天邪鬼の下克上   作:ptagoon

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期待と失望

「ねえ、あなたに聞きたいことがあるのだけれど」

 もともと悪いその目つきをさらに悪くした鶏ガラは、私の頭を本で軽く小突いた。

「招かれざる客が来た場合ってどうすればいいのかしら」

「何でも言うことを聞けばいいんだよ」

 呆れで重くなった息を、彼女は私に向かい吐き出した。

 

 傘をくぐると、そこには図書館が広がっていた。もはや見慣れた大きな魔法の図書館だ。どこか安心している自分がいて、驚く。大妖怪のすみかに忍び込んで安心するなんて、どうかしている。

 

 予想外だったのは、そこに私以外の連中も放り込まれていたということだ。喜知田に負わされた傷はきれいさっぱり治っている。だが、戦闘による疲労によるものか、それともいきなり目の前に現れた圧倒的なまでに強者な魔女に絶望したからか分からないが、彼女たちはソファで寝かせられていた。乱雑に積まれているといった方がいいかもしれない。

 

「いきなり弱小妖怪がスキマから図書館になだれ込んでくるんですもの。思わず殺してしまいそうになったわ」

「面白くない冗談だな」

「冗談じゃないわよ」

 

 ふふ、と笑う鶏ガラの顔は、どこか生暖かかった。私が以前来たときは、それこそ本物の鶏ガラのような顔色だったのに、少しましになったようにも思える。だが、それでも陰気くさいことには変わりはない。

 

 紙とインクの入り交じった独特の匂いが鼻をついた。立つことができず、地べたに座り込む。そうすると、ここがより一層広く感じられた。私からあふれた血が、じわりと床にしみこんでいく。

 

「それで? いきなりどうしたのよ」

 鶏ガラが、本を取り出しながら訊いてきた。

「八雲紫の傘でしょ、それ。それでどうして私の図書館に来たのよ。しかも弱小妖怪を引き連れて、まさか、下克上にでも来たのかしら?」

「お前は馬鹿だな」

 

 立ち上がろうとしたが、膝が震えてうまくいかない。痛みはなかったが、それが逆に恐怖を加速させた。だが、鶏ガラには満面の笑みを浮かべる。こんな怪我、どうってことないと、そう思わせたかった。

 

「下克上ってのは、弱者が強者に刃向かうことをいうんだよ」

「それは、私が弱者だと言いたいのかしら」

「ちげえよ。私が強者なんだ」

「自虐も大概にしなさい」

 夕闇のように輝くその長い髪を撫でた彼女は、面倒そうに私の前に立った。いつもの、あの魔法を使うのだろう。

「言っておくけど、呪いまでは解けないからね」

「分かってるよ」

 

 そう、と小さく呟いた彼女は、素早く言葉を並べた。温かい光が体を包み、傷口がみるみる塞がっている、はずだ。いつもは体が軽くなっていくのだが、今回に限ってはそうではなかった。ずんとした重い何かが体に張り付いている。輝針城の魔力が消え去ったとき感じたような重みが、体を覆っていた。

 

「ぼちぼちかもな」

 思わず声が零れる。立ち上がってみると、すんなりと足が動いた。だが、倦怠感はとれていない。ぼちぼち、鬼の世界に封印されるのだろう。

「ぼちぼち? 何がよ」

「さあな。お前のとこの門番が過労死するのがじゃねえの」

「人の心配なんて、してる余裕ないでしょうに」

 その通りだ。人の心配をしてる暇なんてないし、する必要もない。私に残された時間は、残り僅かだ。

 

「指だって、足りていないじゃない」

「指?」

「左手よ。流石に欠損までは治せないわ。痛いの痛いの飛んでい毛を使えば別だけれど」

「使えばいいじゃないか」

「馬鹿じゃないの。誰が好んであんな恐ろしい呪いにかかりたがるのよ」

「私だ」

 

 むぅと口をつぐんだ鶏ガラを尻目に、左手を見つめる。確かに指が二本ほど足りていなかった。巻き付けていたはずの布は解け、床に広がっている。慧音から貰った市松模様の手ぬぐいだ。慌てて拾い、左手にぐるぐると巻き付ける。大分不格好だが、ないよりはましだ。

