な力があるんですよ。一見、相手に敬意を払っているように見えますが、時と場合によっては相手を馬鹿にしているようにも聞こえます。そして何より、相手との距離感がより広く感じられるのです。だから、姫も相手と距離を置きたいと思った時には敬語で話してみてはどうですか?」

「だから、止めてって。それだと、正邪は私と距離を置きたいってことになるじゃん」

「ご明察です」

 

 もー、と牛のような呻き声をあげた針妙丸は、これまた牛のように私に突っ込んできた。大きくなった針妙丸の扱いにもだいぶ慣れてきた私は、受け止めるふりをして、さっと横へ躱す。「なんで~」と奇声をあげながら床へと這いつくばる針妙丸を見下し悦に浸っていると、不敵に笑った彼女は地面に倒れ込んだ反動で、間髪入れずに起き上がり、もう一度私に突っ込んできた。虚を突かれ、反応が遅れた。身体を床に押し付けられ、素っ頓狂な声が漏れる。えへへ、といつものように勝ち誇った笑い声が上から聞こえた。

 

「今日も私の勝ちだね」

「勝ち負けなんて、主観で変わるものだろ? そんな物に意味はない」

 

 負け惜しみだー、と私を指差す針妙丸を無視し、痛む腰を撫でる。

 

「ねえ、大丈夫?」

「大丈夫じゃねえ」

「大丈夫って聞いて、大丈夫じゃないって返さえたのは初めてだよ」

「文句は慧音に言ってくれ」

 

 打ち出の小槌の影響で身長が大きくなって以来、彼女はやけに私の腰へ飛びついてくるようになった。いや、飛びつくなんて可愛いものなんかではなく、もはや突進に近い。段々とその技術は上がってきている。もしかすると、誰かに襲われた時は、突進をすれば逃げ出せるのでは、と思うほどだ。 

 

「ずいぶんと、仲がいいんですね」

 

 腹の上に乗っている針妙丸をどかそうと脇の下をくすぐっていると、小魚が口を開いた。くすくすと、口元を裾で隠して笑っている。その仕草は確かに姫様じみていた。

 

「仲がいい? 冗談だろ」

「え? むしろ、冗談じゃないくらいに仲がいいって感じですけど」

「良かったね、正邪。褒められたよ」

「良くねえし、褒められてもねえ」

 

 私たちを交互に見て、また声をこぼすように笑った小魚に舌打ちをする。奥歯を噛みしめ、息をのみ込んだ。「あなた達は仲が良すぎるのよ」鶏ガラが言ってきた言葉を思い出す。「そんなんだと、痛い目に遭うのはあなたよ」そんなことは分かっていた。分かっていたはずなのに、何故かこいつとの距離を離せない。血まみれで泣いている三郎少年の姿が頭に浮かんだ。このままでは、水の泡だ。

 

「いいか小魚、私はこいつをただ利用しているだけなんだよ。下克上をするための、ただの手駒に過ぎねぇんだ」

「そうなんですか?」小魚が針妙丸に向かい首をかしげる。

「え、違うよ」

「ですよね」

「何で信じねえんだよ」

 

 私の言葉はいつだって信じてもらえない。逆に、「こいつと私は仲良しなんだぜ」と言い張れば、信じてもらえるのではないか、と半ば本気で考えるほどだ。

 

 楽しそうに針妙丸と雑談を始めた小魚の頭から、笠を奪い取る。お世辞にもきれいとは言えないそれの、飛び出した管が手に引っかかったが、気にせず自分の頭にのせた。心なしか、魚特有の生臭さが鼻につき、顔の前で手を振る。

 

「おい、もう笠は受け取ったから、とっとと帰れよ。用事はもう済んだだろ」

「確かに、頼まれていた任務は完了しましたが」任務を完了するという言い回しがその口調と似合わず、吹き出しそうになってしまう。

「でも、なぜだかここから離れたくないんですよね。なんだか、この城に引き寄せられたというか、ここであなた達に会えた運命を大事にしたいというか……。あ、でも、単純に針妙丸さん達とお喋りするのは楽しいですよ。でも、なんか違う感覚があって」

 

