天邪鬼の下克上   作:ptagoon

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素敵な再会

――白沢――

 

「お前ら何やっているんだ!」

 

 甘味屋の薄い壁をぶち抜くような勢いで、私は叫んだ。その声をまじかに聞いた正邪が耳を両手で抑え、うずくまっているのを尻目に大声でまくしたてる。もはや自制心は何処かへ行っていた。

 

「私は悪い妖怪が来たら時間稼ぎをして、知らせろと言ったはずだ。抵抗しない弱小妖怪をいたぶれとは言っていない」

「ですが」

 

 私の言葉に被せるように自警団の内の一人、部隊長を務めている男が口を開いた。直立不動で胸に手を当てている姿は、いつも通り真面目さと力強さを醸し出している。

 

「ですが、こいつは鬼人正邪ですよ」

 

 淡々とそう言った彼は、さもそれが当然かのように「どうして排除しなくていいんですか」と続けた。身体が何かで地面に押しつぶされるような、そんな感覚に襲われ、事実私はいつの間にかその場に崩れ落ちていた。

 

 信頼を置いていた自警団のみんなが、急に私に対し心を閉ざし、遠くへ行ってしまったと錯覚する。彼らに悪意がないことはすぐに分かった。だからこそ、私は余計に動揺した。私の知っている彼らは、いつの間に悪意もなく弱者を甚振るようになってしまったのか、私がいない間に人里の何かが崩れ落ちてしまったかのように思えた。

 

「あー。この天邪鬼については私と慧音が何とかするから。お前らは持ち場に戻れ」

「ですが」

「いいから」

 

 私の前に出て、ほら行った行った、と猫を振り払うように手をぶらつかせた妹紅は、彼らが行ったのを確認すると、「大丈夫か」と私に声をかけた。情けなさと絶望でどうにかなりそうだったが、何とか立ち上がる。どうやら私なんかより、正邪の方がはやく立ち上がっていたようで、射命丸と何やら楽しそうに口喧嘩していた。自分の打たれ弱さにほとほと嫌気がさす。

 

「無事だったのか、正邪」

 

 彼女の顔を真っすぐと見つめる。罪悪感ですぐに目を離したくなるが、こらえた。自分の罪から、目の前の悲劇から目を背けてはいけない。

 

「無事じゃねえよ」

「え」

「ほら、ここ見てみろ」

 

 右腕を曲げ、ひじを指差した彼女は、「ほら、ここ擦り剥いちまった。あの人間たちのせいで」と拗ねるように言った。まるで、転んでしまった子供が怪我を自慢する様だ。

 

「なんだよそれー」妹紅が正邪の傷を覗き込み、薄っすらと浮かんでいる血をこすり取るように指を這わせた。

「痛い痛い! 何しやがる」

「いやぁ、あんなに心配したのにピンピンしてたから腹が立って」

「知らねぇよ」

 

 ぎゃあぎゃあと呑気に騒いでいる二人を見ていると、何故か心が落ち着いた。正邪を取り巻く環境は未だに厳しく、しばらくは人里で暮らすことすらできないだろう。だが、それでも。妹紅と仲良く話している姿を見ると、微笑ましく思えた。むかし、人間から疎外されていた私を慰めている妹紅の姿が頭に浮かぶ。その姿と今の彼女は、同じような表情をしていた。

 

「いやぁ、いいですね」

 

 カメラのファインダーを覗きながら、射命丸は私に近づいてきた。しかし、視線は完全に妹紅と正邪に向いている。カシャリと無機質な音が何度も響いた。

 

「いいって、何がだ」

「泥沼の三角関係みたいです」

「頼むから止めてくれ」

 

 あややや、とよく分からない声を発した彼女は、私の言葉を無視して写真を撮り続けた。烏天狗の新聞にかける熱意は知らない訳ではなかったが、限度はある。わざと、射命丸のカメラを遮るように正邪たちへと近づいていった。カシャリとカメラが音を立てたが、私の背中しか写していないはずだ。

 

「やっぱり、魔法ってのはすごいな。あんな怪我まで治せるのか」妹紅は少し興奮し、正邪の体をペタペタと触っていた。男たちに蹴られた部分に触れたからか、小さく身震いしている。

 

「知らねぇよ。気づいたら図書館で寝てたんだ」

「あの、だな。正邪」二人の会話に割り込むようにして、私は声を出した。正邪には聞きたいことが無数にあった。もう大丈夫なのか。今までずっと紅魔館にいたのか。人間を恨んでいないか。数えだしたらキリが無いほどだ。だけど、その前に私はやらなければならないことがあった。まずは、謝らなければ。

「私がお前を紅魔館に行かせたばかりに、取り返しがつかないことになってしまった。その、本当にすまなかった」

 

 頭を目一杯下げる。地面にぽたりぽたりと滴が垂れている。私の涙だ。いつの間にか泣いていた。

 甘味屋からは音が消えていた。風がそよぐ音と、私の鼓動だけが頭に響く。

 

「とりあえず、だな」やけに溌剌とした声で正邪は呟き、店の奥の壁を指差す。

「場所、変えようぜ」

 

 そこには店員によって逆さまに立てられた箒が置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

「それで? もう一度言ってくれよ先生」

 顎で私を指しながら、正邪はカラカラと笑った。

 

 場所を変えると言っても、今の状況で正邪を連れて店に行くことは難しいと思った私は、結局いつも通り寺子屋へと向かった。大通りを歩く際に、私と射命丸、そして妹紅が正邪を取り囲むように進み、人目につかないようにと注意しながら進んだが、そんな奇妙なことをしてしまったからか、逆に目立っているようにも思える。まあ、何はともあれ無事に寺子屋まで戻って来れたので良しとしよう。問題は、目の前で生意気な態度を取っている天邪鬼の方だ。

 

「さっき、甘味屋で私に何を言ったんだ? よく聞こえなかったなぁ。もう一遍言ってみろ」

 

 右耳に手を被せるようにし、ぬめりとこちらに近づいてくる。思わず後ずさってしまい、隣にいた射命丸の足を蹴っ飛ばしてしまった。謝ろうと思ったが、彼女がニヤニヤと笑いながら私にカメラを向けていたので、止める。きっと、私が謝る姿を写真に収めたいのだろう。そんなことは、もちろん嫌だ。屈辱だ。だが、正邪の受けた痛みに比べれば、屁でもない。そう思い、もう一度頭を下げようとしたが、直前に妹紅が、おい正邪と険しい声を出した。

 

「おまえ、無理してるだろ」

「は?」

「虚勢を張っているだろ。私には分かる。おまえ、精神的にも身体的にも限界なんじゃないか?」

「何を言って」

「ほら見ろ。いつものお前なら“そうなんだ。だから美味い飯でも持ってこい”とでも言うだろう。何を無理しているか知らないけど、弱小妖怪が無理をして生き長らえた例はないよ」

 

 正邪は黙り込んだ。口元は緩んでいるものの、へへっと力なく笑う様子は弱弱しい。よく見ると、顔からは脂汗が出ていた。もしかすると、まだ体調も万全ではないのかもしれない。

 

「いいから、寝とけよ。別に急ぐ用も無いんだろ。というか、どうして人里に来たんだ。紅魔館を追い出されたのか?」

「いや」勘弁したのか、それとも遠慮が無くなったのか、床にゆっくりと倒れ込んだ正邪は小さく首を振った。

「草履を取りに来たんだよ。裸足じゃ足が冷える」

 

 そういえば、と私は思い出した。どういう訳か正邪の草履が寺子屋に転がっていたはずだ。そこら辺にあったような気がし、汚い部屋をがさごそと漁っていると、簡単に見つかった。

 

「草履って、これだろ?」

「ああ、それだそれ。壊してねえよな」

「ない。元々壊れそうだったけど」

 

 うるせえ、と小さく言った彼女をまじまじと見る。彼女の草履がここにあるということは、私が留守の間に寺子屋に来たということで間違いないだろう。だとすれば、打ち出の小槌について何か知っているかもしれない。

 

「なあ、正邪」おまえ、打ち出の小槌って知っているか? そう口にしようと思ったが、直前で言い淀んだ。本当にいいのか? 正邪が打ち出の小槌を盗んだ可能性は無いのか? 分からない。私は彼女のことなど何も知らない。

 

「なんだよ」 

 

