天邪鬼の下克上   作:ptagoon

6 / 33
烏天狗は分からない

 仲介業者の裕福な男に、これで手を打ちませんか、と取引を持ち掛けられたことがある。

 

 天邪鬼と共に、この館に乗り込んだのは、つい数時間前の事。草木も眠る丑三つ時に、妖怪である私をここに呼びつけたという事は、覚悟の表れか、それとも自信の表れか。どちらにしろ、子供のままごとのようなものだ。

 

 喜知田という名の愚人は、優しく微笑んではいたが、その声は枯れており、腕には包帯が巻かれている。よくみると、全身の至る所に切り傷があり、首元には大きな痣がついていた。いったい誰にやられたのだろうか。全く、酷い事をする奴もいるものだ。

 

「あややや。取引ですか? 呪いをかけようとした相手に? 虫が良すぎるとは思わなかったのですか?」

「差し出す虫が良ければ、啄んでくれると思いまして」

 

 喜知田は飄々とした様子で、近くの男に何やら耳打ちをしている。この家の前で会った、札を使うあの相手だ。その他にも、武装した男が何人か部屋の隅で座っていた。呪いなんて面倒な事をせずに、最初からこうしておけば、きっと天邪鬼は手も足も出なかったでしょうに。やっぱり、人間の考える事は分からないものだ。

 

「そんな大した事を頼むつもりはありません。もし射命丸様が条件を飲んで下さるなら、あなた方には今後一切手を出しません」

「あややや。買い被り過ぎですよ、自分自身を。あなた方が手を出そうが出さまいが、我々天狗には何の影響もありません」

「そうではありません」両手を小さく振りながら、喜知田は言った。

「天狗の皆さんではなく、昨日の連中です。天邪鬼と小人に手を出さないと言っているんです」

「それでは」

 

 私に何の利益も無いじゃないですか、そう口にしようとしたが、思いとどまる。確かに、天邪鬼が生きていても、ましてや小人が生きていても、私には何の得もない。それどころか、むしろ清々しいほどだ。だが、彼女の事を書いた記事は評判がよかった。今回、面白かったから放置していたとはいえ、結果的に彼女に恩を売ることができたし、もしかすると、今後彼女についての記事は、私が独占できるかもしれない。だとすれば、他のムカつく烏天狗より、有利にたつことができるはずだ。それこそ、引きこもりがちなあの友人との差は圧倒的になるだろう。それに、ここで人里の有力者とコネを持つことは、今後役に立つかもしれない。決して、天邪鬼が不憫で見ていられないとか、心配だとかいう訳ではないが、この件を受けてもいいと、そう納得する理由は見つけることが出来た。

 

「それでは、まず、その条件とやらを教えてくれませんか?」

「ええ、よろこんで」

 

 仕掛けていた餌に魚が食いついたように、喜知田は喜びを露わにする。表面上は真顔を貫いていたが、右眉が僅かにあがり、口元にしわが寄っていた。これでは、逆に滑稽さが増して、何かの芝居を見ているようだ。とんだ大根だが。

 

「いや、そんな難しい話でもないですよ。あなたの書く新聞に、私の指示する通り記事を載せてほしいのです」

「つまり、ネタを提供すると?」

「ええ、そういう事です」

「なぜ? どうしてそんな事を」

「真実を作り上げるために」

 

 いつの日か、天邪鬼が言っていた、大勢が言えば何とやらという言葉が、脳裏に浮かんだ。あの時は、とうとう頭がおかしくなったのか、もしそうだったら記事にできると喜んでいたものの、目の前の、豚のように肥えた人間に言われると、無性に腹が立ってくる。

 

 そんな人間に、私の新聞の記事を指定されるのは癪だ。本当に不愉快だ。だが、感情論で動くほど、私は能無しではない。

 

「分かりました。情報を提供して下さるというのなら、私は拒みませんよ」

「ご協力感謝します」

「それで? どんな内容を書けばいいので?」

 

 目元を緩めた喜知田は、待ってましたとばかりに、早口で内容を口にする。かなり綿密に練られたそれに、私は衝撃を受けた。思わず、声をあげそうになる。が、決死の思いでそれを飲み込んだ。崩れそうになった微笑みを、再度整えなおす。それは、喜知田の計画が思ったより丁寧で、興味が湧いたからでも、あまりに突飛な内容に意表を突かれたわけでも無い。

