天邪鬼の下克上   作:ptagoon

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吉報と凶報

「いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きたいかしら」

 いきなり現れた妖怪の賢者は、これまたいきなりそんなことを言いだした。

 

 輝針城異変が終わってから一週間がたった。巫女にやられた傷も大分塞がり、動く分には問題がないくらいまで回復している。だが、そんなことを気にする必要は、もうない。どうせ鬼の世界とやらに封印されるのであれば、怪我があってもなくても大差ないからだ。てっきり私は、輝針城の魔力がつきた瞬間に封印されるものだと思いこんでいた。だが、予想に反して、一週間たっても、まだこうして輝針城の中にいる。

 

 しかし、その呪いは着実に身体を蝕んでいる。段々とだが、体の感覚が鈍くなっていた。だからだろうか、あれだけ恐ろしかった妖怪の賢者が現れても、驚きもしなかった。驚くことすら、できなくなっていった。

 

「どうしたのかしら、黙り込んじゃって。黙っている天邪鬼に存在価値があるのかしら」

「うるせえよ」

 自分の想像以上に、出た声はか細い。

「あまりにも存在感が無くて、気づかなかっただけだ」

「あなたみたいな弱小妖怪にそんなことを言われたのは、初めてだわ」

「そりゃ、良かった」

 

 そんな弱小妖怪に構うほど、こいつは暇なのだろうか。ふと、そんなことを思った。自分の知っている妖怪の賢者は、弱小妖怪のことなど、昨日の朝食並みにしか考えていないはずなのに。

 

「どうして、ここまで私に構うのか、って顔してるわね」

「お前、心が読めるのか」図星を突かれ、戸惑いのあまり突拍子もないことを言ってしまう。

 

 馬鹿にされる、と身構えたが、八雲紫は予想に反し、少し狼狽えていた。あの妖怪の賢者の狼狽える姿を見られる日が来るとは思わなかったが、全く嬉しくない。こいつの挙動は、全てが演技臭く見える。

 

「心が読めたなら、きっと私は失敗しなかったわ」

「失敗?」

「そう。私は一度失敗したらしいのよ」

「は?」

「まあ、私は幻想郷の賢者だから、二度あることは三度あるなんて、馬鹿な真似はしないわ。ただ、前の失敗を二回目と数えていいのかは微妙なのだけれど」

 

 一から寺子屋で日本語を学んで来い、と言いたくなるほどに、事実口にしたのだが、それぐらい彼女の言葉の意味が分からなかった。慧音の授業を彼女が受けている姿を想像すると、笑える。

 

「それで? あなたはどっちを選ぶの? 良い方と悪い方」

「生憎、弱小妖怪は選択権なんて与えられたことがなくてな、分かんねえわ」

「そう、なら悪い方から話すわね」

 

 だったら、初めからそうすればいいのに。妖怪の賢者は意外に面倒くさい奴なのかもしれない。彼女の行動、言動すべてが鼻につく。

 

「まあ、簡潔にいえば、小槌の魔力が尽きるまで、あと少ししかないってことよ」

「え」

「余命僅かってことね」

 

 どうしてお前にそんなことが分かるのか。それを私に伝えてどうするのか。聞きたいことはたくさんあったが、全てのみ込む。どうせ、八雲紫の返事など、聞いても理解できない。と、そう自分に言い訳する。本当は、単純にその結末を受け入れたくなかった。分かっていたはずなのに、それでも恐怖してしまう。あの八雲紫が余命と言ったのだ。鬼の世界とやらは、一体どんな場所なのか。鶏ガラの言った、何もない場所というのを思い出した。

 

「鬼の世界というのは、どんな世界か知っているか?」

 

 少し緊張しながら、八雲紫に訊ねた。彼女ならば意気揚々と、私だったらすぐに帰ってくこれるわ、と豪語するのではないか。そう期待していた。だが、その言葉を聞いた彼女は返事をしない。少し顔を俯かせ、扇子を持った手を虚空へと掲げた。それを真っすぐ振り下ろす。すると、空間が裂け、スキマが現れた。