 いつものように鋭くも、いつもと違い酷く澱んだ目を私に向けた正邪は、額の汗をぬぐった、ように見えた。が、私は彼女がさり気なく目元を拭う瞬間を見てしまった。見えてしまった。彼女がなぜ泣いているかは分からない。だが、それが私のせいであることは明らかだった。床を滑るようにして正邪の元へと近づく。

 

「本当になんだよ。その変な目はどういう意味だよ」

 

 よく見ると、彼女の服はボロボロだった。身体こそ魔法で治ったものの、服までは元には戻っていないようだ。その傷の多さと荒み具合から、いかに酷い暴行を受けたかが分かる。正邪を訝しむ気持ちは最早何処かへいっていた。

 

「ごめんな。私のせいで酷い目に遭わせてしまって」

「止めろ、憐れむな。本当に憐れなのは私じゃない。私なんてまだマシだ。私が巻き込んでしまったんだ」

 

 地面に寝そべったままだったが、彼女はしっかりとそう言った。顔を赤くして、怒りのせいか奥歯を強く噛みしめている。おそらく、その怒りは自分自身に対してだろう。

 

「本当にすまなかった」

 

 仰向けに寝ている正邪の腹部を優しく撫でる。初めこそは逃げようと体をくねらせていたが、観念したのか動きを止めた。彼女を安心させようと、ゆっくりとさするように体重をかけていく。すると、奇妙な感覚が手のひらを襲った。何かを押しつぶしてしまい、具体的には芋虫を押しつぶしてしまい、体液で手を汚してしまったかのような、そんな感触がした。慌てて手を引っ込め、掌をまじまじと見つめる。ごくわずかにだが赤い色が手に移っていた。

 

「慧音、それ」恐る恐るといった様子で妹紅が私の手を覗き込む。カシャリと射命丸がカメラを切る音が聞こえたが、それもどうでもよくなっていた。

 

「正邪、もしかしてお前」

「もしかして血だと思ったか?」

「え」

「馬鹿だな。半獣のくせに嗅覚までだめとは」

 

 空元気か、それとも自然に浮かんだものなのか、ふぅと頬を緩めた彼女は服の中に手を突っ込んだ。漏れてやがると嫌そうに顔をしかめたものの、私の呆然とした顔を見たからか、すぐににやりとした。

 

 彼女が腹から取り出したものを見た私は、なんでと呟いていた。なんでそんなものを腹に入れているんだ。なんでケチャップなんかを腹の中に隠しているんだ。

 

「なんでって、そりゃあ人は腹の中に一つや二つ隠している物がある」

「お前は人ではないし、その言葉の意味も違う。それに、どっちにしろ普通ケチャップは入れないだろ」

「分からねえじゃねえか。ケチャップは役に立つんだよ」

「例えば?」

「料理にアクセントを加えたり、非常食になったり、もしかすると盾代わりになったりするかもな」

「最後のは無理だろ」

 

 呆れて肩をすくめた私と違い妹紅は笑いで肩を震わせていた。

 

「驚いたか?」

「ああ、驚いたよ」

「驚いたなら驚天動地! って叫べよ」

「なんなんだ、それは」

 

 腹を抱えて笑った正邪は、若干引くくらいに足をバタバタと振って身をよじらせている。また、カシャリと射命丸が写真を撮った音が聞こえた。咎めようと彼女の方へ目を向けたが、すぐにその目は丸くなった。あの、いつも仮面のような笑みを浮かべていた射命丸が、笑いを堪え切れずに身震いしていたのだ。手に持ったカメラも震え、ピントを合わせるどころではなさそうだった。

 

「いやぁいいですね」射命丸は、こらえきれないといった様子で息を吐いた。

「泥沼の三角関係ってかんじで」

 

 どちらかといえば血みどろの三角関係じゃないか、そう抗議する私の声は、笑い声にかき消されていった。

 

 

 

 

 

「小人の家に行く前に寄り道をしたいのですが、いいでしょうか?」

 

 後ろを振り返りこてんと首を傾けた射命丸は、私の返事を聞く前に細い路地へと入っていった。説教をしようと思ったが、考えている内にもずんずんと進んでいく彼女は、明らかに訊く耳を持っていないので、諦めてしぶしぶ着いて行く。

 

 結局、正邪に小槌の件を言い出せないまま私は射命丸と一緒に針妙丸の家へと向かうことにした。精神面が酷く傷ついたせいかか、体調面が優れない正邪が心配だったので、妹紅は寺子屋で彼女の看病をすることになった。「命に代えても守るよ」と胸を張った彼女は、まあ私にできることは紅魔館に連れていくことぐらいだけど、と眉を下げていが、それで十分だ。

 

「寄り道って、どこに行くつもりだ」

「行方不明になった女性の家ですよ。子供が帰ってきてないかと思いまして」

 

 くだらない用事であれば文句を言うところだったが、そう言われてしまえば強く言い出せない。実際は、単純に次の記事の下調べをしたいのだろうということは分かっていた。が、もし私が急かそうとすると、「あやや、寺子屋の先生のくせに、子供のことなんてどうでもいいんですか?」と言ってくるに違いない。

 

 そう考えていると「そんな不満そうな顔をして。寺子屋の先生のくせに、子供のことなんてどうでもいいんですか?」と訊いてきた。ニヤニヤと馬鹿にするように笑う射命丸に、私は何も言い返すことが出来ない。

 

「ここですね」

「ここ、か」

 

 くねくねと入り組んだ路地を曲がり、苦労してたどり着いた先にあったのは、まごうこと無きボロ屋であった。辺りにある民家は全て小さく、みすぼらしいが、その中でも群を抜いて酷い。そんな醜い家の扉を、躊躇もなく射命丸は開いた。慌てて咎めようとするも、中には誰もいないのは分かっていたので、慎重にな、とだけ口にする。

 

 射命丸に続いて家へと入っていく。ただ、真ん中付近に布団が敷いてあるだけで、目ぼしいものは何もないように思えた。少しの腐敗臭が鼻を突くが、気のせいだと思い込む。

 

「やっぱり、面白いものは何もないですね」

「面白い物なんて、病死された人の家にあるわけないだろ」

「そうですか? 遺産があるかもしれないじゃないですか」

「不謹慎だ」

 

 そうですか、と抑揚なく言った彼女は、部屋の奥に向かっていった。流石に土足では上がっていないようで、靴は脱いでいる。私もとりあえず脱ごうか、と足元に目を落とした時、妙なものが目に付いた。茶色の、円錐状のそれは、どこかで見覚えがあるような気がした。

 

「これは」

「あややや、ありました? 遺産」

「遺産はない。その代わりに何故か笠があった」

 

 掴み上げるようにして、目の前へもっていく。ところどころに菅が飛び出しているが、まだ使えそうだ。私だったら、新しいのを買いなおすが。

 

「ちょっと失礼しますよ」

 

 そう言った彼女は、私の返事を聞く前に笠を奪い取った。左手を伸ばし、片手で器用に写真を撮った彼女は、まじまじとそれを見つめている。

 

「なんでこの笠がこんなところにあるんですかね」

「さあ。どこかで見覚えがあるような気がするんだが」

「分からないんですか?」

 

 馬鹿にするというよりは、心底驚いたといった様子で声をあげた射命丸は、その口を大きく歪ませた。短く切られた真っ黒な髪が私を取り込むかのように、ゆらりと蠢く。

 

「さすが半獣です」

「教えてくれ射命丸。その笠は一体何なんだ」

「用事も済んだし、行きましょうか」

「おい」

 

 私の言葉を無視した射命丸は、さっさと外に出て、扉の前でニヤニヤと笑っていた。強引にここに来た割には、随分とあっさり帰ろうとしていることに、驚く。

 

「どうしたんです? 早くしましょうよ」

 

 私の脇をすり抜けるようにし、扉から出ていった彼女は、次は小人の家ですね、と満面の笑みで振り返った。なぜだか分からないが、寒気がする。

 

「何なんだ、いったい」

 

 不思議と、正邪の卑屈な笑みが頭を掠めた。

 

 

 

 外に出ると、いつの間にか分厚い雲は遠ざかり、爛々と輝く太陽が顔を出していた。寒空の澄んだ空気に見合うような、気持ちのいい陽射しが体を包み込む。私の抱え込んだ不安を全てきれいに拭い去ってくれるような、そんな気がした。きっと、打ち出の小槌は八雲紫が勝手に回収したに違いない。正邪も時間をかけていけば、いつか人里に受け入れられるはずだ。そう何度も自分に言い聞かせ、その言い聞かせている時点で自分がそう信じていないことに気がついた。