 

 

 彼が口にした内容は、昨日天邪鬼が私に書いてくれと頼んだ内容と全く同じだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「号外! ごうがーいです!」

 

 朝から忙しそうに歩き回る人々に、大きな声で呼びかける。みな一様に小走りで先を急いでいるが、私の声を聞き、少し歩調を緩めた。地面を見ていた顔を上げ、こちらを向く。いつもであれば、私の顔を見た途端に、小さく会釈をして、苦笑いを浮かべて去っていくのだが、今日は違った。私の新聞をちらりと見るや否や、顔を輝かせてこちらに迫り、競うように新聞を取り合っていく。最初は山のようにあった在庫も、まだ十分ほどしか経っていないのにも関わらず、半分ほど捌けていた。

 

 普段であれば、小躍りして喜ぶところだが、今日はそういう訳にもいかない。確かに構成を考え、文字の分配に気を配り、見出しの大きさなどの演出を施したのは私だ。それがあまりにも秀逸で、読まずにはいられないという事は分かる。それも間違いない事実だ。ただ、肝心の内容は、今回ばかりは私の足で調達したものでは無い。それが、気に入らなかった。

 

「随分と繁盛しているじゃないか」

 

 人混みをかぎ分けて、見覚えのある女性が私の前に現れた。青白い髪が、太陽に反射して、辺りを照らしているのではないかと、疑う程に彼女は美しい。一部貰うよ、と言った彼女は、新聞に折目がつかないようにと、ゆっくりと、私の手から新聞を抜き取った。

 

「あややや、まさか人里の守護者が私の新聞を読んで下さるとは。光栄の極みです」

「止めろ、私はそんなに偉くない」

 

 微笑んでいた彼女は、一転、この世の終わりのような深刻な顔へと変わった。よく見ると、目元には隈が浮かんでいて、目は赤く腫れぼったい。心なしか、顔全体がむくんでいるように見えた。

 

「何だか、お疲れのようですね」

「まあな。昨日、人里の外れで妖怪が出たって情報があってな。徹夜で見回りをしていた」

「ご愁傷様です」

 

 おそらく、というか確実にその情報は嘘だ。喜知田が慧音を寺子屋から退出させるために、何らかの力を使って情報を流したのだろう。例えば、今の私のように。

 

「にしても、あなたの新聞がこんなに人気だとは。もしかして、価値観がおかしくなる異変か何かか?」

「酷いですね。そういうのは、読んでから言ってください」

「分かったよ」

 

 慧音は、腫れあがった目をこすり、視線を落とした。手に持った新聞を広げ、見出しに目を合わせる。笑うでもなく、泣くでもなく、無表情で新聞を読み続けた。が、新聞の一番外側、いわゆる一面と呼ばれる記事を見た瞬間、彼女は顔を歪めた。髪の色と同様、顔を真っ青にして、呻いた。新聞を持つ手は小刻みに震えていて、紫色の唇の端には、泡立った唾がついている。

 

「あややや、大丈夫ですか?」

「……せいだ」

「え?」

「私のせいだ」

 

 慧音の呟いた一言は、ほんの僅かな音量であったが、私の新聞を読んでいた多くの人の耳に届いたようで、私を含め、誰もが慧音に注目していた。

 その目は、どれもが柔らかく暖かいもので、あちらこちらから優しい声が聞こえてくる。

 私がこの長い妖生で経験したことのない程、異様な雰囲気だ。

 

 “あんたが頑張ってるのは、みんな知っているから、そう気張るな” 

 “悪いのは貴方じゃなくて、この妖怪なんだから、私達はいつも助かっております” 

 “先生、俺たちゃ、あんたの味方だ。たかが一匹の妖怪の悪事を見逃したくらい、誰も責めやしないよ”

 

 誰もが慧音を慰め、励まし、同情する。なんて美しい光景だろうか。慈愛と親愛に満ちた、感動的な場面だ。私の目にはきっと、薄っすらと涙が浮かんでいるに違いない。なんて素晴らしいのだろうか。これもひとえに慧音の日ごろの行いと、人望によるものだ。それが人々の心を動かし、こうして還元されている。やっぱり人間は見ていて飽きることはない。最高だ。

 

 そんな人間の言葉が、何よりも慧音の心を傷つけているのだから。

 

 

 