 自分でもよく分かっていないのか、不思議そうに肩をすくめ、どこか要領を得ない話し方をする小魚を前に、私と針妙丸は顔を見合わせていた。私自身はどんな顔をしているか分からなかったが、針妙丸はいたずらに成功した子供の様に、無邪気な笑みを浮かべている。

 

「やっぱり、打ち出の小槌の力は本物だったんだね」

 

 小声でそう囁き、私に見せつけるように小槌を振った彼女は、よっぽど嬉しかったのか、小魚の元へ歩み寄り、その手を掴んだ。ぶんぶんと大袈裟に振っている。

 

「そうだな」

 

 私の言葉は小魚の叫び声にかき消された。あっ、と短く、けれど人を惹きつけるような独特な声で叫んだ彼女は、そうでしたそうでしたと手を叩いた。

 

「言うのが遅くなりましたけど」

「遅せぇよ、馬鹿野郎」

 

 言葉を遮られ、不機嫌だった私は、彼女に対して分かりやすく敵意を剥き出しにしたが、彼女は平然と無視した。

 

「仲間達からきいたんですけど、近々本格的に動くらしいですよ」

「動くって何が?」

「さすがに、ずっと放置しているわけにもいかなかったらしいですね。付喪神が突然大量発生したことが決め手だったそうです」

「だから、何が動くんだよ」

 

 私に顔を向け、少し眉を下げた。ぴたんぴたんと尾びれで床を叩いている。言おうかどうか迷っているのか、黙って俯いていた。少しの間、針妙丸の鼻歌だけが辺りを包んだが、意を決したように小魚は頷き、口を開いた。

 

「巫女ですよ。巫女が異変解決に向け、動き出したのです」

 

 一瞬、私は呆然とし、自分の耳を疑った。巫女が動くのは分かっていた。覚悟していたと言ってもいい。だが、心のどこかで実は来ないのではないか。来るとしても、来年あたりなのではないかと期待していた。慢心していた。高を括っていた。だから、その言葉をすぐに受け入れることはできなかった。この曖昧で、どこか平和ボケした瞬間が終わりだと認めたくなかった。覚悟をしていたはずなのに、それでも恐怖心は拭えない。終わる決意が出来ていなかった。

 

「やっぱり、言うのが遅かったでしょうか?」

「遅せぇよ、馬鹿野郎」

 

 自分でも驚くほどに、声に生気がこもっていなかった。

 

 

 

 あなたは氷を作ったことがありますか? 突然小魚がそう切り出した。

 

「霧の湖には氷精がいるので、氷についての知識はそれなりにあるんですよ」

 

 そんなことよりも、さっき言っていた巫女についての話をしろ、とすごんだが、耳がないせいか私の声は聞こえなかったようで、「氷を作るのは案外難しいんです」と続けた。

 

「確かに普通に池の水を冷やすだけでも氷はできるんですけど、それだと汚い、濁った氷になるんですよ」

「何の話だ」

「綺麗に氷をつくるためには、綺麗な水が必要なんです。それに、こう見えても私は人魚なので、水には煩いんですよ」

「何の話だ」

「綺麗な水ってことは、不純物を取り除かなくてはいけません。ほんの少しでも不純物が入っていると、台無しになってしまうんです。でも、最近は汚い氷ばかりで困ってて」

「だから、何の話だよ!」

 

 憤った私を宥めるように、まあまあ、と私と小魚の間に割って入った針妙丸は、「面白そうだし、聞いてみようよ」と肩を撫でた。ますます気に入らない。

 

「つまりですね、私が何を言いたいのかといいますと」そこで小魚は言葉を切った。得意げに鼻を鳴らし、挑発するかのように両手を広げる。

「水こすことが出来ないってことです」

「は?」

「あれ? 分かりませんでしたか? 見過ごすと水をこすってのをかけているんです」

「止めろ、説明すんな」

 あまりにも下らなすぎて、怒る気力も失せてしまう。

「どうですか? 面白かったですか」

「これを面白いというお前が滑稽で面白いよ」

 

 くすくすと笑う小魚は、よほど自信があるのか、思い出して自分で笑っているようだった。だが、そんな姿ですら私と違い、どこか気品に溢れている。こんな寒い洒落を言う妖怪がいるとは世も末だ。