 

「ほんと、あなたは何回ここで治療をしたら気が済むのよ。いいご身分ね」

「なんだよ、いいご身分って。お前の方がよっぽど身分的にはいいだろ」

「私の身分なんて、大したもんじゃないわ」

「ペットか?」

「そこまで酷くもない」

 

 目を閉じ、肩をすくめた魔女は、ソファに向かった。チーム天邪鬼。そう呼ぶのには気が引けるが、ともかく、眠っている弱小妖怪たちに向かい、何やら魔法をかけている。小さな声で、しばらく寝ときなさい、と聞こえた。彼女たちが横たえていたのは、疲労によるものでも、恐怖によるものでもなく、魔法のせいだった。

 

「ねえ、正邪。天邪鬼っていったい何か、教えてくれないかしら」

 ソファで眠っているはずの連中が目を覚まさないか、と確認していた鶏ガラは、いきなりそんな意味不明なことを言いだした。

「あなたなら分かるでしょ?」

「馬鹿かお前は。天邪鬼ってのは私のことだよ」

「そうじゃなくて」

 肩をすくめた彼女は、寝息を立てている弱小妖怪共を指差した。そして、そのまま八橋の頬をつつき始める。

「彼女たちが言っていたのよ。私たちは天邪鬼だってね」

「チーム天邪鬼な」

「それよ。なんなの、それ」

 

 輝針城で、いきなり決まった下克上のための弱小妖怪の団体。針妙丸の、友達が欲しいという願いを叶えた小槌の賜物。いや、もしかすると、小槌とは関係なしに、針妙丸に惹かれただけかもしれないが、とにかく。輝針城異変を切欠に出来た、馬鹿で間抜けで、そして針妙丸を中心とした妖怪のチーム。それが天邪鬼だ。

 

「まあ、そうだな。簡単に言えば」

「簡単に言えば?」

「針妙丸親衛隊だな」

「へぇ」

 鶏ガラの顔が、厭らしく歪んだ。顎を引き、ニヤニヤとこちらを見てくる。

「なんだよ。何だその顔は」

「言ってたのよ。彼女たちが」

「言ってたって」

「チーム天邪鬼の、我らが天邪鬼のリーダーはあなただって」

 

 こちらへ歩み寄り、ずりっと顔を私のすぐ近くへ持ってきた鶏ガラは、その半開きの目を更に細め、私を見上げてきた。寒気がして、鳥肌が立つ。

 

「生まれながらにして、私たちのリーダーだって、言ってたわよ。しかも、自分からそう口にしたって」

「してねえ」

「てことはね」

 私の言葉を無視した彼女は、楽しそうに言葉を紡いでいる。

「てことは、あなたは、生まれながらにして、針妙丸とかいう小人の親衛隊だったってことね」

 

 もはや、呆れて返事をすることもできない。鶏ガラは、私が慌てふためき、そうじゃねえ、と反抗することを楽しみにしているのだろう。だが、そう言い返す元気すら、私にはない。もし、仮にだ。仮に、針妙丸を守らなければならないのならば、そもそも私はあいつと関わってはいけない。どこか遠くから、見守る。そうしなければいけなかったのだ。

 

「何よ、ぶすっとしちゃって」

 つまらなそうに、鶏ガラは口を尖らせた。

「指が無くなったのが、そんなにショックだったの? どうせすぐ封印されるのに」

「あ、ああ。そうだな」

 

 針妙丸のことを考えていたと悟られたくなくて、私は大袈裟に笑みを作った。

 

「また今度治してくれよ」

「え?」

「左手、鬼の世界から帰ってこれたら、治してくれ」

「あなた、それ本気で言ってるの?」

 信じられない、と目を丸くした彼女は、ずかずかと私に近づいてきた。いつもの彼女らしくもない。

「もちろん本気だ。お前の仕事は私の治療だろ?」

「違うわ」

「違わねえよ」

「そうじゃなくて、本気で鬼の世界から帰ってこられると思っているの?」

 ああ、と声を漏らしてしまう。そっちか。

 