 刃物で切り付けられた傷が中々治らないように、心についた傷は全然治らないんだ、と昔の上司に言われた事がある。その上司は、嫌な事があったのか、酒をこれでもかという程飲んでいた。が、よくよく考えると、彼女はどんな事があろうと、いつも浴びるほど酒を飲んでいた。

 

 その小さな背丈にも関わらず、次々と酒瓶を開ける姿に、思わず作り笑いが崩れる。さすが“鬼”の四天王は格が違う。酒呑童子の伊吹萃香とはよく言ったものだ。萃香様は、その小さな体に似つかわしくない大きな角を振り回しながら、酒をがぶがぶと飲んでいる。それだけなら良かったのだが、時々、お前も飲め、と強引に口に瓶を突っ込んでくるのだから、堪ったもんじゃない。

 

「分かっているのか、射命丸。妖怪ってのはぁ、心が弱いんだよ、心が」

「は、はぁ」

 

 もう仕事も終わったというのに、強引に部下に酒を飲ませるような彼女の心が弱いとは、到底思えなかった。その時の私は酷く疲れていた。非番だというのに、鬼である萃香様の遊び相手を任せられ、さらには侵入者の対応をして、やっと帰宅できると思ったところで、「今日は世話になったから、お礼をしてやるよ」と強引に酒屋に引きずり込まれてしまった。これでは、どちらかと言うとお礼参りだ。私が何をしたというのだ、と問い詰めたかった。

 

 薄い茶髪の長い髪を後ろに撫でた萃香様は、大きく息を吐いた。風圧で酒瓶が吹き飛び、机がひっくり返る。店員の河童はカタカタと震えてしまっていた。他の客は当然のように、帰ってしまっている。少し目が合って、焦るように目を逸らして帰っていった白狼天狗は、絶対に後で絞めると決意した。

 

「最近、人間が喧嘩をしてくれなくなってよぉ。私は悲しいんだ」

「そ、そうですか」

「もう、私の心は死にかけだよ。死にかけ」

 

 酔っぱらっているのか、私の肩に手をまわした萃香様は、私達は死にかけだぁ、と大声で叫び始めた。私まで一緒にされているのは気に入らなかったが、萃香様に反論できるほど、私は強くなかった。

 

「死にかけた心は、やっぱり酒で直さないとな」

「ええ、そうですね」

「ほら、怪我をしたら傷口に焼酎をかけるだろ? それと一緒で、心の傷にも焼酎が効くんだよ。刃物の傷も、心の傷も治します。どうだ? いいうたい文句だろ?」

「ええ、そうですね」

 

 そうだろ、そうだろ、と満足そうに頷いた萃香様は、お前の傷も治してやるよ、と私の口に焼酎をぶち込んだ。喉が焼けるように熱くなり、むせる。上等なはずの焼酎の味は、もはや分からなかった。

 

 ばれないように、小さくため息をついた。私も酒の強さには自信はあったが、流石に焼酎をがぶ飲みして、全く酔わないなんてことは無い。今の私は酔っているのだろうかと考え、そんな考え事をしている時点で、既に酔っていることに気がついた。

 

 かっぱー! と叫んでいる萃香様には悪いが、流石にこれ以上飲むと明日に響く。そう思い、会計を頼もうと辺りを見渡すも、店員らしき人物は誰もいなかった。代わりに、包丁が机の上に置いてあるのを見つけた。魚を捌いた後なのか、少し刃が湿っている。何の気も無しに、手に取った。萃香様が厨房に立っている河童をいじめている。手に持った包丁を見つめる。

 

 発作的に、包丁を振り下ろした。何にか。萃香様にだ。特に理由は無かった。今なら言えるが、あの時は確実に泥酔していて、血迷っていた。真っすぐ萃香様のうなじへと向かった包丁は、萃香様の肌に当たった瞬間、異様な感覚を手に伝えた。木の棒を地面に思いっきり叩きつけたかのような感触だ。手がびりびりと痺れる。包丁は、綺麗に真っ二つに折れていた。私の手の中にあるのは、柄の部分だけだ。萃香様のうなじは、当然のように無傷であった。

 

「あややや、やっぱり刃物で切り付けても、傷なんて出来ないじゃないですか」私はこのような事を言ったと思う。

「だったら、きっと心の傷も気のせいですよ」

 

