天邪鬼の下克上   作:ptagoon

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富裕と貧困

 慧音にお使いを頼まれてから三日、私はまだ人里にいた。何か事情があったわけではない。単純に出発するのが面倒だっただけだ。確かに仕事は引き受けたが、すぐに出発するとは言ってない。そもそも私は紅魔館なる建物についての情報はほとんど持っていなかった。どういう妖怪がいるのか、友好的なのか、何人いるのか、さっぱり分からない。

 

 やはり、引き受けたのは間違いだったか、と後悔していると目の前を何かが通り過ぎた。考え事をしていたからか、反応に遅れ、大袈裟に尻餅をついてしまう。

 

 右から、ゲラゲラと大きな笑い声が聞こえた。立ち上がり、尻についた土を払いながら、声がする方を見た。若い男だ。中肉中背で、大した特徴もなく、また大した能力もないように見える。強いて言えば少し髪の毛が縮れているぐらいか。彼の周りには色とりどりの野菜が綺麗に並べられていて、大きく“一つ20文! ”と書かれていた。八百屋を営んでいるのだろうか。それにしては値段が法外に高い。

 

 縮れ毛の男は、私を指差してばーかと叫んだ。もう少しマシな罵倒は浮かばないのか。そんなんじゃ、慧音を怒らすことすらできないぞ、と心の中で呟く。

 

「正邪さんやぁ。せっかく人が食べ物を恵んでやったのに、きちんと受け取らないかんわ」

 

 何が面白いのか、私と投げたものを見比べ、キヒヒと独特な笑い方をした。足元に落ちている何かに目を落とす。よく見ると、それはトマトだった。だが、色は赤でも、青ですらない。真っ黒に変色している。トマトの独特な甘酸っぱい香りは一切せず、吐しゃ物のような、ツンとした匂いが鼻に刺さる。屈みこんで、躊躇なくそれを掴み上げた。ドロッとした感触がするが、気にしない。木よりはましだ。

 

「おいおい、本当に食うのか。豚より卑しいなぁ。人間様に感謝しろよ」

「残念だったな。私はイノシシに変身できるんだぜ」

 

 何言ってんだ、と鼻の穴を大きくした縮れ毛は、今度はトマトではなく石を投げてきた。避けようと一歩下がるも間に合わず、右頭に直撃する。鈍い痛みが走り、思わず地面に崩れ落ちた。頬を伝って血がぽたぽたと垂れてくる。喜知田にやられた古傷が開いてしまった。

 

 また、ゲラゲラと笑い声が聞こえた。今度は男ではなく、女の声だ。道行く人々が私をちらりと見て、笑いながら去っていく。その大半は、自業自得ね、無様だ、と話し合っていた。まさしくその通り。自業自得で無様だ。

 

 流石に地面に座り続ける訳にはいかないので、重い腰を何とか持ち上げる。体をくねらせて、キヒヒと笑い転げている縮れ毛を睨み、馬鹿にするように鼻を鳴らす。が、笑う事に必死なのか、見ていなかった。このまま笑い死ねばいいのに、そう思っていると、縮れ毛の後ろで不審な動きをしている人物が目に入った。

 

 丁度私が首につけているような布を顔に巻いて隠しているそいつは、笑い転げている縮れ毛の後ろから素早く手を回し、野菜をつかみ取る。同じような動作を何回か繰り返し盗った野菜を平然と担いで、去っていった。いつの間にか目で追ってしまう。

 

「おいおい焦点があってねぇぞ。妖怪のくせに貧弱だな」

「お前こそ商店は似合わねぇよ。一生地べたで野菜でも売ってるんだな」

 

 何だと! と憤っている縮れ毛を無視して、去っていった野菜泥棒を追う。いまだ傷口から血が流れていたので、慧音に貰った手ぬぐいをほどき、頭に押し付けた。縮れ毛の喚き声が聞こえたかと思えば、後ろから石が飛んでくる。が、私には当たらず、そのまま地面に落ちていった。

 

「石を投げるのは良くない」

 振り返らずに、私は言った。

「豆の方がいいらしいぞ」

 

 

 小走りで去っていった野菜泥棒だったが、途中で疲れたからかゆっくりと歩きはじめた。細い路地裏を縫うように走っていったので、見失いそうになることが何回かあったが、それでも余裕をもって尾行することができた。私ですら尾行できるということは、きっとこういうことは不慣れなのだろう。手練れの泥棒ではない。

 

 しばらく一定の距離を保って歩いていたが、突然泥棒が立ち止まった。バレたかと思い冷や冷やするが、単純に疲れただけらしく、壁にもたれかかるようにして座り込んだ。盗んできた野菜を置いて、肩を上下に大きく動かしている。