 

 ふと、針妙丸が声を出していないことに気がつき、隣に目を向けた。てっきり私は、あまりにもつまらなすぎて、あんぐりと口を開けているか、それとも話をそもそも聞いていないかのどちらかだと思っていたが、違った。予想に反し、彼女はその大きくなった体をよじり、声を殺して笑っていた。両手を口に当てて、顔を真っ赤にしている。

 

「おい何で笑ってんだよ」

「っ……。だって、面白いんだもん」

「嘘だろ」

 

 堪えることが出来なくなったのか、声を出しながら腹を抱え始めた針妙丸は、足をバタバタと床に打ち付けた。つられるように、小魚も大声で笑いはじめる。

 

 どこか静かで、厳かな雰囲気だった輝針城が、一転むかしの寺子屋のような活力の溢れる場になった。もう夜も大分更けてきたにもかかわらず、部屋の中は明るくなったかのように感じる。

 

 沈んでいた心が不思議と明るくなる。勇気はあるか? 頭の中で声が響いた。絶望する勇気はあるか? 今であれば、はっきりと返事はできる。

 

「少し、元気な顔になりましたね」

「は?」

「巫女の話をした途端、急に顔が暗くなったので、びっくりしました」

 

 やっぱり、笑いは人を救いますね、ともの知り顔で語った小魚は、「まあ、仲間の言葉なんですけど」と照れくさそうに笑った。

 

「さっきから仲間とか言ってるが、もしかしてあのクソみたいな妖精たちのことか?」

「違いますよ。草の根妖怪ネットワークって知ってますか?」

「なにそれ?」

 

 まだ笑いが収まりきらないといった様子ではあったが、一応話は聞いているようで、針妙丸が口を挟んだ。

 

「むだ骨妖怪ネットワーク?」

「違いますよー」

 

 穏やかに微笑んだ小魚は、そのなんちゃらネットワークとやらがよっぽど誇らしいのか、わざとらしく胸を張った。

 

「草の根妖怪ネットワークです。弱小妖怪で集まって、色々な情報を共有したり、一緒に遊んだりしてるんですよ」

「井戸端会議みたいなものか」

 

 馬鹿にされたと思ったのか、少しむっとした小魚は声を少し大きくして、語尾を強めた。

 

「もっと凄いんですよ。例えば、今回の巫女の情報だって、その内の一人が拾ってきてくれたんですから」

「それはすごいね」

 うんうんと頷いている針妙丸を見て気を良くしたのか、「あなたも是非入って下さいよ」と針妙丸に手を伸ばした。嬉しそうに微笑んだ針妙丸は、少しだけ私を横目で窺ったものの、私が首を縦に振った瞬間に勢いよく手を握った。

 

「これも、小槌の力だね!」とはしゃいでいる針妙丸は心底嬉しそうに顔をくしゃりとさせた。小槌の力で得た友人がいいものかどうか私には分からなかったが、目の前の二人を見ていると、きっと小槌なんて無くったって、仲良くなっていたに違いない、と確信できる。それほどまでに彼女たちは馬が合っていた。ほっと安心している自分がいて、驚く。私がいなくても、針妙丸は何とかなりそうだ。

 

「そうだ! 正邪も入ろうよ。正邪も弱小妖怪なんだし」

「ああ、ごめんなさい。正邪さんは駄目なんです」

「おい、何でだよ」

 

 別段入りたくもなかったが、いざ拒否されるとそれはそれで気に入らなかった。仲良く手を握っている小魚の肩を掴み、小さく揺する。

 

「それはあれか? 私は弱小妖怪というには強すぎるってことか」

「違いますよ」

 

 御冗談を、と眉を傾けた小魚は申し訳なさそうに首を振った。

 

「私は草の根妖怪ネットワークが好きなんですよ。だから駄目なんです」

「なんでだよ」

「だって、ほんの少しでも不純物が入っていると、台無しになってしまうんです。私は草の根妖怪ネットワークを台無しにしたくありませんから」

 

 おいおい、私は不純物なのか、と嘆く声に返事をしてくれる者は誰もいなかった。

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