 その後の事は、よく覚えていない。気づいた時には、引きこもりの友人の家の布団に寝かせられ、枕元にはごめんごめんと謝る萃香様がいた。

 

「悪かった、いやぁ、いきなりだったから、ついぶっ飛ばしてしまったよ。でも、もう大丈夫だ。だって、きちんと焼酎を体にかけといたからさ」と楽しそうに笑った萃香様を見て、二度と鬼には関わらないでおこうと決意した。

 

 

 慧音の心は、まさに死にそうだった。

「いつまでも暗い顔をしていると、ひどい目に会いますよ」

 めそめそと子供のようにうな垂れている慧音に、私は声をかけた。まるで、子供をたしなめる母親の様だな、と思い、笑みがこぼれる。人里の守護者もまだまだ青臭いガキということか。

 

 私は、急に反省モードとなってしまった慧音を引きずって、寺子屋へと来ていた。本当は私の家へと連れていきたかったが、流石に人里の守護者を妖怪の山へ連れていくのはまずかったので、しぶしぶ寺子屋に運ぶことにした。当然飛んで、だ。

 

「黙っていては分かりませんよ。ほら、何があったか話してみてください」

 

 普段、慧音が教え子に言っているように、優しくさとすように言った。もちろん、馬鹿にするように片眉をあげることも忘れない。

 

 それだけ馬鹿にしても、慧音は顔を上げなかった。床にへたりこんだまま、乱雑に敷かれた新聞に目を落としている。あんなに丁寧に扱っていたはずの新聞は、いつの間にか皺だらけになっていた。こんなに打ちひしがれた慧音を見たことが無かった。無様だ。

 

 このまま置物とかしている慧音を見るのも悪くは無いが、もう記事にするための写真も撮ったので、そろそろ動いてもらいたい。停滞は何も生み出さないとはよく言ったものだ。

 

 本当は、天邪鬼にでも使おうと思ったが、こうなってしまっては仕方がない。

 

 胸に忍ばせていた、小さな瓶を取り出す。中には、安物の焼酎が入っている。蓋をあけ、ためらわず慧音に頭からかけた。どぼどぼと音がなって、ゆっくり焼酎が零れ落ちていき、慧音の青白い長い髪に焼酎が纏わりついていく。突然頭に液体をかけられて驚いたのか、慧音は目を丸くして上を向いた。と、当然焼酎が慧音の顔に注がれる。うぅ、と呻いてすぐに顔を背けたが、それに合わせて瓶の位置を調整する。また慧音が避ける。合わせる。避ける。合わせる。避ける。合わせる。手を掴まれた。瓶をはたき落される。ガシャンと音がしたが、幸運なことに瓶が割れることはなかった。

 

「何を、なんてことをするんだ。あなたは」

「半獣のくせに湿ったらしいからですよ」

「だからって……。酒臭いな。焼酎か? 何で焼酎をかけようと思ったんだ」

「実体験ですよ。こうすると、身体の傷も心の傷も治ります」

「消毒は体の傷にしか効果は無い」

「効果があると、信じるんですよ。信じる者は救われるんです」

 もちろん、私は信じてはいない。

「まったく、お前はまともな妖怪だと思ったんだがな」

 

 呆れるように、苦笑いをした慧音の目には、心なしか光が灯っているような気がした。本当に心の傷が癒えたのか、それとも単純に焼酎が目に染みて、涙が滲んで光を反射しているのかは、私には分からなかった。が、慧音が口を開くようになったことは確かだ。

 

「それで? どうしたんです?」

「どうした、とは」

「言ってたじゃないですか、私のせいだって。そこの新聞に載ってる妖怪とあなたの間に、天邪鬼とあなたの間に何かあったんですよね?」

 

 慧音は、口をもごもごとさせ、新聞を指さした。私の考えた秀逸な見出しが、大きく印刷されていて、目を惹く。“天邪鬼【鬼人正邪】の凶行!! 殺人、恐喝、爆破の数々!! ”と太く独特な書体で書かれている。天邪鬼からは、びっくりしすぎだろ、と苦情が来たが、全身に巻かれた包帯に塩をまぶすと、素直に受け入れてくれた。

 

「射命丸は、本当に天邪鬼がこんな悪事をすると思っているのか?」と慧音は目を鋭くして言った。

「少なくとも、恐喝はしてましたね。一文だけ」

「殺人は、したと思うか?」

「どうでしょう。していたとしても不思議ではありません」

 