「今思ったんだよ。もしかしたら帰ってこれるんじゃないかって」

「無理よ。何を今更言っているの」

 口調こそいつもと同じように淡々としたものだったが、その口が途切ることはなかった。

「いったでしょ。鬼の世界ってのは、地獄よりも地獄らしい、そんな場所なのよ。あなたみたいな弱小妖怪が帰ってこれるわけないじゃない。無茶よ」

「いいじゃないか。信じるだけならただだぞ」

「あなたはいつからそんな楽天的になったのよ。そんな都合のいい話、あるわけないじゃない」

「生きていれば、なんとかなるかもしれんだろ」

「ならないわ」

 

 強情な魔女は、眉をきりりとたて、力強くそう断言した。どうして彼女がそこまで否定するのか分からない。

 

「なら、賭けをしようぜ」

「賭け?」

「私がもし帰ってこられたら、甘味屋で死ぬほど奢って貰う。帰ってこれなかったら、逆に奢ってやるよ」

「帰ってこられなかったらどうやって奢るのよ」

「さあな」

 

 私自身も、帰ってこられるだなんて、思っていなかった。この世の中はそんな都合がよくない。すべてがすべて裏目にでる、虐げられる星の下で生まれた弱小妖怪が、救われる可能性なんてない。ただ、覚悟をしたかったのだ。永遠に鬼の世界で閉じ込められる覚悟を。

 

 鶏ガラは、私の言葉を聞き、俯いていた。被っていたナイトキャップがぽすんと落ちる。だが、それにも彼女は反応しなかった。ぼそぼそと、口を小さく動かして、静かに呟き始める。

 

「この世の中で、持ってはいけない物って知っているかしら?」

「さあな。面倒な知り合いとかか?」

 鶏ガラは、私の言葉なんて聞いていないようだった。

「それはね、期待よ」

「期待?」

「もったところで、大して得もないくせに、いざ裏切られると失望し、悲しくなる。百害あって一利なしとはこのことね。そんなもの、持たない方がいいに決まっているわ」

 

 顔を上げ、こちらを見た鶏ガラは、にやりと口角を上げた。いつも見せる、得意げな物ではない。眉を下げ、皮肉げに笑うその姿は、悲壮感に満ちていた。

 

「だから、私は頑張って捨てたのよ。期待をね」

「どういうことだ」

「あなたが無事で済むかもしれないって期待を捨てたのよ」

 

 なのに、と再び目を伏せた彼女は、ふわりとその場に浮き、本を開いた。いったい彼女が何をしようとしているのか、そもそも何を言っているのかすら分からない。

 

「なのに、そんな甘言で私を惑わさないで。これ以上言うなら」

「言うなら、なんだ」

 

 静寂が図書館を包んだ。小魚たちが身じろぎし、服同士がこすれ合う音だけが耳につく。鶏ガラの表情はさえない。最初に浮かんでいた笑みは消え、ふて腐れた子供のような顔をしていた。

 

「もしかして、お前」

 そんな鶏ガラを前に、私は思わず吹き出してしまう。彼女がどうしてそんな顔をしているか、分かってしまったからだ。

「お前、寂しいのか」

「え?」

「私がいなくなって、寂しいんだろ」

 

 鶏ガラは何も答えなかった。ただ、一瞬目を開かせたかと思えば、すぐに顔を伏せ、慌てて手に持った本を顔の前へ持っていく。羞恥心を隠すと言うよりは、私にそんなことを言われる屈辱に耐えているように思えた。それもそのはずだ。私のような嫌われ者など、いなくなってしまえばいいと考えるのが普通で、寂しがるような奴は、自分は頭がおかしいです、と白状しているも同然なのだから。

 

「おいおい。あの冷静沈着な魔女様が、なんて醜態をさらしてるんだよ。本当に寂しいのか。慧音のお世話にでもなればいいんじゃないか」

「うるさいわね。なんでそこで半獣が出てくるのよ」

「少なくとも寺子屋では、指名手配犯に感情移入しましょうだなんて、習わねえからだ」

「その言い方、レミィみたいよ」

 

