人は誰しも秘密というものを持っている。
後ろ暗いものでなくとも、なんとなく他人に知られたくない事というのは誰にでも存在するのだ。
そしてそれは、日々を闘いの中で過ごす艦娘たちとて例外ではない。
花も恥じらう乙女な彼女たちも、それぞれがそれぞれに秘密を抱えているのである。
そう、例えば普段はクールな彼女にも――
「何か相談? いいけれど」
ある日の午後の事である。
今月の秘書艦を務める加賀は、書類整理に勤しむ提督からある頼まれごとをされた。
それというのもの他でもない。出来れば今後は夜食を用意してほしいというものだった。
夜遅くまで書類と格闘する提督である。確かに夜食は必要だろう。だが……
(わたしが……料理……)
その名も高き一航戦。容姿端麗、頭脳明晰、文武両道と三拍子そろった加賀である。
大抵のことは出来てしまうし、やろうと思ってやれぬことなどまずない。
だがしがし、そんな彼女にもたった一つだけ苦手なことが存在するのだ。
――料理、である。
(これは拙いことになりました)
なにしろ普段は闘いの中に身を置く艦娘である。料理などしたこともないし、する暇もない。
一応、お湯を沸かしたり卵を溶いたりする程度のことは出来るが、それを料理とはいえまい。
しかし他ならぬ提督からの頼み事だ。出来れば誠心誠意応えてあげたい。だがどうすれば……
いくら悩んだところで解決策は出てこない。
加賀は悶々とした気持ちを抱えつつ、司令室をあとにしたのだった。
――次の日
「――というわけで、助けてください間宮さん」
「え、ええっと……どうしたのかしら加賀さん……?」
翌日、加賀の自室には給糧艦『間宮』の姿があった。
アイスや羊羹を手土産に久しぶりに鎮守府へやって来た彼女は、目にクマを作って待ち構えていた加賀によって拉致され、そのままここへ連れてこられたのである。
「間宮さん、料理、上手。助けて」
「そうは言われてもね、わたしにもお仕事があるし……」
目に隈を作って正座した加賀は、元が美人なだけになかなかどうして一種異様な迫力がある。
会話が単語レベルまで低下している辺りで察してほしいが、加賀は昨日から一睡もしていない。
「他の方ではダメなの? ほら、赤城さんとか」
「ダメです。赤城さんは食べる方です」
「あっ……」
加賀が間宮を強引に拉致したのには、実はそれなりの理由があっての事だった。
昨晩、加賀はなんとか頼みごとを完遂すべくこっそりと厨房へ侵入し、慣れない手つきで包丁を握ったのだ。
無論、ロクに料理などした事の無い加賀のやる事であるから、出来栄えのほどはお察しの通りである。
精いっぱい努力した差し入れを食べた提督は、妙に引き攣った笑いを浮かべて、美味しいよ、と言ったが、その時の加賀の心中は察するに余りある。
そのまま悔しさと悲しさで一睡もできず、さりとて料理下手という女としては致命的な秘密を大っぴらにもできず、一晩泣き明かした末に辿り着いた結論が間宮に教えを乞うという方法だったのだ。
「お夜食程度なら簡単なものがいろいろあるけど……」
「ほ、本当ですかっ!?」
「でもごめんなさいね。明日、別の鎮守府の方へ行かないといけないの」
「そんな……」
それでは料理を教えてもらえないではないか……
目に見えて意気消沈する加賀に、しかし間宮はにっこりと笑って一枚の紙を差し出した。
「……?」
「大丈夫。私は教えてあげられないけど、教えてくれる人なら知っているの」
「このお店の名前……もしかして!?」
「ウフフ。たぶん、この鎮守府で一番のお料理上手よ。きっと教えてもらえるわ」
はいお土産、と羊羹を手渡すと、間宮はそのまま提督にあいさつを済ませまたどこかへ行ってしまった。今頃は妖精さんあたりでも労っているのかもしれない。
一人残された加賀は妙に呆然としつつ、先ほど渡された紙に目を落とす。
そこには見知った大先輩の名前を冠した、小料理屋の名前が書かれていた――
――夜
「ここが、間宮さんから貰った地図にあったお店……」
その日の夜、加賀は秘書艦業務を赤城に代わってもらい、さっそく貰った地図にあった店へとやって来ていた。
鎮守府前の通りを何度か曲がった路地裏に、果たしてそのお店はあった。
――『小料理屋 鳳翔』
小粋な店の暖簾に踊る鳳翔の二文字は、ほかならぬ加賀の大先輩、軽空母『鳳翔』のことである。そう言えばいつだったか自分のお店を持つのが夢だという話を聞いたことがある加賀だったが、まさかこんなところにあるとは……
どうやら営業中と見えて店の明かりは点いたままだ。一人で入っていくには少々気後れしないでもなかったが、行かないことには始まらない。加賀は深呼吸を一つすると、店の暖簾をくぐった。
「いらっしゃい――って、あらあら、珍しいお客さんですね」