 そもそも人を殺していない妖怪の方が稀なのだ。ここ幻想郷というぬるま湯に浸かっていると忘れそうになるが、人間は妖怪の餌であり、天敵でもある。生き延びる都合で殺していたとしても、何ら不思議ではない。

 

 それに、私の予想が正しければ、確実に天邪鬼はひとり、人間を殺している。

 

「言い方を変える。あの天邪鬼が30年かけて、夫妻を殺害するような、そんな妖怪に見えるか」

 

 相も変わらず、私の新聞を指さしたまま、慧音は続けた。その指の位置は、僅かに右にずれている。天邪鬼による夫婦への復讐。何とも興味深く面白い内容だ。それも、つい先ほどまで人里を騒がせていた、奇妙な殺人事件の被害者の男性と、その被害者が殺したとされていた妻の二人を殺したというのだから、関心が湧かないはずがなかった。特に関心を集めたのは、三十年前の女性殺害事件の犯人が、天邪鬼だったという事だ。心臓を一突きしたのは、人間ではなく、妖怪であったという事実に、彼らは、大いに喜んだ。やっぱり、あの男の人はそんな悪い人には見えなかった。奥さんが亡くなって。一番悲しんでいたのは彼だったと口々に語り合っていた。

 

「射命丸。結論からいうと、この記事は間違っている」

「え?」

「三十年前のあの事件を起こしたのは、天邪鬼じゃない」慧音の顔が、また絶望的なものへと変わった。

 

 私は、喜知田の家での天邪鬼の言葉を思い出していた。確か、喜知田が昔の殺人を犯したという事実を、慧音から聞いたと言っていたような気がする。

 

「私のせいだ。私があんな事を言ってしまったから」

「あややや、落ち着いてください。そろそろ貴方と天邪鬼の間に何があったか、教えて下さいよ。喧嘩でもしたんですか?」

「喧嘩、か。強ち間違ってはいないかもしれないな」

 

 天邪鬼がみせるような、卑屈な笑みを慧音は浮かべた。が、詳しく話す気はないのか、お茶はいるか? と立ち上がり、席を離れようとして「ぶぶ漬けもいるか?」と付け加えた。

 

 私は考える。慧音はなぜ話そうとしないのか。なぜ私を帰そうとしているのか。寺子屋にいない針妙丸を心配しているのだろうか。いや、多分慧音はまだ針妙丸がいない事に気がついていないはず。昨日、無人の寺子屋に侵入し、小さな布団に身代わりの人形を入れておいた。実際の針妙丸は、私の家で天邪鬼と仲良くやっているはずだ。身代わり人形を見て、全然似てない! と元気に喚いていた姿を見て、天邪鬼はにやにや笑っていた。気持ちが悪い。

 

 では、なぜか。色々な案が頭に浮かんでは消える。が、とても単純なことに気がついた。人里の守護者である前に、こいつは寺子屋の教師である。だとすれば、生徒を守ろうと、そう思っていてもおかしくない。その生徒が、もはや還暦を迎えようとしていても、だ。

 

「三十年前の犯人が、喜知田という男だってことくらい、もう知っていますよ」

 扉を開けようとしていた慧音の手が止まった。ギクシャクと、機械のようにこちらを振り返る。その目は獣のように鋭く、部下の白狼天狗よりも、狼に似ていた。

 

「天邪鬼から聞いたのか」

「いえ、違いますよ。関係筋からです」

 

 咄嗟に嘘を吐いた。慧音には、昨日の出来事を知られたくなかった。出来れば、私と喜知田との関係性は皆無だと思わせたい。それは、デマの新聞記事だとばれる事を防ぎたいからでもあったが、何より、人里で妖怪が人間を襲おうとしたなんて、巫女案件に関わったと知られたくなかった。妖怪の山に伝わると、厄介だ。

 

「関係筋なんてある訳ないだろ」

「いえ、私の交友関係は広くてですね。風の噂ならすぐに耳に届くんですよ。烏天狗は風を操れますから」

「そんな事を言っていると、鬼に殺されるぞ」

 

 慧音は、しかめていた眉をほぐすように、手でぐりぐりと揉んでいた。手をひらひらと揺らし、分かったよ。言うよ、と頷いた。

 

「お前を野放しにする方が怖い。でも、絶対に記事にはするなよ」

「分かっていますよ」

 