 はぁ、と大きく胸を上下させた彼女は、「なんだか馬鹿らしくなってきたわ」と微笑みながら言った。

 

「むかしね、レミィと鬼ごっこをしたことがあったのよ。レミィが鬼で、私が逃げるの」

「ガキかよ」

「もっと本格的よ。魔法を使ったり、ナイフで刺したりしてね」

 それは、鬼ごっこではなくただの殺し合いではないか。

「その時にね、結局レミィが体の一部を蝙蝠に変身させて、それで触れたから私の勝ち、とか言い出して」

「せこいな」

「でしょ? 当然私は抗議したわ。でも“私がそう言ったから、それでいい”とか言い出して。なんだか勝ち負けとか、馬鹿馬鹿しくなっちゃってね」

 

 あのレミリアが、そんなことを言うだなんて、想像もつかなかった。あの恐ろしい吸血鬼が、そんな子供じみたことを言うなんて、にわかに信じられない。

 

「今も、同じ気持ちなのよ。あなたの中では、もう決着がついていると知っていたのに、私はあなたが助けを求めれば助ける、そうでなければ放置すると決めていたのに、勝手に騒ぐのは、おかしいわね」

「私にそれを聞くなよ」

「なら、誰に聞けばいいのかしら」

「私にでも聞けばどうだ、パチェ」

 

 いきなり後ろから鶏ガラ以外の声がした。高く幼く、そして高貴なその声には、聞き覚えがあった。隠しきれない威圧感が背中を襲う。しかし、かつてほど恐怖は感じていなかった。やはり、感覚が麻痺しているのか。それとも、さっきまでの戦闘で気が立っているのか。いずれにせよ、私にとって居心地のいい雰囲気ではなくなってしまった。

 

「急に入ってこないでっていってるじゃない。レミィ」鶏ガラは、なぜか少し焦っていた。もしかすると、さっきの会話が聞かれていたか、心配しているのかもしれない。

「それどころじゃないだろう?」

 この館の主、レミリア・スカーレットは偉そうに腕を組んだ。

「指名手配犯と仲良くお話だなんて、いいご身分じゃないか」

 

 それって、ペットということか、と呟いた私の声は、誰にも拾われることなく、そのまま消え去っていった。

 

 

 

 

「お前が来ることは分かっていたさ」

 青白い髪をくるくるといじりながら、レミリアは言った。その声は、自信と気品であふれている。腹立たしい。

「運命で、見えていたからね」

「なんだよ、運命って」

 

 私は彼女と目を合わさず、口をすぼめた。彼女と目を合わせるのが怖かったからではない。運命という言葉に嫌気がさしたのだ。

 

「だとすれば、弱小妖怪が幸せになれない運命ぐらい変えてくれればいいじゃないか」

「それは無理だ」

 何が楽しいのか分からないが、彼女は朗らかに笑う。

「不幸にすることはたやすいがな」

 弱小妖怪なんて、放っておいても勝手に不幸になるに決まっていた。

 

 くつくつと、喉の奥をならした彼女は、ソファで眠っている小魚たちを一瞥すると、鶏ガラの方へと歩み寄っていった。近くにある椅子を引き寄せ、座る。仲がいいのか、距離は随分と近かった。私と向かい合い、机に偉そうに肘をついている。その、偉そうな態度のまま、彼女は嘯いた。

 

「ひとつお前に訓辞を垂れてやろう」

「私は説教がこの世で二番目に嫌いなんだ」

「一番はなんだ?」

「お前」

 

 ふぅと、小さく鼻から息を吸い、おもむろに右手を上げた。その手にはどこから取り出したのか、袋に入った墨汁が握られている。

 

「天邪鬼。お前はこれから言動に注意した方がいい。いまの立場を考えろ」

「立場? 指名手配犯ってことか?」

 

 何を言いたいのか分からず、首を傾げていると、レミリアは思い切り手に持った墨を投げつけてきた。咄嗟に顔を背けたが、肩に当たり、ピシャリと音を立てる。あまり広い範囲ではないが、円状に目立つ黒々とした染みが出来てしまった。なにしやがる、と憤る私を見て、邪悪な笑みを浮かべた彼女は、真っ赤な口を三日月のように広げた。