 

「よお、どうした野菜泥棒。へこたれたか?」

 右手をあげ、昔ながらの友人のように声をかけた。

 

 突然声をかけられ、泥棒はかなり焦っていた。立ち上がろうと必死に地面を蹴るも、滑って転ぶ。それを何回も繰り返していた。滑稽だ。蟻地獄にはまった蟻のように、無駄な抵抗を繰り返している。無駄な抵抗。この言葉が頭に浮かんだ途端、浮かべていた笑みが消えた。忘れない。忘れてはいけない。私は彼女をもう巻き込まないと決めたのだ。

 

「あ、あの。ごめんなさい」

「は?」

「ごめんなさい!」

 

 いつの間にか、私は泥棒の目の前まで歩いて来ていた。そして件の泥棒は私に向かって、土下座している。いきなり土下座をする奴など、私以外知らなかった。こんなことをする予定はなかったのだが、なってしまったものは仕方ない。

 

「とりあえず、頭を上げろ」

「う、うん」

 

 情けないほどに裏返った声を出した泥棒は、勢いよく頭を上げた。近くで見ると、その背丈は小さく、流石に針妙丸ほどではないが、まだ子供のようだ。寺子屋に行ってるくらいの年齢だろうか。

 

「今、縮れ毛から野菜を奪っただろ」

「ごめんなさい。ごめんなさいでした」

 

 顔を俯かせ、何度も謝る泥棒は、なんとも惨めなものだった。ぐるぐる巻きにされた手ぬぐいの隙間から、涙がぽたぽたと零れ落ちている。震えた声はまだ高く、声変わり前の少年独特のものだった。

 

「謝んなって。私はむしろお前を褒めてんだよ」

「え?」

「いや、あの縮れ毛うざかったからな。むしろ気が清々した。よくやったぞ、少年」

「え、あの」

 

 泥棒はかなり困惑していた。ぽかんと口を開け、私の顔をまじまじと見ている。確かに、泥棒をした帰りにいきなり、よく盗んだ! と褒めれば困惑してもおかしくない。というより、私も困惑していた。本当ならば、適当に脅して野菜を分捕るつもりだった。なのに、いつの間にか褒めていたのだ。もしかすると、人を褒めたのは初めてかもしれない。

 

「あの、あの」

「なんだ? 阿野なんてやつは知らんぞ」

「もしかして、あの時の」

 

 そう言うと、泥棒は頭に巻かれていた手ぬぐいを脱ぎ始めた。着物の帯を外す時のように、くるくると回している。頭頂部からゆっくりと彼の素顔が露わになっていった。完全に顔が明らかになっても、いったい誰なのかすぐには分からなかった。が、彼がにこっと屈託のない笑みを浮かべた時、やっと思い出した。我ながら、よく覚えていたと褒めたいくらいだ。

 

「おまえ」

 彼の顔をじっくりと見つめ、懐に手を入れる。もはや使い道のなくなった円い金属が指に触れた。つまみあげ、少年に見せつけるように指ではじく。

 

「おまえ、甘味屋の一文少年か」

 

 

 

 こっち! と私の腕を引く少年の言う通りに細い路地をくねくねと進んでいく。途中、私では通れないような狭いスキマもあったが、身体を折るようにして何とかついていった。そのせいか、相変わらずの曇天で、冷たい風が吹いているにも関わらず、少し体が火照っている。少年を抱えて飛んで行っても良かったが、そこまでしてやる義理は無かった。

 

「おまえ、何で野菜なんて盗んだんだ」

 

 トタトタと駆けていく少年に声をかける。そうでもしないと、私を置いてどこかに行ってしまいそうだった。私は少年の親からたっぷり謝礼を搾り取らなければならない。何の謝礼かと言われても私には分からないが。とりあえず、野菜泥棒の件で脅そうと考えていた。

 

「えっと、ごめんなさい」

「怒ってるわけじゃねぇ。単純に疑問に思っただけだ」

 

 眉をハの字に下げた少年は、口にしようか迷っているのか、何度か口をぱくつかせた後、力強く頷いた。あのね、とゆっくり話始める。そんなに簡単に弱みを話すと、悪い妖怪に付け込まれてしまうぞ。例えば、私とか。

 

「お母さんが病気になっちゃってね。だから、お野菜食べないといけないの」

「病気?」

「うん。咳が止まらないんだって。お医者さんに診てもらうお金がないから、家で寝てるの」

「親父はいねぇのか」

「お父さんは生まれた時からいないんだ」

 