 

「私は行きたい場所があれば、こういう風にスキマを作って移動できるのだけれど」

「そんなことしてるから太るんだ」

 

 私の軽口を無視し、スキマを閉じた妖怪の賢者は、先ほどと全く同じように手を上に掲げ、振り下ろした。しかし、今度は何も起こらない。ふざけているのかと思ったが、そうでもないようだ。

 

「その“鬼の世界”とやらに行こうとすると、こうやってスキマを作れないのよね。しかも、試すだけで多大な妖力を持っていかれるの。そんな場所、危険に決まってるわ。死後の世界が平和に思えるほどね」

 

 八雲紫の言ったことは、どこか遠い場所で起きている話で、自分とは関係のないことなのではないか。そう思いたかった。あの妖怪の賢者が恐れる場所。そんな場所に連れていかれると言われて、恐怖しない奴などいない。八雲紫なんかより、よっぽど怖かった。

 

「それで、良いニュースっていうのは」

 

 その恐怖を悟られないように、語気を強めた。それでも声の震えは覆い隠されていない。わざとらしく咳こみ、ごまかした。

 

「ああ、ごめんなさい」

「なんで謝るんだ。やっと自分の傲慢さに気づいたか」

「悪い知らせ、もう一つあるのよ」

 

 顔の前で扇子を開き、目を細めている彼女は、どこか楽しそうだった。何を考えているか、まったく分からない。それが、余計に彼女の胡散臭さを助長していた。

 

「あなたって、自分では悪人って名乗ってたわよね」

「名乗ってねえよ」

「ひとつ、質問よ」

 

 長い金髪をぶわりとあげ、うふふと微笑んだ彼女は、ぱちんと扇子を閉じた。

 

「もし、悪人が悪人らしく逃げたのなら、普通はどうするかしら」

「それより、どうして扇子をあおぎもせず閉じたんだ」

「カッコウツケ、かしらね」

 

 いいから質問に答えなさい、と怪しげな笑みと共に言う彼女の姿は、どこかの寺子屋の先生なんかより遥かに頼もしく思えた。だが、実際にこんな先生がいたら、誰も寺子屋には寄り付かないだろう。少なくとも私はいかない。

 

「悪人が逃げたらか。相手が強そうだったら見て見ぬふりをするな。弱かったら脅して利用する」

「そんな出来もしないことを」

 

 はぁ、と片頬に手を添え、大きく息を吐いた。哀れんでいるようにも呆れているようにも見える。ただ、馬鹿にしているのは確かだった、

 

「正解は、指名手配する、よ。それはあなたも例外じゃないわ。つまり、私が何を言いたいのかといえば」

「いえば?」

「あなたはこれから幻想郷の皆から襲われるようになるわ」

「おいおい」

 自分の頬が緩むのが分かった。妖怪の賢者も実は大したことないのかもしれない。

「今更何言ってんだよ」

 

 今まで私の歩んできた道の中で、共に歩んでくれるものがいたか。いない。いたかもしれないが、私はそれを拒絶する。だって、天邪鬼だから。なら、逆はどうか。私を憎む奴はいたか。そんなの、考えるまでもなかった。

 

「幻想郷の連中から襲われるだ? そんなのは今までと変わらねえよ。私は天邪鬼だぞ。嫌われることを、蔑まれることを望んでいるんだ」

「でも、あなたにはないじゃない」

「え」

 

 いきなりそんなことを言われた私は、ナイジャナイと繰り返してしまった。

 

「ないって、何が」

「才能が」

「才能って、なんの」

「嫌われる才能よ」

「いや、ある。むしろ、私はプロだ」

 

 そう反論したが、彼女は馬鹿にするように鼻で笑った。妖怪の賢者は、人を見下さなければ、生きていけないのだろうか。

 

「まあ、悪い話はこの辺にして、次はいいニュースといきましょうか」

「あと少しで封印される奴にとって、いいニュースなんてあるのか」

 