 

「おや、こんなところで珍しいですね。どうしたんですか?」

 

 針妙丸の家へと続く、人通りの少ない荒れた道を進んでいると、突然後ろから声をかけられた。聞き覚えのある、男の声だ。慌てる心を隠すようにゆっくりと振り返る。

 

「あやや、まさかここで出会うとは」

 射命丸のうすら寒い笑みがより深みを増した。まさかここで出会うとは。射命丸のこの言葉が私の気持ちを代弁していた。正邪を連れてきていなくて、本当に良かった。

「そっちこそどうしたんだ?」

「野暮用ですよ」

 

 にこり、と人懐っこい笑みを浮かべながら、彼はその丸々と大きくなった腹を撫でた。白い髪が太陽に照らされて、キラキラと光っている。

 

「お陰様で、私は忙しいんですよ。慧音先生」

 

 朗らかな声で、喜知田は子供の様に、自慢げに言った。一切の悪意もなく、優等生然としたその態度は昔から変わらない。まさかこいつがあんな事をするなんて夢にも思わなかった。

 

 三十年前、恐怖で顔を青くして、泣きながら寺子屋に駆け込んできた彼の姿を思い浮かべる。歯をカチカチと震わせ、人を殺してしまいました、と独白する姿は、大事な何かが無くなってしまったように映った。そんな彼を庇った事を後悔はしていない。ただ、正しい行為ではないことも同時に分かっていた。

 

 私は人里の守護者だ。もし一を犠牲に十を救えるのであれば、まして亡くなってしまった御方の死因を隠蔽することで人里が繁栄の方向へと向かっていくのであれば、そちらを優先しなければならない。それほどまでに、喜知田は人里に影響力を持っていたし、頼りにされていた。そして何より、幾度となく人里の危機を救ってきていたのだ。

 

「それは食糧不足が関係するのか?」

 だからだろうか、今回も彼が人里のために奮闘しているのではないか、と勝手に期待してしまう。

「え。いや違います」一瞬ぽかんとした喜知田だったが、すぐにまた照れ笑いのような顔になった。

「食料不足は私たちに何とかなる範疇を超えてしまいましたから。為すすべ無しってやつですね」

「そうだよな」

 

 なぜか、不敵に鼻を鳴らした射命丸に目をやるが、彼女は何も言わず首を振るだけだった。

「そういえば、面白い話が二つあるんですが、聞きますか?」

 

 突然、私の口癖を真似するように唇を突き出した喜知田は、指を二本たて、私と射命丸を見比べるように首を振った。あまりに唐突で驚いたが、それよりも、話をはぐらかされたことにむっとしてしまう。

 

「私より面白い話が出来たら、おはぎでも奢るよ」

「あややや、逆に半獣よりつまらない話ができる人妖を私は知らないんですが」

「どういう意味だ」

 

 くすくすと私たちを興味深そうに見ていた喜知田は、目元の皺をより深くし、顔をくしゃりとさせた。そのまま

 

「実はですね」と快活な声で続ける。

「実は、霧の湖に妖精以外の妖怪が住んでいるんです。知ってました?」

 

 いきなり何を言い出すのか、と首を捻っていると、隣にいた射命丸が私の肩をつかみ、身を乗り出した。

「それは本当ですか!?」

 

 正直、私はそこまで興味を惹かれなかったが、射命丸は違った。異常ともいえる程に関心を持ち、喜知田に詰め寄っている。さっきまでの澄ました顔を興奮で歪ませ、鼻息を荒くしていた。

 

「いったい、どんな妖怪ですか? いえ、まだその妖怪は生きていますか?」

「え、ええ。生きていますよ」

 

 まさかそんなに食いつかれると思っていなかったからか、喜知田は両手で射命丸を制しながら、後ろへと下がった。彼にしては珍しく露骨に恐怖している。いったい、射命丸は喜知田にどれほどの事をしたのだろうか。彼女のカチコミという言葉は、比喩ではないということを改めて見せつけられた。

 

「まあ、落ち着け。射命丸は霧の湖に興味があるのか?」

「そんな訳ないじゃないですか」

 

 がばりと勢いよくこちらを向いた彼女は「賭けをしてたんです」と目を輝かせた。

「賭け?」

「妖怪の山には賭博場があるんですよ。そこで、霧の湖には妖怪が住んでいるかどうか、っていうのが賭けの対象になってまして。私は住んでいるに賭けたんです」

 

 なるほど、と納得しかけたが、一つ疑問点が浮かんだ。あの射命丸文が、嬉々として賭け事をしている姿が想像できなかったのだ。

 

「ちなみに、賭けているのは金か?」

「違いますよ。この賭けで勝てば、今よりいい現像機を使わせてもらえるんです!」

 

 こうしてはいられません! と射命丸は目にもとまらぬ速さで飛び立っていった。頭にはボロ屋で見つけた笠を被ったままだ。どれだけ新聞に命を削っているのかと、逆に心配になる。

 

「人里では飛行禁止といったろうに」

「結構平気で飛んでますよ、彼女」

 面白そうに射命丸を見上げていた喜知田は、どこか安堵したように見えた。そんなに射命丸が怖かったのだろうか。

 

「それで、二つ目は何だ」

 どっと疲れた私は少し投げやりに訊いた。嵐のように去っていった射命丸のことを考えるだけで、頭が痛くなる。

「二つ目はですね。まあ、大した話では無いんですけど」

「けど?」

「最近思ったんですよ。物は使いようなんだなって」

「どういう意味だ」

 

 げんなりとしている私を諭すように、彼はゆっくりと言った。その顔は喜びに満ちているが、どこかいびつだ。背中に嫌な汗が流れる。

 

「例えばですよ。多くの馬を動かすのには人参一本でいい、っていうじゃないですか。仕事をこなせば、これを食わせてやる、とお願いする。それをたくさんの馬に行うんですよ」

「でも、結局は全ての馬に渡さなければならないじゃないか」

「まあ、その例え話だとそうですけど、現実ではそうとも限らないじゃないですか。だから、物は使いようなんです」

 

 よっぽどその話が気に入っているのか、うっとりとした表情を浮かべていた。物は使いよう。確かにその通りだ。

 

 喜知田としばらく雑談するのも悪くなかったが、早いところ針妙丸の家に行きたかった私は、彼に別れを告げようと右手を伸ばした。別れの握手をするつもりだったのだ。だが、その手に一匹の蝶が止まった。真っ赤な翅を羽ばたかせているそれは、チリチリと音を立て、私の手のひらに無視できない熱さを伝えてくる。それは、妹紅の幻術だった。

 

「珍しい蝶ですね」呑気な声で、喜知田は笑った。

 

 ふと上を見上げる。一度退いたはずの雲がまた空を覆い、いつの間にか人里に影を落としていた。その、薄黒い空のキャンバスに点々と赤い点が浮かんでいる。まるで空に浮かんだ道のように一直線に私の元へと続いていた。それが指し示しているのは確かに寺子屋だった。

 

「悪い喜知田、急用が入った」

 

 返事を聞くより早く、私は地面を蹴った。空に浮いている蝶に沿うように全力で宙を蹴る。一瞬、寺子屋が視界に映ったかと思えば、みるみるその影が大きくなっていった。手前の大通りに人がいないことを確認すると、砂ぼこりがあがることも気にせず、乱暴に着地する。その勢いのまま地面を駆け、扉を勢いよく開いた。鍵はかかっていない。

 

「妹紅! 何があった!」

「け、慧音か」

 

 緊迫した声が奥の部屋から聞こえた。散乱した休憩室だ。大声で叫んでしまった事を後悔する。叫んだところで、悪いことしかない。

 

 靴を脱ぎ、足音を立てないように廊下を進んだ。大丈夫だ、と自分に声をかける。だから、そんなに絶望的な気分になるな。

 

 閉じている襖を、ゆっくりと開く。強張った顔で、呆然と立っている妹紅の顔が見えた。身体を滑り込ませるように部屋の中へと入っていく。次に目に入ったのは立ち上がった正邪の姿だった。緊張感に満ちた妹紅の顔とは裏腹に、どこか余裕のある飄々とした表情で笑っている。私を見つけ「先生は遅刻してもいいんだな」と口笛を吹いてさえいた。