 本当だろうな、と慧音は訝しむように、首を傾げた。私は大きく首を縦に振った。が、約束を守る気はさらさらない。いい記事を書くためには、いくつかの犠牲が必要なのだ。

 

「昨日、喜知田が天邪鬼のいた家に来てだな、彼女を追い出したんだ」

「ああ、あの爆発した家ですね」

「爆発?」

「ああ、気にしないでください」

 気にしてしまうと、話がややこしくなる。

「その後、ここで少し話をしたのだが、その、なんて言えばいいんだろうか」

「簡潔にお願いします」

「多分、近ごろ不審死した男と天邪鬼は親しかったんだな」

「へぇ」

「それで、男の奥さんを殺した犯人が喜知田だと漏らしてしまって」

「はいはい」

「おそらく、天邪鬼は、アジの開きを選んだんだ」

「はいはい、は?」

 

 思わず、自分の耳を疑った。さっきの焼酎で酔っぱらってしまったのではないかと、心配になる。彼女の言った情報は知っていた。天邪鬼が、たかが家を爆破されたぐらいで、あそこまで突飛な行動に出るはずがない。彼女があんな行動に出るとしたら、友人を殺されるか、御馳走を取り上げた時くらいだ。だが、その後の言葉の意味が分からない。アジの開き? 何かの隠語か? 分からない。分かるはずがない。分かってたまるものか。

 

「射命丸。お前に聞きたいことがある」

「ないです」

「ある。この新聞の件だ」

 

 床に落ちていた新聞を、慧音は丁寧に拾い上げた。皺がついてしまった、と少し申し訳なさそうに呟く姿は、いつもの先生然としたものだった。

 

「この新聞の内容、もしかして天邪鬼に頼まれたものじゃないのか?」

「え?」

 

 無意識に、翼が震える。どう反応したものか、分からない。まさか図星を突かれるとは思っていなかった。しかも、あの人里の守護者なんぞに、だ。正確には喜知田と天邪鬼の二人に頼まれたものではあるが、それでも悟られないようにと、意識していたはずだった。人の記事を流用するなんて、絶対にばれてはいけなかった。

 

「どうして、そう思うんですか?」

「簡単だよ」悲しそうに、慧音は目を伏せた。

「天邪鬼は、それはもう怒っていた。弱小妖怪なんて、いくら怒ろうが怖くはないはずなのに、私は恐怖で震えたよ。だが、なぜそれほどまでに彼女が怒っていたのか、分かるか?」

「そりゃあ、友人の奥さんを殺した犯人が分かったからじゃないですか? よくも! って憤りを感じても、おかしくはないです」

「違うな」

「え?」

「たぶん天邪鬼は、友人である男が悪人に仕立てあげられているのが許せなかったんだよ。特に、奥さんを殺したということが。だから、その犯人を見つけた時に、怒ったんだ。“どうして罪をなすりつけたんだ”ってね」

「知っているかのように話しますね」

 

 いけしゃあしゃあと、天邪鬼について話す慧音が、どことなく気に入らなかった。顔が段々と熱くなり、喉が震える。彼女の言った事を認めたくはなかった。認めてしまったら、彼女の怒りの原因の一つを、“悪人に仕立てあげる”作業を私が行ってしまった事になる。そうなると、彼女への貸しが相殺されてしまうかもしれない。

 

 慧音は、私の正面まで歩いてきて、ゆっくりと座った。その目は、完全に教育者のものへと戻っている。見下されているような気がして、腹が立った。千を超える年月を過ごしてきた私に、随分とご挨拶ではないか。そう口にしようとしたが、先に慧音が口を開いた。

 

「私は何も知らないよ。天邪鬼のことなんて何も知らない。彼女が普段何を考え、何を信じて、どう行動するかなんてしらない。ただ」

「ただ?」

「彼女は身の程をわきまえる。弱小妖怪という自覚を持っている。卑屈なぐらいに自分の弱さを認識している。それは知っているんだよ」

「はぁ」

「だから、私には天邪鬼が短絡的に復讐をするとは思えない。なぜか。失敗することを知っているからだ。だったら、どうするか。どうやって友人の名誉を取り戻すか。答えは簡単だ」

「その悪評を自分が被る、ですか」

 

 無言で頷いた慧音は、また私のせいだ、と呟いた。私のせいだ。私のせいで彼女は、こんな罪を背負って生きていくことに、と呪いのように繰り返している。私のせいだ。

 本当に? 