 

「なんていったって、お前は妖怪の賢者様のお墨付きなんだぞ」

「嬉しくねえな」

「諦めろ。そういう運命だ」

 

 時間切れよ、と微笑を浮かべながら扇子を口元に持っていく八雲紫の姿が脳裏に浮かんだ。

 

「運命運命うるせえよ。私はそんな未熟な人間の自己陶酔に使われそうな陳腐な言葉をありがたがるほど、若くもないし馬鹿でもねえ」

「おいおい。馬鹿にしすぎじゃないか?」

「してねえ。事実だ」

 

 ふるふると体を震わせた彼女を見て、怒ったのではないか、と一瞬焦ったが、にやりと開いたその真っ赤な口を見て、胸をなで下ろす。

 

「お前は分からんかもしれんがな、運命ってのは案外凄いものなんだ」

「へえ」

「例えば、だ。運命を操ることができれば、どんな勝負にも負けることはなくなる。その勝負が始まる前からな」

「どういう意味だよ」

 そもそも、吸血鬼という圧倒的な強者が負ける姿がうまく想像できない。

「運命ってのは、お守りみたいに持っておくものなのか?」

「違う。もっと論理的だ」

 

 はん、といつの間にか私は鼻を鳴らしていた。論理的な運命だなんて、その言葉自体が既に矛盾している。

 

「運命だかなんだか知らないがな、そんな曖昧な物を信じる気にはならねえよ」

「確かに運命は曖昧だ」

 

 何故か楽しそうに笑った彼女は、意地を張る少女のように指を立て、ただ、と呟いた。

 

「ただ、色々なことを知ることができる」

「はあ?」

「例えば、だ」彼女の黒い無骨な翼が、僅かに動いた。

「例えば、おまえが復讐に失敗して、無様に鬼の世界に封印されることは分かる」

「え?」

 

 私は思わず、鶏ガラの方を見た。だが、彼女はぶんぶんと首を振っている。

 

「どうして、私が復讐に失敗したことを、鬼の世界に封印されることを知っているんだ」

「何でだと思う?」

「それも、運命か?」

「いや」

 彼女はにやりと笑い、赤い舌を出した。

「八雲紫から聞いた」

 なんなんだこいつは。そう口にするも、彼女は不敵に、まあ、運命からも分かっていたがな、と笑うだけだった。

 

「なら、お前にはこれから私がどうなるか、分かっているというのかよ。私の運命を占ってみせろ」

「占いなんぞと一緒にするな」

「私からすれば、変わらねえよ」

 

 紅美鈴の、疲れ切った笑顔が目にかんだ。確かあいつは、お嬢様の予測が外れて、大変です、と零していたような気がする。だとすれば、占いと何ら変わりはない。

 

「ほら、早く言えよ。これから、私はどうなるんだ」

「どうしてお前はそんなに強気なんだ」

「いいから」

 

 その大きな翼をぶるりと震わせた彼女は、おもむろに立ち上がった。小さな体を目いっぱい伸ばし、つり上がった目でこちらを見てくる。

 

「教えてやるのも悪くない」

「なら」

「だが、面白くもないな」

 

 彼女から放たれる威圧感が大きくなった。体の芯を直接殴られているような、そんな気分だ。彼女の真っ赤な目が、怪しく輝いている。

 

「面白くないって、一体何するつもりなのよ」

 鶏ガラはいつの間にか、私たちから距離を取っていた。小魚たちが眠っているソファの近くで座り込んでいる。何するつもり、と聞いておきながら、何が起こるか察しているようだ。

「普通に考えてみろ。目の前に指名手配犯がいたら、どうする?」

「怪我を治す?」

「違う」

 ちろりと舌を出した彼女は、妖力を弾幕という形で漂わせた。

「捕まえるんだよ」

 

 

 

「なあ、この世の中で一番持ってはいけない物って何だと思う?」

 いきなり図書館で弾幕を展開するレミリアから後ずさりしながら、私は聞いた。

「さあ、パチェはよく期待、といってるがな」

「正解は、固定概念だよ」

「はあ?」

「指名手配犯は捕まえなければならないなんて固定概念、捨ててしまえ」

 