 懐に入っているレプリカへと手を伸ばす。鶏ガラが作った、頼もしい道具だ。彼女は今何をしているのだろうか。分からない。が、もう会うことはないだろう。だったら、彼女のことなど忘れてしまうべきだ。

 

「さっきも言ったけど、あなたは指名手配されたのよ。鬼の世界に行く前に殺されたら、情けないじゃない」

「私は死なねえよ」

 

 一瞬、封印される前に死ねば、あの世で彼に会えるんじゃないかと、そんなことが脳裏に浮かんだ。が、すぐに頭を振ってその考えを消し去る。私は死なない。包丁を持った三郎少年のことを思い出した。父親を失い、母親を亡くした少年は、どんな思いで生きているのだろうか。あんなひ弱で儚い少年ですら生きているのだ。負けるわけにはいかない。三郎少年のためでは決してない。あいつに意地を見せたいだけだ。だから、絶対に私は死なない。そんな、思ってもいないことを、私は考えていた。死にたいだなんて、思ってはいけないはずだ。

 

「死んでも、生きてやる」

 

 自己暗示をかけるように、そう呟く。八雲紫の眉が少し上がったのが分かる。驚いたようにも、馬鹿にしたようにも見えたが、きっと後者だろう。妖怪の賢者のなすことは、全てが計算づくだと言われても、反論することができない。それくらいの威圧感を放っている。

 

「そう。なら、よかったわ。いいニュースというのはね、プレゼントがあるってことだったのよ」

「いらねえよ」

「素直じゃないわね」

「素直な天邪鬼なんているわけないだろ」

 

 どうして自分からの贈り物は喜ばれると思っているのだろうか。その自信満々な態度が気に入らない。そして何より、その自信満々な態度が、決して自信過剰ではないことが歯がゆくて仕方がなかった。これだから強者は。

 

「いいじゃない。無償で支援を貰えるなんて、弱者の特権よ。なんなら、あなたの言うことなら聞いてあげてもいいわ」

「弱い者は助ける、ってか? 下らねえ。そんなの、誰が頼んだんだよ」

「あら? 助けを求めるなら、早い方がいいわよ。遅いと間に合わなくなるわ。時間切れですってね」

「頼まねえから安心しろ」

「時間より早く、堪忍袋の緒が切れそうね」

 

 相も変わらずよく分からないことを言った彼女は、虚空に向けて小さく手を振った。すると、その先の空間が裂け、漆黒のスキマが現れる。何度見ても慣れる気はしなかった。そして、その隙間から吐き出されるように、何かが出てきた。数は二つだ。ぼとりと音を立てたそれらを見つめる。どこか、見覚えのある霊力と、妖力に包まれていた。

 

「陰陽玉と折り畳み傘。どっちが欲しいかしら?」

「は?」

「プレゼントよ」

 

 いらない。凄くいらない。床に落ちた二つのガラクタを見る。弱者を助けるやら何やら言った割には、随分とちんけなものではないか。

 

「さあ、どっちが欲しいかしら」

「どっちもいらない」

「遠慮はいらないわ」

 

 本心から、いらないと思ったにも関わらず、彼女はそうは捉えなかったようで、急かすようにその二つを差し出してきた。右手に陰陽玉を、左手に傘を持ち、ぐいぐいと押し付けるように近づけてくる。その並々ならぬ勢いに気圧された私は、しぶしぶながらも「なら、傘を」と言ってしまった。口にした瞬間、後悔に襲われる。こいつの思い通りに行動するのが癪だった。

 

「傘ね、分かったわ。なら」

 

 薄気味悪い笑みを浮かべた彼女は、差し出していた手のうち、左手をすっと引っ込めた。つまり、傘を持っていた手を戻し、右手に持っている陰陽玉を押し付けてきたのだ。

 

「おい、傘って言っただろ」

「ええ、言ったわね」

「なら、なんで陰陽玉の方を渡してくるんだよ」

「なんでって」

 