 慧音の言っていることは本当なのか。天邪鬼は、そんなにも冷静に物事を判断できる妖怪なのか。いや、違う。実際、天邪鬼は喜知田の家に直接乗り込んで、復讐へと走った。慧音の言っていることは間違っている。

 本当に? 

 本当に間違っているのか。確かに天邪鬼は冷静では無かった。爆発した家の前で地面に抱きついている様子は、どうみても発狂していた。だから、彼女の心の留め金が、喜知田によって外されてしまっただけなのかもしれない。

 本当に? 

 いや、確かに彼女は発狂していた。だが、腐っても妖怪。自分の危機については人一倍敏感なはずだ。でなければ、生き残れるはずはない。ならば、なぜ彼女は直接喜知田に復讐を試みたのか。なぜそんな愚行に走ったのか。

 

「私のせい、か」

 

 知らず知らずのうちに、声が零れていた。慧音が不思議そうにこちらを見つめているのに気がついた時、初めて自分の口が動いていたことが分かった。このまま、無かったことにしてくれたら良かったのだが、「どういう意味か説明してもらおうか」と慧音が突っついてきた。思わず舌打ちが出る。信じられないほどに頭が高い。見越し入道もびっくりだ。

 

「黙秘権を行使します」

「……そういえば近頃大天狗様と会談があったな」

「是非とも話させてください」

 

 汚らわしい半妖の心は、同じように汚らわしいものだった。辛酸を舐めさせられるとは、まさにこのことだ。上下関係が尊重される妖怪の山にいる以上、上司に失態を知られるのは避けたい。

 

「貴方の天邪鬼が喧嘩した後、彼女に会ったんですよ。たまたまですけど。それで、その後に喜知田の家にカチコミに行ったんですけど」

「おい」

「結局失敗して、私が回収して帰ったって感じですかね」

 

 慧音は、開いた口が塞がらないといった様子で、しばらく呆然としていたが、首を何度か振って、大きくため息を吐いた。

 

「言いたいことは無数にあるが、取り敢えず怪我はなかったか?」

「ええ。きちんと手加減したんで。人間の基準で言うと、全治一週間といったところですかね」

「そっちじゃない。天邪鬼の方だ」

「あややや、そっちですか。まぁ、天邪鬼には優秀な介護人がついているので、多分大丈夫ですよ。ちょっと、穴が空いてますが」

「まあ、大丈夫であればいいが」

 

 もしかすると、天邪鬼に空いた風穴ならば、あの素敵で小さな介護者ならば、くぐれるのではないか。そんな事を考えていると、慧音が「それで、何でそれがお前の責任になるんだ?」と訊いてきた。

 

 その質問は、私が初めからお前にしているだろ、と怒鳴りつけたくなったが、大天狗様のしかめっ面が目に浮かんで、言葉を飲み込んだ。

 

「いえ、もしかしたら、天邪鬼は私にたまたま会ったから、喜知田の家に向かったのかと思いまして」

 

 弱小妖怪一匹なら不可能でも、烏天狗という反則じみた妖怪が仲間にいたならば、もしかすると上手くいくかもなんて、そんな幻想を抱かせてしまったのかもしれない。

 

「いや、それはないだろう」

 にべもなく、慧音は言い切った。

「きっと、天邪鬼は最初からこの新聞を書いてほしくて、あなたと行動したんじゃないか?」

「あややや、流石にそれはないですよ。だって、あの天邪鬼がですよ?」

 

 彼女は本気で喜知田を殺そうとしていた。憎悪は溢れんばかりに発していたし、怒りのあまり我を見失っているようだった。その狂気は針妙丸がいなければ、彼女を死に追いやっていたはずだ。そんな彼女が、計算だてて行動していたとは、演技だったとは、とても思えない。

 

「気まぐれってものは、案外理由があるんだ」

「はい?」

 

 塩を持った人間の話、知っているか? と慧音が訊いてくる。知らなかったが、そう言ってしまえば、話が長くなりそうなので、知っているに決まっているじゃないですか、と嘘を吐いた。

 

「天邪鬼は、多分無意識に、本能的にこの計画を実行したと思うんだ。自然と、頭に刷り込まれていて、それが自動で飛び出した」

「いや、無理がありますよ」

 