 

 そして、その正邪に相対するように、一人の少年が立っていた。まるで土俵で睨みあっている力士のように、距離を開けて立ち尽くしている。知らない少年だった。が、目に涙をためて、ごめんなさい、ごめんなさいと連呼する姿は、それだけで胸を打った。だが、それよりも衝撃的だったのは、その少年が手に持っている物だ。

 

「相変わらず、お前は謝るのが好きだな」

 

 普段の彼女からしたら考えられないくらい優しい声で、正邪は微笑んだ。

 

「なあ、三郎」

 

 首に掛けた一文の首飾りをチャリンと鳴らした少年は返事をせず、俯いている。ただ、手に持った包丁を両手で構え、ごめんなさい、と呟くだけだった。

 

 

 

 

――魔女――

 

「小槌のレプリカを作ってくれ!」

 

 図書館に入ってきた正邪は、私を見るや否やそう叫んだ。あまりにも唐突で、意表を突かれた私は、手に持っていたカップを机に落としそうになり、咄嗟に魔法でカップを浮かせた。

 

「急に入ってこないで。危うく貴重な魔導書に紅茶がかかるところだったじゃない」

「優雅に紅茶なんて飲んでるやつが悪い」

 

 近くにあった椅子を手繰り寄せ、乱暴に座った正邪は、「私には紅茶が無いのか」と眉をひそめた。あまりの図々しさに乾いた笑いが零れる。むしろ清々しいほどだ。

 

「それで、急にどうしたのよ。出ていったかと思ったら、すぐに帰ってきて」

 

 急用がある、と出ていった正邪は、五時間もたたないうちに帰ってきた。確か、途中で妖怪に襲われてもいいようにと美鈴が護衛でついて行ったと聞いている。まさに至れり尽くせりだ。どうしてレミィが彼女に対してここまで協力するか分からない。が、どうせ下らない理由なので聞くことはしなかった。そのせいで、美鈴が常に疲労困憊なのは可哀想だが。

 

「これを作りに行ってたんだよ」

 

 急いでいたからか、ぜえぜえと息を整えながら、彼女は懐から一枚の写真を取り出した。美しい女性の写真だ。が、どうやら見せたかったのはそれでは無かったらしく、はっと息を飲んだ彼女はすぐにそれをしまい、別の写真を取り出した。

 

「これが打ち出の小槌の写真だ」

「え」

「参考にしてレプリカを作って欲しい」

 

 急いで作れ、と生意気に言った正邪を前に私は固まっていた。恐る恐る写真に手を伸ばす。そこには確かに小槌の写真があった。顔に血がのぼり、身体に活力が漲ってくる。好奇心が大いに刺激されているのが自分でもわかった。

 

 写真に写っているのは、正邪のものと見られる手と、打ち出の小槌だった。背景には何も映っていない。真っ黒だ。全体的に金色があしらわれたそれの大きさは、小槌というだけあって、片手で軽々持てるくらいのようだった。中心部に大きく松が描かれており、どことなく神聖で、それでいて禍々しい雰囲気を漂わせている。ただの写真にも関わらず、体が震えた。

 

 興奮を悟られぬように正邪に目を向ける。表情こそはいつも通りで不愛想だったが、その鋭い目で落ち着きなく辺りを見渡し、時々ちらりちらりとこちらの様子を気にしていた。

 

「ねえ、正邪」私の言葉にびくんと体を震わせた正邪は、なんだよ、とぶっきらぼうに呟いた。彼女にしては珍しく緊張している。

 

「この写真、どうしたの?」

「どうしたって、撮ったんだよ」

「だから、どうやって撮ったのよ。カメラなんて、あなたは持っていないでしょ。烏にでも撮ってもらったの?」

 

 私の質問を前に、彼女は意味ありげに頷いた。緊張を増すどころか、逆に心を落ち着かせているようにも見える。

「いいか。写真ってのは、自分で撮った方がいいんだよ」

「え?」

 

 得意げにそう笑った彼女は、懐からカメラを取り出した。いつだったか、ブン屋が持っていた物に似ているが、細かい傷が目立ち、お世辞にも綺麗とは言えない。が、どうやらまだ使うことはできたらしい。

 

「でも、折角なら烏天狗の誰かに頼めばよかったじゃない」

「分かってないな。こういうのは自分でやる事に価値があるんだ」

「あなたは何を言ってるのよ」

「さあな、私が知りたい」

 

 神様ってのは、写真を撮ってくれないらしいぞ、と笑いながら言った彼女は、丁寧に机の上にカメラを置いた。そのカメラも付喪神化しているからか、少しぶるりと体を震わせたものの、すぐに静かになった。

 

 どこを見るでもなく、ぼんやりと虚空を見上げている正邪を見つめる。愛おしそうに何かを思い浮かべ、過去を懐かしんでいるようにも、悲しそうに後悔しているようにも見えた。ただ、一つ言えることは、彼女の目の端に零れている涙のことは触れない方が良いということだ。

 

「でも、普通に考えれば、得意分野はそれぞれのプロに任せた方が良いと思うわよ。適材適所ってやつね」

「なんだそれ」

「例えば、写真は烏天狗に、教育は慧音に、魔法は私にって感じで」

「なら、私は何なんだよ」

「さあ。嫌われることじゃないかしら」

 

 はっ、と短く息を吐いた正邪は椅子に深く座り直した。てっきり、私は馬鹿にしてんのか、と文句を言われると思っていたが、自嘲気味に笑った彼女は「お前も、そう思うか」とうなだれた。乾いた笑いを仮面のように張り付け、目を細めている。

 

「嫌われるプロってやつだな」

「まあ、でも嫌われることが特技といっても役には立たないと思うけど」

「馬鹿と鋏は使いようっていうじゃないか」

「自分が馬鹿だと自覚していたのね。驚きだわ」

 

 白い顔でクツクツと笑う正邪から目を離し、彼女から受け取った写真を見ようと、手元を注視する。と、違和感に気がついた。写真に対する違和感ではない。正邪の様子がどことなくおかしいのだ。左手を使い紅茶を飲んでいる。これだけなら何の不思議もない。ただ、私の記憶の限りだと、彼女は右利きだったはずだ。出来損ないの推理小説のような着眼点だが、少なくとも、目の前の弱小妖怪はそんな器用な真似をするような奴では無い。

 

「あなた、右手を見せてみなさい」

「え、嫌だ」

「いいから」

 

 直接確認しようと腰を上げると、慌てふためきながら椅子を蹴り飛ばして後ずさる正邪の姿が見えた。咄嗟に魔法を使い、動きを封じる。不格好な体勢でピタリと固まった正邪は、ゆっくりと糸を地面に下ろすように絨毯に座り込んだ。彼女を怯えさせないように、大丈夫だから、と優しく声をかけながら近づく。これでは、まるで子供の面倒を見ているみたいだ。こんな捻くれた子供がいたら困るが。

 

 悪かったよ、分かったから魔法を止めてくれ、と力なくいった正邪の言葉に頷く。正直に言えば、魔法を使ったのはほんの僅かな時間で、とっくの昔に解いていたのだが、彼女は気づいていないようだった。ぷらりと垂れ下がった正邪の右手を掴み、目の前へと持っていく。血の気が引いて真っ白になった手の爪先に、こっそりと隠し持った針を突きさす。が、正邪は眉を顰めるどころか、身じろぎ一つしなかった。確信とともに、呆れもした。

 

「二度あることは三度ある」

 正邪はなぜか誇らしげに言った。私が以前言った言葉を真似しているのだ。

「これで、右手を怪我するのも三回目だ」

「今度はなんで怪我したのよ」半ば義務的に私は聞いた。

 

 別に興味も無いし、知りたくもなかったが、そうでも言わなければやってられない。気がつくと、目の前には既に魔導書が回復魔法のページを開いていた。いつになれば私は本の虫から蛹へと変われるのだろうか。

 

「今回は簡単だ」

 いつもは複雑だったのか、と聞くも無視される。

「打ち出の小槌ってな、写真を撮ろうとすると逃げるんだよ。意識があるみたいにな。しかも、小人以外は触れると痺れるんだ。それで、右手で抑えていたら、このざまだ」

「馬鹿じゃないの。小人に抑えてもらいなさいよ」

「私は、あいつの写真を撮る権利なんて無いんだよ」

 