 へぇー、ざまあねぇな、と適当に返事をする。珍しい話ではない。男手はいつだって足りない。妖怪の討伐に出て帰ってこない奴もいるし、田畑仕事で疲れ果てて死ぬ奴もいる。川に流される漁師もいれば、女を捨てて逃げる奴もいる。だから、この少年は特別哀れな訳でも、不遇なわけでも無かった。だから、同情をする理由なんてないはずだ。

 

「野菜を盗むのは初めてか?」

「ううん。2回目」悲しそうな顔で、少年は顔をふった。

「なんだよ。まだまだ甘いな。トマトぐらい甘い」

「トマトは甘くないよ。美味しくない」

「そうか?」

 

 そうだよ、と口を尖らせた少年は、急に顔を輝かせ、私を置いて走り出した。野菜を抱えているにもかかわらず、風を切るように速い。どこからあの元気が出てくるか不思議だ。

 

 少年が向かった先は、小さな民家だった。こんな細い路地の中に人が住む家があるとは、驚きだ。表札はなかったが、少年の家であることは間違いなかった。小さな、といっても針妙丸の家ほどではないが、それでも人間二人が住むには窮屈そうな家だった。瓦もボロボロで半分以上が崩れ落ちている。それでも今の私の住処よりは、遥かにましだ。

 

「おかあさん、ただいまー!」

 威勢の良い声がここまで聞こえてくる。さっきまで泣きながら謝っていたとは思えない。

「またお野菜もらってきたよー」

 

 平然と嘘をついた少年の前に、あらあらと困ったような笑みを浮かべた女性が現れた。上手く立てないのか、両手を壁につきながら、おかえりなさいと柔らかな声で言う。そして、少年の手を握りながら部屋へと戻っていった。

 

 私はその様子をただ見つめていた。呆然と突っ立っていることしかできない。大切にしまってある写真を、折目がつかないように慎重に取り出す。

 

 似ている。いや、似ているどころの話ではない。瓜二つだ。彼の奥さんの生き写しと思えるくらいに。もしかして、奥さんは生きていたのだろうか、と思うほどだった。だが、少年の母とこの写真がそっくり、つまりは三十年前の奥さんと似ているという事に考えつき、即座に首を振った。流石に三十年も同じ顔でいられるはずがない。

 

 甘味屋で見かけたとき、どうして気がつかなかったのだろうか。きっと、今の彼女の、優しく、そしてどこか儚げな雰囲気が、より一層奥さんと同じ空気を醸し出しているのだろう。甘味屋の時、彼女は恐怖で怯えていた。

 

「ほら、あの時の甘味屋のおねえちゃんが手伝ってくれたの」

 

 ぼぅ、と突っ立っていると、いつの間にか少年が私の前に立っていた。隣に母親の姿はない。家の中で布団にくるまっているのだろう。小さな声で「お礼をしたいから、連れてきて」と言っている。

 

 行こう、と手を引っ張られ、あれよあれよという間に家の中に入っていた。開けっ放しの扉の向こうには、擦り切れてしまった畳の上に煎餅布団が引かれ、その上に女性が横たわっている。まだ若いだろうに、黒い髪に混じって白いものもぽつぽつと見えている。白い服も相まって、まるで死人のように、儚い。

 

「ほら、せいじゃさん。甘味屋で会ったでしょ?」

 

 せいじゃ。私の名前を聞いた途端、彼女は柔らかな笑みを消し、顔をひきつらせた。恐怖で歪むというよりは、困惑を隠しきれないといった様子で、私を見て、ため息をついている。てっきり、恐怖されるか、馬鹿にされるかのどちらかだと思っていたので、拍子抜けした。安堵の感情を悟られないように、傘を脱ぎ、それを立てかける振りをして、顔を背けた。

 

 体を横にし、私と向かい合うようにした母親は、ゆっくりと、けれどもはっきりとした声で言った。

「三郎。すこし、このお姉ちゃんと話したいことがあるから、お茶を汲んできておくれ」

「分かった!」

 

 なるほど、あの泥棒少年は三郎というのか。長男なのか? だとしたら三郎とつけるのはどうなんだ。そんな事を口にしたが、彼女は反応しなかった。その代りに、私に向かい小さく頭を下げた。

 

「あの子が迷惑をかけました」

「は?」

「本当にすみません」

 

 まさか謝られるとは思っていなかったので、反応に困る。こいつら家族は謝らないと生きていけない呪いにでもかかっているのだろうか。

 

「なぜ謝る。私は別に謝罪はいらねぇ。というか、今話題の天邪鬼が来たんだぞ。もっと驚けよ」

「ああ。確かに話題ですね。でも、どうせあの人の嘘なんでしょ」

 