 今すべきことを、必死に頭の中で考える。別に、捕まってもいいんじゃないか? 捕まったところで、いずれは鬼の世界へ行くことになる。ならば、問題ないのではないか。

 

「ああ。やっぱり、捕まえるってのは固定概念にとらわれていたな」

 考え込んでいると、上から楽しそうな声が聞こえてきた。無邪気な、子供のような声だ。

「捕まえるんじゃなくて、殺すことにするよ」

 

 だが、口にした内容は全く無邪気ではなかった。自然と、鶏ガラの方へ目をやる。だが、彼女はふるふると首を振った。さっき、助けを求めればとか言ってやがったのに。その口は、諦めなさい、と確かに動いた。何を諦めろというのだろうか。命か。

 

「だったら、諦めるわけにはいかねえな」

「お、やる気になったか。まあ、流石に私もお前と対等にやり合おうなんて、思っていない」

「なんだよ。怖じけづいたのか」

「逆だよ。弱者をいたぶって楽しむ趣味なんてないからな」

「よく言うよ」

 だったら、そもそも殺そうとしてくるな。

「ハンデをやろう」

「ハンデ?」

 

 そうだ、と鼻息を荒くする彼女から目を離し、図書館をぐるりと見渡す。きれいに列になった巨大な本棚が整列し、その一つ一つに魔法がかけられている。真っ赤な床や天井は目に悪いが、どんなに暴れてもありあまるほどの空間があった。だが、そんな巨大な図書館にもかかわらず、出入り口は一つしかない。ソファのすぐ近くにある、巨大な扉だけだ。

 

「そうだな。ハンデとして、もしお前が私に触れることができれば、勝ちにしよう」

「そんなの」

「余裕、とでも言いたいのか?」

 

 そんなの、できるはずがなかった。人間である喜知田に近づくことすらできなかった私が、吸血鬼であるこいつに触れることなど、不可能だ。それこそ、そういう運命だ。だから、私はレミリアと勝負する気なんてさらさらない。だが、勝つ気はあった。逃げるが勝ち。まさにその通りだ。

 

 真っ赤な絨毯を見下ろしていると、少し血のにじんだ辺りに、傘が落ちていた。レミリアに訝しまれないように、足を痛めたかのように装って、それを拾いあげる。彼女から弾幕が放たれたのが分かった。手早く傘を広げ、中に足を突っ込む。私の体はスキマへと吸い込まれ、図書館にはそれを呆然と見つめるレミリアの姿だけが残る。はずだった。

 

 足下でズサリと音がした。何が起きたのか、確認しようと視線を下ろす。そして、思わず笑ってしまった。私の足は、何の変哲もない傘を突き破り、そのまま床へとついていた。周りを見渡す。当然、図書館のままだ。

 

「残念だったな」

 レミリアから放たれた弾幕がすぐ目の前に迫っていた。

「その傘は、もう使えないよ」

 それも運命によるものなのか、そう言い切る前に、私は大量の弾幕を浴び、吹っ飛ばされた。

 

 

 ゴムまりのように体が跳ね、棚にぶつかりようやく止まる。目が回り、意識が混乱している。何が起きたのか、理解できていなかった。

 

「おいおい。いくら弱小妖怪といえ」

 視界はチカチカとして、何も見えなかったが、声は聞こえた。うざったい声だ。

「あまりにも情けなくないか?」

「弱小妖怪をいじめるお前よりかはましだ」

「指名手配犯をいじめているんだ」

 痛みはない。手で体を触るも、特に血は出ていなかった。手加減してくれたのだろうか。いや、違う。遊ばれているだけだ。

 

 背中の本棚を支えにして、何とか立ち上がる。傘という切り札が失われた私には、もう打つ手なんて残っていなかった。どうする、どうする。胸の鼓動が高まっていく。いくら鶏ガラの友人とはいえ、こいつらにとってみれば、私なんて虫けらほどの力しかない。彼女にとって殺す気がなくても、簡単に死んでしまうのが弱小妖怪だ。まして、殺す気があるのであれば、助かる道筋なんてない。まさか鶏ガラの前で私を本気で殺そうとはしてこないだろう、なんて考えは、とうに消え去っていた。