 珍獣を撮るのにも許可が必要なように、珍しい妖怪である小人を撮影するのにも許可が必要なのだろうか。そんなことを考えながら、手早く回復呪文をかける。この程度であれば、痛いの痛いの飛んでい毛を使わなくても大丈夫だろう。

 

 ぽわりと暖かい光が辺りを包む。これも、最早見慣れてしまった風景だ。一瞬視界が光で奪われ、眩んだ目が段々と安定してくる。もう治ったかしら、そう声をかけようとしたものの、できなかった。口を塞がれたわけではない。開いた口が塞がらなかったのだ。

 

 正邪の後ろ。図書館の扉と椅子の中間地点。そこに彼女はいた。身体の下半分は透けていて、後ろの扉が映っている。魔法の気配は感じないので、きっと違うものを使っているのだろう。おそらく、機械か何かだ。

 

 右手をぶらぶらと揺らし、手を固く握りしめた正邪は「やっぱ、利き手が動かないと不便だなあ」と笑った。なら隠そうとしなければいいのに。文句を言いたくなるが、これから起こることを考えると、胸がすくような気持ちだった。

 

 透けていた彼女の体は、いつの間にか完全に露わになっていた。不敵に笑った彼女の表情からは何をしようとしているかが、ありありと分かる。両手を前に出し、足音を立てないようにそろりそろりと正邪へと進んでいく。そして、真後ろに来たかと思えば、大きく息を吸い込み、胸を膨らませた。気体と、期待でだ。

 

「この糞弱小妖怪が!」大きな声が図書館に木霊する。

「ひぃっ」

 

 正邪の反応は早かった。声が響いた瞬間、猫の様に飛び上がり、一直線に私の元へと駆けてくる。私の目で追えないほどの速さで逃げ出した彼女は、私の背中の後ろへとあっという間に回り込み、腰に抱きつくように両手を回してきた。顔をほんの僅かに傾け、声のしたほうを窺っている。

 

 情けない反応だったが、私は感心していた。弱小妖怪としての本能か、咄嗟に私を盾にするという最善の対策をとったこと、そして、仮に私が逃げたとしてもついて行けるようにと、体に手を回したことは称賛されるべきことだった。だが、それも滑稽な叫び声と情けない今の姿を覆すほどでもなく、私は込み上げてくる笑いを堪えることが出来なかった。どうやら、それは正邪を驚かせた当の本人も同じようで、腹に手を置き、ケラケラと大きな声で笑っている。正邪が舌打ちするのが聞こえた。

 

「このわくわく感はたまらないよ!」

 

 満足そうに笑った河童は、正邪に向かい赤い舌を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

「これで天邪鬼を出し抜くのは二回目だ」

 

 ふふんと鼻を鳴らした河童は、びしりと右手を伸ばし、人差し指と薬指を立てた。ちょきちょきと馬鹿にするように指を動かしている。怯えて私に抱きついた正邪が、怒りのせいか震えているのが分かった。そんな彼女を振り払った私は、ゆっくりと河童に近づいていった。どうして、紅魔館に、そして私の図書館に来たか、来ることができたのか不思議だったのだ。

 

「私は河城にとりさ。レミリアに呼ばれたんだ。“いい発明品を作りたかったらこい”って」

「発明品?」

「おいおい。紅魔館の魔女は知識が豊富と聞いていたけど、発明品すら知らないのか」

 

 高慢な態度が、どこかの天狗を彷彿とさせて、苛立ちがつのる。妖怪の山の連中はどうしてこうも性格が悪いのだろうか。

 

「我々河童は素晴らしい発明品を数多く世に生み出しているんだ。例えば、いま私が着ている光学迷彩とか」

「それでさっき姿を消していたのね」

「ああそうだ、一つ買うかい? というか、見たからには買ってもらうよ。偶然にも販売用のものがあるからさ」

 

 河童の技術力は知っていた。魔法とは違うやり方で、同じような効果を発するものを量産している、と聞いたことがある。だが、ここまで商魂たくましいことは知らなかった。断ろうにも、すでにそれを図書館の適当な場所に広げ、いつの間にか壁にかかっていた札束を手に持っている。別に、強制的に取り返してもよかったが、止めた。その札束はレミィが置いておけと指示したもので、つまり私は、きっとこれにも何らかの意味が、運命による導きがあるのだろうと思ったのだ。

 

「何しに来たんだよ」

 腰が抜けたのか、地面に座り込んだ正邪が憎らしそうに言った。格好は情けないが、その目は鋭い。

「ちゃんと聞いてくれよ。レミリアに唆されたんだ。それで? いったいここに何があるというんだ? 遠路はるばるここまで来たんだ。つまらないものだったら弁償してもらうぞ」

「口悪いわね」

 

 水色の髪をツインテールにしている彼女は、その可愛らしい顔を卑屈に歪め、これまた水色の服のポケットから何やらバールのようなものを取り出した。脅しのつもりだろうか。だとすれば、可愛いものだ。

 

「私はてっきり、また博打を誘いに来たかと思ったよ」

「あ、ああ。そんなこともあったな」今思い出したよ、と手を叩いた彼女は浮かべていた笑みをさらに深くした。なるほど、と大きく頷き、座りこんでいる正邪に近づいていく。そして、机の上にあった写真を手に取った。

 

「この写真、どうやったんだ?」

「どうって、このカメラで撮ったんだ」心なしか、正邪の声は引きつっていた。河童に目を合わさず、後ろへじりじりと下がっている。

「そうじゃない。このカメラはフィルム型だ。だとすれば、どこかで現像しなければならないんだよな。あれ、そういえば私の現像機が勝手に使われていたような気がするなー。んんぅ? おかしいな。この写真の出来上がり具合にはすごい見覚えがあるぞー」

「そこら辺で止めておいてあげて」

 

 あまりにも正邪が惨めで、つい河童の肩を掴み、静止してしまう。

「止めろって? こちとら遊びじゃねえんだよ」

 口調こそヤクザのようだが、彼女はそこまで怒っていないようでニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。彼女も本気で現像代を払ってもらうつもりはないのだろう。単純に、へこたれている正邪をいじめて、楽しんでいるのだ。気持ちは分からなくもないが、見ていて気持ちのいいものでもない。

 

 ひらひらと河童の手で揺れている写真をつかみ取り、奪う。そのまま椅子に腰かけ魔導書を開いた。忘れかけていたが、私はこの写真の通り、打ち出の小槌のレプリカを作らなければならないのだ。そこまで律儀に正邪の依頼を聞かなくてもよかったが、単純に私の好奇心によるものだった。

 

「その写真で何をするつもりなんだい?」正邪をいじめるのに飽きたのか、河童が目を輝かせて聞いてきた。発明家としての嗅覚はどうやら鋭いらしい。

「この写真にある小槌のレプリカを作るのよ。そこで座っている弱小妖怪の頼みでね」

「もう立ったぞ」うんざりとしながら、正邪は呟いた。

「とにかく、私は今から作業にとりかかるから、あまり話しかけないでね」

「それって」

 

 服の前についたポケットからガチャガチャと工具を取り出しながら、河童は口元を緩めた。先程の悪意に満ちた笑顔とは打って変わり、子供の様な純粋無垢な笑顔で写真を見つめている。発明に目がない、という河童の噂はどうやら本当の様だ。

 

「特別な道具か何かなのか? 天邪鬼、もしよければ魔女じゃなくて、私に頼んでみなよ。品質は保証するよ」

「駄目よ」反射的に私は言った。

「なんで」

「得意な事は得意な人に。適材適所よ。私にとって、見た目だけ完全に同じで、性質がまったく異なるものを作る事なんて、朝飯前なの。あなたが得意なのは、そういうのじゃないでしょ?」

 

 そう口にはしつつも写真をまじまじと見つめ、それを頭の中で組み立てていく。私の言葉に納得したかどうかは分からないが、とくに不満も言わず河童は頷いた。

 

「まあ、でも得るものはあったから、そろそろ帰ろうかな」

「もう帰るのかよ」まるで、もっと居てほしかったと言わんばかりに正邪が言った。それがおかしかったのか、声を立てて笑った河童は、またいつでも会いに来るよ、と体をくねらせた。

 

「そんなに寂しいのなら、これを持っていくれ。私の代わりと思って」

「気持ち悪い」

 