 口の端を上げながら、淡々と彼女は言った。あの人ってだれだ? 嘘ってなんだよ、と問い詰めたいが、それよりも早く彼女は口を開いた。

 

「喜知田さんでしょ、どうせ。あの人はいつも同じことをする」

 

 喜知田。ここであいつの名前が出てくるとは思わなかった。胸の奥から、熱い血液が全身を駆け巡るような、そんな錯覚がする。落ち着け、と小さく自分に声をかける。冷静になれ。震える手を掲げるのは、今ではない。まだだ。まだ、チャンスはある。

 

「その反応を見ると図星みたいですね」

 

 まったく、いやになっちゃうわ、とゴホゴホと咳をしながら彼女は天を仰いだ。同感だ。あいつは嫌だ。単純で、これ以上なくわかりやすい。

 

「私もね、あの人に困らされているんです」

「何をされた」

「求婚ですよ。お父さんが死んでから、定期的に来るの。息子がいるからと断っているんだけどね」

「断っただけであいつが諦めるとは思えない」

「その通り。油汚れみたいにしつこい」

「油汚れに失礼だ」

 

 ふふっと彼女は微笑んだ。頬に小さなくぼみができ、口元が綺麗な三日月のように輝いている。笑うとますます奥さんみたいだ。針妙丸にも似ている。なるほど、喜知田が狙うのも頷ける。

 

「でも、段々外堀を埋められてきてね。私が彼と付き合っているってことは、みんな知ってるみたい」

「付き合ってないのにか」

「付き合ってないのに」

 

 まるで思春期のガキみたいだな、と呆れたが、彼も私もそのガキみたいなことで痛い目にあったので、笑うことはできなかった。

 

「ほら、この前の甘味屋でも喜知田のやつ、いたでしょ」

「いたな」

「あれ、私に会いに来ていたんです。私たちが決まった時間に甘味屋が来るの知って、わざわざ。ほんと、見つけた時には息が止まりそうで」

「ああ。てっきり、私を恐れているかと思った」

「馬鹿にしないで下さい」

 

 彼女はせき込みながらも、胸を張った。そうすると、細い首とこけた頬が目立ち、痛々しさが増す。それでも彼女の顔は勇ましい。

 

「あなた如きを恐れるほど柔じゃないです」

 

 私はこらえきれず、声を上げて笑った。顔はそっくりだが、性格はまるで違う。正反対といってもいいくらいだ。

 

 突然笑い始めた私に対して、呆れるように肩を落とした彼女は、辛いのかそのまま布団へと倒れ込んだ。大きく、ゆっくりと呼吸をしている。

 

「ほんと、偉い奴らはずるい。私みたいな貧乏はご飯すら碌に食べれないんですもの」

 

 自然と口から零れたのか、ぽつぽつと彼女は呟く。三郎少年の前で強気にふるまっているからか、堪っていた不満が体の奥底から溢れ出ているようだった。

 

「ほんと、いい商売よね。農家から買い占めて、割高で庶民に販売するんですもの。そんなの、ずるいじゃないですか」

「どういうことだ。値段が高いのは食糧不足だからじゃないのか」

「それもあるけど」

 

 彼女は一度大きく息を吸った。何度か咳をして、唾を飲みこみ、ようやく話し始める。

 

「それもあるけどね、食糧不足に付け込んで、利益を得ているような奴らがいるんです。食料なんて買わなきゃ生きてられないから、高くても買うでしょ?」

「買えてないじゃないか」

「それは貧乏人だけ」

 

 ほんと、貧乏は嫌ねぇ、と笑う彼女の目には、少し涙が浮かんでいるような気がした。

 

「でも、悪いのは貧乏じゃないのよ」

「そうなのか? じゃあ、何が悪いんだ」

「悪いのは喜知田。そうですよね」

「そうだ。その通りだ」

 

 悪いのは喜知田。口の中で何度も呟く。悪いのは喜知田。いい言葉だな、と思った。

 

 

 二人してため息を吐いていると、部屋の奥から元気な声と共に三郎少年が現れた。すると、彼女は飛び跳ねるように起き上がり、目をぬぐうとすぐに凛々しく優しい顔に戻る。舌っ足らずで、滑舌が良くない三郎の言葉に頷き、ありがとう、と満面の笑みを見せた。

「ところで三郎」

「なあに、おかあさん」

 

 こてんと首を傾げた三郎少年に、彼女は厳しい口調で訊ねた。

 

「あなた、手洗いうがいはしたの?」

 