 

「なあ、見逃すっていう選択肢はないのか?」

「あると思うか?」

「思う」

「だとすれば、お前の頭がおかしい」

 

 わざとらしく舌打ちをして、地面を蹴る。本棚をレミリアとの間になるようにして、できるだけ早く駆け出した。後ろから、光弾が飛んでくる。横に大きく飛び、何とかいなす。

 

「おいおい。今ので精一杯だったら、流石に面白くないぞ」

「なら、止めればいいじゃないか」

「私は中途半端ってのが嫌いなんだ」

「人に好みを押しつける奴は嫌われるぞ」

「お前よりはましだ」

 

 そう言っている間にも、躊躇なく色とりどりの光弾が放たれていた。体をねじるようにしながら空を飛び、かわそうとする。が、左肩に当たり、体がはじけたかのような感覚に襲われる。くるくると視線がまわり、どちらが上か下か分からなくなった。

 

「もう止めたら?」

 鶏ガラが、心配そうな声を出した。

「悪人をいたぶるなんて、悪趣味よ」

「私が悪趣味なのは知ってるだろ? それに、悪人ってのはいたぶってもいいから、私は好きなのさ」

「弱者はだめなのに、悪人はいいのね」

 

 レミリアの注意が逸れている間に、本棚の裏へとまわる。彼女の視界から私が消えたかどうかは分からなかったが、それでも一息つきたかった。丈夫な木にもたれかかり、大きく深呼吸をする。弾幕はまだ飛んできていない。

 

 爆弾は使い切った。傘も陰陽玉もない。どうする。どうする。闇雲に懐やポケットを漁る。小槌のレプリカが右手に触れた。これでどうしろというのか。

 そのレプリカを取り出そうとしていると、別の物が手にまとわりついた。勢いよくそれを引き出す。

 

「餞別」

 

 つい、本棚から顔をのぞかせ、九十九姉妹の眠っているソファに目を送ってしまう。すると、隣で暢気にレミリアと談笑している鶏ガラと目が合った。私が持っている布を見て、目を丸くしている。そして、両手をあげ、そのまま肩口へと下ろしていった。かぶれ、ということなのだろうか。

 

 輝針城で、布を持った手が透明になったことを思い出した。迷う暇なんてない。勢いよくそれをかぶり、ポケットに手を入れる。

 

 最初こそ単純に毛布を被ったときのように真っ暗だったが、だんだんと視界がはれていった。しまいには、被っていないときと同じように、視界が確保される。いま、自分があのときと同じように透明になれているかは分からない。ただ、これにかけるしかないのは確かだった。もう一度、本棚から顔を出す。あれほど啖呵を切っていたレミリアは、まだ鶏ガラと話し込んでいた。もう飽きてしまったのだろうか。私を、悪人を甚振ることより、鶏ガラと話す方に夢中のようだ。中途半端は嫌だと言ったくせに。

 

 だが、私にとっては好機だ。足音を立てないように、ゆっくりと前へ進む。レミリアは、ちょうど私に背を向けるようにして、突っ立っていた。だが、その周りにはふよふよと弾幕が浮かんでいる。彼女の意図が読めない。どうして、それをさっき私が本棚の奥に隠れているときに撃たなかったのだろうか。きっと、遊んでいるから。そうに違いない。

 

 その光弾がふっと消えた。思わず、立ち止まる。が、レミリアに特に動きは見られない。息をのむ。その音が聞こえていないか、心配になり、そのせいでまたもや鼓動がうるさくなった。その音が聞こえないか、とまた不安になる。悪循環だ。

 

 意を決し、するすると彼女の元へと進む。念のため、ポケットにかかっていた指を出し、レミリアをすぐに触れられるようにと、右手を引いた。

 