 さぞかし不思議そうに首を傾げた彼女は、乱暴に陰陽玉を投げてきた。触れば、痺れたりするだろうか、と警戒しつつも、そのまま受け取ってしまう。運がいいことに、その陰陽玉には特に仕掛けはしていなかった。自分の軽率さに呆れる。

 

「さっき、あなたが言ってたじゃない」

「言ってた? 何を」

「弱小妖怪は選択権なんて与えられたことがないって」

 

 思わず、陰陽玉を叩きつけてしまった。だが、誰がそれを責めることができるだろうか。きっと、鶏ガラも、烏も、慧音だってそうするに違いない。あれだけ恐ろしかった妖怪の賢者が、今では腹立たしい鬱陶しい奴としか思えない。いや、思わされてしまっている。そのことに気がついたとき、忘れていた恐怖がまたぶり返した。

 

 陰陽玉を拾いなおし、ポケットにしまう。そのまま八雲紫に背を向け、窓の外を覗いた。どうやら今日も晴れているようで、はるか下の地上まで見通せる。どちらにせよ、傘は必要ではなさそうだ。

 

「輝針城で籠城しようなんて、考えない方がいいわよ」

 

 突然後ろから声をかけられ、驚く。いつの間にか、すぐ後ろに八雲紫が立っていた。

 

「そろそろ指名手配されたことを知った妖怪が首を狙いに来るかも」

「そんなに暇な奴がいるのか?」

「まあ、賞金をあげるといったから、結構いるんじゃないかしら」

 

 なるほど、と納得してしまう。たった一匹の弱小妖怪を倒すだけで金がもらえるのならば、参加しない理由はないだろう。

 

 不思議と、なんでそんなことをしやがった、と文句を言う気分になれなかった。どうせ封印されるから、と達観しているのだろうか。それとも、諦めてしまったからだろうか。何かを。やりたかったことを。やるはずだったことを。

 

 やらなければならなかったことを、諦めているのではないか。

 

「そうだった」

 

 はっと、頭に電流が流れた。私はまだ封印されるわけにはいかない。黙って余生を過ごすわけにはいかないのだ。どうして忘れていたのか、と自分を殴りたくなる。そうだ。まだ、やり残したことがあるじゃないか。

 

「急に目に光が灯ったわね」

「まあな」

 

 頭の奥底に、メラメラと炎が燃えている。その炎からは、真っ黒な木々がふき出し、パラパラと灰が舞い上がっていた。跡形もなく燃え尽きてしまった彼の家から、うめき声が聞こえてくる。蕎麦屋の親父の声だ。その声を頼りに近づこうとするも、目の前に大きな壁が降ってくる。その壁の上には、憎らしい笑顔を浮かべ、銃を持っている喜知田の姿があった。絶対にそこから引き吊り下ろしてやる。死ぬ前に、封印される前に殺してやる。そう、決意した。

 

「なあ、妖怪の賢者さんよ」

「なにかしら」

「復讐って、どう思う?」

「急にどうしたのかしら」

 

 さも、驚いたと言わんばかりに身体を仰け反らせているが、表情は何一つ変わっていない。

 

「お前みたいな強者からしたら、やっぱり復讐って下らないものなのか」

「どうかしらね。状況によるわ。でも、オトシマエは大切よ。秩序を保つためにはね。例えば、下克上を起こした犯人を懲らしめたりするのは、必要ね」

「多分、その犯人は今ごろ面倒な妖怪に絡まれているな」

「素敵な妖怪とお話ししているはずよ」

 

 彼女の息遣いから、胡散臭さが漏れ出ているような気がする。それほどまでに、掴み所がない。

 

「私の友人がね、こんなことを言っていたのよ」

「突然なんだ」

「“迷ったら、やれ”ってね。だからとりあえず迷ったなら、実行してみるのも手よ」

 

 随分とその言葉を気に入っているようで、何度も“迷ったら、やれ”と繰り返していた。あの計算高い八雲紫とは思えないほどに曖昧な言葉だ。だが、少なくとも私のような弱小妖怪にはお似合いの言葉だった。

 

 迷ったら、やれ。だったら、迷っていない私が躊躇する理由なんて無かった。

 