 彼女にそんな事ができる訳がない。普通に考えればそうだ。だが、なぜか納得してしまう自分がいて、驚く。慧音の教育じみた言い方によって、説得力を感じてしまったのか、天邪鬼ならば、と力を認めてしまっているのか、自分にも分らなかった。

 

「もしそうだとすると、私達は彼女の手の平だったって事になるな」

「絶対認められないですね、それは」

 

 慧音と私は頬を緩めた。まだ思う事はあるだろうが、自己解決したのか、慧音は清々しい表情に戻っている。その表情に見合うような、綺麗な声で言った。

 

「ところで、この新聞なんだが」

「何ですか?」私の自慢の新聞は、もはや行間まで読み込まれていた。

「この“鬼人正邪”っていうのは天邪鬼の名前か」

「ああ、それは」

「私が考えたんだよ!」

 

 私が答えるよりも早く、後ろから高い声がした。幼く、無邪気なその声は、一寸の悪意も存在しない。なぜ彼女がここにいるのか、疑問に思ったが、後ろを向くことでそれは解決した。全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、顔と角を隠している天邪鬼が、腐った魚のような目で針妙丸を睨んでいる。哀れな天邪鬼は、慧音に謝らされるために、強引にここに連れてこられたのだろう。ちらりとこちらを見た天邪鬼は、助けれくれと確かに呟いた。絶対に助けない。

 

「針妙丸じゃないか。お前は寺子屋で寝てたんじゃないのか?」

「ううん、文さんの家でお泊り会してたの!」

「そうか。それは良かったなぁ。なぁ? 射命丸」

 

 説明しろ、と慧音の目が訴えている。流石にこれ以上は勘弁願いたい。何とかして、天邪鬼に慧音をなすりつけよう。

「それで? 先生どう思う? 鬼人正邪。いい名前だと思わない?」

「ああ、そこの天邪鬼には似合わないくらいにいい名前だ」

 

 えへへー、とにこやかに笑いながら、撫でている慧音の手に、猫のように頬を擦りつけた。それを見ている天邪鬼の目が、ますます濁っていった。いい気味だ。記事にしよう。

 

 しばらく撫でられていた針妙丸だったが、何かを思い出したかのように、ああ、と小さく声をあげて、天邪鬼、もとい正邪の元へと、とてとてと歩いていった。

 

「ほら、正邪。先生に言いたいことがあるんでしょ」

 

 顔の大部分が包帯につつまれているが、その澱んだ目は隠せていなかった。おそらく、正体を隠すために包帯を巻いているのだろうが、その目ではすぐにばれてしまうだろう。

 

 いやいやといった様子で、正邪は首を縦に振った。腕を組んで仁王立ちしている慧音の元へと、のそりのそりと歩いていく。顔が当たるのではないかと思うほど近づいた正邪は、腰を90度に曲げて、頭を下げた。しばらく、無言でその状態を維持していたが、観念したのか、少しずつ口を動かした。

 

「慧音。お前に言いたいことがある」

「何だ」

「あのだな」

 

 照れくさそうに頬をかいた正邪は口をもごもごさせ、唾を飲んだ。包帯のせいで表情は見えないが、はみ出た耳は真っ赤に染まっている。

 

「えっと、あれだ。その」

「落ち着いて、言ってくれ」

「じゃあ、言うが」

 

 すぅ、と息をのむ音が寺子屋を包んだ。

 

「慧音。お前って結構大根足なんだな」

 

 寺子屋が静寂に包まれた。針妙丸は呆気にとられ、本当の人形のように固まっている。慧音は、おそらく謝罪が来た場合、自分も頭を下げようと思っていたのだろう、中途半端に腰を落としていた。

 

 かくいう私は、この面白い状況を逃すまいと、急いでカメラのシャッターを切る。カシャカシャと機械的な音だけが、部屋にこだましていた。

 

「射命丸」

 

 硬直状態から最初に抜け出したのは、慧音であった。最初の絶望的な顔でも無く、先程の清々しい顔でも無く、怒りに満ちた顔で、正邪を見下している。口角は上がっていたが、目に光は無かった。

 

「焼酎はまだ余っているか?」

 

 きっと、正邪の頭にかけるのであろう。だが、それが、正邪のひん曲がった心を治すためか、これから頭突きを行うという意思表示なのか、私には分からなかった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。