 一歩足を進め、右手を前へ突き出し、指をレミリアの方へと放つ。その瞬間、視界が変わった。目の前にいたはずのレミリアは消え去り、いつの間にか真っ赤な色が広がっていた。何度も感じたことのある感覚だ。いつの間にか、天井を向いている。何が起きたか、分からない。

 

「愚かだな、お前も」

 

 すぐ近くで、レミリアの声が聞こえた。なんとかして顔を起こし、前を見る。彼女は私の方を向き、悠然とした態度でくつくつと笑っていた。

 

「姿を消したところで、気配を消せなきゃ意味ないだろうに」

「普通の妖怪が気配を消せるわけないだろう」

 

 どうして私が天井を見上げているのか分からず、体を動かそうとする。が、うまくいかない。芋虫のように体を曲げると、ようやくその原因が分かった。両足が、ロープのような物で固定されている。

 

「もう勝負は決まっただろ。離してくれ」

「何言ってるんだ。これからだろ?」

「はあ?」

「今から、甚振るんじゃないか」

 おいおい、と私は声を荒らげてしまう。こいつは頭がおかしいんじゃないか。

「もう勝ってるじゃねえか。終わりだ終わり」

「忘れたのか? 私はおまえを殺すといったぞ。だから、おまえが死ぬか、それとも私に触れるかしないと、勝負は終わらない」

「だから、終わってんだよ」

「どういうことだ」

「触れてるじゃねえか」

 

 私は、無様に這いつくばったまま、レミリアの襟の指を指さした。そう指だ。いつの間にか切り落とされ、混乱したまま拾い上げた私の左手の薬指。それが、彼女の襟首に引っかかっている。先ほど、闇雲に投げた物だ。

 

「何を投げたと思ったが、まさか指とはね」鶏ガラの呆れる声が聞こえた。

「まさかだめとは言わないよな。鶏ガラから聞いたぜ。蝙蝠を使った鬼ごっこの話。おまえが決めたルールを破ったりしないよな」

 

 指をつまみ、こちらへ放り投げた彼女は、ふん、と鼻から息を吐いたかと思えば、いきなり笑い出した。先ほどまでの、くつくつとした押し殺したものではなく、腹を抱えて爆笑している。そんなことより、早く足のロープを解いてほしかった。

 

「いや、予定と違うが、これも悪くない」

「は?」

「おまえの勝ちだよ天邪鬼。完敗だ」

「なら、早くこの足のロープ解いてくれ。左手が使えないんだ」

「いや、それは無理だ」

 

 レミリアは、笑いすぎて浮かんだ涙を拭いながら、首を振った。そんな些細な仕草にも、どこか威厳を感じられる。

 

「無理って、何でだよ」

「要望だよ」

「要望?」

「お客人からの要望だ」

 

 ちょうどだな、とレミリアが呟くと共に、ギィと鈍い音が図書館に響いた。相も変わらず爆睡している連中のすぐ横、鶏ガラが座っている左にある扉が、ゆっくり開かれていく。

 最初は、ただの見間違いかと思った。チラリと見えた赤色の裾が、異様な存在感を放っている。扉が開かれるにつれ、彼女の姿が露わになるにつれ、気のせいかもしれない、といったかすかな期待が消え失せていく。黒い髪の上に結ばれた大きなリボンがフルリと揺れた。

 

「鬼人正邪。迎えに来たわよ」

 博霊霊夢は、お祓い棒を肩にかかげながら、面倒そうに言った。

「言っただろ? 勝負は始まる前から決まってるんだ」レミリアは、悪戯が成功したガキのように、にんまりと笑みを浮かべている。怒りよりも、笑いこみ上げてくる。

「なんで、ここに巫女が」

「お前の客人だからだよ」

 

 どうして紅魔館に彼女が、博霊の巫女が来るのか、分からない。必死に足のロープをほどこうとするが、当然のようにぴくりともしなかった。

 

「なあ、鶏ガラ」

 緩んだままの口で、私は訊いた。

「招かれざる客が来た場合ってどうすればいいんだ?」

 面倒そうに眉を顰める鶏ガラの顔には、今までの彼女のような、暖かい笑みが戻っていた。

 

「何でも言うことを聞けばいいんじゃないかしら?」 

 

 

 

 


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