 あっ、と声を漏らした三郎少年は、一瞬顔を青くしたが、すぐに頬を膨らませ「今からやろうと思ったのに、言われてやる気がなくなった」と子供にありがちな、屁理屈を述べた。

 

 とても野菜を泥棒してきたとは思えないほどに、無邪気で間抜けだ。きっと、彼は彼なりに母親のことを考えているのだろう。なんて献身的なんだ。反吐が出る。

 

「ほんと、すみませんね」

 

 また、ゴホゴホと咳をしながら、彼女は頭を下げた。三郎少年は心配そうに母親を見ている。

 

「病気、酷いのか?」

「いえ、そこまでではないと思うけど。ほんとに食べ物が高くて。一日二食きちんと食べれない日が続いちゃって」

 

 この子だけでも食べさせてあげたいわねえ、とわしわしと三郎少年の頭を撫でる。くすぐったそうに目を細めた少年の顔は、針妙丸にどことなく似ていた。

 

 そうだ。食糧不足は貧乏人にしわ寄せが来るのだ。だったら、仕方がないが、やるか。

 

「おねえちゃん!」

 考え事をしている私に向かい、三郎少年がトコトコ歩いてくる。不自然に手を後ろに組んで、今にも転びそうだ。

「これあげる」

「これ?」

「トマト。好きなんでしょ?」

 

 後ろで母親が肩をすくめるのが見えた。きっと、私も同じような仕草をしているのだろう。

 

「それ、お前が嫌いなだけだろう」

「ちがうもん!」

 

 絶対に違わないな、と呟きながら、懐の中から一文を取り出す。右手に持ったそれを、三郎少年のトマトをもつ反対の手にのせた。

「ほら、トマト代だ」

 

 それだけ言い残し、背を向けた。そのまま家を出る。一文じゃトマトは買えないよ、と大声で叫ばれたような気がするが、きっと気のせいだろう。細い路地を振り返らずに進んだ。

 

 いつの間にか雲は無くなっていた。太陽はまだ高い所にあり、澄んだ青色が人里を見おろしている。絶好の散歩日和だ。だが、肌寒さだけはどうすることもできなかった。

 

 三郎少年のことを頭に浮かべる。どことなく針妙丸に似ている少年は、無邪気さと共に、どこか暗い雰囲気も持っていた。それがどこから来るものなのか、分からない。ただ、嘘吐きは泥棒の始まりというように、泥棒とは正しい人の道を外れた行為だ。私が正しい人の道について語るのも馬鹿らしいが、これは真実だろう。

 

 だが。それでも、だ。例外は無いのか。家族のために金持ちから野菜を盗むことも、人の道を外れる行為なのだろうか。きっと、そうなのだ。例外なんてないのだ。彼の暗い雰囲気は、泥棒をしてしまったという罪悪感。そうに違いない。もし、針妙丸が同じ道を辿ったら。そう思うと、居ても立っても居られなかった。どんなに眩しい光でも、汚れる時は一瞬だ。

 

「こんなところで何をしている」

 

 底冷えをする低い声が後ろから聞こえた。気を抜いていたからか、大きな声を上げ、尻餅をついてしまう。全く反省をしない自分に嫌気が差し、腹が立ってくる。その怒りをぶつけてやろうと、声をかけてきた相手に食って掛かろうとしたが、止めた。止めざるをえなかった。

 

「正邪。おまえ、紅魔館に行っているはずだよな。何でいるんだ」

 

 これでもかと眉間にしわを寄せた彼女は、どういうことだ、と詰め寄ってくる。青い髪と赤い顔が対照的だった。

 

「け、慧音は随分と疲れがとれたな。この前は死にそうだったのに」

「今まさに怒りで死にそうだよ」

 

 一歩、また一歩と慧音が近づいてくるたびに、私はゆっくりと後ずさりをする。また頭突きをされてしまってはたまらない。今日はただですら怪我をしているのだ。

 

「でも、別にいつ行くかは決まってなかっただろ?」

「そうだな」

 

 慧音が足を止めた。威圧感がゆっくりと薄れていく。般若のような顔だった慧音の顔は、あっという間に普段の表情に戻った。情緒不安定、と口にしようと思ったが、また般若に変わりそうなので、止めた。

 

 ふーむ、と腕を組んでいた慧音だったが、私をちらりと見て、手を叩いた。

 

「今からいったらどうだ? 珍しく天気もいいし」

「実は、私も今日行こうと思っていたんだ」

 

 なら、と笑顔を見せる慧音を手で制し、小さく舌打ちする。頬を膨らませて、いじけるように言った。

 

「行こうと思ったのに、言われてやる気が無くなった」

 

 頭突きを避けることは、当然不可能だった。

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