 本当に、えづきそうな声が聞こえた。気になり、意識を途切れさせないように注意しつつ、後ろを振り返る。正邪の手には、お守りのようなものが大量に積まれていた。宗教嫌いの河童にしては珍しい。

 

「じゃあな、天邪鬼。私は案外お前のことを気に入ってるんだ。いい鴨だし。達者でな」

 

 そう言い残した河童は、廊下をかけるように去っていった。いったい、彼女が何をここで得たのかは分からなかったが、本人が満足そうなのでいいだろう。

 

「気に入ってるなら、もっと優しく接しろよな」

「いいじゃない。素敵なお守りを貰えたわけだし」

「いらねえよ」

 

 そうは言いつつも、何だかんだいって気になるようで、たくさんある内の一つだけを取り出した彼女は、その紐へと手を伸ばした。中にはきっと、下らない、例えばそこら辺の流木を薄く砕いたものでも入っていると思ったが、違った。驚きのあまり、打ち出の小槌の作成は完全に頭から抜けてしまう。

 

 お守りの口を開いた瞬間、中から煙が勢いよく飛び出した。ゴホゴホと正邪のむせる声が聞こえる。私は、浦島太郎の玉手箱の話を思い出していた。正邪も、歳をとってしまうのだろうか。それもそれで面白いと思ったが、現実はもっと面白いものだった。

 

 明らかに物理法則を無視した、大きな爆弾のようなものが彼女の手にのっていたのだ。仕組みは分からないが、そうなのだから仕方がない。咄嗟に本棚と正邪に防御魔法をかける。

 

 その爆弾が爆発するのと、私の魔法が発動するのはほぼ同時だった。凄まじい爆音と熱が部屋を覆い、目の前が真っ赤になる。もともと真っ赤だったが、とにかく、突然の炎に私は度肝を抜かれた。冗談にしては、思いの外威力があったからだ。そこら辺の妖怪であれば、一時的に動けなくなる程度だろうが、人間や正邪が喰らってしまえば、一週間は治療が必要だろう。

 

「あのクソ野郎が!」威勢のいい正邪の声が聞こえる。段々と煙が晴れていくと、髪の毛をチリチリとさせた正邪が拳を握り、憤っていた。元気そうで何よりだ。

「あいつ、絶対同じ目に遭わせてやるからな」

 

 怒りながらも、どこか楽しそうな正邪を暖かい目で見ていると、空からひらひらと紙が落ちてくることに気がついた。最初は爆風で本のページがちぎれてしまったかと思い、焦って掴んだが、違った。内容を見て、思わず笑ってしまう。

 

「正邪、ちょっとこれ見てもらえないかしら?」

「何だよ」

「いいから」

 

 面倒くさそうに目を細め、こちらを向いた正邪は、むっとした顔をすぐに破願させ、ふふと小さく笑った。いつも通り、どこか憂鬱そうな顔をしながらも、愉快げに手紙を見つめている。

 

「あの河童らしいわね」

「暇すぎだろ、あいつ。準備してたのかよ」

 

 もしかすると、発明品が云々というのはただの言い訳で、実際は正邪に会いに来たのではないか、ふとそんなことを思った。もしそうだとすれば、素直じゃないにも程がある。

 

「これで、私が天邪鬼を出し抜いたのは三回目だ! 二度あることは三度ってね!」

 

 河童の声を真似て、正邪が高らかに手紙を読み上げた。

 

 

 

 

――天邪鬼――

 

 姉妹とは何か。普通に考えれば、同じ母親から生まれた二人の女性のことを指すだろう。場合によっては、例えば別腹の姉妹だとか、義理の姉妹といった例外が存在するだろうが、それでも何となく納得することはできる。

 

 だが、同時に生まれた付喪神を姉妹と呼ぶかは私には分からなかった。

 

 輝針城の天守閣を離れた私は、色々な部屋を見て回っていた。何か、妙なものが無いかと心配になり、無数にある部屋を一つ一つ確認していたのだ。が、そこにはただ高級な畳があるだけだった。

 

 急いで針妙丸と小魚がいる天守閣へと走る。そんなに時間も立っていないはずだが、この短時間の間に巫女が攻めに来て、全てが終わっていましたでは、まあそれも問題は無いが、できれば避けたかった。

 

 長い廊下を進み、襖を開く。すると見慣れぬ人影が現れた。それも、二人もだ。小人と魚と、それに加え楽器を持った美しい何者かが呑気に畳に座り、雑談をしている。こんな様子では、巫女が来たとしてもすぐにたどり着いてしまうのではないか、とため息が漏れた。

 

「おい、いつから輝針城は託児所になったんだよ」

「あ、正邪。お帰り」

「お帰りじゃねぇよ」

 

 無邪気にこちらを振り返った針妙丸は、紹介するねと笑顔を向けた。隣に座った二人の背筋がピンと伸びる。まるで恋人を紹介されているように感じて、奇妙な気持ちになった。雑念を振り払うように強く首を振る。

 

「えっと、付喪神の九十九弁々さんと九十九八橋さん。九十九が苗字らしいよ。弁々さんが琵琶の付喪神で、八橋さんが琴の付喪神だって!」

「だってじゃねぇんだ。何でそいつらがいるのかと聞いてるんだよ」

 

 琵琶と琴の違いも碌に知らない癖に、意気揚々と語る針妙丸が気に食わなかった。そして何より、そんな甘い針妙丸と親しげに話し合っているその付喪神が怪しく、危険なものに思えた。

 

「なんでって」二人の九十九姉妹の右側、八橋と呼ばれた少女は短い茶色の髪をわしわしと掻きながら、無邪気な笑顔を浮かべた。

「せっかく付喪神になって、動けるようになったから。ね、姉さん」

「そうだ」今度は後ろに二つ括られた弁々と呼ばれた少女が口を開く。

「誰だって、動けるようになったら自由に動きたくなるし、こんな変な建物があったら来たくなる。仕方がない」ベンベンと琵琶の音を鳴らしながら言った彼女に、軽く怒りを覚える。付喪神というのは、どうやら随分と生意気の様だ。

 

「お前らみたいな楽器風情が歩いてんじゃねぇよ。大人しく倉庫で眠ってろ」

「お前さん」弁々は悲しそうに、笑った。

「笑いのセンスがねえな」

 

 ぷちり、と頭の何かが切れた音が聞こえた。彼女らに向かい、ずかずかと近づいていく。こんな奴ら、小魚もろとも追い出してやる。そう意気込んでいたが、ニコニコと頬を上げながらこちらに向かってくる針妙丸に歩みを止められる。何だよ、と呟くも、口に手を当てた彼女は私の耳元で小さく呟いた。吐息が当たってくすぐったいが、我慢する。

 

「ねえねえ、もしかして、これもあれなのかな」

「あれって、なんだよ」

「小槌の力」

 

 その一言に、私ははっとした。確かに、あり得ない話ではなかった。どうしてこの願いで道具に付喪神が宿ったかは、ほとほと不思議だったが、もしこれがそうであるならば、この九十九姉妹と出会うことが小槌の目的によるものだとすれば、不自然ではあるものの納得できるのではないか。そう思えた。

 

「なあ、針妙丸」

「何?」

「お前から見て、あいつらはいい奴だと思うか?」

「もちろん!」

 

 考えることもなく、彼女は即答した。その目には一切の迷いもなく、キラキラと輝いている。あなた達は仲が良すぎるのよ。また、頭の中で声が響く。もしも、彼女たちが針妙丸の仲間になるのならば、後々役に立つのではないか? ふと、そんなことを思った。だが、腹が立つことには変わらない。

 

「もしかして、あなたが鬼人正邪かい?」

 

 腕を組み、必死に頭を回していると、弁々がにやにやと笑いながら声をかけてきた。どこか面白がられているように感じて、気に入らない。畳に足を叩きつけるように腰を下ろす。

 

「いや、見えないねぇ」

「見えないって何がだ」

「あんたが下克上を企んでいる天邪鬼ってことだよ」

 

 口の中に、苦い液が充満してくる。何か言葉を発しようと口を開くも、喉に何かが詰まったかのように言葉が出てこない。ただ、ふしゅうと空気が漏れる音がしただけだった。

 

「姫から聞いたよ。姫のために下克上を決意するなんて、あんた、粋だねえ」

「止めろ。針妙丸のためじゃねえ。あと姫ってよぶな」本心で私は言った。

「でも、すごいよ。強者に立ち向かおうとするのは」八橋が屈託のない笑顔を見せる。

「ですね。中々できることではありませんよ」小魚もそれに続いた。

 