「おい、心優しい八雲紫」

「なあに?」

「さっき、一つぐらい言うことを聞いてくれる、みたいなこと言ってたよな」

「ああ、言ったわね」

「ならよ」

 

 懐に入ったレプリカに手を重ねる。呪いの小槌だ。私を奈落の底へ落とすためのものだが、不思議と勇気を与えてくれた。何の勇気か。終わらせる勇気だ。

 

「なら、頼みたいことがある」

「残念だけれど」

 

 私の言葉を遮った八雲紫は、全く残念そうではなく、むしろ楽しそうだった。今まで浮かべていた強張った微笑みをふわりと解いた彼女は、少女のような屈託のない笑みを浮かべた。

 

「時間切れよ」

 

 

 

 そう一方的に断言した彼女は、「でも、可哀想だから、一回だけチャンスをあげるわ」と嘯きながらスキマを開いた。

 

「次に会った奴に、あなたが悪人かどうか聞いてみなさい。それで、もし違うと言われたならば、助けてやってもいいわよ」

「なんだそれ」

 

 それじゃ、次に会うときは、お別れの時ね、と言い残し、彼女は姿を消した。文句を言う暇すらなかった。そんなの、無理に決まっている。私を悪人じゃないだなんて、慧音ですら言わないだろう。きっと、最初から言うことを聞く気なんかなかったのだ。妖怪の賢者なんて、所詮そんなものなのか。

 

 もう一度、窓から外を覗く。澄んだような青空が視界を覆った。それが、また私を苛立たせる。彼が死んだ時だって、この空は、人里は何も変わらなかった。きっと、私が封印されても何も変わらないのだろう。たかが弱者が一人死んだところで、世界は何も変わらない。

 

 だが、視界は変わった。真っ青で、雲一つない寒空に、一つの影が現れた。その影は段々と大きくなっていく。姿こそ見えないが、人影なのは明らかだった。ぎょっとし、尻餅をつく。分かっていたはずなのに、気分が暗くなった。本当に来るのかよ。

 

 急いでここから逃げようと駆けだすが、床にあった何かに躓いてしまい、そのまま倒れ込んでしまう。焦っていたからか、受け身を取ることもできずに、無様に顔面を打ち付けた。鼻がひりひりとし、目に涙が浮かぶ。誰もいないのに、つい悪態を吐いてしまった。

 

「なんだってんだ」

 

 痛む顔をさすりながら、顔を上げる。一体何に躓いたのかと顔を背けると、見慣れない、けれども見覚えのあるものが転がっていた。荒んだ心が、少し落ち着いてくる。面白くも無いのに、無性に笑えてきた。

 

「なんだよ」

 

 紫色の、その独特の傘を摘まみ上げる。陰陽玉と一緒に差し出してきた、あの傘だ。全くもっていらないが、それでも懐に入れた。てっきり、貰えないとばかり思っていた。もしかして、忘れていったのだろうか。いや、あの妖怪の賢者がそんなへまをするとは思えない。だとすれば、やっぱり意図的に置いていったのだろう。私に渡すために。

 

「お前の方がよっぽど素直じゃないじゃねえか」

 

 素直な妖怪の賢者がいるわけないじゃない。頭の中で、そんな声が響いた。

 

 

 

 

「いやあ、久しぶりだね」

 

 輝針城を出ようと、廊下を進み扉を開けたところで、そいつは現れた。ちょうど扉から入ってこようとしたところだったらしく、手を不格好に伸ばし、苦笑いを浮かべている。それを誤魔化したかったからかしらないが、そのまま私の手を掴み、ぶんぶんと上下に揺さぶっていた。乱暴に手を離す。

 

 そもそも、輝針城へと迷いなく来ることができて、しかもすぐにその入り口を見つけることができる奴など、限られている。妙に分かりづらい扉をきちんと使ってくる奴は更に稀で、窓を蹴破ったり、巫女のように強行突破してきたりと、それ以外の手段で侵入し来る奴の方が多いと踏んでいた。だから、私はご丁寧にも扉から出ようと思ったのだ。