「こ、こんばんは……」
「うふふ。そんなに緊張しなくてもいいのよ。空いている席に座ってくださいな」
「お、お言葉に甘えて……」
滅多なことでは表情すら変えない加賀も、鳳翔の前では借りてきた猫も同然である。
お通しで出された煮物に箸をつけつつ、加賀はこちらに背を向けている鳳翔を見やる。
さすがに店を出すだけあって、料理の味もさることながら手際に一切の無駄がない。
「そんなに見られちゃうと緊張してしまいますね」
「い、いえ!! これはその……実は……」
箸を持ち上げたままボーっとしていた加賀は我に返って顔を赤くするが、鳳翔はさして気を悪くした風もなく穏やかな笑みを絶やさない。このあたりの抱擁感というか安心感はさすがである。
「ふふ、間宮さんから聞いていますよ。提督にお料理を作ってあげたいのですよね?」
「………はい」
まさか先方から切り出されるとは思っていなかったが、切り出せずにいたのは加賀だ。
意を決して顔を上げると、加賀はまだ自分に料理の経験がないこと、それでもなんとか提督に手料理を食べさせてあげたいことをつっかえつっかえになりながら説明した。
鳳翔は、そんな加賀の様子をじっと見つめながら時折相槌を打って話を聞き、ようやく話が終わって事の次第を把握すると、おもむろに表の戸を開けて暖簾を下ろし始めた。
「お話はよくわかりました。では、今日は少し早いですけれど店仕舞いにしましょう」
「え、でもそれでは鳳翔さんのお店が……」
「いいえ。今一番大事なのは加賀さんがキチンとお料理を勉強すること。そうですね?」
穏やかな、しかし有無を言わせぬ口調で言うと、鳳翔はそっと加賀の手を取っていった。
「さあ、今夜から厳しくいきますよ。やるときは、やるのです!!」
こうして、加賀と鳳翔の料理修業は人知れずに始まったのである。
――数日後
「やりました」
夜もすっかり更けた鎮守府の廊下では、会心のガッツポーズを決める加賀の姿があった。
それもそのはず。短期間であったとはいえ、鳳翔の優しくも厳しい料理修業は確実に成果を出したのである。
最初は夜食(仮)であった謎の物体からの進歩は目覚ましく、最初はおにぎりから始まり、簡単な味噌汁から雑炊などもできるようになり、今ではきちんと提督に温かい夜食を出せるようになったのである。
「思えば壮絶な道のりでした」
鳳翔の店に通い詰め、包丁の持ち方ひとつから徹底的に叩き込まれ、出汁の取り方、火加減からさじ加減、あらゆる基礎を骨の髄まで染み込むほどに教え込まれた数日。その厳しい修行の甲斐あってか、昨晩作った茶わん蒸しは自分でも納得の出来栄えであった。明日辺りは冷え込むだろうから、小鍋なんかを用意してみるのもいいかもしれない。
「さすがに気分が高揚します。提督もきっと喜んでくれたはず……」
とはいえ犠牲がなかったわけではない。指は切り傷だらけだし、鳳翔の店にあった皿も何枚か割ってしまった。鳳翔は決して怒らなかったけれど、そのたびに加賀は鳳翔の言い知れぬ威圧感に満ちた笑顔を向けられて密かに戦慄していたのだった。
「次は何を作ってあげようかな。」
ちなみに今夜の夜食は鮭のあら汁だ。鳳翔から伝授された、とっておきの一品である。
今夜はこれで温まってもらえるといいな、と柄にもなく頬を緩めながら執務室の戸をノックする。
(…………?)
反応がない。留守にするとは聞いていないし、まさかサボっているわけでもあるまい。
訝しんだ加賀がそっと戸を開けて中に入ってみると――
「あ――」
そこには、椅子に背を預けたまま眠っている提督の姿があった。
ふと時計を見ればもう午前零時をとっくに過ぎているではないか。これでは寝てしまうのも仕方ない。
全く困った人だと思いつつ傍に寄ってみると、机の上になにか小さなメモ紙があることに気がついた。起こさないようにそっとメモ紙だけを抜き取ってみると……
「えへへ……ここは譲れません」
そっと提督をベッドまで抱えていくと、加賀は部屋の照明を落としてそのまま司令室を辞した。そのまま誰もいない廊下を歩きながら、加賀は何度も何度もメモ紙を読み返しては頬をゆるめてばかりいた。
その夜を境に、加賀の料理修業には一層熱が入るようになった。
あの日の料理下手はどこへやら、今では鳳翔の店を手伝うほどに上達している。
これにはさしもの鳳翔や間宮ですらも舌を巻いたほどだった。
「鳳翔さん、熱燗には何があうんでしょうか?」
「えっ、熱燗ですか? そうですねぇ……」
そうそう、加賀が一層料理修業に励むようになったその理由。
何度となく鳳翔や間宮に聞かれたのだが、加賀はそれを教えなかった。
結論から言えばそれは例のメモ紙のメッセージのおかげなのだが、加賀がそれを他人に教えることはないだろう。なぜならそれが、加賀の「秘密」なのだから――