 これ以上ない居心地の悪さを私は感じていた。今すぐにでもここから飛び出し、どこでもいいから頭を冷やしに行きたかった。実際に、畳から腰を上げ、外へと向かおうとしたが、その途中で、足元に打ち出の小槌が転がっていることに気がついた。慌てて針妙丸の方を見ると、彼女はそれを意に介した様子もなく、ぺちゃくちゃとお喋りに興じている。軽く眩暈を覚えた。こんな大切なものを放置しておくなんて、慧音が訊いたら悲しむだろう。もっとも、この小槌を最初に紛失したのは慧音なので、人のことは言えないだろうが。

 

 無意識に、それを拾おうと手を伸ばしていた。が、小槌に触れた瞬間、何かに弾かれるような衝撃が走り、手を引っ込めてしまう。忘れていたわけでは無かったはずだが、驚く。

 

「おい針妙丸」

「ん? どうかしたの」

「どうかしたのじゃねぇよ。小槌置きっぱなしじゃねぇか」

 

 あっと声を漏らした彼女は、トタトタと大きな体を軽やかに動かし、こちらへ向かってくる。えへへと全く反省の様子もなく笑った彼女は、ほら、正邪も一緒にお喋りしようよ、と手を引っ張ってきた。本当ならば断わらなければならないはずだが、何故だかそうすることが出来ない。最後の思い出なんてものではないが、後ろ髪が引かれたのは事実だ。

 

「何だか、正邪さんは姫のお父さんみたいですね」

「は?」

「あー、確かに」

 

 まず、針妙丸が当然のように姫と呼ばれている事実に困惑したが、それよりも、その後の言葉が衝撃的過ぎて、そんなことはどうでもよくなった。私が似ている? こいつの父親に? 

 

「冗談だろ」口から空笑いが零れた。

「あいつは私なんかより、よっぽど天邪鬼してたよ」

 

 蕎麦を打ちながら、こちらを見下すように笑う彼の姿を思い浮かべる。口が動いているが、何と言っているかは分からない。そこで私は、初めて彼の声を思い出せないことに気がついた。愕然とし、その失意を忘れるように頭を振る。彼の顔は消え、喜知田の顔が浮かんだ。ああ、そうか。私が唯一心残りだったのは、喜知田への復讐がまだだったことでも、針妙丸を残してしまった事でもない。彼と同じ場所へ。地獄か天国は知らないが、そこへ行けないことが心残りだったのだ。

 

「ねえ、正邪」

 

 しばらくぼうっとしていた自分の身体を揺さぶり、針妙丸が声をかけた。気がつけば、皆が私を見て、神妙な顔つきをしている。それは、針妙丸も例外ではなく、眉をきりりと真っ直ぐにし、責めるような口調で訊いてきた。

 

「どうして正邪が私のお父さんのことを知っているの?」

「え」

「ねえ、どうして?」

 

 背筋が凍った。世界がくるくると暗転し、この世の中に自分以外の存在が消え去ったかのように思えた。後悔という言葉では生温いような感情が私を襲う。何か。何かを言わなければ。そう思えば思うほど、頭の中がぐちゃぐちゃとかき回されているような感覚に陥る。

 

「また」いま、どんな声が出ているか、分からなかった。声が震えていないことだけを祈る。

 

「また、今度言うよ」

 空気が固まった。音が無くなり、自分の鼓動しか聞こえない。冷や汗が背中を伝っていくのが分かった。

「……ぷ」

「ぷ?」

「……くく。あはは!」

 

 目の前の針妙丸が、突然笑い始めた。それに続き、周りにいた小魚や付喪神も笑いはじめる。ただ、私だけが呆然と佇み、間抜け面をさらしていた。彼女たちがなぜ笑っているのか理解できない。

 

「いやー、そんだけ溜めといて」間延びした、のんびりした声で八橋が笑った。

「また今度はないですよ」小魚が、着物で口を隠し、細かに震えている。

 

 初めはくすくすと含み笑いをするだけだったが、突然、爆発するように皆が一斉に笑い始める。針妙丸も体をくの字にして大笑いしていた。バシバシと私の肩を叩き、指をさして笑ってくる。訳が分からなかった。

 

「分かった。また今度ね」目に涙を浮かべながら、針妙丸は息も絶え絶えに言った。

「何がおかしいんだ」

「だって、正邪が真面目な顔で、また今度っていうのがおかしくて。いつもなら、うるせぇとか、知るかっていうのに」

 

 そこで、ようやくこの事実に、針妙丸の父親、つまりは蕎麦屋の親父に関する暗い事情を知っているのが私だけだという事実に気がついた。他の連中からすれば、いきなり友人の父親について聞きだしたら、挙動不審になって回答を先延ばしにしたということになるのだろう。なるほど、確かにそれは笑える。

 

「でも、“私なんかよりよっぽど天邪鬼”とか何とか言ってたけどさ」弁々が愉快げに私に向かいあった。

「少なくとも、あんたより私たちの方が天邪鬼らしいよ」

「冗談だろ。私は正真正銘、卑劣で狡猾な生まれ持った天邪鬼だ」

 

 私の言葉を受け、アハハと一際大きく笑った弁々は、朗らかに言った。

 

「訂正するよ。あんた、笑いのセンスがあるわ」

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうやって博麗の巫女に対抗するつもりですか?」

 一通り笑い終わった小魚が、首を傾げた。

 

 結局、笑いの大合唱が終わった後、彼女たちはより団結力を深めたようで、私の下克上に対して、各々話し始めた。下克上したら何をやりたいか、どんなことをしたいかについて語り合っている。「道具による天下を目指す」と九十九姉妹が意気込めば、「草の根妖怪ネットワークの規模を拡大する」と小魚が対抗し、「私はみんなが幸せになれればいいかな」と針妙丸が呟いた後、みなが気まずそうに流石姫と褒め合う。そんな茶番じみた行為を繰り返し行っていた。が、小魚が巫女に関することを言った瞬間にその議論は柔らかく、微笑ましい物から、激しく刺々しいものに変わっていった。

 

「私たち生まれたばかりでよく分かんないんだけど」八橋が針妙丸に肩をあずけながら、口元に手を当てた。

「その巫女ってのは強いの?」

「控えめにいって、最強ですね」

 苦笑いをする小魚に同調するように、針妙丸も頷く。

「よく慧音先生が言ってたよ。今の巫女さんは凄いって」

「そんなすごい人に勝てるのかい?」

 

 弁々が私に向かい指を出した。突然話を振られ、たじろぐ。正直に言えば、巫女に勝つ方法なんて、私には思い付かなかった。いや、そもそも考えていなかったと言った方が正しい。巫女に挑むということは即ち敗北である。私たち弱小妖怪にとっての常識とすれば、巫女にいかに勝つかではなく、巫女にいかに襲われないかが重要だった。そもそも巫女に勝とうという発想がそもそもないのだ。だが、それを口にすることはできなかった。私は下克上を是が非でも達成しようとしている。少なくとも彼女たちにはそう見せなければならない。

 

「まあ、私たちに切れる手札は少ない。なら、全部使うしかないだろ」

「どういうこと?」針妙丸が期待に満ちた目を私に向けた。

「単純だよ。お前らも巫女と戦うんだ。こんだけ人数がいれば、誰かは勝てる」と私は堂々と言い、小さな声で「かもしれない」と続けた。

「え、私たちも戦うの?」

「まあ、いいじゃないか八橋。道具もそこそこできるということを世の中に知らしめてやろう」

「いいの? もしかしたら、姉さんも私も折角動けるようになったのに幻想郷にいられなくなってしまうかもよ」

 

「大丈夫さ」片目をパチリと閉じた弁々は、私から見ても魅力的に思えた。が、八橋はそうは思わなかったらしく不満そうに眉をひそめている。

「姉さんが大丈夫っていうと酷い目に遭うよ。毒キノコを食べる羽目になったりとか」

「あれは酷かったな。食いきれなくて、まだ持ってるよ」

 

 ケラケラと笑う弁々を八橋が小突いた。私は、予想以上に彼女たちが乗り気なことに驚いていた。てっきり、そんな危なっかしいことは御免だ、と突き返されるとばかり思っていたのだ。だから、実際に巫女との戦いに巻き込まれる気でいる彼女たちに、いいのか? とらしくもなく訊いてしまった。