 

 それが、裏目に出た。

 

「まさかお前が来るとはな」

「いやー、私もびっくりだよ」

 その短めの茶色い髪を撫でた彼女は、私と距離を取りたかったのか、少し後ろに退いた。私も輝針城を出て、間合いを詰める。

「まさか最初に来るのが八橋だとは」

 

 眉を下げ、苦笑いをした彼女は、まあね、と言葉を濁した。どうして彼女が私の元へ来たかは分からない。まだ、弁々の方が可能性はあった。自己中心的な彼女であれば、金のために私を倒すなど、普通にやりそうだ。だが、八橋が来ることなんて、考えてもいなかった。

 

「いったい何の用だ。私は雑魚道具に構ってる暇なんてないぞ」

「雑魚道具ってなんか語呂がいいね。タコ坊主、揚げ豆腐、雑魚道具」

「お前はその二つと一緒でいいのか」

 

 うんうんと、何かに納得したように頷いた彼女は、「なら、きっと私が揚げ豆腐で、姉さんがタコ坊主だね」と嬉しそうに私に微笑みかけた。さりげなく自分をタコ坊主にしない辺り、腹黒さを感じる。

 

「姉さんは、甘いたこだ」

「たこは甘くねえだろ」

「詰めが甘いんだよ、姉さんは」

「たこに爪はねえよ」

 

 はあ、と肩をすくめた八橋は、でも、と口をすぼめた。

 

「でも、私は雑魚じゃないよ。本気を出せば、爆音で相手を驚かせる」

「地味すぎる」

「今度、聞かせてあげるよ」

「お前とはもう金輪際会わねえよ」

 

 そう言うと八橋は、「私は揚げ豆腐なのに?」と不思議そうに首をかしげた。思わず、ため息が漏れる。

 

「いっておくが、揚げ豆腐もタコ坊主も絶対に誉め言葉じゃねえぞ」

「そうかな」

「そうだ。もしタコ坊主って言われたら、大抵の連中は怒り出す」

「またまたー」

 

 なぜか納得しない彼女は、この凍えるような寒さの中で、大きく身体を広げた。突然の奇行に驚く私をよそに、妖力を体へと蓄え始める。その妖力は以前のものとは大きく異なっていた。

 

「私はまだ生まれたばかりだけどさ」

 

 訝しむ私をよそに、楽しそうに八橋は笑っていた。相も変わらず彼女の目的が読めない。

 

「生まれたばかりでも、美味しいものがいいものということは分かるよ。そして、タコも揚げ豆腐も美味しいものでしょ? だったらそれは褒め言葉だよ」

「ちげえよ。なんだその毒にも薬にもならねえ理屈は」

「毒も薬も美味しくないから、いいものじゃないね。悪いものだ」

 

 そんな下らない冗談を言う八橋に私は少し呆れそうになった。つまり、実際には呆れなかった。呆れではなく本気で心配になったのだ。何が。彼女の頭が。

 

 私が冗談だと捉えた彼女の言葉は、冗談でも何でもなかった。彼女は本心からそう言ったのだ。真顔で、タコと揚げ豆腐はよくて薬と毒はだめだと呟いている。馬鹿馬鹿しい。

 

「そんなことより、早く来た目的を言えよ」

「そんなことって何さ。あれだね。正邪は薬だね」

「うるせえ。なんで私が薬なんだよ」

「本当はいいものなのに、悪いものだからさ」

「それは、私が悪人じゃないってことか?」

「そんなわけないじゃん。正邪は悪人だよ」

 

 だよな、と思わず返事をしてしまう。八雲紫がどこかから、私をせせら笑っているような気がした。 

 

「そういえば毒で思い出したけど」

 

 私の、お前の目的は何か、という質問に一切答えようとしない八橋はそう言った。なぜ毒で思い出すことがあるのか、とバカにしようと思ったが、口を閉じる。自分にも心当たりがあった。赤飯に毒を入れると嘯いていた針妙丸の怒りと悲しみの混濁した顔が頭をよぎる。今思えば、その時の表情は彼に似ていたような気がした。まあ、もう二度と見ることはないだろう。だが、私の予想に反し、八橋が話したのは、小人ではなく人魚のことだった。