 

「巫女と戦うということが何を指しているか。下克上ということがどういうことか分かってんのか?」

 

 傷だらけで図書館に這ってきた門番の姿を頭に浮かべる。願いを下克上ということにしよう、と決めた時のことだ。確かに彼女は巫女にやられたと言っていた。人里や弱小妖怪に被害が及んだとはいえ、たかが赤い霧を出しただけでそうなるのだ。しかも、末端であるはずの門番が、だ。

 

 ならば、もし幻想郷の存在を否定する下克上なんてものに関わってしまえば、今までの異変で一番悪質になる予定の私たちの陰謀に足を入れてしまえば、ひとたまりもないはずだ。そのようなことを、曖昧にぼかしながら、私が彼女たちを気にかけていないということを前面に押しつつ、無謀な付喪神に力説した。が、彼女たちは聞く耳をもたかった。

 

「大丈夫さ」

 親指を立てた弁々は八橋と共に笑った。

「お前の大丈夫は酷い目に遭うんじゃないのか?」

「大丈夫さ」

 

 誇らしげに笑った弁々はまた、琵琶をベンベンと鳴らし、何かを懐から取り出した。大きな、青色の布だ。

 

「これ、あげるよ。餞別だね」

「餞別ってどういう意味だ。それに、何だよこれは」

「見て分からないのかい?」

 

 見下し、鼻を鳴らした弁々は八橋を肘で小突いた。説明してやれよ、とくすくす笑っている。

 

「これは、青い布だよ」

「は?」

「青い布。具体的には、そこら辺に落ちてた大きな青い布だよ。この寒い季節には役に立つと思うな」

 

 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった。ただの布がどうして餞別になるのか、理解できない。

 

「おまえ、本当にこんなんで巫女と戦うつもりなのか」

「大丈夫さ」憎たらしい笑みを浮かべ、弁々は私の肩に手を置いた。

「いざとなれば、リーダーである鬼人正邪様が責任を取って下さる」

 

 その、あまりのふてぶてしさに唖然とした私は、助けを求めるように八橋に目をやった。が、彼女も両手をあげ、細かく首を振っている。姉妹なんだから、しっかり手綱を握って欲しかった。

 

「あなたがリーダーなんだから、責任を取ってよね」

「なんで私がリーダーなんだ」

「そりゃ、首謀者だもの」

「たかが道具のくせに生意気だな。分かった、もしお前らが何か言われたら、私に脅されたといってもいい」そっちの方が、私にとっても好都合だった。

「どうしてだい? やけに物分かりがいいじゃないか」

「私は天邪鬼だぞ。悪名を轟かせることが好きなんだ。それと、お前らみたいな出来損ないのガラクタを巫女の当て馬にするのも、悪くない」

「あんたが私たちのことが嫌いだということと、被虐趣味なのは分かったよ」

 

 それぞれの楽器を鳴らし、満足そうに話しあっている二人は、完全に巫女と対決するつもりらしかった。これは説得できない、と途方に暮れていると「手札と言ってましたけど」と小魚が声を高らかに上げた。

 

「それなら、草の根妖怪ネットワークの皆にも協力してもらいましょうか?」

「お前も一枚かむつもりなのか」

「一枚どころか、三枚ぐらい噛ませてもらうつもりです」

 

 クスクスと笑った彼女だったが、ふざけている様子では無かった。本気だ。本気で下克上に加担しようと、巫女を倒そうとしている。

 

「お前、巫女の強さは知っているだろう」

「もちろんですよ。あの高名な巫女さんのことは知っています」

「なら」

「憧れなんですよ」

 

 その声は、決して大きくはなかったが、どこか熱を帯びており、私たちを困惑させた。

 

「一度でいいから、巫女さんと戦ってみたかったんです」

「なんで」

「だって、あの博麗の巫女さんですよ。私たちにとって、雲の上の存在じゃないですか」

「別に会いに行こうと思えば行けるけどな」

 

 そういうこと言わないで下さい、と不貞腐れた小魚は、両手を畳につけ、尾びれを細かく震わせている。夢見がちにぽぅと上を向いた姿は、人魚と呼ぶに相応しく、美しかった。が、「巫女を倒すには、毒でも盛ればいいのかしら」と聞き捨てならない言葉を発している彼女を美しいと呼ぶことは、私には出来ない。

 

「ならさ、チーム名とか決めようよ」

 

 わいのわいのと盛り上がっている内に、針妙丸が突然そう切り出した。あまりに突然すぎて、彼女の言葉を理解できない。

 

「なんだよチーム名って」

「例えばさ」慧音の真似をするように、指を立てた針妙丸は私たちの顔を順に見回した。

「草の根妖怪ネットワークとか、守屋とか、紅魔館みたいに、みんなチーム名を持ってるじゃん」

「紅魔館は建物の名前だけどな」

「とにかく」私の言葉を無視し、彼女は嬉々として言葉を並べる。

「私たちもチーム名を作った方がいいと思うの。楽しそうでしょ」

 

 流石に馬鹿らしいと笑った私をよそに、やろうやろうと他の四人は盛り上がり始めた。輪に入るのも億劫で、窓の外を眺める。巫女はまだ来ていないか、小槌の魔力はどうなっているか。それだけが気がかりだった。そうして、しばらく外を見ていると、頭がぼんやりとし、瞼が下がってくる。単純に疲労がたまってきたからか、それとも小槌のせいか。

 

「正邪! チーム名決まったよ」

 

 頬杖をつき、危なく寝そうになっていたところで、針妙丸が声をかけてきた。びくんと体が震え、それを誤魔化すように大きく伸びをする。

 

「どうでもいいけど、一応何になったか聞いといてやるよ」

「天邪鬼」

「は?」

「天邪鬼になったよ」

「何が」

「だから、ちーむ名だって」針妙丸の後ろにいた弁々が言った。

「ちーむあまのじゃく。いい響きじゃぁないの」

 

 ちーむあまのじゃあく、ちーむあまのじゃくと音を楽しむように繰り返した弁々は「これで一曲作ってもいいかもな」と嘯いた。

「止めろ」

「その止めろってのは、ちーむ名を天邪鬼にすることか? それともちーむあまのじゃくという曲を作るということか?」

「どっちもだ」

 

 どうしてそんな最悪な結論に至ったのだ。というか、それは最早チーム名としての意義を果たしていないのではないか、言いたいことはたくさんあった。だが、そもそも肝心なところを彼女たちは勘違いしている。

 

「私はお前らの仲間なんかじゃない。お前らは道具なんだよ」

「そりゃあ、私たちは道具さ」弁々と八橋が、不思議そうに首をかしげる。

「そうじゃない、比喩だよ」

「比喩?」

「お前らは私のために奮闘し、傷つき、そして捨てられるんだよ。決して対等じゃない。そこら辺を忘れるな。これは私の下克上なんだよ。そのためにお前らがどうなろうと知ったこっちゃない」

「怖いなぁ」ねぇ、姉さんと声を出した八橋の顔には、言葉とは裏腹に一切の恐怖も浮かんでいなかった。

「そもそも何だ。天邪鬼ってのは私の種族じゃねえか。なんでそれをチーム名にするんだよ」

「語呂がいいから」

「ふざけんじゃねぇよ」

 

 まあまあ、と宥めるように柔らかい言葉を発した小魚を無視し、私は喚き立てる。が、その小魚ですら、楽しそうに「良いじゃないですか、天邪鬼で」と同意した。比較的まどもだと思っていた彼女がそちら側に回ったことは、少なからず私を動揺させた。

 

「別に天邪鬼に迷惑をかけているわけでありませんし」

「かけてるんだよ、私に。生まれ持っての天邪鬼の私にな!」

「それは」

 

 ふふんと鼻を鳴らした小魚は、尾びれの鱗を撫で、楽しそうに言った。

 

「それは、生まれながら私たちのチームの一員ということですね!」

 

 ああ、と思わず声が零れる。頭に生えた二本の角に手を伸ばす。堅く、短い自慢の角だ。もしかして、私を天邪鬼たらしめているのは、これだけじゃないか、と不安になる。

 

「やっぱり、お前らの方がよっぽど天邪鬼してるよ」

 

 せめて、こいつらよりは狡くならなければ、と決意した。


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