 

「わかさぎ姫。巫女に対して毒をとか呟いていたけど、あれけっこう本気だったらしいよ」

「はあ?」

「まあ、結局は用意できなかったから、複雑な模様の氷を飲ませようとしたらしいけど」

「それ、意味あるのか?」

「お腹を壊すかもしれないし、もしかしたら案外効くかもよ」

「毒じゃないのに?」

「毒じゃないのに」

 

 どこまで本気なのか、微笑しながら淡々と言葉を並べていた八橋は、急に表情を消した。乾いた冷たい風が彼女の綺麗な髪を揺らす。その髪のすきまから見えた彼女の目には、確かに怒りが浮かんでいた。

 

「正邪、あなた姫に何をしたの?」

「姫ってわかさぎ姫のことか」

「針妙丸に決まってるじゃん」

「決まってねえよ」

 

 私が針妙丸に何をしたか。何もしていない。何もすることができなかった。そしておそらく、最初から何もするべきではなかったのだろう。私が彼女と一緒にいて、いいことなんて、一つもない。

 

「あのチビと私はもう無関係だ。ただの他人だよ」

「そういうこと言うから、こんなことになるんだよ」

「こんなこと? 何の話だ」

 

 はあ、と大きくため息を吐いた八橋は、生まれたばかりの雑魚道具のくせに、いっちょ前に肩をすくめた。その仕草は、間違いなく私を真似たものだ。

 

「この前、巫女にぼこぼこにされた後に、博麗神社に行ったんだ。姉さんと一緒にね。その時に針妙丸に会ったの。そこで巫女と一緒に住んでるらしいんだけど」

「どうだった」

「酷かった」

 

 酷かった。その言葉で一瞬にして私の頭に怒りが込み上げてくる。巫女と一緒に住んでいることは別に構わない。幻想郷で一番安全なところといっても過言ではない博麗神社に匿ってもらうのは、むしろ願ったり叶ったりだ。だが、もし巫女が。博麗の巫女が針妙丸を痛めつけたりするのであれば、酷い目に遭わせているのであれば、私は許すことができない。でも、どうして許せないのか。その理由は私にも分からなかった。

 

「酷かったって、何があったんだよ。殴られていたのか?」

「殴られ? ちがうちがう。むしろ快適そうに過ごしてたよ」

「はあ?」

 

 なら何が酷かったのだろうか。

 

「そうじゃなくて、凄く悲しそうだったんだよ。正邪が悪い妖怪だと知って、頭を抱えていた。更生させなきゃって」

「更生?」

「いい妖怪にしないとってね」

 

 そこまで一息に言い切った八橋は、こてんと首を傾げた。依然としてその目は鋭く、何を映しているかよく分からないが、私に何か不満を抱いているのは確かだ。

 

「つまりは、正邪のせいで姫の心は酷いことになってるんだよ。どう? 少しでも姫に謝ろうという気になった?」

「なる訳ないだろ」

「なんで」

「なんでって」

 

 そんな質問をする意味が分からなかった。

 

「私は天邪鬼だぞ。天邪鬼が謝るのは演技か、それとも煽るときだけだ」

「そう言うと思ったよ」

 

 なら、交渉決裂だね、と不敵に笑った八橋は、その身にまとっていた妖力を辺りに拡散させた。それが一つずつ大きな光の弾へとなっていき、視界を覆いつくす。雑魚だとあれ程馬鹿にしたが、私ではとても太刀打ちできそうになかった。

 

「だとしたら、力づくで姫の前に突き出すことにするよ」

 

 持っている琴をかき鳴らした八橋は、わたしに向かい敵意を剥き出しにした。だが、それは憎悪とかそういった類のものではなく、むしろ楽しんでいるようにすら思える。現に、彼女は頬を見せ、白い歯を見せていた。

 

「それに、正邪を捕まえれば、報奨金が出るらしいし」

「おまえ、そっちが本当の目的だろ」

 

 どうだろうね、と微笑んだ八橋は、浮かべていた光の弾を私に向かい投げつけてきた。

 

 

 

 

 

 生まれたばかりの雑魚道具にもかかわらず、八橋が放つ弾幕は私を圧倒していた。輝針城のすぐ下を通り抜けるようにして弾幕を躱しているものの、当たるのは時間の問題だった。

 

「頑張ってよ。我らが天邪鬼のリーダーさん」

「何が我らがだ。馬鹿野郎」

 

 巫女の時と同じように、河童から貰ったお守りを投げつける。ぴしりと嫌な音がしたかと思えば、視界が光に包まれた。その間に八橋と大きく距離を取り、そのまま逃げようとする。が、すぐに後ろから弾幕が襲ってきた。慌てて身体を捻るも、右腕に熱が走る。歯を食いしばり、無視して八橋の方を振り返った。

 

「おまえ、そんなに強かったのかよ」

「強くないよ。正邪が弱いんだよ」

「私は弱くねえ」

 

 そう言っている間にも、数えきれないほどの光弾が飛んできた。躱すのに精いっぱいで、何もすることができない。せめて、懐に入り込めれば爆弾を当てられるのだが。

 

 そう思った瞬間、身体に妙な違和感を覚えた。どこか心当たりのある、輝針城の魔力とも違う何かが、発せられている。

 

 いったい何だろうか、と困惑していると、胸元が少し熱を帯びているのが分かった。その熱源を手探りで探し、取り出す。その正体は、八雲紫から貰った陰陽玉だった。それが発熱している。巫女が発した霊力のようなものが、纏わり付いていた。

 

 そんなことを考えていると、目の前に八橋の光弾が迫っていた。それは、他の奴よりもかなり大きく、その代わりに動きも遅かった。きっと、行動をけん制しようとしたものだったのだろう。だが、ちんたらしている内に、避けられない距離にまで近づいてしまっている。そして何より、そのことに一番驚いているのは八橋のようだった。目をまん丸にし、口元に手を伸ばしている。そんな人の心配をする時間があったら、自分の心配をしろよ、と言いたかったが、それは自分自身に言えることだった。

 

 ああ、せめて八橋には勝ちたかったな。そう思い目を閉じると、また陰陽玉が熱くなった。これを投げれば、この光弾と相殺してくれないだろうか。そう思い、闇雲に投げる。

 

 すると、予想外のことが起こった。光弾に押しつぶされると思い、目を閉じたものの、中々衝撃がやって来ない。恐る恐る目を開けると、その光弾ははるか遠くにあった。最初は、その光弾が逸れ、そのまま通過していったのかと思ったが、違った。それが分かったのは、目の前に八橋の後ろ姿が見えたときだ。彼女は、自分の放った弾幕を見ながら、ただ茫然としている。

 

 瞬間移動をした。そう実感するのに時間がかかった。どうしてそんなことが起きたのか、そもそもあり得るのか、色々な疑問が脳裏をよぎったが、全部無視する。今すべきことはたった一つ。逃げることだけだ。

 

 ばれないように、慎重に踵を返す。ついでに、と河童にもらったお守りの封を開け、八橋に放り投げた。ぴしり、と音が響いたかと思えば、八橋の悲鳴が聞こえてくる。それを無視し、全力で進む。

「ちょっ、正邪。待った待った」

「時間切れだ。お前にはいい薬だろ」

 

 やっぱ、薬は嫌いだよ、という断末魔が聞こえ、爆風が舞う。きっと、そこまでの怪我は追わないはずだ。八橋だったら、うまく避けることができるだろう。そう八橋のことを考えていると、その爆風が、いつの間にかすぐそばへと迫っていた。光と熱に巻き込まれ、身体に衝撃が加わる。

 

 やっぱり、人の心配なんてするもんじゃねえな。そう呟いた私の声は、爆音にのまれていった。

 


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